八幡と雪乃の恋物語   作:れーるがん

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雪ノ下雪乃は尽くしたい

 特別棟、四階の廊下を歩く。

 約一年前は非常に冷えた雰囲気を醸し出していたのだが、今は一転して暖かい春の陽気にも似た雰囲気を感じる。

 果たして俺の心境の変化によるものなのか、はたまたこの先にある部室の主の変化によるものなのかは分からないが、今ひとつだけ分かってることがあるとするならば、その部室に向かう俺の足取りは非常に重たいと言う事だ。

 入部当初や去年のクリスマス前だってここまで気分が沈んでいなかったのではないだろうか。

 

 話は数分前。放課後になって直ぐまで遡る。

 三年生になっても同じような顔ぶれのクラスメイト達を尻目に、部室へ向かおうと教室を出た時だ。不意に、ポケットの中の携帯が着信を告げた。

 由比ヶ浜の部活不参加は既に聞いているし、一色と小町は生徒会の方に行くとか言ってたのでその三人ではないと思う。雪ノ下に至っては未だ連絡先の交換すらしていない。

 さて誰からの電話かと携帯の画面を見ると、そこには見知らぬ番号が。

 電話に出ないと言う選択肢も存在していたのだが、何故だろうか、ここで無視すると後で後悔するような錯覚に陥ったのだ。

 だから俺は恐る恐る、通話ボタンを押して携帯を耳に当てる。

 次の瞬間には逆にその選択自体を後悔する羽目になるとも知らずに。

 

『ひゃっはろー比企谷君!元気ー?』

 

 そう、電話の相手はあの魔王、雪ノ下陽乃だったのだ。

 

『たった今元気が無くなったところです』

『またまたー!可愛い事言ってくれるね!』

『色々と突っ込みたいんですけど、取り敢えず一つだけ。なんで俺の番号知ってるんですか』

『それは企業秘密だよ』

『そうですか。では切りますね』

『あー!待って待って!今日は本当に大事な話だから!』

『はぁ......。手短にお願いしますね。あんまり遅れると雪ノ下に怒られるんで』

『うん。大事な話って言うのはその雪乃ちゃんの事なんだけど......』

『雪ノ下に何かあったんですか?』

『お、食いついたな?』

『そう言うの良いですから』

『ちぇーつまんないの。まぁその雪乃ちゃんなんだけどね。ちょっと困ったことになっちゃって......』

 

 陽乃さん曰く、雪ノ下雪乃が今朝、朝食の際に飲んでいた紅茶には雪ノ下印の特別な薬が入っていたらしい。もうこの時点で突っ込みどころ満載である。

 で、その薬と言うのが、抑圧されている本能を表に出すもの、らしい。

 ようは普段から溜めてある欲求を解放しちゃいましょう!とか言うアホみたいな効果。

 薬が切れるのは約十時間後で、雪ノ下がそれを服用したのは七時前後とのこと。

 しかし、だ。雪ノ下雪乃にその手の薬を使った所で俺に害は及ばないだろう。どうせあいつの抑圧された欲求なんて猫かパンさんだ。

 いや、抑圧されてるのか?普段から割と表に出してる気がするし、いつの日かの陽乃さんが『休みの日はパンさんの人形を抱きながら猫動画見てる』とか言ってたし。

 

 まぁ、仮に違ったとしてもどうせ由比ヶ浜とベタベタしたいとか俺に罵詈雑言を一日中浴びせたいとかそんなんだ。

 後者だと結局俺に被害及んでんじゃん。そうだとしてもそれは日常の延長線上で話を済ませることが出来るからまぁいい。

 俺の足取りが重くなってる理由はそこではない。これが、陽乃さんの手によるものだと言う事実だ。

 別に陽乃さんが自分でやったと言っていた訳ではないがあの人に違いない。俺のサイドエフェクトがそう言ってる。

 もうその時点で嫌な予感しかしない。

 

 嫌だなぁ、帰りたいなぁ。とか思いつつもついに部室の前へと辿り着いてしまった。どうやら腹をくくるしかないようだ。

 

「うーす」

 

 覚悟を決めて何時ものように挨拶にもなってないような挨拶をして部室に入る。

 そこで俺の目に飛び込んできた風景は

 

「こんにちは、比企谷くん」

 

 いつも通り、窓際の席で文庫本を読む雪ノ下雪乃。その光景だけ見るとなんら変わらないいつも通り。だが、違う。雪ノ下は俺に挨拶をするとき、そんな柔らかい微笑みなんか携えていなかった!

 

「お、おう。こんにちは......」

 

 驚きのあまり改まった挨拶しちゃったよ。

 それを見てクスクスとおかしそうに笑う雪ノ下。可愛い。

 じゃなくて!

 果たしてこれは陽乃さんの言っていた薬の影響なのか?だとしたら一体何に作用した?

 確かにあのクリスマスの後くらいから彼女の態度がどこか柔らかくなっていたのには気がついていたが、流石にここまで軟化していた訳でもない。氷の女王は見る影もなく、陽だまりのお姫様とかそんな二つ名をあげたくなる程に、今の雪ノ下の纏う雰囲気は一変していた。

 

「紅茶、淹れるわね」

「あ、はい」

 

 動揺しながらも定位置に腰を下ろす俺を他所に、雪ノ下は立ち上がって紅茶を淹れる。

 しかし、これは良いことなのではないだろうか?雪ノ下雪乃がこれまでの人生で集団から孤立していた理由の一つには、その冷たい雰囲気や毒舌などが該当しているであろう。果たして彼女が今更集団に属したいと思っているとは思えないが、今の雪ノ下ならば少なくとも今までのように他人から無駄に悪意を向けられたりしないのでは?

 そう思うと少しだけ張っていた気が楽になった。

 

「はい、どうぞ」

「ん、サンキュ」

 

 どうやら考え込んでいる間に紅茶を淹れ終えたようで、パンさん湯呑みを机に置いてくれる。

 どうやら劇的な変化とやらがある訳でも無さそうだし、暫くは静観しておくか。

 

 なんて考えた矢先。

 隣からカタリと音が聞こえた。それと同時に人の気配。何奴⁉︎とばかりにそちらを振り向くと、なんと雪ノ下さんが椅子を持ってきてそこに座っているではありませんか!しかも近い!俺の椅子と雪ノ下の椅子の距離殆どゼロだよ!

 あまりにも鮮やかで自然で当たり前のような動作だったので俺が呆けて何も言えないでいると、雪ノ下は置いたばかりの湯呑みをそっと手にとってフーフーと息を吹きかけ始めた。

 

「......雪ノ下?」

「なぁに?」

 

 なぁにってなんだよそんな可愛い笑顔で俺の顔を見るなよ最早誰だよお前。

 

「あの、何やってんの......?」

 

 漸く思考が正常に働き始めた所で当然の質問を投げかける。

 

「あなた、猫舌なのでしょう?だからこうして冷ましてあげてるのよ」

「いや、頼んでないんだけど」

「私がしてあげたいの」

 

 ちょっとちょっと雪ノ下さんどうしちゃったんです?いつものお前なら寧ろ逆に熱々のおでんを俺の口に突っ込むような勢いじゃないですか。ダチョウ倶楽部かよ。

 暫くフーフーしていた雪ノ下だったが、やがてそれを辞めると、今度は温度を確かめるようにソッと湯呑みに手を当てる。納得のいく温度だったのか、うんと一つ頷きをしてから湯呑みを俺に差し出してきた。

 

「どうぞ」

「......どうも」

 

 差し出されてはそれを受け取らないわけにはいかない。

 紅茶を一口飲んで見ると、確かに絶妙な温度だった。猫舌の俺が火傷してしまわないような、しかし冷めてしまってはいない絶妙な温度。

 

「どうかしら、美味しい?」

「美味しい、です......」

 

 くそ、調子が狂う。なんで今日の雪ノ下はこんなに優しいの?ていうかマジで陽乃さんの言ってた薬は一体雪ノ下の何に作用してこうなってるの?全然分からないんだけど。

 

「ねえ比企谷くん、他に何か私にして欲しいことはないかしら?なんでも言ってくれて良いのよ」

 

 ニッコニコ。雪ノ下さんニッコニコである。某スクールアイドルも裸足で投げ出すくらいのニッコニッコニーを見せられている。雪ノ下だからユッキユッキユーか。いや辞めておこう。これ以上はみもりんの事を思い出して泣きそうになってしまう。

 

「なあ雪ノ下。お前今日はどうしたんだ?」

 

 勇気を振り絞って直接聞いて見る事にした。

 雪ノ下の飲んだ薬が陽乃さんの言う通りのものだったとして、もしそれで多少なりとも雪ノ下が素直になっている、と仮定するならばはぐらかさずに教えてくれるはずだ。

 

「私、気づいたの」

「......何に?」

「私は今まで比企谷くんに頼ってばかりだった。あなたに甘えてしまっていたと言っても過言ではないわ。だから、今日は比企谷くんの事をめいいっぱい甘えさせてあげようって思ったの。あなたに尽くしたいと思ったのよ」

「............」

 

 え、いや、これなんて反応したらいいの?残念ながらこんな時の対処法なんて義務教育で教えてもらってないし。

 なに?俺は雪ノ下に心の底から甘えてもいいの?いやそんなん普通に無理だろ。恥ずか死ぬ。

 

「そうだわ。比企谷くん、膝枕をしてあげる」

「ちょ、ちょっと待て......!」

 

 俺の制止の声も聞かず、雪ノ下は俺を無理やり横に倒して膝枕させてくれた。

 お、おおぅ......。なんだこの柔らかな感触は。安心すると言うか心地いいと言うか......。

 

「ふふ、どうかしら?」

 

 ......はっ!マズイ危うくこの膝枕の前で陥落してしまう所だった!いやでも雪ノ下の膝枕マジで気持ちいいし暫くはこのままでも良いんじゃないか?

 

「もっと私に甘えてくれていいのよ?」

「雪ノ下......」

 

 優しい手つきで頭を撫でられる。

 まるでガラス細工でも触るかのように、ゆっくり、ゆっくりと......。

 

「はっ!いや待て雪ノ下!こんな所誰かに見られたらヤバイだろ!平塚先生とか一色とか小町とかが来るかもしれないぞ!」

 

 すんでの所で我に帰った。危ない、もう少しで雪ノ下の膝枕+頭ナデナデに落ちてしまうところだったぜ。

 なんて考えてはいるが、雪ノ下の手は止まらず俺の頭を撫で続ける。

 

「だからッ!ちょっと待てって!」

 

 このままじゃラチがあかないと思って無理矢理起き上がる。

 が、その後の雪ノ下の表情を見てしまってそれは間違いだったと直ぐに後悔する羽目になってしまった。

 

「比企谷くんは私にこうされるのが嫌なの?」

 

 とても悲しそうに、まるで人生全ての絶望を一身に受けたかのような表情で、目尻に涙を堪えながら上目遣いでそう言われてしまった。もし雪ノ下が魔法少女なら魔女になってるレベル。

 その妖艶とも言える表情を見てしまって言葉に詰まっていると、グイッと腕を引かれる。

 抵抗することも出来ずに引かれるがままに体が倒れていく。

 果たして俺の顔面が着地したのは、さっきの膝枕よりも柔らかな場所。雪ノ下の胸の中に、抱かれていた。

 

「ふふ、こうしていれば離れられないわね」

 

 更に俺の頭をナデナデと。

 ヤバイ。このままではヤバイ。何がヤバイってもうこのままでもいいかなって思ってきてる俺が一番ヤバイ。

 雪ノ下さん絶壁だと思ってたけど想像以上に柔らかくて心地い......って何考えてるんだ俺は!

 

「ゆ、ゆふぃのふぃふぁ!」

「きゃっ!もう、擽ったいからあまり喋らないでくれるかしら」

 

 じゃあ今直ぐ離してくれませんかね!あとその子供に向けるような声色はどうにかなりませんかね!そっちの方が擽ったいよ!

 

「そうだわ、比企谷くん。今日はうちにいらっしゃい。夕飯をご馳走してあげる。その後は耳掻きをして、爪を切ってあげて、お風呂で背中も流してあげるわ。その後は一緒に猫動画でも観ましょう。それで、最後は寝れるまで一緒にいてあげる。ふふ、今から楽しみになって来たわね」

 

 ヤバイヤバイもうこの後の予定とか決め始めた!なんとかしてここから脱出しなければいやでももう少しだけ雪ノ下の胸の感触をって何考えてんだ俺は変態かよ!

 

「今日はタップリご奉仕してあげるわね」

 

 聖母のように慈愛に満ちた微笑みを浮かべて、そんな言葉を口にする雪ノ下。

 男なら言われて喜ぶべき言葉なのだろうがテンパってる俺は刑の執行を言い渡された囚人の気分だ。

 

 ............出来れば使いたく無かった奥の手だが、そうも言ってられない。この状況から脱出するにはもうこれしかない!

 雪ノ下、先に謝っておくぞ、心の中で。

 

 襲い来る心地よさを自意識の化け物でなんとか捩じ伏せ、自由に動かすことの出来る両手を雪ノ下の脇腹へと持っていく。そしてそのままこしょこしょと擽ってやった。

 

「ひゃっ!」

 

 突然やって来た擽りに驚いた雪ノ下は、俺を抱きしめていた両腕の拘束力を弱める。

 そこが好機とばかりに俺は雪ノ下の腕からするりと抜け出し、置いてあるカバンをサッと取って扉までダッシュした。

 

「悪いな雪ノ下今日はあれがあれであれだから今日は帰らせてもらうじゃあな!」

 

 自分でもどうかと思うくらい適当な言葉を並べ、勢いよく部室から飛び出した。

 その時チラリと見えた時計の短針は、既に五の所を通り過ぎていた。

 

 

 

 

 

「折角勇気を出したのに......。比企谷くんのバカ、ボケナス、八幡......」

 

 

 

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