八幡と雪乃の恋物語   作:れーるがん

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八幡の一言に取り乱しちゃうゆきのんの話

 静寂が心地いい。そう感じ始めたのはいつの頃からだろうか。聞こえてくるのは文庫本のページをめくる音と、秒針の刻む律動。僅かに聞こえる運動部の掛け声や、吹奏楽部の演奏の音は、読書をするには丁度いいBGMだ。

 私の淹れた紅茶は部室にあたたかな香りを充満させてくれる。彼が美味しいと言ってくれた、私の紅茶。

 チラリと横目で長机の対面を伺うと、彼の真剣な表情を見る事が出来る。正面から見たらあの腐った瞳が異質な存在感を放つが、こうして見る横顔は、何故だか少し大人びて見えて、私の鼓動を加速させる。

 そうしていると本を読む手が止まって、つい見惚れてしまう。

 まるで、一枚の絵画のような。

 彼の読書姿は、それほどまでに絵になっていた。なんて、少し贔屓目に見すぎているかしら。

 暫く見惚れていると、彼の手が湯呑みへと伸ばされた。彼を見詰めていたのを悟られたくなくて、咄嗟に手元の本に視線を落とす。けれど、性懲りも無く目はチラチラと彼の方へと向いてしまって。

 どうやら、湯呑みの中が空になっているらしい。湯呑みは口元へ運ばれることもなく、机の上へと戻された。

 

「おかわり、いる?」

「ん、頼む」

 

 尋ねれば肯定が返ってくる。なんでもないことなのにこの上なく嬉しい。立ち上がって彼の湯呑みを回収し、紅茶を淹れ直す。

 紅茶を淹れる時はいつも少しだけ緊張する。今日も彼が美味しいと思ってくれるかどうか、不安になっているからだろうか。彼が一口飲んだ時のその表情を見れば、直接聞かなくとも分かるのだけれど。

 今回も無事、いつも通り紅茶を注ぎ終え、彼の元へと運ぶ。

 

「はい、どうぞ」

「サンキュ」

 

 部活中、唯一彼に接近できるタイミング。まあ、だからと言ってなにかをするわけでもないのだけれど。

 湯呑みを机の上に置き、席に戻ろうとした時。

 

「なんか、夫婦みたいなやり取りだな」

 

 そんな呟きと、その数瞬後にゴッ! と言う鈍い音が部室に響いた。というか、私が長机に思いっきり足をぶつけた音だった。

 

「雪ノ下⁉︎ おい、大丈夫かお前?」

「え、ええ、大丈夫よ......。それよりあなた、今なんと言ったのかしら......?」

「は? 俺? 別になんも言ってないけど」

 

 この男、まさか無意識のうちに言葉にしていたと? 自分でも自覚がないと? そんのものに気を取られて、私は思いっきり足を机にぶつけたの? なにそれ。なによそれ。なんなのよそれ! どこのハーレム主人公なのよ! そう言ったテンプレは廃れつつあるって言ったのはあなた自身でしょう!

 落ち着きましょう。そう、まずは落ち着いて深呼吸。それで痛みが引くわけでもないけれど、まずは落ち着くことが大切よ。慌てていても良いことは何も無いわ。

 

「......自覚がないのならそれで良いわ」

 

 彼に自覚がないと言うのなら、これ以上私が気にしなければこの件はお終い。そう、何もなかったのよ。私はいつも通り彼に紅茶を渡して、彼もお礼以外は何も言わずに受け取った。この痛みはあれよ、あれ。まあ、あれよ。どれなのよ。

 席に戻る時に右手と右足が同時に出ていた気がするし、それを彼に指摘された気もするけれど、まあそれも気のせいね。ええ、錯覚というやつよ。

 そうだわ、紅茶を飲みましょう。私のティーカップもそろそろ空になってしまうから、新しく淹れなおして、そして紅茶を飲んで心を落ち着かせるのよ。

 未だに彼は私の方を怪訝な目で見ているが、それを気にせず再び紅茶を注ぐ。淹れたての紅茶が入ったティーカップを口元に運び、一気に呷ろうとして。

 

「あつっ!」

「なにやってんのお前......」

 

 あつい......。それはそうよね......。だって淹れたてなのだから......。そもそもこうなった原因は彼よ。彼が変なことを言うから私はこのような醜態を晒してしまっているの。なによ夫婦みたいって。私と彼が夫婦だなんてそんなこと......。

 

「......比企谷雪乃」

「何か言ったか?」

「べっ! 別になにも言ってないわよっ!」

「お、おう......」

 

 ちょっと、どうして勝手に口に出してるのよ! これでは先程の彼と同じじゃない!

 でも、いいわね、比企谷雪乃。ええ、悪くないわ。寧ろ好ましい響きよ。ふふっ、彼とそう言った関係になるなんて、夢のまた夢だとは思っていたけれど、想像してみたら案外いいものじゃない。

 彼はきっとなんだかんだで毎日働いていると思うし、いってきますの時はちゃんとハグとキスもしてあげて、帰ってきた時も同様ね。ご飯もちゃんと私が三食用意してあげて、休日は紅茶を片手に二人でソファに座ってゆっくりするの。ああ、なんて素晴らしい未来なのかしら。

 

「ふふっ」

「......なあ雪ノ下、お前本当に大丈夫か?」

「へ? あっ、え、ええ。大丈夫よ。先程の痛みも今は引いてきたし」

「いや、そっちじゃなくてだな......」

 

 要領を得ない彼の言葉に、首を傾げてしまう。そっち、とはどういう事かしら?

 

「なんかお前、今日変だぞ?」

「変、とは?」

「俺が言うのもなんだけど、なんかあれだ、急に気持ち悪い笑い方する辺りが変だ」

「んなっ......! だ、誰のせいだとっ......!」

「え、俺? 俺が悪いの? いや待て俺は悪くない世界が悪い」

 

 この男は本当に......!

 

「そもそもあなたがあんなことを言わなければ......!」

「待って、マジで待って、俺なんか言ったか? 全く記憶にないんだが」

「あなたが、夫婦みたいだなんて言うから......」

 

 勢いよく言葉に出したのは良いものの、言葉尻は掠れてしまい、彼には聞こえていないのではないだろうか。

 けれど、真っ赤に染まった彼の顔を見るに、どうやら肝心なところは聞こえていたようで。

 

「......声に出てたのか」

「......しっかり出てたわね」

「その、なんだ、すまん......」

「いえ、謝るような事ではないわ......」

 

 ぽりぽりと掻いている彼の頬は尚も赤く染まって行く。恐らく、私の顔も同じ色をしているのだろう。

 なかった事にするつもりだったのにこの有様。どうしてくれるのかしら。

 

「あー、もしかして、あれか。さっきの比企谷雪乃ってのも......」

「ま、まさか、聞こえていたの......?」

 

 無言の首肯が返ってくる。

 と言うことは、さっきは聞こえていないフリをしてくれていただけで、実はバッチリ聞こえてしまっていた、と。まあ、そうよね。由比ヶ浜さんも一色さんもいない部室は私と彼の二人きり。狭いわけではないが、そう広いわけでもない部室だと、聞こえて当たり前、よね。

 

「......ごめんなさい」

「いや、なんでお前が謝るんだよ」

「私の妙な想像であなたを不快にさせてしまったのは事実だわ。だから、ごめんなさい」

「......別に不快になったなんて言ってねぇだろうが。寧ろ、なんだ、俺もちょっと良いなって思っちまったくらいだし......」

 

 え? え? 待って、ちょっと待って。良いの? 私たち結婚はおろか付き合ってすらいないのに?

 

「良いじゃねぇか、比企谷雪乃。俺は悪くないと思うぞ?」

 

 ゴンッ! とまた鈍い音が鳴った。と言うか、私の頭が長机にぶつけられた音だった。

 ダメ、恥ずかしすぎるわ。なによこの男ノリノリになって! 恥ずかしくないの⁉︎

 

「どうした比企谷雪乃さん? お前から言い出した癖に恥ずかしいのか?」

「やめて......。私が悪かったから、それ以上はやめて頂戴......」

 

 頭のぶつけたところが痛い。と言うかこの男、開き直ってないかしら? 私をそう呼ぶことがどう言うことか理解してるの? 結婚よ? 男女が一生を共にするための契りを結ぶのよ? 私とあなたが、よ? そこのところちゃんと分かってるの?

 

「あっ......! なたはっ、私がその名字を名乗ることになんの抵抗はないの、かしらっ?」

 

 所々声が裏返ってしまった。目の前の彼が笑いを堪えている。後で覚えておきなさい。

 

「まあ、今更妹が一人増えると思ったら、な」

 

 ......そのセリフはわざとなのかしら。そうなのよね? どうして夫婦と言うワードが一度出ているにも関わらずそう思えるの? 正気を疑うわよ。と言うか妹好きすぎないかしら。

 良いわ、わざとだと言うのならあなたにも辱めを受けさせてあげるのだから。覚悟しなさい。

 

「妹とか、そう言ったものではなくて、その、例えば、私とあなたが、結婚、とか......」

「......恥ずかしいなら言うなよ」

「......あなたこそ、顔真っ赤よ」

 

 放課後の部室で彼と二人、共に顔を真っ赤に染めて、私たちは一体なにをしているのかしら。そもそもの発端は彼が不意に発した一言とは言え、その後追求してしまった私にも一応の責任はあるのでしょうけれど。

 お互いに顔を逸らして相手の顔が見れず、だからと言って手元の文庫本を読もうとしても、全く頭に入ってこない。

 

「でも、な」

 

 紅茶を口に含んで一息吐いた彼が、尚も目を逸らしたままに言葉を紡ぐ。

 

「それでも、俺は悪くないと思うぞ。その、比企谷雪乃っての......」

 

 思わず本を落としてしまいそうになった。彼は耳やうなじまで真っ赤にして、それでもそんな事を言ってくれた。

 嬉しい。嬉しすぎて胸が詰まる。ああ、どうしましょう。顔が自然とニヤケてしまいそうになる。なんとかそんなだらしない顔にはなるまいとするも、頬の筋肉は言う事を聞いてくれない。

 

「......なら、いつかそう名乗れる日が来るのかしら」

 

 自分の今の表情を誤魔化すように、そんな事を聞いてしまった。告白も同然の言葉だけれど、一度口から出てしまったものは覆す事が出来ない。

 それに、彼はそんな一言を聞いても、変わらない表情で。

 

「まあ、いつかその内来るんじゃねぇの? 多分、知らんけど......」

 

 そんな風に言ってくれる。

 なら、その日が来るのを、今から楽しみに待つとしましょう。待ちきれない場合は、どうなっても知らないけれど。

 そんな事よりぶつけたところが凄い痛いのだけれど、これは彼に責任を取ってもらうしかないのでは?

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