八幡と雪乃の恋物語   作:れーるがん

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甘々で書いたつもり


甘すぎる二人の、初めてのお泊り

  雪ノ下雪乃は一人暮らしだ。

  そんな彼女の家には、これまでにも何度か足を運んだ事がある。

  初めて訪れたのは文化祭の時。その次はバレンタインの日。

  紆余曲折を経て、また元の一人暮らしに戻った後も、俺は彼女の恋人として何度もこの高級タワーマンションに招かれた。

  慣れたものだと思っていた。

  一年にも満たない、彼女との恋人としての付き合いで。元々、俺も雪ノ下も好んで外に出るような人間ではない。それなら家でゆっくり、二人だけの時間を過ごした方が余程有意義だ。

  彼女の家のリビングに置かれたソファ。そこに二人並んで座り、彼女が淹れてくれた紅茶を飲む。たったそれだけで満たされた気持ちになっていた。それ以上を望むのは、傲慢だと思っていた。だから、何度もそんな休日を過ごして、彼女の家に、雪ノ下雪乃の内側に踏み込む事に、俺は慣れてしまっていたのだ。

  その認識を、今日、改めざるを得ない。

  タワーマンションのエントランスで一人立ち竦む俺の体は震えていた。果たしてそれは、緊張からなのだろうか。多分そうなのだろう。彼女の家に招かれる。そんな当たり前となった事に緊張を覚えるなんて、久しくなかったから、よく分からない。

  俺がここでこうなっているには、勿論それなりの理由があるわけで。

  話し出してしまえば、それはもう壮大な、ハリウッドも驚きの一大スペクタクルを巻き起こせそうな程に長くなってしまうわけで。

  端的に言うならば。

  放課後、部活が終わった後、雪ノ下に今日は泊まりに来ないかと提案された。

  二行で終わっちゃった上に一大スペクタクルなんてなにもなかった。いや、俺の心の中はまさしくスペクタクルってたのだけれど。

  文字に起こせばたったそれだけ。しかしそれだけだとは思うなかれ。

  雪ノ下の家に何度も来たことあれど、それこそ晩御飯をご馳走になったこともあれど、そこで一夜を過ごした事なんて、一度もなかった。

  お泊まりを提案された時の俺はクーガーの兄貴もびっくりの速さで即答。提案した側の雪ノ下の顔は、赤い彗星もびっくりな程赤くなっていた。

  そうして俺は一度帰宅し、何故か小町の手によって既に用意されていたお泊まりセットを持って、こうして雪ノ下の家にやって来たわけであるのだが。

  ここに着いてから五分は経っただろうか。エントランスに備え付けられた時計の針はそんな感じで動いてるから、多分五分経ってる筈だ。

  未だに部屋番号を押せずにいる俺をどこの誰が責められよう。

  だってお泊りだぞ? 今までそう言う事全く無かったのに、今日、急に。

  ここで期待しなければ健全な男子高校生は名乗れないし、緊張していなければ余計に名乗れなくなる。まあ、責任が取れるようになるまでそう言う事はしないつもりだが。

  幸いにして他の住人が通ることもなく。いや、寧ろ通ってくれた方が俺も腹を括れたかもしれないが、そのようなことはなく。結局インターホンの前で五分立ちっぱなしと言う状況が続いていた。

  このままと言う訳にもいかない。多分、彼女は俺のことを待ってくれているだろうし、今まで住人が誰も通らなかったからと言って、この後もそうとは限らない。

  そうだよ、平塚先生も言ってたじゃないか。今しか出来ないこともあるって。多分意味合いは全く違うけど、そう言っていたじゃないか。

  ならば今、行動しなくてどうする。

  最後に覚悟を決めるようにして、ゴクリと喉を鳴らし、インターホンのボタンへと手を伸ばした。指先は尚も震えが止まらない。止めようと思っても無駄なことは知っているので、震えたままで彼女の家の部屋番号を押していく。

  やがて鳴り出したベルの音は上品な楽器を思わせ、ガチャッと無機質な音がそれを遮った。

 

『はい』

 

  インターホン越しにもその綺麗な声は健在だ。同じ状況で同じ声で、同じ言葉をこれまでも幾度となく聞いて来たのに、どうしても緊張が止まらない。

  大丈夫、落ち着け。いつも通りだ、いつも通り。

 

「おっ、おりぇだ」

 

  裏返った上に噛んだ。唐突に死にたくなった。

  インターホンの向こうからはクスクスと笑う声が聞こえてくる。別に直接見られている訳でもないのに、そっぽを向いてしまう。しかもめっちゃ顔熱い。

 

『ふふっ、どうやら、ふっ、ふふふっ、本物みたいね、ふっ......』

 

  めっちゃ笑われてる。なに、そんなに面白かったの? まあ、面白かったでしょうね。未だに聞こえてくる可愛らしい笑い声に、そろそろ一言物申そうかと思ったら、その前に彼女の笑い声が収まった。

 

『ふぅ、笑わせてもらってありがとう』

「おう、存分に感謝しやがれ」

『その様子では随分と落ち着きがないように思えるから、一応言っておくけれど、鍵は開けておくから、いつものように勝手に入ってきていいわよ?』

「......分かってるよ」

  『そう? ならいいのだけれど』

 

  プツリとインターホンの通話が切れ、エントランスの扉が開く。

  緊張していた体から、漸く力が抜けた気分だ。やはり、彼女とのやり取りはどこか落ち着く。その内容が俺を揶揄うものだと言うのはこの際無視しておくとして。

  扉をくぐり、エレベーターで十五階まで。

  やがて辿り着いた彼女の部屋の前で、一度立ち止まる。いつからか、ここのチャイムを鳴らすことはなくなった。まるで我が家の様にこのドアを開き、そして出迎えてくれる彼女に、何度も「いらっしゃい」と微笑みかけられた。

  今日も、そうなるのだろう。その後になにがあったとしても、そこだけは変わらないやり取りのはずだ。

  そう思いドアノブに手を掛け、ドアを開いた先には。

 

「おかえりなさい、あなた」

 

  学校から帰って来て着替えていないのか、制服の上からエプロンを着用した雪ノ下。そのエプロンも、所々修繕されているのを見るに、かなり使い込まれているのだと分かる。

  去年、由比ヶ浜の誕生日プレゼントを買いに行った時に、彼女が買っていたものだ。どうも、その時に俺が似合っていると言ったのが嬉しかったらしい。

  制服エプロンが可愛すぎるとか、おかえりと言うのはおかしいとか、まあ、思いついた事は幾つかあった。

  けれど、そんなことよりも。

 

「......ただいま」

 

  目の前で俺に微笑んでいる彼女を見ていると、幸せで胸が詰まってしまって。気がつけば、掠れた声でそう返事をしていた。

  直前の緊張は果たしてどこへいったのやら。ただ、彼女がおかえりと言ってくれることが、どうしようもなく胸の奥が熱くなる。

  言葉の後ろに新妻ごっこの定型文のようなものが付いて来なかったは幸いだった。そんなもの聞かされてしまえば、間違いなく最後の選択肢を選んでしまいそうだ。

 

「ご飯、もう少しで出来るから。上がって?」

「おう」

 

  二人で並んでリビングへと歩きながら、雪ノ下は俺の上着を受け取ってくれる。流石にお泊まりセットの入ったカバンは、彼女には重いだろうから渡さなかったけど。

  リビングへと続く扉を開くと、キッチンからいい香りが漂って来た。準備中の夕飯のものだろう。匂いだけで食欲が唆られる。

 

「なんか手伝うか?」

「いえ、大丈夫よ。ソファでゆっくりしていて頂戴」

「分かった。......ああ、そうだ雪ノ下」

 

  キッチンへ向かおうとする雪ノ下の背に声をかける。振り返った彼女は小首を傾げ、なにかと視線で問うてくる。

  床に置いたカバンを開き、中から雑貨屋のロゴがデザインされた袋を取り出し、それを渡した。

 

「......これは?」

「エプロン。お前、それずっと使ってるだろ? 結構傷んでるみたいだし、新しいのに変えた方がいいと思ったんだが......」

 

  袋を受け取ってくれた雪ノ下は、その中からエプロンを取り出した。

  黒猫のアップリケが施されたそれは、今雪ノ下が使っているものとデザイン的にはそう大差ない。猫の足跡がついてるか否かの違いくらいか。

  そのアップリケを見た雪ノ下が、猫......、と小さく呟く。猫好き過ぎるだろ、というのも今更過ぎるか。

  しかし、その呟き以降彼女からの言葉はなく、段々と不安になって来た。もしかしたら雪ノ下的には今のエプロンをまだ暫く使っていたかったのかもしれないし、渡されても迷惑なだけだったかもしれない。

 

「あー、その、なんだ。いらんと思ったら捨ててくれて構わないから......」

「そ、そんなことっ!」

 

  弾かれたようにして顔を上げる雪ノ下。

  俺の渡したエプロンを大切そうにギュッと抱きしめ、その顔には穏やかな笑みを携えている。

 

「とても、とても嬉しいわ。ありがとう、比企谷くん」

「......どういたしまして」

 

  その笑顔を見れたなら、渡した価値があったってもんだ。

  エプロン一つにあれでもないこれでもないと悩んでいた一人の少年の努力が報われた。いや、本当に悩んだ。その結果、今着けているものと代わり映えしないと言うのは、どうにかならなかったものかと当時の自分を問い詰めたいが。

  早速俺があげたエプロンを着用して料理をするつもりなのか、雪ノ下は今のエプロンの紐を解いてスルリと脱ぐと、綺麗に畳んで一先ずソファの上に置いた。

  その後に新しいエプロンに腕を通し、クルリとその場で一回転。

 

「どうかしら?」

「似合ってる。流石俺だな」

「そこは私を褒めるところではないの?」

 

  呆れたように言った後、ふふっ、と笑って俺の胸に飛び込んでくる。それをなんとか受け止めると、背中に雪ノ下の腕が回された。彼女の癖のようなものだ。嬉しいことがあったりすると、こうして胸に飛び込んで来て抱き締めてくる。その後に短いキスを交わすまでがセット。

  これも、最早慣れた行為。

  抱き締め返してやると、腕の中の彼女が更に腕の力を強めてくる。

 

「本当にありがとう。大切に使うわね」

「おう」

 

  言った後、背伸びして俺の顔に唇を近づけてくる。それをいつものように受け入れようとして、しかし、それが触れ合うことはなく、その寸前で雪ノ下は何故か不満げに眉根を寄せた。睨んでるようにも見える。

  あ、あれ? 急にどうしたの?

 

「どうかしたか?」

「......不愉快だわ」

 

  先程までの微笑みは一体どこへ捨てたのか、言葉の通り不愉快そうに眉を顰める。その言葉の意味も理解できないままでいると、背中に回されていた雪ノ下の手が俺の後頭部へと移動し、グイッと引き寄せられる。着地した先は雪ノ下の艶やかな唇。短く触れるとか、そんな甘いものではなく、結構ガッツリと唇を奪われた。

 

「んむっ!」

「んんぅ......」

 

  舌がこちらの口内に侵食してくることこそなかったものの、十分に熱のこもったキス。10秒ほどかけてたっぷりと唇同士を交わらせた後、離れていった彼女の感触がどこか名残惜しい。

  それでも雪ノ下の表情は未だにどこか不満げで。

 

「あなた、また背が伸びた?」

「あぁ、まあ、止まってる感じはしないけど......」

 

  その質問に答えを返して、察する。

  俺の身長は三年生になってから急に伸び始めた。出会った頃は10cm程しか身長差がなかった俺と雪ノ下だが、今では20cm近く違うのではないだろうか。

  つまり、雪ノ下が背伸びをしても、俺の唇にはギリギリ届かないのだ。

  どうやらこの子はそれでご不満顔になっていたようで。でもだからって、いきなりあんなことされたら困惑するんだよなぁ。

 

「男の子からすると、そう言った身体的な成長は喜ばしい事なのかもしれないけれど、あなたの顔が遠ざかるのは納得いかないわ」

「んな理不尽な......」

「私からキスしづらいじゃない」

 

  プイッとそっぽを向いて唇を尖らせる姿は、拗ねた幼子のようだ。大変可愛らしくてもう一回抱きしめたい衝動に駆られるが、そっちは自重するとして。

 

「んじゃまあ......」

「......?」

 

  俺の纏う雰囲気が変わったのを察したのか、雪ノ下はこちらを横目で伺い不思議そうにしている。

  そんな彼女の顎に手を添えて無理矢理こちらを向かせ、少し腰を曲げて、彼女の顔に被さるように上からキスをした。

 

「んんっ」

「......ふう」

 

  流石に雪ノ下からされた時のような熱のあるキスは自重したけれど。離した顔は真っ赤に染まっており、けれど口角はだらしなく垂れ下がっている。そんな表情を見せるようになってくれてからもそれなりに経つが、未だに嬉しいと感じてしまう俺がいる。

  唇を触れさせる時に、雪ノ下の手が俺の胸に添えられて、なんだかその感触が妙に擽ったい。

 

「これなら、身長差とか関係ないだろ?」

「......やはり不愉快だわ」

 

  言葉とは裏腹に、ニコニコと可愛らしい微笑みを浮かべている。怒りながら笑うとか器用な真似をするやつだ。もしも俺が寺の跡取りなら死んでるところだった。

  俺の胸に添えられた手の位置が移動する。か細く、白い指で、俺の胸を撫でるように。それが擽ったくて、どこか気恥ずかしくて、けれど体を離そうとは思えない。

  雪ノ下の手は丁度心臓の位置に置かれる。俺の加速した鼓動を感じ取ったのだろうか、さっきまでまでのだらしない笑顔とは違って、どこかこちらを揶揄うような笑顔を見せてきた。

 

「心臓の音、凄いことになってるわよ? 恥ずかしいのなら無理しなければいいのに」

「......うっせ。ちょっとくらい格好つけさせてくれてもいいだろうが。そう言うお前も顔真っ赤だぞ」

「あなたには負けるけれどね」

 

  そう言われて、頬の熱を自覚する。多分、今日一番の紅潮を記録してるのではないだろうか。何故それに気がつかなかったのか。

  今更顔を逸らしても既に遅い。手で覆っても手遅れだ。俺の赤面顔は、ばっちりと雪ノ下の網膜に焼き付いてしまっただろうから。

 

「ふふっ、そろそろ晩御飯の準備してくるわね」

「お、おう......」

 

  くそッ、最後の最後にめっちゃ恥ずかしくなっちまったじゃねぇかよ......。キスすること自体は恥ずかしくないのに、あんな風に心臓の鼓動を感じ取られると恥ずかしくなってしまうのは、何故なのだろうか。

  赤い顔をしままキッチンへ向かった雪ノ下を見送り、同じく赤い顔したままの俺はソファにドサッと腰を下ろした。

  それにしても、雪ノ下は大分感情表現が豊かになって来た。いや、付き合う以前から割と感情が表に出てしまっていた節はあるけれど。特に由比ヶ浜や一色とのゆるゆりで。彼女は決して鉄仮面を纏った女の子などではなく、ただそこに至るまでの過程が長すぎるだけなのだ。

  付き合い始めてもう少しで一年。まさかここまでデレデレになるとは思いもしなかったけれど。

  まあ、それを言うと俺も、らしいのだが。どうも奉仕部連中曰く、俺も雪ノ下も、互いが互いのことになるとめっちゃデレるらしい。俺のことを話してる雪ノ下が凄い可愛いとは由比ヶ浜からの情報だ。なにそれ俺も見たい。

  なんにせよ、彼女の心の中にあった氷が溶け、あの春の陽だまりのような笑顔を見せてくれている、と言うのは非常に喜ばしいことだ。きっとそれは俺のお陰ではなくて、由比ヶ浜や一色、小町や陽乃さんなんかの功績なのだろう。彼女らに言えば、即座に否定が返ってきそうなものだが。

  床に置いていたカバンを手繰り寄せ、中から持ってきていた文庫本を取り出す。料理が出来るまではこれで時間を潰すとしよう。

  栞を挟んであるページを開き、前回の続きから読み進める。もう何度も読んだことのあるラノベで、この先の展開も知ってはいるが、それでも読んでいる時のワクワク感は未だに湧いてくる。

  そのワクワクを胸にさあ読み進めぞと言うところで、キッチンの方から鼻歌が聞こえてきた。

  この家はキッチンがリビングからも見えるため、振り返ると彼女の姿が直ぐに目に入る。雪ノ下は、どこかで聞いたことあるような曲を鼻歌で歌いながら、エプロンの紐と髪に結われた赤いリボンを揺らして、上機嫌に料理を作っていた。

  聞こえてくる曲を知っているのも当然だろう。彼女が二年の文化祭の時、ステージで披露していたのだから。

  彼女が上機嫌なその理由を考えるも、直ぐに思い当たり頬が熱を持つ。

  一曲終わると、また次の曲へ。

  エプロンを貰ってあそこまで上機嫌になっちゃうとか、ちょっと可愛すぎて意味わかんないんだけど。

  彼女の鼻歌をBGMにすると、不思議と読書が進む気がした。

  それにしても雪ノ下さん、現役女子高生が鼻歌でワルキューレの騎行はどうかと思うな。

 

 

 

 

************

 

 

 

 

  夕飯はとても豪華だった。それはもう豪華だった。

  鳥の唐揚げにシチュー、シーザーサラダと白飯。種類を上げればこの四つだが、いかんせん量が半端なかったのだ。山盛りの唐揚げに、これまた山盛りの白飯。もうこの時点で男子的には食欲爆発なのに、シチューもサラダまでもが美味しすぎて。

  食べ終わってソファで寛ぐ現在、胃がとてもつらいです。

 

「ダメだ、もう何も食えん......」

「ご、ごめんなさい......。少し作りすぎてしまったわよね......」

 

  お風呂を沸かしに行っていた雪ノ下が戻ってきて俺の隣に座り、少し落ち込んだ様子で呟く。何をシュンとしてるんだか。食い過ぎた俺が悪いというのに。

  彼女の艶やかな黒髪を撫でてやると、心地好さそうに目を細めた。

 

「いや、美味かったから別にいいよ。つか、いつもあんなに作らないのになんでまた」

「......その、少し、浮かれてしまって。あなたが初めて泊まりに来ると言うだけでなくて、エプロンまで頂いてしまったから......」

「お、おう、そうか......」

 

  えー、なにこの子可愛すぎじゃね? 上機嫌にワルキューレの騎行とかラ・カンパネッラとか鼻歌で歌いながら浮かれちゃっていっぱい作っちゃったの? 曲名だけ抜き出すと可愛げのかけらもないのに、その行動が可愛すぎる。ヤバみが深い。

 

「そうだ。比企谷くん、膝枕、してあげましょうか?」

「え、いいの?」

 

  思わず即座に聞き返してしまった。頭を撫でる手も止めて聞き返してしまった。多分今、めっちゃ気持ち悪い顔してるぞ、俺。

  その証拠に雪ノ下も軽く引いてるし。

 

「そこまで食いつかれると反応に困るのだけれど......」

「あ、すまん。いやでも、ほら、なあ?」

「何が言いたいのよ......」

 

  だって膝枕だぞ、膝枕。今までそんなことしてもらった事ないぞ。俺が膝枕してあげることならあったけど。

  あの、雪ノ下の膝の上に、白くきめ細かな肌と程よい弾力がありそうな、その太腿に、頭を乗っけることが出来るんだぞ? 食いつかないわけがない。

 

「あなたのその気持ち悪い表情と腐りきった目を見ていると、なんとなく何を考えているかは想像できるけれど」

「否定出来ないけどもう少しオブラートの包みせん?」

「別に膝枕くらい普通のことでしょう? 私もあなたによくしてもらっているし」

「いや、男子がするのと女子がするのとじゃ色々違うだろ」

「で、どうするの? 膝枕、してほしい?」

「..................はい」

 

  結局欲望に忠実になることにした。

  雪ノ下はまるで年上のお姉さんのような優しい微笑みを見せ、膝の上をポンポンと叩く。

  食後すぐに横になるのは体に良くないとか聞いたこともあるが、そんなことどうでもいい。今は雪ノ下の膝枕を体験することこそが最優先だ。

  雪ノ下が端へと移動してくれたため、ソファは俺が横になっても十分過ぎるくらいに余裕がある。

  ゆっくりと頭を下ろし、雪ノ下の膝の上へと着地させた。その瞬間。

  言葉に出来ない程の心地好さが俺を襲う。

  細くスラっとした体型の雪ノ下だが、それでも太腿はとても柔らかく、女性らしい肉付きをしっかりと感じられる。正直言って、このまま寝落ちしてもなんらおかしくはない。

  雪ノ下が顔を下げ、こちらを覗き込んでくる。その口元には穏やかな微笑を携えていた。

  電球の光が俺を囲む長くて黒いカーテンによって遮られ、俺の眼球から脳に送り込まれる視覚情報は、完全に雪ノ下だけに支配されている。

  白い指が俺の頭に触れ、慈しむように撫でられる。雪ノ下の微笑みを直視しながらそうされていると、なんだか変なところがむず痒くなって、身動ぎしてしまう。

 

「ふふっ......」

「......なんだよ」

「いえ、あなたが随分と可愛らしく見えるものだから」

「俺が可愛いとか、お前の目もついに俺同様腐ってきたか?」

「良かったわね、お揃いよ?」

「そこは嫌がるところじゃないですかね......」

 

  こんなやり取りが酷く心地いい。心がとても落ち着く。彼女は未だ微笑んでいて、恐らくは俺も似合わない笑みを浮かべているんだろう。

  そうしていると、雪ノ下の指が髪から頬へと移動してきた。頬を撫で、顎を撫で、最後に唇へと行き着く。プニプニと押してくるその指を咥えてやろうかとも思ったが自重。

  その代わりと言ってはなんだが、俺も手を伸ばして雪ノ下の唇に指先を触れさせる。

 

「あなたの唇、柔らかいわね」

「お前には負ける」

「そう? けれど、キスをする時、いつも思うのよ? あなたの唇がとても柔らかくて、触れていると心地良くて」

「お前のはあれだ、柔らかいだけじゃなくて、綺麗だ」

「ふふっ、ありがとう。なら、どちらが柔らかいのか、確かめてみましょうか」

 

  雪ノ下の綺麗な顔が、唇が、徐々に近づいてくる。瞼は開かれ、俺の目を見つめたままだ。そこから顔を逸らすことなどせず、降り注ぐキスの雨を受け入れる。

  触れては離し、また触れる。それを何度も繰り返したところで、実際どっちの唇が柔らかいかなんて分かりはしない。

  そうして何度目かのキスを受けた後、彼女の後頭部に手を回して、今度はこっちから唇を押し付けた。

  夕飯前に交わしたものよりも、長く、熱のあるキス。舌を入れる度胸はない。多分、そんなことをしてしまえば、俺も彼女も溺れてしまって、他に何も考えられなくなるから。

  息を継ぐために離した彼女の唇は湿っていて、色っぽい雰囲気を醸し出している。

 

「どっちが柔らかいか分かったか?」

「よく分からなかったわ。だから、もう一回、ね?」

 

  そう言って再び顔を接近させてくる。

  欲張りなやつだな、なんて思いながら、俺自身も満更ではなくて。

  もう一度降ってくる雨に身構えた所で──

 

  ピピピッと、電子音が鳴った。

 

「残念、ここまでみたいね」

 

  本当に残念そうに言いながら、雪ノ下の顔が離れていく。どうやら、風呂の湯が沸いたのを知らせる音らしい。

 

「お風呂、先に入って貰っても構わないわ」

「おう......」

 

  ソッと頭をひと撫でされて、それが起き上がれとの合図だと解釈する。けれどどうしても名残惜しさが言葉尻に出てしまって、それを読み取った雪ノ下がクスリと笑って、また俺の頭を撫でてきた。

 

「あと十分だけ、こうしていましょうか、甘えん坊さん」

「まあ、そうだな......」

 

  雪ノ下だって人のこと言えないくらいには甘えん坊なのに、今の彼女からはどうしても包容力と言うか、年上のお姉さんみたいな雰囲気を感じる。

  お互いに甘えて、甘えさせて。でもきっとそれは共依存なんて大それたものではなくて。

  きっと、もっと尊ぶべきものなのだと思う。

  誰かに甘えるなんて、人生で出来た試しがないから。けれど、今こうして、彼女に身も心も委ねることが出来ている。

  ああ、なんて幸せなんだろうか。

 

 

 

 

************

 

 

 

 

  俺の風呂シーンとか誰得だよって感じだから全カット。非常に名残惜しくありながらも、膝枕はあれからきっかり十分で切り上げられ、半ば強制的に体を起こされた。

  強制的にと言っても、最後にまたキスされただけなんだけれども。

  ソファの上で雪ノ下が風呂から上がるのを待つこと二十分。時計は二十二時を示している。良い子はそろそろ寝る時間だ。思っていたよりも時間が経っていて、膝枕にどれだけの時間を費やしていたんだと自分でも軽く引く。

  八幡くんは良い子なので、そろそろ眠気がやって来る。嘘、良い子とか関係なく、どうやら自分で思っていた以上に疲れていたらしい。

  欠伸をかみ殺すこともなく盛大に口を開けていると、リビングの扉が開く音がした。

  そちらを振り返り雪ノ下の姿を確認して。

  息が、止まった。

  身を包んでいるパジャマはパンさんの柄が入っており、どこか子供っぽい。けれど、水に濡れた黒髪や、上気した紅い頬、化粧を落としても尚変わらないその美貌は、彼女をどこまでも色のある女性へと演出している。

  て言うかこいつ、化粧する意味ないだろ、これ......。

 

「比企谷くん?」

 

  声をかけられ、我に帰る。危ない。窒息死するところだった。恋人に見惚れて窒息死とか笑い話にもならん。いや、陽乃さん辺りは爆笑しそうだけど。

 

「どうかした?」

「い、いや、なんでもない」

「......もしかして、私に見惚れてたのかしら?」

「......」

「そこで無言になられると困るのだけれど......」

 

  なら聞くなよ。昔の私可愛い宣言はなんだったんですかね。

  困ったような笑う雪ノ下だが、顎に手を当てて何事か考える素振りを見せた後、提案してきた。

 

「少し早いけれど、寝室に行く?」

「別にいいけど、まだ二十二時だぞ?」

 

  特別早い時間と言うわけでも無いが、深夜と言う時間でもない。雪ノ下がいつも何時頃に寝ているのかは知らないが、今の口ぶりから察するに、いつももう少し遅くに寝るのだろう。俺に至っては深夜アニメのために夜更かしが当たり前だし。

  その提案の意図を視線で尋ねる。

 

「だって、お風呂上がりの私を見ただけでその体たらくでは、同じベッドに入って素直に寝付けるわけがないじゃない」

「......確かに」

 

  悔しいが認めざるを得なかった。この期に及んでソファで寝かせろなんて言う事はないけれど、と言うかそれだと、何しに泊まりに来たんだって話だし。

  実際、雪ノ下と同じベッドに入って、簡単に寝れるわけがない。添い寝なんて今までで一度も経験した事ないし。

  彼女が俺の膝の上で寝顔を見せてくれることなら幾度かあったが、その時のとびきりに可愛い寝顔がすぐ横にあるとか、下手すれば起きたまま夜を越す事だってありえる。

 

「それじゃあついて来なさい」

 

  ソファから立ち上がって、言われた通り雪ノ下の後ろをついて行く。

  廊下に面した扉のうちの一つに彼女が手を掛けた。その先が、雪ノ下雪乃の寝室。世の男共もは誰も入ったことがない、未知の領域。何度かこの家に来た俺ですら、終ぞその部屋に入る事はなかった。

  そこに、今から足を踏み入れる。踏み入れることが出来る。

  そして開かれたその先の光景は。

 

「どうぞ。散らかってはいないと思うけれど、あまりジロジロと見ないでくれると助かるわ」

 

  まあ、予想通りのものだった。

  散らかってはいないどころか綺麗すぎるくらいに掃除された床。部屋の中に所狭しと並べられたパンさんグッズ。簡単に見回した程度だが、それでも十分すぎるくらいにパンさんグッズの多さが分かってしまう。

  そして、その多くのパンさんたちの中でも、一際存在感を放つものが。

  写真立てに飾られた、どこかで見たことのある写真と、その隣にチョコンと鎮座している古ぼけたパンさん人形。

  見たことあるのなんて当たり前だ。だって、そこには俺も写り込んでいて、忘れられる筈もない記憶をそこに写しているのだから。

  その隣のパンさん人形だって、そこに詰まった思い出を、はっきりと思い出す事ができる。

 

「あの写真、買ってたんだな」

「ええ。記念にと思って。あなたも欲しい?」

「そうだな。今度プリントしてくれよ」

 

  その時の事には具体的に触れない。大切な記憶で、大切な約束ではあるが、それはもう過去の話だから。俺は、その約束を果たす事が出来た。今も変わらず果たす事が出来ている。その自負も、自信もある。

 

「ベッドで横になっていましょう。話すだけなら、それでも出来るのだし」

「だな」

 

  促されて先にベッドへと上がり、続いて雪ノ下もベッドに上がって同じ掛け布団に潜り込んで来た。

  ベッドは当たり前のようにシングルサイズなので、二人で入るには少し手狭だ。少しでも離れると、落ちそうになってしまう。

 

「腕枕、してくれる?」

「はいよ」

 

  だからお互いの体をくっ付け、左腕を隣に伸ばす。彼女の頭は軽いから、重みを感じても、そこから生じる痛みは感じない。寧ろ、この重みが心地いい。

 

「緊張、してる?」

「まあ、してないって言ったら嘘になるな。お前は?」

「私も、緊張してるわ。けれど、それ以上に幸せがいっぱい溢れてくるの」

「......俺も、似たようなもんだ」

 

  雪ノ下の言う通り、想像していたほどの緊張は無くて。ただ、自分の隣に、愛してる人がいると言うだけで、どうしても幸せな気持ちが勝ってしまう。

  本当に幸せそうに微笑む雪ノ下だが、眠気には勝てないのか、小さく欠伸をした。取り繕うようにかみ殺すこともなく、たったそれだけの小さな事でも何故か嬉しくなる。

 

「ごめんなさい、少し、眠たくなって来たみたい」

「いいよ。実際俺も、結構眠いし」

「ではもう寝ましょうか。お話はいつでも出来るもの。まだまだ、これから時間は沢山あるから」

「そうだな」

 

  これから先。何年も、何十年も、こいつと一緒にいられる確信がある。時間は有限だけれど、俺たちにはまだまだ残されている。その残された時間全てとは言わないが、多くの時間を雪ノ下と共有できたなら。

  そんなことを願わずにはいられない。

 

「おやすみなさい、比企谷くん」

「おやすみ、雪ノ下」

 

  最後に軽く唇を触れ合わせ、雪ノ下は静かに寝息を立て始めた。

  彼女の寝顔はまるで御伽噺のお姫様のようで、もしかしたらこのまま目を覚まさないのかと錯覚してしまうほど美しく、それでいて時折綻ぶ口元が堪らなく可愛らしい。

  起きないだなんて、そんなことはあり得る筈もないけれど。取り敢えず、明日の朝起きた時はキスをしよう。

  なんて、らしくもない事を考えながら、俺も夢の世界へと落ちていった。

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