ついにこの日がやって来た。
策を巡らせ、謀略の限りを尽くして、反撃の機会を虎視眈々と狙っていた俺。そんな俺にお誂え向きの、この日が。
今日は3月14日。世間一般ではホワイトデーと呼ばれている日だ。世間一般の範疇外における俺においても、今日はホワイトデーである。
丁度一ヶ月前のバレンタインの日に雪ノ下から告白紛いのチョコを受け取り、その数日後に思いが通じあった俺たちではあるが、だからと言って俺と雪ノ下の日常に変化が訪れたわけではない。
いつも通り、俺は部室でからかわれ、反撃を試みても逆に返り討ちにあい、とうとう彼女に一矢報いる事なく卒業してしまった。
そして卒業から数日経った今日。
俺は雪ノ下を我が家へ招待した。
小町は気を利かせたのか、友達の家に遊びに行くと言って朝からいない。つまり、家には俺とカマクラしかいないのである。
家の片付けを粗方終わらせ、仕掛けの準備も確認した頃、家のチャイムが鳴らされた。約束していた時間丁度だ。
クククッ、さあ来い雪ノ下。ここは俺のホームグラウンドである我が家。お前が勝てるとは思わないことだな!
玄関の扉を開けた先に立っていたのは、最近の暖かな気候に合わせたコーディネートの雪ノ下。その姿を見ただけで、一気に緊張がやって来て頭の中から作戦が全部吹っ飛んだ。
「......?」
ほら見ろドアを開けてから一言も喋らないから雪ノ下さん不思議そうに顔傾げてるじゃねぇかよ。その感じ凄い可愛いのでもうちょっと見ていたいけど。
なんとか脳内再起動を果たし、かねてより考えていた策を実行に移す。
「よ、よお、雪乃」
「ええ、こんにちは八幡」
スルー、だと......⁉︎
バカな、初めて名前で呼んだと言うのに、流れるようにして向こうも名前で呼んでくるなんて、俺がこの作戦を実行するのに悩んだ時間はなんだったんだよ!
「八幡、どうしたの? 顔、真っ赤だけれど」
「なっ、なんでもねぇよ......」
クスクスと愉快そうに笑う目の前のお嬢様。
くそッ、雪ノ下め......! まさかこんな容易く名前を呼んでくるなんて、思いもしなかった。もうちょっと恥ずかしそうに頬を染めたりしないのかよ。
「それよりも、早く家に上げてくれたら助かるわね」
「へいへい」
未だ頬の熱は引かないが、いつまでもここでこうしているわけにもいかない。そもそも、俺のバトルフェイズはまだ終わっていないんだ。次の一手は確実に決めてやる。
雪ノ下を家に上げてリビングへと通す。そこには今回の俺の協力者であるカマクラが。カマクラはソファから飛び降り、来客である雪ノ下の足へと擦り寄ってきた。
「あら。ふふっ......」
しゃがみ込んでカマクラを撫で、とても柔らかな笑みを浮かべる雪ノ下。その笑顔を見ていると、これからすることに対してなんだか罪悪感が沸き起こってくる。
いや、騙されるな比企谷八幡。こいつはこんな見た目して中身は俺を揶揄うことに快楽を見出してるとんでもないやつだ。ここで罪悪感とか感じる必要はない。
「取り敢えずソファにでも座っててくれ。コーヒーと紅茶とマックスコーヒー、どれがいい?」
「コーヒーとマックスコーヒーは別なのね......」
「当たり前だろ」
「では折角だし、マックスコーヒーを頂こうかしら」
「了解」
珍しい事もあるもんだと思いながらもキッチンへと向かい、冷蔵庫からマッカンを取り出してコップへと注ぐ。コップを両手に持ってリビングに戻ると、雪ノ下はソファの上でカマクラを一心不乱にもふりながらにゃーにゃーと共鳴していた。
「ほれ」
「ありがとう」
ソファの前に置かれたテーブルにコップを置いても、一応の礼は言ってくれるが視線はカマクラに固定されたまま。
「にゃー」
「にゃー、にゃー。ふふっ」
雪ノ下は俺のことも気にせずにゃーにゃーと鳴く。少し前まではそれすらも恥ずかしがっていたと言うのに。そう言う姿を俺に見せてくれると言うのは、信頼や好意の裏返し、なのだろうか。そうなのだとしたら、嬉しい。
だがそうやって呑気に鳴いていられるのも今のうちだと思え。
胸の内にある羞恥心をねじ伏せ、俺は言葉を紡ぐ。
「前から思ってたんだけどさ、お前の猫の真似、めちゃくちゃ可愛いよな」
「なら録音しても構わないわよ? 毎日起き抜けに聞く?」
「......っ」
笑みの種類を俺を揶揄う時の悪戯なそれへと変えて即答してきた。しかも下から俺の顔を覗き込むように。
その笑顔を直視できなくて顔を逸らしてしまう。どうやらまた返り討ちにあってしまったらしい。
ああダメだ。顔がめっちゃ熱い。
「ふふっ、また赤くなってる。可愛いわね」
「......男に可愛いとか言っても喜ばんぞ」
「そう? けれど事実なのだから仕方ないわ」
高鳴る心臓を抑えるためにマックスコーヒーを呷る。いつもと変わらない甘さは、しかし俺の心を落ち着かせることもない。
まだだ。まだ俺の手札にはジョーカーが残されている! 落ち着け、勝ちの目はまだ見えてるぞ!
「そう言えば、今日はホワイトデーね」
「あ、ああ、そうだな」
「お返し、貰えるのかしら?」
「まあ、一応準備してるけど......」
ちょっと待ってろと伝え、再びキッチンへと向かう。そしてまたまた冷蔵庫を開き、その中で保冷してあった包みを手に取りリビングへと戻る。
「手作りとかじゃなくて悪いんだが......」
言い訳のように口に出しながら、雪ノ下の隣に腰を下ろす。差し出した包みにデザインされているロゴは、某有名チョコレート店のもの。高級品と言っても差し支えないものだ。
雪ノ下もそれを理解しているのか、少し驚いた表情をしている。
「よく買えたわね......。高かったのではないの?」
「まあ、それなりの値段はしたが、ホワイトデーってのは3倍返しが基本だって言われたからな。それでバレンタインの3倍に届いてるとは思わんが......」
「......いえ、十分過ぎるくらいだわ」
「......そうか」
「ええ、そうよ」
嬉しそうな微笑みを絶やさないまま、雪ノ下は包みを綺麗に剥がしていく。やがて包みの中の箱を開き、そこに入っていたものを見て、またしても驚きに目を丸くしていた。
「これは......」
そう、それこそ俺の切り札。俺が持つ手札の中で最も雪ノ下に勝てそうなジョーカー。
俺がかったチョコレート。それは、薔薇の花の形をしたものだ。そして薔薇の花言葉は多くの人が知っているだろう。それを悟れない雪ノ下ではないはずだ。
最初はもうど直球に薔薇の花束でも渡してやろうかと思ったのだが、流石に恥ずかしすぎるので自重した。
バレンタインに告白紛いのことをされたのだから、ならばそのお返しをするホワイトデーで、俺から遠回しに愛を伝える事はなにもおかしなことではない。寧ろ理に適っていると言えるだろう。
流石の雪ノ下も、これには顔を赤らめて恥ずかしがるに違いない。そう思って彼女の顔を見てみると、恥ずかしがるどころか、いつもの悪戯な笑みを浮かべていて。
「ふふっ、ふふふっ......」
「......なんだよ」
「あなたはやっぱり可愛いわね。リアリストを気取ってるくせに、こんなロマンチックなことをして来るのだから」
「......そいつは悪かったな」
あ、あれー? 通用してない? 八幡の切り札全くもって効果ない? 嘘だー。俺がそのチョコを買うのにどれほど苦労したと思ってるんだ。主に精神的に。
なんでああ言う店って女性客とかカップルとかばかりなんだろうね。お陰様で店に入った俺は終始挙動不審だったし、店員と会話する時とか噛みまくりだったし。
「ふふっ、薔薇の花言葉は『愛』だったわね......。あなた、どれだけ私のこと好きなのかしら?」
いつものようにいつもの如く、俺を揶揄うように口にする雪ノ下。けれどその言葉に対して俺は、反撃しようとかそんな考えは全くなくて。
「少なくとも、好きって言葉じゃ足りないくらいにはお前のこと好きだよ......」
「えっ?」
「あっ」
思わず、そんな事を口走っていた。完全に素で、なにを考えるでもなく、心の奥底にしまっていた本心を。こんなにいとも容易く。
既に口に出してしまった言葉を取り消すことなんて出来るわけもなく。いや、取り消そうとも思わないのだが。勝手に変な事を言って勝手に自爆した気分だ。自分の顔が今日一赤くなってるのは自覚できるし、どうせまたこれをいいチャンスだと雪ノ下に揶揄われるのだろう。
そう思って身構えていたのだが、予想していたような言葉は飛んで来ず。不思議に思い雪ノ下の方を見ると、すぐ隣にある彼女の顔は、俺以上に赤くなってしまっていた。
「そ、その、えっと......。そう言ってくれるなら、嬉しい、わ?」
「いや、そこで疑問形になられたら困るんだけど......」
「そ、そうよね......」
なにこれ。なんだこれ。なんなんだこれ。意図せず雪ノ下への反撃が成功してしまったのか? いや、でもこれ俺もかなり恥ずかしいぞ......。なんだよ、好きって言葉じゃ足りないくらいにって。お前それ何年前の曲だよ。あれは愛してるの言葉じゃ足りないくらいにだよ。強ちそれでも間違いではないけれど。
果たして俺はこの後どうすればいいのかと思っていると、隣から咳払いが聞こえてきた。なんか高校二年の時のクリスマス前を思い出しちゃうな。
「これ、早速頂くわね」
「ああ、おう......」
雪ノ下の顔からは既に赤味が引いており、膝の上にいたはずのカマクラもいつの間にか姿を消している。あ、いや、よく見たら耳の下とかうなじの辺りが真っ赤だ。
あれかな、雪ノ下は真っ直ぐな好意の言葉に弱いのかな? うん、八幡覚えた。今後反撃する時の参考にしよう。まあ問題があるとすれば、俺にも羞恥心と言うダメージが来るので良くて痛み分けに持っていくのが精一杯ということか。
「......甘い」
チョコと一緒にマックスコーヒーを口に含んだ雪ノ下がポツリと呟いた。それはそうだろう。チョコ単体でもそれなりに甘いのに、そこへ甘いと言う言葉の権化のようなマックスコーヒーまで加わっているのだから。
「先程の比企谷くんの言葉と同じくらいには甘いわね」
「そりゃ相当だな......」
早速さっきの言葉を攻撃に組み込んで来る辺り流石である。俺にマウントを取ることで羞恥心を紛らわそうとしているのか、今は鈴を転がしたような笑みを零している。
一方の俺は未だに頬の熱が収まらず、雪ノ下の顔を直視することも出来ずにいるというのに。
「そんなに拗ねても可愛いだけよ? それに、先程の言葉はとても嬉しかったもの」
「......さいで」
可愛いと言われるのがむず痒くて、けれど嬉しいと言われたのがどうしようもなく胸を高鳴らせて。だからと言う訳ではないけれど、俺にしては珍しく、あと少しだけ素直な本心を口にしてみようと思った。
「......雪ノ下」
「あら、もう名前では呼んでくれないの?」
「......雪乃」
「なにかしら?」
「その、あれだ。なんつーか、これからはもっと、さっきみたいに言葉に出来るように頑張るわ」
雪ノ下雪乃の事が好きだ。そこには虚偽も欺瞞もなく、ハッキリとそう思える。だから、そのことを嘘にしないために。揶揄われようがなにを言われようが関係ない。
「そう......。なら、言葉よりももっと欲しいものがあると言ったら、あなたはどうするの?」
「言葉よりも......?」
「ええ。そうね、例えば、チョコレートやマックスコーヒーよりも、もっと甘いものが欲しいと言えば?」
「それよりも甘いものって......」
それは果たしてなんなのか考えを巡らそうとした瞬間。その時には既に雪乃の顔が俺の顔のすぐ近くまで迫ってきていて。
抵抗を試みる隙もなく、あっさりと唇を奪われてしまった。
「......ふう」
「なっ、お、おまっ......!」
「とても甘いわね。ともすれば、溺れてしまいそうな程に」
彼女の言う通り、人生で初めてのキスはとても甘かった。それは彼女が直前に食べていたチョコレートやマックスコーヒーの甘さだけではなくて。
驚愕と困惑と、ほんの少しの喜びに似た感情で脳内がドッタンバッタン大騒ぎな俺を他所に、雪乃は顔を赤くしながらもいつもの微笑みを浮かべていて。
「私がこの甘さに溺れてしまわないよう、ずっと隣にいてね?」
「......」
両手で赤くなった顔を覆って頷くのが精一杯だった。
やはり彼女には勝てそうにない。だって、俺はもう、雪ノ下雪乃と言う女の子に溺れてしまっているのだから。
とある曲の歌詞から取って「味わうのは勝利の美酒か それとも敗北の苦渋か」をキャッチフレーズにしようと思ったんだけどどっちがどっちを味わうのか目に見えてるので2秒で却下しました