八幡と雪乃の恋物語   作:れーるがん

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部室で居眠りする二人の話

 眠たい。

 俺の心はまさしくその感情のみに支配されていた。

 昨夜は深夜アニメのために夜更かしして、諸々の事情から数学の時間に寝るわけにもいかず、結局朝からの眠気をこうして放課後まで引きずってしまっている。

 勿論今日も今日とて奉仕部は活動するので、家に帰ってお布団へダイブすることも叶わず。いつもの如く特別棟までの道を歩いている。

 普段でも相当重いのに、今日は一段と重く感じる足を引きずりながら辿り着いた部室。そこに手を掛けると、やはり軽々と扉は開き、それと同時に、不意に襲って来た欠伸を噛み締めながら部室へと入った。

 

「うーす」

 

 しかし俺の間抜けな挨拶に返す言葉はなく。

 不思議に思い、改めて室内を見回すと、そこにはひとりの眠り姫が存在していた。

 窓から注ぐ木漏れ日を受け、雪ノ下雪乃は椅子に座ってその長い睫毛を下ろしていたのだ。

 膝上に置かれた文庫本は閉じ、紅茶を淹れることもなく、すうすうと可愛らしく寝息を立てていた。

 その姿に見惚れてしまう事を、不覚にも、だなんて思わない。俺は結局、この少女の姿にいつも目を奪われる。恐らくは、これから先の未来もずっと。

 取り敢えずはいつもの定位置に腰を下ろす。

 さて、部長様自らが居眠りを決め込んでいるのだ。部員どころか未だに備品扱いされてる俺が居眠りしても、文句を言う奴は誰もいなかろう。

 グッバイ現実、ようこそ夢の世界へ。せめて夢の中だけでは、愛しの恋人様がもう少し素直になっているのを信じて。机の上にカバンを置いて枕代わりにし、さて俺も寝ますかな、と言うタイミングで。

 

「んっ......」

 

 小さな、とても小さな声が漏れた。

 発生源は勿論向かいに座る眠り姫。見れば、その眉根に皺を寄せ、苦悶の表情を浮かべている。悪夢でも見ているのだろうか。 そんな顔を見せられると、眠気なんて吹き飛んでしまう。

 

「ひき、がやく、ん......」

 

 どうやら雪ノ下の見ている悪夢には俺が登場するらしい。いやいや恋人が夢に出て来るのってもうちょいロマンチックじゃないの? なんで悪夢なの? や、雪ノ下が本当に悪夢を見てるのかは知らんけども。

 て言うかお前、寝言で名前呼ぶってお前、可愛すぎかよお前。普段は恋人相手であろうがその舌刀を遺憾無く振るい、あれ、俺たちって付き合ってたよね? って本気で疑問に思っちゃうまであるのに。

 名前を呼ばれて鼓動が加速しているのは事実だ。頬が少し熱を持っているのも自覚している。

 けれど、俺の名前を呼んだ雪ノ下は、尚も辛そうな、苦しそうな、悲しそうな表情を浮かべていて。

 なにか、なにかないか。少しでもいい。彼女が安らぎを得られるなにかが。

 悩む俺を他所に、雪ノ下の寝言はまだ紡がれる。

 

「いかないで......」

「......っ!」

 

 目を、疑った。

 その言葉にではない。いや、彼女の発した寝言にも些かの驚きはあったけれど。それ以上に。

 彼女の閉じられた瞼から、雫が一筋。頬を伝って膝上の文庫本を濡らす。

 

「......こう言うのは、キャラじゃないんだけどな」

 

 立ち上がり、自分の座っていた椅子を持って雪ノ下の隣まで歩く。彼女の座っている椅子にピッタリと自分の椅子をくっつけて、そこへ腰を下ろした。

 キャラじゃないとか、そんなこと今だけはどうだっていい。

 ただ、お前にそんな表情をして欲しくはないから。

 膝上の文庫本に添えられた、彼女の白い手を取る。指を絡めるようにして握り、起きてしまわない程度に力を込める。常日頃なら、確実に出来ないような真似だ。雪ノ下が寝ているからこそ出来ること。

 誰が見ている訳でもないのになんだか恥ずかしくなってしまって、マトモに雪ノ下の方を見ることが出来ない。

 あーやばい、顔熱い。つか俺なにしてんだよ。今更ながら冷静に考えてみると、別に手を握る必要はなかっただろ。雪ノ下が魘されてるって言うんなら、起こしてやればそれで良かったのに。

 不意に、右肩に重みを感じた。

 そちらを見れば、雪ノ下が俺の肩に頭を預けている。気のせいか、繋いでる手を握り返されたような感覚も。その顔に魘されているような色は全く見えず、どころかとても穏やかで、可愛らしい笑顔を浮かべていた。

 

「起きて、ないよな......?」

 

 寝ている時は喉の動きがどうやらこうやらと聞いたことがあるが、詳しいことは知らないので、彼女が今起きているのか寝ているのかを確かめる術はない。多分寝てるだろう。

 ただ、それでも。雪ノ下がその表情を浮かべてくれているだけで、俺の胸にはあたたかいなにかが広がる。

 俺のお陰で、なんて思うのは傲慢だろうか。今はそれでもいい。彼女がこうして、安らかに眠れるのなら。

 

「俺も寝るか」

 

 雪ノ下の寝顔を見て安心していると、忘れていた眠気が今頃になってやって来た。

 今度は欠伸を噛み殺す事もなく盛大に口を開け、襲い来る睡魔に抗う事もせず。俺は素直に瞼を閉じたのだった。

 

 

 

 

************

 

 

 

 

 それは、私にとって正しく悪夢と呼べるものだっただろう。

 この世界に存在するあらゆる天変地異をも凌駕するほどの、この世の終わり。そう言っても差し支えない程の悪夢。

 夢の中の私は泣いていた。それはもう、みっともないくらいに。目も当てられないくらいに。肉親が他界したとしても、ここまで泣くことはないんじゃないだろうかと思うくらいに。

 その世界の、どこを見渡しても。

 彼が。彼だけがいなかった。

 たったそれだけの事で、私を形作る世界は粉々に打ち砕かれた。

 どこを探しても、どこへ行っても。比企谷くんの姿だけが見当たらない。由比ヶ浜さんや一色さんに聞いても、そんな人は知らないと言われる。

 比企谷八幡と言う男の存在そのものが、無かったことになっている世界。

 どこにも行って欲しくなかった。私の隣にいて欲しかった。

 だけど、夢の中の彼はどこか遠くへ行ってしまって。

 そうして泣きじゃくっていると、夢の世界に光が広がった。あたたかくて、安心できる、私がずっと求めていた光。

 それに包まれた瞬間、現実の意識が覚醒した。

 瞼を開くよりも先に感じたのは、左手の感触。私のものよりもゴツゴツした、男性らしい手に握られている。それが比企谷くんの手だと直ぐに分かって、無意識のうちに私からも握り返してしまう。

 正直、状況はイマイチ分からない。私が眠っている間に彼が部室へやって来たのは、なんとなく察しがつくけれど。それでどうして、彼が私の隣に座って、私の手を握っているのか。

 状況は分からないけれど、彼がこうしてくれるのも珍しいから。どうせなら堪能してしまおうと思い、直ぐ横にある肩へと頭を預けた。

 

「起きて、ないよな......?」

 

 残念、私はしっかりと起きているわ。ただ、瞼を閉じているだけで。それを教える義理もないのだけれど。

 こうしていると、とても安心する。先程まで見ていた悪夢が嘘のようだ。今は隣に彼がいて、私の手を握ってくれている。気を抜くと、頬がだらしなく緩んでしまいそう。

 

「俺も寝るか」

 

 隣からそんな声が聞こえて来ると、暫くもしないうちに穏やかな寝息が聞こえて来た。

 ここで漸く、私は瞼を開く。

 隣をチラリと見て彼が確かに眠っているのを確認し、膝の上で繋がれている、私と彼の手を見る。

 

「ふふっ......」

 

 誰にも見られていないと思うと、自然と笑みが溢れてしまった。

 指をしっかりと絡ませて、所謂恋人繋ぎと呼ばれる繋ぎ方。お互いが起きている時にしてくれればいいのだけど、彼にそんな度胸を期待するだけ無駄か。

 改めて彼の寝顔を見てみると、ドクンと心臓が跳ねた。

 自他共に認める程腐っている両の瞳は閉じられ、すうすうと可愛らしく寝息を立てているその姿に、思わず見惚れてしまう。

 こうして見ると、彼は整った顔立ちをしている。常日頃なら見られない、カッコいいと評しても差し支えない彼の寝顔。寝ている姿を見るのも初めてだ。

 

「......由比ヶ浜さんはまだ来ないわよね」

 

 今日は日直の仕事があるから、少し遅れると言っていた。黒板の上に掛けられた時計を確認する。彼女がここに来るまであと五分以上はあるだろうか。

 ならば、少しだけ我儘に、欲深くなってみよう。

 隣にいてくれるだけでは、手を繋いでくれているだけでは満足できないから。もっとあなたを感じさせて欲しくて。

 

「比企谷くんの癖に、私を不安にするなんて生意気よ」

 

 体を彼の方に少しだけ乗り出して、一文字に結ばれた彼の唇へ顔を寄せ、小さな口づけを交わす。

 顔を離しても柔らかな感触は唇に残り、感じられた彼の熱は私の全身へと広がっていく。

 ポカポカした心地の良い熱。それに浮かされたわけでもないけれど、繋いでいる手の感触を確かめるようにニギニギと動かす。

 起きてしまわないかと思いもしたけど、隣に座る彼からは未だに寝息が聞こえる。どうやら大丈夫のようだ。

 

 ふと、目元の違和感に気がついた。

 彼が隣にいることのインパクトが強すぎて今まで気づかなかったけれど。

 何かが伝ったような跡が、私の目から頬にかけて存在している。経験上、それが涙の跡なのだと理解すると、彼がこうしてくれた理由も分かってしまった。

 いや、それよりも。

 私は泣いていたのか。

 眠りながら、悪夢に魘されて、涙を流してしまう。

 我ながらなんと情けなく、なんと弱いことだろう。けれど今は、その弱さが愛おしい。

 こんな弱い私でも受け入れてくれる人がいるから。こんな私の弱いところを愛してくれる人がいるから。

 せめて彼が眠っている今だけは、もう少しだけ甘えさせて貰おう。

 

「私の隣からいなくなったりしたら、許さないんだから」

 

 言葉とは裏腹に笑顔で。もう一度目を閉じて、彼の肩へ頭を預ける。

 少なくとも、私からいなくなる事なんてない。それだけは断言出来る。あなたは意外と寂しがりやで甘えん坊だから、私がいなくなったら、きっと生きていけないでしょうね。

 そんな風に考えながら意識を手放そうとしていると、部室の扉が開かれる音がした。

 

「やっは......、ってあれ?」

 

 いつもの様に元気な挨拶をしようとして、しかし部室に広がる光景を見たからか、不思議そうな声を上げる由比ヶ浜さん。

 ごめんなさい、彼が起きてしまうから、今日は少しだけ静かにしていてね。

 

「二人とも寝ちゃってる? うーん、折角クッキー焼いてきたんだけど......」

 

 狸寝入りしていて良かったと思った事なんて人生で初めてだった。

 

「あ、そうだ」

 

 とことこと足音が聞こえてきたと思うと、私達の目の前に立つ気配が。その数秒後、ピロン、と聞いたことのあるような音が聞こえた。確か、由比ヶ浜さんの携帯のシャッター音だったはずだ。

 つまり、今、私と彼のツーショットを由比ヶ浜さんに収められたという事で。

 ......顔、赤くなってないかしら。と言うかこの子はどうしてそんな真似をするのか。自分が何をしでかしたか理解しているの? 後で私の携帯にも送っておくようにお願いします。

 

「ふふーん。いろはちゃん達に見せに行こっと。おやすみ、ゆきのん」

 

 そうしてまた扉が動く音。由比ヶ浜さんはどうやら生徒会室にいる一色さんや小町さんの元へと向かったらしい。

 それにしても、最後のおやすみの一言。私だけ名指しで呼ばれたのが気にかかるのだけれど、もしかして起きているのがバレていたのかしら? いえ、そんな筈はないわよね。

 それよりも、そろそろ本格的に眠くなってきた。部室で居眠りするなんて、と思うのは今更過ぎるか。そもそも、枕がわりにしている彼の肩が心地いいのが悪いのだ。

 由比ヶ浜さんも出て行ってしまった事だし、再び襲ってきた睡魔に身を委ねてしまおう。

 

「おやすみなさい、比企谷くん」

 

 今度は、あなたが隣に、あなたの隣にいられる夢を見られますように。

 夢の世界へ落ちる瞬間、おやすみ、と。優しい声が聞こえた気がした。

 

 

 

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