八幡と雪乃の恋物語   作:れーるがん

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ホワイトデーよりもちょっと前の、放課後の一幕


からかい上手の雪乃さんと放課後

「そろそろ終わりにしましょうか」

「ん? ああ、もう時間か」

 

 本の世界へ意識を没入させていると、傍から聞こえてきた綺麗な声で現実へと浮上させられた。

 今日は雪ノ下からの揶揄いが比較的落ち着いていたので、いつもよりも集中して本を読むことが出来た。まあ、と言ってもなにか高尚なものを読んでるわけでもなく、ただのラノベなのだが。

 そのラノベをカバンの中にしまい、コートを羽織ってカバンを背負う。これで帰る準備は万端だ。

 雪ノ下の方も紅茶セットの片付けと帰りの支度を終わらせ、部室から出るように俺を促す。

 二人揃って部室を出て、雪ノ下が鍵を掛けたのを確認して、俺は口を開いた。

 

「......帰り、送るから」

「ふふっ、別に毎日言わなくても良いのに」

 

 並んで職員室までの道を歩く。ここ数日の間、ずっと続いてることだ。

 二人並んで歩きながら、俺が帰りに送る提案をする。数日前に晴れて付き合うことになったのだから、恋人を家まで送るのはなにもおかしなことでは無いだろう。

 

「私としては、あなたがそう言わなくても、卒業までは毎日そうしてもらうつもりなのだけれど」

「......っ」

 

 雪ノ下は歩きながらも腰を少し曲げて、俺の顔を下から覗き込んでくる。その綺麗で可愛らしい顔に、小悪魔のような笑みを貼り付けて。

 いい加減に俺もそろそろ耐性の一つや二つ出来ればいいのだが、こんな破壊力抜群の笑顔を見せつけられたら耐性なんか出来るわけがない。

 隣からはなおもクスクスと可愛らしい笑い声が聞こえてくる。それを聞きながらも職員室に辿り着き、雪ノ下が中で鍵を返してから昇降口へ。

 

「ところで比企谷くん」

「ん?」

「私達って恋人同士になったわけよね?」

「お、おう、そうだな......」

 

 改めて彼女の方からそう言われると、なんだか照れてしまう。そうだよな、俺、あの雪ノ下雪乃と付き合ってるんだよな......。未だに実感がイマイチ湧かないと言うかなんというか。いや、俺が雪ノ下のことを好きなのは事実であるし、雪ノ下からもその想いは伝えられた訳なのだが。

 俺たちの関係性がそのように変化しても、しかし俺たちの間に甘い話があるのかと問われれば、首を傾げざるを得ないわけで。

 

「そこで思ったのだけれど、私達、もう少し恋人同士らしいやり取りをしてもいいと思うのよ」

「恋人同士らしい、ねぇ......」

 

 例えば、雪ノ下と付き合う以前の話だが、彼女の揶揄いの一環で思いっきり抱き合ったことならある。しかも雪ノ下の家で夜通し。付き合う以前の男女が何してんだって話ではあるが、まあ気にしたら負けだ。

 恋人同士らしいというと、そう言ったやり取りの事を指すのだろうか。

 少し、その当時の事を思い出してみた。

 初めて抱き締めた雪ノ下の体はとても細くて、小さくて。俺が少しでも力を込めてしまえば折れてしまうのではと錯覚してしまうような、華奢な体だった。けれど、とても柔らかくて、彼女の体からはいい匂いがして。

 記憶を辿っていると、その日の夜の事を思い出して顔が熱を持つ。そしてそれを見逃す彼女ではなく。

 

「あら、顔が真っ赤だけれど、何を想像したのかしら?」

 

 足を止めて、ズイッとこちらに身を乗り出してくる雪ノ下。やはりその顔は悪戯な笑みを浮かべていて、しかも顔と顔の距離が近いもんだから思わず後ろに仰け反ってしまう。ついでに足も一歩後ろへ下げようとしたのだが、どうやら俺の背後には壁が存在しているらしく、それも叶わない。

 

「別に、なんも想像してねぇよ......」

「本当に?」

 

 文字通り目の前にある雪ノ下の綺麗な顔。その口から漏れる甘い吐息が、彼女の髪から香るサボンの匂いが、言葉以上に雄弁に、俺の五感に訴えかけてくる。

 

「私と恋人としてしたいこと、ないの?」

 

 その笑みを一層深くして、雪ノ下は更にもう一つ間合いを詰めて来た。

 俺が、雪ノ下と、恋人としてしたいこと。

 いいのだろうか。その、艶のある桜色の唇を奪ってしまっても。

 問うたとしても、俺にそんな事をする度胸なんてあるわけもない。なにより、ここは学校で、まだ昇降口で、他の生徒がいつ通るかも分からないのだから。あまり大胆なことは出来ない。

 

「比企谷くん」

 

 けれど、彼女の透き通るような声は俺の耳に響き、当たり前に存在している倫理観を破壊しにかかる。

 

「いいのよ? あなたのやりたい事、今この場でやっても」

 

 俺の耳元に寄せられた彼女の口。そこから発せられた言葉は、俺にトドメを刺すのに十分過ぎる威力を持っていて。ここが学校であるのも忘れて、俺は雪ノ下に抱きついた。

 

「ふふっ......」

「えっ......?」

 

 しかし、俺の腕は簡単に空を切り、その中に雪ノ下の体は収まっていない。容易くもスルリとそこから抜け出した雪ノ下は、俺の目の前でクスクスと、本当に可笑しそうに笑っていた。

 

「ふふふっ......。あなた、そんなに残念そうな顔をして、ふふっ、私のこと、そんなに抱き締めたかったの?」

「......っ!」

 

 ゆ、雪ノ下めッ......!

 かぁぁっ、と急速に頬が熱を持ち始める。今までだって十分過ぎる顔が熱くて、今が冬と春の境目の季節であることを忘れそうになっていたというのに。

 健全な男子高校生の純情な感情を弄ばれた。してもいいと言うから思い切ってなけなしの勇気を振り絞ったと言うのに。そんな俺の純情な感情を三分の一も理解してくれてなさそうな雪ノ下は、余程俺の顔が面白かったのか、未だに笑いを収めない。えっ、そんなに? そんなに俺、残念そうな顔してた? いや確かに残念ではあったけれど。

 そんなに笑われてしまえば流石にバツが悪くて、赤くなった顔を明後日の方向に向けていると、不意に体があたたかくて柔らかいものに包まれた。

 

「なっ、おまっ......!」

「ごめんなさい、意地悪し過ぎたわね」

 

 いつ誰が通るかも分からない昇降口の一角で、雪ノ下は俺の体を抱き締めていた。

 背中に回した手にギュッと力を込めて、俺よりも小さな体を精一杯背伸びさせて、俺の頬に自分の頬を擦り寄せてくる。

 雪ノ下が抱きついてきたのはほんの一瞬だけだった。俺から抱き返す暇もなく、彼女の体は離れて行ってしまう。

 その温もりが名残惜しく感じたが、それを悟られたらまたなんと揶揄われるか。

 

「勘違いしないで貰いたいのだけれど、私はあなたにハグされるの、それなりに好きなのよ? けれど、時と場所は弁えなければならないでしょう?」

「......ソッスネ」

「ふふっ、だから、今度また、別の機会にあなたからしてくれるのを期待しているわ」

 

 こちらに流し目を送って、雪ノ下はJ組の下駄箱へと歩いていく。

 俺はと言えば、今の短い間に起きた出来事を脳内で反芻していて、再起動するまでに10秒以上の時間を要してしまった。

 彼女に抱き締められた時の感触は、結局翌日になっても忘れることが出来なかった。たったの一度雪ノ下からハグして貰っただけで、この前は一度ならず何度もしたことだと言うのに。

 存外にウブな自分に嫌気がさすどころか、こんな自分が少し好ましくもあって。

 

「さあ比企谷くん、帰りましょう?」

「......おう」

 

 なんとか再起動して靴を履き替え終えると、雪ノ下に手を差し出される。

 その手を、まるで割れ物を扱うかのように取り、未だ広がる寒空の下へ、二人で歩き出した。

 この帰り道で、彼女に反撃することは出来るだろうか。

 繋がれた手を見て穏やかな笑顔を浮かべてる彼女を見ていると、どうにも勝てる気はしなかった。

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