ああ、休日とはどうしてこんなにも素晴らしいのだろう。いつまで寝ていても誰にも咎められない。お布団ちゃんはいいな。最高だよ。こうして日々の疲れを癒してくれるとか、これはもうお布団ちゃんと結婚するしかないので? お布団ちゃんの為なら毎日馬車馬の如く働いてもいい。いやそれじゃ本末転倒だわ。つーか、既に馬車馬の如く働いてるんだよなぁ......。
悲しいかな、専業主夫と言う夢はもう数年以上前に儚くも破れ、今や家族のために働くひとりの社畜。俺が働くことで、愛する家族が平和に暮らせると思えばなんの苦にもならない......ことはないな。うん。そんな事は決してない。高校教師とかなるんじゃなかったってちょっと後悔してるし。なにが悲しくて卒業後も青春群像劇(笑)を見せられなきゃならんのだ。
......うん、まあ、それなりにやり甲斐はあるけれど。いつの日かの恩師も、俺たちを見てこんな気持ちになってたんだろうなぁ、と感慨に耽るのも何度かあった。
ところでその恩師はいつ結婚のご報告をしてくれるのだろうか......。祝いのお品は用意させてもらってるんですけど。なりたけの半額クーポンだから早くしないと期限切れちゃいますよ? まあクーポンよりも先に平塚先生の期限が切れてるかもだけど。今の直接言ったら絶対機嫌損ねる。期限だけに。
さて、こんな無駄な思考に脳を費やしている場合ではない。なんなら無駄な思考をしてしまったせいで俺の脳は休息を欲している。故に俺は今から二度寝をしなければならない。そう、言うなればこれは使命だ。義務だ。天からのお告げだ。明後日の月曜日から再び始まる労働へ向けての。
と言うことでゴートゥー夢の世界。脳内で柳沢慎吾にいい夢見ろよと言ってもらい、目を閉じて布団を被り直したところで。
「おとーさーん!」
「ぐへっ!」
腹部に鈍い衝撃が走った。
特に重いと言うわけではなく、それどころかとても軽いまであるのだが、それでも痛いことには変わりない。寝ようと思った瞬間の不意打ちであれば、驚きもひとしおだ。
上半身を起き上がらせて下手人を視界に収めると、相手はにぱーっとこの宇宙で最も可憐な笑顔をこちらに向けてきた。
「おはよ、おとーさん!」
「あー、おはよう......」
どうやら下手人は娘だったようだ。来年度、つまりは来月から小学二年生になる今が一番可愛い時期。なんなら生まれた日から今日まで一番可愛い時期更新中である。
しかしそんな可愛い娘でも、流石にこんな起こされ方をするとイラッとしちゃう。憎さ余って可愛さ百倍。やだ、これ以上可愛くなったら八幡死んじゃう!
と言うことで報復の意味も込めて、娘の体を抱き寄せて頭をわちゃわちゃと撫で回す。
「寝てる人の上にいきなり飛び乗ったら危ないだろー」
「ごめんなさーい!」
素直に謝れるとか天使かな? 天使だわ。
これも母親の教育の賜物と言うものだろう。俺だけの教育だったら絶対こんないい子に育たないよ。比企谷家一子相伝のクズっぷりを舐めてもらっては困る。
「で、なんで起こしに来たの? まだ10時なんだけど。お父さんもうちょい寝るつもりだったよ?」
「おかーさんに起こして来てって頼まれたの」
「なんでまた......」
なんでもなにももう10時だからですね。そりゃ起こされるわ。でもねゆきのん、八幡くんは平日毎日働いてるんだし、休みの日くらいは昼くらいまで寝させてくれてもいいと思うの。専業主婦として家の全てを握られた時点でそんなこと無理なのは明白だけど。
取り敢えず娘を撫でる手を止めて起き上がり、二人で部屋を出る。リビングへと続く扉を開けば、ソファに座って優雅に紅茶を飲む雪乃の姿が。
その絵画じみた光景は、テレビに映る情報番組と酷くミスマッチだ。スピーカーから聞こえてくる芸能人やらコメンテーターやらの笑い声は最早騒音以外のなにものでもない。
歳を幾ら重ねようと、彼女の姿は俺の目覚まし時計よりも優秀な働きをする。
「おはよう、あなた」
「ん、おはよう」
「朝食、テーブルに置いてあるから」
「サンキュー」
俺はテーブルの方へと向かい、娘は雪乃の隣へとてとて走って行き、その膝の上に腰を下ろした。俺的ベストショットな日常風景第2位にランクインしている光景だ。因みに1位は雪乃と娘が一緒に昼寝してるとこ。
テーブルの上に置かれた今日の朝食はフレンチトーストだ。勿論セットで雪乃の紅茶も。フレンチトーストに齧り付き、今日も今日とて絶品な雪乃の朝食を堪能しながら愛する妻と娘の会話を聞く。
「おかーさん、おかーさん」
「どうしたの?」
「わたし、おはなみがしたい!」
「お花見?」
突然の娘の申し出に雪乃が首を傾げる。が、別に突然のことでも無かった。テレビに流れる情報番組は桜の花がどうやらこうやらと流れており、恐らくは娘もそれに感化されたのだろう。
しかし、非常に残念ではあるが、その願いを叶えてやることは出来なさそうだ。
「花見って言っても、こないだの雨で殆ど流れたぞ」
二日前までは全国的に大雨が降っていた。それはこの千葉も例外ではなく、ついこないだまでは満開一歩手前まで咲いていた桜たちも、全て雨風に攫われてしまったのだ。
「え、さくら、見れないの?」
「んぐっ」
雪乃の膝の上で首から上だけこちらに振り返る娘の瞳は、今にも泣き出さんばかりに悲しみで塗れていた。
そんな表情を見ればどうにかしたくなるのが親と言うものであり、それは雪乃も例外ではないようで。
「きのう、お花見をする猫を二ひき見たってなっちゃんにおしえてもらったのに......」
「比企谷くん、今現在花見が出来る場所をピックアップしなさい。今すぐに」
あ、違う。こいつ猫が見たいだけだ。あと呼び方、昔に戻ってんぞおい。どんだけ必死なんだよ。気分なのかなんなのか知らんが、たまにそうやって苗字で呼ぶのやめてね? なんか昔のこと思い出しちゃうから。
フレンチトーストを貪る片手間で、寝巻きのポケットに入れていたスマホを取り出しぬるぬるくぱあと操作する。
オーケーGoogle! 俺の愛する家族が喜びそうな場所をピックアップしてくれ!
残念ですが、それは出来ません。
な、何言ってんだGoogle! お前ならお茶の子さいさいだろ!
あなたの家族が最も喜ぶ場所。それは、常にあなたの隣であるのです。
ぐ、Google......。
では、ご武運を。
ああ、お前が教えてくれた場所、きっと守ってみせるさ!
なんて茶番を脳内で繰り広げながらYahoo!を開いて近隣で桜の木が植えてある有名どころをいくつか検索する。
どうでもいいけどお茶の子さいさいってきょうび聞かねえな......。
「ダメだな、有名どころの公園は殆どこの前の雨でやられたっぽい」
東京の方まで探してみたが、そっちも全滅。神奈川や埼玉も検索しようとも思ったのだが流石に遠すぎる。
俺のその報告の意味を理解したのだろう。娘の顔がさらに悲しみに歪む。
「おとーさん......」
「大丈夫よ」
しかし、その娘の頭を優しく撫でる雪乃。何か考えがあるのだろうか。
フッと柔らかな微笑みを浮かべた雪乃の表情には、確かな母性を感じられる。
「この辺りを少し歩いてみましょう。必ずお父さんが見つけてくれるわ」
「ほんとう⁉︎」
完全に人任せだった。母性もクソもあったもんじゃない。
「はあ......。ま、取り敢えず昼から外出てみるか」
「やったー!」
「ふふっ、良かったわね」
これ、見つからなかったらケリィと同じ真似しても大丈夫かな? 桜って言って梅の花とか指してもバレないかな? バレるか。そもそもケリィはクルミだった。
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本日は晴天なり。
という事で絶好のお花見日和と言える程の晴空が広がる千葉。
あの後朝食を済ませたら丁度昼前となっていたので、それぞれ準備をして家族揃って家を出たわけなのだが。やはり、と言うべきか。暫く歩いて見たが、どの桜の木も満開と言うには程遠く、その殆どが先日の雨で花弁を散らしていた。
仮に開花前に雨に晒されていたのなら、まだ望みはあったかもしれないが。満開一歩手前と言うところであの大雨だ。仕方ないと言えるだろう。
「やっぱどこも散ってるなぁ......」
「こればかりは仕方ないわね」
娘の望みを叶えてやれなかった事に、夫婦揃って溜息を吐いてしまう。しかし俺と雪乃と手を繋いでいる娘はと言うと、俺たちとは真逆に満面の笑みを浮かべていた。
「わたしは、おとーさんとおかーさんとお出かけ出来ただけでたのしいよ! 今のわたしてきにポイントたかい!」
なんと。なんと出来た娘なのだろうか。語尾に妙なものが付いていたが、そんなもの気にならないくらいの天使っぷりだった。
お花見をしたいと最初に言ったのは娘であったのに。それを我慢しているわけでもないのだろう。まだ幼いと言うこともあるが、そう言う本心を素直に言えるというのはとても大切なことだ。
素直なんて言葉のはかけ離れた俺たち二人の子供とは思えない。
娘の言葉を聞いた雪乃なんて、感激のあまり泣きそうになってる。流石は親バカのん。
「この子、本当に私達の子供なのかしら......。どうしたらこんな素敵な子がこんな捻くれ者との間に出来るのか不思議だわ......」
「おい、自分のことを棚にあげるな」
なんて軽口を交わしながらも、ゆっくりと足を進める。
今歩いているこの川沿いの道は、何本もの桜の木が植えられており、お花見をするのに丁度いい公園なども点在している。
中には桜が散っていようと関係なくレジャーシートを広げている家族も見受けられるが、俺たちの目的はそもそも桜だけではないのだ。
「あっ!」
「あ、こらっ! 危ないわよ!」
そしてその目的のものを見つけたのか、娘が俺たちの手を離して桜の木の下へと駆けていく。
娘が向かった先にいたのは、二匹の黒猫だ。親子なのか兄弟なのか、身を寄せ合って上を見上げ、もう散ってしまった桜の木を見ている。
人馴れしているのだろうか、娘が近づいてもそこから去る様子は無く、それどころか二匹揃って娘の方に首を向けた。
「にゃー、にゃー」
「みぃ」
「にゃぁ」
母親譲りの猫との共鳴を始めた娘。俺と雪乃は、それを一歩離れた位置から微笑ましく見つめる。ついでにスマホでパシャリと一枚。
「お前はいかねえの?」
不意に尋ねたその質問に、雪乃はキョトンと首を傾げるも、直ぐに得心がいったようにああ、と微笑んで見せた。
「あの光景には、私は邪魔者にしかならないわよ」
「そうか?」
「そうよ。それに、私まで猫に集中してしまっては、あなたが寂しがるでしょう?」
「......ま、否定はせん」
「ふふっ」
さっきまで娘と繋いでいた手を、今度は雪乃と繋ぐ。
娘が生まれて歳をとって、こうして手を繋ぐと言うことは少なくなっていた。大体に置いて、俺たち二人の間に娘がいたから。
娘よりも大きくて、けれど俺よりも小さな雪乃の手を握る力を少し強める。こうして手を繋ぐのは本当に久し振りで、今度はいつこう出来るのかも分からないから、今のうちにこのぬくもりを堪能しておこうと。
まあ、これくらいは頼めばいつでもしてくれそうなものだが。
「にゃーにゃー、あなたたちは兄弟なのかにゃー?」
「にゃー」
「にゃー」
娘の言葉に返事をするように、二匹が差し出された指に顔を摺り寄せる。あれは肯定しているのだろうか。猫の知能はかなり高いとは聞いたことがあるが、見たところ野良猫っぽいあの二匹がそんなやり取りを出来るとは。これも我が娘が天使すぎる故なのだろう。
「兄弟いいなー。わたしもおとうとかいもうもがほしいなー」
「ぶふっ!」
「......っ!」
思わず吹き出してしまった。うーん、どうやら我が娘はお姉ちゃんになりたいらしい。
いや、まあ、二人目が出来てもあらゆる面で余裕はあるけれど。
「二人目、ね......」
「待ってそんな染み染みと呟かないで。て言うかなに、お前的には大丈夫なの?」
「......ええ、まあ」
「マジか......」
耳の下やうなじを赤く染めて、雪乃はそっぽを向いた。まあ、彼女がそう言うのなら、俺も満更ではないのだけれども......。
「愛してる人との子供なら、何人でも欲しいと思うのは当然でしょう......」
ポツリと聞こえた呟き。それを聞き逃す俺ではなく、結婚してから何年も経っていると言うのに顔は熱を持つ。どうやらこう言ったものには、重ねた歳月というものは関係ないらしい。
「白昼堂々とする会話じゃねぇよなぁ......」
「まあ、それもそうね......。と言うことで、今夜は頑張ってね、お父さん?」
「今夜っすか......」
「満開の桜を見せてあげれなかったのだから、これくらいの望みは叶えてあげたいじゃない」
「ソッスネ......」
「ふふっ」
気を紛らわすように、スマホを再び構えて娘の写真を撮る。
いつかはこの画面の中に、もう一人増えるのだろうか。
だがまあ、そんな未来も悪くはない。