休日の昼下がり。
我が家のものよりも座り心地のいい高級そうなソファの上で、特になにをするでもなくダラダラ過ごしている。目の前のテーブルには好物となってしまった紅茶が置かれ、十分に冷めてしまったそれを、思い出した頃に口へ運ぶ。
全力で休日を謳歌してる感じがして最高だ。
「比企谷くんは普段どんな曲を聴いてるの?」
隣に座る恋人から唐突に問いを投げられたのは、そんな時だった。
「急にどうした」
「特に深い意味はないわ。単なる知的好奇心よ」
そちらに首を回すと、彼女は、雪ノ下雪乃は表情を変えず、流れている情報番組を視界に写している。
「俺に対して知的好奇心が湧き上がるとか、お前の頭もついにイかれたか?」
「そんな訳ないじゃない。......いえ、そうね。深い意味はないけれど、私にとっては大事なことなの」
「意味はないのに、大事なこと......?」
いつものように憎まれ口を叩くも、返ってきたのは予想以上に真剣な声音。しかし彼女のその言葉がいまいち理解出来ず、首を傾げてしまう。
言ってしまえば、それは無駄なことだとも言えるだろう。万人に取って意味はないのに、けれどそれは雪ノ下にとって大事なことだと。彼女の知的好奇心を満たす、と言う意味であれば、それは確かに無意味ではないのかもしれないが。
「ええ。至極単純で、実にシンプルな感情故の知的好奇心。そうね、曲だけでは無くて、あなたが普段休日になにをしているのか、とか。どんな本を読んでいるのか、とか。そんな些細なことを、私は知りたいの」
こちらに振り返り、俺の目を真っ直ぐに見て言う。その綺麗な瞳に気圧されそうになったが、しかし彼女から目を逸らさない。
けれどやっぱり、口をついて出るのはいつもの様な言葉ばかりで。
「またなんで。ゾンビの日常が気になるのか?」
「そんな訳ないじゃない」
「ならなんだって言うんだよ。俺の生態を知っても得なんかないぞ」
「それを決めるのはあなたではないわ。知った後の私よ」
正論で返されてしまっては、こちらから返す言葉も見つからない。思った以上に頑固だ。思わずため息が漏れてしまう。
「後悔するのが目に見えてて知ろうとは思わないだろ」
「後悔しないと分かってるから聞いているの」
そこで断言出来てしまう辺り、流石という他ないのだろう。
そもそも、こいつの人生の中でこいつ自身が後悔したことなんてあるのだろうか。あったとしても、片手で数えて足りるくらいではなからうか。俺なんて後悔し過ぎて自分探しの航海に出てしまいそうなほどだと言うのに。今の笑うとこだぞ。
脳内でそんな満点大笑いな親父ギャグを考えていると、雪ノ下は穏やかな微笑みを見せて続く言葉を口にする。
その笑顔を直視してしまって、つい頬が熱を持つ。それを近距離で見られているという事実が、どこまでも俺の頬を加熱してしまう。
「それにね、私は、あなただから知りたいのよ。あなたの事こそを、この世界のなによりも知りたいの」
「......それが、至極単純でシンプルな感情から発しているってのか?」
「ええ。教えて欲しい?」
「教えてくれるならな」
「そうね。改まって口にするのは恥ずかしいけれど......」
咳払いを一つして、何故か頬を薄く染める雪ノ下。その表情がまたとても可愛らしくて、思わず見惚れてしまう。
「あなたの事が好きだから、かしら。好きな人のことはなんでも知りたいと思う、当然のことではなくて?」
その顔に微笑みを携えたまま、そんな事を言われた。お世辞にも素直とは言えない彼女が、面と向かって「好き」だと言ってくれる。その事実に対する喜びを噛み締め、とうとう彼女の顔を直視することが出来なくなってしまった。
照れ臭さとか恥ずかしさとか、そう言った感情が胸に去来するも、それすらも上回る勢いで彼女への愛おしさがこみ上げる。
「......まあ、そうかもな」
故に、そんなぶっきら棒な返事しか出来ない。俺もまた、彼女と同じ様に自他共に認める程に素直じゃないから。なんて、言い訳を誰に向けるでもなく脳内で呟いてみせる。
そもそも、彼女がああして本心を口にしてくれた時点で、これは言い訳として成立しないのであるが。
「それで、教えて頂けるかしら?」
「......お前もお前のことを教えてくれるってんなら、俺も教えてやるよ」
「そう? これでも、今まで十分過ぎるくらいには私のことを伝えてきたつもりだったのだけれど」
若干ドヤ顔になっているのが微笑ましい。と言うかめっちゃ可愛い。
「ま、昔に比べたら知ってる事も多いけどな。例えば......」
「例えば?」
「今みたいに俺の肩に頭乗せるのがお気に入り、とか」
先程からずっと、俺の肩に自分の頭を乗せて、見上げる様に俺の目を見つめている雪ノ下。毎度毎度、まるで彼女の好きな猫のようにすり寄って来てはこの体勢に収まる。
俺の言葉を聞いてキョトンとしていたが、次第にその顔は笑顔へと変わっていく。
「あら、あなただってこうされるのは好きでしょう?」
「まあ、な」
彼女が俺にその身を預けてくれることが、それだけ信頼されているという事なのだと思える。そのことがこの上なく嬉しい。
クスクスと笑う雪ノ下に釣られて、俺も笑みが溢れる。
「それで比企谷くん」
「なんだ雪ノ下」
お互い笑顔をそのままに、視線をテレビに戻す。どうやら今が旬のお魚的な特集をしているようで。ロケに向かっている芸人が美麗字句を駆使して、見たこともないような魚を褒めていた。こういうの見てると魚が食べたくなってしまう。
「結局あなたは、どう言った曲を好んで聴いているのかしら?」
「あ、その話続けるのね」
てっきり、さっきの話で全部流れたのかと思っていた。
「当たり前よ。知りたいと言ったでしょう?」
「そうだけども......。あー、笑うなよ?」
「善処するわ」
「そこは笑わないって言い切れよ」
苦笑しながら、テーブルの上に置いてあったスマホを手に取り、ササっと操作して音楽アプリを起動。最近よく聴いている曲を再生した。
「これは、人が歌ってるの?」
「ボーカロイドって言うんだが」
再生したのはもう10年近く前のボーカロイドの曲だ。ボカロだけでなく、普通にアーティスト達に楽曲提供していたり、自分でもクリエイターグループを持っていたりしている人の曲。時が流れても尚、この曲の価値は一切損なわれていない。ボーカロイドを代表する一曲ではないだろうか。
「名称くらいは聴いた事があるわね。それよりもこの曲、男性が聞くようなものなのかしら?こんな恋する乙女のような曲を、あなたが......?」
「おい、肩震えてんぞ笑い堪えてんじゃねぇ」
「ふふっ、ごめんなさい......」
「だから教えたくなかったんだよなぁ」
ふう、と息を整える雪ノ下。まあ、確かにこの曲の歌詞は女性視点ではあるものの、歌っているボーカロイドだって女の子なのだからなんら問題はないはずだ。俺が聴いていたってなにもおかしなところはない。ほら、俺って美少女みたいなところあるし。ないか。ないな。
「良いじゃない。曲もいい曲であるのには違いないし」
「おっ、分かってくれるか」
「ええ。そうね......、少し、この曲を参考にさせてもらおうかしら?」
「えっ」
俺の手からスマホを奪い、再生途中の曲を停止。そして歌詞を検索し始める。一体なにをしようと言うのか。
いやまあ、今の曲を参考に、との言葉からある程度の察しはつくが。
検索が終了したのか、コホン、と咳払いしてから、雪ノ下はスマホに表示された歌詞を読み上げる
「まずその1、いつもと違う髪型に気がつく事、は大丈夫ね。あなた意外と細かい所に気がついてくれるし」
「まあ、うん」
そもそも髪型変わることなんて中々無いし。ポニテとかツインテとかになってたら気が付かないわけがない。
「その2、ちゃんと服まで見ること、も大丈夫ね」
雪ノ下は基本的にどの服を着ていても似合うから、毎度の如く可愛いとか似合ってるとかしか言えてないが、まあ、それでも一応OKらしい。
「その3、私の一言には三つの言葉で返事すること。あら、これはあなたにぴったりじゃないかしら?」
「いい笑顔で言うのやめてね?」
まあ確かに、雪ノ下の言葉には「おう」とか「ああ」とかで返事すること多いけど。
「と言うわけで、そう言う扱いを心得なさい」
「2/3を心得ている時点で赤点免れてるから別にそれでいいと思います」
「ダメよ」
「くっ、相変わらず俺に拒否権はないのか......」
「一言で三つだから、二言で六つね」
「理不尽だ......」
なんでそこで比例するように増えちゃうんだよ。片方一言しか喋ってないのに、もう片方がめちゃくちゃ喋るとか、さてはコミュ障の俺に喧嘩を売ってるな?
が、しかし。彼女は忘れていることがある。雪ノ下の罵倒に対する俺の反応を。
「いや、待て雪ノ下。普段の俺たちのやり取りを思い返してみろ。大体お前の罵倒に対しては結構多めの言葉を駆使して屁理屈を宣っている俺だぞ。それも条件クリアしてるんじゃないのか?」
「自分で屁理屈だと認めないでくれるかしら」
「んぐっ......」
でもねゆきのん。俺だってちょっと無理あるかなーってのは分かってるんだよ。でも仕方ないじゃん。殆ど反射的に屁理屈やら皮肉やらが出てくるんだから。
はぁ、とため息を吐く雪ノ下。今この体勢でなければ、いつものようにコメカミに手を当てて、アタマイターのポーズをしていたことだろう。
「そう言えば、あなたは私の何が知りたいの?」
スマホをテーブルの上に戻し、俺の顔を見上げながらそんな事を聞いてきた。別に雪ノ下のように、お前のことが知りたい、とは口にしていないのだが。いや、代わりにお前のことを教えろ、とは言ったか。まあ知りたくないと言えば嘘になる。
だが改めてそう聞かれれば答えに窮するわけで。
「......全部?」
結局、そんなバカのような言葉を口にしてしまった。
「具体性のかけらもない馬鹿の一つ覚えのような言葉をありがとう。そんなことだから万年国語三位なのよ。その調子では一位どころか二位すらも夢のまた夢ね」
「なんでお前が三つの罵倒で返してきてるんだよ......」
「お手本を見せてあげたのよ」
三つの言葉とは言ってるけど罵倒とは言っていない。そもそも俺がそんな返しを出来る訳もないので、お手本になる筈がない。
はあ、と今度は俺がため息を吐く番だった。まあ、三つで済んでる辺り今日は機嫌がいいと見るべきだろう。
「つっても、嘘を言ってるわけでもないしな。お前の言葉を借りるなら、好きなやつのことは全部知りたい、ってやつだ」
「......そう」
自分で言いながら、あまりにも小っ恥ずかしい言葉で顔全体が赤くなるのを自覚する。言われた側の雪ノ下も、頬を染めてそっぽを向いてしまった。どうやら、数分前に自分で言った言葉がどれほど恥ずかしいものかを漸く理解したらしい。
「けれど、これではフェアではないわ。私はあなたのことを一つ知れたのに、あなたは私のことを知れていないじゃない」
「いや、別にフェアとかそう言うの関係ないだろ......」
「なんでもいいから、何かないかしら?」
言われて、少し考えてみる。しかし中々いいものが思いつくわけでもなく、代わりに思いついた、バカみたいな質問を口に出してみた。
「じゃあ、俺のことどう思ってるのか教えてくれよ」
今更分かりきった質問。改めて問うまでもないような事であるのは、俺も彼女も理解している。けれど、こうして質問するのは、俺の心の中にほんの少しでも不安があるからなのだろうか。
そんな俺の真意を直ぐに理解したのか。雪ノ下はクスリと笑みを一つ溢し、俺の耳にその綺麗な口を寄せた。
「愛してるに決まっているでしょう」
そんな言葉一つで不安が晴れる辺り、俺は雪ノ下雪乃のことを心底から好いているのだろう。