最近めっきり冷え込んで来た、11月中旬。つい先日、ポッキーの日がどうちゃらこうちゃらハロウィンがどうちゃらこうちゃらと騒いでいた世間様は、既にクリスマスモードへ移行している。
クリスマスまではまだ一ヶ月以上もあると言うのに、どうしてこう忙しないのか。今年はクリスマスイベントやらで生徒会長殿に振り回されていないだけまだマシだが、それでも俺たちには受験勉強と言う重要な任務が課せられている。
リア充どもがクリスマスだのポッキーの日だのハロウィンだのと騒いでいる間にも、俺は来るべき決戦の日に備えて勉強を怠らない。この模範的な優等生っぷりを見習って欲しいね。
さて。そんなわけで今日も今日とて、勉強部屋と化した部室に足を向けているわけではあるが。
廊下が寒すぎて、今から勉強しようなんて気にはなれない。勿論コートは着てるし、マフラーだって巻いている。しかし僅かに開いた窓から差し込む風は、そんな装備を貫通して俺に寒気を感じさせるのだ。マジで誰だよ廊下の窓開けたやつ。換気するのはいいけど、ちゃんと閉めろよな。寒気だけに。
余計に寒くなった気もしないでもないが、俺的には満点大笑いだ。寧ろ今ので身も心もホカホカになった。嘘、なるわけないだろあんな寒いギャグで。ゆきのんのいてつくはどうの方がまだあったかいわ。
脳内で茶番を繰り広げながらもようやくたどり着いた部室。この扉の向こうは暖房が効いたホカホカ勉強部屋となっているはずだ。今年の1月ごろみたいに、ヒーターちゃんが壊れていなければ、の話だが。
「うーす」
ガラリと音を立てて開いた扉。気の抜けた挨拶とともに室内へ入れば、そこまであったかいわけでもないけど寒いわけでもない、中途半端な空気が俺を出迎える。まあ、ヒーター一つじゃこんなもんだよね。
「こんにちは」
そして、当然のように俺より早く部室へ来ている、我らが部長。彼女が部室で俺たちを待っているのは、いつからか当たり前のことになっていた。俺や由比ヶ浜も、彼女が待っている部室へ向かうのが、この一年以上の時を経て、心のどこかで楽しみになっているんだろう。
先に着いているにも関わらず、自分のカップに紅茶は注がないで。文庫本を開いて優雅に読書をする雪ノ下雪乃。
いつもの光景。見慣れた日常。
の、筈だった。
定位置である廊下側の席へ向かう途中、思わず二度見してしまう。どこを、なんて一箇所しかない。窓際でヒーターの恩恵を受けている、雪ノ下を、だ。
「なにか?」
「あ、いや……」
鋭い視線を頂戴してしまい、思わず吃る。やだ八幡くん今日も今日とてステキな気持ち悪さだわ。
「変な人。いえ、変なのは元からだったかしら。ごめんなさい、いつにも増して変な人、と訂正するわ」
「その訂正必要だった? 謝ることで余計に俺の心にダメージ与えるとか、ちょっとテクニカル過ぎませんかね」
最早恒例となりつつある、軽いジャブ程度の会話を終えて席に着く。関係が部活メイトから恋人にランクアップエクシーズしたところで、会話の内容なんて大して変わることもないのだ。逆に俺と雪ノ下がそこらのリア充じみたやり取りをしていると、鳥肌が立つまである。
対面の雪ノ下が文庫本にしおりを挟み、紅茶を淹れるために電気ケトルへ向かう。歩く拍子に、ねこのしっぽが如く揺れる彼女の髪。
そう、揺れているのだ。
別に雪ノ下さんのお胸は揺れないのに髪は揺れるんですねーとかそんな神をも恐れぬ暴言を吐きたいわけではなく。
雪ノ下雪乃を語る上で欠かせないのが、その艶やかで豊かな長い濡れ羽色の髪だろう。いつもはそれを重力に任せて下ろしているのに、今日は違った。それが、俺が部室に入った時に思わず二度見してしまったものの正体。
そう、雪ノ下はなんと。その長い髪を、いつもの赤いリボンで。ツインテールに結っていたのだ。
いや、正確にはツインテールではなく、おさげと言った方が正しいのだろうけど。間違った表現をしてしまうとツインテール協会の人に怒られてしまう。
「比企谷くん?」
俺が髪の毛に気を取られてるあいだに、紅茶を淹れ終えたのか。気がつけば、いつの間にか雪ノ下が湯呑みを持って目の前に。
不思議そうに小首を傾げてこちらを見ているあたり、自身の変化により俺に与える影響と言うものを全く理解していないらしい。
「なあ、雪ノ下」
「なにかしら?」
ここは思い切って、聞いてみるべきだろう。雪ノ下の髪型が変化するのは、由比ヶ浜がいれば割と起こるイベントではあったけど、お団子頭の彼女は今日この場にいない。まあ、もう少ししたら来ると思うけど。
「お前、その髪型どうしたんだ?」
「え? ああ、これのこと?」
湯呑みを長机の上に置いた雪ノ下が、自分の髪の毛に手櫛をいれる。サラリと流れるその美しさに一瞬目を奪われるも、続く彼女の言葉で意識を強引に戻される。
「ふふっ、あなたのお気に召したかしら?」
「いや、まあ、いつもと違ってちょっといいとは思うけど……」
「なら良かったわ」
満足そうに微かな笑みを残して、雪ノ下は自分の席に戻っていった。
あの、そうじゃなくて。なんでツインテールにしてるのかを尋ねたんですが……。
「あなた、覚えてない?」
「なにを」
求めていた答えはやはり得られず。その代わりに、今度は雪ノ下の方から質問が飛んできた。覚えてないかと問われても、そもそも主語が抜けているので、なにを思い出せばいいのかも分からない。
「初めて会った時のこと。それから数ヶ月くらい、この髪型だったのだけれど」
「……あー」
言われてみれば、確かに。
あの頃は今ほど髪の量も多くなかったからか、雪ノ下は赤いリボンで肩の辺りを結んでいた。記憶が正しければ、由比ヶ浜の誕生日辺りまでだろうか。いや、もう少し前までだったかもしれない。
それがいつからか、昨日までのようなストレートになっていたけど。
あの頃は正直、こいつにそこまで興味がなかったと言うか、まさか今みたいな関係になるなんて思ってもいなかったから。いちいちこいつの髪型なんて、気にしたこともなかった。
それが今では、髪型一つに心を動かされる有様。だけど、不思議と悪くはない。
「昨日、美容院に行ってきたのよ。それで髪の毛を軽くすいて貰ったから、せっかくだし、と思って。でもまさか、覚えていないとは思わなかったわ」
「覚えてなかったわけじゃない。すぐ気づかなかっただけだ」
「私が言わなければ、ずっと忘れたままだったでしょう?」
「……否定はしない」
クスクスと心地の良い音色が耳を撫でる。
これがそこらの頭の悪いリア充カップルなら、なんで覚えてないのよサイテーとか言って破局のチャンス、間違えたピンチに陥るのだろうけど。残念ながら頭のいいカップルであるところの俺と雪ノ下では、そうならない。
実際、雪ノ下のツインテール、というかおさげ髪はとてもよく似合っている。当時のことを思い出した今となれば、なんだか妙な懐古心に駆られる始末。あの頃は雪ノ下も尖ったナイフのように鋭い雰囲気と言葉を放っていたものだけど、それもなまくらになってしまったのか。
懐かしむのはこの辺りにして、さて今日もお勉強のお時間だ。
カバンから勉強道具を取り出し、とりあえずそろそろ冷めたであろう紅茶を一口含めば、同じく勉強の準備をしていた雪ノ下から、再び言葉を投げられた。
「ところで比企谷くん」
「ん、どうした? 今日の数学の小テストなら、おかげさまでバッチリだったぞ」
「そうではなくて」
そうではないのね。てっきり、点数まで教えた挙句にボロクソ言われるもんだと思っていたけど。
「あなたは、この昔の私と、今の私。どちらが好き?」
あっさりと赤いリボンを解いてしまい、黒髪が綺麗に靡く。その動作一つで、見慣れたいつもの雪ノ下へと変身を遂げた。
流麗な黒髪は、確かに昨日最後に見たときよりも、少しスッキリとしている気がする。髪をすいて貰っただけでなく、毛先も整えて貰ったのだろう。雪ノ下のことだ。通ってる美容院も、それなりにお高いところだろう。
しかし、その問い方はまちがっている。
「今のお前と昔のお前なら、今のお前の方に決まってる。なんせ昔のお前、めちゃくちゃに怖かったからな」
絶対に許さないノートになんどその名を書き連ねたことか。最早MVPを飾ってるまである。
だけど。
「でもまあ、昔の髪型と今の髪型なら、俺はどっちも、好き、だな。うん」
尻すぼみになってしまった俺の声は、果たして向こうまで届いているのか。好きと言うたった二文字を言うだけで、顔が燃えるように熱くなる。我ながら情けない。
しかし雪ノ下は、そんな俺の情けない声をしっかりと聞き取ったのだろう。
「その言葉を聞けただけで、十分だわ」
本当に。心底から喜んでいる、ともすれば、少し幼く見えるような、とても可愛い笑みを浮かべていて。
そんな恋人の、いつもとは違う魅力に、俺の心臓は鷲掴みにされてしまう。
「でも、せっかくだもの。今日一日は、髪を結んでいようかしら」
「……まあ、いいんじゃねぇの?」
視界の端で、雪ノ下が再び赤いリボンを結っているのが見える。部室の扉の向こうからは、パタパタと騒がしい足音が聞こえてきた。
きっと、喧しい挨拶と共にその扉を開く彼女は、一目見ただけで気づくのだろう。
そんな数秒後の未来を予測して、思わず頬が緩んでしまった。