八幡と雪乃の恋物語   作:れーるがん

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さむいひ

 全世界の全人類が知る一般常識として、千葉の冬はあまり雪が降らない。去年の二月ごろは珍しくどっさり降って積もったりしていたが、普段はただ寒くて、頭の悪いウェイ系大学生がパーリーピーポーする口実となるイベントが続く、実に下らない季節だ。

 今年も立冬はとうに過ぎ、暦の上では既に冬。未だ11月とは言え、冬といったら冬なのだ。そもそも、明確にいつから季節が変わると決められたわけでもない。俺が冬だと言ったら今は冬だし、夏だと言ったら夏になる。嘘、ならない。

 とまあそんな訳で、今日は寒い。いや、なんなら今日だけじゃなくて昨日も一昨日も寒かったし、明日以降も寒いんだろう。寧ろ俺の周りは年がら年中人間関係寒すぎるまである。

 でもほら、手が冷たい人は心が暖かいって言うし、人間関係が冷え切ってる人も心があったかいんだよ。多分。知らんけど。そうじゃなきゃ俺に恋人なんて出来るわけがない。

 チラリと俺の対面、件の恋人様に視線をやると、彼女は寒がるそぶりなんぞ全く見せず、いつものように清廉な雰囲気を纏い読書に耽っている。

 それは一種の絵画のようだと、なんど思ったことだろう。読書している姿に限らず、彼女の立ち振る舞い全てが、俺の目には美しく見えてしまう。なんて言えば、惚気ていると思われるだろうか。だが事実なのだから仕方がない。

 視線を手元の文庫本に戻し、少しでも暖を取ろうと湯呑みに手を伸ばす。しかしその中に入っている紅茶は、実に俺好みなぬるさになってしまっていて。飲む分には丁度いいのだけど、それで暖を取るのはさすがに無理だった。

 伸ばされた手を引っ込めるのもアレなので、寒さに震えながらぬるい紅茶で喉を潤す。さてさてどうしようかしら。心頭滅却すればこの寒さどうにかなったりしない? しないか。しないな。

 せめてヒーターちゃんが壊れてなければ、少しくらいはマシだったのに。と、一年と経たずまた故障してしまった、窓際に置かれたヒーターを恨みがましく睨む。

 

「寒い?」

 

 そんな折、対面から気遣わしげな声が聞こえてきた。

 改めてそちらに視線を移せば、彼女、雪ノ下雪乃は、読んでいた文庫本に栞を挟み、その奥に心配の色を滲ませた瞳でこちらを見つめていた。

 投げられた問いは経ったの三文字。けれど、彼女が俺を心配してくれてると言う事実だけで、胸の奥が暖かくなる。

 

「まあ、寒いな。多分これ、今年最大の寒さだわ。いやマジで。なんで俺室内でコート着てマフラーしてんの? おかしくない?」

「あなたがおかしいのは今に始まった話じゃないでしょう。それに、寒さで言えばあなたの人間関係以上に冷え切っているものなんて北極くらいのものよ」

「心配してくれたのかと思って嬉しくなった俺の感傷を返せ」

 

 前言撤回。今ので俺の心は絶対零度に冷え切りましたわ。これは一撃必殺。しかもゆきのん、『こころのめ』まで使うから絶対に命中させて来るし。

 げんなりしてもう一度紅茶を喉に通すと、クスクスと耳障りの良い音色が聞こえてくる。そうして笑っている雪ノ下は、ただ飛び切り可愛いだけの、年相応の女の子だ。

 

「冗談よ。良ければ紅茶、淹れなおしましょうか?」

「頼む……」

 

 言葉と共に吐き出した息は白く、この部屋の気温が非常に低いことを物語っている。正直こんな寒い空間で部活するとか意味わかんないし、特に寒がっている様子を見せない雪ノ下はもっと意味わからん。

 栞を挟んだ文庫本を長机に置き、こちらに歩み寄ってくる雪ノ下。俺と違ってコートもマフラーもしていない彼女が湯呑みを取り、電気ケトルの方へ向かった。

 女子は特にスカートだから、足元とかスースーして寒いものだと思うのだけれど。

 この季節は寒いだけじゃなくて、陽が落ちるのも早くなって来る。ふと目を向けた窓の外は茜色に染まっていて、水平線に沈む太陽がこの部屋に陽を満ちさせる。

 あと一時間もしないうちに、外は薄暗闇に包まれるだろう。出来れば太陽くんにはもうちょっと仕事をして欲しかったのだけど、彼もウルトラマンばかりやっているわけにはいかないと言うことか。それは太陽違いか。

 

「はい、どうぞ」

「さんきゅ」

 

 紅茶を淹れ終えた雪ノ下が、俺の前に湯呑みを置いた。そのまま自分の席に戻ったかと思うとそこに座ることはせず、椅子と文庫本、それから紅茶を淹れてる間椅子に掛けていたブランケットを持って、俺の隣までやって来た。

 突然のことに驚きなにも言えないでいると、なんと雪ノ下さん、俺の隣に椅子を置いて、そこに腰を落ち着かせてしまったじゃありませんか!

 

「……いや、なにしてんの?」

「なにをしてるのでしょうね?」

「聞いてんのこっちなんだけど……。質問に質問で答えるなって母ちゃんに習わなかったのかよ」

「私の母が教えてくれると思う?」

「思わないなぁ……」

 

 や、そんなことはどうでも良くて。

 

「んで、結局なにが目的だよ」

「目的がなくては近づいたらダメ?」

「ダメでは、ないな……」

 

 今更、そのあたりを遠慮する仲でもない。けれど、そうやって真正面から直截的に言われるのはどうにもむず痒くて、視線を泳がせてしまう。世界水泳優勝も狙えるレベル。

 しかしこう近づかれてしまっては、実際目のやり場に困るわけで。再び読書に戻ろうとしても、絶対に内容が頭に入ってこない。だからと言って雪ノ下の方をマジマジ見るのも気がひけるし……。

 なんて思っていたのは俺だけだったか。チラリと目をやった隣では、雪ノ下が俺の顔をガン見していた。

 自然、交差する二人の視線。空を映したような澄んだ瞳とぶつかり、ありえるはずはないと分かっているのに、そこへ吸い込まれそうに錯覚する。

 そこから、目を逸らせない。その代わりの照れ隠しとして出たのは、詰まりかけた言葉を無理矢理に吐き出しただけの、ただの問いかけ。

 

「……え、なに、どうしたの」

「いえ、別に……」

 

 先に目を逸らしたのは雪ノ下の方だった。なんか勝った気がする。や、なんにだよ。

 顔ごと正面に戻したことで、雪ノ下の横顔がよく見える。その頬は少しばかり朱に染まっていた。君からガン見して来たくせに、目が合ったら恥ずかしがるのね。可愛いかよおい。

 

「ただ、いつもより目が腐ってるなと思っただけよ」

「それ、わざわざ言う必要ありました? 知らない方がいい真実ってあるんだぞ」

「ええ。だから教えてあげたの」

「相変わらずいい性格をしてらっしゃる……」

 

 あまりの寒さからか、今日の俺の目がいつもの数倍腐っているのは、今朝鏡で確認しているし、なんなら教室で由比ヶ浜にもちょっと引かれた感じで言われたし。普通に傷ついたし。

 なんかもう、俺だけじゃなくて千葉県民全員の目が腐っちゃったらいいんじゃない? とか最近は思っちゃう始末。みんなでゾンビランドチバしようぜ。

 ところで、平塚先生に連行された由比ヶ浜は無事なのだろうか……。受験前で成績未だ奮わず、とか聞いたけど……。あんだけ雪ノ下に教えてもらってるのに、そのお団子頭には一体なにを詰めているのだろう。こしあんとかかな。団子はつぶあん派のどうも俺です。

 

「ねえ」

「ん?」

 

 所在なさげに視線を彷徨わせていたのは、雪ノ下もまた同じだったようで。やがて俯いてしまった雪ノ下が、言葉少なに問いを投げる。

 

「……寒い?」

 

 先程と全く同じ三文字を、けれど先程とは違い、確かな熱を持って発した。そこに込められているのは心配や気遣いなどではなく、なにかを期待するような色。

 

 

「まあ、寒いな……」

「そう……」

 

 それに俺も、先程と同じ言葉で返す。俯いた雪ノ下の表情はよく見えないけれど、髪の隙間から覗く耳は、微かに赤くなっていた。それがこの寒さのせいじゃないのは、俺にだって分かる。

 

「じゃあ、これ。一緒に使いましょうか」

「……助かる」

 

 膝にかけていたブランケットの端を持ち、雪ノ下は俺の膝までそれを伸ばしてくれる。それなりに大きいのか、それでもまだ余裕があるくらいだ。

 だから、椅子と椅子の距離を詰める必要なんて全くないのに。俺と彼女の距離は、より一層近くなる。

 付かず離れず。いや、時には離れてしまったにも関わらず、今はこんなにくっ付いて。

 お陰で今は、とてもあったかい。身体も、心も。

 

「今からそんな調子じゃ、これから先はもっとつらいわよ?」

「まだ11月だもんなぁ……。家帰ったらコタツと小町とカマクラにあっためてもらうけど、ここで過ごすにはちょいと対策考えないとな……」

「比企谷くん、今何かとても聞き逃せないようなことを言っていた気がしたのだけれど」

「あ、いや、待て雪ノ下、別に小町にあっためてもらうっていてもだな──」

「猫ってやっぱり、暖かいのかしら……?」

「あ、そっちね……。そりゃもうヤバイぞあいつ。この季節は腹の上に乗って来ても許しちゃうレベルで。まあ、俺から行っても逃げられるんだけど」

「そう……猫……」

 

 惚けた表情で呟く雪ノ下は、完全に猫の方へ興味が移ってしまったらしい。となりの俺なんて、もう意識していない。

 それはそれでちょっと悲しかったりするけど、まあ良しとしよう。

 カマクラのお陰で、丁度いい口実が出来たのだし。

 

「なんなら、今度うち来るか?」

「えっ……?」

「え、なにその反応。さすがの俺も傷つくぞ」

 

 目を丸くして驚いてる雪ノ下。やっぱり、家に誘うのはちょっとキモすぎたかしら……。でも俺だって何度も雪ノ下からこいつのマンション行くの誘われてるし……。

 己のキモさに今すぐ叫び出したい衝動に駆られていると、雪ノ下がコテンと小首を傾げた。その瞳には、今日一番の熱が篭っている。

 

「いいの?」

「……まあ、お前が来たら小町も喜ぶだろうし。俺はなにも問題ない」

「そう……」

 

 俺よりも猫に対する方が、何故か感情の振れ幅が大きい気がするけど、まあ気のせいだろう。気のせいじゃなかったとしても、そこを指摘するのも今更だ。

 

「では、土曜日は予定を空けておいて頂戴」

「え、土曜? 今日でもよくない?」

 

 土曜はほら、休日だから。休む日だから。昼までゆっくり惰眠を貪りたいから。そんな俺の真摯な思いを視線と言葉に込めたのだが、どうも雪ノ下にそれは伝わっていないらしく。どころか、俺の目も見ず、また俯いてしまって。

 

「……その、心の準備が必要だから」

「お、おう、そうか……」

 

 カマクラと会うのにそんなものが必要なのかと一瞬疑ったが、そういう訳ではないのだろう。

 思えば、こいつが俺の家に来たことなんて一度もなかった。そりゃ心の準備だって必要だろうし、それは雪ノ下に限らず、俺もまた然り。

 

「でも、楽しみにしてる、わね」

「……おう」

 

 なんにせよ。俺の休日が丸一日潰れてしまうのは確定したわけで。

 それでも不思議と、週末が来るのが、既に今から楽しみだった。

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