「全然止む気配ないな……」
「しばらくは、ここで雨宿りするしかなさそうね」
はあ、とため息が隣から漏れた。その気持ちも分からんでもない。まさか帰り道の途中、突然の雨に降られるなんて。
お陰様で制服は少し濡れてしまったし、下手に隣を見ることも出来ない。おまけに真冬の寒さは、雨のおかげで増してると来た。ここは地獄かな?
しかし、天気予報を見ていなかった俺たちも悪い。まさか雪ノ下まで傘を持って来ていないとは驚きだが、まあ彼女でも朝の天気予報を見逃すくらいはあるだろう。むしろ朝からパンさん関係の番組やってて、天気予報そっちのけでテレビに食いついてた説もあるが。
俺に至ってはそもそも天気予報を確認するなんて面倒なことは、いつもしていないし。はーほんま。マジで情弱乙ですわ。比企谷八幡は所詮先の時代の敗北者じゃけぇ。なんなら今の時代も次の時代もずっと敗北者なまである。これは懸賞金50ベリーだわ。
「しかし、こうも雨が強いと寒くなってくるな……」
「あら、寒いのには慣れているのではなくて? あなたの周りはいつも極寒だと思うのだけれど」
「俺レベルのボッチになると、むしろ一周回ってあったかいまであるけどな。ボッチマジサイコー」
「心にもないことを言うのね」
クスリと笑みを落とした雪ノ下は、まるで俺の胸の内を見透かしているようだ。いや、実際に見透かされているのだらう。
そもそも、俺が本当にそう思っていたら、こいつとこんな関係になるわけがないのだから。
「……いつまで降ってんだろうな、これ」
照れ隠しに放った言葉は、白い息と共に宙に消える。
俺たちと同じく、傘を持たない道行く人たちは濡れながらもまるで競うように歩いていて。目の前を通る車は水飛沫を上げる。
それがどこか、遠くの出来事のように、八百屋の軒下から眺める。
まるで世界に、俺たち二人しかいなくなったようだ。などと言えば、なんだか安っぽく聞こえるだろうか。
少し詩的に表現するなら、そう、目の前の世界が全てモノクロのまま走っているような。
けれど、彼女が、雪ノ下雪乃が隣にいるこの空間だけは、色づく世界が咲き誇っている。
手を伸ばせば届く距離。けれど、その距離を埋めるだけの勇気が、俺にはない。たとえどのように関係を変えようとも、俺が臆病なのは変わらないから。
ともすれば、肥大化しすぎた自意識の仕業かもしれない。もしも俺が、彼女の手を握ったら。きっと雪ノ下は、そのことに対して何か言うわけでもないのだろう。もしかしたら、少しくらい顔を綻ばせてくれるかもしれない。
だがそれは、もしかしらの話だ。嫌がられるとは思っていないけれど、それでもなんと思われるのかが怖くて、つい足踏みしてしまう。
「はぁ……」
再び隣から漏れ聞こえたため息は、この雨に対するものか。もしくは、やっぱり俺のことなんて見透かされていて、この不甲斐なさに対するものなのか。
いや、どちらでもないのだろう。根拠はないが、確信はある。きっと雪ノ下も、俺と同じで。
ああ、なんだってこんな、変なところで思考が似通ってしまうのだろうか。
「……っ」
「……寒いから、な」
言い訳のように付け足した言葉に、果たしてどれだけの意味があっただろう。けれど、こんなものがなければ、俺は行動することすら出来ない。本当、不甲斐ない恋人で申し訳ないばかりだ。
俺のよりも少し低い体温が、手のひらから伝わってくる。ギュッと握る力を少し増せば、呼応するようにして握られる力も増した。
「そう、ね。寒いものね……」
けれどそれでも、繋がれている力なんてたかが知れている。あまり力を込めすぎると、壊れてしまうのではないかと。あり得るはずもないのに、考えてしまうから。
雨は未だ降り止まず、ゆるく繋がれた手は、しかし決して離れることはない。
いやはやしかし、本当に止まないな、この雨。どころか少し弱くなる気配すらも見えはしない。いつまでもここで雨宿りをしているわけにもいかないから、頃合いを見計らって出なければならないが。
けれど、この静謐な空間に、いつまでも浸っていたいと思う自分がいる。
交わす言葉は少なく、ただ地面に落ちる大粒の雨を二人眺めるだけ。途方に暮れている、と言えば聞こえはいいが、結局のところ、俺も雪ノ下も。この二人だけの小さな空間が心地よくて。
八百屋の軒下は酷く狭い。もう少し風が強くなれば、屋根なんて意味がなくなってしまう。そんな中でないと身を寄せ合うなんて出来ないから。
ここでもやはり、そのような言い訳が必要になってしまっている。当たり前だ。手を繋ぐだけでも、あんな意味があるのかないのか分からない言い訳が必要なのだから。
そうして無言の中、心地よい静寂に身を委ねていると。唐突に空が光った。遅れてやって来る轟音。同時に隣で震える気配がして、手を握られる力が少し増した気がした。
隣に視線をやれば、タイミングがいいのか悪いのか、俺を見上げる雪ノ下と視線がぶつかって。
なにか言おうとしているのか、雪ノ下の口が開きかけ。しかし言葉は形にならず、白い吐息が漏れるばかり。
俺はと言えば、そんないじらしい彼女の姿が、どうしようもなく愛おしく感じてしまって。なぜか頬に熱が集まり、空いた手で顔にマフラーを手繰り寄せた。
しかし雪ノ下さん、雷怖いんですね。お可愛いこと。
「……どうしましょうか」
やがて発せられた言葉は、酷く曖昧なものだった。視線はすでに俺から逸れて前を向いており、ともすれば、問いかけられたのかどうか疑うほどの。
「どうするもなにも、その内出ないといけないのは変わらないだろ」
いつまでも、ここにいるわけにはいかない。目前を走るモノクロの世界に、いつかは色を広げていかなければならない。
そもそも、世界に俺たち二人だけだなんて、ただの錯覚だ。俺たちがここで雨宿りしている間にも、世界は回って、そこにいる人々は動いている。お団子頭の友人だったり、あざとい後輩生徒会長だったりは、俺たちがここで停滞している間にも、なにか行動を起こしているのだ。
それは勉強か、はたまた生徒会の仕事か。
俺たちだけが、この小さな軒下に二人ぼっちで取り残される。降り止まぬ雨を理由に一歩も動かず、ただその音を聞き、忙しなく動く世界を眺めるだけ。
変わったと思った俺たちの関係も、それではなんの意味もなさない。
「そうね。いつかは、ここから出ないといけない。けれど、こうも雨が強ければ、やはり躊躇ってしまうわ」
「傘がないからな。まあ、傘があっても、この雨の中歩くのはごめんだが」
弱くなるどころか強くなっているのではと思ってしまうほどの雨に、どうしてもため息が漏れてしまう。
隣の雪ノ下から可愛らしいクシャミが聞こえたのは、白い息が口から吐き出されたのと同時だった。見れば、その細い体を少し震わせている。
「寒いなら早く言えよ」
「別に寒いわけでは……」
「いや、そういうの今はいいから。風邪引いたらどうすんだよ」
繋いでいた手を一度離し、着ていたコートを雪ノ下に無理矢理羽織らせる。
当たり前のようにサイズはブカブカで、少しでも暖を取るためか、羽織ったコートを胸の前で手繰り寄せた。
「ありがとう……」
「おう」
それから再び、何も言わずに繋がれる手と手。寒いから、なんて口実は既にその効力を失っているのに。
それからは、また無言の時間。時折雷が鳴っては、雪ノ下が俺の手をギュッとして。何かを話すわけでもなく、ただ伝わる体温と、微かに聞こえる彼女の吐息と、色褪せて見える眼前の世界を眺めて、時間は流れる。
果たして俺たちは、いつまでここにいればいいんだろう。濡れる覚悟さえすれば、今すぐにでもここから出ることはできるけど。
濡れるのが嫌だから、ここでこうしているわけで。そしたら案外、居心地が良くて。
けれど、その居心地のいい時間も、いつかは終わりがやって来る。俺たちの意思とは無関係に。
ポケットのスマホが震えた。空いた手でそれを取り出せば、小町からのラインが。どうやら出来る妹小町は、俺が傘を持っていないことを把握していたようで。傘を届けるから今どこか教えろとのことだ。
「小町が迎えに来てくれるってよ」
「そう。それは、迷惑をかけてしまうわね」
そう言った雪ノ下は、なぜか笑顔を浮かべている。それが不思議で、視線でどうしたのかと問えば、彼女は嬉しそうに言葉を紡いだ。
「ここに二人で取り残されても、今の私達には手を引っ張ってくれる彼女達がいる。それって、とても喜ばしいことだと思うの」
もちろん、頼ってばかりではいられないけれど。
そう続けた雪ノ下もおもむろにスマホを取り出して、その画面を見るとクスリと小さく笑った。どうやら、彼女の方にも心配する誰かからのラインが届いたらしい。それが誰かは、考えずとも分かるが。
「だから、いつまでもこんなところにいるわけには、いかないわね」
「そうだな」
二人ぼっちの俺たちを、無理矢理力づくで引っ張ってくれるやつらがいる。たしかにそれは、なんともありがたい話なのだろう。
だったらせめて、その次の一歩くらい、自分の力で踏み出さなければならない。
ぶつかった視線の先。彼女の瞳はこの雨模様の中でも、澄んだ空を思わせる蒼だった。