八幡と雪乃の恋物語   作:れーるがん

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バレンタインの時のやつだよ


アイヲウタエ

 未だ寒さの続く二月。布団から出るのすら気力を要し、家を出るとなれば更にその倍の勇気は必要な季節。あばよ涙、よろしく勇気と心の中で唱えながら登校しなければならない。黒歴史を振り返ってばかりの俺に若さはないのかもしれない。

 二月といえば。そう問われた殆どの人間が、バレンタインを連想するだろう。聖バレンティヌスが殉教した日。製菓会社の陰謀渦巻く日。まあ、バレンタインと一口に言っても、その捉え方は様々だ。

 主にリア充か非リア充かで分かれてるが。

 だが冷静になって考えて欲しい。製菓会社の陰謀云々と憎悪を剥き出しにしている、そこの非リア充の自覚があるやつもだ。

 リア充か否か、というのは、果たしてどのような定義の元で分けられているのだろうか。

 リアルが充実してるからリア充。これを前提とするのであれば、なにもクラス内のカーストが高いとか、恋人がいるとか、そんなのに限った話ではないはずだ。

 例えばオタク。一口にそう言ってもさまざまなオタクがあるので、ここは分かりやすくアニメオタク、二次元オタクを例に出そう。

 彼ら彼女らは画面の向こうにいる嫁を愛し、カップリングに尊みを感じて語彙を失い、汗水垂らして稼いだお金をドブに捨てるかの如く捧げていく。オタクの諸君はそれで幸せを享受しているのだ。つまり、リアルに存在しないもの達によって、彼ら彼女らの現実、リアルが充実する。

 これは立派なリア充ではなかろうか?

 カーストが低かろうが、恋人がいなかろうが、現実に存在している自分が充実していれば、それは立派なリア充なのである。

 むしろカーストの高い人間ほど周囲との関係に悩まされたりするから、彼らの方が非リア充と呼べるまである。バレンタインともなると、男子はソワソワしてるだけで済むかもしれんが、女子はそうもいくまい。意中の男子にチョコを渡すために渦巻く権謀術数。想像するだけで嫌になる。かー、卑しか女ばい。

 そして。その説を採用するのであれば。朝から妹に手作りチョコレートを貰った俺は、既に立派なリア充なのでは?

 

「朝から随分と気持ちの悪い顔をしているわね。少しでも社会の福祉役立ちたいという気持ちがその腐った心にほんの僅かでも残っているのなら、今すぐに引っ込めた方がいいと思うけれど」

 

 信号に引っかかって自転車を漕ぐ足を止めていると、不意に後ろから声がかかった。遅れて、隣に人の立つ気配。

 わざわざ誰かなんて、確認しなくても分かる。俺にこんな罵声を浴びせる奴なんて一人しかいない、ことはないかもしれないが。二年近く聞き続けたこの透き通った声音を間違えるなんて、あるはずもないのだから。

 

「腐ってんのは目だけだよ。心まで腐らせた覚えはない。俺の夢は未だ専業主夫一択だ」

「それが腐っていると言っているのだけれど……。まあ、今更言ったところで無駄よね」

 

 理解が早くて結構。いや、これ諦められてるだけだな。

 ため息混じりに呟いた彼女、雪ノ下雪乃は、鼻根を指で押さえながら今にも嘆かわしいとか言いそうな表情をしていた。

 朝からこいつと会うとは珍しいが、まあ三年も同じ学校に通っているのだ。一度くらいはそんな日もあるだろう。

 

「さしづめ、小町さんからチョコを貰えて朝からテンションが高い、と言ったところかしら?」

「まあな。羨ましいだろ」

「羨ましくはないけれど、こんな兄にもチョコを用意する小町さんは尊敬するわ。同時に少し同情も」

「おい」

 

 なんか今日のゆきのん、いつもより毒が強くない? 一昨年の四月ごろに戻ってません?

 しかし小町のチョコが羨ましくないとか、こいつ本当に人の血が流れてるのだろうか。世界の妹比企谷小町の手作りチョコレートだぞ。湯煎して溶かしたチョコを固めただけのやつだけど、立派な手作りだぞ。投げ渡されたりしたけど、この世界で俺が最も早く小町のチョコを受け取ったんだぞ。

 うーん。こうして思い返してみると、小町ちゃん兄の扱いが結構雑ですね。せめて投げ渡すのはやめようか。

 自転車から降り、何を言わずとも隣り合って信号を渡る。いつかの俺なら、構わず自転車を飛ばして先に学校へ向かっていたはずなのに。全く恋とは恐ろしいもので、それが今日この日ともなると尚更に。

 

「まあでも実際、俺に渡してきたチョコなんかついでだと思うけどな。クラスの女子に渡す友チョコやらなんやらって言って大量に作ってたし」

「友チョコ……今はそういうのもあるのね」

 

 知らなかったんですか雪ノ下さん。由比ヶ浜宛に嬉々として作ってそうですけど、その辺どうなんですか雪ノ下さん。

 などと思ったところで口に出せるわけもなく。代わりに出るのは悪態ばかり。

 

「お前は友達いないから、そんなん作らなくていいもんな」

「……私だって、由比ヶ浜さんと一色さんと小町さんには作ってきたわよ」

 

 やっぱり作ってるんですね。今日も部室には百合の花が咲きそうで。目の保養になるからいいんだけど。

 

「問題は、由比ヶ浜さんが作ってくるお菓子よね……」

「ああ、そうだな……」

 

 思わず遠い目をしてしまう。あの春の頃よりも格段に良くなったとは言え、気を抜けばとんでもない劇物を作りかねないのは変わっていない。

 まあ、去年のバレンタインに貰ったクッキーは全然美味かったから、大丈夫だとは思うんだが。

 

「それより。あなた、今日はやけに早いのね」

「そうか?」

 

 いや、うん。まあ、たしかにいつもよりは早く家出たけど。雪ノ下と遭遇した時点で、相当早いってことになるけど。

 本当は遭遇するのは避けたかったんだけど。

 

「まさか比企谷くんともあろう人が、下駄箱の中や机の中に期待しているわけでもないでしょう?」

「んなもん中学生の時に卒業してるっての」

 

 高校生にもなってそんな期待をするやつ、戸部大和大岡の三馬鹿くらいじゃなかろうか。いや、材木座も無駄に期待してそうだな。あの三馬鹿はともかく、ぼっちワナビごときがチョコもらえるなんざ百年早いっつーの。

 

「中学の時は期待してたのね……」

「甘いな雪ノ下。俺レベルになると、机と下駄箱の中だけじゃなく、図々しくも呼び出されたりしないかなーとか、帰りに自転車のカゴの中に入ってないかなーとか考えたりするぞ。まあ、考えるだけだけど」

 

 なんなら最終的にチョコ欲しいアピールを無駄にして女子からキモがられるまである。なにそれ、去年の戸部かよ。や、戸部はどうでもいいから。なんで出てくるんだよ戸部。てか誰だよ戸部。

 

「さすがは比企谷くんね。期待を裏切らないわ」

「中学の時の話だからね? そこんとこ分かってる?」

「分かってるわよ。今のあなたは無駄な期待をしなくても、何人からかは貰えるものね」

 

 こちらを見上げながら漏らした微笑に、どこか照れ臭さを感じてしまう。顔が熱く感じるのは、気のせいなどではないのだろう。

 つい正面に視線を逸らした先には、総武高の校舎が見えていて。周囲にもまばらに生徒達が歩いていた。

 会話は途切れ、ただ二人黙って歩く。居心地の悪い沈黙ではなく、どころか慣れ親しんでしまったもの。こいつとの間に会話がないことなんて、むしろその方がデフォルトなまであって。

 顔を上げれば、澄んだ青い空が広がっている。冬の晴れ空というものに、どことなく寂寥感を覚えてしまうのは、何故だろう。

 それはきっと、もう少ししたらあの校舎と、あの部室と、別れなければならないからで。着々と迫る卒業という二文字を、今更になって実感しているからで。

 ほぅ、と吐いた白い息は形を持たず。ただ青に溶けて消えていく。

 

「じゃあ、俺自転車置いてくるから」

「ええ」

 

 辿り着いた校門を潜り、駐輪場に向かうべく雪ノ下と別れた。

 通い慣れた道に、今日はたったひとつの非日常が紛れ込んでいた。それがなんだと言う話でもないけれど、やはり彼女と過ごす時間は心地いい。

 かつてよりもその時間が増えて、雪ノ下と言葉を交わして、想いを交わして。その度に痛感する。

 寒風に身を震わせながらも、マフラーを口元に手繰り寄せて来た道を戻る。いつもよりかなり早く登校したからか、駐輪場に停めてある自転車もかなり少ない。

 静寂の中耳に届くのは、俺の足音ただ一つ。やけに大きく聞こえるのは、周りに人がいないからか。

 だから、本来小さいはずのくしゃみの音も。開いている距離とは関係なく、俺の鼓膜を震わせた。

 

「……先行ってろよ」

 

 先ほど別れたはずのその場所に、なぜか雪ノ下雪乃は未だ佇んだままだった。くしゃみをするくらい寒いくせに、なぜ目の前の校舎に入ろうとしないのか。

 寒さ故かその頬は少し赤らんでいて、形作るのは若干不満げな表情。可愛いなおい。

 

「別にいいじゃない。先に行く理由もないのだし」

「待ってる理由もないだろ」

「あら、私があなたを待つのに、今更理由が必要かしら?」

 

 俺の頬も同じ色に染まったのは、多分雪ノ下とはまた別の要因から。恥ずかしげもなくこんなことを言えてしまうのだから恐ろしい。

 なにかにつけて理由がなければならない俺たちだったのに、俺と雪ノ下の間に限った話ならば、今はそんなもの必要ない。

 おかしな話だ。ちょうど一年前の俺たちが見たら、どんな顔をすることやら。

 クスクスと鈴を転がしたような音色が聞こえて、頬の加熱は止まる気配を見せない。

 

「それに、これ。今のうちに渡しておこうと思ったから」

 

 雪ノ下がカバンの中から取り出したのは、透明なセロハンの包み。猫の肉球マークの入ったそれを、俺に手渡してくる。

 

「なんで今……」

「その、周りに人がいたら、恥ずかしいじゃない?」

 

 いや、じゃない? って言われても。可愛いですね、くらいしか返事の言葉が思い浮かばないんですが。返事になってねぇなそれ。

 もしかしてあれか。出会い頭のジャブが強烈だったのって、若干緊張してたりしてたからなのか。お前はどこまで可愛いんだ。

 しかし、なんと言うか。こうも思考が似通ってしまうものなのかね。

 思わずため息を吐いてしまえば、雪ノ下の首がコテンと傾げられる。だから、可愛いって。可愛いがすぎるって。はーほんま、お前なんでそんな可愛いんだよ総武高校七不思議だよもはや。

 

「本当は、お前の下駄箱にでも忍ばせておこうと思ってたんだけどな」

「……ぁ」

 

 言ってから取り出したのは、デザインは違えど同じセロハンの包みで。その中には、昨日の夜小町に手伝ってもらいながらも作った、トリュフチョコがいくつか。

 溶かして固めただけの、手作りとも言えないお粗末なもの。きっと、雪ノ下のものと比べれば月とスッポンくらい差があるだろう。

 未だ雪ノ下の手に握られたままの肉球セロハン袋を受け取れば、雪ノ下もまた、俺の差し出した袋を受け取ってくれる。

 しげしげとそれを眺めた後、何がおかしいのか笑みを漏らし始めた。

 

「ふふっ、下駄箱にってあなた、直接渡せばいいじゃない」

「いや、だってなんか、恥ずかしいだろ……」

「なによそれ、おかしなの。ふふふっ」

 

 おかしだけにですかいやなんでもないです。

 てかこれ、俺も雪ノ下と言ってること同じじゃん。そりゃ周りに人いる中で渡すのはなんか恥ずかしいもんな。俺たちが会うのって、放課後の部室以外だと帰りくらいだし。そうなれば自然と周りに人いるし。

 

「つーか、あいつらの分しか作ってなかったんじゃないのかよ」

「そんなこと言った覚えはないのだけれど」

 

 立ち止まったままと言うのも変なので、それぞれ受け取った袋をカバンにしまい、昇降口に向けて歩き出した。

 取り敢えずではあるが、今日の最難関ミッションはなんとかクリアだ。心の中でホッと一息ついていると、それにね、と言葉を続ける雪ノ下。

 そちらに視線をやって。

 彼女の浮かべる笑顔に、思わず見惚れてしまった。

 満面の笑みと言うわけではない。それどころか、とても小さな笑顔。ともすれば、俺を罵倒する時のものよりも更に控えめな。

 けれど、その笑顔は常よりも幼く見えて。いや、これが年相応のものなのだ。いつもが大人びているから、錯覚しているだけ。

 普通の少女の笑み。もしくは、雪ノ下雪乃の奥に潜む、弱さの一端とも言えるものかもしれない。

 そんな魅力的な笑顔を俺に向けて、雪ノ下は歌うように言葉を紡いだ。

 

「バレンタインデーは、好きな人にお菓子を贈る日なのだから。あなたに、恋人に用意しているのは当然よ」

 

 周りに生徒が少なくてよかった。こんな赤くなった顔を晒すなんて、とても出来そうにないから。

 

「さいですか……」

「ええ、そうよ」

 

 なおも笑みを絶やさぬ雪ノ下の手が、俺の手を取る。無言でそれを受け入れていれば、あっという間に指を絡められた。昇降口はもうすぐそこだと言うのに。

 だけどまあ、悪くはない。

 今日はバレンタインデー。聖人の命日だとか、製菓会社の陰謀だとか、リア充やら非リア充やらだとかもあるけれど。

 愛を唄う日には違いないのだから。

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