ラノベの新刊発売日というのは出版社ごとに結構バラけてるもので、おまけに一冊500円以上はするのだから高校生の財力では気になった本全てを買うということも出来ない。
一週間前に別の出版社が新刊発売日を迎えたというのに、今日も今日とて俺は本屋にやって来ていた。最近はウェブ小説なんかもあるのだが、そこにはとんでもない落とし穴が待ち受けている。
そう、書籍化だ。
面白い作品を無料で読めるじゃんと思ってその作品の信者になってしまえば最後、書籍化されてんじゃん本も買って売り上げ貢献して続巻出してもらわなきゃ! と一連のオタクムーブを敢行してしまうのである。ソースは俺。今日の目的である本もそんな一冊だ。ライトノベルではあるのだが文庫サイズではなく、四六判サイズのやつ。勇者が成り上がったりスライムになったりするのが主な作品だろう。そんな四六判サイズのライトノベルを探しに来たのだが。
「……」
「……」
ライトノベルコーナーには似つかわしくない、黒髪ロングの美人さんがいらっしゃった。ていうか知り合いだった。なんなら三月の終わりからお付き合いさせていただいてるやつだった。
つまり、雪ノ下雪乃がそこにいた。
「よう」
「こんにちは」
「珍しいな。お前がこんなとこに来るなんて」
「うちから一番近い本屋さんがここなのだから、なにも珍しいことはないと思うけれど」
「そうじゃなくて。なんでラノベコーナーなんかにいるんだって話だよ」
ご存知の通り、雪ノ下雪乃は読書が趣味だ。意外にも濫読派の彼女ではあるが、しかしライトノベルを読んでいるところなんて見たことがない。
何度か勧めたことはあるものの、それでも雪ノ下がライトノベルに手を出すことはなかった。単に時間がなかったり、他の本を読んでいたからだったりが理由だったらしいが、ついに積読を消化できたのだろうか。積読って消化できるものだったのか。
「先日、あなたに勧められたウェブ小説を読み終わったのよ」
「ああ、なんだそっちか」
「そっち?」
「いや、こっちの話」
「……?」
あっちだとかそっちだとかこっちだとか、指示代名詞だらけで雪ノ下も小首を傾げている。可愛いなおい。
たしかに以前、ウェブ小説も雪ノ下に勧めたことがある。カクヨムだとかなろうだとかアルファポリスだとかエブリスタだとか色々と勧めて、ついでにオススメの作品もいくつか。
ウェブ小説というのは実に玉石混交だ。ランキングから選べばハズレはないものの、しかし個人の好みの話になればその中からさらに厳選しなくてはならない。雪ノ下のような一般文芸や純文学ばかり読んでいる奴からすれば、かなり厳しい目で選ぶことだろう。
なにせ地の文が少ない。全ての作品がそうであるわけでもないが、その方が読みやすいと言うやつらがここ最近は多いらしいのだ。俺からすると全く理解出来ないが。
「どうだ、ウェブも中々捨てたもんじゃないだろ」
「そうね、素人が書いていると侮っていたけれど、やはりレベルの高いものは一定数あったわ」
「中にはプロの人も混じってるからな。最近じゃウェブから書籍にデビューだってあるんだし、レベル高いのは当たり前だ」
お互いに目的の本を探しながら会話を続ける。去年の夏休みなんてポツダム宣言もビックリするレベルの黙殺を食らったと言うのに、人はこうも変わってしまうものなのか。
いや、変わったのは人ではなく、その関係性。俺たち二人を定義づけるその名前が変わってしまったからこそ、今この時間がある。
それが果たしていい変化なのかは分からないけれど、いい変化なのだと胸を張って言いたい。
そう思ってしまっている時点で、やはり俺と言う一人の人間は変化を経てしまっているのか。
「で、お前なに探してんの?」
「これよ」
スマホを開いてこちらに見せてくれる。そこに表示されていたのは小説家になろうのとある作品のページ。俺が今日探しに来た本の一つでもあった。
異世界ファンタジー、というよりも恋愛ファンタジーと呼称した方がしっくり来るその作品は、やはり俺が勧めたものだ。
呪いをかけられた王子とその大陸最強の魔女がおりなす、笑いあり涙ありの超大作。俺も材木座から勧められて読み始めたのだが、三日くらいずっと読んでいた。
王子が魔女に何度も何度も懲りずに求婚するのだが、そのやり取りがまた面白いのだ。
『umnamed memory』二巻まで絶賛発売中だからお前らみんな買えよな。
「あー、それな。その本文庫じゃないからそっちの方ないぞ」
「そうなの?」
「おう。四六判だからこっち」
指差した方にテクテクと歩いて行く雪ノ下。その後ろについて歩き、同じ本を探す。運が良ければ二冊置いてあるだろうが、普通の本屋なら一冊しか置いてないだろう。メロブとかとらのあなとかのオタクショップなら二冊以上置いてあるかもだが、今日のところは諦めて雪ノ下に譲るとしよう。
「あったか?」
「ええ、あそこに」
彼女の視線の先を追えば、その小さな体では背伸びしてもギリギリ届かないような場所に。なんでそんなに高いとこにあるんだよ。
雪ノ下は踵を上げてなんとか取ろうとするも、危なっかしくて見ていられない。
肩に手を置いて背伸びをやめさせ、代わりにその本を取ってやる。
「ありがとう」
「……っ」
「どうかしたの?」
不思議そうな表情で見つめてくるのは、澄んだ空を思わせる綺麗な瞳。それがすぐそこにあって、思わず言葉に詰まってしまった。
改めて考えるでもなく、こいつはとても美人だ。そんな彼女に気安く触れられる、それを許してくれるというのは、どれほどの価値があることなのだろう。
「いや、なんでもない。それ、俺も読みたいから、読み終わったら貸してくれよ」
「そういうことなら譲るけれど」
「いい。興味持ってくれたんだから、お前が買え」
「そう?」
「そう」
俺も目的のラノベをいくつか手に取り、二人でレジへ。わざわざ待たなくてもいいのに。いや、今はその理由が出来てしまうのか。
不思議なものだと、今でも思う。あの雪ノ下雪乃がライトノベルなんてものに手を出して、あまつさえ俺なんかの恋人だと言うのだから。
二ヶ月以上経った今でも、これはなにかの夢なのではないかと考えてしまう。
不安、なんだろう。自分に自信を持てなくて、自分を信じられなくて。だから、いつか隣にいる彼女がいなくなってしまうんじゃないのかと。
「比企谷くん。手を出しなさい」
「は?」
レジで会計を終え、さてこれからどうするかと本屋を出たら、雪ノ下が唐突に言ってきた。その言葉の意味を理解できないままに右手を差し出せば、俺のよりも華奢で白い手がそこに乗せられる。
「さて、行くわよ」
「いや、待て待て。行くってどこに」
俺の手を握って歩き出した雪ノ下。少し力を込めれば折れてしまいそうな手から確かな熱を感じる。それだけで、さっきまでの不安じみたなにかが全て吹き飛んでしまったのは、我ながら単純だ。
「どこでもいいじゃない」
「目的地くらい決めとけよ」
「そうね、ではペットショップにでも行こうかしら」
「いや、別にいいけどよ。急にどうしたんだよ。らしくなく強引だな」
「らしくない、ね」
小さく呟き、クスリと笑みを漏らした。
その意図を察せずに首を傾げていれば、笑顔を絶やさないままの雪ノ下が口を開く。
「いえ、いつかのあなたなら、あなたの口から私らしさなんて出てこないと思って」
「それは……」
その通りなのだろう。
自分らしさ、彼女らしさ。それは所詮他人の定義したその人自身で、いつもどこかで食い違ってしまう。いつかの俺なら、間違っても口にしないであろう言葉。
「でもね、私はそれでいいと思う。あなたの描いた私らしさ。私の描くあなたらしさ。それは、一緒にあり続けた記憶そのものだと思うのよ。そういったものをすり合わせて、この関係を続けられたらって」
穏やかな笑顔で語るそれは、現実とはまるで程遠い理想そのもの。これから先、なにがあるのかなんて分からない。恋人というこの関係を続けられる保証なんてどこにもない。小説の中とは全く違う、ここは現実なのだから。
それでも、雪ノ下はそうありたいと、あり続けたいと願う。
「だからね、比企谷くん」
笑顔が消え、鋭い視線が俺を射抜く。空色の瞳が俺を捉えて離さない。
そうして、挑むように告げるのだ。彼女の、心の奥底にある想いを。
「変に不安を抱いたりしないで。私は、あなたの隣から離れるつもりはないのだから」
全部、お見通しというわけか。
なにも口にしていないのに、分かってしまう。理解されてしまう。どこかこそばゆいような、でも嬉しいような。
「顔に出てたか?」
「ええ。あなた、存外に分かりやすいもの。特に私達には、隠し事なんて無理だと思っていた方が身のためよ」
「ご忠告どうも」
こいつだけじゃない。あいつとか、あいつとか、思い浮かぶ顔はいくつもあって、そいつらみんな、俺のことなんて簡単にお見通しなんだろう。
ここは現実だ。例えば俺の読むライトノベルのようにご都合主義で時間が進むわけでもないし、例えば雪ノ下が読むミステリーみたいに不可思議な事件が起きるわけでもない。
全ては俺たち自身の行動に起因している。奉仕部がその形を失っても、未だ俺たちの関係が続いているように。
決められた話の上を進むんじゃなく、俺たち自身が未来の話を決めなければならない。俺たちの意思で。
「で、結局どこ行くよ」
「ペットショップとさっき言ったでしょう。三歩歩いて忘れてしまったのかしら。これだから鳥谷くんは」
「文字にすると野球選手になるからそのあだ名はやめとけ」
「マリーンズとは戦わないからいいじゃない」
「そういう問題じゃないんだよなぁ」
ていうか雪ノ下さん、野球とか観るんですね。いっちょまえにロッテファンなんですね。その辺りも俺が知らないことだ。らしくない、と思ってしまう。
そういうのをこれからすり合わせて、もっと互いを知っていこうと。雪ノ下が言ってるのはそういうことなのだろう。
「ほら、さっさと行くわよ」
「へいへい」
一方的に掴まれていただけの手に、ほんの少し力を込めて握り返す。僅かに見えた彼女の耳は赤くなっていたけど、見なかったふりをしておこう。俺だって大して変わらないだろうから。
雪ノ下は間違いなく、ここにいる。俺の隣に。それは夢でも幻でもなく現実だ。
だから、ほんの少しでも。いや、違う。もっと欲張りになろう。
許されるなら、彼女と永遠を望みたい。
それを叶えるためにも、もっと積み重ねていこう。
俺たちの時間と記憶を。俺たちの意思で。