「八幡は、雪ノ下さんのどこを好きになったの?」
夏の暑さも弱まり、海沿いに位置している総武高校では涼しい風を感じられるようになってきていた。俺のベストプレイスが本領を発揮する秋だ。
時たま強すぎる風が吹いてくるが、それも一興。風に靡く髪を抑える戸塚の姿が見れるのだから、風よもっと吹けと念じてしまう。そんな季節。
昼練の終わった戸塚とベストプレイスにて昼食を摂っていたのだけど、まさかそんなことを聞かれるとは思ってもいなくて。
「あ、八幡! 唐揚げ落ちちゃったよ!」
「あ、ああ、悪い……」
箸で摘んでいた唐揚げが地面へ落下してしまった。せっかく雪ノ下が作ってくれたお弁当だというのに、なんと勿体ないことか。でも慌ててる戸塚が可愛いから許しちゃう。
「えっと、それで、なんだって?」
「だから、八幡は雪ノ下さんのどこを好きになったのかなーって。もしかして、聞いたらダメだった?」
「そんなことない」
戸塚になら何を聞かれても素直に答えちゃう。俺の身長体重生年月日に血液型からスリーサイズまでどんと来いだ。
が、しかし。もう一度言うが、こんな質問が飛んでくるなんてことは想定していなくて。それも、他ならぬ戸塚の口から。
由比ヶ浜や一色あたりからなら、まあ分からんでもないが。いや由比ヶ浜から聞かれたらそれはそれで別の意味で困るけれど。それはそうとガハマさん、ここ最近ゆきのんとのゆるゆり度が増してるんだよね。もはやガチゆりなまである。いいぞもっとやれ。
閑話休題。
聞いたらダメなんてことは全くないのだけど、それでも返事に困る質問だ。答えが分からないのではなく、ただ羞恥心がある。多分、雪ノ下本人にも言ったことがないのではなかろうか。
「そうだな……どこって言われたらまあ、結構あるから一々挙げるとキリがなくなるんだが……」
「キリがなくなるんだ」
「なんで好きになったか、なら言える」
「本当? なんでなの?」
こちらに身を乗り出してくる戸塚に、思わずたじろいでしまう。顔が近いし可愛いしなんかいい匂いする。
な、なんかやたら食い気味に聞いてくるな……。戸塚にしては珍しいというか、そもそも戸塚からこんな恋バナを振られることだって初めてだ。
いや、まあ、去年までの俺を考えると当然か。去年までの俺にこんな話を振っても碌に答えなかっただろうし、一年前の俺なんて鼻で笑い飛ばしてたまである。
それがまさか、涼しい風を浴びる昼下がり、友人とこんな会話をしようとは。
あいつとの関係が変化したことによる影響は、奉仕部内に留まらずこんなところにまで及んでいる。いや、それも結局、俺自身が変わったから、なのだろうけれど。
「ねぇ八幡、早く教えてよ」
キュルンと瞳を潤ませ、頬を膨らませながらも不満そうに言われる。
戸塚 の おねだり 攻撃!
こうか は ばつぐんだ!
っぶねー、変な声出るとこだった。いやちょっと出たかも。戸塚、相変わらず可愛さが天元突破してない? むしろ多元宇宙に存在している可愛いと言う概念の全てを詰め込んだのが戸塚だと言われても納得してしまうレベル。
これをどこぞのあざとガールみたいに、計算でやってるわけじゃないからヤバイんだよな。マジヤバイ。なにがヤバイってホントヤバイ。
「あんまり急かさないでくれ……俺だって恥ずかしいんだぞ」
「でも、早くしないとお昼休み終わっちゃうよ?」
それはつまり天使との逢瀬の時間が終わってしまうということであり、このままでは天使に不満を抱かせたまま別れることとなってしまう。
戸塚ガチ勢として、それは許されざるべき行いだ。
でもなぁ……やっぱり恥ずかしいんだよなぁ……。
なるべく自分の羞恥心が煽られないよう、慎重に言葉を探りながら戸塚に向き直った。
「あー、あれだな。あいつが、雪ノ下雪乃だから、だな」
「雪ノ下さんが、雪ノ下さんだから?」
どこを、と言う質問に対しては適切でないかもしれないが、そう言う他になかった。
どうも上手く理解できなかったようで、戸塚は顎に人差し指を当てて小首を傾げている。可愛い。結婚したい。しよう。する。
「なんて言ったらいいかな。雪ノ下ってああ見えて、割と欠点やら弱点やら多いんだよ。強そうな女の子に見えるけど、でもやっぱり弱さってのはあってさ。それもひっくるめて雪ノ下雪乃ってやつで、俺はそんなあいつが好きになったんだ」
上手くまとまった言葉だとは思えない。けれど、自然とそんな風に口から出ていたのだ。相手が戸塚だからか、秋の涼しいそよ風に当てられたのか。
どちらにせよ、俺の本心には変わりない。
弱いところも、強いところも、その全部が好きになった。
だから、どこが好きかと聞かれても、何か一つを挙げることなんてできない。
「そっか。八幡は、雪ノ下さんの全部が好きなんだね」
「まあ、そういうことだな」
どうやら伝わったらしい。戸塚から改めてそう言われても羞恥心が湧き上がらなかったのは、一度自分でも言葉にして吐き出したからだろうか。
妙に胸のあたりがスッキリしている。
「雪ノ下さんのこと、大切にしてあげてね」
「おう」
◆
戸塚と昼にちょっと珍しい話をしたその放課後。いつものようにリノリウムの床を踏みしめながら、部室へ歩く。
窓の外に見える景色はぼんやりと夕焼け色に染まっていて、季節の移り変わりをより一層意識させた。ほんの数週間前まではこの時間も明るかったのに、秋の夜長というやつか。まだ夜じゃないけど。
「ヒッキー!」
哀愁漂う背中に元気な声がかけられたのは、特別棟に足を踏み入れた頃だった。振り返れば、奉仕部の元気印がパタパタと駆け寄ってくる。
「もうっ、なんで先行くし」
「いや、別に一緒に行くとか言ってないし」
「どうせ行き先一緒なんだから、待っててくれてもいいじゃん」
「どうせ行き先一緒なんだから、先行ってても問題ないだろ」
もうっ、と頬を膨らませたガハマさんを伴い、部室までの道を歩く。同じようなやり取りを、今まで何度交わしてきただろうか。これから何度交わせるだろうか。
季節が移り変わるということは、それだけ終わりも近づいているということだ。
この長いようで短くも感じた青春は、残り半年しか残っていない。
けれど由比ヶ浜の方にはそんな憂いが全くないのか、もしくは高校を卒業しても、ずっと変わらぬ関係でいられると信じているのか。
今日も今日とて、元気に他愛のない話を振ってくる。
「そういえば昨日、ゆきのんとさいちゃんと遊んでたんだけどね?」
「サラッと俺をハブってた報告、やめてくれない?」
「え? あぁ、そうじゃなくて。これ女子会だから」
「戸塚は男子だけどな……」
物凄いナチュラルに戸塚を女子扱いするなよ。いや、気持ちは分かるけどね? 戸塚可愛いもん。とつかわいいもん。だが男だ。
「その時にさ、ゆきのんはヒッキーのどこが好きなのかって話になって」
「オーケーストップだ由比ヶ浜」
「なんで?」
はっはーん。賢い八幡くんは全部分かっちゃったぞー? 戸塚が昼に変なこと聞いてきた理由も、この後由比ヶ浜が聞いてくるであろうことも。
「俺はなにも答えないからな」
「まだなにも聞いてないし!」
先んじて言えば、由比ヶ浜は少し大袈裟に突っ込んでくる。まだってことはやっぱり聞こうとしてたんじゃないですかやだー。
しかし、奉仕部一頑固な女の子がこんなことで諦めるわけもなく。
「いいじゃん、教えてよー。ゆきのんのどこを好きになったの?」
「言わん。教えん」
ねーえー、と体を揺さぶってくる由比ヶ浜。ええいしつこいな。こうなれば仕方ない。あの必殺技を使う時が来たようだ。
「なら逆に聞くが、お前は雪ノ下のどこが好きなんだよ」
「んー、全部?」
「なら俺もそれってことで。ほら、さっさと部室行くぞ」
これぞ俺の秘技、適当に話を合わせて適当に話を切り上げる! 必殺技か秘技なのかどっちだよ。
だがこんな適当な返事でもガハマさんは満足してくれたらしく、素直に体を解放してくれる。よかった、さりげなく体近すぎてちょっもドキドキしてたから良かった。
「そっかー、ヒッキーもゆきのんの全部が好きなんだー」
「やめろそのニマニマ顔鬱陶しい」
「酷くない⁉︎」
正直、理由なんてなんだっていいのだ。それが後付けだろうと構わない。由比ヶ浜にしたってそう思ってるだろう。
だって、理由がどうあれ、俺たちがあいつのことを好きで、大切に思っているのは変わらないのだから。
そこさえ間違えなければ大丈夫だ。
思えば簡単な答えなのに、随分と悩み、答えに窮し、間違えを繰り返したものだ。
今となっては、それらも愛すべき過去の思い出。黒歴史なんかとは断じて違う。
「そうだ、ゆきのんが昨日言ってた、ヒッキーの好きなとこ、聞きたい?」
「聞きたいけど、ここで言わない方がいいぞ」
ほれ、と顎で道の先を示せば、すでに部室の目の前まで辿り着いていた。個人的には滅茶苦茶気になるけれど、こんなところで話してしまえば中まで丸聞こえだろう。
そんな羞恥プレイを勤しむ趣味は俺にはないので、普通に部室の扉を開ける。
まあ恥ずかしがってるゆきのんも見てみたいとは思うけどね!
「うーす」
「やっはろー!」
「こんにちは」
今日も今日とて、部室では愛されガールな部長が待ってくれていた。俺が入部した時から変わらない光景。
変わったことと言えば、俺たちを出迎えてくれる雪ノ下の顔に笑顔が増えたことか。
「紅茶、淹れるわね」
「おう」
読みかけの文庫本に栞を挟み、雪ノ下は紅茶を淹れるために席を立つ。
そんな彼女の背中を見て、ニマーと笑みを深くする由比ヶ浜。
待て、なにをするつもりか分からないがちょっと待て由比ヶ浜早まるんじゃあないぜ!
「それでさヒッキー、さっきの話の続きなんだけどね?」
こ、こいつ……! 親友に対して、羞恥プレイを観光しようとしているだとッ……⁉︎
さっきの話とやらを知らない雪ノ下は、紅茶を淹れるのに夢中でこちらの会話に入ってこようとはしない。必死に首を横に振るが、由比ヶ浜の笑みが深くなるばかりだ。
なにがダメって、これ俺も恥ずかしくなるからマジでダメ。どうしても止めなければならないが、まさか手で口を塞ぐわけにも行くまい。
「やっぱり聞きたいよね?」
「いい。いらん。絶対に聞かん」
「えー、さっき気になるっていってたじゃん。ゆきのんがヒッキーのどこを好きなのか」
その言葉が発せられた途端。ビクッ、と猫のように体を震わせたやつが一人。
言うまでもなく雪ノ下だ。
彼女は錆びた機械のようにぎこちなく首を回し、由比ヶ浜の方を見やる。その表情には焦りの色が見て取れた。
「あの、由比ヶ浜さん? それは言わない約束ではなかったかしら……?」
「そうだっけ? 忘れちゃった。ほら、あたしバカだから! 記憶力ないから!」
バカ、と言う単語を殊更に強調した気がするが、もしかして昨日の女子会でなにかあったのだろうか。雪ノ下がうっかり口を滑らせて、由比ヶ浜にバカなり記憶力ないなり言っちゃったとか。
ありそうだなぁ……。
雪ノ下が紅茶を各々の元に運び、椅子に座りなおしたのを見てから、由比ヶ浜は話を続ける。出来れば続けないで欲しいなぁ。
「でねヒッキー。昨日のゆきのん、ホントすごく可愛くてさ!」
「ゆ、由比ヶ浜さん?」
「ヒッキーのどこが好きかって聞いたら、まず最初にすごい顔赤くするの!」
「ねえ、聞いて?」
「その後に小ちゃい声で、全部愛してる、とか言ってたんだよ! もうヤバくない⁉︎」
「……」
なにを言っても無駄と悟ったのか、雪ノ下は顔を赤くして俯き、プルプルと震えるのみ。
うん、たしかに可愛い。可愛いんだけどさ、ガハマさん、本当に今日どうしたの? 魔王が乗り移ってるの?
なにも言えずに雪ノ下を見やれば、不意に視線を上げた彼女と目が合ってしまった。途端に何故だか妙な羞恥心に襲われ、目を逸らしてしまう。
「その、違うの。違うのよ比企谷くん」
「ゆきのん、昨日言ってたことは嘘だったの?」
「嘘ではないわ。嘘ではないけれど、その……とりあえず、そんな目で見るのはやめてくれるかしら、由比ヶ浜さん……」
おーおー、焦ってる焦ってる。こんな雪ノ下見るの初めてかもしれん。
なんて余裕を持って楽しめれば良かったのだけれど、残念ながら俺の顔も雪ノ下の顔と同じ色になってしまっている。
すぐ隣に座っている由比ヶ浜に懇願する雪ノ下だが、お団子頭の進撃は止まらない。
「じゃあじゃあ、ヒッキーは?」
「へ? 俺?」
「ヒッキーは、ゆきのんのどこが好きなんだっけ?」
「いやお前、それもさっき言っただろ」
「あたしバカで記憶力ないから忘れちゃった!」
それで通すのは無理がありすぎない? ゴリ押し強行突破もいいとこだと思うんですけど。
再び雪ノ下に視線をやれば、頬を真っ赤に染めながらも、濡れた瞳はしっかりと俺を見据えていた。
なんと答えるのか気になる、と言うよりも、あなたも私と同じ目に遭いなさい、と言いそうな目だ。死なば諸共ってか。そう言う考えは八幡くんよくないと思うな。
「そうか、忘れたか。ならそのまま永遠に忘れててくれ」
「えー、だって気になるじゃん。ゆきのんも気になるでしょ?」
「ええ、まあ、気にならないといえば嘘になるけれど……」
由比ヶ浜に抱きつかれながらも、雪ノ下はこちらを見続ける。
まあ、たしかに。彼女に直接伝えたことはなかったけれど。それでもまさか、こんな展開、こんな状況で言う羽目になるなんて思っていなくて。
実際、嬉しかったのは事実だ。直接その口から聞いたわけではないとはいえ、彼女が俺の全てを愛してくれてる、なんて。ともすれば重いくらいの気持ちを向けてくれていることが。嬉しくないわけがないのだ。
重くて結構。俺たちはこんな人間だから、多少重いくらいの気持ちが重しになってくれないと、すぐにどこかへ飛んでしまいそうだから。いなくなってしまいそうだから。
それに、重いだなんだは俺だって同じだ。だってこんなにも、想いが溢れてやまないんだ。
周りからなんと思われようと関係ない。
頭をガシガシと乱雑に掻く。視線はどうしても彼女らの方を向かなくて、黒板の上に立てかけてある時計を見てしまう。
それから、重いため息と共に、どうしようもない想いを吐き出した。
「全部だよ。雪ノ下の全部好きだ」
戸塚に言った時とは違って、羞恥心が湧き上がり顔が沸騰しそうになる。なんだって俺は、部室でこんな目に遭っているのか。これも全て由比ヶ浜結衣ってやつの仕業なんだ。
とは言え、こうして本人の前で言葉にできたこと自体は、不思議と後悔していなかった。
どこが好きかと問われて、全部と答える。
かつての俺が唾棄していた、青春やら恋愛やらで頭悪そうな小説に出てきそうなシーンだ。けれど実際、その通りなのだからそう答えるしかないわけで。
でもやっぱり恥ずかしさが天元突破しちゃっているのも事実なわけで。
あまりの羞恥心から、ついに俺は机に突っ伏してしまった。
「だってさゆきのん」
「由比ヶ浜さんのバカ……」
微笑ましいそんなやり取りが聞こえてきたから、多分雪ノ下も俺と同じ体勢なんだろう。
全く、今日も帰りは雪ノ下と二人だというのに。どうしてくれるんだよバカ。
この後、部室にやってきた一色が俺と雪ノ下に白い目を向け、由比ヶ浜に一連の成り行きを教えられた後に女子会に呼ばれていないことを知り落ち込むのは、また別の話。