冬、というのは明確にいつからのことを言うのだろう。世間一般の認識で言えば、恐らくは十二月なのだろうか。実際、そう答える人は多くいるのだと思う。
冬を象徴するイベント、クリスマスというものが十二月にあるからだ。それから大晦日にお正月、バレンタインと、十二月から二月にかけて多くのイベントで賑わう。
しかし、俺から言わせてもらえれば十一月だって立派に冬だ。特に下旬な。上旬まではまだ気温もそこまで下がらず、夏の暑さすら引きずる年だってあるのに、ある日を境にグッと気温が下がる。あまりにも高低差が激し過ぎて、さしものグッドストライカーでもグッと来ないだろう。
一桁台にはまだ差し掛かっていないが、それでも連日十二度やら十一度やらのギリギリを彷徨う始末。ギリギリでいつも生きていたいのは某アイドルグループだけで十分だ。いや、彼らはギリギリを生き過ぎてる感じが否めないけど。
ともあれ、未だ十一月と言えど、冬は冬。なんなら今年は秋がなかったまである日本。四季とは。
比企谷家では無事にこたつが解禁され、今日も今日とてぬくぬくとその恩恵に預からせて貰っているのだけれど。
「にゃー」
「なー」
「ふふっ、にゃー、にゃー」
「うなうな」
「あら、ふふっ、擽ったいわ」
冬の日常に紛れ込む、明らかな異物が。
もしもここが部室であるなら、まあ、百歩譲っておかしな光景ではなかったいやおかしいわ。部室で猫と戯れる部長とかおかしいわ。そもそも部室にこたつはない。こたつは家にしかない。つまり家は最高。冬は引きこもるに限るでファイナルアンサー。
と、いつまでも現実逃避出来たら良かったのだが、そんなわけにもいかず。
まるで当たり前のように、我が家の愛猫とこたつでぬくぬくしてる美少女。雪ノ下雪乃。
対して、これから始まるニチアサに集中出来そうもなく、頭の上ではてなマークをブレイクダンスさせている俺。
朝の八時半。全く理解できない状況が、比企谷家のリビングに広がっていた。
「なあ」
「なー」
「にゃー」
「おーい、雪ノ下さん? いい加減反応してくれない?」
この状況を問い質そうとしても、さっきからこんな様子。雪ノ下が俺に一瞥くれたのなんて、俺がリビングに入ってきた時くらいだ。堂々とテレビをつけてスタートゥインクルしようとしても、なにも言ってこなかった。
いないもの扱いされるのは慣れてるどころかそれが平常運転なまである俺だが、恋人にここまで無視されると、些か心にクるものがある。
そう、恋人。つまり、彼氏彼女の関係。果たしてどんな奇跡が起こったのか、俺たちはそういうものになった。まあ、どんなミラクルも起き放題ってISSAも言ってたしな。気がついたら年号変わってるし、なんか八年半くらい高校二年生だった気もするし。やだ、私の平成、醜すぎ?
とまあ、そんなわけだから、俺に恋人が出来てもなんらおかしいことではないのだ。
でもさすかに、この状況はおかしすぎると思うんですよね。朝起きてリビングに来たら恋人が猫と戯れてるって、これなんてエロゲ? いくらそろそろホワルバ2の季節だからって、現実までエロゲみたいにしなくてもいいんですよ。
なんて思っていると、とうとうプリキュアが始まってしまった。こうなってしまっては仕方ない。雪ノ下がどうしてここにいるのかは気になるが、それよりもプリキュアだ。
俺の意識はもはや完全にテレビへと向いてしまい、心の中でぷいきゅあがんばえー、と叫ぶ。最近のプリキュア、ちょっとツライシーンが多いんですよね……。やっぱり大きなお友達も意識してたりするのかしらん?
三十分というのは存外にあっという間で、気がついたらエンディングのダンスに入っていた。今日も今日とて涙を堪えるのに必死だったのだが、どんなに苦しいことがあっても最後は笑顔で踊るのだから、やっぱりプリキュアって凄い。逆に戦隊シリーズに若干の狂気すら感じてしまう。仲間が死んだ直後にエンディングで踊るってお前……みたいななんとも言えない気持ちになってしまうのだ。
スーパーヒーロータイムまでのCMの間、昂ぶった心を落ち着かせる為にも飲み物を淹れてこようと思ったのだが。
「最近の女児向けアニメも、中々バカに出来ないものね」
「うおっ!」
突然聞こえてきた透き通る声音に驚き、つい肩まで震わせてしまった。
そういやいたなこいつ……プリキュアに夢中で忘れてた。
「おはよう、比企谷くん。お邪魔してます」
「遅い。言うのが遅いよ」
出来ればあと三十分は早く言って欲しかったな。いや、それも無理な相談か。猫を前にした雪ノ下が俺のことなんぞ気にかけるわけもない。なにそれ泣きそう。
ただ、ニコリと笑顔の挨拶一つで許そうと思ってしまうのだから、我ながら随分とチョロいもんだ。
「で、お前なにしに来たの?」
「カマクラに会いに来たのよ」
「そこは嘘でも、俺に会いに来たって言うとこじゃねえのかよ」
「私、嘘は吐きたくないの。それにあなたとは、カマクラと違っていつでも会えるじゃない」
「まあ、そうだな……」
不意打ちで放たれたのは、柔らかな微笑みと素直な言葉。それにまだ慣れない自分がいて、頬は勝手に熱を持つ。
最近の雪ノ下さん、なんかやけに素直になっちゃって無敵感がハンパない。ハイパームテキなまである。敗者に相応しいエンディングを見せられちゃう。
実際、俺は二年の頃のあの勝負に負けた敗者であり、けれどその先に待っていたエンディングが今なのだけど。
「それにしても、急に来るのはやめてくれ。せめて事前に連絡しろ」
「一応したはずなのだけれど」
「マ?」
「メール、見てないの? 小町さんがやけにあっさり入れてくれたから、返事がなくても既に話を通してあるものだと思ってたわ」
スマホを開いてメールボックスを起動すれば、たしかに雪ノ下から一件メッセージが。
金曜の夜から一睡もせずにポケモンをしていたから、昨日の夜はいつもより二時間ほど早く眠りに落ちてしまったのだが、それがよろしくなかったようだ。
「悪い、全然見てなかったわ。完全に寝てた」
「全く。また不健康な生活をしていないでしょうね。季節の変わり目なのだから、体調を崩すわよ?」
「おっしゃる通りで……」
これにはさすがに返す言葉もない。いやでも、ポケモンが面白すぎるのが悪いのだ。イヌヌワン。可愛いよね、ワンパチ。ユキメノコにユキノってニックネーム付けそうになって必死に耐えた俺を、誰か褒めて欲しい。
呆れたようにため息を漏らすユキメノコじゃなかった雪ノ下。その腕の中にカマクラはもういないのか、こたつから出て立ち上がり、キッチンの方へと向かった。よくもまあ、そんな簡単にこたつから出られるものだ。
「台所、借りるわね」
「いいけど、大丈夫か?」
「小町さんからどこになにがあるのかは聞いてるから大丈夫よ。紅茶を淹れるわ」
「ん、てか小町は」
「あなたが起きて来る少し前に出掛けてしまったわよ。ご両親もお仕事でいないから、好きに使っていいと言われてしまったわ」
その声には少し困ったような色が見えていたが、それでも微笑み混じりてではあった。雪ノ下も、小町の多少強引なノリに慣れて来たのだろう。いや、むしろ由比ヶ浜や一色あたりで、そういう耐性が付いてしまったか。あの子たちもここ最近は押しが更に強くなってるからなぁ……ゆきのん大好きオーラが滲み出てるんだよ。由比ヶ浜はその前に勉強しろと言いたいが。
オープニングの始まった仮面ライダーをぬぼーっと眺めていると、紅茶を淹れ終えた雪ノ下がカップを二つ持って戻ってきた。礼を言いつつその片方を受け取りこたつの上に置くと、雪ノ下は何故かもうひとつのカップをその隣に置いて。
「もう少し詰めて頂戴」
「……いや、なんで?」
何食わぬ顔で、それが当然のように、俺の隣へと腰を下ろした。
当然距離は殆どゼロに近いほど密着してしまい、なんなら普通に体は当たっちゃってる。
サボンの香りが鼻腔を擽り、流れた髪が優しく俺の肩を撫でた。
近い……。
「この方があったかいじゃない」
「そうかもしれんけど……」
「それとも、私に近づかれるのは嫌だったかしら?」
微塵もそう思っていなさそうな口調。まるでこちらの心を見透されてるようで、背中のあたりがむず痒くなる。
だが、事実として嫌なわけがないのだから、結局拒絶することもできなくて。
「嫌だったら無理矢理追い出してるし、なんなら俺から離れてるまである」
「ふふっ、そう」
上機嫌にクスクスと微笑む雪ノ下は、視線をテレビへと向けた。俺も諦めてテレビに集中しようとしたが、まあ、出来るわけがないわな、こんなん。
だって、すぐ隣に雪ノ下がいるのだ。本当にゼロ距離、触れ合ってしまうほど近くに。あれだけ恋い焦がれ、こういう関係になってもなお、強くなるばかりな想いを抱く相手が。
隣にいてくれる。ただそれだけで、胸を満たすものがある。
いやしかし、この状況本当謎だな。なんで俺、日曜の朝から雪ノ下とプリキュア観て仮面ライダー観てるの? 客観的に見たらヤバイでしょ。キラヤバでしょ。
「なあ、お前こんなの観て面白いのか?」
気になって問いかければ、キョトンと小首を傾げる雪ノ下。可愛い。普段大人びてるくせして、こういう時だけあどけない、幼い子供のようにも見える表情をするのは、一体なんなんだろうか。俺を殺しに来てるんだろうか。多分そうなんだろうな。
質問の意図がイマイチ掴めないのだろう。首の角度が戻らない雪ノ下に向けて、言葉を重ねる。
「や、こういうの、あんま興味ないだろ」
「ああ、そういうこと。たしかに、今まではあまり興味がなかったけれど。あなたは好きなんでしょう? この歳にもなって」
「おい、一言余計だぞ。お前マジで、今ので割と多くの人間を敵に回すことになるからな。気をつけろよマジで」
「望むところよ」
「望んじゃうかぁ……」
なんでそんなに戦意高いんだよ。やっぱりこいつ、アマゾネスかなにかなのでは?
「人の趣味を否定するわけではないわ。そういった手合いの輩は滅びればいいと思ってるもの」
「ああ、うん。そうですね……」
やけに冷たい声音で言い放ったあたり、こいつも自分の趣味を否定された経験があるのだろう。まあ、君もその歳にもなってずっとパンさんにご執心ですものね。人のこと言えないもんね。
「それで? 俺はこの歳にもなってこういうのが好きだけど、それがどうした?」
「どうして開き直ってるのよ……あなたが好きなものなら、私も観てみようと思っただけよ。食わず嫌いはいけないもの。あなたを始め、中高生や大人にも受けるのであれば、それ相応の理由があるはずでしょう?」
「いや、大体の大人は少年心を忘れられずに脳死で仮面ライダーカッコいいとか言ってるだけだと思うぞ」
「あなたの方こそ、多方面を敵に回しそうな発言ね……」
頭が痛いとばかりに指でコメカミを抑える雪ノ下だが、いい歳した大人が仮面ライダー好きな理由なんて、大体そんなもんだろう。
たしかにストーリーには目を瞠るものがあるし、子供に理解しがたい伏線やらが存在する。それらを楽しみにしている側面もあるとは思うが、男の子なんて結局みんな、カッコいいものが好きなのだ。
デザイン初披露時には微妙だなんだと言いながら、動いてるところを見れば一瞬で心奪われる。そんな単純な生き物。光るそばマンとかマジでそれだった。
とかなんとか適当にくっちゃべっていれば、一時間はあっという間に過ぎてしまい。仮面ライダーから戦隊シリーズまで、スーパーヒーロータイムが終了してしまった。
そうなると、本格的にやることがなくなってしまう。元々今日は、ニチアサを観た後はポケモンの続きと洒落込もうと思っていたのだが、さすがの俺も今そうするほど空気が読めないわけでもない。
なにより、せっかく恋人様が来てくれたのだ。もてなしの一つくらい出来なければ男が廃る。これ以上廃れようがないけど。
「そういやお前、カマクラに会いに来たんだったな」
「ええ」
そのお猫様はどこへ行ったのやら。試しにこたつの中に突っ込んだ足を動かして探ってみれば、足先になにかが当たる感触が。
だが、それは決してカマクラなどではない。もっさりもふもふ冬毛の感触とは、似ても似つかない。
「あの、比企谷くん……?」
頬を薄く染めた雪ノ下が、困惑混じりの眼差しで俺を見つめる。どうやら雪ノ下も、こたつの中で足を伸ばしていたのだろう。俺の足が当たったのはそれだ。
なぜか唐突に湧き上がってくるのは、羞恥心じみたなにか。別に、変なことをしているわけではない。たまたま足が当たっただけ。なんなら、上半身は殆ど密着してると言っていい。足の指先が当たっただけなのだ。
だのに、自分でも分かるくらい顔が赤くなって、恥ずかしさやら照れ臭さで今すぐこの場から逃げ出したくなるのは、どうしてだろう。
「……悪い。中にカマクラいるかと思ってな」
「そう……」
すぐ右隣にいる雪ノ下は、僅かに赤みが差した顔のまま、俯いてもじもじとしている。
テレビからはよく知らない番組が流れ始め、けれど意識は完全に隣の恋人に向けられてしまったから、一体どんな番組なのかも分からない。
そして、不意に。雪ノ下の体が、こちらに傾いてきた。肩に頭を乗せたわけではない。本当に、少し体重をかけてきただけ。
それだけなら、まだ良かったのだけれど。今度はこたつの中に自分の手を突っ込み、その中にあった俺の手を取って指を絡める。
突然過ぎる行動になにも言えずにいれば、雪ノ下は濡れた瞳で俺を見つめ、口を開いた。
「その、らしくないのは分かっているけれど。こうしていたい気分なの」
さっきよりも紅潮した頬。その表情だけでなく、口調も。常より幼く感じられる。
ただそれだけでダメだった。胸を射抜かれた、と言ってもいい。
こいつは本当に、俺を殺す気なのだろうか。
こんなに可愛くて、そんなに素直な言葉を吐いて。なら、俺だって。少しくらいは素直な気持ちを口にしないと。
「お前がそうしてたいなら、好きにすればいい。俺も、こうしてたい」
「……ありがとう」
雪ノ下の隣にいる。こうして触れ合っている。ただそれだけなのに。
まるで麻薬にも似たなにかが脳を刺激させ、幸せすぎてどうにかなってしまいそう。
こたつの中でなにかがもぞもぞと動く気配がすれば、カマクラが俺たち二人の足を伝ってふてぶてしい顔を出した。そのまま雪ノ下の膝の上で丸くなる。羨ましいやつめ。
そんな猫を見て、幸せそうに微笑む雪ノ下。カマクラを優しく撫でながらも、俺の手を一瞬だけ、ギュッと握る。それが繰り返されること五回。
まさか、ブレーキランプの代わりだとでも言うまい。でもとりあえず、俺からも同じことを返す。
細くて壊れてしまいそうにも錯覚する、小さなその手に。五回。
「ふふっ、私じゃなければ伝わらないわよ?」
「最初にやったのはお前だろ」
この幸せな時間が、いつまでも続けば。
永遠などないと理解していても、そう願わずにはいられない。
そんな冬の、日常とは少し異なるひと時。