全てが終わり、そしてまた始まった春。
季節は巡り巡って、この部室にはまた、暖かな陽だまりがあった。今日も今日とて奉仕部は平常運転。プロムの後処理が終わればやることなんぞなく、家から持って来たラノベに視線を落としている。
部長が変わって、顧問がいなくなって。形は変われど、結局奉仕部なんてのはこんなもんだ。依頼がなければなにもすることがない。
今日も向かいで女子たちがやいのやいのと騒いでるのを尻目に見つつ、時たま振られた話題に相槌を打つ程度。三学期末から春休みにかけて、あれだけ色々なことがあったのに。こうしてまた、微笑ましい光景を眺めていることができる。うんうん、良かった良かったとベガ立ち後方彼氏面で眺めながら、いや彼氏面ってのも強ち冗談じゃねぇな、と自己嫌悪に似たなにかが湧き上がる。彼氏じゃないけどね? あくまでもパートナーだけどね?
ただ、日によってはこっちの心臓に悪い話を振ってくるので、それだけは是非やめて頂きたい。
ほら、今だって。こちらをチラリとみた小賢しいクズ間違えた可愛らしい後輩こと一色いろはが、口元をニタリと歪めている。
いや、なんで君ここにいるの? お仕事は? また副会長が泣くぞ。でもあいつ、書記ちゃんとガチで付き合ってるっぽいし、どうせ今も書記ちゃんに慰めてもらってるどころか二人きりになれたぜひゃっほいとか思ってるんだろうな。舐めんな働け。
「そういえば雪乃先輩、先輩とはこういう場所に行かないんですか?」
さっきからも話し声は聞こえていたが、その一色の声はやけに大きく、まるで俺にまで尋ねているような感じだった。
聞かれたことが瞬時に理解できなかったのか、雪ノ下はキョトンと可愛らしく小首を傾げている。可愛い。対して雪ノ下の両隣を制圧、もとい挟み込んでいる由比ヶ浜と小町は、一色が指差した雑誌の記事を見て、ゆきのんなら一人で行ってそう、とか、兄も一人の方がいいって言いそうですねー、とか。なにやら好き勝手言ってるご様子。
話を振られたり勝手に聞こえて来たりしていた内容から察するに、どうも彼女らは遊びに行く場所について話しているらしかった。
らしかった、というのも、話を振られはするが別に誘われたわけじゃないからだ。いつものことである。悲しいね。
ただ、一色が具体的になにを指して「こういう場所」と言ったのかは、イマイチ判別がつかない。ここからじゃ雑誌の中身なんて見えないから。
「行ったことはないし、行く予定もないわね」
「え、意外。ゆきのんだったら月一くらいで通っててもおかしくないのに」
「あなたは私をなんだと……」
言って、しかし自分でもその言葉が苦しいと思ったのか、拗ねたようにそっぽを向く。そんな雪ノ下を見て、ガハマさんがまたゆきのん可愛いー! なんて言いながら抱き着く始末。ここ最近ゆいゆきが加速してる。もっとやれ。
で、結局なんの話してるのん? とばかりに、女子の方をチラチラチラチラチラチーノしていたのだが、長机に置いていた雑誌を引ったくり、一色が俺の方へ持って来てくれた。
「これですよ、これ」
「……猫カフェ?」
「はい。なんか、最近オープンしたとこらしいんですけど、猫と言えばお二人じゃないですかー?」
「え、俺も? 雪ノ下だけじゃない?」
俺は犬派猫派の争いに対しては中立の位置にいる。最近は猫の方が若干好きかなーと揺らぎつつあるが、それはカマクラを飼っているからだろう。それ以上の理由なんてない。
だから、俺たちの間で猫と言えば雪ノ下。犬と言えば由比ヶ浜。カエルと言えば俺。くらいにはっきりと分かれていたはずだ。誰がヒキガエルだよ。
しかし、これなら先程の雪ノ下が苦み走ったように拗ねたのも納得が行く。否定すれば自身の猫愛が揺らぐが、しかし肯定するのも恥ずかしくて憚れたのだろう。さすがゆきのん、面倒くさ可愛い。
「でもまあ、たしかに意外だな。雪ノ下なら週七で通ってても不思議じゃない」
「それもう毎日じゃん!」
「私も、そうしたいのは山々なのだけれど……」
「山々なんだ⁉︎」
山々なんだ……。冗談で言ったつもりなのに、割とマジなトーンで返ってきたんだけど。こいつの猫愛、底知れなさすぎでは?
「じゃあなんで行かないんですか?」
小町の発した純粋な疑問の言葉に、雪ノ下はフッと哀しそうに笑って、顔を伏せた。
「正気を保てる自信がないのよ」
あー……まあ、猫一匹前にしただけでも、十分保ててないですもんね……めっちゃトリップしますもんね……。
俺と由比ヶ浜はそんな雪ノ下の様子を知っているから、納得して変な苦笑いが出ていたのだけれど、それを知らない年下二人組は困惑するのみ。
「正気を保てないは、いくらなんでも言い過ぎじゃないです?」
「なんで先輩方はちょっと納得してるんですか」
「まあ、雪ノ下だからな」
「うん、ゆきのんだし」
「なんですかそれ……」
一色が半ばドン引きした様子で、俺たち三人を見やる。相変わらず失礼な子だこと。
だが瞬時にまた嫌らしい笑みへと変わるのは、さすがの一言だ。表情が忙しなくて見ていて飽きない。主に恐怖で。
「じゃあ、なおさらお二人で行かないとですねー」
「は? なんでだよ。話聞いてた? お前、猫を前にした雪ノ下がどんなんか知らないから、そういうこと言えるんだぞ」
うんうん、と由比ヶ浜も強く頷いているが、そろそろ雪ノ下が居たたまれなさで縮こまって来てるから、せめてガハマさんだけは同意しないであげてね?
だがそんな俺たちを前にしても、一色は引かぬ媚びぬ省みぬとばかりに畳み掛けてくる。
「正気失うほどでしたら、先輩が一緒にいれば安心じゃないですか。なんたって、パートナー、なんですし?」
「んぐっ……」
変な声が出た。やめて、いろはすやめてその辺りはデリケートなの。ガハマさんはちょっと不服そうにこっち見ないで。それ一番反応に困るやつ。小町はなんで呑気にお茶飲んでるの? 愛しのお兄ちゃんがピンチなんだよ?
なんて、そんな思いがこいつらに届くわけもなく。どうです? と頬を薄く染めた雪ノ下へと視線を送る一色。
だが、雪ノ下が返事を返すよりも前に、下校のチャイムが部室に響いた。
「今日は終わりにしましょうか」
「あ、逃げた! ていうか、雪乃先輩は今部長じゃないから、終わるかどうかはお米ちゃんが決めるべきだと思いますけど!」
「そのあだ名まだ使ってたのか……」
ヒッキーよりは八万倍可愛いけど、お米ちゃんってどうなの。
「まあまあ、今日はこのくらいにしといてあげましょうよ」
むむむ、と唸りつつも、お米ちゃんこと小町からも言われてしまえば、一色も引き下がらざるを得ない。帰り支度を始め、いそいそと雑誌をカバンに詰め込む。
だから、なんでカバンまで持ってきてるんだよ。それは本来生徒会室にあって然るべきだろ。さては君、今日は全く仕事してないな? なんだいつも通りか。さすがに副会長に同情してしまう。
湯呑みやらカップやらの片付けも終え、戸締りをすれば鍵は現部長と生徒会長に任せ、残った俺たち三人は昇降口へと向かった。
既に寒さもどこへやら。しかしそれでも、由比ヶ浜は雪ノ下にべったりくっ付き、雪ノ下も多少嫌そうにしながらなされるがままだ。
その様子を眺めながら、三歩後ろを歩く俺。実に大和撫子だ。三歩後ろを歩かせたら右に出るものはいないだろう。なぜならそいつらよりも更に三歩後ろを歩くから。結局合計三歩以上後ろだなこれ。
やがて校門も通り過ぎ、バス通学の由比ヶ浜と別れれば自然、二人きりになる。
そういう時間が、自然と増えていた。
雪ノ下と二人きり。この放課後も然り、休日も然り。なにせ、俺は残りの人生全てを捧げた身だ。あちらから呼び出しがあれば、俺に拒否する権利などない。今はそうしようとも思わない。
まあ、ははのんからの呼び出しは丁重にお断りしたかったのだけど……。
元気印がいなくなったことで言葉少なになりながらも、決して不快ではない沈黙が降りる。周囲からは車のエンジン音や同じ制服を着た男女の話し声、公園から帰る子供達のはしゃぎ声なんかが聞こえてきて。そんな光景を、紅く燃える夕陽が照らしていた。
「そう言えば」
ふと思い立って口を開けば、雪ノ下が不思議そうにこちらを見上げてくる。幼気なその表情が、酷く愛らしい。
「猫カフェ、行きたいんだろ?」
「どうしたの、突然」
「いや、お前が行きたくないわけないよなぁ、って思って」
「それは、そうだけれど……」
「んじゃいつにするか決めとこうぜ」
するりとそんな言葉が出た自分に、少なからず驚く。半月前の海浜公園とも、雪ノ下から休日に呼び出されるのとも違う。
理由や建前もなく、俺からそんな提案をするなんて。
いや、だからなんだという話だ。今更、そこに拘泥したって仕方ない。俺はもう、言葉としてこいつに伝えてしまっているのだから。
関わりを絶ちたくないと。手を離したくないと。不意にフラッシュバックして悶え死にそうになるが、結局それが俺の意志であることな変わりなくて。
だから、休日だろうがなんだろうが、雪ノ下雪乃と一緒にいたいと思っている。
「俺はいつでもいいけど、お前は?」
「私もいつでもいいわ。今週の土曜あたりにする?」
「ん、土曜な。空けとく」
「埋まる可能性なんて、万に一つもないでしょう」
「うっせ」
ぐうの音も出ないほどその通りなので、せめてとばかりに口をへの字に曲げてみた。それが面白かったのか、雪ノ下の楽しそうな笑い声が、夕焼けの下に響き渡る。
そんな彼女につられて、気づけば俺も笑顔を浮かべていた。
◆
「ひきがやくん」
「おう、比企谷くんだぞ」
「ねこ、ねこがたくさん」
「そうだな。沢山いるな」
瞳をキラキラに輝かせ、どこか舌ったらずな物言いをするのは、目の前に広がる光景に圧倒された雪ノ下雪乃。
可愛いが天元突破してて録音しておきたかったのだが、ここではそれも叶わない。
さて、土曜日。早速正気を保ててなさそうな雪ノ下を連れてやって来たのは、最近出来たらしい猫カフェ。見事に一色の策略通りと相成ったわけだが、そこはこの際置いておこう。なんでって雪ノ下が可愛いから。
雑誌に載ってるくらいだから、もしかしたらそれなりに人いっぱいかも、と覚悟していたのだけど。どうやら丁度空いている時間に来れたらしい。俺たち以外には二組の客がいるだけだ。
その猫カフェの入り口、店員さんから説明を受けた雪ノ下を待ち受けていたのは、もちろん猫だ。一匹どころではなく、十匹近くの猫が店内を彷徨いている。
キラキラというか、もはやギラギラとマジな目になっている雪ノ下の手を、ギンギラギンにさり気なく取って席へと移動した。
この店はワンドリンクオーダー制で、少なくとも飲み物は必ず一つずつ頼まなければならないらしい。あちこちを闊歩してる猫に目を奪われてる雪ノ下に、飲み物を頼む余裕なんぞなさそうだが。
代わりに適当な紅茶を二つ頼んで、改めて雪ノ下へと向き直る。今すぐにでも猫のいる場所へと飛び出して行きたいのか、ウズウズしているのは微笑ましくて大変可愛い。
「行ってきていいぞ」
「いいの?」
「おう」
微苦笑を浮かべながら言えば、雪ノ下はてくてくと歩いて猫たちが寛いでいる一角に足を踏み入れた。
新たな来客の気配に寝ている猫は目を覚まし、転がっているボールに夢中だった猫すら、雪ノ下の近くへ寄って行く。あれよあれよと出来上がった雪ノ下ハーレム(猫)。
「ひきがやくん……!」
天使たちに囲まれてテンションが有頂天になったのか、その顔に感激の色を浮かべてこちらに視線を寄越す。
自然、俺も柔らかい笑みが漏れていた。先日のプロムでは、こいつに随分と無理をさせてしまったから。これは、そのささやかな労いのようなものだ。
テーブルに紅茶を二つ運んできた店員さんも、微笑ましく雪ノ下を見ながら去って行った。猫カフェの店員としては、彼女のように心底から猫を可愛がってくれる存在は大変好ましく思えるだろう。雪ノ下の見た目がいいのも、それに拍車を掛けているだろうが。
「にゃー、にゃー」
「なぁー」
「みぃ」
「うなー」
「ふふっ、ふふふっ、にゃー」
しかし、このままでは雪ノ下のあまりの可愛さに死人が出かねない。被害者は主に俺。俺しかいないまである。
猫と戯れてる雪ノ下、いい。非常にいい。尊みが深い。
思考も語彙も遥か彼方へと捨てて、ただ雪ノ下を愛でるだけの存在となってしまった俺。限界オタクっぽさがある。まあ、俺は雪ノ下の限界オタクみたいなところあるからな。
因みに雪ノ下限界オタクの会としては、その他にも由比ヶ浜やら一色やら小町やらが参加している。嘘、してないしそもそもそんな会はない。
でもあいつらも雪ノ下限界オタクみたいなとこあるし……。
せめて彼女らにもこの光景を見せてやりたい。そう思ってスマホを取り出し、カメラアプリでパシャリと一枚。ついでにもう一枚撮って、猫の位置が変わったので更に一枚。
そうやって撮り続けていると止め時が分からなくなり、さすがに雪ノ下に気づかれ、カメラ越しに目が合う。
ちょいちょいと手招きする雪ノ下。っべー、自分、またなんかしちゃいました? と心の中ですっとぼけながら雪ノ下ハーレム(猫)に加わると、スッと手を差し出された。
「写真、撮ってたのでしょう? 見せて」
「後でも良くない?」
「いいから」
「はい」
有無を言わさぬ圧力に負け、スマホを差し出す。相変わらずパスワードロックなんて設定してないスマホちゃんは哀れにも容易く中へと侵入され、先程俺が激写した数枚の写真が雪ノ下の目に映る。
うんうん頷きながら、一枚ずつ検閲しては、納得のいかないものを消して行く。その様を眺めるだけというのもなんなので、俺も近くの猫と戯れていれば。
「比企谷くん」
「ん?」
不意に腕を絡め取られ、雪ノ下の体が一気に近くなる。あ、これ八幡知ってる! とか思った頃には、掲げられたスマホがパシャリと音を鳴らした。
撮れたばかりの写真を見て、むふーと満足げに息を吐く雪ノ下。猫たちも写真に興味があるのか、はたまたスマホ自体に興味があるのか。雪ノ下の手の中を覗いている。
そんな中で、ただ一人。俺はぶわっと赤くなった頬を両手で隠してうなだれた。
「お前マジで本当そういうところさぁ……」
マジで、なんなの? 急にするの止めてってこの前言ったよね? 心臓に悪いんだってマジで……。
しかもこの前と違って、まだ腕組んだままだし。店員さんとか客の老夫婦のお二人とかが微笑ましくこっち見てるんだよなぁ。
俺の言葉と、周囲からの視線にも気づいたのだろう。ハッとなった雪ノ下はゆるゆると組んでいた腕を解く。ちょっと名残惜しそうにするのもやめてマジで今度は俺から腕組みに行っちゃいそうでしょ。
僅かに開いた距離。そこに一匹の猫が入り込み、にゃーっと鳴いた。
「……はい、これ」
「おう……」
視線はその猫へと固定されたまま、けれど赤くなった頬は隠しきれておらず、俺にスマホを返す。
画面に表示されたままの写真を見れば、ああ、なかなかどうして悪くはない。薄く笑んだ彼女と、素っ頓狂な顔をしてる俺。そしてそこかしこに映り込むのは愛らしい猫。
「ダメだな、俺の目が死んでる」
「やっぱり。何度撮っても同じじゃない」
言って、二人して吹き出す。不思議そうに見上げる猫には、俺たちがどう映ってるのだろう。この写真のように、不器用な二人組か、それとも。今笑い合ってるように、仲睦まじく見えてるか。
俺の膝に顔を擦り付けてくる猫の小さな頭を撫でて、心の中で一人思う。
残念ながら、前者ではなく後者だ。それも、お前ら猫が思ってるより、ずっと仲睦まじい二人だぞ。
ところでそこのアメショ、お前は誰の許可を得て雪ノ下の生足に頬擦りしてるんだ? 戦争になるぞ?
◆
時間制の猫カフェには、入店から二時間ほど経ってお暇となった。
店員からそろそろ時間ですと告げられた雪ノ下の顔は、それはそれは絶望に満ちていて。あんなにも哀しそうに、諦めたように微笑んだ彼女を見たのは、いつぶりだろう。割と最近見たことあるわ。
俺との揉め事と猫との別れがまさかの同列だったことに若干のショックを受けながらも、後ろ髪引かれる雪ノ下の手を半ば無理矢理引いて店を出た。
結果、離すタイミングも上手く分からず、駅までの道のりも、電車に乗ってからも、雪ノ下を家まで送り届けている今も、ずっと手を繋いでいる。
触れているところから伝わる熱が、たしかな想いを届けてくれる。
あの時はその場の空気とかもあったから、まあ、納得できなくもないけれど。
今、こうして二人、隣り合って歩いているだけでも。
それは些か以上に照れ臭くて、表面上ではいつもの会話を交わしつつも、背中のあたりがむず痒いままだ。
だって、こんなにも届けてくれるのだ。その熱が、その感触が。ならば必然、その逆も然り。彼女にだって、届いているだろう。
決してあの一言では言い表せられない、大きな感情が。
それでも、一度。言っておくべきだと思っている。そこに全てを押し込めるわけではなく。ただ、その一部を伝えたいだけ。
言い逃げされて、それで終わりというわけにもいかない。あちらから急かされたわけではないけれど。
やられたら、やり返す。
「ねえ、本当にお金、良かったの?」
「良かったの。どうせ親から貰った金だしな。実質俺の財布は減ってない」
「それで私が納得すると思っているのかしら……」
店を出てからも一度交わしたやり取りを、こうして意味もなく繰り広げている。いつも通りの、ただのじゃれあいのようなものだ。
「ならあれだ。この前のタピオカの余り分。それでいいだろ」
「それだと今度は、こちらが多く受け取ることになるのだけれど」
「そのうち、また別の形で返してくれたらいいよ」
そうやって、何度となく繰り返す。受け取ったものよりも余程過剰に返して、それよりもさらに多くを、また受け取って。
そうやって、日々を紡いでいく。終わることなく。終わらせることなく。
いつだか、由比ヶ浜も言っていたことだ。あれは、誕生日プレゼントのお礼だったか。それだといつまで経っても終わらないと返した俺に、彼女は終わらなくてもいいと答えた。
今なら、その気持ちが分からないでもない。とは簡単に言えないけれど。
雪ノ下とは長い付き合いになるのが確定している。俺の人生全部を使って、こいつの人生を歪めた責任を取ると。俺の意志で決めたのだから。
捨てられない限りは、と注釈がついてしまうのはご愛嬌。
「まあ、それもそうね」
柔らかくはにかんだ笑顔には、少しの呆れと、それ以上の喜色があったように見えた。
それからしばらくもせず、雪ノ下が住むマンションの下へと辿り着く。まだ日は昇ったままとは言え、今日の目的は達した。
なら、ここでお別れ。また月曜日。
いつもならその筈なのだけれど、今日は少しだけ、言うべきことがあるから。
なにかを感じ取ったのか、雪ノ下は怪訝そうに俺を見ている。
繋いでいたその手を離せば、小さくあっ、と言う声が漏れ聞こえた。だからそう言うの、マジで理性がゴリゴリ削られるからやめてね? 理性の化け物も不死身じゃないんですよ?
「比企谷くん? どうか、した?」
「いや、ちょっとお前に言い忘れてたことがあってな」
遠慮がちな問いに、つい苦笑を漏らして返す。頭をガシガシと掻いて込み上げてくる羞恥心にも似た自己嫌悪を抑えつけた。
そんな言葉一つにしてしまっていいのか。枠に当てはめていいのか。
相変わらず顔を覗かせてくる自意識の化け物を、己がわがまま一つで捩じ伏せる。
改まったように向き直った俺を見て、雪ノ下が小首を傾げた、その瞬間に。
「俺も、お前のこと好きだ。雪ノ下」
ボフン。そんな音が聞こえるくらい真っ赤になった顔。パチパチと目を瞬かせてはいるけれど、完全にフリーズしてしまっている。
中途半端に開かれた口は、どこか間抜けにも見えてしまって。
彼女が再起動を始めてしまう前に、俺は背中を向けた。
「じゃあ、また月曜な」
言って、軽く駆け足で駅へと向かう。想像以上の羞恥心を誤魔化すために足を動かす。
あの場で逃げてしまった面倒くさ可愛い雪ノ下の気持ちが、嫌でも分かってしまった。こりゃ逃げ出したくなって当然だ。しかも、俺は後出しのような形になってしまったが、あいつは自ら先んじて言ってみせたのだから。
その覚悟たるや。そして後に襲ってきたであろう羞恥心やらなんやら。想像するだに恐ろしい。
それでも、伝えた。俺の中で渦巻く巨大な感情の、その中の一部だけを切り取って。こんなセコい手を使って。
きっと、ちゃんと分かってくれる。希望的観測などではなく、そうあって欲しいと幻想を願うわけでもない。
雪ノ下雪乃なら、分かってくれると。確信めいたものが、俺の中にはあった。
「なんたって、パートナー、だからな」
足を止めて呟いた言葉は、暖かな春の日差しの中へと溶けて消えた。
さて、月曜日はどんな顔してあいつと会おうか。どんな言葉を掛けられるだろうか。
少し楽しみになってしまってる辺り、俺も随分と歪んでしまったのだろう。