八幡と雪乃の恋物語   作:れーるがん

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いい夫婦の日に書いた八雪


湯たんぽのん

 最近めっきり冷え込んできた11月の朝。

 目が覚めたのは、隣にあるはずの温もりがなくなっていることに気づいたからだった。

 湯たんぽさながらの彼女を抱いて寝ていたのだが、どうやらうまく抜け出されたらしい。扉の向こうからは微かに音が聞こえる。朝食を作ってくれているのだろう。

 

 置き時計に視線を向ければ、まだ七時前。カーテンの隙間は僅かに白んでいる程度。静かに朝焼けが大地を包んでいる。土曜日、休日に起きるような時間ではないのだが、目が覚めてしまった以上仕方ない。

 体を起こして掛け布団を取れば、僅かな寒さに身を縮こませる。肌を刺すような、と言うほどでもないが、寒いものは寒い。

 やっぱりもうちょっと寝てようかな……まだ七時だし、飯出来たらそのうち起こしてくれるだろうし……。

 

 目の前にあるお布団ちゃんの誘惑をなんとか退け、部屋を出る。途端いい香りが鼻腔を擽り、自然と顔がにやけていた。

 その香りにつられてフラフラと歩く俺は、さながら誘蛾灯に誘われる虫だ。この歳になっても未だクズっぷりが健在の矮小な俺は、むしろ虫要素しかないまである。

 

 リビングを通過してカウンターキッチンまで辿り着けば、そこではエプロン姿の妻、比企谷雪乃が味噌汁を作っていた。

 

「あら、起きたのね。おはよう」

「ん、おはようさん」

「今日は随分早いじゃない」

「湯たんぽなくなって寒かったからな」

 

 くぁ、と小さくあくびをすれば、雪乃は料理の手を止めずに小さく微笑んだ。

 

「なら今度からは、もう少し早く起きることにしましょうか」

「休みの日くらいはゆっくり寝かせてくれません? てか、お前ももうちょい寝てていいんだぞ」

「目が覚めてしまうのよ。この時間に起きるの、昔から習慣だったから。それより、さっさと顔洗って来なさい」

 

 ういうい、とうめき声じみた返事をしつつ、来た道を戻って洗面所へと向かう。

 鏡台の前に立てば、そこには目が腐りに腐った男の顔が。冷や水を顔にぶっ掛ければ多少はマシになるかと思ったが、残念なことに一度腐ったものは元に戻らない。

 

 その代わり、脳内は完全に覚醒していた。冬の冷水は寝起きに効く。これを毎朝繰り返していれば嫌でも目が覚めてしまい、仕事という現実に直面することができるのだ。安易に社畜を作り出す理想的なシステム。クソじゃん。

 

 しかし、今日の俺は休日。誰がなんと言おうと休日だ。上司から電話がかかって来ても取るわけないし、仕事に関連するワードは頭の中からデリートされている。

 おしごとってなーにー? とか純粋な目で聞いちゃうまである。

 

 ふと、視線を巡らせてみた。

 たとえば、歯ブラシ。置いてあるのは二本。二人分。当然だ。だって雪乃と二人で暮らしているのだから。

 ただ、その当然のことが、俺の胸を形容しがたい感情で満たす。幸せと一言で表すには、あまりにも大きすぎるそれ。

 

 結婚生活一年目。それどころかようやく一ヶ月経ったくらい。世間一般的には、一番幸せな時期なのだろう。互いの嫌なところがまだ見えておらず、恋人同士だった頃の空気そのままに一緒に暮らして、周りの目も一顧だにせずイチャつくような時期。

 

 それは俺たちに当てはまらなかった。そもそも、世間一般から乖離することに定評のある俺たちだ。相手の嫌なところなんて、過去散々見てきた。何度もぶつかり合ったし、その度に互いを知った。

 

 そうして今がある。

 

 だから正直、新婚ホヤホヤのイチャイチャ夫婦、みたいなのは全くない。もはや熟年夫婦だよね、とか由比ヶ浜に言われてしまったまである。一方で一色からは、結婚前も結婚後も人目も憚らず普通にイチャついてるじゃないですかリア充爆発してください。とか言われたりしたから、ちょっと俺には判断できないですね。

 少なくとも、嫁を湯たんぽにして寝るのは普通なはず。普通だよね? セーフよりのセーフだよね?

 

 鏡の向こうの俺に問いかけても、答えなど返ってくるはずもない。どうやらミラーワールドの俺もコミュ障を極めているようだ。俺自身との対話すら拒むとは。

 いや、ミラーワールドの俺なら拗らせぼっちじゃなくて、葉山みたいになってんのか……なんか嫌だな……ガードベントに使われたらいいのに。そこにいたお前が悪い。

 

 などと馬鹿なことを考えながらもリビングに戻れば、朝食を作り終えたらしい雪乃は配膳に取り掛かっていた。

 思ったよりも洗面所で時間を潰してたらしい。急いで駆け寄り、それを手伝う。

 そんな俺を見て、クスリと微笑む雪乃。なんかそう言うのは未だに照れ臭いけどめっちゃ可愛いので、是非今後とも続けてもらいたい。

 

「別にいいのに」

「そう言うわけにもいかないだろ。てか、何回目だよ。朝のこのやり取り」

「さあ? 結婚してから殆ど毎日な気がするわね」

「だなぁ……」

 

 つまり、少なくとも三十回以上はしてることになる。もはや一種の通過儀礼のようになっている感も否めないが、それでも手伝おうという気持ちに嘘はない。

 亭主関白なんてこのご時世流行るわけがないのだ。夫婦は手を取り合って、などと言うと綺麗事めいて一気に胡散臭くなるけれど、それでも一種の真実であるのはたしかだろう。

 

 自分にまつわるなにかを、自分以外の誰かに任せきりにしてはいけない。手を借りるのはありだ。手を貸すのも、差し伸べるのも悪いことではない。

 それを、今は思い出の中で大切にしまってある、あの高校生活で学んだ。

 

 魚を捕まえてやるのではなく、捕り方を教える。今となっては懐かしい。八年近く前の思い出が浮かんでは消え、浮かんでは消え……。

 いや、消えたらだめだろ。それもう走馬灯じゃん。俺死ぬの?

 

 結局二人で配膳して、机について頂きます。いつもいつでも絶品な朝食を平らげ、また二人で片付けと洗い物を済ませる。

 キッチンに並んで立ってるのがなんだかおかしくて、二人して意味もなく吹き出してしまったり。

 

 そうこうしてるうちに時間は八時半。これが日曜ならウキウキしながらプリキュアを見ているところだったが、残念ながら今日は土曜日だ。特にやることなんぞなく、ソファで雪乃の淹れた紅茶を飲みながら、二人でまったり過ごす。

 

「今日はどうしましょうか」

「なんも予定ないもんなぁ……外寒いから、家出る気も起きねぇし」

「あなた、今からそんなでどうするのよ。これからもっと寒くなるのよ?」

「ほんとそれな。寒いのマジ無理。人間が生きていい環境じゃねぇよ。お布団から出たくない」

 

 ジメッとした声で返せば、隣の雪乃がこめかみを抑える。うん、ごめんね? 旦那がこんなに出不精で。

 だが、寒いのが嫌なのは嫌だし、家からどころか布団からすら本当は出たくないのも本音だ。なにせヒッキーのあだ名を欲しいままにする男だからな、俺は。

 

「つーわけで、今日は一日ゴロゴロしてようぜ」

「どういうわけなのよ……洗濯とか掃除とか、やることはあるのだけれど」

「明日に回せそんなん。どうせ明日は日曜日、つまりは休日だ。時間なんぞいくらでもある」

「全く……」

 

 そうは言いつつも、雪乃は口元で微かに笑みを作っていた。俺でなきゃ見逃しちゃうね。嘘、多分由比ヶ浜とかでも気づく。この表情の変化を見破ってこそ、雪乃検定一級の資格を得ることが出来るのだ。

 

 そんな彼女の手を引いて寝室へと向かう。さきに布団に潜り込んで、はよはよとばかりに隣を叩けば、苦笑を漏らしつつもそこへ横たわる雪乃。

 

「まあ、たまにはこんな休日も、いいかもしれないわね」

「毎日こんな休日でも構わないけどな、俺は。毎日が日曜日で歯医者さんはずっとおやすみなのを夢見てたよ」

「今は?」

「現実って残酷だよなぁ……」

 

 やな宿題は全部ゴミ箱に捨てれても、やな締め切りは捨てることが出来ないのである。不思議な力が湧いてないからね。仕方ないね。

 

 クスクスと楽しそうに笑っている雪乃を胸に抱き寄せれば、やはり湯たんぽのように暖かかった。実家でもこうやってカマクラを湯たんぽ代わりにしたことあったなぁ、と思い出すが、カマクラは嫌がってすぐ抜け出そうとしていた。

 対して雪乃は嫌がる素振りなど微塵も見せず、どころか俺も湯たんぽにしてやろうと思っているのか、自分からも抱きついてくる。

 

「ここに猫がいれば完璧なのだけれど」

「俺だけじゃご不満か?」

「そうね。でも、今だけは我慢してあげる」

 

 言って、小さく唇を触れ合わせると、雪乃は目を閉じた。こいつの寝顔はびっくりするくらい可愛いから、今はともかく寝起きに見ると心臓に悪い。

 

 随分とまあ、満足そうな顔しやがって。不満なんて微塵も抱いてなさそうだ。それは俺も同じなのだけど。

 

 雪乃に倣って目を閉じる。次に目が覚めるのは、何時頃になるだろう。どちらが先だろう。何時でも、どっちが先でもいいか。

 

 思考を放棄し、腕の中の温もりを感じていれば、いつしか微睡みの中へと落ちていった。

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