八幡と雪乃の恋物語   作:れーるがん

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甘えん坊の比企谷くん

 昔、こんな俗説を見たことがある。

 曰く『長男に生まれた人は甘えん坊』だとか。当時の私はかなり首を傾げたものだ。だって、私の少ない交友範囲の中にいる長男といえば、人に甘えるなんぞ言語道断。自分のことは自分でやるべき、他の誰かなんて信じられるはずもないのだから。とか、そんな感じの男だったから。

 

 他にも色々と屁理屈を付け加えて、絶対になにかに甘えることを良しとしない。そのくせ人のことは甘やかすのだからタチが悪いのだけれど。

 

 ええ、本当に。人が頼んでもないのに甘やかしてきて……たしかに彼から頭を撫でられたりするのは、心地よくて好きだけれど……でも私にだって心の準備が必要というか、いつでもどこでもやって欲しいわけでは、まあ、あるのだけれど。

 

 閑話休題。

 以前は首が真横になるまで傾げたものだが、今となってはその俗説も、正しかったと言わざるを得ない。

 なんてことを思いながら、向かいに座って朝食を食べる男の顔をジロジロと見ていれば。さすがに居心地が悪かったのか、一度箸を置いて私に視線を返す。

 

「なあ」

「なに?」

「いや、そんなに見られてたら食いづらいんだけど……」

「気にしないで」

「無茶言うな。なに、なんか言いたいことでもあんの?」

「あったらすぐに言ってるわよ」

 

 そうだな、と簡単に納得して、彼、比企谷くんは再び箸を取った。もしゃもしゃと美味しそうに食べるその様は、作った私からすればとても嬉しいし、とても微笑ましい。

 

 だからつい、クスリと笑みが漏れてしまったのだけれど。それがいけなかったのか、比企谷くんはまるで無理矢理抱かれた猫のように身をよじる。

 それが、私の嗜虐心を煽るとも知らず。

 

「随分と居心地悪そうに食べるのね」

「元凶がなに言ってんだ……」

「もしかして、お口に合わなかったかしら……?」

「思ってもないことを聞くのはどうかと思うぞ」

 

 少し芝居掛かった口調が、あまりにもわざとらしかったのだろう。比企谷くんの顔に苦笑が浮かぶ。それにつられて私の顔にもまた笑みが。

 

 穏やかな食事風景。同棲を始めてからずっと続いている、心休まる時間。

 この時に限らず、あなたといる時の全てが、私にとってそうなのだけれど。

 

「で、マジでなんなの? 俺の顔になんかついてる?」

「ご飯粒でもついてたら取ってあげてたところだけれど」

「まあ、男子的に憧れるシチュエーションではあるな。やってくれれば八幡的にもポイント高い」

「だからと言って、わざとつけるのはなしよ」

「んなあざといことしねえよ。そう言うのは一色だけで十分だろ」

 

 どうかしら。あなたもそれなりに、あざといところがあると思うのだけれど。

 本人に自覚がない辺りが重症だ。さすが千葉のお兄ちゃん、と言うのかしら?

 

「ではなくて」

「じゃあなに」

「ちょっと思ってたのよ。あなたって、意外と甘えん坊よね、って」

「……」

 

 途端、なんとも形容しがたい表情がそこに。困惑と驚愕を綯い交ぜにして、ちょっぴり恐怖を含ませたような。ともかく、納得のいってなさそうな顔。

 

「病院行くなら付き合うぞ?」

「失礼ね。どこも悪くない健康体よ」

「なら今日の天気予報はハズレか……」

「バカにしてるでしょう」

「全く」

 

 なにがなんでも認めたくないらしい。こうして話を逸らそうと意地になってる時点で、もう認めてしまっているようなものなのだけれど。それに気づいてる様子もない。

 

「俺のどこをどう見たら甘えん坊に見えるんだよ。ロジカルシンキングで論理的に説明しろ」

「そうね、例えば……」

 

 そう、例えば。

 私は置いていた箸を取り、腰を上げて少し身を乗り出す。比企谷くんの鮭の塩焼きに箸を入れて身をほぐし、それを摘んで口へと持っていった。

 

「はい、あーん」

「……?」

 

 怪訝そうな顔をしながらも、素直にパクリと食べてくれる。餌付けしてる気分でいいのよね、これ。

 

「ほら、こう言うところ」

「……」

 

 もぐもぐしながら眉をひそめているが、反面頬は赤く染まり出している。可愛い。

 その表情を見る限り、まだ納得できないようだ。私からあーんされて素直に食べちゃうとか、十分甘えん坊だと思うのだけれど。まあ、これは彼から求められたわけではないものね。甘えた、とは言い難いかしら。

 

「まだ納得行かないようね」

「まあな。今のはお前が勝手にやっただけだし」

「なら他にも理由を提示しましょうか」

「あるとは思えないけどな」

「そう言っていられるのも今のうちよ」

 

 ふふっ、と含みのある笑みを見せ、私はご飯を食べる手を進めた。

 それを見て頬が引き攣ったような笑顔を浮かべる比企谷くん。失礼ね、そんなに酷いことはしないわよ。

 

 

 ◆

 

 

 とはいえ。

 私が彼に提示できるものは、二つしかない。その二つだけを見れば、十分に彼が甘えん坊だと分かってくれるだろうけれど、頑固な彼が認めるかはまた別だ。

 どうせ、たった二つだけでなんも証明できてないだろ、とか屁理屈にもならない言い逃れをするはず。

 

 それは分かっているけれど、せっかくの休日だ。私だって、少しくらい彼とゆっくりまったり過ごしたいという欲求がないこともないので。

 

 朝食を食べ終えてから、少し時間が経過した十時半。土曜日のこの時間は比企谷くんにとって大切な時間。あとは日曜日の八時半からとかも大切。

 何故なら、彼の大好きな女児向けアニメを観る時間だから。

 

 ……字面だけみると怪しさ満点ね。比企谷くんが好きだからと、なにも言わないでいるけれど。腐った目で女児向けアニメを観ながら涙を流してる様を初めて見たときは、さすがに通報しそうになった。

 いえ、人の趣味にとやかく言うつもりはないのよ? けれど、ねぇ? 思うところがないわけでもないし。

 

「……今日も最高だった」

「毎週言ってるわね」

「毎週最高だからな……」

 

 余韻に浸るように天井を仰ぎ見る比企谷くんは、いい……と小さな声で何度も漏らしている。曰く、この時は限界オタク? たら言う状態らしい。私にはよく分からないのだけれど、パンさんを見た後の私もこんなだとか。

 

 やがて長い息を吐き出してマッカンを煽った比企谷くんが、その身体をゆっくり横に傾ける。隣に座っていた私の膝へと、そのまま頭が着地。いわゆる膝枕と言われる状況に。

 私も慣れてしまったもので、自然と彼の髪へと手を伸ばしていた。

 

 そう、慣れたのである。それ即ち、日常的に行われているということで。

 

「こういうところよね」

「なにが」

「あなたが甘えん坊なの」

「……」

「逃げようとしないの」

 

 浮き上がりかけた身体を、無理矢理沈める。いつもは普通に心地好さそうにしてるくせに、今だけは真っ赤にして、くっ殺せ! とか言い出しそうな顔だ。

 

「いつも通り甘えておきなさい」

「いつも甘えてるつもりはなかったんだが……」

「じゃあどういうつもりだったの?」

「それは、ほら、アレだよアレ。まあ、アレだ」

「どれよ」

 

 本当にどれよ。アレ、で済まそうとすれば、結局甘えてたってことになるけれど。

 

「まあ、どれでもいいけれど。私はこうして、あなたの頭を撫でてるの、好きよ?」

「んぐっ……」

 

 あっという間に耳まで真っ赤っか。なにを今更、この程度の愛情表現で照れているのか。

 割と素直に言葉に出してきたつもりではあったけれど、どうやらまだ足りないらしい。一度、恥ずかしさで死ぬ一歩手前くらいまで追い詰めてやろうかしら。

 

「もちろん撫でられるのも好きだけれど」

「じゃあ交代だな。俺が膝枕してやるから、そろそろ解放して。マジで、なんか恥ずかしくなってきたし、ね? そろそろやめよ?」

「ダーメ。私が満足してないもの」

 

 吐き出されたため息は、諦めによるものか。はたまた別の何かか。どちらにせよ、比企谷くんは黙って私に撫でられることにしたようだ。

 

 わしゃわしゃなでなで。ふふっ。

 

 

 ◆

 

 

 夜。一日を怠惰とも取れるほどまったり過ごした後は、もはや寝るだけ。明日もお休みだし、少しくらいなら夜更かししても構わないのだけれど。

 

 夜更かししても、構わないのだけれど。

 

 ただ、そうしてしまうと彼の甘える姿を証明出来なくなってしまう。私の方が甘えてしまう始末。それではダメだ。今日は彼がどれだけ甘えん坊かを証明する日なのだから。

 

「ふぁ……そろそろ寝るか」

「ええ」

 

 結局お昼まで私の膝でうたた寝していたのに、どうやらこの男はまだ寝足りないらしい。さすがヒッキーの名を欲しいままにしていただけはある。引きこもりに関することならお茶の子さいさいということかしら。

 どうでもいいけど、お茶の子さいさいってきょうび聞かないわね……。

 

 リビングの電気を消して、二人で寝室へ。

 ダブルベッドに慣れるまでは随分と時間がかかってしまったけれど、今となっては彼の隣じゃないと眠れないほど。

 安眠効果で一家に一台比企谷八幡。ダメ、比企谷八幡は私だけのものよ。

 そもそもこんなのが複数人いたら、私でも手が余るもの。

 

 二人でベッドに横たわり、布団を被ってぴったりくっつく。すぐそこに感じられる彼の体温が、身体よりも心をポカポカさせてくれる。

 彼の大きな手が私の髪を撫でて、肩を抱いて、やさしいキスを交わす。

 いつかどこかで聞いた歌の通り。この瞬間は、いつもいつも、大切にされていると実感できる。

 

 彼の手が私の背中まで回って、ギュッと抱きしめられれば、後はおやすみをするだけなのだけれど。

 

「ふふっ」

「なに、どしたの」

「いえ、二つ目よ、比企谷くん」

「……あー、それまだ続いてたのか」

「もちろん」

 

 残念ながら、これで打ち止めだけれど。

 

「で?これのどこが甘えん坊だって?」

「言うまでもないと思うけれど」

「……」

 

 自覚があるのか、黙りこくる比企谷くん。なんだか今日はこの展開ばかりね。

 

「強いて言うなら、あなた、私を抱き枕がわりにした時は、とても可愛い寝顔をしてるわよ?」

「可愛いとか、男に使う言葉じゃねぇだろ……」

「だって可愛いもの」

 

 クスクスと笑っていれば、不満そうな息が漏れた。それが顔にかかって、少し擽ったい。

 でも、距離の近さを実感できて、嬉しい。

 

「なあ雪ノ下」

「なに?」

「俺も、今日一日で改めて分かったことがあるんだが」

「あら、それは聞かせてほしいわね」

「お前の方が甘えん坊だよな。それも、結構めんどくさいタイプの」

「……?」

 

 言われた意味がよく分からず、首を傾げる。自分が比企谷くんに甘えているのは、まあ自覚がある。だって撫でられるの好きだし、さっきのような寝る前のキスなんてもっと好き。そう言うことをする時も、私はかなり甘えてしまっていると思う。

 

 ただ、めんどくさいとは聞き捨てならない。かなり素直に甘えていたつもりだったのだけれど。

 

 私自身が面倒で重い女なのは仕方ないとして。いや、仕方なくないわよ。認めちゃったらダメでしょ、私。否定出来る材料もないけれど……。

 

「なんつーか、俺を甘やかすことで俺に甘えてる、みたいな?」

「つまり、どう言うこと……?」

「ほら、お前って結構欲求とか表に出さないタイプだろ? 猫とパンさん以外は」

「その二つも特に出した覚えは」

「その反論は今更無意味だっていい加減気づけ」

「むぅ……」

「で、だ。仕事上とか、事務的には他人にああしろこうしろって言うことあるだろうけど、自分の感情を軸にして、誰かにああして欲しい、こうして欲しい、っての、あんまり人には見せないだろ」

「ええ、まあ……」

「俺もそういうのはあんまり他人に見せないんだが、まあ、俺たちはお互いにその辺りが例外なんだろうな。たしかに俺はお前に甘えてたかもしれないけど、それはお前の態度にも原因があるってことだよ」

 

 お得意の責任転嫁かと思ったが、恐らく違うのだろう。

 つまり、私が無意識のうちに構ってアピールしていて、その結果比企谷くんも、私にだけ甘えてくれることになって、それを受け入れた私が彼を甘やかしていた。つまり、結果的には私も比企谷くんに甘えていた、ということ?

 

 え、待って。なにそれ、私、比企谷くんにそこまで甘えてたの? あれ? なぜか顔が熱く……いやでも、甘えるという行為自体は意識的にしていなわけだし、こんなに恥ずかしがらなくても……。

 

 いや恥ずかしいわよ! 意識的にやるのと無意識的にやってしまっていたのとでは全く違うわよ! 月とすっぽんどころか、月と八幡よ!

 

 ふっ、ふふっ、月と八幡……いいわね、今度から積極的に使うことにしましょう。我ながら面白い。

 

 などと現実逃避してる間にも、私は比企谷くんの胸に顔を埋めていた。

 今の顔の色は、さすがに見せられない。けれど、多分そんなことは彼にお見通しだ。

 ポンポンと、あやすように頭を優しく撫でられる。気持ちいい。

 

「つっても、俺も気づいたの今日だしな。お互い様ってことでいいだろ」

「うん……」

「うんってお前……」

 

 つい漏れてしまった幼すぎる言葉に、私の顔は更に赤くなるばかり。苦笑する気配がして、ポスンと胸を叩く。

 

「ほら、もう寝ようぜ。それとも、ちょっと夜更かしするか?」

 

 からかい混じりの言葉。

 ここは、そうね……一色さん、あなたの力、お借りします。

 

「……あなたは、したい?」

 

 甘えるような声で、瞳を潤ませて。

 視線がぶつかったと思えば、すぐに逸らされる。さすがは一色さん直伝、『これさえあればクソ雑魚ヘタレの先輩もイチコロですよの技』ね。効果抜群じゃない。

 

「お前の体調次第、としか言えないな……」

「やさしいのね。そういうところ、すきよ」

「そりゃどうも」

 

 今度は私から唇を触れあわせて。

 

 この日の夜は、結局沢山甘えてしまった。

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