四月と言えば、なにがあるだろう。
大きな行事といえば、入学式だ。先日我が愛すべき妹、小町が総武高校に入学を果たすという、一代イベントがあった。それが過ぎてしまえば、イベントは特にないだろう。実際、学校行事は皆無。一年生は学校に、二年生は新しいクラスに慣れるための準備期間のようなもの。ただし三年生は準備期間とかなく受験勉強始めろよ。という感じが四月だ。
もう少し三年生に、延いては受験生に優しくてもいいのよ?
が、しかし。それは学校全体で見た場合であり、もう少し狭いコミュニティの中となると、話が違って来る。
そう、奉仕部内では立派なイベントが用意されているのだ。
来る四月十六日。すなわち、一色いろはの誕生日である。
「早く着きすぎたか……」
待ち合わせ場所であり、今日の目的地でもあるららぽーと。昔、由比ヶ浜の誕プレを買いに小町と雪ノ下の三人できた場所だ。
そして今日は、ここで一色の誕プレを選ぶことになっている。雪ノ下と二人で。
そう、雪ノ下と二人で、だ。
由比ヶ浜や小町はいない。何故かは分からない。てか、俺が聞きたいくらいだ。なんであいつらいないの? 俺と雪ノ下が二人でまともなもん選べると思ってんのか? うちのパートナー様は服を耐久性で選ぶやつだぞ。
待ち合わせは十一時だが、現在時刻十時半。どう考えても早く着きすぎた。すぐそこの自販機で買っておいたマッカンのタブを開け、ゆっくり待つことにする。
まあ、誰かを待つのは慣れている。なんなら得意まである。かつては指示された待ち合わせ場所に三時間待っても誰も来ず、諦めて帰ったら次の日そこは待ち合わせ場所でもなんでもなかったと知らされたことがある男だからな、俺は。
マッカンを飲もうとタブを開け、一口目を煽ったその瞬間に。
見慣れた姿が視界に映った。
ぴょこぴょこと揺れる黒いツインテール。グレーのリブニットとミントのフレアスカートは、彼女の上品さを際立たせている。きょろきょろと視線を彷徨わせながらも、前髪をいじいじ。やがて俺の姿を視認すると、その表情にふわりと花が咲いた。
前言撤回。全然見慣れないわ。
なにこの子……えぇ……可愛すぎない……? 可愛すぎてびっくりしたわ……びっくりして口から心臓がまろびでるところだった……。
特に足を急がせるでもなく、彼女、雪ノ下はてくてくとこちらに歩み寄り、俺の前で足を止めた。
「ごめんなさい、待たせてしまったかしら?」
「いや……今来たとこだ……」
こんなやり取りがむず痒くて、俺の視線は行き場を失ってしまう。雪ノ下もやはり困ったような微苦笑を浮かべていて、頬も僅かに赤らんでいた。
あークソ、顔熱い……なにここサウナ? たしかに俺はプロのサウナーを名乗ってはいるが、今はららぽに来たのであってサウナに来たわけじゃない。
「……てか、まだ時間前だろ。来るの早すぎない? まだマッカン開けたばっかなんだけど」
「あなたの方が早く着いているのだから、そう言われる筋合いはないと思うのだけれど」
「どうすんだよ……まだ十時半だぞ……」
「それ飲み終わったら、ゆっくり見て回りましょう」
仕方ないわね、と言わんばかりに柔らかく微笑む雪ノ下。そこには若干の母性が感じられて、なるほどこれがバブみかと納得する。また新しい真理の扉を開いちゃいそう。
このバブみと人を蔑んだ目で見てる時のギャップがたまらんのですよ。メガネーズにも今度教えてやろう。
なるべくゆっくりマッカンを飲み進め、その間にも他愛のない話をしていても、飲み終えた頃には十分と経っていなかった。
時間の進みが遅く感じるのは、この穏やかな陽気の仕業だろうか。
「なんか、春って感じするよなぁ……」
「そうね」
青く澄み渡った空を見上げて呟けば、隣から短い同意の声が。
出会いだの別れだのと騒がれる春だが、俺は存外、この季節が嫌いではない。人間関係を完全リセットやらなんやらと、そういう意味もあるのだけれど。
このポカポカと暖かい陽気は、俺の心を穏やかにしてくれる。お陰で朝は起きるのがつらいが、それもまた春の醍醐味。
なにより、雪解けと一緒に春変わり、俺を陽の満ちるあの場所へと連れて行ってくれた季節だ。
一度ならず、二度までも。
ならばこれから先、何度だって。いつか終わってしまったとしても。また俺を、陽だまりの中へと導いてくれる。
そんな確信があるのだ。
「さて、行くか」
「ええ」
柔らかな笑顔そのままに短い返事があって、不思議と俺も、自然な笑みが零れた。
近くのゴミ箱で空になったマッカンを捨て、並んで歩き出す。手を伸ばせば触れられる距離を、彼女が歩いている。
でも、流石に今手を伸ばす勇気はなくて。決して触れ合わない、けれどいつかよりも近いこの距離を心地よく思いながら、雑踏の中へと足を踏み入れた。
◆
休日のららぽーとは、主に家族連れで賑わっている。夏祭りなんかと比べれば、そりゃ人混みも多少はマシではあるが、やはり混雑していることに変わりはない。
そんな中で、雪ノ下の足取りに迷いはなかった。そのペースはゆっくりであれども、向かう先は既に決めているらしい。つまり、なにを買うのかも決めているのだろう。
特にどこへ向かうのかも聞かされていない俺は、その三歩ほど後ろをついて歩くだけ。背後から見るその歩き姿は、心なしか上機嫌なようにも思える。ぴょこぴょこ揺れるツインテールは、猫が尻尾を振る様にも似ていた。
でもツインテールだったら尻尾二つになっちゃうな。猫又じゃん。これで猫耳生えてたら完璧だった。
猫耳なぁ……つけて欲しいよなぁ……そんなん絶対可愛いに決まってる……。
と、そんなふざけた思考が筒抜けだったわけでもないだろうが、雪ノ下が不意に足を止めてこちらに振り返る。
キッと俺を見据えて口を開いたかと思えば、直前で出てこなかったのか、なにも発することなく閉じられてしまう。やがては顔も斜め下に逸らされ、しかし視線だけはチラチラと俺を見ながら、ぽしょりと一言。
「そんなに離れられると……困るのだけれど……」
え、は? なに今の……?
めちゃくちゃに可愛かったんだが? やだなにこの子超可愛いんですけど。でも僕、三歩しか離れてなかったはずなんですけどね。そこまで距離が空いてたわけでもないのに、面倒くさい。そこが可愛いんだけど。
あまりの可愛さになにも言えないでいると、一歩二歩と雪ノ下が距離を詰めてくる。開いた距離は、残り一歩分。けれど彼女から踏み出してくることはない。雪ノ下的には、この一歩開いた距離が丁度いいのだろう。
だから、最後の一歩は。俺から踏み出した。
それなりの人が行き交うモールの通路で、ぴったり寄り添う二人の茹で蛸。
周囲の喧騒すら遠く感じ、雪ノ下との間には何とも言えない気恥ずかしさが漂う。
それを誤魔化すように、茶化すように、俺は精一杯の言葉を吐いた。
「今日一日に限り、恋人として振る舞うことを許可するわ」
「……今の裏声は、誰かの真似のつもりかしら?」
一瞬キョトンとした雪ノ下は、すぐに目を細めて絶対零度の声を出す。
あれー? 今、なんとなくいい雰囲気じゃなかった? なんでこのモール、こんなに寒いの? 最近あったかくなって来たからって冷房かけすぎじゃない?
「全く……あなた、相変わらず無駄に記憶力がいいのね」
「無駄には余計だ」
「ぼっちは覚えることが少ない、だったかしら?」
「お前こそなんでそんなこと覚えてるんだよ……お前の方が記憶力おかしいでしょ……」
なんで特に意味のない会話の中で発した言葉まで覚えてるかね。完全記憶能力の持ち主なの? 10万3千冊の魔導図書館なの?
だがもちろん、雪ノ下はそんな特殊能力の持ち主ではなく。
どちらからともなく歩き出した瞬間、小さな、しかし俺の耳にしっかり届く声で、たしかに呟いた。
「別に、なんでも覚えているというわけではないわ。大切なことは、忘れないようにしているだけ」
穏やかな微苦笑を見て、つい、足を止めてしまった。数歩先に行った雪ノ下が怪訝そうに振り返るが、それになんでもないと被りを振って、もう一度隣に並ぶ。
嬉しかった。俺との、俺たちとの何気ない会話のひとつひとつが、雪ノ下にとって大切なことだと、記憶に残すに足るものだったと。そう言われて。
本当に、嬉しかったのだ。
以前、プロムのいざこざがあった時にも、似たようなことは言われた。楽しかったと。初めてのことばかりで、本当に楽しかったのだと、まるで別れを告げるような口ぶりで言われた。
けれど今は違う。別れを告げるなんてとんでもない。むしろその逆。きっと雪ノ下は、これからもずっと続く俺たちとの未来も、記憶に残し続けてくれる。
そのことが嬉しくて堪らない。
「ついたわ」
「……いやまあ、なんとなく察してたけどね?」
さて。そんな雪ノ下さんが足を止めたのは、もはや雪ノ下にとってホームグラウンドと言っても差し支えない店。ディスティニーショップだ。
なーんか前にも似たような道をこいつと歩いたなー、とか思っていたら、案の定である。
「なにか不満でも?」
「別に」
むしろ、ディスティニーショップは御誂え向きとも言える。一色がディスティニーキャラ
を好きなのかは知らないが、プレゼントを選ぶのであれば十分な品揃えだ。実際、俺の湯呑みは恐らくここで買ったのだろうし。
湯呑み以外にも、なにかしらの小物や雑貨は置いてあるだろう。
堂々と入店した雪ノ下が向かう先は、もちろんここ。
パンさんコーナーだ。
だよね。知ってた。マジで足取りに迷いがなさすぎる。
ついでに商品棚へ向けられた手にも迷いがない。手乗りサイズのパンさん人形を取り、首を傾げながらニギニギ。どうやらご満足頂けなかったのか、そのパンさんは棚へと戻される。続けて次の人形を手に取るのだが……。
「それ、同じのじゃね?」
「黙って」
はい。八幡黙ります。
真剣な表情でパンさんと睨めっこ。最初に取ったのと全く同じデザイン、全く同じ大きさに見えるが、どうやら雪ノ下には違って見えるらしい。違いが分からん……。
待っているだけなのもあれなので、俺も店の中を物色することに。ワンチャンここでプレゼントを見繕うことが出来れば、後は自由時間。一色のプレゼントに拘束されることなく、雪ノ下とこのモールで遊べるというわけだ。
まあ、ほら、せっかくだしね。せっかく二人で来たんだし、後輩のプレゼント買う以外にもね。
ショップ内を彷徨いている俺は、おしゃまキャットメリーちゃんのコーナーに入った。ここなら猫耳置いてあるかなーとかいう浅はかな考えなのだが、やはり置いてあった。以前、クリスマスイベント前に大人数で行ったディスティニーランド、そこで雪ノ下がつけていたものと同じ猫耳が。
なんとなしにそれを手に取り、しげしげと眺めながら想像する。猫耳つけた雪ノ下。うん、やっぱりいい。以前ディスティニーランドで見た時は不意打ちだった上にすぐ外してしまったから、実はイマイチ記憶に残ってなかったりする。おまけに俺はカメラマンだったしね。
頼んだらつけてくんないかなーと考えていると、服の裾をクイっと引っ張られた。こんなことをして来るやつは一人しかいないので、特に驚くこともなく振り返る。
それにしても、俺の服の裾やら袖やら引っ張るの、癖になってません? 可愛くていいんだけどね。
「買うもん決めたか?」
「ええ。とは言っても、これは個人的な買い物なのだけれど」
「そうですか……」
うーんデジャヴ。一年前もここで個人的な買い物してませんでした? いやいいんだけどね。パートナーとして、君の趣味は尊重したい限りなので。
「ところで、それは?」
「ん?」
雪ノ下が指差す先には、俺の持ってる猫耳が。怪訝そうな、というより、丸っ切り不審者を見る目を向けられる。
「待て、違う誤解だ待て」
「まだなにも言っていないのだけれど……」
呆れたようにため息を吐いた雪ノ下は、貸して、と言って俺の手から猫耳を奪い取った。
いきなりどしたのかしらん、と思っていると、おもむろにその猫耳を装着する。
猫ノ下さん、爆誕である。
え、マジでいきなりどうしたのこの子?
「どう、かしら……?」
頬を薄く染めて、はにかんだ笑顔が浮かぶ。艶やかな黒髪の上に乗せられたピンクの猫耳は、果たして俺から理性を奪うほどの威力を誇っていて。
「よし、写真撮ろう」
「えっ」
「ほれ、ポーズ決めて」
「ちょ、ちょっと、比企谷くん」
「はい、ピーナッツ」
スマホでパシャリと一枚。ついでに二枚目三枚目もパシャリパシャリ。撮影したばかりの画像を見ると、一枚目は焦ったような、二枚目三枚目は止めるのを諦めたのか、恥ずかしげに俯いている姿だ。
はーほんま、舐めてんの? 可愛いがすぎるだろこんなん。
「……あなたもつけなさい」
「は? 俺はいいよ。お前がつけた方が可愛いし」
「かわっ……」
「いや、マジで可愛い。ツインテールに猫耳っていいな……いい……最高……」
語彙力を遥か彼方へ消し去り、こんな天使を生み出してくれたこの世界に感謝の心でいっぱいになる。
前に海浜公園でも同じことがあった気がするが、雪ノ下はその時と違い、今回は手に持っている二つのパンさん人形で顔を覆う。そんな姿もまた可愛い。
ふと、不思議なことに気づいた。
パンさん人形二つ? なんで二つ持ってんの?
お陰で正常な思考が秒で戻ってくる。怪訝な目をパンさんに向けていたのだが、どうやら雪ノ下さん、負けず嫌いを発揮してしまったようで。
「あなたもっ、つけなさいっ」
「ちょ、待て待て落ち着け分かったから!」
自分のつけていた猫耳を外し、それを手に持ち俺に無理矢理つけようとしてくる。身長差のせいで背伸びしている雪ノ下は、気づいているのだろうか。
ゼロ距離まで密着している身体と、ほんの数センチ近づければ触れ合ってしまいそうな顔の距離に。
自分の頬が熱くなるのを自覚する。けれど雪ノ下は離れてくれず、結局猫耳も俺の頭にパイルダーオンされ、満足そうに離れていった。さっきの近さには、気づいてなさそうだ。
「よく似合ってるわ」
「めっちゃいい笑顔で言うなよ……」
「ほら、写真撮るわよ」
「お好きにどうぞ……」
パシャリとシャッター音が四回。俺より一回多いのは、やはり負けず嫌いなせいか。
むふー、と満足げに息を吐くと、撮影した写真を見せてくれる。
「ふふっ、目が腐った猫ね」
「うわぁ、絶望的に似合ってねぇな」
「そう? 私は可愛いと思うけれど」
「男に使う褒め言葉じゃないからな、それ」
「いいじゃない。あなた、自覚がないだけで、意外と可愛いところは多いわよ?」
「やめて……可愛いって言わないで……」
恥ずかしさのせいかは分からないが、なんか背中のあたりがゾクゾクする。なに、これあれなの? 仕返しされてんの? 俺が軽率に可愛いとか言ったから? それこそ可愛いとしか言いようがないんだが。本当に可愛いのは俺じゃなくてお前だよ。
なんてじゃれ合いのようなやり取りを続けていると、さすがに店員さんから注意された。うん、まあこの猫耳、売り物だもんね。あんまりつけたままにしてるのもダメだもんね。
かと思いきや、雪ノ下さん、まさかの猫耳ご購入。二つのパンさん人形とともにレジへと持っていった。
いや、待って待って、それまさかだけど、俺につけさせる用? 自分でつけるやつじゃないよね? てか自分でつけてにゃーにゃーとか鳴いてもいいのよむしろ鳴いてくださいお願いします。
「さあ、プレゼントを選びに行きましょうか」
「おう……」
ホクホク笑顔の雪ノ下を見ていると、猫耳の使用用途について聞けるはずもなく。
俺たちは一色のプレゼントを選ぶため、ららぽーとの中を彷徨うのだった。
◆
春とは言え、陽が沈んでしまえばまだ少し肌寒い。忘れた頃に冷えた風が海から運ばれ、首筋を撫でる。身体を震わせながら、でもあと一週間くらいしたらまた暑くなってくるんだろうなぁ、とめちゃくちゃになってしまった感のある日本の四季を憂いながら、隣を歩く雪ノ下をチラと見やる。
現在時刻十八時過ぎ。結局、八時間近く雪ノ下とららぽーとで遊んでいた。
というのも、プレゼント選びが思いの外難航したのだ。雪ノ下は元から決めていたみたいで、一色用のティーカップを。
しかし俺はと言えば、全くのノープランなままに今日を迎えたから、色んな店を回って、時に休憩を挟み雪ノ下と雑談して、また店に入っては雪ノ下とじゃれ合いのようなやり取りを繰り広げ。
なんか、そんな感じで過ごしていると、時間はあっという間に過ぎてしまった。
結局一色へのプレゼントは無難なところで、なんかあざといデザインの手鏡にした。身につける系はちょっとなんかあれだし、てか雪ノ下がいる身で他の女子にそういうの上げるのってどうかなーとかも思うし。いやでも雪ノ下とはそういう関係じゃないんだけど。
だからと言って適当な消え物にするのは、あまりに味気ない。あのあざとい後輩とは、なんだかんだとそれなりの関係だ。時に助けて、時に助けられて。そんな相手に対しての誕生日プレゼントが、保湿クリームだのいい匂いのする石鹸だのってのは人情に欠けるだろう。
ということで、帰り道。できれば近付きたくはない雪ノ下家へと娘さんをお送りしているその道中。
「ここまでで大丈夫よ」
雪ノ下の家が近くなってきた辺りで、不意にそう言われた。しかし辺りはすでに少し暗く、一人で帰すには不安だ。
たしかに雪ノ下家に近づけば、ははのんあねのんにエンカウトしてしまう確率が跳ね上がるし、出来ればそれはご遠慮願いたいところなのだけど。それでも、万が一のことを考えればそんなこと安いもんだ。
「家まで送るぞ」
「あなた、うちの母にはあまり会いたくないでしょう? この前家に来た時なんて、酷い有様だったじゃない」
「やめろ思い出させるな……」
数日前に招かれた雪ノ下家での食事を思い出せば、顔はげっそりして目は死んでしまう。あんな魔王の城、二度と足を踏み入れたくない。ていうか、展開が早すぎるんだよ。たしかに雪ノ下との関係は、まあ、そういうんじゃないとは言えそれなりの変化を見せたけど、だからって早速魔王城突入は無理がある。RTAやってるんじゃないんだぞ。
「まあ、見ている分には面白かったけれど」
「見てるだけならそうだろうな」
言外に、お前も他人事じゃないぞ、と告げてみれば、深いため息が。
そう、他人事じゃない。俺にとっては言わずもがな、雪ノ下にとっても。そうありたいと、当事者でいたいと願った、そのツケが回って来ただけのこと。
「つーことだから、ちゃんと家まで送る。今度お前の姉ちゃんに会った時、なんか言われても癪だからな」
「そういうことなら、仕方ないわね」
素直に心配だと言えないあたりは、俺が俺である以上仕方ないこと。
再び夕暮れの中を歩き始める。伸びた影は一つに重なり溶け合って、互いの境界線を曖昧にしていた。ほんの少し照れ臭くなって、それでも一つが二つになることはない。
言葉はなく、ただ静かで穏やかな道のり。時折そばを走る車の音以外には、歩幅の違う足音が刻まれるだけ。
そんな心地のいい時間に身を浸していた。
だが、そんな時間にも終わりはやって来る。
なんでって魔王城に辿り着いちゃったからね! もうちょっと探索とかさせてくれても良かったのよ?
「比企谷くん」
足を止め、体ごと俺に向き直った雪ノ下に、名前を呼ばれる。空の青を写した瞳が、俺を捉えて絡めて離さない。
ここが雪ノ下家の前だということも忘れ、彼女に魅入ってしまう。
名前を呼んでしかし、続く言葉を発さない雪ノ下は、深呼吸を二度三度と繰り返し、手に持っていた袋からなにかを取り出した。
「これ……よかったら……」
ららぽーとでなぜか二つ買ったパンさん人形、その片割れだ。猫耳騒動やらその後プレゼントを選ぶのに四苦八苦したのやらで忘れていたが、そう言えばなぜ二つ買ったのかを聞いていなかった。
しかし、雪ノ下もそろそろ理解してくれてもいいと思うのだが。俺がなんの理由もなしに、他人から物を受け取るなんて。そんなの、第一声はいろはすもびっくりの丁寧なお断りに決まっているのに。
それが仮に、なんの意味もない形式上の言葉だとしても。
口を開こうとして、しかし。はにかんだように笑った雪ノ下を見てしまって、俺の声帯が震えることはなかった。
「その、せっかくの……デート、だったから……」
言ってから羞恥心が湧いて来たのか、ぶわっと擬音が聞こえて来そうなほどに頬を赤く染める雪ノ下。
果たして今日は、デートなんて大層なものだったろうか。ただ後輩の誕生日プレゼントを選ぶため、一緒に出掛けたに過ぎない。けれどその実態は、今日一日はどうだったろう。
思い返そうとして、そんな必要すらないほどそれらしいことをしていたと気づき、今更ながら顔が熱を持つ。
俺からの返事がないことに不安を抱いたのか、雪ノ下の表情に僅かな影がさす。差し出されていたパンさんを乗せた手は、力なく下されようとしていた。
……全く、めんどくさい。本当にそう思う。けれど同時に、そんなところがこの上なく可愛くて。愛らしくて。
「まあ、せっかくで、……出掛けたんだし、な……」
下されかけていたその手を取り、パンさんを半ば奪うように受け取った。掴んだ手首は、あの時と同じで驚くほどに細い。力加減を間違えれば、折れてしまうのではと錯覚する。
デート、と言えなかったのは、寸前でヘタれたというか、怖気付いたから。きっとその言葉を口にしていれば、あまりのおぞましさから来る自己嫌悪に耐えられなかった。
でも、雪ノ下が今日のことをそう思ってくれていたのは、素直に嬉しくて。
傾いた夕焼けよりも紅くなった彼女の顔は、驚きに染まっていたけれど。ソッと手首を離してやれば、口元は弧を描いてくれる。
「ありがとう」
「いや、お礼言うのはこっちでしょ……なんでお前が言っちゃうの……」
「受け取ってくれて。それから、今日、来てくれて。楽しかったから」
「……だとしても、変わらねえよ。ありがとな」
互いに礼を言い合うのがなんだかおかしくて、顔を見合わせて吹き出した。
さて。受け取ってしまったパンさん人形はどうしようか。部屋に飾っていれば、目敏く見つけた小町に何か言われそうだ。
それでも、まあ、せっかく貰ったのだし。
パンさんオタクに怒られない程度には、大切にしよう。