三寒四温なんて言葉は無くなればいい。
そんなことを思うのは、季節の変わり目にその苦しさを嫌という程味わってしまった時だ。
つい先日までは暖かいと言うより、最早暑いと言えるほどの気温をマークしていた癖に、今週に入ってから一気に気温が下がった千葉。
特に俺の主な活動範囲は臨海部に位置しているため、その影響をモロに受けていた。
端的に言うと、風が物凄く冷たいのだ。
秋を通り越してもう冬なんじゃねぇのってくらいに寒い。
そんなに寒いくせに、昨日の俺はなにをトチ狂ったのか、夜中にアイスを食っていた。
寒い時に食べるアイスは最高だぜ! とか思ってたのもその時だけ。やっぱり寒い時にアイスなんて食べるもんじゃ無い。あれは夏に食うものだ。その癖、冬でも御構い無しに季節限定とか出すからたまったもんじゃない。でもそんな時に食うからこそアイスは美味いと言う意見を曲げることはない。
まあなにが言いたいかと言うと。
見事に風邪を引きました。
その一言に尽きる。
そして今日は金曜日。平日だ。小町は学校に行ってるし、両親もいつもの如く社畜三昧。
母ちゃんだけでも今日は早めに帰って来てくれるとか言ってたので、なんだかんだ優しい母親だなぁ、なんてほっこりしていたのも束の間。
これヤバイ。滅茶苦茶寂しい。
風邪の症状としては発熱と頭痛だけで済んでいるものの、なんか凄い心細い。
ひとりぼっちの寂しさなんて慣れていたと思っていたのに、ちょっと体が弱っただけでこの体たらく。
多分小町が家にいないのが拍車をかけているのだろうが、それだけでは無い。
現在時刻は十六時。いつもなら放課後になり、部室へと足を向けている時間帯だ。
「あいつに会いたいな......」
ほぼ無意識のうちに漏れ出た言葉に、つい頬が赤くなるのを自覚する。
この家には今俺一人しかいないので、別に誰かが聞いてるわけでもなしに。強いて言うならさっき俺の部屋から出て行ったカマクラくらいか。
でも、そうか。俺はあいつに会いたいのか。
今メールを送ってそれを伝えるのは迷惑だろうか。そもそも俺は風邪を引いてるわけで、呼んでしまったら移してしまう危険性だってある。それは避けたい。
けれど、そんな思考とは裏腹に指先はスマホの上を滑る。三年になってから俺のアドレス帳に追加されたそこをタップして、熱のせいでボヤけた思考の中、たった一言だけ書いてメールを送った。
送ってしまえば余計に寂しさが募ると言うもので、俺はただそれだけの事を思って、眠りについた。
あいつに、雪ノ下に会いたい。
************
来てしまった。
つい、勢いのままに、来てしまった。
私の目の前には数度訪れたことのある一軒家。訪れたことのある、といってもその回数は片手で数えられるし、もっと言えばその時は小町さんがいつも一緒にいた。
今、この家に小町さんはいない。それどころかご両親もお仕事でまだ帰っていないらしい。
正真正銘、二人きり。
いえ、何を考えているの雪ノ下雪乃。私は今日お見舞いと看病に来てあげただけであり、それ以外の何物でもない。疚しいことなんて何もないのよ。
それに、あんなメールが放課後直ぐに届いたのだから、ここに来る以外の選択肢なんてあるわけ無いじゃない。
まさかあの比企谷くんが、寂しい、だなんて言うとは。
メールだったので、正確には言っていたわけでは無いけれど。些細な違いだ。いつもの彼なら寧ろ、私に移るからと言って何が何でも家には入れさせないであろう。そんな彼が、たった一言。寂しい、とだけ打ってメールを送って来た。
不謹慎ながら嬉しいと感じたのは許して頂きたい。
さて、いつまでもここでこうしている訳にもいかない。小町さんから預かった比企谷家の鍵をカバンの中から取り出す。
所で、他人である私に家の鍵を預けられる小町さんは少しどうかと思うのだけれど。信頼してくれている、と好意的に解釈してしまえばそれまでだが、もう少し危機感というものを持って欲しい。
無いとは思うけれど、これがもし私以外、例えば一色さんなんかだといつの間にか合鍵を作ってるなんて事もあり得ない話では無い。流石に一色さんに失礼かしら?
閑話休題
覚悟を決めて、いざ鍵を開ける。その際手が震えてるように思えたが、断じて緊張からでは無い。これは武者震いというやつだ。私は誰に言い訳しているのかしら?
「お邪魔します......」
扉を開いて玄関に入ると、以前訪れた時となんら変わらない、比企谷家の景色が広がっている。逆に変わっていたら少し怖い。
誰もいない静かな他人の家に入る事なんて経験したことがないので、少し身が縮こまる。
一先ずは二階のリビングに荷物を置かせてもらおうと思い、階段を上がってリビングの扉を開いた。
そこで私を待っていたのは、私がこの世で最も愛していると言っても過言ではない、いえ、寧ろ愛していると言う言葉では足りないレベルで愛している存在。
「にゃー」
「あら。ふふ、お久しぶりねカマクラ」
そう、猫である。
もっと言うなら、この家の飼い猫、カマクラ。
カマクラは私がこの家に入って来た時に既に来客に気づいていたのか、リビングの入り口で私を出迎えてくれた。
猫に出迎えられるなんて、今日はこれだけでも来た価値があったわね。一層の事毎日出迎えてくれたら嬉しいのだけれど。
一人暮らしとは言え未だ学生の身。猫を飼うほどの余裕もなければ、今のマンションがペット禁止でもある。働き始めて安定した収入を得ることが出来れば、早々に引っ越して猫と共に暮らしたいものだ。
あぁ、カマクラが私の足に擦り寄って来たわ......。可愛い......。
「にゃー」
「にゃー......」
しゃがみ込み、この愛くるしい生き物を撫でまわそうとして、すんでのところで留まる。
待て、待ちなさい私。今日はそうではないでしょう。
今日は比企谷くんのお見舞い、延いては彼の看病に来たのだから。ここでカマクラに構ってしまえばどうなるのかなんて自明の理。
ここは心を鬼にするのよ。
「ごめんなさいね。今日はあなたのご主人様のお見舞いに来たの。だから、あなたと遊ぶのはまた今度ね」
カマクラを一撫でしてからカバンをリビングの端に置きに行く。
ダメよカマクラ、そんな目で私を見ないで。また心が揺れ動いてしまうわ。
最早心を鬼どころではない。修羅と言っても過言ではないだろう。それ程までに固い決意を持って、私はキッチンの方へと向かった。
ここに来るまでに買って来ていた食材を冷蔵庫の中へと仕舞う。
お粥を作るくらいの食材はあるので勝手に使ってくれていい、と小町さんには言われたのだけれど、流石に気が引ける。
「さて、と......」
リビングに架けられている時計を見ると時刻は十八時前となっていた。今からお粥を作ったら丁度いい時間に仕上がりそうだが、一先ずは比企谷くんの様子を確認しに行こう。
もしかしたら眠っているかもしれないけれど、もし起きていたなら挨拶くらいしておくべきであろう。
取り敢えずブレザーを脱いで、ハンガーラックに架けさせてもらう。
リビングを出て比企谷くんの部屋に向かうと、私の後ろからトコトコとカマクラがついて歩いてきた。
「あなたも比企谷くんの様子が気になるのかしら?」
カマクラに懐かれないとは比企谷くん本人の談だが、この様子だと彼の思い過ごしではないかしら。
それとも、比企谷くんの様子が気になるのではなく、私に懐いているからついて来ている、と言うことかも。そうだったら嬉しい。
そして辿り着いた彼の部屋。その扉の前。
ここまで来てなんだか無性に緊張して来たわね......。いえ、彼の部屋に入ることだって初めてと言うわけではないのだから、そこまで緊張する必要も無いわ。
ノックは、した方がいいのかしら? でもそれで起こしてしまったら申し訳ないし。
と言うかよく見たら扉が少し開いているじゃない。これでは隙間風などが入り込んで寒いのではないの。
なんて考えてモタモタしている隙に、カマクラが器用に扉を開いて中へ入ってしまった。
こうなってしまっては仕方ない。少しばかり礼儀作法としては正しくないが、ノックはもう良いだろう。カマクラに続いて私も入室してしまいましょう。
カマクラが開けたお陰で半開きになった扉を後ろ手で閉め、目の前のベッドへと視線を移す。
比企谷くんは、穏やかに寝息を立てていた。
私の入室によって目覚める気配は無く、随分と熟睡している様子だ。
カマクラはどうするのかと思うと、ベッドの上に飛び乗って、比企谷くんが被っている掛け布団の中へと潜り込んでいった。
私はどうするべきだろうか。
彼を一旦起こす? いえいえ、こんなにも熟睡しているのだから、それは可哀想だろう。
ならリビングへと引き返す? それはダメ、と言うより嫌ね。もう少し、彼の寝顔を見ていたいし。
自問自答するまでもなく答えは決まっていたようだ。
ベッドの前まで歩いて行き、その端に腰掛ける。
スプリングの軋む音が静かな室内に響く。それで彼が起きないか心配になったが、寝息は未だに聞こえて来る。
「こうして見ると、可愛い顔をしているわね......」
やはり彼の顔は整った方に見える。それはあの腐った目が閉じられているからだと思うけれど。
でも、どちらかと言うとカッコいいと言うよりは可愛い顔だ。それも寝顔だから、と言う理由があるかもしれないが。
小町さんの話では、昨夜遅くにアイスクリームを食べていたのだそう。この寒くなって来た時期に、なんともまあ馬鹿な真似をするものだと呆れる。
「本当に、馬鹿な人......」
でもため息は溢れず、私の顔は自然と笑みを形作る。
本当、いつも馬鹿なことばかりして。
でも、そんなところも愛おしく感じてしまうあたり、私も相当彼に参っているのだろう。
手を伸ばして、彼の頭を撫でる。先程はカマクラを一度しか撫でられなかったから、その分彼を撫でさせてもらおう。
なんとも無茶苦茶な理論だが、そんな事を考えられるようになったのも比企谷くんのお陰。
「んんっ......」
「あら」
頭を撫でていると比企谷くんは少し不機嫌そうに身動ぎした。寝ているのに何故不機嫌そう、だなんて言えるのかは無視して頂けたらありがたいわ。
その様が、私の好きな猫に似ていて。
どうしようもなく愛しさがこみ上げる。
比企谷くんと猫の組み合わせなんて最高としか言いようが無いじゃない。ここにパンさんが加わればもっと最高なのだけれど、欲は言うまい。
そんなこんなで暫く彼の髪の毛を撫でたり、ピョコンと一房だけ跳ねている髪をみょんみょんして遊んでいたりすると、その瞼が開き、腐った瞳が露わとなった。
「おはよう比企谷くん。気分はどうかしら?」
「......なんでいんの?」
これはまた失礼な言葉を頂いてしまったものだ。いつもならここぞとばかりに罵倒を浴びせている所だが、彼は病人なので自重。
私の質問に答えてくれる事を黙って待つ。
「......最悪だけど最高だよ」
どうやら私の意図が伝わってくれたらしく、質問には答えてくれた。
が、要領を得ない答えが返って来た。
「なにかしらそれ。最悪なのか最高なのかどちらなのよ」
しかしその言葉の意味は直ぐに理解できた。
ただ、その意味も含めて、そんな返答がどこか可笑しくて、思わずクスクスと笑ってしまう。
笑っている私を見てまた不機嫌そうな顔をするものの、諦めたかのようにため息を零している。
寝起きだと言うのに随分と頭が回るようだ。
「手......握ってくれるか......?」
何の脈絡も無く唐突に発せられた言葉。
思わず耳を疑ってしまった。
この捻くれた彼がああしてメールで伝えてくれたのは、互いに顔を見ずに済むからだと思っていたのだが。まさか面と向かって話している今もそんな事を言ってくれるとは。
それだけ寂しかったと言う事なのだろうか。
「ええ、喜んで」
なら私のする事は一つ。
彼の寂しさをこうして和らげてあげるだけ。
布団から出して来た彼の左手を、優しく包むように、両手で握る。
まだ熱は下がっていないのだろうか。触れた手はいつもより熱く、温かい。
その温もりを離したくなくて、ついギュッと握り締めてしまう。
比企谷くんはそれに気分を害した様子を見せず、それどころかまたうつらうつらとしている。
「もう少し寝ていなさい」
半分ほど瞼は閉じてしまっていて、もう殆ど意識は無さそうだ。
私がこうする事で彼に安心感を与えられたと言うのなら、これ程誇らしいものはない。
「おやすみなさい、比企谷くん」
「おやすみ、雪ノ下」
その言葉を最後に、彼はまた眠りについた。
あどけない、幼気なその顔を見てしまうと、どうしても胸に込み上げる愛しさ。
まるでこのまま目を覚まさないのではないかと錯覚させるほど、彼の寝姿は絵になっている。
目を覚まさないなんて、そんな事あるはずもないのに。
でも、どこか不安になってしまっているのは事実で。
どうしてもその不安を埋めたくて。埋めて欲しくて。
彼の手を握ったまま、同じ布団に入り込んだ。
「......お邪魔します」
本日二度目の言葉ではあるが、一度目よりも熱のこもった言葉になってしまったのは気のせいではないだろう。
入り込んだ布団の中でなんだかモゾモゾと動く感覚があったと思うと、私が寝そべっている反対側からカマクラが出てきた。
ごめんなさい、少し窮屈になってしまったかしら? でも許して頂戴ね。
心の中だけで謝罪していると、カマクラはそのまま比企谷くんのお腹の上に乗りそこを新たな寝床とした。
やっぱり比企谷くんも懐かれているじゃない。
そんなペットと主人の様子に顔を綻ばせていると、私にも睡魔が襲って来た。
欠伸をするのははしたないので咬み殺す。
このままここで眠ってしまうのもいいけれど、その前に一つだけ。
「私を不安にさせるだなんて、比企谷くんの癖に生意気よ」
言いながら、握っていた手を離す。少し上体を起こし、彼の唇に自分のそれを重ね合わせた。
彼が起きている時にこうして自分から出来たら良いのだけれど、それが中々出来ないことに歯痒さを感じる。
先程まで両手で握り締めていた手を、今度は腕ごと抱き締めるようにして、私は瞼を閉じた。
************
ふと、目が覚めた。
朝方感じていた頭痛や体のだるさは完全とは言わないものの、ある程度マシになっている。
だと言うのに、腹の上と左腕に違和感を感じる。
その違和感の正体を探るように、まず腹の上から見てみるとカマクラが寝てた。
うん。まあこれはいつもと同じ事だ。俺が昼寝してると気がつけばこいつが腹の上に乗ってたりするからな。
問題は、先程からチラチラと視界の端に移る綺麗な寝顔の方。
雪ノ下雪乃は、俺の左腕を抱き締めて、俺と同じ布団に入って眠っていた。
なにこれ。
なぁにこれ〜?
OK、慌てるな比企谷八幡。クールだ。クールになるんだ。比企谷八幡はクールに去るんだ。いや去っちゃだめだろ。てか去れない。思いの外強い力で左腕ががっちりホールドされてる。
まずは記憶を辿ろう。
何故雪ノ下が俺の家にいるのかは分かる。俺がトチ狂って送ってしまったメールが原因だろう。
まさか本当に来てくれるとは思わなかったっていうか、三年のこの時期に来させるわけには行かなかったのだが、まあ来てしまったものは仕方ない。
そこは俺の心の弱さが原因だ。
では何故雪ノ下が俺の左腕をがっちりホールドして、あまつさえ同じ布団で寝ているのだろう。
一度、目が覚めたのは覚えている。こいつに手を握ってくれと、熱に浮かされた頭で甘えたのも覚えている。
.........うん、どんだけ思い返してもそんだけだな。俺の記憶の中にはこいつが俺の布団に忍び込む原因になるようなものは何もなかった。
て言うかですね、あの、さっきから腕に色々とやわこい感触が当たっててですね......。
お布団が見事に山を作ってしまっていると言うかなんと言うか......。
よし、思考を切り替えよう。
今何時だ。
「って、もう二十時かよ......」
枕元に置いてある携帯で時間を確認してから思わず呟く。
ついでにメールの通知があったので、そっちも確認。左腕を動かすことが出来ないのでやり難い。
メールは小町からだった。要件は至極単純。
『雪乃さんが起きるまでそのままでも良いからね〜。なんならそのまま姪っ子か甥っ子に会わせてくれると小町的にポイント高い! あ、でもお母さんが十九時半には家に着くって言ってたから気をつけてね!』
との事だ。いや、なんも単純じゃねぇよ。何言ってんのこいつ。ついでに俺と雪ノ下とカマクラが寝ているスリーショット写真まで添付して来やがる始末。そこは良くやったと褒めてやろう。
てか母ちゃん帰ってんのかよ。やだなぁ。これ絶対母ちゃんにも見られてるやつだよ。んで親父が帰って来た頃に家族会議だよこれ。どうせまた親父に美人局がどうやら美人はうんちゃらと聞かされて、それを見た小町に親父がまた嫌われるまでがセットだ。
「しっかし、なんだかなぁ......」
特に意味の無い独り言(特技)を漏らす。
別に雪ノ下とこうしている事が嫌なわけでは無い。寧ろ嬉しい。
ほら、俺と雪ノ下も一応そう言う関係なわけだし? こうしているのは特に変な事でもないのだ。
据え膳食わぬは男の恥、という言葉がある。
第三者から見ればまさしく今の状況こそ当てはまる言葉ではなかろうか。誰だってそう思う。俺だってそう思う。
しかし、こうも無防備で緩みきった寝顔を見せられると、手を出せるわけがない。
そんな姿を俺に見せてくれている。それだけで込み上げる何かがある。
でもやっぱり何もしないと言うのも味気ないので。
俺は雪ノ下の方に寝返りを打って、彼女の体を抱き締めた。
その際飛び跳ねる物体が視界に映ったが、そう言えばカマクラが腹の上で寝てたんだった。悪いなカマクラ。今度高めのキャットフード買ってくるから許してくれ。
「あったけぇ......」
心も、身体も。
温かくて、このまま溶かされてしまいそう。
こいつにメールした時の寂しさなんて既にどこへ行ったのか分からない。
ただ、この温もりを何時迄も感じていたくて。
俺は再び夢の世界へ旅立った。