はじめにポケモンに触れていたのは、戦人の妹の縁寿だった。
かわいいから。おもしろいから。いろいろ評判を聞いているうちに、縁寿と仲がいい真里亞も食いついてきたわけだ。
『お兄ちゃんも一緒にやろう?』
『うー! 戦人もいっしょ!』
かわいい妹と従妹に頼まれれば、断る理由は欠片もない。
そんな中、ポケモンは大人も嵌っているのだとネットで見かけた。
『へー、大会もあるのか。努力値とか固体値とか、結構凝ってるんだなぁ』
いろいろ奥が深いものだと感心していると、後ろから声が。
『まあ、アホのお前には一生理解できねぇだろうな』
『痴呆に片足突っ込んでるクソ親父はクリアすら無理だろうな』
『『………』』
もはや"はじまり"がなんだったのかイマイチ覚えていない。
たしか、そう、今のように父親である
結果として戦人も留弗夫も肉親にだけは負けたくないと意地を張ってしまい、真里亞たちそっちのけで徹夜プレイである。
『分かってんだろうなクソ息子! 対戦で負けたらお父様の命令はなんでも聞けよ!』
『それは無理だなクソ親父。そっちこそオレに負けてウ●コ漏らすなよ』
漏らすわけねぇだろ! うるせー! などと、言い合い。
あまりにも大人気ないやり取りだった。親子喧嘩にポケモンを使い、相手に勝つために『ガチ勢』になる。
なんと間抜けな話しか。しかし戦人たちは本気だった。中途半端に諦めたらバカにされる。戦人は学校の中でも、留弗夫は会社の中でポケモンプレイである。
もう何度育て屋の前を走ったか。
いくつタマゴを生んだことやら。
アスレチック、ポケマメ、ポケルス、金の王冠――……。
そしてまさかそんな事で蓄えた知識や経験が役に立つ日がこようとは。
「ゲームのルールをおさらいするぞ」
上位世界・"蘭の花畑"。そこにある椅子に、戦人と真里亞は座っていた。
向かいにはエルドヴィッヒが座り、血でできたワインを飲んでいる。
「オレと真里亞には飲み物もなしかよ」
「当然だろ。お前らは獲物だ。いずれ死ぬクズに気を遣う必要はない」
話の続きだ。提示されるゲームのルール。
「ポケットモンスター第二世代にはレッドと言うトレーナーが出てくる。私は断言する! ヤツは死んでいると!」
それを否定できれば戦人たちの勝ちだ。
真里亞を纏う呪いは消え去り、魔女の心臓がさらけ出される。
「魔女のチェスにはお馴染みである赤き真実、青き真実の使用にて勝敗を決する」
キィィンと高い音を立てて浮かび上がる赤い文字。
ドォオンと低い音を立てて浮かび上がる青い文字。
この二つによるやり取りこそが、駒を動かす方法と言ってもいい。
先ほど戦人が青で真里亞を助けたように、赤は魔女の、青は人間の、武器となるのだ。
「赤で語られることは全て真実! 一切、疑う余地のない情報だ」
一方で青き真実は、『遅効性の赤き真実』とでも言えばいいだろうか。
青き真実で提示した仮説を、ゲーム終了時点までに魔女が赤で否定できなければ、たとえそれがどんな暴論であったとしても真実とされて戦人の勝ちとなる。
ひとつ例を紹介しよう。
『謎を解け』
が、勝利条件で、問題が――
『戦人が密室でグチャグチャになって死んでいるのが発見された。真相は?』
――だったとする。
正解は、室内に入った戦人が、自分で鍵をかけて、持っていた手榴弾で自爆した。これが真実である。
だがもしも青き真実で。
『壁をすり抜けることができる宇宙人が発射した爆発光線を受けて、戦人は死亡した』
と、提示する。
それを赤で否定できなければ、それが真実となり、勝利条件を満たすことができるのだ。
今回の勝利条件も同じである。もちろんハッタリや適当な言葉などすぐに赤で返されるだろうが、とにかくどんな方法を使ってもレッドが生きていることを説明できればいい。
青による仮説。生きている理由、死んでいない理由を並べれば、青は魔女の鎧を引き剥がせるかもしれない。
「レッドの情報は? まあ知らなくとも教えてやらねぇけど。カカカ!」
「ナメんな。ハートゴールドを最近徹夜でプレイしたからな。よく知ってる」
「カッ! 結構! ちなみに金の主人公の名前は"ヒビキ"とする」
さらに追加でひとつ。
ポケットモンスターとは、つまりゲームである。ゲームとはすなわちフィクション。
「だが偽書の海を泳いだお前ならば分かるはずだ。ポケットモンスターと言う
「………」
無言でうなずく戦人。
要するにゲームではあるが、ゲームではない。
だがもちろんゲームとして考えるのもひとつの手だ。そのあいまいな線引きは、すべて戦人の考えにゆだねられる。
例えばポケモンのゲームではトレーナーが寝ることはないが、盤の中ではそんな事はない。
トレーナーは人間だ、眠らなければ死んでしまう。
この些細な『違い』の中に、重要なポイントがあるかもしれない。
赤でどんな情報が提示されるのか、青をどうやって通すのか。戦人は小さくため息をついた。
「……分かった。問題はないぜ」
「では始めるか。歪なる夜の宴! 我のゲームを!」
蘭の花畑に突如現れる巨大なモニター。そこには大きな山が映し出された。
すぐにドットに変わる世界。『金・銀』の映像が映し出される。
そこには帽子を被ったトレーナー、かつての『赤・緑』で主役を張った男が映し出された。
「ポケモントレーナーの"レッド"は、この山頂にいるところを、プレイヤー……、つまりヒビキに発見され、話しかけると戦闘となる」
そこでエルドヴィッヒは歪に笑った。
「どうだ、見たまえよ。どこからどう見ても死んでるが?」
「悪いな。オレはお前みたいに目が腐ってないんだ。なあ真里亞?」
「うー! だって生きてる!」
エルドヴィッヒは呆れたように首を振った。
「これだから下等生物は困る。あれは霊体、つまり幽霊の状態なのだ」
「……ッ」
「ポケモンにはゴーストと言う概念が存在している。それはプレイしたものならば知っているはずだ」
「確かに。ゲンガー……、今はミミッキュとかか」
「ましてや、他のシリーズでは人型の幽霊と思わしき者も登場している。ポケモンの世界において、幽霊が馬鹿馬鹿しい存在ではないことくらいは分かるなぁ?」
浮かび上がった赤い文字が形を変え、鋭利な刃となる。
これが魔女のチェスの恐ろしいところだ。赤と青を、文字通り相手を『攻撃』する武器に変えられる。
もしも反論不可能な赤を突きつけられたとき、戦人と真里亞はルールの下に殺されることだろう。
だからこそ、それを防ぐ手を出していかなければならない。
戦人が真里亞を庇うために腕を伸ばすと、シンクロするようにして青い風が吹いて刃を吹き飛ばした。
「確かに幽霊の概念はあるのかもしれない。だがそれがレッドが死亡していることの証明にはならない!」
死亡すれば、幽霊として具現するかもしれない。それは認めよう。
だがあくまでも世界設定としての話だ。死んだ者がみんな幽霊になっていたのでは、街は幽霊だらけだ。
「それはどうかな人間? お前らが町で話しかけた者たちは皆、幽霊だったかもしれないぞ? カカカ!」
魔女お得意の『悪魔の証明』である。
悪魔がいないことを説明するには、世界中をくまなく探さなければならない。
たとえば日本を探している間に、悪魔はアメリカにいるかもしれない。アメリカを探しているとき、悪魔は中国にいるかもしれない。
簡単に言えば、『かもしれない』ものは否定は不可能なのだ。
だからこそ人間にはうやむやになった情報を
戦人はエルドヴィッヒを指差し、強く叫んだ。
「くだらねぇ! だったら
復唱要求とは、戦人が得意とする戦法である。
戦人が言ったことを、魔女に赤で繰り返させる。
こうすることで、欲しい情報を引き出し、かつ拒否すればそこからヒントを得られるものである。
「言ってみろ、『レッドは幽霊である』ってな!」
「言うワケねーだろカスゥ! もっとテメェらを苦しめてから宣言してやんよォ! カカカ!」
「へッ、そうかよ。だったら復唱要求だ! 『真里亞がプレイ中に話しかけた人型のキャラクターに、幽霊は存在していた』!」
「拒否する!」
「なぜ?」
「決まってんだろ。なんでゴミみたいな人間の命令を、我が聞かねばならねぇのか!」
「はぁ? そ、そういうゲームだろうが!」
「黙れクズ! 土下座でもするんなら教えてやるよォ、カカカ!!」
「ぐ……!」
面倒なヤツだ。戦人は不快感に顔をゆがませ、沈黙する。
もちろん土下座など気分が悪い。ましてやここはそれほど重要な情報ではない。だからスルーだ。
一方でエルドヴィッヒは椅子にふんぞりかえり、ワイングラスをまわしている。
「いいかゴミ共、よく聞けよ。レッドは既に死亡している。真里亞が会ったのは怨念体だ。それを証明する情報がいくつか存在している」
エルドヴィッヒが指を鳴らすと、ドットのキャラクターが動き出した。
それはレッドとの戦闘前、話しかけるシーンである。
これはポケモンに限った話ではないが、通常RPGではキャラクターに話しかけたときには、当然メッセージが表示される。
情報やヒントを得る事ができたり、日常的な会話を行ったり。こんなものはゲーマでなくとも分かる基本中の基本たるものだ。
だが、レッドに話しかけることで表示されるメッセージはコレだ。
『…… …… …… ……… ……』
そう、無言なのだ。
「これから戦闘を始めようという時に無言とな? これはおかしいよな人間。なぜ喋らない」
「――ッ」
まだある。
レッドに勝利しても、点が羅列されるだけ。つまり無言だということだ。
「勝利者にはねぎらいの言葉を与えるのは当然では? あるいは、悔しがっているのならば負け犬の遠吠えひとつは語れるだろうに」
まだある。まだまだある。モニタに映し出されたのはレッドに勝利したときの画面。
するとどうだ、レッドが一瞬にして消え去ったではないか。
画面がブラックアウトした瞬間、レッドの姿が忽然と消えていた。
「なぜ喋らない? なぜ突然消える! 決まってんだよ! 死んでるからだ!」
「ぐ……ッ!」
「喋らないんじゃない。喋れないんだよ! ヤツは理性を失った怨念だ。亡霊のようにさまよい、近づくものを無差別に攻撃する危険なゴーストよ!!」
たしかに喋らないのはおかしい。
戦人もいろいろなトレーナーやジムリーダーと戦ったが、皆なにかしらは会話を行っていた。にも関わらずレッドは無言を貫いている。
「会話は人間のコミュニケーションツールにおいて最も重要なものだろう? それを拒否するのは、理性を失いし怨念だからに他ならない!」
「………」
「そうだろ? なぁ、なぁ! なぁって! おいッッ!!」
「……!」
「おぃいい! どうした人間ンン! 顔色がわ・る・い・ぞ! 汗が滲んでるぞ! あれあれあれぇえ! どうしたどうした? んんんん!?」
「うるせぇ! クソ!!」
気づけば、戦人たちの周りにいくつもの赤い刃が旋回しているのが見えた。
三日月状のエネルギーカッターは浮遊し、戦人たちの首を狙っている。
「戦人……!」
そのとき、真里亞の不安げな声が聞こえてくる。
戦人はその瞬間、心に火がついたのを自覚する。
「いっひっひ、大丈夫だぜ真里亞。まあ見てろ」
そうだ、真里亞を危険な目にあわせるワケにはいかない。守るべき人が傍にいる。
戦人は焦る心を落ち着かせ、必死に思考をフルに稼動させていった。
そうだ、思い出せ。クソ親父に吠え面をかかせるために必死にプレイしたあの記憶を!
「!!」
戦人はニッと笑うと、テーブルを強く叩いた。
勉強は大嫌いだが、遊びの記憶ならば引き出すのは難しくはなかった。人差し指をのばすと、ムカつく笑い顔の魔女様に向ける。
同時に時間が来たのか、浮遊していたエネルギーカッターが発射され、戦人に向かって飛んでいく。
「どこだったかは忘れたけどよ、誰かが主人公は無口な人だと語っていたぜ! つまりレッドは普段からあまり喋る少年ではなかった」
「あァン?」
確かにコミュニケーションは言葉を主とするものだ。
だがそれが全てではない。たとえばアイコンタクト。目の動きや、表情の変化によって大まかな意思疎通は取れる。
ドット絵では分からないだろうが、ヒビキだってレッドの些細な表情の変化で気持ちを受け取ることは可能かもしれない。
ましてや行動もそうだ。トレーナーは目を合わせればポケモンバトルの合図。
だからこそレッドもそれに従い、ヒビキも違和感なくバトルへ移行した可能性はある。
「たとえば手招きをされて、モンスターボールでも構えたら、察しの良い人間は戦いの合図だと思うかもしれない」
「フム……」
「まだあるぜ。モノマネ娘だ!」
モノマネ娘とはヤマブキシティに住んでいるキャラクターだ。
ピッピ人形と言うアイテムをプレゼントすると、わざマシンをくれる。まあゲームではよくあるイベントキャラクターである。
モノマネ娘は、その名前のとおりモノマネをよくする女の子だ。
いろいろな人のモノマネをしては周りの人を困らせているらしい。
「レッドが話しかけたときに、モノマネ娘はレッドのモノマネを開始した。復唱要求だエルドヴィッヒ! 『モノマネ娘は無言だった!』 言えるか? いや言えないはずだ! なぜならモノマネ娘は確かに喋っていた! それはつまり、レッドが喋ったからに他ならねぇ!」
レッドが主役である赤・緑。
あるいはリーフグリーン・ファイアレッドにおいてレッドが喋ることはない。
つまりそのまま捉えるのならばレッドはずっと無言であった。会話のキャッチボールが行われた事はないし、一方的にジムリーダーやライバル、他のキャラクターが喋るだけ。
しかしモノマネ娘は確かにレッドのモノマネをしている素振りを見せていた。
もしもレッドが無言であったならば、モノマネ娘もずっと無言を貫くのではないだろうか?
にも関わらず、モノマネ娘は『レッドのモノマネをしている』と言う内容の発言をしていた。
「さらに、ライバルキャラクターであるグリーンもレッドが喋っているようなメッセージを残していた。証拠提示だエルドヴィッヒ、グリーンの映像をだせ!」
「拒否するゥ! 人間風情が調子に乗るな!」
「乗らせてもらうさ! いいか? レッドは喋れないんじゃない。喋っていてもゲーム画面には表示されていないだけだ!」
空を失踪する何羽もの大鷲。
それらは次々に赤い刃を打ち落とし、飛行していく。
それだけでなく戦人の拳に青い光が宿る。そのまま斜めに拳を突き上げ、迫った刃を叩き壊した。これが、青の一撃である。
「すべては演出だ! 主人公であるレッドは、プレイヤーの分身。そのイメージを壊さないためにゲームが用意した光景にしか過ぎない! 実際のレッドは口数は少ないかもしれないが、ちゃんと喋っている!」
「ほォ、なる――、ほど」
「レッド消失の件についても同じことが言える!」
戦人の記憶が確かならばレッドと敵対するロケット団の面々、ましてやそのボス、サカキが同じような方法で一瞬で退場していた。
つまり、ゲーム上の演出。喋らない主人公と言うのはゲームでは珍しいものではない。事実、ヒビキもまたゲーム中では喋らない。
しかしハートゴールドでは性別を変えることで、ヒビキ以外にも女の子の主人公であるコトネを選択できる。
そうしたらコトネは喋らないし、ヒビキは喋る。
「全てはプレイヤー=主人公の図式を完成させるための演出なんだ!!」
今度は戦人が生み出した青い大鷲がエルドヴィッヒに向かって飛んでいく番だ。
とはいえ、魔女に焦りはない。
刹那、迫る鷲を『赤』が両断した。
「ヒビキが話しかけたとき、レッドは確かに無言だった」
「!」
「ヒビキがレッドを発見してから、その後レッドが姿を消すまで、レッドは一言も喋ってはいない」
つまりそれは、レッドはあの時、確かに無言だったのだ。
「他の場面では確かに喋っていたこともあった。それは認めよう。ゲーム上の演出だ」
しかしこのシロガネ山だけは違う。レッドは確かに無言だった。
エルドヴィッヒは念入りにその情報を推していく。レッドは無言だった。レッドは無言だった。レッドは無言だった……。
「これはゲーム画面であるがゆえ、『点』が表示されているが、実際の世界ではそうじゃない。無言でいきなり襲ってくるヤツ。ポケモンマスターってのはずいぶん好戦的なヤツなんだなァ? カカカ!」
だがそれも理由あってのことだ。
なぜならばレッドは喋れない。喋らない。喋る必要がない。そんな考えは持ち合わせてはいない。
思考能力の欠如。まともな考えを持たぬ存在。全ては目の前の人間を呪い殺す。ただそのプロセスに従う怨念の塊。
「このおかしな行動も、この世にいないと言う理由ひとつで納得できるものとなる! カカカカ! ギヒャハハハァア!!」
「くっ!」
「喋っていたのは生前の話だ! ヒビキと対峙したレッドは既に死後であった為、喋れなかった」
「待て! さっきも言ったが、喋らないことが死の証明にはならない!」
「ならなぜ? なぜレッドは喋らずに戦いに突入した? 普通は喋るだろ、何か一言くらいはサァア!!」
「……ッ」
「その理由Xを青で語ってみろ! でなければレッド死亡説は覆らない!!」
「待て、まずは復唱要求だ!」
「断る! 人間の命令は聞かない!!」
戦人の額に汗がにじむ。
復唱要求にエルドヴィッヒが一切答えない以上、後手後手の戦いにはなる。
とはいえ別に戦人としては不利な状況とも言わない。なぜならばエルドヴィッヒが喋らないことを死亡説の軸においているのであれば、それを否定すれば一気に詰めることができるかもしれない。
ここで戦人は指を鳴らした。
義母である
「チェス盤をひっくり返すぜ!」
「ハ?」
"チェス盤をひっくり返す"。そのままの意味である。
相手の視点になることで、違った見方が生まれるのではないか。そういうものだ。
戦人は今、チェス盤を返し、レッドの視点になる。なぜ喋らなかったのか? それをレッドの視点で考える。
「疲労だ! レッドはヒビキに話しかけられたとき、喋る気力がなかった。シロガネ山の厳しい気候状況を考えれば納得ができる!」
「疲労の定義を、話す余裕があるなしで設定するのならば、レッドは疲労していなかった! だがまあ、当然だな、幽霊は疲れない!」
「レッドはヒビキの事が嫌いだった! 嫌いな相手は無視する性格だとすれば説明がつく!」
「レッドとヒビキはあの時が初対面だ」
「――なら! レッドはシャイな性格であり、初対面の人間には一切会話を行うことができない体質だった!!」
「レッドは自分から知らない人間に話しかけられる性格だった。と、言っておこう。もちろん人間によっては緊張してして萎縮するかもしれないが、少なくともヒビキはそういうタイプではない」
「病、もしくは外傷からの発声不可状態であった可能性の提示! なんらかの影響で喉が潰れていたのならば話せないのは当然だ! シロガネ山には雪があった。寒さを考えれば熱、ないしは風邪をひいていた可能性も高い!」
「レッドは怪我の類は一切なく、熱や他の病気も患ってはいない! 当然、風邪ではなかった」
「復唱要求! 『レッドは過去、手術によって声帯を摘出していた』!」
「拒否ィ! 人間の命令はきかねーよバァアアアアカア!! だがな! あえて! くれてやる! レッドは声帯を摘出してねぇ! 喉周辺ににメスが入ったことはねぇ! 喉に異常はねぇええ!! お・ば・けは、病気にナラヌェエ!!」
「ぐっ! 知的障害による言語障害が――」
「そんなものはない! 死ぬ前の、レッドの脳に異常はなかった!」
「……っ、喋ったら負けのゲームをしている最中だった、とか」
「アホかオメェエエ! そんなゲームはしてねぇ!」
赤と青が激しくぶつかり合い、互いを相殺していく。
だが徐々に戦人の言葉が詰まる回数が増えてきた。このままでは危険だ。しかしここで袖をつかまれる感覚。見れば真里亞が戦人を見ていた。
「戦人。あのね」
「ん?」
ゴニョゴニョと耳打ちを。
すると戦人の表情が変わり、余裕が生まれる。
「戦人ぁ。真里亞、役に立った……?」
「おお! サンキュー真里亞! お前のおかげでいけそうだぜ!」
照れたように微笑む真里亞。一方でエルドヴィッヒは舌打ちをこぼす。希望ほど不愉快にさせてくれるものはない。
そうしていると戦人の反論が飛んでくる。さらにウサギの音楽隊が再び現れ、『dread of the grave』を演奏し始めた。
どうやら戦人の調子がよくなると流れ出すらしい。魔女が好むクラシックをむちゃくちゃにして、さらにそこに戦人も声も重なっていく。
「ヘンペルのカラスだ!」
「なにィ?」
カラスは黒いというのを説明したいとき、『黒くないものはカラスではない』と言うことを証明できれば、『カラス=黒い』ということも証明できる。
この世に存在する『黒くないもの』を全て調べて、その中にカラスがいなかった場合。カラスを一羽も調べることなく、カラス=黒を証明できる。
それがヘンペルのカラスだ。
もちろん現実でそんなことをするのは膨大な手間がかかり、事実上、不可能である。
しかし魔女との戦いでは赤き真実があるため、赤で『黒くないもの=カラスではない』と宣言すれば、ヘンペルのカラスは証明できる(まあ現実には白いカラスはいるのだが)。
さらにメタ視点も行える魔女のチェスはそれを可能にする。
今回、エルドヴィッヒは"レッド死亡説"と同じくして"レッド幽霊説"を提示している。
その理由に、レッドが喋らないことを強く推しているのだ。
つまりそれはエルドヴィッヒの中で、『幽霊は喋らないもの』と言う定義があるからに他ならない。それを破壊すれば、ヘンペルのカラスによるレッド生存説を提示することができるのだ。
そのヒントを、真里亞が記憶していた。
「シオンタウン! そこのポケモンタワーだ!」
「!」
「そこに『ゆうれい』が出てくる! 間違いなく、幽霊様がな!!」
真里亞は覚えていた。怖かったから覚えていた。
"ゆうれい"とは、いわゆる負けイベントの一種である。特殊なアイテムを手に入れるまでは逃げるしかできない。
その際に、幽霊は確かに言ったのだ。
『タチサレ……タチサレ……』
そう――、つまり。
「ポケットモンスターに登場する幽霊は、喋ることができるッッ!!」
「!!」
そのとき、エルドヴィッヒの表情が確かに歪んだ。
「どうしたエルドヴィッヒ! 赤で否定できるものならしてみろッ! ゆうれいが喋れる以上、レッドが喋らないから幽霊だという線は否定される!!」
「グッ! ツゥゥウウウゥウウ――ッッ!!」
エルドヴィッヒは歯を食いしばり、血走った目を見開く。
これは想定外だった。エルドヴィッヒはその実、自分が有利になるようにゲームを進めている。復唱要求を拒否し、証拠提示の映像を見せない。
にも関わらず戦人と真里亞は自分の記憶だけで映像を引っ張りだしてくるではないか。
人間、一度プレイしたとしても細部までは覚えていないもの。ましてや命をかけたこの状況ならば恐怖で思考が鈍る筈。
しかし戦人たちは食い下がってくる。
そうだ。幽霊は喋れるのだ。だからこそ反論不可能。
すると戦人の背後から青き楔が発射。鋭利な杭はエルドヴィッヒの肩に突き刺さると、緑色の鮮血が飛び散った。
「ガァアアアァァア!!」
椅子から転がりワイングラスを地に落とす。
肩を抉ったが、心臓をさらけ出してはいない。それはまだ確信にいたるまでの『柱』があるからだろう。だがまずは一本、確かにへし折った。
エルドヴィッヒは叫ぶ。それは痛みではない。怒りからだ。
「クソガキ共がァア! この私に傷をつけたなァアア!!」
「へッ、傷じゃねぇ、次は致命傷を与えてやるぜ」
「黙れェエ! ブッ殺すッッ!!」
立ち上がった魔女は、楔を引き抜くと、ありったけの憎悪を表情にのせて次なる一手を繰り出した。
それは先ほどの赤と青の攻防の場面だ。
「ニンゲンンン! 貴様はシロガネ山を死亡説の否定に持ち出してきたな!」
「なに?」
「なるほど、たしかにそれは道理だ! ナゼならあの山は厳しい環境だからなァ!!」
気温は低く、雪は吹き荒れ、野生のポケモンは強力と来た。
そんな過酷な空間に、レッドはいたのだ。
「レッドはヒビキがシロガネ山を訪れることは知らなかった」
「!」
戦慄が走る。
ウサギの音楽隊は驚き、引っ込んでしまった。
「にも関わらず、あの男はシロガネ山にいた。山頂に立っていたァア!」
映像が動き出す。レッドとの戦闘が始まった。そこでポケモンマスターのグラフィックが表示される。
しかしそれは、雪山に入るにしてはあまりにも薄着ではないだろうか?
「ッ、リザードンが手持ちにいる! 洞窟内で暖をとることは可能だ!」
「ああそうだな! でも分かるなゴミが! これがお前らを殺す一手だ!!」
前のめりになったエルドヴィッヒ。あふれんばかりの殺意を感じ、戦人も思わず立ち上がって真里亞を守る。
そこで巻き起こる赤色の旋風。戦人の心に、はじめて恐怖が宿った。
事実、エルドヴィッヒはチェスによる『攻撃力』を上げた。
打撃推理による駒の攻防。戦人は真里亞を離れさせると、走ってくるエルドヴィッヒを睨みつける。
「レッドがシロガネ山に来てから一年半が経つが、レッドのバッグに食料や水は入っていない!」
「ンなッ!」
「付け加えると、手持ちのポケモンも食料や水を携帯はしていない!」
エルドヴィッヒの右腕がカマキリの腕に変わった。
鎌には赤い光が宿り、容赦なくそれを振り下ろしてくる。
だが戦人も青い楔を出現させると、その一撃を受け止める。細長い楔は槍となり、赤い刃を受け止めた。
両者は顔を近づけて睨み合う。
「教えてくれよ右代宮戦人ァ! 飲み食いできない人間がァ! 一年半もの時間ッ、あの山で生活できると思うのか? アァアアン!?」
「ッッ」
「無理無理! ムリムリムリムリ! 無理なんだヨォオオオ!!」
踏みつけるように繰り出されたエルドヴィッヒの蹴りが、戦人の腹部を打つ。
よろけた所で回し蹴り。戦人の頭部に蹴りが入り、視界がグニャリと歪んだ。
提示された赤、戦人は衝撃を感じている。
生きることにもっとも必要なことは、食べること、飲むことだ。水や食料が無ければ人間はすぐに死んでしまう。
死んでしまうのだ。
「さ、最近食料が尽きた可能性がある!」
戦人が腕を振るうと、青い針がショットガンのように散った。
「無いんだよゴミがアアア!! レッドがシロガネ山に足を踏み入れた時から、レッドのバッグには食料や水は入っていなかった。ちなみに『水』ってのはな! ありとあらゆる飲料物を含む! ジュースやお茶も、レッドは持ってきていないィ!!」
だがエルドヴィッヒが腕を前に出すと、赤いシールドが発生して青を打ち消していく。
戦人に焦りが生まれたのはその瞬間だった。どうやらエルドヴィッヒにとってはコチラの方が本命らしい。
生きるために食う。それを否定することは、レッドを死に近づけると言うことだ。食料はない、水もない、当然その状態では一年半も生き抜くことは不可能である。
だが戦人は目を細める。赤には抜け道もある。そこをつければ逆転は可能だ。
「下山した可能性! ポケモンにはダンジョンから抜け出す『穴抜けのヒモ』ってアイテムがあるだろ! レッドはそれを使ったんだ! 」
エルドヴィッヒの周りに青の槍がいくつもの出現していき、その刃先がエルドヴィッヒを睨みつける。
今からこれが次々に降下していき、魔女を貫くのだろう。
だがそこで発生する赤い竜巻。それは次々に槍を吹き飛ばしていく。
「レッドは穴抜けのヒモを使ってネェ! と言うより、食料や水を持たずにシロガネ山に入ってから、ヒビキに敗北するまでの一年半、一度も下山していないのだッ!!」
エルドヴィッヒは一度バックステップで距離をとり、指を鳴らした。
証人喚問だ。呼び出すのはレッドの母親である。
と言うのも、マサラタウン(レッドの故郷)に住む彼の母は、少々面白い発言をしている。
「教えろ、レッドからの連絡はあったか?」
『それが、チャンピオンになってから一度も連絡が無いの……』
そこで母親は消え去る。
そう、レッドはなぜか、母親に連絡を入れていないのだ。
ここでエルドヴィッヒは鎌を天に掲げた。すると空に魔法陣が広がり、直後赤い雷が戦人に向かって降り注ぐ。
「旅に出ているとは言えまだ子供。しかもレッドはチャンピオンになる前は定期的に母親に連絡をいれている。にも関わらず、ある日を境に連絡が途絶えたんだ! カハッ!」
なぜか?
ナゼか?
何故か?
「決まってる! 死んだからよ! 死んだら連絡なんてできないものなァアッッ!!」
エルドヴィッヒが大きく腕を振るうと、赤い真空波が発射され、戦人の腹部に直撃した。
「グァアアアッ!」
戦人は地面をすべり、蘭の花を無数に散らしていく。
雷も命中したのか、帯電している様は痛々しい。だがまだ食い下がる気なのか、戦人は眼光を光らせて立ち上がった。
「まだだ! オレは認めねぇッ!!」
しかし、そこで笑い声が聞こえる。
戦人と真里亞が視線を移すと、そこには新しい『魔女』であった。
「ヒーッヒヒヒ! エルド! なにやら楽しそうな事をしているねぇ! アタシも混ぜておくれよ!!」
「おお、テラーか! よく参いられた!」
「ッ!?」
姿を見せたのは、これぞ魔女といわんばかりの風貌をした老婆だった。
大きな黒い魔女帽子に、黒いローブ。白髪の髪に、とがった顎に鉤鼻、干からびた皮膚は青白く、口の中にある歯はサメのように鋭利だ。
目は全て黒目で埋め尽くされており、不気味な女である。
名は『テラー』と言うらしい。
そこで戦人は息を呑む。と言うのも、テラーの右手には鎖があり、それにつながっている『モノ』はなんとも凄惨なシロモノだった。
人。そうニンゲンだ。かわいらしいお洋服をきて、犬耳のカチューシャをつけている。そうだ、これは子犬なのだ。
「ヒーッヒヒヒ! どうしたんだい人間? これが気になるのかい? これはね、エルドがアタシにくれたお土産さ」
テラーは饒舌に語る。
「トチモンで腕を切り、足を切り、舌を抜き、毛を反り、目を潰し、鼻を壊し、犬のお耳をつけてあげたのさ! ヒヒヒヒーッ!」
絶句している戦人を見て、エルドヴィッヒは上機嫌に笑う。
「いずれなる、真里亞の姿だ」
言葉が耳に入ってこない。戦人はずっと『子犬』を見ていた。
これが人間のする事なのか。戦人は信じられなかった。そこで気づく。人間ではない、魔女なのだ。
ヤツ等に常識は通用しない。人間の良心は存在しない。
「ヒーッヒヒヒ! なんだい、新しいのが増えるのかい! コレにもそろそろ飽きたんだ」
「――なら、そうだな、真里亞はやるよ」
「じゃあ、もう、これはいらないねぇ」
そう言ってテラーは指を鳴らした。するとつれて来た子犬の頭がはじけとび、絶命する。
真っ赤な血が、蘭の花びらに飛び散った。頭を失った小さな体は、今もビクンビクンと痙攣している。
そこで戦人は、冷静さを取り戻した。
「テンメェェエエエエエェエエッッ!」
「ギャハハハ! なにキレてんだ? ダッセーな人間!」
間違いない。テラーがつれて来た子犬は、エルドヴィッヒが過去にターゲットにした子供だ。
呆気にとられていたから救えなかった。その後悔や罪悪感が戦人を蝕む。なによりも今の台詞から察するにエルドヴィッヒは真里亞を同じ目に合わせようとしている。
ありとあらゆる恐れと怒りが戦人を取り巻いた。
一方で魔女たちは戦人たちに構うことなく会話を続けている。
エルドヴィッヒは今までの経緯をテラーに説明しているようだった。どうやら二人の魔女は友人らしい。
「ヒヒヒ! なるほどねぇ! しかし右代宮真里亞かァ。可愛らしくて良いじゃないか! あぁ、早くお散歩に行きたいねぇ!」
舐めるような視線を受けて、真里亞は怯えたように肩を竦めた。
「アァ、早く欲しいねェ。欲しいねェエ。だめだ、我慢ができないよアタシぁ!」
だからつい、ポロリと、いけない事を語ってしまうのだ。この魔女は。
「この謎は右代宮戦人には解けない」
「―――」
一瞬が永遠に感じた。時間が止まった気がした。
「戦人はエルドヴィッヒには勝てない。おや、言えるじゃないさ。赤で。ヒーッヒヒヒ!!」
瞬間、戦人はドン底に叩き落された。
エルドヴィッヒはかつてない絶頂感を感じ、恍惚の表情で笑みを浮かべている。
「あーあ、テラー、それは言うてやるなよ」
とは言いつつ、エルドヴィッヒは嬉しそうに笑いながら、打ちひしがれた戦人たちをジッと見ているのだった。
『tips』
・dread of the grave
戦人のテーマBGM
しかし原作ではこの音楽が流れた後に、不利になることが多いので『無能のテーマ』とも呼ばれている。
今作では戦人の調子がいいとウサギの音楽隊が演奏してくれるみたいにぇ
………
次回はたぶん一週間後くらい。