CLANNAD -Further Story-   作:いさか

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前篇のその後のお話。汐が12歳になって、新しい道へ進むことを決意します。
アフターストーリー第二十二話挿入歌「小さな手のひら」の一節を参考に書いてみました。公式では後日談として、大きくなった汐は旅に出る決意をするようですね。
岡崎家の話は一応これで完結となりますが、できればIFストーリーも考えようかと思っています(椋編、宮沢編……etc)。



もう一つの世界 後篇~After 12 years~

 時間というものは、俺たちが思っていたよりさらに早く、目まぐるしい速さで過ぎ去っていく。

 

 ほんの少し前まで――俺は光坂高校へ通う、不良の男子学生だったはずだ。

 高校を卒業して電気工をしながら食いつなぎ、やがて一年遅れで卒業した渚と結婚し、一年待たずに汐≪うしお≫が生まれた。貧しくはあったが、子育てをはじめとして送ってきた家族三人での時間は、とても幸福に満ちたものだったと思う。

 

 汐が生まれてから、十二年の月日が経っていた。

 

 不思議なものだ。俺は少し前まで高校生で、汐だってほんの昨日まで、しゃがみ込んでようやく目線があうぐらい小さかったはずなのに。

 

「……」

 

 地元紙を広げながら、俺は今のソファーからキッチンに立つ渚の背中へと目を向ける。

 いつの間にかあのエプロン姿の渚は遠くへ行ってしまった。

 

 汐が小学校に上がる年、俺たち家族はこの家に移った。決して広いわけでもなく、目立たないところは傷んでいて、マイホームでもない借家だったが――あのボロアパートに比べれば天国のような広さだ。転居したての頃は汐も大喜びで、家の中をよく駆け回っていたのを覚えている。

 

「パパ、もうすぐご飯できますよ~。しおちゃんに声を掛けてあげてください」

 

 せかせかと動く渚はちらりと俺の方を振り返って、そう言った。

食卓には既にほとんどの夕食が並べられている。あとは渚が煮込んでいる鍋の中の汁物、あれを注げば完成だろう。

 

「ああ」

 

 やおら立ち上がり、俺は今を出て二階へと上がる。

 

 二階には俺たち夫婦の寝室と空き部屋が一つ、そして汐の部屋がある。

 

「うしお」のナンバープレートが下がるドアをコンコンとノックして、

 

「汐ー、飯だぞ」

『はーい、お父さん』

 

 元気な返事が聞こえてくる。俺は思わずふぅとため息をついた。

 

 いつの間にかパパ呼ばわりがなくなり、代わりに俺は「お父さん」、渚は「お母さん」になった。……まあ、小学生とはいってももう最高学年だし、こういう変化も子の成長として受け止めるのが親の仕事だろう。

 

「先、降りとくぞ。お前も早く来いよ」

『はぁい』

 

 部屋の中で何やってんだか。

 

 最近の汐は、部屋の中で過ごすことが多くなってきた。

 

 俺たちの知らないところで、きっと汐は色々なことをやっているのだろう。

 

 親の俺が言うのもなんだが、汐はとても優秀な娘だ。勉強もよくできるし、スポーツも万能で、体育の授業ではどんな競技でも周りを引っ張るような存在らしい。

 通知表は何度も見せてもらったが、目を見張るほどの成績だった。不良を貫いていた俺からすれば信じられないほど、出来のいい子供だ。

 

 勉強やスポーツだけじゃない。汐は芸術や音楽関係にも強かった。

 

 渚の希望もあって、汐にはいろいろな習い事をさせた。全く違うカテゴリの教養を手あたり次第学んで、そのたびに汐は多様な技能を身につけた。――言ってしまえば「天才肌」の子供に育ったのだ。

 

 俺と渚が先に食卓に着いてから数分後、ばたばたと階段を下る音が聞こえてきて、汐が居間に顔を出した。

 

 Tシャツに短パンと、えらくカジュアルな格好だ。こうして眺めれば、いかにも普通の、ちょっと元気のいい女の子という印象である。

 

「おー、ハンバーグに、シーザーサラダに……豚汁!」

 

 目をキラキラさせながら席に座り、それを見計らって俺と渚が手を合わせる。汐もそれに倣った。

 

「いただきます!」

「「いただきます!」」

 

 合唱の合図は俺。岡崎家の掟の一つ。

 

「お汁はおかわりたくさんあります。パパもしおちゃんも遠慮せずに食べてください」

「うーい」

「それじゃ私、早速おかわりー!」

「速ぇなおい⁉」

 

 ぴょこんと席を立ち、えへへとはにかみながら汐が言った。

 

「だって、お母さんの豚汁おいしいんだもん」

 

「しおちゃんにそう言ってもらえると、ママとっても嬉しいです」

 

 笑う渚と汐の顔、傍目に見ればとても良く似ている……親子だから当然か。

 

 さて……今日も渚の旨い飯を楽しむ時間がやってきた。

 

 メインのハンバーグを箸で切り分けて口に運ぶ。デミグラスソースと絡む柔らかい肉にはまだ水分が残っていて、噛む瞬間に旨味が口いっぱいに広がっていく。

 

「……旨い!」

「パパも、いつも褒めてくれて嬉しいですっ」

「お前、本当に料理上手いよな。古河の血筋か?」

「へ? ……ど、どうでしょうか。お母さんも、料理はとってもお上手ですけど」

「早苗さんの料理も美味しいよね! 私も大好きだもん」

「お前、早苗さんの料理の味とか覚えてるのか?」

 

 汐が古河の家に世話になるのは多々あったが、それもせいぜい幼稚園の頃までだ。

 

「もちろん。私の舌はいろいろ記憶できるからね」

「なんだそりゃ」

 

 しかし、どこかの雑誌で「子供は幼いころに食べさせるもので舌が変わる」というものを呼んだことがあった。本当にいいものを食べさせていれば、その子の舌はとても敏感で、ささいな味の違いも見分けられるようになるという。

 

 少なくとも早苗さんも、もちろん渚も――悪いものは絶対に食べさせないタイプなので、汐の舌は良い育ち方をした、ということなのかもしれない。

 

「汐、お前幸せ者だぞ。小さい時から旨い飯しか食ってねえだろ」

「その件についてはとても感謝しております。お母さん、ありがとね♪」

「しおちゃん……」

 

 既にうるうるしている渚。まったく、お前もすぐ泣くの変わらねぇのな。

 

 

 変わらない、と言えば俺もそうなのかもしれない。案外、大人になったから変わるものなんてそう多くはない。子供が生まれてからは価値観の変化も多少なりにはあったが、それは然るべき変化の一つだと俺は思っている。

 

 年食っても変わらないのはみんな同じらしく、たまに会う演劇部の連中や、高校時代に付き合いのあった奴らは――やっぱり、そう変わっていない。

 

 もうみんな、俺たちと同じように家庭を持っている。

 

 春原と杏は同学年の子供を持っている。藤林も最近結婚した、ということを杏から聞いていて、宮沢もお兄さんと特に親しかったグループの一人と幸せになったらしい。

 

 智代は京都の土地で、代々権威のある富豪の婿になったと聞いた。

 

 ことねは相変わらずアメリカで暮らしているようだ。今では多世界解釈論だかなんだか、その道の第一人者に匹敵する存在らしい。結婚しているのかは不明だが、月に一度ぐらい電子メールで近況を知らせてくれている。

 

 仁科は音楽の道を進んで、今はオーケストラの一員として世界中を飛び回っているという。

 

 

 一人ひとり、選んだ道はまったく違う。それでもたまに会ったりやり取りしてみると、これが笑えるほど「変わらない」のだ。

 

 あいつも、こいつも。まったく揃ってあの頃のまま。

 

 おじいさんおばあさんになっても、俺たちはきっと、あの頃のままなのだ。

 

「……パパ? どうしたんですか?」

「あ、ああ。変わらないなって思って」

「何がですか?」

「俺たちだよ。みんな、変わってない」

 

 しばらく渚はきょとんとしていたが、

 

「そんなことありませんよ。現にしおちゃんはこんなにおっきくなってます」

 

 渚の隣に座る汐は、ちょっぴり恥ずかしそうに目を落としている。

 

「まあな。子供はこれから変わっていくんだ」

 

 ぴくっ。汐の肩が、ほんのわずかに跳ねた。

 

「ごっ、ごちそうさまっ」

 

 いつの間に食べ終えたのか、汐の皿は既にきれいさっぱり底面を晒している。

 

「しおちゃん……?」

「あは、私宿題が結構あるんだよね! 今からやんなくちゃ!」

 

 カチャカチャと食器類を流しに片付けて、汐は逃げるように居間を後にして、階段を駆け上っていく。

 

「なんだ、あいつ?」

「どうしちゃったんでしょう……ご飯、美味しくなかったんでしょうか」

「それは絶対にないから安心しろ。俺が保証する」

 

 だいたい、そこそこ量あったのにペロっと食いやがったからな、あいつ。

 

「でも、様子がおかしかったです。わたし、ちょっとお話を――」

 

 席を立とうとする渚に、俺は待ったをかけた。

 

「いいんだって。放っておけ」

「で、でもっ。わたし、心配ですし」

「……あいつも、一人で色々考えることがあるんだ。いずれ必要な時がきたら、あいつから俺たちに相談するさ」

「そ、そういうものでしょうか……」

「そういうものだ。子供はみんな、な」

 

 俺は予見していた。

 

 汐が――小さかったあの手のひらが、俺たちから離れていく日が――そう遠くはないことを。

 

      *

 

「お父さんとお母さんに、大切なお話があります」

 

 九月のある日、俺たちは汐の提案によって、家族会議を開いた。

 

 汐は、どうしてもやりたいことがあるのだ、と俺たちの前で告白した。

 

「演劇?」

「うん。アッキーも、それからお母さんもやってた、演劇」

「でも、どうしていきまり……」

「小さい時から、お母さんたちが演劇の話をしてくれたのを覚えてて。それで、ちょっと調べてみたら……すごく、惹かれたの。創られた物語の登場人物になりきって、私が伝えたいことを、お客さんに伝えること――私の声で、私の身体で、それから、私の考えた物語で――それがとてもすてきなものだって、気づいたの」

 

 それから汐は、演劇の強い中学に行きたいという希望を話した。

 

 そこは都心の中学校で、有名私立校だった。

 

 とても入学偏差値が高いので、六年生になってからは試験のための勉強に励んでいたという。

 

「演劇のために行くだけじゃ、お父さんたちを納得させられないと思って……だから私、勉強も同じぐらい頑張りたいんだ」

 

 俺たちが通っていた校区内の中学校には演劇部はないし、知っての通り、光坂高校の演劇部も今はもうない。

 町から出ることが大前提となったからには、学力的にもレベルの高いところへというのが、汐の考えだった。

 

 汐がどこからか手に入れたらしい学校説明のパンフレットを、俺はパラパラとめくっていた。

 

「中高一貫だから、六年間は寮生活……か」

「……ダメ、かな……」

「駄目とかじゃない。お前は、それでいいのか?」

 

 汐はさらりと前髪を撫でながら、自信なさげに俯いていた。

 

「正直、寂しい。私はずっとお父さんとお母さんと、一緒にいたいよ」

「しおちゃん……」

 

 既に渚は涙ぐんでいる。俺も目頭が熱くなるのをぐっと堪えながら、真剣なまなざしを汐へと送った。

 

「でもね。それでも、私は演劇をやってみたい。辛いこと、苦しいこと。たくさんあると思うけど……それでも、挑戦してみたい」

「――そこまでの決心があるなら、大丈夫そうだな。なあ、渚」

「……」

 

 俺は渚の膝に置かれた手を、横から優しく握ってやった。

 

「……はい。わたしも、しおちゃんを応援したいと思います……」

「俺も同感だ。……汐。よく聞け」

「は、はいっ!」

「子供の願いは、親の願いでもあるんだ」

 

 いつかの古河のおっさんが、こんなことを言ってたっけ。

 

 あの頃はよく分からなかったけどさ。今となっちゃ、手に取るように分かるぜ、その気持ち。

 

「お父さん……お母さん……っ!」

 

 きっと我慢していたのだろう。

 堪えきれなくなった涙のひとかけらが、汐の瞳からはらりと零れて。

 それをきっかけにして、堰を切るように大粒の涙が一つ、二つ、三つ。

 

「ほら、汐。こっちに来い」

 

 岡崎家の掟の、その一つ。

 泣くときは――おトイレか、パパの胸の中で。

 

 普段はいっちょまえに大人ぶったりする汐だったが、この時ばかりは別だった。

 

「っ――ううっ、うわぁぁっ!」

 

 席を立つと、まるで小さな子供のように、大きくなった渚が飛び込んできた。

 

 顔をぐしゃぐしゃにする汐を抱きとめる。いつかの時よりも汐はずっと――大きくなっていた。

 抱きしめて、その身体の重さが染みるように伝わってくる。もう昔のように、軽々と腕だけで持ち上げるのは難しいだろう。

 

 

 もう大人になりつつある。身体も、そして心も。

 早かった。あまりにも早かった。

 汐の手が、俺の背中をぐっと引き寄せた。

 とても力強く。俺たちの元を離れても、生きていけるという証左に他ならなかった。

 

 

「汐……」

 

 優しく、その髪を撫でてやる。

 

 きっとこうして抱いてやれるのもこれが最後だ。恥ずかしさを振り絞って、こうしていられるのも――これで最後だ。

 

 とても切なく、苦しくも――俺にとって、そして渚にとって、この辛さは同時に希望でもあり、幸せでもあるのだ。

 

「頑張るんだぞ、汐」

 

 

 いつの間にか、俺の視界は涙でぼやけたものになっていた。

 この景色。

 この感覚。

 いつかどこかで、見たことがある。

 それはとても、素晴らしい場所だった。

 黄昏の中で、小さな汐を、これでもかというぐらい抱き留めた。

 あれは、確か――汐が、何かを失くして……。

 

 

『パパ……』

 

 

 あれは――。

 

 

『初めてパパが、買ってくれたものだから……』

 

 

 いつの記憶なのか、はっきりしない。

 初めて汐がパパと呼んでくれた。

 ともすれば、これは夢の中の出来事だったのかもしれない。

 覚えているのは、ただ――泣き続ける汐を、必死に父親として抱き留めた、あの感触だけだ。

 

 

 それ以上は――思い出せない。

 

 思い出してはいけないのかもしれない。

 

 そうだ。俺には今があれば、それだけでいい。

 

「しおちゃんっ……朋也くん……っ!」

 

 渚も嗚咽を漏らしながら、汐の背中をそっと抱いた。

 きっと俺は、別の世界で、とても大切なものを失った。その記憶が断片的に、脳のどこかで残滓となって漂っている。

 

 それでも、俺はそんな記憶を認めようとは思わない。

 

 こうして、三人で同じ時を分かち合うこの世界こそが――正しい世界だということを、誰よりも信じるために。

 

 俺はそうやって二人の妻子を、いつまでも己の腕の中で感じていたのだった。

 

 




BAD世界の汐の健気さには泣かせられました。おそらく五歳の時点で、彼女は自らが「町」そのものであること、母と同様に五歳で命を終えることに気づいていたのでしょう。
このお話の汐はそういうものとは無縁の、(朋也の主観としては)正しい世界の汐なのでまさに普通の(?)女の子です。朋也と渚の良いところを継いだ、優秀な子という設定にしました。そしてその優秀さゆえに、他人より早い旅立ちをすることになった、という流れにしました。
毒にも薬にもならない無味乾燥としたお話でしたが、ここまで目を通してくださってありがとうございました。

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