二宮飛鳥はベランダの鉢に植えられた花を見つめた。それは菲沃斯と呼ばれる花で、その小さな生命はわずかな産毛を秋めく空に輝かせ、見るものを密かに魅了する。かく言う彼女自身もそのいじらしさに没頭し、彼の思う自分とはなんであるか、また自分の中の彼とはなんであるのかと考える。らしくもないとは、彼女も自覚するところだ。
花言葉は不完全。それがまた、彼女の琴線にふれた。渋谷凛に教えてもらった彼女達の来歴と育て方によれば元々が強い種であるらしいので、湿気にさえ気を付ければ生育は楽とのこと。それらに気を配りつつこの花を育て始めて一週間が経つ。同室の少女も気をかけてくれている様でたまに話しかけている姿を見る。
何も気まぐれで、それまで知りもしなかった草花を愛でることにしたわけではない。生憎と、そんな高尚な趣味は持ち合わせてはいないもので、草花は愛でるどころか眺める程度の事しかしたことがなかった。
────ため息を吐く。頭を抱える。もう一度、ため息を吐く。恨み言の様な呟きも結局言葉にはならず、またさらにため息を積み重ねることになる。彼のセリフがリフレインする。恋、恋だと? 自嘲する。
「恨むよ、遊馬」
これから撮影がある。僅かな憂鬱を押しのけて二宮飛鳥は席を立った。
こうして屋上の風を感じている内は何も考えなくて済む。今更になって特別な何やらへと二宮を誘おうとしても気恥ずかしさが勝り、未だに屋上以外、ひいては学校外での会話もなくこうして屋上で腐りきっているだけの2人である。
ちゃかちゃかと、プラスチックの容器と箸がぶつかる。
これまでに二宮の好みを探ろうかとも思ったが、彼女の交友関係が分からない。そもそもいきなり二宮の好みを聞ける様な人柄ではない。恥を忍んで心を読んだところでそんな便利な能力でもないため、都合よく彼女の好みを把握できはしないだろう。具体的に何かをする、ということができないでいる。
互いに話す事はない。実写映画化され、それに彼女が出演し、主題歌まで歌うという例の大人気小説の話はすでにした。彼女の
時折どこかから聞こえる環境音が存外に心地よく、今はそれに耳を澄ませるだけだ。あの4人組の中だと島村卯月の声が強すぎるだとか、渋谷凛の『咲かせて』が蒼すぎるだとか。雑談のタネも枯れ果ててポツポツと、三点リーダーが舞い踊る。
何度も言うが彼女との間にある沈黙は気分の悪いものではない。俺に限っては隣にいれば心音さえ聞こえるがそうではなく。感情であったり雰囲気だとかなんとなくと言ったような、能力の介入しない次元で俺たちは安らかな時を過ごせている。
「そういえば、彼女は来ているのか? お前の話だと、一度もレッスンに顔を出していないと聞いてるが」
「……相変わらずだよ。失踪とも言い難いが、居るが来ない。と言ったところかな」
自分から出した話題とはいえ興味深々だと言えば、それは嘘になってしまう。特に会話が跳ねる事なく終わってしまった。
しかし同時にこのままではダメだと叫ぶ自分がいるのも事実。俺たちの関係も変わらずなあなあで終わってしまうのが目に見えている。かといって改めて誘い出すのも、案外勇気がいるし、気恥ずかしいものである。だが、その勇気も今はある。
パッとお互いに顔を見合わせたのはどうやら偶然ではないようで、俺たちは同時に口を開いた。
けして、側から眺めれば仲良くは見えないだろうが俺たち2人は一言も発する事なく肩を並べて歩みを進めている。
しかし俺の心根にあるものは浮かれに浮かれ、もはやここにはおらず、今頃ヒマラヤ上空を悠々と飛ぶ鳥と共に風に流されているところだろう。
しかし、その様な浮かれた調子に任せて下手な事を口走らないよう、常に自制は心がけておく。
今度の日曜日、と二重の声が響いて笑いあう。そうして俺が提案したのはいわゆるデート。それに重ねて彼女はライブへ行こうと言い出した。
しかし、どうだ。今2人の間に楽しげな会話はなく、無情にもカツカツと響く足音だけが響く。表通りの雑踏も気にならないほどの緊張感が場を埋める。じきに会場にも辿り着いてしまうだろう。沸々と湧き上がる会話のタネが冷めて死んで沈んでいく。
そのまま特に会話もなく会場へと辿り着いてしまった。した会話といえば、似合ってるな、ありがとう。晴れてよかった、本当に。くらいのものである。本日のライブ会場であるコンサートホールはそれなりの大きさで、入り口前の広場にも人が疎らにだが集まっている。
右手で左の顎角をなぞり、まるで長年連れ添った癖の様に右側まで滑らせる。そしてもう一度左に。そんな俺を二宮は不思議そうに見ていたが、やがて視線を逸らして小さく呟いた。
「長かった、あるいは短い道のりだったね」
「ああ、確かに。普段とは違う」
────そう、あまり好きにはなれない沈黙だった。望まれたものでない沈黙が続いた。
言葉にはせずに首を振る。
「おはよぅー」
ヒュッ、と息が凍りつく。明らかに油断はしていたが、背後を取られるのは久方ぶりの事で、背筋に冷たい鉄柱が突き刺さる様な感覚を覚える。
バクバクと暴れる心臓と後ろに飛び出そうとしていた肘を抑えて振り返る、そこを見ると驚いた事にテレビでよく見る顔が二つあった。驚きの声を押し殺して唾液とともに飲み込んだ。
「志希……」
呆然とした様な二宮の声が聞こえる。やあやあ、なんて気の抜ける様な挨拶を飛ばして笑う。その影はこちらをちらりと見た、そしてふいと二宮に視線を戻した。此方には用がないとでもいう様に、何も触れる事なく。
「はろーやーやー、飛鳥ちゃん。いつ振りだっけ?」
「さあ? どうしてだか君がレッスンに来ないからね」
「ありゃ、飛鳥ちゃん怒ってる?」
それなりにね。二宮はその影に対してぶっきらぼうに答えた。しかし、それどころではない筈だ。現にチラチラと視線がいくつか此方を刺していて、このままでは騒ぎになるだろう。
なにせ、
「うーん、そっか。そっかそっか、じゃあ
そう言ってヒュウと吹いたそよ風と同時に踵を返す靄。その首根っこ──と思われる部分──を二宮は掴み取ってまた苛立たしげに言った。
「待て、君は出演者だろう。こっちだ」
「ちぇー」
ズルズルと引き摺られていく靄。なんとなしに左目を閉じる。先ほどまで見えていた微妙な一ノ瀬志希の要素が完全に途絶え、それらは黒い靄を引き摺る二宮飛鳥となった。逆に右目を閉じて見ると、黒い靄は嘘の様に晴れて見目麗しい美少女2人の絵となる。
────この靄は、なんだ?
俺は、瞳を瞬かせて呆然とその出来事を見送る。見回して見ても靄のつく人間は一ノ瀬志希ただ1人。
軽く頭が痛む。眼球が焼ける様に熱い。この痛みには覚えがある、実に四年ぶりで、前回のこれは校舎の窓ガラスを水にした時。その直後。
これは言うなれば、魔眼。それが何を見通すのかはまだ分からないが、靄を通してなんらかの
────能力の目覚めだ。何故? どうしてこのタイミングで?
靄と目が合う。その靄はニタリと此方を見て笑った。ぞっとする様な凄惨な笑顔を、此方に向けた。
遊んでて遅くなりました(正直)
読まなくてもいい用語紹介
『ベラドンナ』②
同タイトルの大人気小説を元にした実写映画の主題歌。島村卯月、渋谷凛、二宮飛鳥、一ノ瀬志希が歌う。渋谷凛パートの『咲かせて』が蒼いと話題。
『ベラドンナ』③
現実に少女の姿をとって現れた花の精霊たちが、押し花を趣味とする主人公の前に現れ