崩れた建物が放置されたままのヘリオポリス市街。夜闇が支配するそこに人の姿はない。
ヘリオポリス沖での連合艦隊とZAFTの戦闘とは関わりなく、ヘリオポリスは諦観に沈み込んでいた。
オーブ軍による市民の強制収容がすぐそこまで迫ってきている。オーブ軍が派遣した戦艦と大型輸送艦の接近は、既にヘリオポリス市民の知る所になっていた。
猶予は、もう一日もないだろう。人々は為す術がないまま、息を潜めるようにして最後の夜を過ごしていた。
だが、そんなヘリオポリスの中にも、活動をしている者達はいる。
市民の収容の際、混乱を抑える為の放送を行う様にZAFTに命じられている放送局は、放送の準備で忙しい。
しかし、行き交う人の数は、その準備に必要な人員よりもずっと多かった。
「中継の準備出来ました」
「おう、ごくろーさん」
放送局の廊下。ソファと自販機の置かれた休憩ブース。放送局の外から帰ってきた青年に、中で働いていた中年男が缶コーヒーを差し出しながら聞いた。
「どうだった? ZAFTに見つからなかったか?」
「ばっちりですよ。ZAFTの監視があるのは港湾部だけですし……でも、何だって宇宙なんか撮るんでしょうね?」
外……青年がしてきたのは、ヘリオポリスの外の撮影準備だ。外壁の外に撮影班を配置出来る様に準備をして、そこから映像をケーブルで放送局に届ける準備をした。
それは、突然決まった事らしく、何の意味があるのかは作業をした者達も全くわかっていない。
「オーブの氏族の誰だかが、突然、ねじ込んできたって聞くがなぁ」
「オーブの氏族? ……まさかアスハの犬が、俺達を捕まえに来る艦隊を記録に残すとか言ってるんじゃないでしょうね」
青年が嫌悪と言うよりも憎悪と言うべき表情を浮かべる。
あの日、ヘリオポリス内での戦闘の前には、アスハを讃える番組を流す事に何の躊躇もなかったというのに、随分な変わりようだ。
ヘリオポリス市民を襲った戦災は誰に対しても平等だった。放送局も沢山の職員を失っている。残った人の心も変わらざるを得ない。
それに放送局は、アスハの演説を行って、ヘリオポリス市民の煽動に荷担してしまったという汚点もある。結果としてそれが誤りだったという事を痛感した今では、再びアスハのプロパガンダに利用される事は我慢ならなかった。
もっとも、ZAFTからの命令で「オーブ軍に大人しく逮捕されましょう」と言うような放送を行っている現状が、怒りがあっても抵抗は出来ない現実を表している。
だからこそなおさらなのだろう。放送局に勤める青年のアスハへの憎悪は行き所を無くし、ただその濃度を上げている。
中年男の方もその辺りの感情は大差なかったが、それでも激情に任せる若さを失って久しい為か、感情を押し殺して冷静に考える事が出来ていた。
「違うだろ。アスハが、こんな所まで来るかよ」
答えて、中年男は苦い笑みを浮かべる。
「何でも、その御仁はこのヘリオポリスを救いに来たらしい」
「救う? どうやって? 敵は軍隊だ。前の戦いの時みたいに、蹴散らされて終わるさ」
中年男の笑みからして、ヘリオポリスを救うなどと言う事に期待していないのは明らかだったが、青年は考える事もなく反論した。
「どうせ、また勝手な事を言うだけだろ。今度は、俺達をオーブ軍と戦わせるつもりか? 二度も口車に乗せられる程、俺達は馬鹿じゃない」
「……力を見せよう」
声が青年にかけられた。
青年と中年男が声をかけてきた男を見る。休憩ブース脇の廊下を通りすがったらしき彼は、少女を一人つれていた。
何となく、少女の困惑した様子が印象に残る。それは、同行者の突飛な行動に困り果てているという感じの……
「その時を楽しみにするんだ。君は……いや、放送を見る全てのヘリオポリス市民は知る事になる。自分達を守る力が存在する事を」
ニヤリと笑みを浮かべつつ、予言者か何かを気取ったように含みいっぱいに語る男に、青年と中年男は当然の問いをぶつける。
「「お前、誰だよ」」
男は、堂々と胸を張って答えた。
「僕はユウナ・ロマ・セイラン。職業は自宅警備員。君達を救いに来た男だ」
ヘリオポリス市民の収容任務に就いたオーブ国防宇宙軍所属のネルソン級宇宙戦艦と大型輸送船は、ヘリオポリスに近づいていた。
まだ目視できる様な距離ではないが、望遠カメラはしっかりとヘリオポリスを捉えており、モニターにその姿を映し出していた。
目的地が見えたにも関わらず、大型輸送船の船橋は沈み込んでいる。
誰もが自分達の任務の内容を知っており、そして任務終了後に自分達がどうなるかまで知っているのだ。喜びようなどある筈がない。
船内にオーブ兵は乗っておらず、乗組員達には船内での自由な行動が許されているので窮屈さはなかった。しかし、状況としてはくつろげる筈もなく、精神的な問題から来る不調を訴える者も少なくない。
反乱の可能性については誰もが一度ならず考えたが、同行している宇宙戦艦の砲が自分達に向けられている以上、大型輸送船を盗んで逃げるという事も出来ない。結局、従うしかないのだ。
諦めが支配した船内では誰もが無気力で、自分達に与えられた最低限の仕事をするだけの存在となっていた。
「そろそろ、減速しよう」
船橋の中、不運にも船長の役職を振られた男が口を開く。
大型輸送船はその質量故に機動性は皆無で、加減速及び方向転換に時間を要する。ヘリオポリスの側で止まるには、かなり離れた位置から減速して行かなければならない。
それでもタイミングとしては若干早かったが、ヘリオポリスに早く着いた所で、自分が牢に放り込まれる時が早くなるだけの事。到着時間を少しでも遅らせたいとの思いが、無意識に早めの減速を命じていた。
「了解、逆噴射開始」
言われるがままに速力通信機員が、船速を減ずるよう速力通信機のレバーをセットする。
と……ややあって、船橋の通信機が鳴った。
『こちら機関室。逆噴射がされません。原因は調査中。放置されていた船ですから、何処かにトラブルが出ると思っていましたが……』
通信機を通し、機関長から投げやりな報告が上げられてくる。本来ならば叱責しても良い態度だが、こんな任務であっては仕方がないと、船長はもうそんな事は気にしない事に決めていた。
「オーブ軍の連中が直したと言っていたが、手を抜かれたものだな」
船長自らがオーブ軍への皮肉を言う。船橋のクルー達から僅かに笑みが漏れた。
「もう一度、試してみろ。ダメなら、ターンして止める」
逆噴射が利かなくても、船体を百八十度ターンさせ、それから主推進器で減速をかける事が出来る。到着まではまだ時間があり、対処をする余裕があった。それに、到着の遅れはむしろ嬉しい事。
が……そう考える余裕は、機関長の上げた困惑の声に破られる。
『……何だ? ちょっと待ってください、今……』
機関長の声は突然、悲鳴に近い響きを持った。
『推進器が勝手に……推進器最大出力! 加速する!』
「何だと!?」
巨大船だけあって、推進器が全力を出しても、それとわかる程の加速は得られない。しかし、速度は確実に増しているだろう。
『調査して報告します! では!』
機関長は通信を切った。
「暴走している……のか? どういう事だ!?」
船長は、とりあえず状況を推進器の暴走と定めて、船が止まる事の出来ないまま遠い宙域まで行ってしまい自力帰還や救助活動が困難になる危険を考えた。暴走している推進器の調査と修理は機関員に任せるより他はないので、まずはこれに対処する。
その危険を避けるには、進路を変えて地球圏を巡る円環の軌道を取ればよい。そうすれば、仮に推進剤を使い切るまで暴走しても、救助の手の届きやすい場所に居る事が出来る。
問題は、今の自分達が、急な進路変更が許される立場にない事だろう。逃亡だと思われて、戦艦から攻撃を受けては困る。
「オーブ軍に連絡を取れ! 連絡を終え次第、進路を変える!」
船長の指示を受け、通信士と操舵士が自らの仕事に取りかかる。
しかし、ややあってから彼らはほぼ同時に声を上げた。
「通信機に不調! 一切の通信が行えません!」
「操舵不能! 操作を受け付けません!」
船橋の中が凍り付く。
幾ら何でも、同時にこれほど多数の故障が起こるとは考えられない。
状況を理解出来ず、船橋にいる誰もが呆然とした様子で船長に目をやった。
「…………落ち着け。各員、自分の担当する船の機能を確認しろ」
船長は、自らの責任感だけを頼りに平静を保とうと努力する。
何が起こっているのか……原因を探るように、船橋の中を見回す船長の視線が、船外を映すモニターで止まった。
船橋のモニターに映し出されるヘリオポリス。それは僅かずつ、モニターの中での大きさを増してきている。輸送船は、ヘリオポリスへまっすぐに進んでいる――
「まさか!」
船長は最悪の想像をひらめいて声を上げた。
「ヘリオポリスの位置と、この船の予想進路を確認しろ! 急げ!」
船長のその指示に、クルーの一人がコンソールを叩く。結果はすぐにモニター上に映し出された。
予想進路として表示された線は、ヘリオポリスを貫いている。
それを見た全員が愕然とする中、計算を行ったクルーが自らの職務上の責任感からか震える声で報告を行う。
「船が現在の進路を進み続けた場合……ヘリオポリスに……衝突します」
巨大な質量をもつ大型輸送船が高速でコロニーへ衝突する。それは、コロニーを崩壊させるに足る一撃となる事は明らかだった。
オーブ国防宇宙軍所属のネルソン級宇宙戦艦。その艦橋で、艦長席に座る壮年の男が、使命感に燃える眼をしながら厳しい表情でモニターを見つめていた。
モニターに映るのは、ヘリオポリスへと突き進む大型輸送船。
「停船せよ! 予定の行動から外れている! 直ちに停船せよ!」
通信士が繰り返し、停船するように指示を出し続けている。全ての者が作戦の全容を知るわけではない。
国家反逆分子によって運行されていた大型輸送船が逃走、しかし操作を誤ってヘリオポリスに衝突、ヘリオポリスを破壊する大事故となる――そういった状況を演出し、ヘリオポリスを破壊する事が今回の作戦の真実だった。
オーブの理念に「他国の侵略を許さず」という項目がある。ヘリオポリスがZAFTに占領されたままの状態は、この理念に反している。しかし、敵の占領で奪われたのではなく、事故で失われたのならば、オーブの理念に反する事はない。
また、オーブの理念に反する者達の愚行として記録に残れば、国民はオーブの理念に反する者への怒りをより強くするだろう。そうなれば、オーブの理念は国民の中でより強固なものとなる。
艦長は、この作戦が終わった後に相応の責任を取らされる事は覚悟していた。
管理下に置かなければならない大型輸送船の反乱を許したという失態。これはどうしても残ってしまう。
艦長は、その罪を全て背負う覚悟だ。彼はオーブの理念に殉じ、オーブの礎となる事を心底喜んでいた。
「……国土紛争の原因となるだろうヘリオポリスを砕き、蔓延る国賊を根絶やし、オーブの平和を守る」
誰の耳にも届かぬよう小さく呟く。艦長の顔が歓喜に歪んだ。
ヘリオポリスはオーブの癌だ。それを自らが、この手で切り取るのだ。自分はオーブを救う英雄だ。オーブの歴史の一幕に自らが立つのだ。
使命へ身を捧ぐ事への陶酔感。自らが正義を成している絶対の自信。それらは、世界の全てが自らの背を押してくれているかのような、得難い歓喜を与えてくれる。
そう……その歓喜は得難い。今までの人生で一度として味わえなかった程に。しかし、得てしまえば満たされぬ今までの人生での飢えを満たして余りある歓喜を味わえる。
「……行け。進め……正義の道を……」
大型輸送船は、ヘリオポリスへと突き進んでいく。障害は何も無い。艦長にはそれが、正義を成す者の前に、全てが道を空けたかのように思われた。
それが、姿を現すまでは――
ヘリオポリスの外壁の一部が、重々しくも音もなく開いていく。
その後ろ、四角く切り取られたように開く空間。そこに潜んでいたモノは、闇の中で単眼を赤く光らせる。
直後、それは背に爆発的なスラスター光をほとばしらせ、その姿を照らし出すと同時に宇宙へと飛び出した。
虫の様な無機的な存在感をまとう者。無慈悲なる死神の鎌を振るい、光線の糸を吐き飛ばす魔獣。終末に破滅をもたらす黙示録の蝗として生を受けた機械。
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トール・ケーニヒは、そのコックピットにいた。
機体を実際に動かすのは初めてではあるが、シミュレーションを繰り返した甲斐あって操縦に惑いはない。
もっとも、シェルターの秘密のエアロックを通って出撃した後は、一直線に敵に向かって飛んでいくだけなのだから、難しい操縦を強いられてはいないのだが。
本当に難しくなるのは戦闘が始まってからだろう。しかし、トールは不安を抱いては居なかった。ミステール1を御する自信がある……だが、それだけではない。
シミュレーターでの訓練で手にした……いや、わからないがきっと、それよりも前に手に入れていた力がある。
使う事は簡単だ。操縦席に座ったその瞬間から、トールの身の内でその力は呼び覚まされようとしている。むしろ、意識して抑える事の方が難しい。
そう望んではいないつもりでも、心の奥底では力を解き放ちたくて仕方がないからだろう。実際、シミュレーターで力を使わずに戦おうと試みても、戦闘に没頭し始めるといつの間にか力を使ってしまっているのが常だった。
最近は力を積極的に使うようにしている。副作用があり、その度にエル……すなわちトールにとってのミリィに心配させるのが問題だったが。
だが、その副作用は、トールにとってはむしろ心地よさすら感じさせてくれるものだ。それに耽溺する事に本能的に恐れを抱いてはいたが、その恐れをもってしても退けがたい程に、トールを惹きつけて止まない。
トールは操縦桿を握り直し、軽く目を閉じて自らを誘う力に意識を委ねる。
種子――
腐敗しきり朽ち果てた種子。黒く変色し、湿り気を帯びた、一つまみの土塊にも等しい汚物が、自らの存在に耐えきれなくなったかのように崩れ、塵となって拡散していくイメージが脳裏に浮かぶ。
そして、そのイメージは別のイメージへ重なる。
炎の中に踊る少女……炎の中で焼け爛れ、引き裂かれ、崩れ落ちながら塵となって消えていく少女のイメージ。少女が炎の中で微笑んで囁く言葉……トールにはそれが聞こえない。
これが何の意味を持つのか、トールにはわからない。
ただ一つだけわかる事がある。それは、この儀式を通して、トール・ケーニヒは存在しなくなるという事。
人間性が完全に欠如し、残るのは……ただ一匹の魔獣。
“圧倒的な力を見せて欲しい”
ユウナからはそう言われている。ならば、その望みに応えよう。
焦点を失った瞳が、モニター越しに宇宙を見渡す。
獲物が居る。牙を持ち、爪を持った獲物。全てたいらげよう。
トールと同一化したミステール1の傍らで少女が微笑む。焼き砕かれた顔で。
「艦長。ヘリオポリスから、何かが射出されました」
索敵手が突然の報告を行う。歓喜の時を邪魔され、艦長は少し苛つきを感じながらも、平静を装って聞き返す。
「ZAFTか?」
ZAFTの防衛戦力が邪魔をしてくる事は当然のように考えられていた。
しかし、今現在、プラントとオーブは交渉中にある。その交渉を決裂させてしまわない為に、ZAFTも強硬な対応はしてこないだろうと読まれていた。
つまり、大型輸送船を撃沈するという判断には慎重に成らざるを得ない。判断に迷っている間に、大型輸送船の衝突を阻止出来る限界点を突破してしまえば、作戦の成功は確定する。対応を間違えなければ、戦闘にすら成らないはずだ。
艦長は、事前に考えられていたZAFTへの対応の事を思い出しながら、索敵手がZAFTの動きを報告するのを待つ。
しかし、索敵手が返した答えは、艦長の予想とは違っていた。
「いえ、港口からではありませんから、ZAFTでは無いと思われます。それに、大きさから言ってシャトルではないかと」
ZAFTなら、占領している港湾部から出撃してくる筈だ。
「逮捕直前にして逃げ出そうという輩か」
艦長はシャトルと聞いて簡単に判断する。惰弱な敗北主義者であり、国家を売る事も辞さない卑怯者であるヘリオポリス市民ならば有り得る事だ。
「MA隊第一小隊を出撃させろ。停止命令を出し、従わない場合には撃墜しても構わん」
出撃命令を出させ、艦長は余裕を持って少し微笑んだ。
問題が起きる事は歓迎すべきだ。多数の問題が起こっていれば、大型輸送船への注意も薄れるだろう。それは作戦の成功率のアップに繋がる。
だが、そんな余裕は、索敵手の更なる報告に掻き消えた。
「ヘリオポリスから出現した不明機、高速でこちらへ飛行してきます! これは、シャトルの機動性能では有り得ません!」
「モニターに映せ!」
艦長のその声に、モニターに映し出されていたヘリオポリスの映像の一角がクローズアップされる。
そこには、スラスター光を背負いながら一直線に向かってくる機影があった。
「何だ? MSではないな。ヘリオポリス駐留のZAFTに照会しろ!」
相手が何であれ、ZAFTならば対応を変える必要はない。しかし、もしそうでないならば……
通信士に指示を下しながらそんな事を考え、艦長は頭を振ってその考えを否定する。
有り得ない。ヘリオポリスにZAFT以外に何が居ると言うのか? 売国奴共? 売国奴共が謎の機体を持っている……そんな事は馬鹿げている。
だが、否定したその考え自体が、通信士によって否定される。
「艦長! ZAFTでは、あの機体について関知していないとの返答です!」
「な……何だと!? では、あの機体は何だと言うんだ!」
艦長は激昂しながらモニターを指し示す。そこに映し出される機影は、確実に大きくなってきていた。
「共用回線で不明機に所属と飛行目的を問いただせ!」
「了解!」
艦長の指示に、通信士が応える。しかし、返答が得られる前に、索敵手の報告が来た。
「先に出撃したMA小隊が交戦距離に達します」
艦を発った四機のMAメビウスが、不明機に接近しようとしている。彼らは、不明機に対して停止するように求めているはずだ。そして、それに従わない場合は撃墜せよと命じてある。
不明機はどう出てくるのか? その挙動の一切を見逃さないとでも言うかのように、艦長は緊張の面持ちでモニターの中の不明機を見つめていた。
隊長機を先頭にしてダイヤ型を形作るように編隊を組んで飛ぶメビウス小隊。不明機はその編隊に正面から突っ込んでくる。
編隊各機は、対装甲リニアガンの照準を不明機に合わせ、必要となれば一撃を撃ち込める態勢をとっていた。
とは言え、現状ではまだ先制攻撃は許されていない。攻撃は、まず通信で停止命令を出してから、敵がそれでも動きを止めなかった場合にだ。
メビウス小隊隊長は、接触前に通信機を使って呼びかけた。
「飛行中の機体は即座に停止せよ。貴機は、オーブ国防宇宙軍所属艦艇の防空圏に進入しようとしている。警告に従わない場合、発砲する。ただちに停止せよ」
同じ事を数度通信して、不明機の反応を待つ。しかし、不明機は停止する素振りなど見せず、進路も変えずに突き進んでくる。
隊長は、通信を僚機に送った。
「アルファ2は曳光弾装填。威嚇射撃用意。ベータ1、2は引き続き不明機を警戒せよ」
了解と返る通信を聞きつつ、隊長もまた曳光弾を対装甲リニアガンに装填する。
まずは威嚇射撃。その効果がなければ、撃墜しても構わないだろうと。明確な戦闘状態ではない為、確認作業に手を取られるのは面倒だった。
「飛行中の機体は即座に停止せよ。貴機は、オーブ国防宇宙軍所属艦艇の防空圏に進入しようとしている。これより威嚇射撃を行う。警告後、即座に停止しない場合は撃墜する」
再度の警告をしたが、不明機は止まる様子も無い。
これは、ZAFTではないなと隊長は察した。ZAFTならば警告を無視するという事はないだろう。となれば、ヘリオポリスの住民なのか?
不明機はかなりの大きさがあり、メビウスの様なMAでは無い。改造したシャトルの様な物で戦うつもりなのかも知れないと想像した時、隊長は冷笑を漏らした。
そんなもので戦えるなら、ZAFTと戦って死ねば良かったのだ。売国奴が……と。
不明機は、もうすぐ対装甲リニアガンの有効射程に入る。威嚇射撃の必要など無かったかと思いながら、隊長は操縦桿のトリガーに指を添えた。そしてそれが……隊長の最後の意識となった。
互いに向かい合い、突き進むミステール1とオーブ軍のMA小隊。両者は、多くの目に見守られていた。
先手を打ったのはミステール1。
メビウスの有効射程に入る一瞬前にミステール1が放った二条のビームが、隊長機とその右後方を飛んでいたメビウスを貫いた。
残りの二機は、宙に突如生まれた爆発を避けて散開する。が、次の瞬間、その内の一機をビームが捉えた。重なり合う大きな爆光の側に、もう一つ新たに爆光の花が咲く。
残る一機は爆発を避けて生き延びたが、その進路はミステール1のいた方向から大きく外れてしまっていた。
メビウスなどの旧型MAの特性上、一度変えてしまった進路を元に戻すにはかなりの移動距離を必要とする。
弧を描くような軌道をとりながら、ミステール1のいた方向へと機首を戻そうとするメビウス。しかし、その動きを完遂する前に、メビウスは再度放たれたビームに貫かれて爆光に変わる。
ミステール1は、四機のメビウスが散った宙を何事もなかったかのように飛び抜け、更にその奥を目指した。オーブ軍のネルソン級宇宙戦艦を襲う為に。
「戦闘が……戦闘が始まったぞ!」
ヘリオポリスの外壁から撮影を行っているテレビクルー達は、カメラマンが捉えていた今の映像に騒然となった。
遠見では宇宙の漆黒の闇の中に、一瞬の閃光が瞬いただけだ。しかし、モニターの中にはビームに貫かれるメビウスが映し出されていた。
「しっかり撮れ! こいつは凄いぞ!」
ディレクターが興奮して叫ぶ。
自らの運命に絶望をもたらしに来た者達に一矢報いる存在……誰もが願わずにはいられなかった存在が、カメラの中で戦いを演じて見せていた。
その戦闘映像を受け取っているテレビ局の中は、今や興奮のまっただ中にある。
最初は、自分たちを逮捕する為に来た軍艦が堂々進撃して来るという、見れば気落ちするだけのニュース映像とばかり思われていたそれが、全ヘリオポリス市民に伝えるべき物へと変貌したのだ。
オーブ本国に敵対する者の出現。それが朗報なのか、それとも凶報なのかの判別はつかないが、その答はミステール1の戦い如何にかかっている。ならばそれは、ヘリオポリス市民全てが見守るべきだろう。
テレビ局の中を、スタッフ達が慌ただしく駆け回る。
今や、全ての放送が中止されていた。どうせ、「オーブ軍が来たら大人しく逮捕されましょう」というような案内放送や、過去の番組の再放送くらいしか流せていなかったのだ。そんな物よりも重要なニュースがそこにある。
「予定を変更して、緊急特別番組を放送します。ヘリオポリスの外で、戦闘が始まった模様です」
ローカルニュース番組を撮るのに使われていたスタジオで、局のアナウンサーが緊張した様子でカメラに向けて話しかけていた。
「戦闘を行っているのは、オーブ国防宇宙軍。そして……え?」
下読みをする時間など与えられていなかったアナウンサーが、ニュース原稿のその部分を見て困惑を露わにする。
だが、困惑した所で原稿の内容が変わるわけもない。
アナウンサーは、ぐっと唾を飲み込んで、自らを落ち着けながら原稿の先を読んだ。
「失礼いたしました。戦闘を行っているのは、オーブ国防宇宙軍。そして、ヘリオポリス所属のモビルアーマー、ミステール1です。
ミステール1は、ヘリオポリス行政官が密かに用意していたモビルアーマーであり、彼の市民を守ろうとする遺志……これは遺す方の遺志です。遺志により、オーブ国防宇宙軍しいてはオーブ政府に対する戦闘行動を開始した。との事です」
原稿を読み上げたアナウンサーにも、疑問の色は隠せない。
ヘリオポリス行政官が用意したMA? オーブ政府への戦闘行動? かろうじてわかるのは、今まで隠れていた何かが動き出したという事くらいだ。
しかし、アナウンサーに惑っている時間など与えられない。早く先に進めろと指示を出され、アナウンサーは原稿の末尾の部分を読み上げた。
「ともかく、実際の映像を御覧ください。今現在、ヘリオポリスのすぐ側で行われている、実際の戦闘の映像です」
ネルソン級宇宙戦艦が、アンチビーム爆雷を射出し炸裂させながら、同時に艦載機を出撃させている。
当然の事ながら艦内は、戦闘態勢への移行に伴い騒然としていた。
「ZAFTから通信! 領空内に出現した不明機に対し、ヘリオポリスの防衛部隊を出撃させたとの事です!」
「領空だと!? 違う! ヘリオポリスはオーブの物だ! オーブの理念を守る為、そうでなければならんのだ!」
艦橋で通信士からの報告に艦長は叫び返し、それからヒートアップした頭をさまそうとでもするかのように首を振る。
ZAFTが領空を主張するのは当然の事だ。忌々しい事ではあるが。
しかしそれも、この作戦が完了するまでの事。今は言わせておけばいい。問題はZAFTが部隊を出してしまったという事だろう。
そう簡単に今回の作戦が阻止出来る筈はないが、対応出来る部隊が居るのと居ないのとでは、状況的に大きな違いがある。居ない方が好ましいのは言うまでもない。
今は不明機を早急に始末して、ZAFTの部隊にはお帰り願うのが良い。
「MA隊、第二・第三小隊を出撃させろ!」
艦長は指示を下す。艦内には他にまだ二個小隊を残していたが、これは教本通りに予備戦力を残したというもの。優秀な艦長は、教本に忠実であった。
もとより、MS相手でも戦力比は五対一なのだ。大型であってもMA相手に八機を投入して負ける筈がない。そんな考えが艦長の中にはあった。
彼は知らなかったのだ。そこに魔獣がいると言う事を。
ネルソン級宇宙戦艦を発ったメビウスは各小隊毎に横隊を組み、四機横一列に並んで宙を進む。両小隊が歩調を合わせ、数の優位を活かせるよう同時攻撃を仕掛けるべく。
これならば、不明機から先制攻撃を受け数機が撃墜されたとしても、残る機体で攻撃をかける事が出来る。
そして、各メビウスのコックピット内、モニターに映し出される不明機に照準が合わせられた。
不明機は、進路を変える事もなくネルソン級宇宙戦艦を目指している。
「敵の有効射程は長い! 両小隊の隊長機が牽制射撃を敢行。有効射程に入った後に残る機で仕留める! 各員は隊長機の射撃を待って行動せよ!」
『了解』『了解』『了解』
第二小隊隊長が指示を出した。すぐに部下から返答が送られてくる。第三小隊でも、同じ命令が出されている事だろう。
先の戦いで不明機は、メビウスの有効射程に入った直後に、メビウスを撃墜して見せた。それは、不明機のビーム砲の射程距離が、メビウスの対装甲リニアガンと同じかそれ以上である事を示している。
正面からぶつかり合ったのでは味方に再び犠牲が出るだろう。それを防ぐ為、命中精度に難が出るのを覚悟で、有効射程外から攻撃を仕掛けて不明機を牽制する。
「……牽制射撃、開始!」
小隊長は、操縦桿のトリガーを引いた。
直後に、対装甲リニアガンから撃ち放たれた砲弾が不明機に向かう。無論、それは目に見える物ではない。しかし、不明機のコックピット内では、砲弾の接近をレーダーで感知したコンピューターが警報を上げているはずだ。
それに、有効射程外とはいえ狙って撃っているのだから、当たる可能性は有る。
通常ならば攻撃されているという事実から、何らかの動きを見せる筈。MSだとしても、それは同じ……だが、
「……なに?」
変わらずその距離を詰めてくる不明機に、小隊長の表情が曇った。
「絶対に当たらないとでも思っているのか? いや……」
モニターに映る不明機の無機質な単眼を見て、有り得ない想像が沸き上がる。
「こいつには恐怖がない……」
呟いた直後、不明機のビーム砲の砲口が光を発した。小隊長は燃え上がり砕け散るコクピットの中で断末魔の叫びを上げる。
牽制射撃を無視して進んできた不明機の射撃は、第二小隊の隊長機ともう一機を瞬時に爆炎へと変えていた。
「有効射程内だ! 撃て!」
第三小隊隊長は、味方の撃墜に部下が動揺する前に命令を下す。
その命令は第二小隊の機にも伝えたので、計五機が一斉射撃を行える筈だった。しかし、射撃が行われるより一瞬早く、不明機は各機の照準の中から消える。
「な!?」
驚きに声が漏れる。
カメラが自動的に不明機を追尾しその動きを追っていた。軌道をねじ曲げるようなその動きはMSという兵器が得意とするものであり、MAでは有り得ない動きだ。
そして不明機は、その有り得ない動きで第三小隊の方を向き、ビーム砲のある正面射界に捉えようとしていた。
「各機散か……」
命令を下し終える前に、第三小隊隊長は自機を貫いたビームの中でその身を灼き消される。
第三小隊のもう一機も同じ運命を辿り、宙に二つの爆光が咲いた。
敵が命を失った証の光がモニターに映し出され、ミステール1のコックピット内を明るく照らし出す。焦点を失った瞳でそれを見るトールには、別の物が見えていた。
爆炎の中に浮かぶ少女。炎の中で焼き尽くされ、爆発に切り刻まれる少女。彼女が微笑んでいるのはわかるが、それが誰なのかはわからない。
『…………』
聞こえる。少女は何かを囁いている。しかし、その声はどうしても聞き取れない。
トールは、第三小隊の残る二機にビームの照準を合わせた。
隊長機を失った二機は、コースを変える事無く進み続けている。隊長機が命令を下していたならば、散開して逃げ、自らの命をほんの数分でも延ばせていただろうに。
ミステール1からビームが放たれ、メビウス二機が爆発して宇宙の塵となる。そして、トールは再び少女と刹那の邂逅の時を得る。
その姿は見えない。その声は聞こえない。
宙に爆発が起こる度、少女の幻影は一瞬だけ姿を現し、消える。そう、わかってきた……ならば。
トールは残る第二小隊の二機を探した。二機は別れて飛びながら、それぞれがミステール1に向かって来ようとしている。
同時に射界に入れる事は出来ないので、とりあえず一機を射界に入れて撃つ。ビームは、簡単にメビウスを貫き、炎の塊へと変えた。
続いて最後の一機を狙い撃つ。ミステール1の……と言うよりもザクレロシリーズのビームは連射が利くので多数を相手にするには向く。
最後の一機も逃げる事など出来ず、ビームに貫かれて散った。
少女は二度共に現れ、そして刹那で消える。その顔は見えない。その声は聞こえない。
しかし、わかる。少女は――笑っているのだ。
ミステール1は、更なる敵を求めてネルソン級宇宙戦艦を目指す。
トールは、敵を殺す度に少女の幻影が鮮明になっているような気がした。ならば、幾百、幾千と敵を殺せば、少女はもっと自分の所に居てくれるかもしれない。もし少女が、幾千幾万の戦いの果てにトールの元へと来てくれたなら……その時には……
その時に何をしたいのかはわからないが、トールの中に狂おしいまでの欲求があった。少女に会いたい。そして……そして……
「……敵を。もっと敵を」
貪るべき熱い血肉を求め、トールの口から無機的な声が漏れた。
「MA八機が五分で全滅だと!?」
ネルソン級宇宙戦艦の艦橋。信じがたい状況に、艦長は悲鳴のような声を上げた。
「対空戦闘用意! 残りのMA隊も出撃させろ!
直後に指示を出すが、状況が絶望的なのは誰の目にも明らかだ。残るMA二個小隊八機を注ぎ込んでも、同数のMAを容易く蹴散らした不明機を止められる筈がない。
後は艦による対空攻撃を加えて、どれだけ戦況を変えられるのかに全てはかかっている。
「砲撃! 砲撃を行え! 当てて見せろ!」
「は、はい! 砲撃を行います」
誰もが無茶とわかる命令に、火器管制担当が応えた。無茶でも、やらなければ死ぬだけだと言う事位は、やはり誰もがわかっている。
二連装大型ビーム砲三門が、不明機に向けて六本の光条を伸ばした。
しかし、当たらない。艦砲は同じ艦船や要塞、あるいは敵集団に撃ち込む位しか想定されていなく、戦闘機動を行うMAに直撃させられるようなものではない。
それでも、接近する不明機に対して更なる砲撃が行われる。二回目の砲撃は、一回目よりも大きく目標を外していた。クルーの焦りが、只でさえ低い艦砲の命中精度を更に落とし込んでいる。
「何をやっている!」
「VLSに対空ミサイルの装填完了いたしました!」
艦長の怒声に被るように、クルーの報告が上がった。艦長は考える事もなく叫ぶ。
「撃て! 何でも良い、奴を止めろ!」
その声を受け、十六基の多目的VLSが次々にミサイルを吐き出した。
ミサイルはスラスター光を後に曳きながら、不明機めがけて殺到する。
「ミサイル十六発、不明機に向け飛行中……」
索敵担当がミサイルの行方を報告しはじめたその時、モニターの中で不明機がビームを放ちながら薙ぐように身を捩った。
「ミサイル六発消滅! 十発が敵を依然捕捉中!」
不明機による迎撃で六発減ったものの、残りは健在。この報告に、艦橋要員の間に期待感が芽生えた。
が……この時、誰も気付く事はなかった。不明機が、回避運動さえ取らずにミサイルに正面から突っ込むような軌道を取った事に。
直後、ミサイルは不明機の居る空間に次々に突入。近接信管を作動させて爆発し、周囲に爆光と破片を満たす。
モニターの中、不明機はミサイルの爆発に包まれて姿を消した。
艦橋に誰が漏らしたのか感嘆の呻きが響く。艦長は不明機の撃墜に確信を持って、笑みを浮かべると同時に口を開いた。
「十発のミサイルの同時着弾だ。MSだって無事では……い……」
言葉が途中で止まる。ミサイルの爆発の残光が消えつつあるモニターを見る目が、驚愕に見開かれていく。
そこには、変わらぬ不明機の姿があった。
メビウスの装甲を容易く切り裂く破片の雨を受けてなお健在。まっすぐにネルソン級宇宙戦艦……すなわち獲物を目指して突き進んでくる
「何だ……あれはいったい何だ?」
艦長は、艦長席に深く身を沈めて、敵の正体を誰に問うでもなく問うた。
「第四・第五小隊、交戦に入りました!」
艦長の問いに答は返らず、クルーの報告のみが上がってくる。その報告も、交戦を報せた所で途絶える。
もはや、報告の必要など無かった。モニターの中、次々に宙に咲く爆光。それが、現在起こっている現実を伝えてくる。
「う……うわぁああああああっ!」
クルーの一人が恐怖の叫びを上げながら、モニターに背を向け頭を抱え込んだ。
「何をしてる!? 戦闘中だぞ!」
艦長は叱咤の声を上げ、そのクルーが予想外の人物だった事を知り、怪訝げに眉を顰める。そのクルーはコーディネーターであり、常に冷静沈着で知られていた筈だ。状況的に誰かが錯乱してもおかしくはないが、いつも冷静だった者が真っ先にこうなるとは……
「――全滅! MA部隊全滅です!」
クルーの悲鳴混じりの報告が、艦長を思考の中から引きずり出す。絶望的な現実の中へと。
守りの兵を全て喰らい散らし、魔獣はついに王城へと駆け上ってきた。
「た……対空防御!」
ネルソン級宇宙戦艦の各所から、二連装対空砲五門と75mmガトリング機関砲による細い火線が伸びる。これとて、当たればMAを砕き、MSでも損傷させるに足る威力はあるのだ。
だが、魔獣に対しては?
答えはすぐに出た。不明機が、装甲表面に着弾の火花を散らせながら突き進んできた時に。そして、反撃とばかりに撃たれたビームが、対空砲を次々に貫いていった時に。
艦長の胸の中に絶望が広がっていく。その目は血走り、身体は震え、戦いが始まる前までの歓喜の表情は全く無くなっていた。
作戦は全て順調だったのだ。オーブの正義を邪魔する者など、何も無かった筈なのだ。
だが……それは来た。
「何なんだお前は!?」
叫ぶ艦長の目の前、モニターに不明機の赤い単眼が輝く。無機質な、ただの機械でしかないそれを見て……艦長は何故かこう思った。
「笑っているのか?」
その呟きの直後、至近距離まで来ていた不明機が対艦ミサイル八基を撃ち放つ。
ミサイルは次々にネルソン級宇宙戦艦に当たって爆発し、最後の一発は艦橋に突き刺さった。艦橋に居た全てのクルーは一瞬で灼き滅ぼされ……僅かに遅れて艦自体も誘爆を起こし、残る乗組員をも千々に灼き砕く。
その一際大きな爆光に照らされながら、不明機……ミステール1は初めてその機動速度を緩めた。
しかしそれは、戦闘の終わり故ではなく、新たな戦いに備えての事。
回頭し進路を変えるミステール1が新たに向き合う先……ヘリオポリスから出撃してきた六機のMSジンの機影があった。
テレビ局。放送は山場を迎えたらしく、かなり騒然としている。
そんな中、ユウナ・ロマ・セイランとエルは、局内の一室に待機していた。
芸能人の控え室……ではあるのだが、ここしばらくの間は芸能人を呼んで撮影を行う事など無かった為、倉庫代わりに使われて雑多な荷物を詰め込まれていて狭い。
そんな狭くなった控え室をパーティションで更に二つに区切り、一方でユウナはスーツ姿で暇そうにしていた。
と……エルが、パーティションの向こうから顔を出して聞く。
「……ユウナさん、着替えましたけど……これ何ですか?」
「ああ、ステージ衣装だよ。さ、見せてくれないか?」
ユウナはエルには特別な衣装を渡し、その着方もメモにちゃんと用意して渡し、ここで着替えをさせていた。
ユウナに促されて、エルはおずおずとその姿を現す。
エルが身にまとっていたのは黒のドレス。精緻な細工に飾られた古風なそのドレスは、エルに気品と可憐さを与えていた。
そして更に、エルの首と両手首、両足首に太い革ベルトが巻き付いている。革ベルトからは短い鎖が垂れており、エルの動きに合わせて小さく鳴った。
その武骨なベルトが、高貴なる令嬢といった印象のエルが浮かべる不安と怯えの色を帯びた表情に合わさり、ある種の淫靡さを漂わせている。
「良いね。パーフェクトだ。君を見ていると……たぎってならない」
ユウナは手放しでエルを褒めるが、さすがにエルは素直に喜ぶなどと言う事はなく、首や手足にはまった枷に不安げに触れながら聞いた。
「この首のとか……」
「君はヘリオポリスの象徴だ。首輪、手枷足枷は、ヘリオポリス市民に科せられている不当な罪を象徴しているんだよ。千切れた鎖は、そこからの脱出を意味しているんだ」
口から出任せも良い所ではあったが、言ってからユウナはこの出任せが意外にも良い感じにまとまっている事に満足して頷いた。象徴的な意味を持たせるというのは、口実としても、実際の効果としても申し分ない。
実際の所はと言うと、エルに着せた服はユウナの趣味以外の何物でもなかった。後は鎖を壁か天井にでも固定してやれば完璧なのだが、流石にそれではテレビに出演させる事が出来ないので諦めている。
「もうしばらくしたら、戦闘が終わる。そうなってからが、僕らの出番だ。トール君の戦果を無駄にしない為に頑張ろうじゃないか」
言いながらユウナが指差した先には、小さなテレビが置かれていた。その画面の中、宇宙に浮かぶミステール1の姿がある。
それを見てエルは、安堵とも怯えともつかぬ表情を浮かべた。
トールの生存が確認されている事はやはり嬉しいのだろうが、エルにとってミステール1はトールを連れ去る物でしかない。それが、エル表情の揺らぎの意味か……
そんな分析をしていたユウナに、エルはふと気付いたという様子で聞いた。
「ユウナさんは、そのままで良いんですか?」
「え? ああ……すっかり忘れていた。正体は隠したいな。でも、時間も無いし……」
エルに言われて初めてそれに気付いたとばかりに手を叩き合わせ、それからユウナは控え室の中を勝手に漁り始めた。
ややあってユウナは、控え室に置かれていた誰かの荷物の中から、芝居の衣装の一部だと思われるマスクを見つけ出してくる。
「そんなので顔を隠して、大丈夫なんですか?」
怪しまれるんじゃないかと思って聞いたエルに、ユウナは何でもない事のように答えた。
「軍のトップエースが仮面つけて平気なんだから大丈夫じゃないかなぁ」
ZAFT連合問わず軍では何故か珍しくは無い事。だからとユウナは、これまた勝手に拝借してきた手拭いを手慣れた様子で頭に巻き付け、それからマスクを被る。
ゴムで出来た、人の頭部をそのまま象っただけの白いマスク……目と口の部分だけぽっかりと穴が開けられており、そこからユウナの目と口が覗く。
マスクによって表情といったものを完全に失ったユウナ。それはつまり、普段の道化じみた虚飾を全て失ったと言って良い。
マスクから覗くユウナの目……それを見てエルは恐怖を覚えた。まるで同じ人物とは思えない、暗く冷たいその目を見て。
「……スケキヨだよ」
「え?」
ユウナの目に射竦められた様に動けないでいたエルを我に返らせたのは、ユウナの冗談混じりの声だった。
「マスクさ。古典演劇の小道具なんだけど……良い物が見つかった。これなら、誰も僕だとはわからないだろうからね」
声はいつもの通り、仕草もいつもと変わらない。エルは、ユウナの目に感じた異様さが気のせいだったかと安心した。
しかし、ユウナが口を閉ざせば、あの暗い情念をはらんだ眼差しが際立ち、エルを不安にさせる。そんなエルの不安げな表情を愉悦の目で見つめながら、ユウナは思いついた言葉をそのまま口に乗せた。
「これは野心家であり、陰謀者のマスクだ。そして……全てを果たせずに殺される男のマスクでもある。この事が何かの象徴にはならないと良いね」
そう嘯くユウナの口元には不敵な笑みが浮かぶ。まるで、自らの事を語っているかのように……
戦闘の灯は、大型輸送船の船橋からも見えていた。
オーブ国防宇宙軍所属のネルソン級宇宙戦艦が爆散するのを、船長は信じられない物を見る思いで見守る。今まで自分達が感じさせられていた威圧感の大きさと、あっけなく宇宙に散っていく宇宙戦艦の姿のギャップを認めかねて。
しかし、如何に信じがたい状況であっても、これは現実である。惜しむべきは、これが自分達の危機脱出の一助にはなりそうにないという事か。
「……各員、自分の仕事に戻れ! 問題は解決していないが、オーブ軍の糞共が死んだ分、状況は好転しつつあるぞ!」
船長は、自分と同じく今の戦闘に見入っていた艦橋要員達に向かって声を上げ、彼らの成さなければならない困難に再び立ち向かわせた。
大型輸送船の状況は何も変わっていない。
主推進器及び姿勢制御スラスター、操作不能。大型輸送船は、狙い澄ましたかのように……いや、明らかに狙って、ヘリオポリスとの衝突コースを突き進んでいる。
そして、通信不能。救助を求める事はもちろん、衝突の危険を報せる事も出来ない。
船員達は何とか状況を打開しようと、不調の原因とその打開策を探して必死に自らの出来る事をやり続けている。
船長は、自らの立場故に状況を見守るしか出来ない事に歯がみした。しかし、それこそが他の誰にも出来ない、船長だけに出来る事でもある。
せめてとばかりに、船長は頭を働かせる。何が起こっているのか……いや、今、何を成すべきなのか。思考に没頭しようとしたその時、船長の傍らでコンソールが鳴った。
「何だ?」
機関部からの通信。コンソールを操作して回線を開くと、重く苦々しい空気をまとわりつかせた機関長の声が応える。
『船長……原因を突き止めました。推進器制御系のOSが主原因です。こいつが、こっちの命令を拒絶してる。それから、予備制御系も緊急停止装置もやられています』
バグなのか……あるいは何か仕込まれたか? 船長の中に疑念が渦巻く。だが、それを問い質すよりも先に聞くべき事があった。
「修理は可能なのか?」
原因がわかっても、それを解決出来ないのでは意味がない。
その事は機関長も理解していた。用意してきていた答を返す。
『今、機関士および整備士全員で、推進器をコンピューターの制御から切り離し、手動で操作を行う準備をしています。安全の保証は出来ませんが、上手く行けば進路を変える事が出来る筈……船長のご許可を頂きたい』
推進器は、コンピューターが極めて厳密に制御している。それを手動操作で行う等、正気の沙汰ではない。
制御不能に陥って推進器自体が暴走……過剰出力に耐えかねて最終的に爆発などという事も十分に考えられる。
そこまで行かずとも、推力の微妙な調整など望めない状態だ。船が何処へ針路を変えて飛んでいくか予想もつかないし、最悪の場合には急な動きの変化に耐えかねて船体が崩壊してもおかしくはない。
通常ならば、そんな試みに許可を出せるわけがない。しかし、今この船には、そんな手しか残されては居ないのだ。
「許可する。何をしてでも、この船の針路を変えてくれ」
『ありがとうございます。ただ、残念な事に時間がありません……間に合わせるべく、各員全力で奮闘中です。しかし……万が一、間に合わない場合……それに備えるよう、ヘリオポリスに連絡をとってください』
時間……今、この船に最も足りない物だ。機関長の言葉は重く、抑え込んでも抑えきれない不安がにじみ出ている。
その不安が現実になった時に備え、危機はヘリオポリスに報せねばならない。危険に備えてヘリオポリスを脱出するなど、対策を取る事もできるだろう。
それに、この船へ救援の手を差し伸べてくれるかもしれない。救援を得られれば、この船が起こそうとしている惨事を防ぐ大きな助力となる。ならずとも、乗員だけでも救い出してくれれば……
「……わかった。何としてでも、ヘリオポリスに連絡を取ろう。そちらは、作業を続けてくれ」
『了解です。船長』
機関長との通信は切れた。船長は息もつかず、すぐに通信員に向けて問いを投げた。
「通信機は回復しないか?」
「……ダメです。通信機は完全にいかれています」
通信員は暗い顔で首を横に振る。そして、救いを求めるかの様に船長に言った。
「これは単純な不調などでは説明出来ませんよ。まるで、通信関連のシステムを根こそぎ壊されたみたいだ。もう……どうしたら……」
「泣き言を言ってる場合じゃないんだ! 何としてでも、外と連絡を取る。通信機が使えないなら何でも良い……何か通信手段を考えろ!」
通信員を怒鳴りつけ、船長は自分が無理言っており、それを承知の上で無理を通さなければならない状況に歯がみする。
「何か……何か方法があるはずだ」
悩み顔を上げる船長を、白く皎々と光る照明が見下ろしていた。
ギルバート・デュランダルは、ヘリオポリス港湾部の管制室に設けられた指揮所のドアをくぐった。
ZAFTヘリオポリス守備隊指令である男が、指令席からデュランダルの姿を見咎めて眉を顰める。
「こんな所まで、何の御用ですか?」
「オーブ艦が、たった一機のMAに襲撃を受け、全滅したと聞きまして……興味を抑えられなかったものですから」
悪びれることなく笑顔で言うデュランダルに、守備隊司令は見せつける様に溜息をついてみせた。それから、宇宙空間を映し出す正面モニターに目を戻して言う。
「これより戦闘指揮を行います。邪魔はしないで下さい」
「戦闘ですか……戦艦一隻を一蹴した敵です。プラントに対して敵意を見せていないなら、今は手を引いた方がよろしいのでは?」
デュランダルもモニターに目をやる。そこには、オーブ艦の残骸を背景に一機のMAが映し出されていた。昆虫の様に無機的なその姿に心の奥底を揺すられる様な感覚を覚えながら、デュランダルはその名を呟く。
「……ミステール1。ヘリオポリス所属のMA。噂に聞く、ザクレロと関係があるのかもしれません。危険な相手ですよ?」
ゼルマンの言うザクレロならば相当に危険な相手だ。そして、ザクレロとは関係なくとも、ミステール1の戦力の大きさは変わりない。
MA五機でMS一機分という乱暴な計算をすれば、MA二十機を擁していたオーブ国防宇宙軍所属の戦力はMS四機分に加えてネルソン級宇宙戦艦一隻となる。ミステール1はそれを一蹴して見せた。
そして、自軍の戦力はMS六機。この違いは決して大きいものではない。
しかし、守備隊司令は冷笑を浮かべて言った。
「ザクレロ……ああ、ゼルマン艦長の報告にあったMAですか? あれは大げさに過ぎます。たかがMAですよ」
「…………」
デュランダルは守備隊司令の反応に、隠して苦笑を浮かべる。実に……ゼルマン艦長の言った通りの反応ではないかと。
ただ、守備隊司令の答は、コーディネーターの矜持がだけが言わせた物ではなかった。
プラント領の防空圏内で、“中立国”の軍艦が沈められたのだ。それを無視しては、オーブへの態度はもちろん、プラントによるヘリオポリスの実効支配すら疑われよう。
仮に勝てないとしても、戦闘をしないわけにいかないのだ。こんな事で死ぬ軍人達には哀れを感じるが……
「見逃すという選択は、政治的にも無い……か」
デュランダルは誰にも聞こえぬ様、口の中で呟く。
「全て杞憂に終わり、“たかがMA”が事実であれば良いのですが」
正面のモニターの中、ミステール1を包囲しつつ接近する守備隊のMS六機のスラスター光が瞬くのが見えた。戦闘は、もうすぐにも始まろうとしている。
MMI-M8A3 76mm重突撃機銃を装備したジンが四機、M68 キャットゥス500mm無反動砲を装備したジンが二機、背にスラスターの炎を長くなびかせて宙を突き進む。
その先頭を行くジンのコックピットの中で、MS隊隊長は僚機に指示を下した。
「敵MAの射程は長い! 十分に距離のある内から回避機動を行え!」
指示を受けたジン各機は、姿勢制御バーニアを噴かす事に加えて、手足を振って重心移動を行い、針路を複雑に曲げながら前進していく。回避機動開始のタイミングは早いが、それ以外はいつもと変わらない。
先のオーブ軍との戦闘で、ミステール1の武器はわかっている。警戒すべきは長射程のビーム砲。それだけ……それだけだ。敵は、大型ではあるもののMAに変わりない。
MS隊隊長は、言い聞かせる様に言葉を紡ぐ。
「敵はMAだ……新型であろうと所詮は時代遅れの兵器だ。何も恐れる事はないぞ」
何も恐れる事はない……いつも通りの戦場。だが、それならばこの、身の内から湧き出してくる様な不安感は何なのか? MS隊隊長は、全身にじっとりと浮き上がってくる汗に身を冷やされながら自問する。
異変は、先のオーブ軍とミステール1の戦闘を見てからだ。
一方的にオーブ軍を粉砕するミステール1。確かにその戦果は凄い。ZAFTでも、同じ戦果を上げられる者はそう居ないだろう。しかし、それだけの筈だ。
如何に強力な敵だとしても、自分にそれを恐れる気持ちは無い。今まで幾度も戦場に立ち、艦砲と対空砲をかいくぐり、MAの群れを相手にしてきたのだ。
それがどうだ? 今、自分は新兵の様に震えている。意識してそれを止めようにも、どうしても止まらない。
「何だ……何なんだいったい」
震える手で操縦がぶれない様、操縦桿を強く握りしめる。
「あの敵は何だと言うんだ」
MS隊隊長は、モニターの中のミステール1を睨み付けた。
ミステール1は、宇宙の虚空の中より、自分達に迫ってくる。スラスター光を鬼火の様に後に曳きながら。赤い単眼を皎々と光らせて。
氷の様な冷たさが、MS隊隊長の背を這い上がる。直後、ミステール1から放たれたビームが、一条の光となって何も無い宙を貫いた。
外れ……やはり、回避機動を取るMSに対し長距離から命中させる事は難しい。
しかし、この攻撃が呼び水となり、ジン各機もまた長距離での射撃戦を開始した。重機銃が猛り狂った様に銃弾を吐き出し、曳光弾が宙に線を描く。無反動砲からは炎の尾を曳きながら成形炸薬弾が走る。
だが、早い。攻撃を仕掛けるタイミングとしては、ミステール1を半包囲してからでもかまわない……いや、数の有利をより生かす為、そうすべきだった。
攻撃が早い事を注意しようとして、MS隊隊長は自らもトリガーを押していた事に気付く。
何かが判断を狂わせている。そうと気付いたのは、MS隊隊長の経験故だろう。しかし、彼をもってしても、何が判断を狂わせたのかはわからなかった。
いや……プライドの為に、無意識に認める事を避けたのか? 自らを狂わせているものが、紛れもない恐怖であるという事を。
それは、ミステール1を侮ったが故でもあったろう。
ミステール1は、隊長機と僚機のジンが張る重機銃による火線の直中に突っ込んできている。火線の隙を縫う様な機敏な回避の出来ない旧式MAならば有り得る動きだ。
このままならば、遠からず火線に捉えられて落ちる。そう判断して然るべき。だからこそ、MS隊隊長は自分が感じている感情を無視してしまった。ミステール1を倒せる敵と判断して。
「所詮、ナチュラルが作った旧式兵器だ!」
部下を叱咤しながら、MS隊隊長はトリガーを更に押し込んだ。
隊長機のジンは重機銃を振り、ミステール1を絡め取る様に火線を寄せていく。僚機の重機銃の火線も同じくミステール1に迫る。無反動砲装備のジンは、ミステール1が火線に囚われて身動きが取れなくなる瞬間を狙っているだろう、射撃を止めていた。
ミステール1の射撃が戦闘の始まりの号砲となってから僅かに十数秒。重機銃の弾倉から弾が尽きるより僅かに早く、その火線がミステール1を捉える。僅かに着弾のタイミングは前後したが、ジン四機がその火力を全てミステール1に叩きつけた。
ミステール1の全身で壮絶に火花が散る。
撃破を確信して、MS隊隊長の口元に笑みが乗った。だが、その笑みは直後に凍り付く。重機銃の弾丸を受け止めながら、何ら影響を受けず前進してくるミステール1の姿を目の当たりにして。
そして、ミステール1が放ったビームが、無反動砲を撃つタイミングを計っていた二機を続けざまに撃ち抜いたのを見て。
「ば……馬鹿な! 直撃だった筈だ!」
傷らしい傷を受けた様子のないミステール1と、背後で爆光と化した僚機をモニターに映し、MS隊隊長は驚愕の声を上げた。
信じたくはない。だが、現実だ。
ミステール1は、最初から重機銃からはダメージを受けない物として無視していた。事実、ミステール1はあの弾幕の中で傷一つ受けていない。
ならば、損傷を与える可能性が在るのは無反動砲のみ。しかし、重機銃の弾幕がミステール1の動きを阻害すると信じ、必中を期して動きを止めていた無反動砲装備のジンは、格好の的だったはずだ。
ミステール1は的確に攻撃を行い、結果、MS隊は瞬時に二機を失った。それは同時に、ミステール1への攻撃手段が失われた事をも意味していた。
『た、隊長! 銃が……銃が効きません!』
『二機を……二機を一瞬で! あいつ、仲間を二人もぉ!?』
混乱と……明らかな恐怖を見せながら、僚機から通信が入る。その声が、MS隊隊長の意識を現実へと引き戻した。
「うろたえるな! 回避機動を継続。狙い撃ちにされるぞ!」
とっさに怒鳴りつける。その警告は間に合った様で、ミステール1の続けての射撃は、回避機動を取った僚機の傍らを通り過ぎるだけに終わった。
MS隊隊長はモニターの中に僚機の無事を確認しつつ、無意識のうちに弾倉交換していた重機銃をミステール1に向け、撃つ。ジンの手の中で再び重機銃が暴れ、ミステール1の表面で弾丸が爆ぜる。
無数の弾着に晒されながら、赤く光る単眼は無機質に見続ける。モニター越しに、今や無力な獲物となった哀れなコーディネーターを。
ナチュラルに勝る知性と肉体。無敵の新兵器だったMS。そんな物は全て、この魔獣の前には意味がない。何もかも、全てをその顎で食い千切るだけだ。
身体の奥底から、ドッと感情が溢れ出す。震えが止まらない。逃げたい……逃げたい。
それは恐怖だと、MS隊隊長は今やはっきりと理解していた。もはや、恐怖している事を認めないプライドも慢心も消えている。
だが、理解しているからこそ、かろうじてそれに呑まれる事は免れた。
「……各機、抜刀!」
号令を下し、MS隊隊長は自機に重機銃を捨てさせ、MA-M3 重斬刀を抜かせた。
『じゅ……重斬刀で、あのMAを!?』
『無茶です隊長!』
僚機から返るのは困惑の声。そして、そこにも恐怖の色が混じっている。それを察して、MS隊隊長は恐怖を払うべく声を荒げた。
「他に奴を倒す方法があるか!? 俺達の敗北はヘリオポリス失陥を意味するんだぞ!」
MSは出撃したジン六機が全ての筈。これが失われれば、ヘリオポリスにMAに対抗できる戦力は無いという事になる。
『……了解!』
一人が、意を決した様子で答を返した。
背後には仲間がいる。その事実の認識が、恐怖を僅かでも晴らしたか。
それは他のパイロット達にも伝播した。
『了解!』
『了解です!』
『抜刀! 突貫準備良し!』
声を上げながら、僚機が次々に重斬刀を抜く。それを受け、MS隊隊長はフットペダルを踏み込み、自機を加速させた。
「これより、敵MAに格闘戦を仕掛ける! 俺に続け!」
ジンが宙を駆ける。剣を掲げ、四機のジンはミステール1に立ち向かう。それは、まるで神話の時代の戦士の様に。
しかし、英雄譚は伝えている。魔獣は、英雄ならざる者に死を賜うと。
ミステール1はジンに向かって突き進みながら次々にビームを放った。回避機動を取るジンは、まるで舞う様に、あるいは跳ねる様に軌道を複雑に変え、ビームから逃れ続ける。
しかし、全てをかわし続けられるわけはない。
一機が左足に直撃をくらい、姿勢を崩した。
『うわぁ!? 止めろ! 止めてくれぇ!』
通信機から溢れる悲鳴。左膝から先を失い宙を流れるジンを、続けざまに撃たれたビームが貫き、宙に散らせた。
『隊長、無理だ! 隊長ぉ!』
仲間がまた討たれた事に動揺したジンが足を止め、逃れようとしたのかミステール1に背を向ける。そこを背から腹にかけてビームで撃ち抜かれ、そのジンも宇宙を飾る閃光となって散った。
「怯むな! 進め!」
MS隊隊長は、声を上げて恐怖に抗う。
僚機が打ち倒されていく様は悪夢に等しい。そして彼は、悪夢の中からやってきたとしか思えないMAに接近戦を挑もうとしている。
だが、その試みは達成されようとしていた。ミステール1との距離は、十分に縮まってきている。
初撃を与えるべく先陣を切る隊長機に、その距離はもう僅かだ。
が、その距離を詰めるより早く、ミステール1のビームが隊長機を襲った。MS隊隊長は、自機を大きく跳ねる様に移動させ、ビームを回避する。
その分、隊長機の前進は遅れた。その間に、最後の僚機がミステール1へ肉薄する。
『死ね、化け物ぉ!』
僚機の叫びが通信機越しに届いた。同時に、大上段に重斬刀を振り上げ、ミステール1に斬りかかる僚機の姿を見る。
そして直後――僚機は胴を横一文字に両断されていた。
「――っ!?」
MS隊隊長は、死した仲間の名を叫ぶ。
ミステール1のマニピュレーターの先端。魔獣の鋭い爪の如きヒートサイズが、ジンを容易く切り裂いた。綺麗に分かたれたジンは、爆発する事もなく二つに分かれて宙を漂おうとしている。
ミステール1は、一度振り抜いたヒートサイズを戻しがてら、もう一度ジンに斬りつける。その一撃を受け、ジンは胴より上の部分を肩口から斜めに両断された。
意味などは無い。確実に死んでいた機体とパイロットへ、力を見せつけるかの様に、なぶるかの様にもう一撃を加えたのだ。
三つに分かたれたジンは推進剤に引火したとおぼしき爆発を起こし、炎と煙とでミステール1を包み込む。
MS一機分の推進剤の爆発だ。相応の威力があっただろう。それは、死んだ仲間からの最後の一撃となった筈。
だが、MS隊隊長は確信していた。その炎の向こうから、ミステール1が変わらぬ姿を現すだろう事を。
「……」
最早、勝ち目はない。そう直感する。
しかし、それでも……逃げる事は許されない。生きている仲間の為……そして、死んでいった仲間の為。自分は戦わなければならない。
だが、そんな決意も、炎の向こうから姿を現すミステール1の姿が目に入るや、たちまち萎え果てていく。
炎を身にまとい、赤く単眼を光らせる虚空の蜘蛛。その鋭い爪、光る吐息。それは、自らに確実な死をもたらす魔獣なのだと……
恐怖よ静まれと何かに願う。古い時代ならば、それを祈りと言い換えたかも知れない。しかし、神を持たない者の祈りに応える者はなく、願いは無為に霧散して消え、安息は永久に訪れない。
恐怖に身を冒され、ともすれば震えに止まりそうになる身体を、ただ兵士としての冷徹な思考……止まれば死ぬだけだという現実的判断だけを頼りに必死で動かしながら、MS隊隊長はミステール1の間合いに踏み込んで行く。
「せめて……せめて一太刀与えねば、死ねん!」
一太刀で良い。多くは望まない。ただ、この魔獣に一太刀を。
ジンは重斬刀を高く掲げた。それに対し、ミステール1はヒートサイズを振るう。
「俺と仲間達の一太刀を受けろぉぉぉぉっ!」
MS隊隊長のジンが全霊を込めて振り下ろす重斬刀と、ミステール1が振り抜いたヒートサイズの軌跡が交差する。
ヒートサイズを受け止めた――そう思った直後、重斬刀はあっさりと折れ飛んだ。そしてヒートサイズはそのまま、ジンのコックピットハッチを浅く切り裂く。
MS隊隊長の眼前を白熱する刃が通過し、開いた破口から宙にたたずむミステール1が姿を見せた。
赤い単眼が、MS隊隊長に無機的な視線を投げかける。死にかけの獲物をただ観察する無慈悲な目……
「……ばけ……もの……め」
恐怖がついに心を押し潰す。全身が恐怖に震える中、やっとそれだけを言葉にしたMS隊隊長に、ミステール1は興味を失ったかの様にヒートサイズを再び振るう。
ヒートサイズの灼熱の刃は、何の躊躇も無しにコックピットの中に突き込まれ、MS隊隊長の身体を貫くと同時に瞬時に焼失させた……
「MS隊、全機被撃墜。潰滅です」
オペレーターの半ば呆然とした声が指揮所の中に虚しく響いた。
誰もが信じられないという様な面持ちで、戦闘を映していたメインモニターを見つめている。それは、守備隊司令やデュランダルも同じ事。
直接、戦ったわけではない彼らに、ミステール1と対峙する事での恐怖は伝わっていなかった。故に、MSの敗北は有り得ない事と映る。MAに対し、圧倒的優位である筈のMSが何故……と。
「不甲斐ない連中だ! 自滅じゃないか!」
守備隊司令が、苦々しく吐き捨てる様に言う。
パイロット達の悲鳴混じりの通信は、こちらでも捉えていた。敵を過度に恐れたあまり、自滅したと思われても仕方なくはある。
ただ、そんな答が出されたとしても、敗北した事への混乱は残っていた。誰も、MS隊が潰滅するとは思っていなかったのだ。しかしそれでも、最初から危惧を抱いていたデュランダルは立ち直りが早かった。
「……降伏の準備をします」
「な、何だと!?」
いきなり言い放ったデュランダルに、守備隊司令及び指揮所スタッフ達の視線が集まる。
デュランダルは、僅かばかり皮肉げに微笑んで答を返した。
「……MS隊を駆逐された今、このヘリオポリスには敵MAに対抗出来る戦力は無い。つまり、一時的にせよ、ヘリオポリスは彼らに占領された。違いますか?」
「必要ならば兵に銃を持たせ、白兵戦をもってしても戦ってみせる!」
守備隊司令が怒声で返す。それを聞き、他のスタッフ達はざわついた。
指揮所のスタッフ達は、デュランダルと守備隊司令を見比べながら、不安げな表情を浮かべている。戦うのは嫌だが、降伏も嫌という所か。
守備隊司令の言う事は、ZAFT軍人としては間違っていない。命を捨てて最後まで敵に抵抗するというのは実に英雄的だ。
しかし、それが明らかに無駄な抵抗だとわかっており、さらには事態を悪化させるだけとわかっている状態で、英雄的行為に耽溺する気はデュランダルにはなかった。
「落ち着いて下さい。敵は、港湾部の外からミサイルを撃ち込むだけで、この指揮所を永久に葬り去る事が出来るのですよ?」
艦船の事故に備え、宇宙港が比較的事故に強い作りをしているのが災いする。港湾部の中を少々破壊しても、ヘリオポリスにはダメージはいかない。
白兵戦などに乗る必要など欠片もなく、外部から港湾部に攻撃を仕掛ければ、そこに潜んでいる守備隊に大打撃を与える事が出来るのだ。
そうなれば、ヘリオポリスの基地機能が完全に失われる事となる。
「そして、仮に白兵戦になるにしても、このヘリオポリスで戦闘に耐えるZAFT兵はどれくらい居るのです?」
白兵戦を主とするいわゆる歩兵は、ZAFTでは元々少ない。少ない人口で強力な軍を維持する為に、兵種がMS関連に偏っているからだ。
このヘリオポリスに歩兵は一個分隊。十名弱だろうか。
後は、少数のMPなどを除けば事務員や整備兵ばかりで、戦えそうな兵種はいない。戦闘訓練も一応は受けているので全く役立たずとは言えないが、戦闘員として頼りに出来る物ではないだろう。
その上、それらの人員の数も決して多くはない。元より、暫定的に占領地に置かれた守備隊でしかない上、多くの人員を連合MS護送作戦に割かれ、必要最低限の人員しか居ないのだ。
基地機能が失われた港湾部で、後方担当がほとんどの少ない兵を動員して白兵戦など狂気の沙汰に違いない。
「それでもだ! 軍人として、全滅したとしても降伏は無い!」
デュランダルの言う事など最初からわかっていたのだろう。守備隊司令は、強硬に降伏を拒絶する。
デュランダルは内心、うんざりする気分を抑えながら、溜息をついた。
まあそうだろう。降伏となれば守備隊司令の責任が追及される事は避けられない。今後の出世も何も無くなってしまう大失態だ。ここから逆転を狙うなら、白兵戦でも何でもやって徹底抗戦し、敵を撃退するより他無い。
それに、軍事組織として未熟であるZAFTでは、降伏についてまともな教育が行われていない。降伏した敵兵士を虐殺する様な真似が横行するという事は、逆に自分達が降伏した時にそう言う扱いをされる危惧を抱くという事でもある。
軍人として、守備隊司令が徹底抗戦をとなえるのはわからないでもない。
しかし、政治家としてはここで守備隊に全滅されては困る。
「降伏したとしても一時の事ですよ。彼らはそう長く、ここに踏みとどまる事は出来ません。恐らく、すぐにここを去るでしょう」
デュランダルは、安心を引き出そうと殊更気楽そうに言って見せた。
遅かれ早かれ、ヘリオポリスにはZAFTの艦隊が戻ってくる。また、オーブがここぞとばかりにヘリオポリス奪還をはかり、戦力を向けてくる可能性もあるだろう。
ヘリオポリスに残る限り、戦闘が繰り返される事が確実と言える。そうなれば、恐らくは補給が続くまい。
彼らが玉砕するまで戦うかと言う所だが、それも無いだろう。脱出に必要な船は、オーブ軍が持って来てくれた。籠城して敗北を待つより、旅立って生き残る道を探す筈だ。
そうなれば、後には空のヘリオポリスが残される。
「ヘリオポリスの領有を続ける為、守備隊の全滅は避けなければなりません」
この辺境へ連合が手を出してくる事は現在の戦況では考えがたいので、ヘリオポリスを巡る仮想敵は必然的にオーブとなる。
守備隊が全滅していれば、オーブはヘリオポリス奪還の為に喜々として救助に来るだろう。守備隊の生存者を手厚くZAFTに送り返し、ヘリオポリスの守備を固め、自分達がテロリストからヘリオポリスを取り返したのだと高らかに宣言する筈だ。
しかし、守備隊が残っていれば、オーブは手を出す事は出来ない。守備隊を排除しようとすれば、それはプラントへの敵対行為となるからだ。
つまり、プラントがヘリオポリスの支配者でいられるかは、守備隊の存亡にかかっている。
「何故、そんな事が言える? 敵の動向を今の段階で決めつけるのは早計に過ぎる。今は、敵の動きを窺う為にも、戦闘態勢を維持すべきだ」
守備隊司令は、デュランダルの読みに沿った意見に対し、嘲笑を浮かべて言い返した。楽観主義で臆病者の政治家と、デュランダルを嘲っているのは確実だろう。
これを説得するのは難しい。そう判断するやデュランダルは強権を用いる事に決め、少し語気を強めて言った。
「ヘリオポリスの政務官として、これ以上の戦闘継続を認めるわけにはいきません。降伏しますので、司令は守備隊に降伏の準備をさせてください。良いですね?」
戦時下と言えど、発言力は軍よりも政の方が大きい。だが、権力を笠に着たやり方は、反発を招く。
デュランダルは、守備隊司令の顔が怒りに歪むのを見た。が、守備隊司令はすぐにその怒りを噛み殺し、デュランダルから視線を外して言う。
「了解しました」
そう返事はしたが、具体的に何かの指示を下すという事はない。服従した様子を見せているが、本心ではそうでない事は明らかだ。
余計な厄介事を抱え込んだらしいと察しながら、デュランダルはその場に背を向けて指揮所の外に出る。自動ドアをくぐってから、デュランダルは大きく溜息をついた。
どうも、相手が抵抗出来ないと踏んだ時に強硬手段に頼ってしまうのは欠点らしい。
多少の反省をしてからデュランダルはこの事を考えるのを止めた。今は、プラント本国への連絡など、やらなければならない事がある。
それに、これだけの事をしでかした相手と、早い内に話をしてみたかった。恐らく、何らかのコンタクトは取ってくるだろう。
それを不謹慎だとわきまえつつも、僅かばかり楽しみに思いながら、デュランダルは自らの執務室へと向かった。
ヘリオポリス。TV局のスタジオでは、一人の少女がカメラの前に立っていた。
黒のドレスに首輪、手枷足枷をつけた姿……エルである。彼女の脇には、スーツ姿で、顔を無貌のゴムマスクで隠したユウナ・ロマ・セイランが立つ。
今、エルはカメラを通して、ヘリオポリスの市民達に呼びかけていた。
「ヘリオポリス行政官だった私の父は、戦闘が始まる前に降伏し、市民の皆さんの安全を守る事を考えておりました。しかし父は、アスハ派の手によって抹殺されました。
殺された理由は、今日、皆さんが逮捕される筈だった理由と同じです。
オーブの理念に反するから……確かに、降伏する事は『侵略を許さず』という理念に反します。しかし父は、降伏しなければ……そしてZAFTに戦いを挑めば、どうなってしまうかを知っていました。
父がその時に存命していたのなら、あのカガリ・ユラ・アスハの煽動から始まった陰惨な戦いに、ヘリオポリス市民の皆さんが巻き込まれる事は許さなかったでしょう」
エルは、カメラのレンズ前に設置されているプロンプターに映し出される文を読んでいるだけであったが、真実であるだけにエルの心を痛め、それが言葉に重みを持たせている。
あの日、返ってこなかった父。逃亡の途中に倒れた母。二人とも、オーブ軍が殺した。二人だけではなく、エルに関係のあった人、無かった人、数多くの人が殺された。トールの恋人、本物のミリアリアも……
怒りと、それよりも強い悲しみがエルの声を震わせる。しゃがみ込んで泣き出せたら、どれほど楽だろう。それでも、エルは言葉を紡ぐ事は止めない。ユウナに、これをする事がトールの為になると言われているから。
「私は、父の意志を継ぎ、ヘリオポリス市民の皆さんを守る事を誓いました。
その為、父が残した力を使います。今、宇宙で戦ったMAミステール1。あれこそが父がヘリオポリス市民の皆さんの為に残した力です。皆さんを守る力です」
ミステール1の存在は、ヘリオポリス市民の心を掴んでいる。
ZAFT襲撃の時より、ヘリオポリス市民を守ってくれる存在はなかった。実際にはオーブ軍の中にもヘリオポリス市民の為に命を散らせた者もいるが、それ以外の者の為、オーブ軍はヘリオポリス市民の敵という印象を持たれている。
ともあれ、自身を守る存在を持たなかったヘリオポリス市民にとって、守護者として現れたミステール1は、縋るべき神にも見えた事だろう。
そして、ヘリオポリス市民達の置かれた境遇と同じく、父母をオーブの理念に殺された少女が、その神を与えてくれるという物語性。
ならば、少女は巫女か? 巫女は神託を下す。遙かな昔、神の預言を受け取り、箱船を建造した男の様に。迫害される民を率いて逃亡に旅し、海を割る奇跡を見せた聖者の様に。
「オーブで、私達がどんな扱いを受けるかは、皆さん知っていると思います。
その不当な暴力の手が今日、私達に迫り、それをミステール1が打ち砕きました。でも、守り続けるだけでは、何も解決はしません。諸悪の根元は、遙か遠い地で安穏としながら、私達を滅ぼそうとしているのですから。
私達は旅立たなければなりません。生きる為に。戦う為に。そして、再びこのヘリオポリスへと還る為に……」
エルは、最後の台詞を言い淀んだ。
言いたくはない。これを言ってしまえばトールは……いや、全ての人々が戦火の中に生きていく事となる。
誰にも戦って欲しくはない。穏やかに日々を過ごして欲しい。しかし……
「……もう他に道はないんだよ。望む、望まないにかかわらず、オーブはヘリオポリス市民を殺しに来る。自らの理念の正義を掲げる為に」
エルの迷いを悟ったユウナが、エルの背を突いて先を促しつつ、そっと囁いた。
エルをこの舞台に上げる為、ユウナは今までに何度も同じような台詞を投げかけている。そして、エルを動かす為の魔法の言葉も見つけていた。
「それに、戦火がなければ、トール君は生きられないよ?」
エルの顔が悲しげに歪んだ。その隣で、ユウナは蛇の様な狡猾な笑みを浮かべる。
トールの為……その為に。エルを最後に動かすのは、トールへの思いだった。
愛おしいものだとユウナは心の疼きを抑えるのに難渋する。首輪に隠された細いうなじに目がいってしまうのを止められない。ああ、今すぐにでもその細い首を握りしめる事が出来たなら!
だが、エルはまだ利用価値があるし、何より衝動に駆られてしまうにはもったいなさすぎる。もっと……もっと、エルは魅力的になる筈だ。いつか、ユウナが耐えられなくなる程に。
ユウナがそんな熱い妄執に身を焦がしている間にエルは、意を決してカメラを見据えた。
そして、ただ一人の為に、全てのヘリオポリス市民を戦火に誘う言葉を口にする。
「私達は、ヘリオポリスの名の下に、オーブを討つのです」
星空の中、トール・ケーニヒは一人だった。
ミステール1のコックピットの中、モニターには周辺に敵性の反応はない事が記されている。
“敵”も“少女”もいない。
敵を倒した炎の中に現れる少女は、シミュレーションではその姿を垣間見るだけだったのに、今日は戦いの最中にずっとトールの側にいてくれた。姿が無くとも、その存在を感じられる所まで来ていたのに……もう、何処にも居ない。
「感じない。君を感じなくなった」
トールは虚ろな視線を巡らして少女の痕跡を探す。
ああ、ずっと一緒にいなければならないのに。ずっとずっと一緒に居なければならないのに。またその姿を見失ってしまった。
「敵……敵はいないかなぁ」
呟いてモニターの中に敵を探す。敵がいれば、敵を炎に変えれば、また少女に会う事が出来るのに。
敵はいない。誰もいない。
「寂しいな」
焦点を結ばぬ瞳でトールは宙を見上げ、そのまま動きを止めた。まるで、繰り糸を放された人形の様に。
トールの心は冷えていく。戦いの最中にあった熱を失って。
爆炎の中に見る幻の少女が与えてくれる、狂気という名の熱を。
では、戦いの中で与えられた熱が失われてなお、トールの中に残るものは何なのか。
呟きは、コックピットの中に寂しく響く。
「ミリィ……今日は起こしに来てくれるかなぁ」