機動戦士ザクレロSEED   作:MA04XppO76

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ヘリオポリス沖に狂風は凪いで

 ―― C.E.71年2月13日。ヘリオポリス沖会戦。

 連合MS奪還を目指すデュエイン・ハルバートン率いる第8艦隊は、ZAFTのナスカ級高速戦闘艦“ヘルダーリン”“ホイジンガー”とローラシア級モビルスーツ搭載艦4隻で編成された迎撃艦隊と交戦。

 これを退け突破するも、第8艦隊は半数以上の艦艇を失った。

 現戦力、アガメムノン級宇宙母艦“メネラオス”、ネルソン級宇宙戦艦“モントゴメリィ”、ドレイク級宇宙護衛艦“バーナード”“ロー”、艦載MA七十余機。

 一方、連合MSは、ナスカ級“ハーシェル”、ローラシア級“ガモフ”“ツィーグラー”に守られた輸送艦に積まれ、ヘリオポリスを立ってプラントへ向かっている。

 ヘリオポリス沖会戦の序章が終わり、第8艦隊がこの輸送艦隊に追いつき、続く戦いの幕が開くまでにはまだしばしの時間があった。

 

 

 

 ZAFTの連合MS輸送艦隊は宙を進んでいた。

 その追跡者である第8艦隊は加速を続け、一両日中には輸送艦隊を捕捉する位置に到達するものと思われる。

 ここに至り、ローラシア級“ガモフ”“ツィーグラー”の両艦は予定通り輸送艦隊の艦列を離れ、第8艦隊の遅滞戦闘へと移った。

 両艦は加速しつつ大きく弧を描くような軌道を取り、進撃してくる第8艦隊の斜め後方から追いつくような形で攻撃を仕掛ける予定でいる。

 これは、今回のように敵の足を止めての艦隊戦が期待できない状況では、正面から進軍を阻止しようとしても、速度に乗った敵側の戦線突破に分がある為である。

 後方から追いかけ、併走する形になれば、長時間攻撃を続ける事が出来る。

 今回は、横から圧力を掛けるように攻撃し、敵艦隊の進路を輸送艦隊の追尾コースから逸らす事が目的とされた。

 敵の足を止める必要は無い。少しコースを逸らすだけでも、敵は大きな時間のロスを強いられるだろう。

 そして、その作戦を開始しようとしたその時、ヘリオポリス沖会戦開幕より僅か半日後、ヘリオポリス陥落のニュースが艦隊を震撼させた。

 ヘリオポリスを占領したのは現地オーブ人ゲリラだという。戦力は大型MA1機。それに防衛戦力のMS6機が蹴散らされたのだという。

 事の推移は、オーブ軍とそれに反抗する現地オーブ人ゲリラが発端となり、大型輸送船の事故などが絡んだ些か焦臭いものであるらしい。

 基地駐留のZAFTはそれらの報告の後、現地オーブ人ゲリラへの降伏も報告し、それを最後に連絡を絶った。

 しかし、任務の途中である輸送艦隊は、戻ってそれに対応する事は出来ない。

 ローラシア級“ガモフ”艦橋。

 作戦の開始に伴う幾つかの指示を出しながら、ゼルマンはそれでもヘリオポリスの事を考えずには居られなかった。

 そこに残されたZAFTの将兵やプラントの政務官の安否も気になる。

 しかし、心の底にあるのは、報告の中にあった大型MAの話であった。

 大型MAを、現地オーブ人ゲリラは“ザクレロ”と呼んだのだという。

 連合の兵器に同型機がある事……そしてそれが現地のオーブ人の手に渡っている事。それを不思議には思わない。現実として受け止められる範疇だ。

 だが、ゼルマンは感じていた。

 そこに現れたザクレロは、かつて見たそれと似ている。

 そのMAについて詳細な報告があったわけではない。映像のデータを見れば、ゼルマンが見たザクレロと外見は全く違う事もわかる。

 そんなものを、どうして“似ている”などと思ったのか? それはゼルマンにもわからない事だった。

 しかし、似ている。どことなく印象が……いや臭いがする。同じ臭い。獣の臭い。違う……死の臭いだ。

 それはヘリオポリスを蹂躙した。それより僅かに早くヘリオポリスより出撃していたのは、幸運だった……

 ? 何を考えている?

 味方が討たれ、自身がその場に居合わせなかった事を幸運だと?

 死の臭い? 妄想に怯えるのも大概にしろ。自分はそんな臆病者だったか?

 冷静な思考が、ゼルマンの心に満ちた怯えを否定する。

 大丈夫だ。まだ、理性はちゃんと生きている。まだ……まだ……

「艦長、どうかされましたか?」

 声が掛けられる。気付けば、ゼルマンの顔を覗き込むようにしてオペレーターが居た。

 年若い少女なのは学徒兵か?

 艦長に直接声を掛けるのは少々不躾にも思えるが、相手の若さ故か不快感は無かった。

「あ、ああ、すまない。考え事をしていたんだ」

「すいません。邪魔してしまいましたか? 呼びかけても返事をいただけなかったものですから……」

 恐縮するオペレーターに、ゼルマンは宥めるように手を振る。

「いや、考え事にかまけてる場合ではないんだ。声を掛けてくれて助かったよ」

「あ、いいえ、そんな……その、お疲れのようですね」

 オペレーターは、平然を装うゼルマンに何かを感じたのか気遣わしげに言葉を紡ぐ。

「最近、艦内に多いそうですよ? 精神的な疲れで体調を崩す人が。

 ただ、皆は交代で休めますが、艦長はお一人ですから……」

「疲れか……そうかもしれないな」

 言われてみれば、疲れているような気もする。

 副艦長など交代要員と言える者もいるのだが、艦長にしか出来ない仕事もあるので、やはり過剰な労働状態にあるのかも知れない。

 それに……

「最近は少し眠れないしな」

 ポツリと呟く。そして、ゼルマンはふと思いついたようにオペレーターに聞いた。

「艦内の何処かに生き物がいないか?」

「え? おりませんが」

 質問自体に驚いた様子で、オペレーターは答える。

 まあ確かに、公式にはそんな動物など乗せてはいない。それはゼルマンも理解している。

「ああいや、出航前に野良犬か何かが紛れ込んだりしていないかと思ってね」

「無重力状態の艦内は動物が生きるには過酷な環境です。重力下での生活が前提の動物では、満足に移動も出来ませんからね。

 誰かが飼ってでもいない限り、餌をとれずに死んでしまいます」

 オペレーターは言葉を選びながら答えているようだった。

 それはゼルマンも承知の事ばかりだ。知っていた筈の事。だが、それでもなお、それを忘れてさえ、聞いてしまいたかった。

 何か“生き物”がいるのではと。いるのは“生き物”なのではないかと。

「気になるのでしたら、艦内の点検を……」

「いや、いい。気のせいだろう。うん、疲れているのだろうな」

 提案するオペレーターに、ゼルマンは苦笑を作り見せながら頭を振る。

 そうだ。気のせいだ。ある筈の無い事だ。

「そう……だな。この戦いが終わったら、休暇でも申請してみるよ。静かな所で休みたいしな……静かな所で」

 何も聞こえない場所が良い。

 ああ、遠く獣の声が聞こえる。

 

 

 

「4時方向よりZAFT艦接近中。ローラシア級モビルスーツ搭載艦、2。交戦距離まであと1時間!」

 アガメムノン級宇宙母艦“メネラオス”の艦橋にその報告は届く。

 それを聞いたデュエイン・ハルバートンは、何処か満足げに頷いた。

「執拗に邪魔が入るな。やはり、モビルスーツの重要性は、何より敵が理解する所か」

 味方よりも、敵の方が自分の正しさを認めている。そんな結論に、皮肉さと怒り……そして何処か歪んだ喜悦を感じる事を禁じ得ない。

 連合軍は、ハルバートンのMS開発計画に非協力的だった。代わりに選択したのが、MAの強化大型化である。

 結果として、ハルバートンが真っ当にMSを開発する手は断たれた。

 そこを、連合とプラントに対して中立を宣言していたオーブに頭を下げ、融資や技術提供などの各面で大幅な譲歩を余儀なくされながら、ようやく開発した5機の連合製MS。

 それが実力を発揮したなら、連合軍の勝利は固い。

 だが、完成間際で全てが奪われてしまうとは……

 敵に奪われるという事は、そのMSの力がそのまま連合にふるわれるという事。なれば、敗北は確実にして揺るがない。

 それなのに連合軍は動く事無く、結局、ハルバートン自らが出撃せざるを得なくなった。

 ……何故、理解しない?

 MAなどは、新しい時代に立つ事は出来ない、滅びる定めの恐竜なのだと。

 今こそ、かつて人類が火を手に入れて万物の霊長となったように、人類がMSという新たな力を手にする時なのだと。

 そして時代の訪れを看破した自分自身を。

 何故認めない?

 古いものにしがみつく醜悪な人間達には理解できないのだろう。認めたくもないのだろう。いつだって、正しい者は不当な非難に晒されるのだ。

 そうだ、何が正しいのかは歴史が証明してくれる。このハルバートンが正しかったのだと、後世の歴史家はそう判定を下すだろう。

 だから今は、未来の為に、MSを取り戻さなければならない。

 その為には、命をも捨てなければならない。

 命を失っても、英雄となる。

 世界を救った英雄に――

 ――自身が、戦場でのトラウマと歪んだ功名心とに彩られし狂気に取り憑かれた、哀れな道化に過ぎないという事を、ハルバートンは理解してはいない。

 開戦当初から続く連合軍の劣勢は、ハルバートンをMAに失望させ、MSに期待させるのに十分だった。

 しかしそれがMS信仰と揶揄される程に肥大化していったのは、この男の歪んだ英雄志望故である。

 かつても持っていた筈のそれは、健全な正義感と義務感から生まれたものだった。今は違う。

 彼の中で強大な力のシンボルと化したMSを手に入れ、その力で世界を救う。神の啓示を受けた預言者のように、伝説の剣を抜いた勇者のようにだ。

 そんな妄念に囚われたハルバートンは、否定される度、犠牲を払う度に、自らの正しさを再確認しては歓喜さえ覚えるようになっていた。

 それはまさに神格化したMSへの殉教である。

 失われる命はその生贄。

「今から更に加速して、奴らを振り切れそうな艦は?」

 ハルバートンは問う。それに側仕えの参謀が答えた。

「当艦であるアガメムノン級宇宙母艦“メネラオス”、そしてネルソン級宇宙戦艦“モントゴメリィ”のみです。

 ドレイク級宇宙護衛艦“バーナード”及び“ロー”では、推進剤が保たないかと」

「そうか……ならば“バーナード”と“ロー”及び“モントゴメリィ”は艦列を離れ、側面の敵に当たる様に指示を出せ」

 同じ2隻といえど、ローラシア級モビルスーツ搭載艦とドレイク級宇宙護衛艦では、艦の規模でドレイク級が負けるため、砲火力でも機動兵器の搭載量でも勝ち目は無い。

 これでは、追撃を続けるメネラオスの為に時間を稼げないので、ネルソン級宇宙戦艦もつける。

 それでも、勝てはしないだろう。

 だからこれは、必要な犠牲だ。

「メネラオスは更に加速前進! 以後の追撃は“メネラオス”のみで行う」

 ハルバートンはまるで勝利に向かうように表情を輝かせ、祭壇の神にかしずくように敬虔な仕草で、まるで信託を下すように命令を下す。

 

 

 

 連合第8艦隊に併走する位置を取り、対艦砲撃戦の体勢を整えていたガモフ及びツィーグラーは、第8艦隊の動きを察知している。

 しかし、これは想定の範囲内である上に、むしろありがたくさえあった。

 ここで戦艦と護衛艦を引きつけておけたなら、敵に残る戦力は宇宙母艦のみである。

 その程度の戦力なら、直掩のナスカ級のみでもしのぐ事が可能。

 残存戦力全てが輸送艦に追いついてしまう状況さえ避けられれば良かったのだ。

 ZAFTと連合、両艦隊は示し合わせた様に距離を詰めていく。

 距離が縮まる間の沈黙。その間に両艦隊は回頭をすませ、互いに正面を向き合う。

 慣性の働きにより、艦が横を向いたとしても、両艦隊の進行方向は変わっていない。ただ、進行方向への加速を失った為、再加速して単艦先へ進むメネラオスには残されていく。

 既に戦場は設定されている。

 そして、口火を切ったのは連合艦の方だった。

「モビルアーマー、発進急がせ! ミサイル及びアンチビーム爆雷、全門装填!」

 艦長コープマン大佐の指揮下、モントゴメリィは戦闘準備を整える。

「推進停止、逆噴射開始! 艦は敵艦との相対距離を維持!

 モビルスーツがこちらに届く前に敵艦を沈める! 出し惜しみは無しだ!」

 2連装大型ビーム砲2門、3連装対宙魚雷発射管2門、そして多数のミサイルがモントゴメリィより射出された。

 更にドレイク級バーナードとローも、僅かに遅れて対宙魚雷を発射。各艦16発ずつの魚雷が、敵艦ガモフとツィーグラーへと向かう。

 ガモフとツィーグラーはそれぞれにアンチビーム爆雷を投下、ビームに耐えつつ、船体各所から機銃弾を宙に振りまき、また対空ミサイルを放って、魚雷とミサイルの迎撃にとりかかった。

 艦から放たれる機銃弾の網に引っかかり、魚雷とミサイルが宙で炸裂する。

 まだ距離がある為、迎撃の機会をたっぷりと得ていたガモフとツィーグラーは、それぞれに向かってきた魚雷とミサイルを全て落としきった。

 しかし、それでも際どい所まで迫られた物もある。

「敵艦Aに魚雷1ミサイル1が至近弾。Bにミサイル3至近弾。ビームは命中しましたが効果未確認です」

 モントゴメリィの艦橋で、オペレーターが報告を上げる。

 撃墜に成功しても、ミサイルや魚雷に至近で爆発されれば、その破片を浴びる事になる。微々たる物かもしれないが、損傷を与えた事は間違いない。

 また、ビームはアンチビーム爆雷で減衰されている為、直撃してもいるがこれもダメージの程はわからない。

「次は敵のターンが来る。対空防御! アンチビーム爆雷更に落とせ!」

 コープマン大佐は敵の反撃を見越して声を上げた。

 その警告通り、ローラシア級の937ミリ連装高エネルギー収束火線砲が4条の光を描いて戦場を貫く。

「狙いはモントゴメリィ! 2発被弾! 損傷するも軽微です!」

 オペレーターが報告した。

 敵のビームも、敵味方両軍が撒いたアンチビーム爆雷で減衰されており、2発の直撃を受けたモントゴメリィに軽微な損傷を与えるにとどまっている。

 軽微損傷ですんだのは行幸ではあるものの、それは連合側のビームも効果が薄いという事でもあった。

「魚雷とミサイルにアンチビーム爆雷、次弾装填! 終わり次第に撃て! 数で押す!」

 艦の武装なら、モントゴメリィ単艦でもローラシア級2隻を上回る。まして、ドレイク級のバーナードとロー加えればなおさら。

 艦対艦の戦いなら、連合の方が優勢。押し込んでいけば勝てる。

 しかし、ZAFTにはMSがある……

「モビルアーマーが敵モビルスーツと交戦状態に入りました!」

 先に発進したMAが、ついに敵MSと接触。そのまま交戦を開始している。

 それを告げるオペレーターの声には不安が混じり込んでいた。

「ここからが正念場だ……」

 コープマン大佐は呟いて奥歯を噛みしめる。

 MAが稼ぎ出してくれる時間。その間に敵艦を落とせるか否かで勝負が決まるだろう。

 しかし、早くも戦場に爆炎が閃きだしている。

 無論、その全てはMAが撃墜されたものであった。

 

 

 

 オレンジカラーのジン・アサルトシュラウドが手にした重機銃を撃ち放つ。

 4機編隊を組んで接近してきていたメビウスの先を押さえる様に銃弾が走り、メビウスの足を止めた。

 そこにジン・アサルトシュラウドの左肩装甲内から220mm径5連装ミサイルポッドが放たれ、緊急回避し損ねた2機を打ち砕く。

 ミサイル攻撃を逃れたメビウスは、ジン・アサルトシュラウドの射界から逃れようと、最短コースを一直線に飛び抜け様とする。

 しかし、その分かり易い機動が仇となった、

 ジン・ハイマニューバがその正面に高速で突っ込み、重機銃をばらまく。火線をまともに浴びて、更にメビウス1機が破壊された。

 そしてジン・ハイマニューバは、残る1機に銃口を向ける――

「よし、ミゲルと同スコあぁっ!?」

 コクピットの中でオロール・クーデンブルグが上げた快哉が、途中から非難と落胆混じりの悲鳴へと変わった。

 その前で、対装甲リニアガンに貫かれた最後のメビウスが、内部からの爆発によって砕けていく。

 自分の獲物と定めたものを横取りされて、オロールは通信機に怒鳴った。

「何すんだお前は!?」

『何って、支援射撃よ?』

 通信機の向こう、ザクレロ塗装のメビウス・ゼロに乗るMA女ことラスティ・マッケンジーは、しれっと答える。

『危なかったわ。私が撃たなかったら、きっと貴方、やられてた』

「んな訳あるか!」

 最後のメビウスは、オロール機に反応など出来ていなかった。つまりはまあ、ラスティの言う事はデタラメだ。

 オロールが言い返そうとした所で、専用ジン・アサルトシュラウドのミゲル・アイマンから、通信が割り込む。

『喧嘩してる場合か! 敵はまだたっぷり居るんだぞ!』

「先生~。ラスティちゃんが僕を虐めるんです」

 オロールは通信機に、泣きべそを書いてる様な声音で返してやった。

 と、大きな溜息が通信機から漏れた後、うんざりした様子でミゲルの声が返る。

『あ゛ぁ? ラスティちゃんは、お前の事、好きなんだよ。だから、意地悪しちゃうんだ』

『冗談じゃないわ! やめてよね!

 もういいわ。そんなに言うなら、あんた達のバックアップは止めね!』

 ラスティの怒声が割り込む。照れとか一切無しの、本気の怒声が。

 そんなやりとりの間にも、彼等3機の小隊は、迫り来るメビウスの編隊との戦闘を続けていた。

 続けざまに華々しく……とは行かないが、地道に敵を落としていく。

 そんなペースでも、彼等の小隊は、他の小隊よりもスコアを稼いでいた。特に、同じガモフに乗っているMSパイロット達の小隊と比べれば、その差は格段とさえ言える。

『あー、思った通りの腕だな』

 オロールからの通信が、ミゲルのコックピットに届いた。

 ミゲルは、モニターの一つ、件のMSパイロット達が映るモニターに目をやる。

 そこには、3機のジンが居て、やたらに重機銃の火線を振り回していた。個々が勝手に敵を狙っているのだろう、連携どころか時々互いの邪魔をしあっている。

『……MA女じゃないけど、あいつらにモビルスーツは、確かに過ぎた玩具だよ』

「そう言うなよ。ラスティに言われるのは仕方ないけどな」

 MAであれだけの腕を見せてくれている以上、そこは認めざるを得ないのだがと、ミゲルは暗澹たる思いで言う。

 ラスティとは、シミュレーター訓練で、名前を呼ぶ事が許される程度には関係は縮まったものの、オロールにとって彼女はMA女のままだし、ミゲルにしてみても苦手でしかたない。

 MAを悪く言わなければ逆鱗に触れるという事はないのだが、元々の性格から攻撃的すぎて扱いにくいのだ。

 なお、シミュレーターで共同戦を試したところ、ラスティにバックアップを任せると、細かい配慮をしてくれてミゲル達も実に戦いやすい事がわかった。

 ただし、ラスティをオフェンスに回すと、彼女を追いかけ回す事になるミゲル達は死ぬ目を見る。とんでもない機動で、戦場中を駆け回ってくれるのだラスティは。

 「ドッグファイトはMAの華!」との事で、リードを放された犬の様にすっ飛んでいく。それこそ、ちょうど今の様に。

 黄色く塗られ、ザクレロ似のシャークマウスが描かれたメビウスが、連合のメビウス部隊を追い、また同じく追われる。

 前を逃げるメビウスの一瞬の隙を突いて対装甲リニアガンを撃ち込み、逆に背後から浴びせられる攻撃を極めた機動で無理矢理引き剥がす。

 ラスティは、ミゲルとオロールから離れ、単機で敵編隊を掻き回していた。

 敵味方識別信号を過剰なくらいに発してあるので、ZAFTでは有り得ない連合製MAという搭乗機でも、連合のパイロット達はちゃんと敵だと認識してくれている。

 それで良い。勘違いさせて落とすなんて、MA乗りとして相応しくない戦い方だ。そんなのは、MS乗りがコソコソとやっていれば良い。

「真っ向勝負よ、連合の古強者達!」

 常識的ではない機動に伴う強烈なGに抗い、息を整え、その合間にラスティは通信機に叫んで敵を挑発する。

 まるで、映画か何かの主人公の様に。

 

 

 

 ……ああ、懐かしいな。

 黄色のメビウス・ゼロを追う連合パイロットの一人は、戦闘中にそんな事を思った。

 プラントとの戦争以前から軍にいる古参兵。自分達の時代は、敵は機械人形などではなく、同じMAだった。

 MSという新しい兵器。ニュートロンジャマー影響下のレーダーが利かない新しい戦場。その中で、古いままの自分達は淘汰されていった。

 この戦いは、連合にもMSという新しい兵器をもたらす為の戦いなのだという。

 ならば、自分達の様な新しい兵器に順応できない古いものは、きっとそのまま滅びていくのだろう。それについては諦めながらも、何処かで寂しい思いを抱いていた。

 その思いを語れば、同僚達は病院行きを勧めてくれる事だろう。

 いよいよ戦えなくなったなら、退役すれば良いと。

 しかし、自分は戦える自分でありたかった。宙の猛禽でいたかった。しかしそれも、時代に取り残されたロートルの戯言だ。なんと無様であろう事か。

 だが、この敵は……胸に抱いたそんな虚無を埋めてくれる様だ。

「これが俺達に残された最後の宙かもな」

 呟き、そして思い残す事はないとばかりに加速をかける。

 体にかかるGが肺を潰し、息を継ぐ事も出来ない、無論、感傷を漏らす事も。

 後は戦いの宙のみだ。

 ――黄色のメビウス・ゼロを追う。

 小刻みに進路を変え、対装甲リニアガンのサイトの中に入ろうとはしない敵を、ただひたすらに追う。

 こちらの追尾を外し、逆にこちらの尾に食いつく為、敵は強引に軌道を捩曲げる。

 それについていく。それが出来ない者は、次の瞬間に敵の前に尾を晒し、宙に散る事となる。

 最初は編隊で飛んでいた自分達だが、今となっては誰か他に残っているかも定かではない。

 いや、居るのは、自分と敵だけだ。

「!」

 一瞬、黄色のメビウスがサイトの中央で動きを止めた。

 トリガーの指に力を入れ――だが、トリガーを引くことなく、操縦桿を傾ける。

 直後に、いつの間にか切り離されていたガンバレルからの射撃が、一瞬前まで自機が居た宙を貫いた。

 同時に、モニターの端に爆炎が入り込む。誰かが、今のでやられたか。

 体がズンと冷えた様な恐怖感。パイロットスーツの中に、ドッと冷や汗が噴き出す。

 ああ怖い……でもまだ生きている。

 戦いは続いている。まだ戦えている。

 操縦桿を握りしめ、モニターの中に黄色のメビウス・ゼルを探す。宙の中、その色は映えた。

 遠い陽光を浴びて金に輝く様に、それはまだ宙に健在である事を誇っている。

 まだだ。まだ戦える!

 あの獲物は、自分が仕留める!

 沸き上がる、欲望にも似た歓喜。

 敵はガンバレルを放している。機動性は落ちている。ならば、今が機会。

 引き金を引く。

 撃ち放たれる対装甲リニアガンの火線が、黄色のメビウス・ゼロを掠める。

 外した……いや、外された?

 見えていた場所より、敵は動いている。

 ああ、ガンバレルか。ガンバレルで自機を引きずったか。随分と使いこなす。

 ならば接近して落とす。

 スロットルを踏み抜く程に踏んだ。

 ほぼ同時に、ガンバレルを戻した黄色いメビウス・ゼロも、跳ねる様な動作で急加速をかける。

 良いだろう。逃げろ。

 こっちはお前の尻尾を追いかける。

 持てる全ての技量を使って。肉体も魂も全て使って。

 MA乗りとして――

 黄色いメビウス・ゼロ。その尾を、ついにサイトの中央に捉える。

 落ちろ……俺の最後の獲物。

 トリガーにかけた指に力が加わり――

 ――だがそれは、突然襲い来た銃撃によって遮られた。

「!?」

 混乱に陥る。

 自分が撃たれたならわかる。味方が先んじたのでもわかる。

 黄色いメビウス・ゼロは、横合いから撃ち込まれた無数の銃弾を機体後部に受け、破片と炎を撒き散らしていた。

 モニターに映るのは……黄色いメビウス・ゼロに銃撃を加える3機編成のジン。

 驚きと、夢から急に覚まさせられた様な喪失感に、トリガーにかけた指は動かす事も出来ないまま、自機の進路を変えた……

「同士討ち……だと?」

 状況は、味方を背後から撃ったとしか思えない。

 敵の失態として、喝采しても良い状況。

 だが、何か大切なものを、薄汚い何かで汚された様な気がして、MAパイロットは沸き上がる怒りに奥歯を噛みしめた。

 MAパイロットとして戦い、もしかしたらMAパイロットとして満足して死ねたかもしれない戦場は、彼から奪われてしまったのだ。

『ザッ……』

 通信機が掠れた音を立てる。

『私を落としたの……貴方?』

 少女の声が届いた。

 味方の裏切りには気付いていないのか? MAパイロットに落とされたと思っている様だ。

『凄いね。振り切れなかった……貴方と戦えて、楽しかったよ』

 素直な賞賛の声。そして通信は切れた。

「俺じゃないよ」

 一人、呟く。

 声の様子から言って、少女の末期の言葉ではないと思った。思いたくもあった。

「また戦おうな」

 誰にも届かぬ言葉を漏らし、かなわないかもしれない願いを残し、MAパイロットは再びMSとの戦いへと戻っていく……

 

 

 

 混迷に落ちていく戦場を遠く眺めつつ、第8艦隊とは別の連合艦隊が戦場外縁を行き過ぎる。

 艦は、アガメムノン級宇宙母艦1隻とネルソン級2隻。護衛艦は居ない。だが、アガメムノン級は巨大な紫玉葱の様な形の物を曳航していた。

 アガメムノン級の作戦指揮室。モニターに映し出される戦場を見て、一人の男が至極残念そうに言葉を漏らす。

「戦闘開始に間に合わなかったようだな。第8艦隊に助力せんと急いだのだが……」

「我々は“少し遅れてきた”のでは?」

 参謀の笑みを含んだ言葉に、ジェラード・ガルシア少将はニヤリと笑んで答える。

「正直なのは美徳とは限らないぞ?

 まあ良い、予定通りだとも。第8艦隊は、自らの滅びを代償として、我々の介入の隙を作りだしてくれた。

 当初のスケジュール通り、第8艦隊の壊滅を待って、連合製モビルスーツの破壊を行う」

 ガルシアは、第8艦隊の作戦目的とは真逆の事を言った。助力だなどと、最初から冗談でしかなかったと明かす様に。

 しかし何故、同じ連合軍なのに目的を違えるのか? それは、彼がユーラシア連邦閥に属する為である。

 連合軍を構成する国家の一つである、大西洋連邦とユーラシア連邦。母体となった国々の歴史を鑑みても、その対立の歴史は長い。

 そして、ハルバートンは大西洋連邦閥であり、ガルシアはユーラシア連邦閥。

 MS開発計画は大西洋連邦閥の進めた計画であり、ユーラシア連邦閥としてはその計画はむしろ目障りであった。

 そして連合製MSが敵の手に渡った今ならば、大西洋連邦閥の失敗を強く非難すると同時に、目障りなMSを片付け、さらに後始末をしてやったと恩まで着せる事が出来る。

 その為にユーラシア連邦閥は、自分達が擁する有力な手駒であるガルシアに、その重要な役を任せたわけだ。

 つまり、本来、こんな前線まで出てくる必要のないガルシアが出張ってきたのは、作戦の功労者となって自分の後援者に良い顔をする為。

 そして言うまでもなく、危険な前線に危機感もなく出てきて、成功を確信しているかの様な言動をとるのには、ちゃんとした理由がある。

 ユーラシア連邦が、この戦いの為に用意した切り札が。

「ブルーコスモスのモビルアーマーにばかり活躍されたのでは、我等のスポンサーの商売が立ち行かないからな。

 我々のモビルアーマーには、ここで華々しく戦果を上げて貰おう」

 ガルシアは満足そうにモニターの片隅に映る紫玉葱を眺める。しかし、その紫玉葱に似た形状の物こそが、ユーラシア連邦が開発した大型MAなのだ。

「了解です。我が艦隊は、このままZAFT輸送艦隊の正面に回り込みます」

 参謀が告げる。全ては作戦通りに。

 今、命を賭して戦っている第8艦隊の将兵には関わらず、ユーラシア艦隊は自らの目的を果たす為に前進する。

 

 

 

 黄色い塗装のメビウス・ゼロ……ラスティ・マッケンジーの搭乗機が、他でもない味方の筈のジンの攻撃によって落とされた。

 ラスティを追って戦場を駆けずり回っていたミゲル・アイマンとオロール・クーデンブルグの前で全ては起きる。

 戦場を駆けるラスティのメビウス・ゼロが、たまたま彼女と不仲極まりないMSパイロット達の側へと飛んだ瞬間の事だ。

 奴等の内の2機が、いきなりラスティ機に銃撃を浴びせた。

 止める間も、遮る隙もありはしない。元より、ラスティ機を追いかけていた位置からでは何をするにも遠い。ミゲルとオロールに手は出せなかった。

 予期しない方向からの攻撃だったのだろう。ラスティ機はかわす事も出来ずにそれを浴び、機体後部を爆ぜさせている。

 危険を薄々予想していたのにこれだ。何もしなかったし、出来なかった。

 「まさか」「やるわけがない」

 常識に足を引っ張られた……いや、それも言い訳に過ぎない。確証に至らなかったとは言え、予想は出来ていたのだから。

 結果として、引き金は引かれ、ラスティは後ろ弾を受けた。

『ミゲル、撃つぞ!』

 オロールからの通信。そして、オロールのジン・ハイマニューバが、ジンの小隊めがけて重機銃を撃つ。

 その回避の為に、彼等は銃撃を止めた。

『何をする!?』

 通信機からかえるMSパイロットの声。その声は笑いを押し殺した様で、そこに悪意が隠れ見えた。

 今までの展開に唖然としていたミゲルは、その悪意に沸いた怒りで我に返る。

「何をだと? お前らこそ、何故味方を撃った!?」

 即座にミゲルは通信機に怒鳴った。が、聞いても意味は無い。その理由については予想が付いたが、その真実を語りはしないだろう。そして、案の定。

『味方? ああ、モビルアーマーなんかに乗ってるから、判断出来なかったんだよ』

『モビルアーマーなんて、敵の兵器に乗ってるのが悪いんだぜ? うっかり、間違っちまった』

 まるで最初から用意していた様な答が二つ返る。

『お……俺は撃ってない! 二人が勝手に……』

 残る声の一つは戸惑いを見せていた。こいつをしでかしたのは、どうやら二人か。

『ミゲル! こいつ等、殺して良いか!? 良いよな? やるんじゃねーかと思っちゃいたが、本当に後ろ弾をやらかす屑だもんな!』

 オロールが通信機の向こうで喚いた。その如何にもやらかしそうな声に、ミゲルは僅かに冷静さを取り戻す。

「オロール! ラスティを確保! 後退するぞ!」

 ラスティ機は爆散したわけではない。

 偶然か……それとも、とどめは連合機に任せようと姑息な事でも考えたか? 何にせよ、ラスティは無事である可能性が高い。

 すぐ後ろに追いすがっていたメビウスは、衝突を恐れでもしたのか、とどめをさせる好機であるにも関わらずコースを変えていた。

 しかし、他の機はそうではないだろう。撃墜された機体に興味を抱く者は少なかろうが、念入りにか戯れにでも撃たれれば確実にラスティは散る。

『了解……でも、あいつら、どうすんのよ?』

 機動性が高いジン・ハイマニューバが、連合のメビウス部隊に牽制射撃を浴びせつつ、ラスティのメビウス・ゼロの元へと急いだ。

「ラスティの安全確保が先だ! 今は勝手にやらせておけ」

 指示を返しながら、ミゲルもミサイルと重機銃をばらまき、敵のメビウスが舞う戦場に穴を開けて退路を確保する。

 敵はまだ多い。だが、空間に濃密ではない。

 MSの足止め、あわよくば撃破といった所だろう。積極的な攻勢には出てこない。

 それに、まだラスティが掻き回した分の混乱が残っている。

 ミゲルは、オロール機が先に進んだ後を進む。

『へへへ、すまなかったな。ま、代わりと言っちゃなんだが、戦功は代わりに俺が上げておいてやるよ』

『もともと、モビルアーマーの出番なんか無かったから、代わりってのは無いだろ』

 調子に乗った笑い声が二つ通信機から漏れてきた。それに嫌悪と憎悪を抱きながら、ミゲルはそれを努めて無視する。

 こうまでされるともう、ラスティの自業自得だなどとは言ってられない。

 例え火を付けたのがラスティであろうとも、味方を撃つ事が許されるはずもない。

 だが、戦闘中である以上、ここで再びの同士討ちを演じるわけにもいかなかった。

「後で譴責してやる!」

『おいおい、俺達は間違えただけだぜ? そう言ってるのに、MA女の肩を持つ気か?』

「言ってろ! その戯言を最後まで貫き通せると思うな!」

 聞こえる通信に罵声で返しながら、その苛立ちをぶつけるように接近してくるメビウスの編隊に115mmレールガン“シヴァ”を撃ち放つ。

 ろくに狙いもつけずに撃ったそれが当たる筈も無い。しかし、巨砲の一撃を察したようで、メビウスは回避運動の為、編隊を崩して散った。

 敵はMAの性質上、一度通過した空間に再び戻ってくるまでは時間がかかる。

 時間は稼げた。その間に、ミゲルはラスティ機とオロール機の元を目指す。

 僅かな時間とはいえ慣性のままに進み続けていたラスティ機との距離は遠く、そう易々とは追いつく事は出来なかった。

『MA女にも穴はあるんだ。どうせ、よろしくやらせてもらってるんだろ? 頭がおかしくても、具合は変わらないってか』

『止めろよ。戦闘中だぞ……』

 嫌な笑い声。それを諫める声も混じるが、どうにも力がない。

 ミゲルが怒りを殺して砕けんばかりに奥歯を噛みしめていると、オロールからの通信が入った。

『ラスティ機確保! コックピット部分は無事だ。

 こいつ、しっかりエンジン停止して、壊れたガンバレルを切り離してやがる。まったく、性格には難だが、腕だけは良いな』

 オロールの声からは、安堵と賞賛が聞き取れる。

 その報告にミゲルも安堵すると、さらにオロールの声が続いた。

『な、わけだ。そこの屑共の相手してないで行こうぜミゲル。

 俺達がラスティと楽しく訓練してる間に、寂しく互いのケツを融通し合ってた様な奴等さ。

 その顔の真ん中に開いたケツの穴から漏れ出す糞に一々構うなよ』

 いつもの軽口……ではあるものの、その中には怒りが混ざり込んでいる。だが、オロールの言っている事は正しい。

 ミゲルは、プールサイドでシャチの風船を小脇に抱えるみたいな格好でメビウス・ゼロにしがみついて戻ってくるオロールのジン・ハイマニューバに、自らのジン・アサルトシュラウドを急ぎ向かわせる。

 つい先程までラスティ機は撃墜された残骸でしかなく敵の優先度は低かった。だが、オロール機が回収した事で、実質は重荷を背負ったオロール機とその重荷という形に変わる。

 重荷を背負って性能低下したジン・ハイマニューバ。敵からは格好の餌食だろう。そして今、攻撃を受けたなら、ラスティ機も巻き添えとなる。

「コックピットぶち割って、ラスティだけ取り出せないか!?」

『半分の確率でラスティごと潰していいならやってみる!』

 機体はともかく、ラスティだけ回収出来れば及第点。そう考えてミゲルは聞いたが、オロールからの答は芳しくない。

「わかった。そのままで脱出だ」

 諦め、そしてミゲルは一番近くにいるメビウスの編隊にミサイルを放った。

 ミサイルはメビウスのスラスターの熱を追って走る。が、近くとはいえ相当の距離はあり、対応する時間が有る。メビウスの編隊は、その場にフレアを撒き散らして退避した。

 フレアが放つ欺瞞の熱に惑わされ、ミサイルは何もない宙を行き過ぎる。

 撃ちっ放しのミサイルなど、そうそう当たるものではない。それでも、また僅かに時間を稼ぐ事は出来た。

 撃墜できれば本当は良いのだが、じっくり狙って、タイミングを計って……などやっていたら、守るべき仲間が落とされてしまう。

 今は適当に攻撃をばらまき、敵の牽制と、あわよくばとラッキーヒットを願うしかない。

「退路は確保する! 必要なら盾にもなってやる! 脱出するぞ!」

 ミゲルは周りにメビウス部隊が居ないのを確認して、味方撃ちのMSパイロット共とオロール機を結ぶ直線上にジン・アサルトシュラウドを置いた。

 流れ弾とでも何とでも言い訳して、また撃ってくる事を警戒してだ。

 メビウス・ゼロとジン・ハイマニューバの装甲には期待できないが、アサルトシュラウドの追加装甲なら壁にはなれる。

『おう、任せた!

 ところで、ヒロインを助けるのはヒーローの仕事じゃねぇかなぁ? いつ眠れるヒロインとまとめて火の玉になるか、ドキドキしながらベッドを運ぶのはモブには辛いぜ?

 なあ、ZAFTのエース。その名も黄昏の魔弾?』

 敵の攻撃を警戒しながらラスティの乗るメビウス・ゼロを押し運ぶのも大変なのだろう。オロールの愚痴混じりの戯言が返る。

「都合の良い時だけ黄昏の魔弾か? 俺はもう蜜柑色で良いよ。こんな面倒臭い思いをしなくて良いならな。

 ヒーローは譲ってやるから、ヒロインへの目覚のキスでも何でも好きにやってくれ」

 ミゲルの回答にも、本音と冗談が入り交じる。

 エースだ何だともてはやされる事もあるが、面倒ばかりが肩にのしかかるだけで、良い事など何もない。緑服のエースなど、そんなものだ。

『ヒーロー譲ってくれるかぁ……いや、やっぱ俺もお前も柄じゃねーわ。

 ヒーローだったらラスティが撃たれる前に割り込んででも防ぐだろうし、そもそもラスティと奴等を喧嘩させたまんまでいさせないだろ?

 いや本当、そういうんじゃねーわ。安月給で兵隊やってんのがせいぜいだ』

「まーな」

 オロールのその投げやりな言葉に、ミゲルは大いに賛同する所だった。

 本当、自分らはただの兵士だし、それ以上のものにはなりたくもない。

 MSに乗って、鉄砲を担いで出て行って、それで片付く仕事だけが能の筈なのに、どうしてこうも厄介事ばかりに見舞われるのか。

「それでも、真似事くらいはしないとな。ヒロインのエスコートくらいなら、兵士1と2のモブでも出来るだろ」

 面倒だがやり遂げないとならない。

 今のミゲルとオロールにとって、ラスティはヒロインなんてものでは当然ないが、それでも見殺しにして良い筈などないのだから。

 

 

 

 戦況は変動する。

 両艦隊は砲撃戦を継続中。互いに幾発ずつか被弾していたが、致命的な一撃はまだ両軍共に受けていない。

 両艦隊の狭間、MSとメビウス部隊の戦場では、一時、メビウス部隊が攪乱され、MSの攻撃の前に出血を強いられていた。だが、今はそれも終わっている。

 現在、3機編成3部隊のジンと、ラスティを回収して戦場から離脱しようとしているミゲルとオロールが、メビウス部隊と戦っていた

 だが、ガモフ側の部隊の動きが悪く、またミゲルとオロールもその状態でまともに戦えるはずもなく、効果的な防衛ラインを引けていない。

 ガモフ側の2部隊が動けない状況は、ツィーグラー側の2部隊への負担となって表れる。

 結局、ZAFTのMS部隊は、連合のメビウス部隊の壁を抜ける事が出来ず、戦いは膠着状態となり、メビウス部隊は貴重な時間を稼ぎ出す事に成功した。

 その事は結局、両艦隊の砲撃戦にも影響を及ぼす。時間は連合軍を有利にした。

「ツィーグラーに直撃!」

 ミサイルの迎撃に失敗し、直撃を受けたツィーグラーの艦後方下部の装甲が砕ける。

 モニターに映るその光景にガモフの艦橋はどよめいた。

「ツィーグラーが後退を打診してきています!」

「後退だと!? ガモフ一隻では支えきれんぞ!」

 オペレーターからの報告にそう言い返し、ゼルマンは苦々しい表情を浮かべる。

「ええい、MS隊はどうした! 敵MAを突破して、敵艦に攻撃をかける事は出来ないのか!?」

 本来なら、とっくの昔にされているべき事が、為されていない。苛立つゼルマンに、オペレーターは告げる。

「ミゲル機とオロール機は、ラスティ機を回収して後退中。他MSは完全に守勢に回っています。攻勢には出られません」

「くっ……ラスティは“誤射”だったな……」

 全てはあの“誤射”から天秤が傾いた。

 ゼルマンも、あれは誤射だと、撃った本人達から報告は受けている。だから今はそれを信じていた。

 艦から撮れた映像では、ドッグファイトをしていたラスティに、ジン2機が射撃したという事が確認されたのみ。検証している間は無いので、それ以上の事は今はわからない。

 実際に何があったのかを検証するのは、戦闘後の話になるだろう。しかしそれも戦闘後があればの話だ。

 現状が続けば、自艦ガモフも致命の一撃を受ける可能性がある。

 どうする? 単艦で支えきってみせるか……いっそ撤退するか?

 敵に与えた損害も決して少なくはなく、それなりの時間は足止めしたと考えたい。しかし、それで十分だったかと考えると自信がない。

 敵はここで叩いておきたかった。仕留められないにしても、敵にこそ撤退を余儀なくさせ、より多くの時間を稼ぎたかった。

 今逃がせば、敵は連合MS輸送艦隊を再び追うだろうか? もし、敵がまだ推進剤に余裕を持っていたらならば追うだろう。追いつく追いつかないに関わらず、それは輸送艦の逃走に影響を及ぼす。

 ダメか。やはり、退く事は出来ないか。

 しかし、ツィーグラーにこれ以上の戦闘継続は可能なのだろうか? 後退を打診してきたと言うことは、相応の損傷を受けているのだろう。

 ツィーグラーが後退するならば、後はこのガモフ単艦でこの戦場を受け持たなければならない。それは無謀だろうと察しはついた。しかし、この任務を請け負った軍人としては……

 ゼルマンの思考は迷いの深みに落ちていく。答は出ない。

 その間も、戦場に止まる事無く時は流れていた。

 

 

 

 ――わからない。

 ガモフ所属の部隊……ラスティを撃った部隊。そのジンのコックピットの中、彼は混乱の波に翻弄されていた。

 “何故、僚機は味方を撃った?”

 彼と部隊を組む他2機によって行われた凶行。彼はそれを知っていた。直前に誘われたからだ。

 MS同士の接触回線によって行われた密談。

 彼は拒絶し、止めようとした。が、全ては実行された。

 ――わからない。

 口喧嘩で女の子に言い負かされる。腹が立つ。

 自分が命を預けるMSを侮辱される。腹が立つ。

 レストランで売られた喧嘩で営倉入りになる。腹が立つ。

 シミュレーターで負ける。しかもMAに。腹が立つ。

 それらは理解できる。彼も同じ気持ちだ。彼等と自分は同じ気持ちだった筈だ。

 だが、どうして?

 口喧嘩なら口喧嘩で。侮辱は侮辱で。殴られたら、殴り返せばいい。

 営倉入りは、対戦相手のミゲルとオロールも同じだ。ラスティことMA女は処分を受けていないが、そもそも彼女は殴り合いには参加してなかった。

 シミュレーターで負けた事に至っては、単純に腕の差と受け止めるしかないだろう。

 腹は立つ……当然だ。

 でも、だから殺すだって?

 同胞だぞ? 同じ艦の仲間だぞ?

 世の中に嫌な奴、反りが合わない奴なんて幾らでもいる。

 殺して良いとでも? そして全員殺していくのか? 狂っている!

 湧いた怒りと背筋を這う恐怖に、闇雲な射撃を行う。

 ジンの放った銃弾を示す火線は、メビウスを掠める事もなく宙の向こうへと消えた。

 恐怖……そうだ、恐ろしい。

 味方を殺そうと考え、そして実行に移せる人間と共に戦場にいる事が。

 未だ、彼等は“誤射”で味方を殺そうと狙っているのだろう。

 ひょっとすると、その銃口は自分に向けられているのかもしれない。彼等を怒らせた心当たりなどないが、どんな些細事でも彼等はそれを理由にするかもしれないのだから。

 そんな想像に、彼は慌てて機体を操作し、視界正面に僚機を捉える。僚機は、彼の事など気にせずに戦っていた。

 一瞬の安堵、そしてその安堵を塗りつぶす様に再び拡がってくる不安。今はそうかもしれない、しかし目を離した瞬間に僚機は自分を撃つかもしれない。

 視界を僚機から外し、再び敵を警戒するまでには、若干の時間を要した。その隙を逃すはずもなく、敵機は彼に殺到する。

「うわああああああっ! 来るなあああああっ!」

 敵機に気付いた瞬間にその数に恐慌を来し、銃弾をばらまいて壁としようとするが、敵機は臆する事無く抜けてくる。

 助けてくれ。

 誰に助けを?

 仲間はお前を撃とうとしているぞ?

 そんな事はない。味方を撃つなんて間違ってる。

 でも、奴等は撃った。

 そう言えば、自分は奴等が故意で撃った事を知っている。口封じ……

 考えるな、戦闘中だぞ!

 戦闘中だからこそ可能な謀殺だろう。

 止めろ、今は敵を!

「モビルアーマー如きが俺を殺そうとしやがって!」

 ジンを駆って彼は必死で銃弾を放ち、それに引っかかったメビウス一機が爆散する。だが、倒す以上に敵はおり、そして今の彼には満足な迎撃は出来なかった。

 ああ、敵が! 敵が……!

 助けを求めて宙を見渡す。僚機が、自分に銃を向けているのが見える――

「止めろ!?」

 とっさに機体を動かして逃げた。

 自分を狙ったのか? 本当の援護射撃のつもりだったのか?

 実際にはそれは本当に援護射撃だった。彼の仲間に彼を殺すつもりはない。全て彼の疑心暗鬼である。しかしそれは彼にわからない事だ。

 わからない。どうしたら良い?

 敵が迫る。敵が包囲する。

 背後には味方の銃がある。

 敵が。敵が……

 敵は…………誰が敵だ?

『敵の仇だが取らせてもらおう!!』

 困惑を裂く、敵機の接近を知らせる警告音。それに紛れる様に共用回線から飛び込んだ敵機からの声。

 モニターには、肉薄したメビウスが対装甲リニアガンを放つ所がはっきりと見えた。

 一つだけ理解する。

 ラスティの言っていた事の一つは間違いではなかった。モビルアーマーだって、こんなにも強い。

「もっと話を聞いても良かったな……」

 台詞は脳内で組み上がるも口で発する間などなく、コックピットを貫いた砲弾に彼の思いも言葉も全てが粉微塵に砕かれた。

 

 

 

 ガモフ側のMS小隊の一機が撃墜された。それとほぼ同じくして、ツィーグラーの船体に再び爆光が灯る。

「不甲斐ない!」

 ツィーグラーの艦橋。艦長席に着く男が思わず口から漏らす。

 ガモフのMS部隊。誤射で一騒動起こし、前線の負担増を招いた挙げ句がこの有様だ。

 誤射というのは言葉通り信じるとして、その後のこの状況は許し難かった。

 今すぐにでも叩きつけたい怒りと苛立ち。しかし、それは出来ない事ゆえ、押し殺して仕事を続ける。

「……艦の被害は? 修復は出来そうか?」

 艦長はオペレーターに聞いた。

 ツィーグラーは被弾している。その被害は実は深刻だった。

「……ダメです。未だに延焼中。やはり何処かで推進剤が漏れてるそうです」

「そう……か」

 オペレーターからの返答に明るい要素はなかった。

 艦内で火災が発生している。隔壁を閉じ、空気を遮断してなお火災が続くという事は、推進剤……燃焼剤が含まれ、真空中でも炎を上げるそれが漏れ出ているに違いない。

 問題は、何処でどの規模で漏出が起きているかだ。

 供給バルブを閉めるなどの対策は当然行われただろう。

 なのに消えないという事は、最初に大量に流出して供給を止めてなお残った物が燃えているか、はたまたタンク本体などの致命的な部分からの漏出が起こっているのか。

 こうなっては、対処のしようなど限られてくる。

「左舷推進剤タンク、緊急切り離し。投棄しろ」

「と、投棄ですか!?」

「何時、火が回って誘爆するかわからんだろ! 爆弾を抱えてる様な物だ。投棄しろ!」

 オペレーターの戸惑った様な返事を、艦長は怒声でねじ伏せる。

 問い返されなくとも、わかっているのだ。推進剤の投棄が、どんな意味を持つのかくらいは。

 推進剤の量は、そのまま速度と航続距離に影響する。

 つまり、味方に追いつけるか否か直結するわけで、この決定によりツィーグラーがこれ以降の作戦には参加出来なくなる事を意味していた。

 また、敵から逃げられるか否かにも結びつく為、戦場からの撤退も難しくなる。

 そう、撤退だ。

 ツィーグラーは、この損傷を負ったまま、これ以上は前で戦うべきではない。

 撤退。その前段階としてツィーグラーを後ろに下げ、ガモフにカバーして貰いながら損傷と戦況を見つつ、その機会を窺う腹づもりであった。

 なのに、後退を打診したガモフからの返答は未だ無い。

 勝手に下がるわけにも行かないと判断したのが悪く出て、ツィーグラーはズルズルと戦闘を長引かせていた。

「ガモフの動きはまだか! いつまで待たせる!」

 催促をして、それでもグズグズするようなら勝手に下がってしまおうと心半ばに決め、ツィーグラーの艦長は怒声を張り上げた。

 と――

 激震。船体を通して響く爆音。

 つい先程にも感じたのと同じ、着弾の衝撃だ。

 揺れを艦長席にしがみついて耐え、オペレーターの悲鳴の様な報告を耳にする。

「後方右舷に着弾! 装甲貫通しました!」

「くたばれ、連合の豚が!」

 艦長は罵声を上げて敵と運命を呪った。そして呟く。

「くそっ……怖い。死にたくない」

 幸い、その言葉は誰の耳にも届かなかった様だ。

 ややあって、オペレーターが報告を上げてくる。

「砲弾は右舷後方の施設を破壊。エンジンブロックにも被害が及び、推力が32%程低下しています」

「推進器が半分ダメになった。そういう事だな。そして遠からず右舷の推進剤タンクも捨てる必要が出てくる可能性が高い」

 嫌な笑いがこみ上げてくる。笑い出せば、止まることなく笑い続けるだろう。それこそ死ぬまででも。

 いっそ、何もかも忘れてベッドに逃げ込みたい。家に帰りたい。出来るはずもないのに。

 死にたくない。

 どうしてだ。どうしてこうなった。

「ゼルマン……臆病者が、連合のモビルアーマーを恐れて頭が鈍った等とは言わせんぞ」

 恨み言が口をつく。

 不意に、連合のモビルアーマーに怯えたゼルマンの様子が思い出されて、不愉快さは段を超えて上がった。

 奴がもっと早くにツィーグラーの後退を許していれば……いや、ガモフを置き去りにしてでも後ろに下がらなかった自分の甘さが招いた判断ミスか。

 くそっ! くそっ! くそっ!

 今すぐにゼルマンを連れてきて、ツィーグラーの艦長席に座らせてやりたい。

 しかし、現実には座ってるのは自分であり、誰であろうとその席を譲る事は出来ないときてる。

 死にたくない。死にたくない。

 死にたくないな……

 逃げ場を探す様に、艦長の目は艦橋の中を彷徨った。無論、何処にもそんなものはない。

 今なお必死で働く艦橋要員達の背中が見られただけだ。

 ……ああ、彼等もきっと死にたくはないのだろうな。

 艦長は深く深く長く長く溜息をついた。

 そして、思いの外静かな声でオペレーターに命じる。

「ガモフに通信を繋げ」

 

 

 

「ツィーグラー更に被弾!」

 ガモフ艦橋にオペレーターの報告が上がる。

 撤退か継戦かで悩んでいたゼルマンは、その報告に顔色を変えた。

 判断に時間をかけすぎた……その結果が、ゼルマンの判断を待って戦っていたのだろうツィーグラーへの被弾である。

「後退もやむなしか……」

 そう呟かざるを得ない。既に遅きに失してはいたが。

 それでも出来る限りの事はしよう。

 戦況がここまで一気に崩れるのかと、ゼルマンは歯噛みする思いをしながら、艦橋要員達に向けて声を上げる。

「ガモフは砲撃を続けながら移動。敵艦隊とツィーグラーの射線上に割り込ませろ」

 せめて盾となって両艦の活路を開こうと判断したゼルマンだったが、それを遮る様にオペレーターが通信を受け取った。

「艦長。ツィーグラーより直接連絡です。艦長に通信回線を繋げます」

 オペレーターの報告の後、艦長席のコンソールが通信が繋がった事を示すランプを灯し着信音を発するや、ゼルマンは即座に通信をオンにして、マイクに向けて話しかける。

「ガモフのゼルマンだ。大丈夫か?」

『こちらツィーグラー。やられた。推進器に異常が発生している』

 ツィーグラーの艦長は苦々しげに答えた。

 その怒りは連合に向かってはいるのだが、撤退の判断が遅れた原因であり、そもそもの戦線崩壊の原因となったMS部隊を抱えるガモフに対し、非難めいた気持ちもある。

 それを感じ取りつつも、ゼルマンは自らに為せる事を探る為に問う。

「支援する。戦場を離脱できるか?」

『……無理だろう。追撃されれば逃げ切れない』

 ツィーグラーの艦長は、僅かな時間を置いて答える。

 それが、ツィーグラーに残された推力から計算して出た結論なのだろう。

「では、戦いを続けよう。何とか撃退を……」

『ダメだ。一緒にいれば、両艦共にやられてしまう』

 逃げられないツィーグラーを庇って、戦いを続ける。ゼルマンがしようとした提案は、ツィーグラーの艦長に断られた。

『それより、二手に分かれるんだ。敵がどちらかを追うかはわからないが、片方は生き残る目が出る。敵が艦隊を更に裂いたなら、それで逆転の可能性が出てくるというものだ』

「しかし、それだと……!?」

 ガモフが追われる。あるいは敵が艦隊を分ける様なら良い。しかし、ツィーグラーに敵が集中すれば、ツィーグラーは艦を守る事は出来まい。

 そしてそれはツィーグラーの艦長こそが良く理解している事であった。

『そんなわけだ。後は任せる』

「何を言っている!? 死ぬ気なのか!?」

『ナチュラルでも、これぐらいはやってのける!

 ましてや私はコーディネイターだ。今日の無様な戦いの恥を濯がんとする意地がある!』

 ツィーグラー艦長の死を決意した叫びだった。

 その決意をゼルマンは羨ましいとさえ思う。軍人として潔く散る事への憧れは、ゼルマンの中にいつも秘められていた。

 いずれ、軍人として華を咲かせて死にたい。その瞬間にはどんな事を思うのだろう。

 死にたい?

 ……ふと自分の思考に小さな疑問を抱いたが、為すべき事を前にして、深くは考えずその疑問を頭の隅に追いやる。

「わかった。ガモフは何をすればいい?」

『言わせるな。

 MS輸送部隊を追え。何としても追いつき、その責任を果たせ。作戦を成功させろ!

 ではな。武運を祈る』

 そう言い残し、あっさりと通信は切れた。

 

 

 

 『くたばれ』そう言ってやりたいのは抑えられた。

 ツィーグラーの艦長は叩き切る様に通信を切り、納まらない気持ちにとりあえず一区切りを付ける。付けようとする。

 戦況なんて一時の運だと覚めた風に思ってみても、ガモフのMS部隊の誤射や被撃墜がなければと思えてしまって納まらない。納まらない所を無理に区切る。引きずってしまう思いを断ち切る。

 僅かな時間、気持ちの整理に苦労した後、それでもなお尻尾を引きずりながらも、艦長は仕事を始めた。

「オペレーター。MS部隊を呼び戻せ。一部隊はツィーグラーの直掩、そしてもう一部隊は撤退するガモフの為、敵の牽制に当たらせろ」

 この糞の様な戦場の後始末はツィーグラーでつけてやる。だから、ガモフは栄光ある次の戦場へと飛んでいくが良い。いずれ、死神に捕まるまで飛び続けろ。

 自分はここでリタイアだ。

「ツィーグラーは今すぐ転進。ガモフより先に済ませろ。敵の注意を引くつもりもある。全力で逃げるぞ。

 それから、全乗員に脱出の準備をさせろ。最終的にこの艦は放棄する。

 グズグズするなよ? 艦長が最後に降りる決まりなんだ。俺に『艦長の責任』を果たさせないでくれ。死にたくないんだ」

 最後のは冗談のつもりだったが、艦橋要員達はニコリともしなかった。ただ、真面目に頷く。ギャグのセンスの無い奴等だ。

 小さく溜息をつく。

「……とりかかれ」

「はい、艦長を死なせるわけにいきませんものね」

 仕事に取りかかる前、オペレーターが艦長に返した。

 やはり死にたくはない。しかしそれ以上に死なせたくはないと……

 

 

 

 ZAFT側より撤退信号が出される。

 偶然ではあるが、そのすぐ後にミゲルとオロール、そして回収されたラスティがガモフへ帰艦。

 その後、ラスティを置いて再出撃したミゲルとオロール、ツィーグラーのMS部隊の支援を受けて、ガモフのMS部隊2機がようようやっとのていで帰艦した

 その帰艦劇の最中にもジリジリと後退していたツィーグラーは、このMS部隊帰艦の段階で全力の逃げに転ずる。

 それを支援するかに見せたガモフは、ツィーグラーが有る程度の距離を取った段階で、そちらとは逆方向に転進、逃走を図った。

 ネルソン級宇宙戦艦“モントゴメリィ”の艦橋、艦長のコープマン大佐はその状況を見て、拾った勝利に安堵の息をつく。

 実際問題、艦隊を守りきったとはいえMA部隊の損耗は激しく、またモントゴメリィ及びドレイク級宇宙護衛艦“バーナード”及び“ロー”にも多少の着弾はあり、致命的ではないものの損傷している。

 ZAFTのMS部隊が十全の動きをしていたのなら、破れたのは連合艦隊の方だったかもしれない。そんな勝利だ。

 だが、勝ちは勝ち。とは言え……

「ほぼ健在のローラシア級はやはり輸送艦隊との合流を目指すようです」

 進路を計算した結果をオペレーターが伝えてくる。

 片方の艦は撃沈寸前まで叩けたが、もう片方は仕留めていない。奪取した連合MSを輸送する艦隊に合流されると厄介だろう。

 しかし、モントゴメリィはともかく、バーナードとローは推進剤が足りなく、おそらくは追撃しても追いつけない。

 ならば、モントゴメリィだけでも追うか? 単艦で追ったところで、返り討ちにあうのが関の山だろう。

 それに今から追った所で、単艦で輸送艦隊を追ったアガメムノン級宇宙母艦“メネラオス”が、合流するその時まで無事でいるとは……

 ここは、この勝利をもって、自らの役目を全うしたと思うより他無い。

「……艦隊前進。死に損ないを叩く。

 モビルアーマー隊は継続して防空。敵艦の始末は、引き続き艦砲で行う」

 自分達の役目を終わらせたとはいえ、それでも目の前に落ちてる手負いの獣を始末しない理由は無いだろう。

 窮鼠猫を噛むという教訓を十分に意識しながらも、コープランド大佐は戦闘の継続を命じた。

 敵艦の足は砕けたらしい。ならば距離を取って砲撃戦を継続する事で、MA部隊の損耗も少なく、堅実に勝ちを拾えるだろう。

 これはもはや終わった戦だった。

 

 

 

 しばらくの後、ツィーグラーはモントゴメリィからの容赦ない砲撃の前に轟沈。

 燃え上がる艦からMS部隊と脱出艇が逃げた所に、連合のMA部隊が襲いかかり、脱出艇とそれを守って自由な動きのとれないMS部隊を鴨撃ちの如くに散々に叩き落とした。

 無事に逃げ延びる事が出来たツィーグラーのZAFT将兵は僅かだったと言う。

 こうしてヘリオポリス沖会戦の第二幕は、連合軍第8艦隊の勝利に終わる。

 だが会戦は幕間へと入る暇もなく、ここより離れた宙域にて既に第三幕は始まっていた――

 

 

 

 連合MSを積んだ輸送艦。それを守るのはナスカ級“ハーシェル”。追うのはアガメムノン級宇宙母艦“メネラオス”。

 戦いはハーシェルとメネラオスの一騎打ちの様相を呈していた。

 とはいえこの戦いに語るべき事は少ない。

 一人の狂人が己が信じた神に殉教した。ただそれだけである。

 メネラオスの艦橋。デュエイン・ハルバートンは、奪われた連合MSが積まれた輸送艦だけを見つめ続けていた。

 彼が下した命令はただ一つ。「全兵器、全兵力をもって前進せよ」と。

 メネラオスから発進したメビウスが前進する。彼等は整然と編隊を組むと、まっすぐに死地へと飛び込んでいった。

 迎え撃つ為にハーシェルより出撃したのは、ZAFTの赤服が乗った4機のシグー。今期最優のパイロット達と、その搭乗機として選ばれた最新鋭のMS。

 メビウス部隊は居並ぶシグーの壁へと押し寄せ、岸壁の波の様に砕かれる。たちまち、無数の光芒が宙に煌めきだした。

 だが、その光もハルバートンの目には入らない。

 ただ、ただ見つめる。輸送艦の憤進炎の光を。そこに“神”はあるのだと。

 天頂に座す神は死んだ。だが、我等を守り、我等に勝利をもたらす物がそこにある。ならばそれを神と呼んで何の間違いがあろうか。

 それは我々に勝利をもたらす。

 それは我に勝利をもたらす。

 祝詞はないが祈りは捧げよう。

 生贄の山羊は火にくべられている。

 払われる犠牲が神に届いた時、神は降りてくる。神は我が手に降りてくる。勝利をもたらす為に降りてくる。

 ああ、ああ、聖なるかな。どれほどの祈りを捧げただろう。

 最初に生贄となったのは無辜の民。ただ地球に住んでいたというだけの人々。万愚節の破滅によりもたらされた死は世界を覆った。

 自分の知る者も、知らぬ者も、関係なく全てが祭火に投じられた。そして未だに多くがくべられている。

 ――祈りは届きましたか?

 次に失われたのは部下同僚上官の魂。

 敵の作った悪鬼が、数多の部下を同僚を上官を殺した。

 ああ、ああ、彼等の断末魔。最後に残す言葉が聞こえましたか?

 絶望と後悔を込めて愛する者を呼ぶ声。敵への恨み怒りを叫ぶ声。あっけなく散る者の語り残した何気ない言葉。言葉無く去る者の秘められた心の声。

 聞こえますか? 聞こえますか? 私はたくさんたくさん聞きました。

 今も聞こえています。

 今も死んでいます。

 お喜びください、もっと死にます。

 そうしたら、神は降りてくる。私の元に降りてくる。

 そして勝利をくれる。

 何度も何度も怒り、何度も何度も悲しみ、何度も何度も絶望して、それでなお手に入れる事の出来なかった勝利を。

 ああ、ああ、勝利を。

 神様、勝利をください。

 永劫に敵を打ち負かす勝利をください。

 僕が愛した人に、好んだ人に、嫌った人に、憎んだ人に、何も思いはしなかった人、見も知らない人にも平穏と安らぎを与えられる勝利をください。

 もう僕に怒りと悲しみと絶望を見せないでください。

 これが最後だと思うから今は耐えます。

 だから僕に勝利をください。

「……前進せよ」

 戦場をじっと見つめていたとおぼしきハルバートンが突如命じる。

 同じ艦橋で指揮を執っていたホフマン大佐は、その命令を聞くやギョッとした顔でハルバートンを見返した。

「前進ですか? まだ敵モビルスーツの排除が出来ていません。いえ、現状でははっきりと我々が不利です。

 今、前線に突入しても、敵のモビルスーツの攻撃を受けるだけですが……」

「わからないのかね。これは必要な事だと」

 ハルバートンは強い意思を感じさせる言葉を吐き出す。

 そうだ。必要な事だ。

 神は未だ現れない。生贄が足りないのだ。

「メネラオスより、各艦コントロール。ハルバートンだ!

 本艦隊はこれより、敵輸送艦に対して突撃。移乗白兵戦を強行する。

 厳しい戦闘となるとは思うが、かのモビルスーツは、明日の戦局の為に決して失ってならぬものである。

 陣形を立て直せ! 第8艦隊の意地に懸けて、モビルスーツを奪還する! 地球軍の底力を見せてやれ!」

 命令は下された。メネラオスは前進を開始する。

 もう少しだ。もう少しで……モビルスーツに手が届く。“神”に手が届く。そうなれば、あの……あの…………

 恍惚。その内にハルバートンは浸る。

 だが、それは時を経て破られた。

「閣下! これ以上は……これでは本艦も持ちません!」

 メネラオスが揺れている。軋み響く金属的な不快音は、損傷を受けた船体の上げる悲鳴。

 怒声を上げたホフマンが、不安げにハルバートンの顔を覗き込む。

 メネラオスは今、戦いの直中にいた。

 メネラオスが対空砲の火線をハリネズミの様に生やし、メビウス部隊もまたメネラオスを守ろうと勇戦している。

 しかし、自らの間合いに踏み込んだこの巨艦に対し、MSはその猛威を振るっていた。

 止む事もなく銃火を浴びせ、時に急所を狙い、時に火砲を潰し、的確にメネラオスを仕留めんと攻め込んでくる。

「まだだ!」

 ハルバートンは叫んだ。

 目標の輸送艦はさっきよりも近づいている。もう少し。もう少しだ。

 もう少しで神は我が手に降りてくる。

「しかし……」

 ホフマンは抗命しかけた。このままではメネラオスは落ちる。確実に。

 だがそれでも、ホフマンは口をつぐんでしまう。

 今ここで、指揮をめぐって混乱を見せるわけにはいかない。全ては遅きに失していた。

 知将ハルバートン……彼の正気を疑うのは、もっと早くにするべきだったのだ。

 ホフマンが不安と焦りをにじませながら指揮に戻る傍ら、ハルバートンは、周囲の戦場で散る命の火も、刻々と迫る敵MSも見る事はなく、ただモニターに点の様に映る輸送艦の光を見据えている。

 デュエイン・ハルバートン。彼は狂人だった。

 その狂気は、誰にも止められる事のないまま、深く静かに悪化の一途を辿っている。

 周囲の者の多くは気付かなかった。しかし、一部は気付いていた。ただ、此度の戦争での人手不足が、その症状を軽く判断させ、彼に仕事を続けさせる結果となった。

 彼は見事に働いたと言えよう。結果はどうあれ、その過程においては万難を排して進め、連合製MSと呼べる物を完成まで持って行ったのだから。

 それは全てが彼の狂気故だ。MSに向ける妄想と執着が、失敗を寄せ付けなかった。彼の狂気の原因となったMSへの妄想と執着が、彼をここにまで至らせた……

 戦争が……彼にとって全てが新しいものとなった“MSを相手とした戦争”、そして戦禍に失われたあまりにも多くのもの。

 彼は真面目な軍人であり、悲劇に心痛める優しさもあった。

 真面目だったが故に自身では適応し難い新たな戦場に苦悩し、適応し難かったが故に防げなかった多くの悲劇に絶望した。

 彼は優しい人間であったが故に狂気を孕み、その狂気故に機械人形に神を見出し、そして虚構の神に自らの大切なもの全てを捧げてしまった。

 そんな狂人たる彼故に……彼は見たのかもしれない。

「?」

 つっーと、ハルバートンの口元から涎が溢れた。水球になって漂い出す直前のそれを、ハルバートンは無意識のうちに袖で捉えて拭う。

 何だ? 何かの記憶が……

 それは突然、白昼夢の様にハルバートンの脳内に蘇る。

 連合軍基地。地下実験場。最新兵器起動テスト。

 その地下の穴蔵。学校の体育館一つ分くらいだろうか。兵器の実験場としては狭い。

 周囲を囲う、仄暗く白い奇妙に歪み捩れたコンクリート壁が、何か酷く心をかき乱す。

 即席で作られた為に歪みが生じたと説明されたが、あれは文字や文様に見えて、まるでそう作られたかの様だった。

 その中央には、金色の装甲を持つMAが座している。さながら骸の様に。しかし、そこに確かで強烈な違和感と存在感を放って。

 技術者が得意げに言っていた。あれが、連合の新たな兵器の一つであり、MSにも勝てる、戦局を打開する兵器だと。

 ああ、偶像を拝む愚かな者達はいつもそう言う。神は一つなのに。だが……あれは…………

 そうだ……あれを見たから自分は。

 ……それは笑っていた。笑っていたのだ。

 戦局を打開する? あれが? 違う。あれであって良い筈がない。あれは“神”ではない。“神”であってはならない。

 あれは……あれは…………

 体の震えが止まらない。冷たい汗がじわりと肌を湿らせる。

 そうだ、あれは笑っていた。“神”を求める私を。

 敗北の理由を求め。失われた私の愛した人々を取り戻す術を求め。求めるがあまり、ただの兵器に神を見た私を――

 だから――だから……?

 記憶の中、視界が急に下に落ちる。膝の力が消え、姿勢を崩したのだ。跪き伏し拝む様に。

 あの時は、こうはならなかった。ならばこれは追憶ではないのか? ただの夢や妄想なのか。それとも――?

 跪くハルバートンの頭上で何かを噛み砕く音が聞こえた。

「閣下!」

 突然くずおれたハルバートンに、その体を支えようとしながらホフマンが叫ぶ。

 艦橋に満ちる煙。響き渡る警告音と、艦内を赤く照らす警報ランプ。艦橋要員達は退避を始めている様で、ホフマンの他に数名が残るのみだ。

「本艦は沈みます! 閣下も退避を……」

「何故だ?」

 ハルバートンは呟く。呆然としながら。

 何故か彼の頭は霧が晴れた様に冴え渡っていた。狂気が消えていた。

 抱いた疑問に答えるかの如く、頭の中には今までに為した事の全てが克明に蘇る。

 勝利の為、犠牲を無くす為、その為に積み上げた敗北と犠牲。ハルバートンを信じた人々の思いと、それらに背を向け狂気の中の偽りの神に全てを託していた自分。

「あ……ああ……わ……わたしは…………なにを……なんてことを……」

 それは正気では耐えられない、狂気の記憶の洪水。

 自らの為した狂気を、理性ある心で見つめなければならない地獄。

 だが、ハルバートンは再び狂う事さえ許されなかった。

 そう……“許されなかった”。

「あ……あああああああああああああっ!」

「閣下! お気を確かに! 誰か手伝え! 閣下を運ぶんだ!」

 叫び出すハルバートンに、ホフマンと艦橋要員達が群がる。

 彼等の背後、未だ戦いの光芒煌めく宇宙を映すモニター。

 艦橋に満ちる煙の加減か、ハルバートンに宇宙は白く染まって見えた。

 

 

 

 ヘリオポリス沖会戦の中盤に行われたメネラオスとハーシェルの戦い。この戦いをZAFTは“ありふれたZAFT「の勝利”として片付け、後に語る事は少なかった。

 メネラオスの艦特攻に対して、ハーシェルと麾下のMS部隊が迎撃に成功する。たったそれだけの事であり、それ以上の内容を持たないからだ。

 それでも、連合側は“奪われたMSを追った知将ハルバートン最後の勇猛果敢な戦い”と虚飾を施して戦史には残した。そこに、ハルバートンの狂気について書かれてはいない。

 ただ一つ、デュエイン・ハルバートンの死だけは、両軍共に確かなものとして記録に残した。

 

 

 

「ぐぅれぃとぉ!!」

 ディアッカ・エルスマンのシグーが持つM68キャットゥス500mm無反動砲が、船体の各所の破口から白煙や雑多な破片を吐き出すメネラオスの艦橋に直撃を浴びせた。

 これにより、か細く続いていたメネラオスの抵抗の対空砲火も途絶える。

 ディアッカは続けて、残弾処理とばかりにアガメムノン級の急所とされる場所に無反動砲を叩き込んだ。狙われた弾薬庫や推進剤タンクなどが一気に爆発し、メネラオスは連鎖的に起こる爆発の中で砕けていく。

「大金星だぜ! 譲ってくれてありがとうな!」

 ディアッカが喝采上げる。

 それに答えて、通信機からイザーク・ジュールの呆れ声が届いた。

『お前以外は対艦兵装で出なかっただけだ。モビルアーマーの撃墜数なら、お前が最下位だろうが』

「ま、そう言うなよ。と……少し生き残った様だな」

 イザークに答えながらディアッカは、轟沈したメネラオスから離れていく脱出艇を見つける。乗っていた連合兵が逃げ出したのだろう。

『逃げ出した腰抜け兵か』

 イザークも同じものを見つけたのか、興味もなさげにそれだけ言った。

「撃たないのか? ちょっとだけ得点になるかもしれないぜ?」

『何か邪魔されたわけでもないからな。それに、そんな所で点を稼いでも無様なだけだ』

 別に……逃亡兵だからと殺すわけではないのだ。虫の居所が悪ければ違っていたかもしれないが。

『モビルアーマー部隊の方も戦闘は止めたようです。生き残りは撤退して行きますよ』

 ディアッカとイザークに、ニコル・アマルフィが告げる。

 どうやら、この場での戦いは終了したらしい。

 MA部隊は、メネラオスの脱出艇を中心に結集しながら戦場を離れていく。

 後は燃料が尽きるまで逃げて、そして漂流が待っている。母艦を失った搭載機の運命であり、MS乗りもそれは変わらない。

 今更、少々の撃墜数稼ぎの為に、彼等を追い回す理由は無かった。

「ニコル。点は稼いだか?」

 誰もが結構な数の敵を落とした事くらいはわかっている。冷やかし混じりのディアッカの問いに、ニコルは苦笑めいて答えた。

『ええ、まあ。ラスティのおかげですね』

 そう言われて皆、“彼女”を思い出す。同期の中でとびきりの変人だった少女を。

『ああ……あいつほど強いモビルアーマー乗りは居ないからな』

 嫌な記憶もついでに思い出したイザークの声は苦い。

「イザークは、こてんぱんにのされたからな」

『お前も! いや、全員そうだろうが!』

 笑うディアッカに、想定通りにイザークの怒声が返る。

 訓練生時代、シミュレーション訓練でパッとしない成績のラスティがMAのデータを使った時の鬼の様な強さに、シミュレーション訓練に参加した訓練生全員が敗北した。

 シミュレーターのMAには通じた、MSとMAの機体特性の違いと性能差に物を言わせる戦法が、全く通じなかったのが敗因である。

 その戦いは一度だけで、ラスティは教官全員を騒然とさせた挙げ句に、お叱りを受けてシミュレーションでのMAの使用を禁じられた。

 要するに「MSがMAに負けるのは拙い」という理由で。

 ラスティ本人のやたらに喧嘩を売る性格の事もあり、その後、訓練生は誰もラスティに関わろうとしなくなった。

 しかし、負けず嫌いのイザークに付き合わされて、ディアッカやニコル、アスラン・ザラは、自習時間に教官には内緒でシミュレーション訓練をラスティとやったのだ。

 無論、彼等が対MA戦闘で好成績を収めて卒業したのは言うまでもない。

 逆に、ラスティも彼等から色々と教わり、彼等と同じく赤服として卒業した。

『ラスティですか……元気でやってるでしょうか』

「あいつが元気じゃない所なんて、逆に見てみたいけどな」

 ニコルが少し懐かしそうに、ディアッカが混ぜっ返す様に言う。そして、後に続けてイザークが少し懐かしげに言った。

『はた迷惑な女だったからな。どうしてあんなに攻撃的なんだ』

「あのなイザーク。お前もたいして違わないぞ?」

『なにを!?』

 ディアッカが言うと、案の定、イザークの猛抗議が始まる。

 それを聞き流しつつディアッカはニコルに話を振った。

「ところで、アスランの奴は?」

『え? あの……』

 ニコルは困った様子で言い淀んでから、一言に感情を込めずに答える。

『“恋人”に連絡中です』

「ああ……」

 何も言う事はなく、ディアッカもまた黙り込んだ。通信機からは、変わらずイザークの抗議の声が続いていた。

 

 

 

 仲間とは僅かに離れたシグーの中、アスラン・ザラは通信機を使い、輸送艦の艦橋にいるのだろうキラ・ヤマトと直接話をしている。

 無論、本来ならキラがそこにいるはずがない。これも、輸送艦の艦長から赤服エリートへのサービスだろう。

 そして、二人の話の内容というのが……

『どうして戦ったの? そんな事はアスランには……』

 通信機の向こうからは非難の声。

 これは仕方がない。アスランはキラと約束したのだ。昔の優しかったアスランに戻ると。無論、その優しかったアスランは、戦場で戦ったりはしないのだ。

 これは親密な仲を結ぶ契約というわけではなく、アスランに復讐は似合わないとキラに説得されたことで、アスラン自らが決めた事。

 考えてみれば、連合の攻撃で死んだ母も優しい人だった。キラと同じ事を言ったかもしれない。

 父のパトリック・ザラに逆らう事になるのかもしれないが、軍で戦果は上げており、もう十分に箔は付けた筈だ。父を助けるすべは、軍以外にも有ると思いたい。

 だが、それもこれも後での事。今すぐに約束を履行できるという訳ではなかった。

「だから、軍を辞めるまでは俺は兵士なんだ。義務を果たさなければならない」

『でも……』

「わかってくれ。今のこの任務だけ……これを終わらせる時までなんだ」

 何だか恋人に「仕事も大事なのだ」と言い訳する男みたいな事を言い、それから本気の思いで台詞を続ける。

「それに……キラ、お前を守りたかった」

『アスラン……』

 何というか、背景に花が咲き乱れそうな会話が繰り広げられていた。

 文字に起こして見せたなら、恋人同士の会話だと皆が思うことだろう。文字には、声と外見と性別は、書かれていなければ関係ないのだから。

 これが今この場所だけでという事ではなく、一緒にいる時はだいたいこんな感じなのだから、周囲の目がどうなるかもわかろうというものである。本人達以外は。

『わかったよ。無事で帰ってきてよね』

 説得だか、愛の言葉だかが効果を現してか、キラの態度は軟化した。それに安堵しつつ、アスランは緊張の解けた様子で言う。

「ああ、もう戦いは終わった。すぐに帰るさ」

 戦いは終わった……アスランは。いや、他の誰もがそう考えていた。

 しかし、それは違う。

 今ここに……とある強大な兵器が投入されようとしていた。

 

 

 

「ハルバートンめ、無様な死に様を見せたな」

 戦域を遠く離れたアガメムノン級宇宙母艦の艦橋。

 モニターに映し出されるメネラオスの残骸を眺めながら、ジェラード・ガルシア少将は嘲る様な哀れむ様な複雑な表情でそう呟いた。

「閣下?」

「ああ、いや」

 怪訝げな参謀に、ガルシアは何でもないと手を振って見せる。

「さて、観戦は終いだ。我等の戦いの時は来たぞ」

 ガルシアの率いる艦隊は、第8艦隊が滅び行く様を見守っていた。もし加勢すれば、第8艦隊の目的は果たせたかもしれない。

 だが、それは有り得ないのだ。ガルシアが受けた命令には、それを成せとは書いていなかったのだから。

「一戦して少々くたびれた敵が相手なのが不満だが、どうやら新型機のエース部隊だ。せいぜい頑張って抵抗してくれるのではないかな」

 皮肉混じりに言ったガルシアの言葉に、周囲の者達がドッと笑う。

 敵への侮りとも見られるが、今はこれを良い自信だとガルシアは解釈した。ここにあるのが旧式のMAだけだとしたら、追従だとしてもこの様に笑う事は出来まい。

「第一の目標は敵戦艦及び護衛のモビルスーツとする」

 告げたガルシアに参謀が問う。

「輸送艦はいかがしましょう?」

 なるほど、側に無力に浮かぶだけの輸送艦は、すぐにでもかぶりつきたい獲物に見える。

「後回しだ。護衛を滅ぼした後に、どうとでも料理できる」

 ガルシアは、すぐに輸送艦に手を出す事はしなくて良いと判断した。

 MAは敵艦と敵MSにぶつける事が決まっているのだ。輸送艦を襲うなら、この艦隊が行かなければならない。

 戦場に突っ込んで行くのは、ハルバートンの末路を見た後では躊躇させられた。

 臆病風に吹かれたと言っても良いが、それを隠して言った台詞は参謀達を納得させるのに十分だったらしい。疑問を持たれる事もなく、すんなり納得される。

 何も問題はない。順調だ。

 後は告げるだけで良い。ユーラシアが誇る新型MAの出撃を。

「アッザムを発進させろ。ユーラシアのモビルアーマーの力、見せつけてやると良い!」

 満を持したとガルシアは声を張り上げた。直後、モニターに、母艦から切り離される大型MAの姿が映し出される。

 CAT03-X1/2 ADZAM。

 紫玉葱の様な涙滴状の機体に、4脚の接地用ダンパーが生えた姿は奇妙に生物的である。

 武装として機体の側面に上下2列4基ずつで計8基搭載されたビーム砲は、このMAの大火力ぶりを如実に表していた。

 大西洋連邦の、火力、格闘戦能力、高機動性の融合を求めた大型MAとは設計思想から違う。大火力で敵多数を葬り去る、それがユーラシアの目指す次世代のMA。アッザムはその系譜に連なる第1の機体だ。

「おお……」

 その出撃を見守るガルシアは、思わず感嘆の声を漏らす。

 ああ、これだ。これこそが次世代の兵器だ。ハルバートンよ見ているか?

 ガルシアは心中、散ったハルバートンに呼びかける。

 お前は間違った。MSなど、お前が全てを賭す程の価値のある物ではなかったのだ。

 良いか、見ていろ。必ず……必ず、連合はZAFTに勝利する。

 その立役者となるのは、お前が作ったMSでも、大西洋連邦のMAでもない。このユーラシアが作り出したMAがそれを成すのだ!

「行けアッザム! 全てを焼き払え!」

 思わず、声が出ていた。ガルシアはそれに気付かない。

 今はただ、ゆっくりと回転しながら敵に向かって進んでいくアッザムの姿を見送るのみだった。

 

 

 

 撤退戦。それが兵隊にとって一番にキツイ。

 ミゲル・アイマンのジン・アサルトシュラウドと、オロール・クーデンブルグのジン・ハイマニューバは母艦ガモフの前に並び、重機銃をばらまく。

 メビウスの編隊が我が物顔に飛ぶ宙域に一本の道を作る。ただその為に。

『寄り道しようとすんなよ屑が!』

 オロールの苛立った怒声が、ミゲル機のコックピットに届いた。

 撤退は速やかにしなければならない。なのに、ジン2機は付近を飛び交うMA相手に欲目を出し、あわよくば撃墜と思ってか銃撃などしつつチンタラ帰ってくる。

『放っておいて帰ろうぜ』

「出来ない事くらいわかってるだろ。黙って敵を撃てよ!」

 苛立っているのはミゲルも同じだった。

 同じ気持ちを抱く者同士、オロールと仲良くしても良いものだが、延々とオロールの苛立った声を聞いていればそれに対して腹も立ってくる。

「横からグチグチと言われたら、ついうっかり“誤射”しちまうだろが!」

『あー……悪い。黙って仕事するよ』

 その台詞に、ミゲルもすっかり苛ついている事に気付いて、オロールも無駄口を止めた。

 苛つかないわけがないのだ。

 あの連中の汚い手で味方が傷つき、そこから戦況は崩れた。

 一度ならず対立した相手だったが、実は良い奴だったかもしれないパイロットも死んだ。

 味方艦のツィーグラーが被弾している。致命傷かもだ。

 その大事な時に、ツィーグラーのMS隊までもがガモフの撤退を支援してくれている。その前で連中は無様にも小物を追いかけて命令を忘れてくれるのだ。

「いい加減にしろ!」

 ミゲルは、腹立ち紛れに115mmレールガンをジン二機の間際に撃ち込む。

 敵機を追い回すのに夢中になっていた連中は、撃たれた事で驚いたのだろう、ミゲル達が居るガモフ側に目を戻した。

 そして、ガモフを見た事で帰還命令を思い出したのか、連中はそれでやっと帰還行を再開する。それでも時折、チラチラとジンのモノアイを動かし、敵機に対する未練を見せていた。

 だが、今は帰還中の筈だ。命令も出ている。なのに何故、そこまで敵に執着する?

「何だって、ああも敵機を気にするんだ」

『……思い当たる事はあるぜ?』

 ミゲルの疑問の独り言に、通信機越しに聞いていたのだろうオロールが言った。

「どういう事だ?」

 問い返したミゲルに、オロールは苦笑めいた響きで返す。

『胸糞の悪くなる話さ。思わず“誤射”しちまうかもしれないから後で話そうぜ。

 俺の考え通りなら、あいつらは手柄一つ立てずに帰りたくはない筈だ。

 もし、足を止める様なら、さっきの「帰ってこないなら誤射るぞ」ってメッセージを遠慮無くやってやれよ』

「そういうつもりでもなかったんだがな。まあわかった。帰ってくるまでケツを蹴り続ければ良いんだろう?」

 言ってミゲルは、見本を見せるかの様に、再び足を止めそうになっていたジンの側に115mmレールガンを撃ち込む。

 それを繰り返される事で、ジン二機は誘導されてガモフに帰還した。

 ミゲルとオロールは、それを確認した後にガモフへと帰る。

 帰り際、ツィーグラーのMS隊が手を振って別れの挨拶をした事に気付き、ミゲルは自機の手を振り返させた。

 互いの武運を祈って。その時はまだ、その後の事はわからないが故に。

 

 

 

 ミゲルとオロールが着艦し、MS格納庫で各自の乗機から降りたその時、兵士に拘束されて連行されていくジンのパイロット達を見た。

 何やら暴れながら騒いでいたが、どうせ聞く価値も無い事だろう。

 ミゲルとオロールはキャットウォークの手摺りを伝って移動し、合流すると、申し合わせていた様に一緒に移動を始めた。

 そして、格納庫を出る辺りで、オロールが独り言の様に言う。

「順当なら、ZAFTから懲戒解雇で、プラントで刑事裁判って所かね。謀殺の罪は……何年だ?」

「どうかな。そもそも連中が罪になるかどうか」

 ミゲルは答えて溜息をつく。それに対し、オロールはそれを読んでいたかの様に言った。

「お前もそう思うか?」

「ああ。刑事告訴されて殺人未遂で裁かれる。そこまではいくだろうさ。だが、裁判でそのまま刑が決まるとは限らない。

 ラスティが連合のモビルアーマーに乗っていたってのが心証最悪だ。そもそもあの性格じゃ、心証もなにもないかもしれないがな。

 何にせよ、『敵兵器に乗っていなければ“事故”は無かった』って、むしろラスティに問題があったみたいに裁定されてもおかしくない」

 ZAFTの戦果と宣伝のおかげで、プラントではモビルスーツが大人気だ。それなのにラスティは連合のMAを使った。

 裁かれるパイロット共が「誤射の責任は連合MAに乗ったラスティにある」と主張するのは必須。となれば、パイロット共に同情が集まる展開が見えてくる。

 そこでラスティがあの難儀な性格を爆発させれば、ラスティが悪役になる展開にリーチだ。

「ま、ラスティのご両親が裁判にどれだけ金を注ぎ込むかにもよるんだろうけどな。お偉いさんなんだろう? 確か?」

 最後に軽口で紛らせたミゲルだったが、オロールはそれに同調せずに興味深げに頷いて、顎に手を添えて考え込む仕草を見せる。

「なるほどなー。お前はそう考えるか。俺が考えてた理由とは違うな」

「そう言えば、胸糞の悪くなる話とか言ってたな?」

 撤退戦の最中に、オロールが言っていた事だ。

「もしあいつらが戦功を上げれば、罪は不問になる可能性がある。そう言ったら、どう思う?」

「はぁ? 人殺しだぞ?」

 驚きすぎて変な声を漏らしたミゲルに、オロールは皮肉げに言った。

「ZAFTの体質。戦果を上げる奴には甘い。だろ?」

「……ああ」

 思い当たる所もなくはなくて、ミゲルは頷かざるを得なかった。

 ZAFTは個人主義英雄志向が横行する軍隊だ。

 利敵行為そのまんまの事をしでかしていても、場合によっては罪を裁かないような、そんな危うさがZAFTにはある。

 殺人や利敵行為の様な大罪はともかく、些細な事なら許されてしまう。考えてみれば、ラスティの連合MAへの搭乗も、そういったお目こぼしではなかったか。

「でもなー。俺は、そんな特典がついた事はないぞ」

 エースなのに。一応、ミゲルは愚痴ってみる。

「真面目に働く奴が馬鹿を見るってのは、神って奴が書いた、この世界の運転マニュアルの一章に書いてあるそうだぜ?」

 茶化す様に返してから、オロールは不愉快そうに表情を変えた。

「それはともかく、糞みてぇな話だろ?

 あいつらはあの最悪な行動を起こす時に考えた訳だ。『手柄を立てればこっちのもの』ってな。さぞかし手柄を立てる自信もあったんだろうよ。

 だが、お生憎様。あの戦いじゃ、どう見ても無様を晒しただけだった」

「罪を全部無かった事にするつもりが、あのあからさまな態度か。あてが外れて、ざまあみろと……待てよ? まだ終わっていないのか」

 ざまあみろと笑いながら言いかけてミゲルは、ある事に気付いて顔をしかめる。

「どういう事だ?」

「いや、この艦は作戦展開中だ。だから、あいつらを営倉入りさせて、戦闘中にモビルスーツを二機も遊ばせておく余裕はない。あいつらの出撃は、この後も十分に有り得る」

 オロールに聞かれたままに言葉を並べ、ミゲルは苛立ちに通路の壁に拳を打ち付けた。

「くそっ! ……連中は、手柄を立てなけりゃあ刑務所行きの目もある。少なくとも、そう思ってるってわけだろう?

 窮地に立った連中は、次の出撃が有れば、手柄の為に何でもするぞ。それだけじゃない」

「そうだな。

 あいつらはもう、味方の足を引っ張る事に何の躊躇もない。何でもするだろうな。

 それで何ともならないなら、自棄になって、ラスティにダブルチャンスはもちろん、俺等までついでに始末しようなんて考えるかもしれないって所か?」

 オロールは頷き、そして剣呑な光を目に宿す。

「“修正”でもしておくか?」

 “修正”、鉄拳制裁の事である。

 階級的上下の無いZAFTではそういった上官からの制裁というのはない。建前上は。

 しかし、先任であるミゲルならば、その程度の事をやっても問題にはならない。

 だが、ミゲルは面倒臭そうに首を横に振った。

「そんなの、殴って直る見込みがある奴にする事だろ。

 殴ってどうなる? 俺達がちょっと気分良くなって、それで? 連中は反省するどころか、こっちを恨むだけだ」

 ミゲルのそんな反応はわかっていたようで、オロールは怯む事無く悪い笑みを浮かべて返す。

「いや、二度と出撃できないくらいにやっちまおう。あんな連中、居ない方がよっぽど戦いやすいぜ?」

 出撃できないよう手足をへし折ってしまえば、連中は医務室のベッドに拘束されたまま裁判所へ直行というわけだ。

 連中は厄介者だ。それをゼルマン艦長も理解してくれるだろう。排除する事は誰もの利に適う。咎められる事はあるまい。

 オロールは通路の分岐で止まった。

 一方の分岐を進めば、あの後ろ弾野郎共が叩き込まれただろう営倉へと至る。さあどうすると言わんばかりに。

「提案が魅力的すぎるな」

 ミゲルは分岐の一方を選んで進んだ。

 連中の居ない方向へと。

「だろうな」

 オロールも軽く肩をすくめてそれに従う。

 そんな素敵な選択が出来るなら、ミゲルはもっと楽に人生を歩んでる事だろう。

 そんなミゲルが向かう先は医務室だった。オロールのした素敵な提案を呑めるなら、そんな所には行くまい。

 ミゲルは実に苦労性な男だが、オロールは彼についていくのは嫌いではなかった。

 

 

 

 螺旋を描くように奇妙に拗くれた砂時計の底。

 やけに白く強い光が降り注ぎ、全てを白く染め上げ、陰影は黒々と焼き付き、全ては白と黒の強弱のみで表される。

 足下は石畳の街路。周囲には、形こそ普通の市街を模してあるものの明らかに異質な石造りの建物。それらの表面には何か文字の様な絵の様な模様が刻み込まれ、逃げ出したくなる不安と、跪きたくなる荘厳さを感じさせた。

「怖がっていると食べられてしまいますよ?」

 受話器の向こうの誰かにそう告げる。告げなければならないと感じるままに。

 街路の片隅の建物。ガラスの入っていない窓縁に置かれた小さな電話機。プラントの自宅にあった物と同じ、薄桃色の柔らかに丸みを帯びた電話機が、世界との違和感を感じさせる。

『……ェtcyvbンmp!ia!ゥキユtdyrgs!……』

 返事は返るが言葉の意味は何もわからず、ただ不快で、呪詛の声にも聞こえ、耐え難くて受話器を置いた。

 振り返れば街路を、下顎だけを残してそこから上を失った男が歩いていく。

 哀れなぐらいに取り乱して、苦悩して、悲しんで。存在しない頭を、胸を掻きむしり。転がる様に地に伏して、拳を石畳に打ち付け。

 彼に瞳があったならばそこから涙を流した事だろう。口があったなら悲哀の叫びを発した事だろう。しかし今は、下顎に残った舌をへろへろと音無く蠢かし、首の上にかろうじて残る頭の残滓から止め処なく血を溢れさせるのみ。

 彼はゆっくりと歩いていく。その場でただ悲しみに狂う事すら許されぬのか、見えざる力に引きずられるように、少しずつ、少しずつ。

 向かうは砂時計の中心。天へ向かう一本のシャフト。見上げればその先は白い――

 

 

 

「おはよう」

 自分にかけられる声。気付けばミゲルとオロールの二人が覗き込んでいた。

 医務室のベッドの上。体をベッドに固定するベルトが肉の薄いお腹に食い込んで痛む。

 ああ、自分は撃墜されたのだった……そう思い出した所で、ラスティ・マッケンジーの意識は一気に覚醒した。

「夢を見てたわ」

「のんきな奴だな!」

 ラスティの第一声に、オロールが非難めいた声を上げる。それを聞き流し、ラスティは自分の中から急速に失われていく夢の記憶を止めようと口に出した。

「んーと、螺旋に捻れたコロニーで……白くて……

 ……電話かけてた……?」

 が、ダメだ。夢の記憶は、目覚めと共に消えていく。今はもう既に何も思い出せない。

 それでも何か欠片でも思い出そうと首を傾げるラスティに、ミゲルが小さく溜息をつきながら問う。

「いや、お前の夢の話なんかどうでもいいよ。それより、体は大丈夫か?」

 少しは心配して来たと言うのに、本人は寝て見た夢の話と来ては、溜息も出るという物だ。

「え? 体? ああ、体ね。体は大丈夫」

 問われたラスティは、自分の体をペタペタと触ってチェックし、一通りやった後で頷く。

 ミゲルとオロールの間にも、安堵の空気が流れた。

 そこでオロールが笑顔で言い放つ。

「良かった。胸が抉れただけですんだか」

 体にかかるシーツを僅かにも盛り上げていない胸部を腕で隠し、ラスティもまた笑顔で……顔は笑っていたが、怒りを隠しすらせずに返す。

「貴方を叩きのめすくらいの元気はあるわ。というか、モリモリ湧いてきた」

 言いながら身体に巻かれたベルトを外すラスティ。そんな彼女にミゲルもまた言った。

「最初から無い物の事で喧嘩するなよ」

「あんたも殴るわ」

 ギッとミゲルを睨み付けるラスティ。僅かな間、彼女はそうしていたが、ややあって顔を伏せると小さく溜息をつく。

「はぁ……」

 それから顔を上げて、真剣な面持ちで聞いた。

「生きてるのね?」

「生きてるな」

「ああ、生きてる」

 何言ってるんだとミゲルとオロールは答える。当たり前じゃないかと。

 それを聞いてラスティは、口端を笑みの形に歪めた。

「そっかあ。あ……あはは……はは……」

 乾いた笑いを一つ。そして、ラスティはミゲルとオロールを手招く。

「ちょっと来なさい」

「あ? いや、胸の事をからかったのがそんなに気に障ったなら謝る」

「いいから来なさい。二人とも」

 復讐を危惧したか誠意の感じられない謝罪をするオロールに、ラスティは構わず来いとだけ命ずる。

 何なのかとミゲルとオロールは互いに顔を見合わせ、それからラスティの側へと寄った。

 と、ふわりと腕が回され、二人の体を束ねるようにラスティが抱きつく。細身ながら柔らかな腕の中、少しだけ汗の匂いが香り、男の性か心臓がドキリと跳ねる。

「何……を?」

 とっさに逃げようとして、ミゲルはそれに気付いた。

 ラスティの華奢な体。それが小さく震えている事に。

 それが、ふりほどく事を躊躇させて、ミゲルはしばらく動かずにラスティのしたい様に任せた。

 オロールもまた同じ判断を下したのだろう。何が何やらと戸惑った様子を見せているが、ラスティの好きにさせている。

 と、震えがやや治まってきたなと感じた辺りで、ラスティは二人に抱きついたまま声を上げた。

「恐かった! あの戦いで死んでも後悔無い良い戦いだったけど、死ぬのは恐かったよ!」

 ラスティの感情の吐露。

 恐い恐いと言っておきながら、それは恐怖からの叫びではなく、むしろ喜びの発露だった。

 身を震わせる程の恐怖を、その虎口より逃れた喜びでもって洗い流そうとするかの様に、ラスティは叫び続ける。

「最後があんな凄いパイロットとの一騎打ちだったなんて、夢みたいな浪漫だったわ! でも、やっぱり死ぬのって恐い。あー、もう、凄く恐かったー! 恐かったのよー!」

「よかったなー。生きて帰れて」

 よしよしと、小さい子にする様にオロールがラスティの頭を撫でる。普段なら、そんな事をしたら怒りそうなものなのだが、ラスティはそれを受け入れて答えた。

「うん、良かった! 恐いって思うのも、生きて帰れたからなのよねー! 良い戦いは出来たし、生きて帰れたし、私は幸せだわー! 運が良い!

 対装甲リニアガンなら、一発で粉微塵でもおかしくないし……

 ねぇねぇ、後ろに居た機、凄かったよ。引き離せなかった……引き付けて、どうにか反撃を決めようと狙ってたんだけど。アレにやられちゃったなら、仕方ないかなぁ。

 でもね。すっごい、楽しかったのよ?」

「馬鹿だろお前」

 素でミゲルはそう確信する。うん、こいつはやっぱり馬鹿だ。

 ミゲルがしみじみそう思っていると、ラスティはようやく二人を開放して、楽しそうに抗議の声を上げる。

「馬鹿って言うなぁ!

 ……真剣勝負だったのよ? 私を落とした機も、私が落とした機も、一所懸命に戦ったんだから。全部出して、それで負けたなら仕方ないじゃない?」

「あ、いや……」

 ラスティは本当に楽しそうだった。

 だから、「お前を撃ったのは味方だ」と言いかけてミゲルは口を閉ざす。

 どうやらラスティは、味方に撃たれたとは気付いていないらしい。

 戦争にスポーツマンシップみたいなものを持ち込む事は何か理解しがたいし、危ぶむ気もあるが……とにかく、真剣勝負だった事にこだわっているラスティに、味方に背後から撃たれたと教えるのは、酷な様な気がしたのだ。

「そうだなー。名勝負だったぜ。見てなかったけどよ」

「目が節穴なの?」

 茶化す様に言ったオロールに、ラスティは憮然とした様子で言い返した。

 その間。

 ……どうする?

 オロールが、営倉がある方向をそれとなく指差しつつ、そんな事を言いたげな目でミゲルを見る。

 ……ダメだろう。

 ミゲルは首を横に振った。

 今の状態のラスティに事の真相を伝えれば、ラスティは怒るか、悲しむか、何にせよ動揺はする。作戦行動中の今、それで戦力低下するのは拙い。

 真剣勝負を邪魔したMSパイロット共を恨むくらいなら良いが、性格的に考えて物理的に潰しに走る可能性も無視出来ない。

 後々真相に触れる事になるだろうが、作戦が終わった後なら時間をかけてフォローも出来る。そう考えて、ミゲルは背中撃ちの事については伏せる事にした。後で、ゼルマン艦長にもそれを伝えておかなければならない。

 色々と面倒臭いなと思った所で、ラスティが自分に活を入れるべく声を上げたのを聞いた。

「よし! 怪我が治ったら、メビウス・ゼロ直す!」

「あ? お前、無傷だってよ」

「え? 撃墜されたのに!?」

 活入れと同時に決意表明した所でオロールに横から言われ、ラスティは驚きの声を上げる。

 まあ、幸運な事ではあったと思われるが、コックピットに被弾はなかったのだ、パイロットの無傷も有り得ない事ではない。それにどれほどの幸運が必要かは知らないが。

「やられた時は、結構、痛かったんだけどなー」

 納得がいかない様子でラスティは首を傾げる。が、無傷だったのは事実。納得するより他ない。思い直して、今度はガッツポーズ付きで再び決意表明する。

「ま、幸運だったって事よね。じゃあ早速、メビウス・ゼロ直すわ!」

「直すのは良いが、直るのか? あれ。……後ろの半分が、砕けてたぞ」

 最後に見たラスティ機の惨状。それを思い出しながらミゲルは聞く。と、ラスティは得意げに答えた。

「修理用の部品は、もう一機組めるくらい有るから、直るわよ。でも、一人で修理だから時間かかっちゃうわね」

「ん? 一人? メカニックは……ああ、そういう事か」

 ラスティの言葉に疑問を覚えたオロールが聞きかけるが、途中で何やら思い至った様子で止めた。そして、可哀想な子を見る目でラスティを見る。

「な、何よ」

「いや、『MSなんて玩具を整備してるなんて頭がおかしい』とか言ったんだろ?」

「言ってないわよ! 『パイロットはメカニックを神と思え』。基本でしょ? ただ、私のMAだから、全部私がやってただけで……」

 オロールの勝手な想像に怒声を上げ、それから少しトーンを落としてラスティは言う。

 ミゲルは、そっちでも納得だと頷いて口を開いた。

「修理も整備も一人で喜々として弄ってたんで、メカニックとは交流しなかったって事か」

「……そうよ。悪い?」

 事実を当てられた事が悔しかったか、少しふてた様にラスティは返す。

 だがまあ、あの、いかれたザクレロ塗装を見れば、ラスティが大はしゃぎで弄り回していただろう事が良くわかる。

 それに、妙な所で硬派なラスティだから、自分の剣を自分で研ぐ様に、自分の手だけで丹念にメビウス・ゼロを整備していてもおかしくない。

 メカニックを信用しないとかではなく、自分でやりたいのだ。その辺りの心境は、共感は出来ずとも、有り得るものとして理解出来た。

 イメージの中のラスティが、魔女か妖怪みたいな笑い声を上げながら薄暗い部屋の中でメビウス・ゼロの周りを奇妙な呪文と奇怪な踊り付きで飛び跳ねていようともだ。

 それはともかくとして。

「悪くはないさ。でも、それじゃ困る。次の戦いに間に合わないかもしれないんだろ?」

「それはそうだけど……仕方ないじゃない。

 機体を見ないとわからないけど、聞いた感じじゃエンジンやスラスターは全損に近いんでしょ? 私一人じゃ、どうしたって何日もかかるわよ」

 作戦参加出来ない事にはラスティも思う事はあるのだろう。言い辛そうにミゲルに返すラスティに、ミゲルは苦笑しながら言う。

「よし、今から行くぞ。病院着を着替えたら出てこい。急げよ」

「え? ちょっと、行くって……?」

 ミゲルが言った事の意味を飲み込めずに戸惑うラスティを置いて、ミゲルはベッドから離れ……る前に、我関せずとばかりに残っていたオロールを捕まえてから医務室の外へと向かう。

「おいおい、これから生着替えのシーンじゃないのか?」

「オロール……」

「冗談だよ。二次元胸を愛でる趣味はないって」

「ちょっと聞こえてるんだから……!!

 くだらない事を言いながら医務室を出かかった辺りでラスティの怒声が飛んできたが、直撃を受ける前に廊下に出てドアを閉める。

「で、どうするんだ?」

 そして聞いてきたオロールに、ミゲルは少しだけ疲れた様子で答えた。

「頼むしかないだろ。まあ、まだ喧嘩を売っていないなら、可能性があるさ」


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