機動戦士ザクレロSEED   作:MA04XppO76

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ヘリオポリス脱出

「っ!」

 大地に膝をつき、うなだれていたサイ・アーガイルは、おもむろにその顔を上げた。

 そして、立ち上がるや、港とは逆の方に走っていく。

「おいっ、何処に行くんだサイ!?」

 トール・ケーニヒが、そう声をかけながら追おうとする。それを、ミリアリア・ハウが腕をつかんで止めた。

「そっとしといてあげましょうよ」

 サイは、婚約者のフレイ・アルスターと別れ別れになる。

 その悲しみを癒そうとしているのだと、ミリアリアは想像していた。

「……そうだな」

 トールは、ミリアリアの言葉に従い、サイの背を見送るに終わる。

 サイは、市庁舎がある市街中心部に向かってがむしゃらに走っていき、やがてその姿を消した。

 見送りが終わったところで、カズイ・バスカークが言う。

「なぁ、僕等も家に帰らない? さっきの兵隊さんも、ZAFTが来るから隠れてろって言ったし」

「そう……だなぁ。とりあえず、皆の無事は確認できたし」

「そうね、ここにいても、何もできないもの」

 トールと、ミリアリアは、カズイの言葉に賛同する。

 そして、トールはキラ・ヤマトに聞いた。

「キラはどうするんだ?」

「……ZAFTが来るんだよね? 会いに行けないかな?」

 キラが返した言葉は、トールの質問に答えてのものではない。

 今までの話など聞いていなかったので、トールの問いに、反射的に自分の考えが口に出た。

 キラは、ZAFTがヘリオポリスに進駐してくるというのなら、アスラン・ザラに会えないかと考えたのだ。

 その答えに、トールは僅かに眉をひそめる。

「ヘリオポリスをこんなにした敵と会いに行ってどうするんだよ?」

「アスランは敵じゃない!」

 キラは、突然表情を怒りに変え、トールに向き直って叫ぶ。

 が、その怒りは、トールの前で萎れるように消えていった。

「敵じゃ、ないんだ……」

 何か意味ありげに言うキラ。

 トールは訝しげにキラを見、同じく訝しげにミリアリアがキラに聞く。

「何かあったの? アスランって、誰?」

「昔の友達なんだ。でも、ZAFTの兵士になっていた」

「それは……」

 キラの答えを受け、トールは言葉に詰まった。

 旧友と敵味方に別れての再会。どう答えたものか。

 気休めを言って慰めるには、トールの口は上手くなかった。

 と、トールが悩んでるところに、カズイが口を挟む。

「キラ、それあんまり言わない方が良いよ? みんな、ZAFTを敵だと思ってる」

「でも、アスランは敵じゃないんだ!」

「……まあ良いけど」

 反射的に叫ぶキラに、カズイはもう忠告するのを止めようと思った。

「家に帰ろうよ。キラも帰った方が良い。僕は帰るよ」

 

 

 

 ローラシア級モビルスーツ搭載艦ガモフの中。

 MSデッキからパイロット用の二人部屋に戻ってきたミゲル・アイマンは、同室のオロール・クーデンブルグの声に迎えられた。

「見つからなかったな」

 一足先に帰ってきていたオロールは、ベッドに腰をかけながら暗い表情で苦笑いしている。

「キザな仮面が気に入らない奴だったけど、こうなると哀れでしょうがない」

「ああ……苦しまないと良いな」

 ミゲルもオロールに同調して頷く。

 ヘリオポリスからのMS奪取の直後、ミゲルやオロール等ガモフのMS部隊、そして連合MSに乗った赤服達までが周辺宙域を捜索していた。

 しかし、ラウ・ル・クルーゼが乗ったシグーは見つからないまま……ついに捜索は打ち切られた。

 誰もいない宇宙を何処までも漂いながら、徐々に汚れていく空気の中で、いつか遠くない死を迎える時を待つ。

 宇宙で戦う者にとって常に覚悟しなければならない……そして、出来るならば避けたい、最悪の死だ。

 ミゲルは、重い気分で自分のベッドに這い上がり、横になる。

 時間がどれだけあるか判らないが、少しだけでも寝ておこうと。

 そんなミゲルに、オロールは聞いた。

「これで、ミゲルがMS隊の隊長か?」

「そうなる。でも、赤服新兵達は俺の管轄外になるだろうな。肩の荷が下りたよ」

 ミゲルのどうでも良さげな返答に、オロールは舌打つように返す。

「赤服共は連合から奪取した機体でプラントに凱旋か」

「仕方ないだろ。そもそもが、議員の御子息達に箔を付ける為の作戦だったんだ。

 英雄が生まれれば戦意も上がる。目的は果たしたのに、このまま戦場を引っ張り回す方がどうかしてる。

 それに、俺達にだってボーナスぐらいは出るだろう」

「ボーナスか……へへっ、そりゃ良い」

 オロールの嬉しげな声に、ミゲルは興味を覚えた。

「どうしたんだ?」

 聞いたミゲルの顔の前に、開かれた雑誌が突き出される。

 そこには、真っ赤なスポーツカーの写真が載っていた。確か、大人気の最新モデルだった筈だ。

「もう少しで金が貯まるんだ。ボーナスが出たら、一発さ」

 オロールは、それが楽しみでならないらしく、満面の笑みで続ける。

「俺、こいつを買ってストリートを乗り回すんだ。

 ミゲル、お前も乗せてやるよ。他の誰よりも先に乗せてやる。

 そして、後ろには女の子を乗せようぜ。なに、この車でナンパすれば飛び乗ってくるさ」

「ああ、そりゃ良いな。約束だぞ」

 ミゲルも自然、微笑みながら返す。そう言うのも良い。

 ミゲルは、ベッドに寝直して、睡眠を取る事に決めた。

 オロールはそれに気付き、邪魔をしないように自分のベッドへと戻る。

 ミゲルは眠りに落ちるその時、真っ赤なスポーツカーとそれを運転するオロール、助手席に座る自分、そして後部座席ではしゃぐ弟の姿を思い描いていた。

 

 

 

「誰か!?」

 宇宙港の軍の管轄区入り口の通路に立っていた歩哨の連合兵は、走り寄ってくる人影に銃を向けて誰何した。

 人影……サイはそこで足を止め、荒ぐ息を整えながら、大事に持ってきていた紙を二枚差し出す。

「帰化申請書! そして、兵役への志願書です! 連合軍に志願します!」

 大西洋連邦への帰化を希望する事。そして、その為に兵役につく事。

 書類が表すのは、この二つ。

 連合兵は驚き、思わず銃を下げる。

「落ち着けよ。何を言ってるんだ?」

 落ち着けとサイに言いながら、明らかに狼狽えている連合兵に、サイは落ち着いた様子で言い返した。

「連合軍に志願します」

「……志願って、今の状況が判ってるのか? オーブ人なら、脱出しなくても……」

「判ってます。でも……」

 サイは、僅かな逡巡の後に、決意を込めてはっきりと言い放つ。

「守りたい人が、連合国籍なんです。連合の船に乗っているんです」

 フレイを守る為に、一緒にいる為に、サイは連合軍に入る事を決めた。

 この事は、友人達には内緒にしている。

 彼らを巻き込みたくない。特に、トールあたりは、一緒に志願するとすら言い出しかねない。

 だから、一人で決め、一人で実行した。

 崩れかけて閉業中の市庁舎から申請書を取ってきて、必要事項を書き込んだ後、ここまで走ってきたのだ。

 サイにそうまでさせたその決意は、連合兵も察した。

 幾つか、止めさせようと説得の言葉を探し……そして言葉を見つけられず、連合兵は諦めて通信機を手に取る。

「……わかった。確認してみる。待ってろ」

 

 

 

「志願兵? ……わかった。書類がそろっているなら受け入れよう。まず物資搬入作業の方へ」

 艦橋で指揮を執っていたナタル・バジルールに届いた確認。

 忙しい時間の中、ナタルは深く考えずに許可を出した。

 ともかく、人手が欲しかったのだ。

 アークエンジェルでは、凄い勢いで脱出準備が行われていた。

 連合国籍の市民の避難誘導とアークエンジェルへの物資搬入が急ピッチで行われている。

 脱出までのタイムリミットに設定した時間は五時間。とはいえ、これは目安にすぎず、敵に動きが有れば即座に対応する事になるだろう。

 一刻とて、無駄には出来ない。ナタルは、全ての作業を監督していた。

「どうした? 重要情報の回収は終わったか。残りがある?」

 新たに来た通信にナタルは答える。

 基地にあった重要情報の回収や破壊をしていた班から、手を付けられる場所は全て終わったとの連絡だった。

 コンピューターの中にあった情報や、機密書類などの重要な物に関しては処理したという。

 しかし一部、基地が破壊された事により、瓦礫などに埋まったお陰で近寄る事も出来ない物もあった。

 技術者の私物のコンピューターや、MS用の予備部品などだという。

 ナタルは、工兵かMAを使って破壊する事を考え……

「残った情報は、MSに関係する物だけか? 連合の軍事に関わる物は? ……無いか。

 MS開発の情報なら、放棄もやむを得ない。作業を終了させて、アークエンジェルに戻ってくれ」

 MSは、どうせ現物が敵に奪われている。情報の漏洩はもう避けられない。

 ならば、多少の追加情報は諦めて、人員を戻して脱出準備をさせるべき。ナタルはそう考えた。

 通信機の向こうからは、了解の声が返る。ナタルは通信機を置いた。

「残るは、避難民の収容と物資積み込み。そして……」

 呟くように言って、艦橋の天井を見上げる。

「港を出てから、ZAFTと一戦か」

 それは、他の何よりも困難な仕事だと、ナタルは頭を悩ませていた。

 

 

 

 一方、MAパイロットの二人は、アークエンジェルの格納庫でシミュレーターをやっていた。

 シミュレーターに乗るのはマリュー・ラミアス。そして、教官はムゥ・ラ・フラガ。

 シミュレーターに表示されるTS-MA-04Xザクレロのスペックを見て、ムゥは呆れたように声を上げた。

「良く生きてたな。これ、正規のMA乗りでもなければ死ねるぞ」

 ベテランのムゥから見ても、ザクレロは人間の限界に挑戦でもしたのかと聞きたくなる代物だった。

 いや、格闘戦用MAなどというカテゴリーからして冗談にしか見えないのだが。

 高速で敵に突っ込み、近距離で拡散ビーム砲を浴びせ、ヒートナタで叩き斬るなんていう戦い方は自殺行為にも思える。

「加速でかかるGで、ペシャンコになるって話? 安心して、もう体験したわ」

 マリューは軽く言い返す。加速の洗礼には晒されていた。でも死にはしなかったと。

 しかし、ムゥはマリューの甘さを嗤って言葉を返す。

「気絶しなかったんだろ? じゃあ、まだまだこいつのスペックを引き出せてない。いや、引き出せなかったから助かったとも言えるか」

 本来の加速力を出していれば、マリューはすぐに気絶していた事だろう。

 パイロットが気絶してしまえば、MAはただの棺桶だ。撃墜か、もっと運が悪ければMIAが待っている。

 MIA……戦場での行方不明の意味だが、広大な宇宙で行方不明になると言う事は、多くの場合、絶望に満ちた最後を迎える事を意味していた。

「何がどうあっても、五時間で、あのパンプキンヘッドを乗りこなせるようになってもらうからな」

「あんた、また私のザクレロを馬鹿にして!」

 ムゥの軽口に、シミュレーターの中からマリューが怒声を返す。

 しかしムゥは、冷静な風でマリューに言い返した。

「お前を馬鹿にしてるんだよ、お漏らしちゃん。悔しかったら、一人前になって見せろ」

「後で吠え面かかせてやるから、おぼえてなさい!」

「とりあえず、速度調整ができるように練習だな。自分の思った速度が出せないんじゃ、戦いようがない」

 ムゥはマリューを無視して、第一の練習メニューを決めた。

 もの凄く初歩的な事なのが、それだけにこれが出来ないと困る。

「ほれ、フットペダルの強弱だけで一定速度を維持してみろ。直進になれたら、旋回やロールもやるから、早く慣れろよ」

 シミュレーターは、一定の加速度や速度を外れると警報が鳴るようにしている。安定した動きを教える為に。

 しかし、直後に鳴り響き、いつまで経っても鳴りやまない警報に、ムゥは思わず天を仰いだ。

「不可能を可能にする男でも、こいつは無理かぁ?」

 

 

 

「来たか! 物資搬入作業の手伝いをしてもらうぞ!」

 アークエンジェルの元まで来たサイは、そこで作業の監督をしていたらしい、如何にも無骨な姿の連合兵にいきなりそう言われた。

 アークエンジェルの置かれている港には重力はない。

 それでもサイは慣れた様子で、連合兵の側まで飛んだ。

「え? でも、書類は……」

「大事に取っておけ! 後だ後!」

 書類も出してないし、兵士らしい格好もしていないサイを使うらしい。よほど、人手不足なのだろう。

 連合兵は、サイを見て無遠慮に言った。

「ひ弱そうだな? お前、何が出来る?」

「あ……はい。工業カレッジの学生で……」

「船外作業艇に乗れるか?」

 自分の技能とかを真面目に教えようとしたサイだったが、連合兵は全く耳を貸さずサイに聞く。

「はい、選択授業で資格を取りました。免許もあります」

 サイがとまどいながら答えるやいなや、連合兵は大きく頷き、アークエンジェルの格納庫内に入るように促す。

「動かせる奴がいなくてな。ミストラルが余っている。それで、荷物の搬入作業をしろ」

「ミストラル……って、軍用機じゃないですか!?」

 サイは思わず声を上げた。軍に来て早速、そんな物に乗せられるとは思っても見なかったからだ。

 MAW-01ミストラル。旧式ではあるが、現在も使用されている立派な軍用機だ。

 連合兵について格納庫に入ったサイは、捨てられたように格納庫片隅に置かれた機体を見る。

 その側までサイを案内してから、連合兵は言った。

「ZAFTの機械人形が出てからは、ただの棺桶だ。戦闘に使う奴はいない。

 だが、船外作業には十分に使える。ひ弱な坊やが荷物を運ぶよりは役に立つだろう。

 火器管制のスイッチは入れるなよ。一応、武装はあるが荷物運びには必要ない」

「はい、わかりました」

 拒否するという選択は意味がないので、サイは素直にミストラルに乗った。

 中は、基本的には船外作業艇と変わらない。というか、民生用のミストラルになら、サイも乗った事がある。

 ミストラルを起動させ、OSが立ち上がるのを見守った。

 OSの中身も、民生用と大差ない。

 ただ違うのは、起動メニューの中に火器管制という項目がある事だった。

 機関砲二門という貧弱な武装ではあるが、これが兵器なのだと思い起こさせる。

「本当に軍に来たんだな……」

 胸の奥に後悔がわく。今になって、怖いという気持ちがふくれあがってきた。だが……

『おい! グズグズするな! 準備が終わったらさっさと格納庫から出ろ!』

 ミストラルの通信機から飛び出てきた、先ほどの連合兵の怒声が、サイの意識を現実に引きずり戻す。

「はい、今出ます!」

 サイは通信機に答えてから、ミストラルをゆっくりと動き出させた。

 

 

 

『連合軍の脱出と同時に、ヘリオポリスは無防備都市宣言を出し、降伏します。

 これ以上の攻撃は、ヘリオポリスの崩壊があり得ますので、避けて頂きたいのです』

「なるほど、そちらの状況は判りました」

 ヘリオポリスの行政官からの通信に、ローラシア級モビルスーツ搭載艦ガモフの艦長ゼルマンが、艦橋の艦長席に座して応じていた。

 ゼルマンは今、部隊指揮を執る役目を負っている。

 ラウ・ル・クルーゼはMIA。つまりは行方不明。

 ナスカ級高速戦闘艦ヴェサリウス艦長のフレデリック・アデスは、艦橋を破壊されて戦死。

 もうゼルマンしかいないのである。

「わかりました。ヘリオポリスへの直接攻撃は避けましょう」

 ヘリオポリスを破壊すれば、自国のコロニーを破壊されたオーブが、プラントに対して敵対するかもしれない。

 オーブは永世中立を謳ってはいるが、どう転ぶのかなど軍人のゼルマンには判断がつかなかった。

 ただ、無闇に攻撃して自国を不利にするような真似はすべきではないという自制はある。

「しかし、連合軍が抵抗する以上、どうしても戦闘に巻き込んでしまう可能性が……」

『ヘリオポリスの、損傷部位のデータを今、送らせて頂きました。

 特に損傷の大きい部分への攻撃を避けるだけでもお願いします。

 それと……ヘリオポリスを傷つけないように戦う為に、お役に立てばよろしいのですが』

 行政官の微妙なニュアンスを込めた言葉に、ゼルマンは興味を引かれた。

 直後、ゼルマンに通信士が声をかける。

「艦長、ヘリオポリスから送られてきたデータに、連合の新型艦のデータがあります」

「なるほど……これは助かりますな」

 ゼルマンの答えは、通信の向こうの行政官へのものだった。

『いえ、これから降伏する身です。寛大な処置をお願いしたい』

 ヘリオポリスは尻尾を振る相手を変えてきたのだろう。いや、それとも行政官の個人的なサービスかもしれない

 何にせよ、ヘリオポリスは今、全力で保身をはかっている。

 所詮はナチュラルだからと内心で嘲笑い、ゼルマンは答えた。

「了解した。本国にも掛け合おう。ヘリオポリスの扱いも、貴方の身の保証も」

『ありがとうございます……』

「では、これで失礼」

 行政官の媚びた台詞は、ゼルマンは最後まで聞く事もなかった。それよりも、早く考えなければならない事がある。

 ゼルマンは通信を切ると、現在残された戦力の確認を始めた。

 

 

 

 ヴェサリウスは艦橋を失い、推進器も破損している。幸い、自沈する事はないが、とても戦闘には使えない。

 まともに使える戦力は、ガモフ一隻とガモフに搭載してあった三機のジン。

「いっそ、合流してから叩くか?」

 後続のローラシア級モビルスーツ搭載艦ツィーグラーが、合流する予定になっている。

 それには、ミゲル・アイマン専用ジンを始め、何機かのMSが積まれているはずだ。これは大きな戦力になる。

 しかし、合流予定日時はまだ先。合流してからとすれば、連合に逃げる時間を与えてしまう。

「やはり、今ある戦力だけで、一戦は避けられないか」

 連合MSが、戦力として使い物になるかどうかが判断のしどころだった。

 何せ、奪取に成功はしても、その後の実戦投入で失ってしまっては何の意味もない。

 ラウなら惜しみなく実戦投入を決断したかもしれないが、ゼルマンはラウと違い責任感の強い男だった。

 そこで、ゼルマンは連合MSを二軍と見る事にした。

 ヴェサリウスに搭載して戦場から遠ざけ、ガモフの背後に置く。ガモフの後背の索敵と、ヴェサリウスの護衛を任務とするのだ。

 では、残る戦力でどう攻めるか……ゼルマンは考え、決断を下す。

「ジンをD装備で出撃準備させておけ」

 通信機を取り、言葉短くMSデッキに伝える。

 D装備……「M66 キャニス短距離誘導弾発射筒」「M68 パルデュス3連装短距離誘導弾発射筒」「M69 バルルス改特火重粒子砲 」

 拠点攻撃用重爆撃装備と呼ばれる、そのままの意味の任務に使われる装備だ。

 MAの様な高機動兵器に使うのは馬鹿げている。しかし、重突撃銃を易々と弾く装甲を持つMSに対抗できる武器は他にない。

 それに、ヘリオポリスから連合の戦艦が出てくるところを一気に叩けるのは、おそらくD装備だけだ。

「しかし、戦艦……そして、新型MAか」

 ヘリオポリスから渡されたデータを、手元のコンソールに呼び出して読む。

 写真と、外観から予測したデータが主で、軍の内部資料的な物ではない。おそらく、オーブ側が勝手に集めた資料なのだろう。

 ただ、予測値であっても、その性能は明らかにローラシア級モビルスーツ搭載艦を超えていた。

 それは良い。MSが三機あれば、戦艦一隻など幾らでも落とせる。

 だがそれは、MSが戦艦に取り付く事が出来ればの話だ。

「やはり、新型MAの性能次第だな。張りぼてだと良いのだが」

 ゼルマンは呟く。

 しかし、クルーゼを落としたという一点だけを理由として、新型MAの性能を侮る事は出来なかった。

 

 

 

 ナタルは、アークエンジェルの艦橋で艦長席に座り、コンソールに表示した時計を睨んでいた。

 そんな彼女には、各方面から最終報告が上がってきている。

 連合国籍の市民の収容は完了。一部、残る事を決めた者や、行方不明の者を除き、全員が収容された。

 物資の積み込みは概ね完了。基地の備蓄物資を相当量運び込んだはずだが、具体的に何があるかはまだまとまっていない。

 何か、足りない物があるかもしれないが、今はどうしようもない。

 タイムリミットに伴い、作業をしていた全連合兵はアークエンジェルに搭乗を完了。残っている者は居ない。

 アークエンジェルは今、その全機能を立ち上げ、出航の準備を終えていた。

 ナタルの見る時計が、時間が来た事を示す。

「……アークエンジェル、出航!

 全クルー、戦闘準備! 港を出てすぐ、会敵するぞ!」

 ナタルの号令を受け、艦内各部署が動き出す。始まる戦闘に向けて。

 

 

 

「さあ、行きましょうかザクレロちゃん」

 マリューは、ザクレロのコックピットの中、ナタルの声を聞いていた。

 ザクレロは、アークエンジェルの外におり、アークエンジェルに先行して外に出る。

 待ち伏せの敵があった場合に、それを蹴散らす為に。

 ザクレロは浮上、練習の成果あってか、戦闘モードであるのにゆっくりとした動きで……

 と、思った時、ザクレロは急加速した。壁に突っ込む……直前に急制動。跳ねるような動きで、方向を変え、港出口めがけて疾走する。

「あああああっ! ストップ! ストップぅっ!」

 マリューの悲鳴が響き渡る。

 

 

 

「何やってるんだ……」

 回線を開いていたムゥは、メビウス・ゼロのコックピットで舌打ちを打つ。

 メビウス・ゼロは今、アークエンジェルの中。

 アークエンジェルがヘリオポリスを出てから射出される事になっている。

 戦闘では、アークエンジェルの直掩と、ザクレロの後方支援を受け持つ。

 だが、マリューの操縦では、メビウス・ゼロが支援に出るまで生きているかどうか。

 やはり、五時間程度の練習では、付け焼き刃にもならなかった。

「……死ぬなよ。そこまで、でかいおっぱいは貴重なんだ」

 誰も聞かない冗談……あるいは本音を言って、ムゥは出撃の時を待つ。

 

 

 

 通信機からあふれ出すマリューの悲鳴に、通信士がナタルを困ったような目で見た。

 ナタルは一抹の不安を覚えながらも、冷静を装って命令を出す。

「作戦通りだ。ザクレロの後に続いて外に出ろ」

 アークエンジェルは、特に何の問題もなく動きだし、ザクレロの後を追う。

 今、アークエンジェルは、ヘリオポリスから出航した。

 

 

 

 ザクレロはヘリオポリスの港口から、ザクレロから見て左側の壁に体を擦るようにしながら宇宙に飛び出した。

 削れた壁材が、火花となってザクレロを取り巻き、その機体を宇宙に鬼火のように輝かせる。

 直後、二本の光条が港口の前で交叉した。ザクレロはその光条の隙間を擦り抜ける。

 その光……ビームを放ったのは、ミゲル・アイマンとオロール・クーデンブルグのジンだった。

「正直には出てこないか!」

 ミゲルは舌打つように声を上げる。

 ザクレロが飛び出した瞬間に、M69 バルルス改特火重粒子砲 で予測射撃を行った。

 単純にまっすぐ出てきたなら、今の一撃はザクレロをとらえていただろう。

 しかし、ザクレロは壁面に体をすりつけるようにして飛び出し、攻撃を避けて見せたのである。

「オロール! 敵はやるぞ!」

『見たかよ! どうする本物の化け物だ!』

 ミゲルの通信に、オロールの興奮した声が返る。

 その声に混じるもの……ミゲルが感じたそれと同じものが、ミゲルの心の奥にも宿っていた。

「ああ……ふざけた姿だぜ」

 僅かな手の震え。

 ミゲルは、操縦桿を強く握りしめてその震えを消す。

 恐怖……闇に潜む猛獣を恐れるのと同じ、原初的な恐怖。

 鬼火のように燃えるザクレロの姿が、それと対峙する者達の心に恐怖を植え付けていた。

「手はず通りだ。俺達で押さえるぞ!」

 ミゲルは通信機に向けて声を上げ、恐怖に揺らぐ意識を戦いに引き締める。

 今は怯えている時ではない。それは、オロールにもわかっていた。

『了解! 猛獣狩りだ!』

 ミゲルとオロール、二機のジンは、一時飛び去ったザクレロを追って身を翻した。

 

 

 

「あっ……危なかったぁ……」

 ザクレロのコックピットの中、マリューは胸をドキドキさせながら青ざめた表情で言った。

 思いっきり操縦ミスをして、壁を擦った時にはどうなる事かと思ったマリューだったが、結果としては無事に外に出られたわけだ。

 なお、操縦ミスのお陰でジンの攻撃が当たらなかったという幸運には気付いていない。

「それより、敵は!?」

 気を取り直してモニターを見る。複眼センサーが捉えた状況が、表示されていた。

「敵は二機……」

 ザクレロを追尾するのは二機のジン。ザクレロが港口から飛び出した際に、二機は後方に置いてきてしまっていた。

「出航の邪魔はさせないわよ!」

 言ってマリューは操縦桿を引く。

 方向転換。機体を斜めに傾けながら緩やかに旋回して、ザクレロは二機のジンへ向かう進路を取る。

 

 

 

「オロール! 上下から挟み込む!」

 一旦離脱した後、旋回して戻ってきたザクレロを前に、ミゲルはオロールに指示を下した。

 自分達を狙ってるのだろうザクレロは、目標めがけてまっすぐに突っ込んでくる。

 それに対し、ミゲル機はザクレロの正面下方、オロール機は正面上方に位置して、それぞれが武器のトリガーに指をかけた。

「ミサイル全弾ばらまけ!」

 ミサイルは、機体を重くして機動性を損なわせる。

 だから早くに撃ち尽くし、敵にダメージを与えると同時に機動性を少しでも上げる。

 ミゲルの指示に、通信機からオロールの声が上がった。

『化け物、お前にもボーナスくれてやるよ!』

 直後、ミゲルが、そして一瞬の後にオロールがトリガーを引く。

 ジンに装備されているM66 キャニス短距離誘導弾発射筒から、大型ミサイルと小型ミサイルが各四発ずつ。

 M68 パルデュス3連装短距離誘導弾発射筒から、六発のミサイルが発射された。

 二機あわせて計二十八発のミサイルが拡散するような軌跡をたどり、そして向きを変えて包み込むように一つの目標……ザクレロを目指して突っ込んでいく。

 マリューの目にはそれが、まるで宇宙に広げられた投網の様に見えていた。

「な……ミ、ミサイル!? 避け……ぐぇ……」

 吠え猛るミサイルアラートを聞きながらマリューは、とっさに操縦桿を左に一気に傾ける。

 直後に、発生する横向きのGが、マリューを操縦席からもぎ取らんばかりに横へと押しやった。

 ザクレロはそんなマリューの状況はさておいて、操縦に忠実に従い、左へと進行方向を曲げる。

 だが……遅い。

 右側から迫るミサイルは、ザクレロの動きに応じて進路を変えてきている。左側から迫っていたミサイルは、完全に直撃コースを……

「あ…た…るぅ…かああああああっ!!」

 Gに押し潰されながらマリューは、必死で操縦桿のトリガーを引いた。直後に、ザクレロは拡散ビームを吐き出す。

 ザクレロの口腔からあふれた閃光は、左側から迫ってきていたミサイルの群れを包み、宙を彩る光球に変えた。

 その傍らを、爆散したミサイルの放つ炎に炙られながら、ザクレロが高速で飛び抜ける。

 ザクレロの後に続いた生き残りのミサイルの群れは、爆散したミサイルに惑わされ、あらぬ方向へとその進路を変えて宙をむなしく彷徨った。

「やった……」

 ミサイルアラートが消えたコックピットで、マリューが安堵の息を漏らす。

 しかし、そこへ新たな警告音が襲った。

「!? 撃たれた!?」

 モニターに表示される被弾を知らせる警告。イエローアラート……ダメージは、機体の戦闘力に影響を及ぼすほどではない。

 被弾箇所は背部。直撃ではあるが、装甲は何とか耐えてくれた。

「良くも傷つけてくれたわね! 乙女の柔肌に!」

 理不尽にも、自分が傷つけられたかのように怒って、マリューはモニターの中に敵を探した。

 先ほど、ミサイルを撃ち放ったジンが、大型の銃……M69 バルルス改特火重粒子砲を手に持ってザクレロに追いすがろうとしている。

 重粒子砲の攻撃は当たった。しかし、そのジンの中でミゲルは、背中に嫌な汗が溜るのを感じていた。

「直撃の筈だぞ」

 思わず呟く。

 ミゲルの射撃は、ザクレロに直撃していた。しかし、ザクレロは装甲表面を焼いた程度で、殆どダメージを受けたようには見えない。

 この敵は、不死身の化け物ではないのか? そんな愚にもつかない想像が、心の奥から沸き上がってくる。

『あの数のミサイルを全部振り切った上に、ビームが利かない……どんな化け物だよ』

「落ち着け。ダメージは行っている筈だ。不死身の化け物なんかじゃない」

 ミゲルは、通信機から聞こえたオロールの声に答える事で、自らの恐怖心を押さえつけた。

 そう……敵は神世の魔獣ではない。連合が作った機械兵器だ。そう、自分に言い聞かせる。

「それに、俺達の役目は、こいつを引きつける事だ。時間さえ稼げればいい。後はガモフがやる」

『わかってる……おい、来るぞ!』

 オロールの声が、恐怖に囚われたものから、普通に緊張したものへと変わっていた。

 モニターの中、ザクレロは再度方向を転換し、ミゲルとオロール達に突っ込んできているのが見える。

 凄い勢いで距離を詰めてくるザクレロに、ミゲルとオロールのジンは重粒子砲を構えた。

 

 

 

 ヘリオポリス港口。

 アークエンジェルは、ザクレロがジンと交戦状態になっている事を確認してから、その姿を港の外へと現わした。

 慎重に船を進めるアークエンジェル。その艦橋の中、索敵を行っていたジャッキー・トノムラが声を上げた。

「敵艦……下です!」

「何だと!」

 ナタル・バジルールは、驚きに声を上げた後、一瞬だけ表情を苦悩に歪めさせる。

 港口からではヘリオポリス自体が邪魔になって死角になっている位置から、ローラシア級モビルスーツ搭載艦ガモフが姿を現わしていた。

 そこは、アークエンジェルの背後、下側に位置する方向である。

「イーゲルシュテルン用意! アンチビーム爆雷射出!」

 ナタルはすかさず命令を下した。

 しかし、それは遅く……

「全兵装、撃て!」

 ガモフの艦橋で、艦長のゼルマンは指示を下した。

 その指示を受け、450ミリ多目的VLS四基が、937ミリ連装高エネルギー収束火線砲二門が、450ミリ連装レールガン二門が、125ミリ単装砲二門が火を噴く。

 狙いは、アークエンジェルの無防備な艦底。そこに、次々に着弾を示す爆発が煌めいた。

 そして、VLSから放たれたミサイルが、砲弾に遅れてアークエンジェルを目指す。

 その内の二発は、アークエンジェルに届く前に対空機銃イーゲルシュテルンに絡め取られて爆散する。

 しかし、二発はアークエンジェルの艦底に突き刺さり、さらに大きな爆発を起させた。

「ダメージは!?」

 攻撃を受けた事による激しい振動が収まるや、ナタルはオペレーターに聞く。

 オペレーターは、各種データに目を走らせ、答えた。

「ビーム砲、直撃二、至近弾一。ラミネート装甲に蓄熱有り。

 砲撃、艦底部に直撃六。内、装甲貫通二。

 ミサイル、艦底部に直撃二。

 戦闘継続は可能です」

 負傷者や死者も出ているかもしれないが、今はそれをチェック出来る時ではない。

「そうか……ならば、反撃する。バリアント、スレッジハマー用意! 目標、後方敵艦!」

 後方下面に位置する敵に攻撃できるのは、110cm単装リニアカノン「バリアントMk.8」二門と、艦尾大型ミサイル発射管の内、後方に向けられた十二基だけだ。

 艦の側面に付けられたリニアカノンが、旋回して後方を向く。

 艦尾大型ミサイル発射管の内、後方に向けられた十二門に艦対艦ミサイル「スレッジハマー」が装填される。

 方向転換すれば他の武器も使えるのだが、対艦戦闘中に向きを変えるような悠長な真似はなかなか出来ない。

「メビウス・ゼロの射出急げ。ザクレロは何をしてる?」

「ジン二機と戦闘中です」

 索敵手のジャッキーが、ザクレロが二機のジンを相手にしている事を報告した。

 ザクレロを戻せば、ノーマークになった二機がアークエンジェルに襲いかかるだろう。ザクレロは使えない。

 ナタルは、すぐさま結論を出した。

「メビウス・ゼロに、敵艦への攻撃を指示しろ」

 直掩機が居なくなってしまうが仕方がない。

 何としてでも敵艦を牽制し、アークエンジェルの向きを変え、正面から対峙しなければならないのだ。

 

 

 

 アークエンジェルへの初撃の成功に、ガモフの艦橋では、クルー達の歓喜のどよめきが沸いていた。

 が……アークエンジェルが爆沈する事無く、前進を続けているのを見て、どよめきは落胆の色を混ぜて途切れる。

「敵艦健在です」

 落胆するクルーに比して、ゼルマンは落ち着いていた。

「かまうな。我々は良い位置を取ろうとしている」

 見た目、アークエンジェルは武装の殆どが上部に向けて付けられているのがわかる。

 それを、ヘリオポリスの行政官からもらった資料で確認したゼルマンは罠を張った。

 アークエンジェルが、港でどう停泊していたかによって、どんな向きで出てくるかは読める。

 そこで、アークエンジェルの最も弱いであろう方向……背部下面から襲える位置に艦を伏せたのだ。

 その罠にアークエンジェルはまんまとはまっており、抵抗出来ないままに攻撃を喰らっていた。

「VLSに対空ミサイル装填。ミサイル迎撃に使う」

 ゼルマンは、アークエンジェルが後方に撃てる武器の一つ、対艦ミサイルへの防御を固める事を指示した。

 そして、操舵士に前進を指示する。

「連合新型戦艦の弱点は背部下面だ! 押し上げるように追うぞ!」

 ゼルマンの指示に従い、逃げるアークエンジェルを追って、ガモフは背後から追っていった。

「敵艦より、攻撃来ます!」

 オペレーターが叫んだ直後に振動。

 軽い揺れの中、さらに報告は続く。

「対艦ミサイル十二発接近。対空ミサイル迎撃……」

 モニターの中、こちらに迫ってきていた光点……対艦ミサイルの噴射炎に向かって、こちらから発射した対空ミサイルが飛んでいくのが見えた。

 対空ミサイルは、対艦ミサイルの側で爆発し、周囲に撒き散らした破片でミサイルを傷つけ、押しやって軌道をずらす。

 そんな、対空ミサイルによる攻撃を抜けたのは四発。しかし、その対艦ミサイルには次に、対空機銃による迎撃が行われる。

「……撃墜八発。対空機銃による迎撃……成功。突破ゼロです」

 対空機銃から打ち出された銃弾の奔流に巻き込まれ、対艦ミサイルは全て撃ち落とされた。

「砲撃による被害は、艦首に至近弾一発です」

「ふん、単装砲ごときでは、艦はそうそう沈まない。倍返しだ」

 アークエンジェルが使えるのは110cm単装リニアカノン二門のみ。

 対して、ガモフは持てる全武装を使用できる。火力では圧倒しているのだ。

「それに……もう一つ仕掛けがあるからな」

 ほくそ笑むゼルマンに、オペレーターが新たな報告をする。

「敵艦より、MA出撃を確認。メビウス・ゼロです。後続の機はありません」

 ガモフのモニターには、ガモフへ向かってくるメビウス・ゼロの姿が映し出されていた。

 

 

 

 ムゥ・ラ・フラガは、メビウス・ゼロのコックピットの中、軽口を叩く。

「対艦戦闘か。俺って頼られてる?」

 ザクレロと違い、専用の射出口を使用できるメビウス・ゼロは、素早く戦場に展開できる。

 宇宙へと飛び出したメビウス・ゼロは、そのままガモフへと向かう進路を取っていた。

「とはいえ、きついな」

 ムゥは、通信機に声が入らないよう小声で呟く。

 MAは本来、軍艦を単機で撃破出来る兵器ではない。

 よほど好条件が揃わない限り、ヴェサリウスを戦闘不能にしたような真似は出来ないのだ。

 案の定、近寄ったメビウス・ゼロに、ガモフは持てる対空火器を振り向けてきた。

 六基の58ミリCIWSが、対空ミサイルを装填した450ミリ多目的VLSが、二門の125ミリ単装砲が作り上げた濃密な弾幕が、メビウス・ゼロの行く手を遮る。

「隙がなければ作る……か」

 ムゥは、隙を探してガモフの周囲を巡り始めた。

 ガモフが弾幕に切れ間を作ったその瞬間に飛び込めるよう、隙を狙いながら。

 しかし、その間にもメビウス・ゼロをめがけて対空機銃は弾丸を吐き散らしている。

 一瞬の不注意、一つの操縦ミスが死を招く状況で、ムゥは飛行を続けていた。

 一方、そんなムゥの決死の攻撃を受けるガモフ。こちらは、たかが一機のMAを相手にしての事であり、余裕を持っていた。

 そして……ゼルマンは、勝利が見えた事の喜びに口端を笑みに歪める。

「これで直掩機が居なくなった。我々の勝ちだ」

 それは予定されていた事。

 ナイトを全てキングから引き剥がし、チェックメイトをかける一手。

「信号弾三発放て。予定通りだ」

 ガモフから打ち上げられた信号弾が宙で炸裂して、光を放つ三つの球となる。それは、出撃の合図だった。

 ヘリオポリスに張り付くようにしがみつき、動きの一切を止めて隠れていたジンのモノアイが鈍く光る。

 そのジンは壁を蹴るようにしてヘリオポリスから離れると、アークエンジェルを追った。

 それは、アークエンジェルでも察知する所となる。

「敵MS出現! 後方上面から来ます!」

 索敵担当のジャッキーが声を上げた。

 その事実の示すところを悟り、ナタルはサッと表情を青ざめさせる。

「はめられた……!」

 直掩機の居ない状況で、攻撃手段に乏しい後方から、敵艦と敵MSによる十字砲火を受けるのだ。

 不利ですませられる状況ではない。致命的だ。

 ナタルの心の中を、冷たく重苦しいもの……絶望が染める。

 しかし、戦場はそんなナタルに、立ち上がる時間を与えてはくれない。

「敵艦より砲撃!」

 再びの振動。ミサイル攻撃こそ無くなったが、ガモフはまだ主砲と副砲をアークエンジェルに向けている。

「ビーム砲、直撃三、至近弾一。ラミネート装甲の蓄熱が限界値に到達。

 砲撃、艦底部に直撃三。内、装甲貫通二……」

 アンチビーム爆雷で威力が弱まっているとはいえ、ビームの直撃が続けばラミネート装甲の蓄熱が廃熱処理能力を超えてしまう。

 超えれば、ラミネート装甲は溜め込んだ熱で船体にダメージを与え始めるだろう。

 それに砲撃も、無視できないダメージをアークエンジェルに与え続けている。

 何にせよ、これ以上の攻撃を受ける事は危険だ。

「後方のジンからミサイル! 十四発来ます!」

 オペレーターの被害報告が終わらぬうちに、ジャッキーの報告が響く。

「イーゲルシュテルン用意! ヘルダート放て!」

 ナタルは素早く命じた。

 艦橋後方ミサイル発射管から対空防御ミサイル「ヘルダート」十六発が放たれて、迫り来るミサイルの群れに殺到する。

 ヘルダートの爆発に巻き込まれ、次々に破壊されるミサイル。流石に生き残ったミサイルはなかった。

 だが、ミサイルが残した爆発の残光を貫き、光条がアークエンジェルに突き刺さる。

 直後、今までにない激震が、アークエンジェルを襲い……艦橋には今までにない警告音が鳴り響いた。

 艦長席から投げ出されないよう、しがみついて耐えていたナタルに、被害報告をするオペレーターの悲痛な声が聞こえる。

「ビーム着弾! ラミネート装甲の蓄熱限界を突破しました!

 影響を受け、船体各所に被害が拡大しています!」

「く……」

 自分ではダメだったのかと、ナタルは口惜しく思っていた。

 艦長の真似事でも頑張ってはみたものの……所詮は紛い物か。

 多くのクルーや、連合国国民達を巻き添えにして、ここで負けなければならないのは……

 しかし、うちひしがれながらも、ナタルの口から出たのは、あきらめの言葉ではなかった。

「まだだ! まだアークエンジェルは戦える!

 艦上方にアンチビーム爆雷!

 ザクレロを呼び戻せ!

 ヘルダート、コリントスM114用意! MSを叩け!」

 声を上げるナタル。しかし、その目からは涙が一粒こぼれていた。

 

 

 

 幾度もの振動に揺れるアークエンジェルの中、格納庫で、サイ・アーガイルはミストラルに乗ったままでいた。

 搬入作業終了後すぐの出航だったので出る間が無く、すぐに戦闘だと聞いていたので何となく乗り続けていただけなのだが……

 今は、ミストラルに乗っていた事を良かったと思っていた。

「こいつにも鉄砲がついてるんでしょう? 出してください!」

 通信機に向かって声を張り上げる。相手は、艦橋の通信士。

『ミストラルで出る気か!? 死ぬぞ!』

 馬鹿を言うなと言わんばかりの反応だが、サイはここでは引けなかった。

「どうせ、この艦が沈んだら、みんな死んじゃうんですよ!

 なら、やらせてください!」

 戦闘は正直、怖い。

 それに、何をすれば良いのかも、はっきりとはわからない。

 それでも、この艦に乗っているだろうフレイを、自分が何もしないまま死なせてしまう事は出来なかった。

 可能なら守りたい。命を賭してでも。

 それが、自分に出来る事だと思ったから、連合軍に志願したのだ。

「お願いです! 砲台の代わりにくらいはなって見せます!」

『……わかった。確認する』

 通信士は、サイの熱意の前に折れた。

 もしサイが、ついさっきミストラルに乗ったばかりの学生だと知っていたら、誰も出撃は許さなかっただろう。

 しかし、サイは書類を提出しては居らず、サイの身上を知っているのは、数人の兵士だけだった。

 何より、連合基地に居た兵士を洗いざらい詰め込んだこの艦の中では、どんな兵士が乗っているのかを正確に把握している者など居なかったのである。

 それ故に、サイの事は連合のMAパイロット訓練生か何かだという誤解が生まれていた。

「……艦長。MAパイロットが、ミストラルで出撃すると言ってます」

 通信士は、艦橋のナタルに報告し、判断を仰いだ。

「MAパイロット? 居るとは聞いていない」

 ナタルは、一瞬の思考の後に答える。正規のMAパイロットは、全滅したはずだ。

「どうも新兵らしいのであります」

 通信士はそう答えたが、事実はそうではない。しかし、今は事実を調べる時間などあるはずもなかった。

 ナタルは少しの間、考えを巡らせる。

 ミストラルで出撃しても、MSに対抗し得ない事は知っていた。

 しかし、今はアークエンジェル自体が危機にある時。僅かでもMSに隙が出来れば、それが転機になるかもしれない。

 パイロットを捨て駒にするような判断だが、打てる手は何でも打とうと……決めた。

「許可すると……いや、私が言おう。通信を回せ」

 ナタルは判断を下し、それを通信士に伝えさせようとしたが、思い直して自分が直接言う事にする。

 パイロットを死地に送り出す事への罪悪感から、パイロットに一言詫びたいと思ったのだ。

「つなぎます」

 通信士が通信を回す。手元のコンソールに、ミストラルのコックピットのサイが写り込んだ。

「……若いな」

『若いと戦いには出せませんか!?』

 サイの姿に思わず呟いたナタルだったが、直後に返されたサイの問いには首を横に振った。

「いや、出撃を許可する。MSに対して攻撃をしかけ、一瞬で良いから動きを止めろ。出来るか?」

『やってみます』

 緊張と押さえ込んだ恐怖に顔を青ざめさせながらも、サイの決意は固く、その目に迷いは無い。

 ナタルは、サイを前にして詫びの言葉は言えなかった。その決意を汚すような気がして。

 だから、ナタルは別の言葉を言う。

「必ず任務を果たせ」

『わかっています。必ず、この艦を守ります』

 サイの返事を聞いて、ナタルは通信を一方的に切った。そして自嘲含みの苦笑混じりに呟く。

「任務を果たせか……もっと違う事を言うべきだったかな」

 

 

 

 アークエンジェルをガモフが追いつめる一方、ミゲルとオロールのジンは、マリューのザクレロとの戦いを続けていた。

 戦うに連れ、ザクレロへの本能的な恐怖が薄らいでいるのは、ミゲルとオロールが優秀な戦士である事の証だろうか。

 しかし、戦闘の状況は芳しくはなかった。

「くそっ! 追い切れない!」

 ミゲルがトリガーを引く。ジンが持つ重粒子砲がビームを放つが、それは高速で宙を走るザクレロの後ろを抜けていくに終わった。

 大きくて重く、取り回しの難しい重粒子砲では、ザクレロを追い切れない。

 それに、何とか当たっても装甲に阻まれ致命傷にはならない。

 装甲の弱そうな所を狙うという対艦戦闘などでのセオリーも、ザクレロ相手では速度が速過ぎて無理だ。

 ザクレロは単調にまっすぐ飛んで時々突っ込んでくるといった戦い方しかしないので、今のところは何とかなっている。

 元々ザクレロを引きつけての時間稼ぎが目的なのでそれはそれで良いのだが、倒す事が出来ないのはしゃくだった。

 そして、苦々しい思いをしているのは、ザクレロのマリューも同じ。

 ザクレロを駆り、その速度に潰されかけながら頑張っているのに、未だジンに有効打を与えていない。

「こんの、チョロチョロとぉ!」

 大回りで旋回しながら方向をジンに定め、突っ込みをかけて拡散ビームを放つ。

 しかし、ジンは小回りが利くところを活かして、巧みに射線上から逃げ回る。そして、チマチマとザクレロにビームを当ててくる。

 簡単に言うと、マリューがザクレロを上手く扱えず、攻撃が単調になってしまっている為に逃げられているだけだ。

 だが、だからといってマリューが急にザクレロを上手く扱えるようになるわけでもない。

 闘牛士に翻弄される闘牛の様に、何度も突撃を仕掛けるのみである。

 ただそれも、いつまでも繰り返しては居られない。

『ザクレロ聞こえますか?』

「……は……い」

 突然に聞こえた通信に、突撃時のGに耐えていたマリューは苦しい思いをしながら返事をした。

『現在、アークエンジェルが攻撃を受けています。早急に戻ってください』

 通信士は、アークエンジェルの危機を伝え、戻ってくるように連絡した。

 その連絡を聞きながら、マリューはオロールのジンに向かう。

 慌てて進路上から逃げ出すオロールのジン。

 拡散ビームのトリガーを引くタイミングを逸し、マリューはそのままザクレロを通過させる。

「アークエンジェルが!?」

 攻撃の間が空いてから、マリューは驚きの声を通信に返した。

 そして、即座に状況を確認する為、複眼センサーが戦場を広範囲に捉えて得た情報を改めて見る。

 すぐに、アークエンジェルがガモフともう一機のジンから不利な後方からの攻撃を受けているのがわかった。

「……わかったわ。すぐ行くから、ナタルに泣かないで待ってなさいって伝えて!」

 あの真面目なナタルだから大泣きはしないだろうが、涙目くらいにはなってるだろうと軽口を叩き、マリューはザクレロの進路をアークエンジェルの方へと向けようとする。

 しかしその時、進もうとした先をビームの光条が走り、ザクレロの行く手を遮った。

 それをしたのはミゲル。彼はザクレロの動きから、ザクレロがアークエンジェルの方へ行こうとしたのを察したのだ。

 ミゲルは続いて、ザクレロとアークエンジェルの進路上に割り込み、追い払う為に重粒子砲を撃ち放つ。

 その攻撃にはオロールも加わり、二人してザクレロを追い始めた。

『もう少し、俺達と遊んでいってくれないと困るんだよ』

 ミゲルが、わざわざ共用周波数で軽口を叩く。これはマリューにも聞こえていた。

『本当は、おっかねーけどな』

 オロールも、共用周波数でからかうように言う。

 コックピットの中、マリューは自分も共用周波数で通信を開いた。

「強引なナンパは嫌われるわよ、坊や達。わかったら、そこを通しなさい!」

 通信を送った後、一瞬の沈黙。そして、返信。

『うっわ、まさか女かよ!? 顔に似合わねーっ!』

『嘘だ。俺はそのMAには吠え声以外は認めねーぞ!』

 ミゲルとオロールの無遠慮な驚きの声。

 マリューは一瞬の内にぶち切れた。

「私のザクレロを馬鹿にするんじゃないわよ!」

 思わず、今まで加減していたフットペダルを思い切り踏みつける。

 直後、今までにない急加速。伴う強力なGの発生。

 ザクレロは一気に宙を切り裂いて飛ぶ……

 

 

 

 推進器から溢れた噴射炎が、ザクレロの背後に長い炎の尾を生み出す。

 その莫大な推力は、ザクレロに常識外の加速を与えた。

 行く手に立ちふさがるジンのコックピットの中、モニターに映るザクレロは距離を詰めるにつれてモニターに占めるその大きさを急速に増していく。

 コックピットに座るミゲル・アイマンとオロール・クーデンブルグには、まるでザクレロがその体を大きく膨らませながら迫ってくるように見えた。

「くっ! 化け物……」

 オロールは、迫りくるザクレロに思わず威圧され、恐怖に駆られたかのようにザクレロの進路上から逃げ出す。

 しかし、ミゲルは逃げない。

「化け物だと!? まやかしだ!」

 声を上げ、ジンにM69バルルス改特火重粒子砲を構えさせると、ザクレロの真正面からビームを浴びせかけた。

 ビームはザクレロの右の複眼センサーを焼き切り、一筋の深い傷を刻む。だが、

『ミゲル逃げろ!』

 オロールの叫びが、通信機を通してミゲルに届く。

 その時になって初めてミゲルは、自分の足が震えて動かないことに気づいた。

 眼前には、モニターいっぱいに迫るザクレロ。

 ビームを真正面から受けきったザクレロは、今まさにミゲルのジンに突っ込もうとしていた。

 悲鳴を上げる間もなくミゲルは、突然の激震に襲われたコックピットの中で全身を激しく揺さぶられ、そして襲いかかってきた猛烈なGに体を叩き潰される。

 ミゲルの意識はすぐに途切れた。

 しかし、意識を失った体を激震は容赦なく揺らし、コックピット内でミゲルを振り回す。

『ミゲル! 応答しろ、ミゲル!』

 オロールの呼びかけに、ミゲルは答えない。

 オロールは、ザクレロを追ってジンを飛ばしていた。

 ミゲルのジンは、ザクレロの顔面に張り付いたままで、宙を引きずられている。

 ミゲルの応答がない事から、ザクレロの衝突はパイロットの意識を失わせるに十分な衝撃をジンに与えたのだろうと、オロールは推測した。

 一方でザクレロは、ジンと正面からぶつかった事など無かったかのように、変わらぬ動きを見せていた。

 

 

 

「くぅ……」

 ザクレロのコックピットの中、操縦桿を握るマリュー・ラミアスの体にも凄まじいGがかかっている。

 まるで酔った様な感覚。そして、灰色に色を失っていく視界。

 グレイアウト……正面からかかるGで、脳内の血液が偏る事で起こる現象。気絶する事はないが、判断力の低下を伴う。

 マリューはGに耐えながら、ザクレロを戦域中の戦闘艦に向けて飛ばす事だけに集中していた。

 ガクガクと揺さぶられる座席でマリューは、何も考えずにモニターを見つめる。

 ビームを受けて複眼センサーの一部が死んでいるため、モニターの右半分にはノイズが混ざり込んでいた。

 だが、それだけではない。モニターの半ばを何か巨大な影が塞いでいる。

「ぁあ……じゃま……」

 マリューは、ミゲルのジンがザクレロに張り付いている事に、今になってようやく気づいた。

 即座に、何も考えずにトリガーを引く。

 直後、ザクレロの口からはき出された拡散ビームが、直前にあったジンの下半身を消し飛ばした。

 下半身を失ったジンは、ザクレロの顔の前からズルリと滑り、ザクレロの背に体をぶつけながら後方に吹き飛ばされたかのように去っていく。

 ジンが去り、遮る物がなくなったモニターの中、マリューは敵の姿を正面にとらえた。

 ローラシア級モビルスーツ搭載艦ガモフ。

 マリューは、Gに耐えながら呟く。

「……ごめんナタル……方向間違えちった……」

 

 

 

「ザクレロ、敵艦へ向かいます」

 アークエンジェルの艦橋に、索敵担当のジャッキー・トノムラの報告があがる。

 艦長席のナタル・バジルールは、思わず席から身を乗り出して通信士に向けて叫んだ。

「直掩に呼んだ筈だ! 呼び戻せ!」

「はい、呼びかけます! ザクレロ! こちら、アークエンジェル。聞こえますか!?」

 通信士は、即座に呼びかけを始めた。

 しかし、ザクレロからの返答が返る前に、戦況は推移する。

「艦長! ジンが接近してきます!」

 ジャッキーの新たな報告。

 艦後方上に位置し、M69バルルス改特火重粒子砲で攻撃を仕掛けてきていたジン。

 アークエンジェルが使用したアンチビーム爆雷によりビーム攻撃の効果が薄れた事を悟ったか、距離を詰めてきていた。

 アンチビーム爆雷の効果範囲を超えて、艦の至近でビームを撃たれれば、アークエンジェルは多大な被害を受けるだろう。

 また、更に接近を許して艦に取り付かれれば、白兵攻撃に何の対抗手段も持たない戦艦はたやすく落とされる。

「ヘルダート、コリントス発射!

 イーゲルシュテルン、対空防御!」

 ナタルの指示が飛んだ。

 艦橋後方の十六連艦対空ミサイル発射管から対空防御ミサイル「ヘルダート」十六発。

 艦尾の大型ミサイル発射管の内、後方に向けられた物十二基から、対空防御ミサイル「コリントスM114」十二発が放たれる。

 計二十八発のミサイルが猟犬の群れの様に一塊になって宙を駆け、ジンへと向かう。

 ジンは、ミサイル迎撃のため重粒子砲を薙ぐように放つ。

 ビームはミサイルの群れを切り裂くように走り、直撃および至近でビームの重粒子を浴びたミサイルを次々に誘爆させた。

 その爆光の中、生き残ったミサイルが六発飛び出してくるが、四発は目標を見失っており何もない宙へと進路を向けている。残る二発を、ジンは無視して突っ込んだ。

 近接信管で爆発し、その爆発に巻き込んで敵を損傷させる対空ミサイル。

 非装甲のミサイルならば迎撃するに十分だが、装甲を纏ったMSには効果が薄い。

 ジンは重粒子砲を抱え込んで守り、ミサイルの爆発に耐え、ほぼ無傷のままで対空防御ミサイルを突破した。

 それに対し、艦上面に六基配置されている75mm対空自動バルカン砲「イーゲルシュテルン」が無数の砲弾を吐き出し、弾幕を張ってジンの接近を阻止する。

 実弾に紛れ込ませている曳光弾が宙に光の線を描く。それが無数に集まり、まるで光の線を束ねたかのように見える弾幕。

 ジンは弾幕の合間を縫うように飛行し、わずかずつその距離を詰める。

 そして、身近に位置する艦右後方のイーゲルシュテルンの砲塔に向け、重粒子砲を放った。

 直撃を受けた砲塔が、爆発を起こして無数の破片へと変わる。

 一つ、落とされれば死角が増えて回避はさらに容易になる。ジンの動きに余裕が出て、アークエンジェルは更にもう一撃を許す。

「後方上面のイーゲルシュテルン全損! ジンが死角に入りました!」

 索敵担当ジャッキーからの報告。直後、アークエンジェルが揺れる。

「左推進機関に被弾!」

 艦を揺るがす振動の中で上がる報告の声に、ナタルは奥歯を噛みしめた。

 艦後方のジンが、アンチビーム爆雷の効果範囲を、そしてアークエンジェルの対空防御網を抜けてきていたのだ。

 これで……チェックメイトをかけられたも同じ。

「被害は!?」

「推進剤の誘爆発生。自動消火中。推力、60%以下に低下」

 足を狙われた。これで、逃走を防ぐつもりだろう。そして、とどめを刺す。ナタルはそう判断する。

 状況は危機的ではあるが、予想通りとも言えた。ザクレロが帰ってこないという一点を除いて。

「ミストラルはどうか?」

 ナタルは、残された戦力を使う決定を下す。通信士は確認の連絡をとってから答えた。

「MAミストラル。出撃準備完了との事です」

「わかった。ミストラルの出撃用意。指示を出す」

 ナタルは、ミストラル出撃について素早く指示を出す。ジンの不意をついて攻撃できるように……

 

 

 

 格納庫。ノーマルスーツを着込んだコジロー・マードック曹長は、無重力に故に宙に浮く体をMAミストラルのコックピットにしがみつかせていた。

 マードックはコックピットの中を覗き込みながら、パイロット席に座るサイ・アーガイルに説明をする。

「良いか坊主。今、対艦ミサイルを積み込んだ。

 おそらく、MSに効果があるのはこいつくらいだ」

 ノーマルスーツの内蔵無線通信機がサイに言葉を届けた。

 ミストラルの基本装備は機関砲のみ。これでは、ジンに対抗し得ない。

 なので整備班は、ミストラルの出撃があると聞いてから、急遽、追加装備を取り付けていた。

 とはいえ、TS-MA2メビウスの整備部品の在庫から引っ張り出した有線誘導式対艦ミサイル一基を、剥き出しのまま無理矢理取り付けただけなのではあるが。

「狙って撃つもんじゃない。自動的にホーミングして当たる。

 敵がモニターの真ん中にいるようにすればいい」

 マードックには、自分の説明が嘘であるという自覚があった。

 規格外の武器を無理矢理積み込んで、僅かな時間でこれまた無理矢理にセッティングした物だ。

 モニター中心辺りに映る目標をホーミングするようにはセッティングしてあるが、正直、ちゃんとホーミングするかどうかも怪しい。

 ちゃんと動く確率は、五分とまでは言わないが、六分か七分か……

 十五分程度の突貫作業だ。整備班全員で全力を尽くしたが、それでも完全な仕事にはならなかった。

 あと一時間あればと思うが、そうも言ってはいられない。

「わかったか?」

「はいっ!」

 マードックに、サイは緊張に青ざめた顔で答える。

 何か緊張をほぐす言葉がないかと、マードックが頭の中を探ったその時、甲板員が駆け寄ってきてマードックに言った。

「曹長! 出撃命令でました! 離れて!」

「帰って来たら、もっと良いマシンに乗せてやる! 機体を捨てるつもりでぶつけてこい!」

 無茶を言うと思ったが、他の言葉も見つからなかったマードックは、とにかくそれだけ言ってコックピットを離れた。

 残ったサイはミストラルのコックピットハッチを閉じ、緊張に震える手で操縦桿を握る。

 いよいよだと思うと、不意に言葉が口をついて出た。

「最後に、フレイに会いたかったな……」

 その言葉の意味に気がついて、サイは首を横に振って、今し方吐いた言葉を振り払う。

「何を言ってるんだ。生きて帰るんだろ、サイ・アーガイル」

 モニターの中、格納庫のハッチが開いていくのが見えた。

 

 

 

 ジンは、速度を落としたアークエンジェルとの距離を詰めていた。

 至近から艦橋を確実に射抜き、一撃で勝負を決めようと。

 ジンのコックピット内、モニターに映るアークエンジェルがその大きさを増していく。

 抵抗を示す対空火器がまだ砲火を輝かせているが、既に死角に踏み込んでいるジンには当たらない。

 頃合いかと、ジンは重粒子砲を構える。

 照準がアークエンジェルの艦橋を捉えようとしたその時……アークエンジェルのカタパルトから、一機のMAが出撃するのを視認した。

 機種確認。画像データからMAミストラルと判別され、モニターにその名が表示される。

 ミストラルは隠密行動のつもりか推進器を使っておらず、機体後方に噴射炎は見えない。

 ジンから離れたところで方向転換し、ジンの後背を襲うつもりか?

 ジンのパイロットの戦闘経験によれば、ミストラルは脅威になる敵ではない。

 放置してもかまわないのだが、敵の出現に対して反射的に振り上げた重粒子砲が既にミストラルを照準に捉えていた。

 カタパルトから撃ち出されたままに宙を進むミストラルは、射撃演習の的よりも当てやすい。

 ジンのパイロットはこの格好の標的を逃すことなく、引き金を引く。

 重粒子砲から放たれたビームが、宙を進むミストラルへと一条の線を描きながら突き進んだ――

 

 

 

 ジンの放ったM69バルルス改特火重粒子砲。ビームの直撃を受け、アークエンジェルから射出されたばかりのミストラルが爆炎に変わる。

 

 

 

 ザクレロは速度を増しながら、ローラシア級モビルスーツ搭載艦ガモフに突き進む。

「……落ちなさい」

 急加速に伴う高Gにより脳内の血液が偏る事で起こる現象……グレイアウト。

 その症状で判断力を落とし、視覚への障害で灰色に染まった世界を見るマリュー・ラミアス。

 彼女はただ、眼前の敵を攻撃するという単純で希薄な意志しかもっていなかった。

 故に何の考えもなく、照準の中にガモフの艦影が入った瞬間に引き金を引く。

 ザクレロの口。その両脇に開く左右四連ずつ計八連のミサイル発射口。そこからミサイルが撃ち出される。

 八発のミサイルはザクレロから飛び出し、それぞれが加速を行ってガモフを目指す。

 だが、そこで本来有り得ない事が起きた。

 加速を続けるザクレロが、先行するミサイルに追いつき始めたのだ。

「敵MAおよびミサイル高速接近!」

 それを察知したガモフの中、索敵担当の悲鳴のような報告が上がる。

「対空迎撃!」

 今までアークエンジェルからのミサイル迎撃にあたっていた450ミリ多目的VLSと58ミリCIWSが、ザクレロへと向けられ、躊躇無く撃たれる。

 直後、ガモフからの迎撃ミサイルと対空機銃の弾幕が、ザクレロと共に飛来してきたミサイルの群を絡め取って爆発させた。

 ガモフの艦橋の中、迫り来るザクレロとミサイルを捉えていたモニター上が爆発の閃光で埋まった。

 迎撃成功……艦橋の兵達の喜びの声が挙がる。

 しかし、その喜びは、索敵担当の報告で脆くも打ち砕かれた。

「敵MA健在!」

 直後、迎撃ミサイルと自身の放ったミサイル八発の爆発に巻き込まれた筈のザクレロが、消えゆく爆発の残滓の中からその魔獣じみた姿を表す。

 艦橋に居た者達の喜びは、瞬時に恐怖へと変わった。

 逃げ出す者が居なかったのは奇跡と言っていい。

 だが、全ての者が恐怖故にモニターを見つめる以外の行動をとれなかった。

 艦長のゼルマンですら、下すべき命令の事を考えることも出来ず、迫り来る恐怖の魔獣にただ目を見開いて見入るばかりでいたのだ。

 そして、ザクレロはついにガモフに肉薄。直後、ガモフを下から突き上げるような振動が襲った。

 ガモフ艦底部の通路。

 無重力の中を壁のガイドに掴まって、泳ぐように移動していたZAFT兵士。

 彼の真横、壁を破って巨大な刃が姿を現す。

 一瞬の後、彼の身体は前後に断たれ、上下に分かれた身体は中身を零しながら、刃が開けていった壁の穴から宇宙へと吸い出されていく。

 刃は、そんな惨状を後に残し、ガモフの中を切り裂きながら突き進んでいく……

「あっちゃあ……」

 ザクレロの中、マリューはへらりと笑った。

 背後に離れ行くガモフが、モニターの一部を占めて映されている。

 ガモフは、艦底部分を切り裂かれてそこから火花や破片を吐き出していたが、未だ沈む様子もなくそこにあった。

「失敗しちゃったぁ」

 マリューのグレイアウトに思考力を低下させた脳でもそれくらいの判断は付く。

 ガモフが幸運だったのは、ミサイルの爆発にザクレロが無事でも、中のマリューはそうでは無かったという一点だ。

 機体全周で起こった爆発にマリューは気を取られ、ガモフに接触するまで何もしなかったのである。

 そうなったのはマリューの思考力が低下しているからでもあるが、戦闘慣れしていないからという理由も厳然としてありはした。

 ともあれ、ガモフにザクレロを接近させすぎたマリューは、追加のミサイルを放つことも、拡散ビーム砲を放つことも出来ず。

 艦底部を擦れ違いざま、とっさにヒートナタを引っかける位しか出来なかった。

 打撃は与えたが、撃沈の機会は活かせなかったのだ。

 ザクレロは、そのまま高速でガモフから離れていく。ターンして戻ってくるまでは、それなりの時間が必要だった。

 

 

 

「艦底の被害甚大!」

「航行、戦闘に支障有りません!」

 魔獣が去って動きを取り戻した艦橋には、今の攻撃の報告がもたらされていた。

 それを聞きなが、ゼルマンは苦々しく呟く。

「黄昏の魔弾が、敵を抑えきれないとはな」

 出しうる最強の札、エースのミゲル・アイマンで、アークエンジェルを仕留めるまでの間、ザクレロを抑えるのが作戦の肝だったのだ。

 それが出来なくなった今、MSの直掩の無いガモフで大型MAザクレロに対抗するのは不可能。

 そう分析したゼルマンは声を上げた。

「退避! ヘリオポリスの陰に入れ!」

 アークエンジェルに対し、ヘリオポリスの陰に隠れる。その為、ガモフはゆっくりと動き始めた。

 もちろん、艦の速度では、再度のザクレロの肉薄の前に完全に隠れ去る事は不可能だろう。

 だから、今回は示威行動をとる。

「主砲、ヘリオポリスに向けろ!」

 ガモフは主砲をヘリオポリスの無防備な側壁へと向けた。

 その動きの意味に気付いたのは、メビウス・ゼロでガモフへの攻撃を続けていたムゥ・ラ・フラガ。

 ムゥは、この動きが攻撃終了を意味すると同時に、自分やザクレロからの攻撃も止めさせる為の牽制だと察する。

「ヘリオポリスが人質か! それはちょっと、卑怯なんじゃないの!?」

 一応は、アークエンジェルの居る方向に砲は向いているが、実際にはあからさまにヘリオポリスを狙っている。

 ここで無理に攻めれば、誤射とでも言ってヘリオポリスに穴を開けるだろう。

 いや、実際にするかどうかは微妙ではある。政治的なデメリットが大きいコロニーの破壊などという大事件を起こしたがる者はそうはいない。

 だが、コロニーの破壊を匂わせている以上、こちらもガモフの攻撃を誘発するような無理な攻撃は出来ない。

「良いでしょ、そっちがその気なら」

 ムゥは舌打ちをしながら、ガモフから離れるコースを取った。その後を追って、ガモフからの対空放火が宙を射抜くが、それに当たるムゥではない。

 ガモフへの攻撃を止めさせてはいるが、戦闘は継続中というわけだ。

 恐らく、撤退信号の発信は、アークエンジェルに肉薄しているジンの戦果を確認してからになるのだろう。

 ならば、メビウス・ゼロとザクレロは、アークエンジェルの直掩に戻るべきだ。

 そう判断したその時、ムゥはザクレロが戻ってきているのに気付いた。

 ザクレロはガモフを狙うコースを辿っている。

「……あのバカ、何考えてるんだ? こっちよりも、アークエンジェルが先だろうが!」

 ムゥは、通信を開いてザクレロのマリュー・ラミアスを怒鳴りつけようとする。

 だが、ムゥは通信モニターに映ったマリューを見て、苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべた。

「ラリってんのかよ……」

 コックピットの中マリューは、操縦桿を握りしめたまま人形のように微動だにせずそこにある。

 アークエンジェルから、直掩に戻るよう通信士が悲鳴の様な声で呼びかけているのも確認できたが、それにも反応を見せていない。

 加速による高Gでグレイアウトになっているのだと、ムゥは判断した。新米にはままあることだし、戦闘開始前から危惧していたとおりの展開だ。

「全力で加速するなって言ったろうに……困ったな。このままガモフに突っ込ませるわけにはいかないんだがね」

 どうする? ザクレロは放置して、自分だけでもアークエンジェルに戻るべきか?

 ムゥは迷った。

 天秤に掛けるわけではないが、ヘリオポリスが無傷でも、アークエンジェルが落とされれば自分達の負けなのだ。

 だが、逆にヘリオポリスが破壊されても、アークエンジェルが残れば連合軍的には負けではない。

 しかし……

 迷うムゥ。

 その時、ムゥの目の前のモニターに警告表示。

 ムゥはアークエンジェルの後方で新たな爆発が起こったのを確認した。

 

 

 

 ミストラルを仕留めたジンは、改めてアークエンジェルの艦橋を狙った。

 アークエンジェルからの反撃は無い。ジンのパイロットは勝ちを確信する。だが……

 ジンのコックピットを襲う激震。一斉に鳴り響くレッドアラート。その時、ジンの下半身を爆炎が貫いていた。

 ジンの下方、アークエンジェルの船体下から姿を見せたミストラル。

 その機体には、空になったミサイル発射筒が取り付けられていた。

「や……やったぞ」

 ミストラルの中、サイは震える声で呟く。

 サイのミストラルは格納庫ハッチから直接宇宙に放り出され、ジンから死角となるアークエンジェルの艦底沿いに移動していた。

 カタパルトから射出されたのは囮。ジンの注意を、一瞬でも引きつけるための。

 ジンが囮に気を取られている間に、サイのミストラルはジンの下方へと位置し、有線誘導式対艦ミサイルを発射できた。

 ミサイルは、線を曳きながらその進路を僅かに補正しつつ突き進み、ミストラルのモニター中央に映っていた物……ジンへと突き刺さったのだ。

 今やジンは腰から下を失い、破断面から細かな破片と油をまき散らしながら、宙を無力に漂っていた。

 それを、ミストラルの中からサイは見ている。

 自分の戦果だとは今でも信じられない、あっけない勝利。サイに実感はない。

 と……ジンは最後の抵抗を試みた。

 上半身だけで、重粒子砲を構えようとする。

 その動きは緩慢で、おそらくは放置してもそれを完遂する事は出来なかったろう。

 しかし、経験のないサイはそれを読む事は出来ず、まだ戦おうとする敵に戦慄すると同時に、単純な怒りから激高した。

「やらせないぞ! その艦には、フレイが乗っているんだ!」

 機関砲を撃ちながら、サイのミストラルはジンに突っ込む。

 照準もつけずに撃った機関砲の砲弾は、そのほとんどが何もない宙に消えた。

 焦れたサイは、そのままミストラルでジンに肉薄。

 ジンの正面に回り込んで、その身でアークエンジェルの盾となってから、マニピュレーターで掴みかかる。

 緩慢な動きしか取れなくなっていたジンは抵抗する事もなく、ミストラルに真正面からその両腕を掴まれてしまった。直後……

『……チュラルに! どうしてナチュラルなんかに負ける!? 動け! 動けよぉ!』

 接触したことで通信回線が開いたのか、ミストラルのコックピット内に、ジンのパイロットの物と思しき声が響いた。

『畜生、ナチュラルめ! ナチュラルのくせに、俺を殺すのか!? 殺すのかよ畜生!』

 サイは、その泣きじゃくるような怨嗟の声に驚いたが、やがてその驚きは怒りへと変わっていった。

「な……何を! こいつ、勝手だ! お前達が攻めてきたんじゃないか!」

 ZAFTが攻めてこなければ、戦いにはならなかったはずだし、フレイも戦いに巻き込まれなくて、サイも戦わずにすんで……そしてこいつも死ななくてすんだ。

「お前達が悪いんじゃないか! 殺させておいてさ!」

 殺す気はなかった。

 ただ、黙らせたかった。

 勝手を言う敵への怒りのあまりに。

 トリガーは軽かった。

 ジンの腕を掴んだ状態で、ミストラルの機関砲が火を噴いた。

 至近距離で放たれた砲弾は、ジンの装甲を穿って機体に無数の小孔を刻み込む。

『い、いやだ死にたくな……』

 その内の幾つかは、ジンのコックピットハッチの上に刻まれ、あっけなく通信は止んだ。

 機関砲弾を全て吐き出して、弾切れの警告音を聞いてサイは気付いた。自分が、機関砲のトリガーを押していた事に。

 そうしてから、敵の声が聞こえない事に気付く。

 サイは少し惚けてから、敵の声が思ったよりも若かったなと思い返した。

 直後、サイはヘルメットの中に胃の中の物を吐き出していた。

 

 

 

 どうやら、アークエンジェルにとりついたジンは撃破されたらしい。

 そう知ったムゥは、安心してザクレロ対策に乗り出すことにした。

「ちょっとでもずらせば!」

 ザクレロは物凄い速度で宙を進んでおり、猶予の時間は短い。

 ムゥは、ザクレロの機体右側に照準をあわせた。

 対装甲リニアガンに対軟目標用の榴弾を装填。そしてすかさずトリガーを引く。

 直後、ザクレロの右正面で起こった爆発が、ザクレロの進路を左にずらすと同時に、爆圧でその速度を減衰させた。

「っ!?」

 マリューは、突然に襲いかかった激震に、一瞬だけ気を取られる。直後。

『減速!!』

 コックピット内に響くムゥの怒声。

 その短い命令にマリューは反応し、何も考えずフットペダルから足を放し、逆噴射で緊急制動までかけていた。

 ザクレロが、つんのめるように止まる。

 今まで身体の後ろ側に押しつけられていた血が、一気に身体の前面に移動する。

 マリューの視界は赤く染まり……レッドアウト状態となった所でザクレロは巡航速度にまで速度を落とした。

 

 

 

「敵艦を攻撃中のジンが撃破されました」

 ガモフの艦橋に、ジンの反応が無くなったことが知らされた。

「攻めきれなかったか……」

 ゼルマンは悔しげにそう言うと、撤退信号を上げるように命令を出す。そして、

「ジンから脱出は確認されたか?」

 ゼルマンは通信士に確認した。

 通信士は、即座に首を横に振る。

「……いえ。残念ながら」

 脱出に成功したなら出されるであろう、救助要請の信号は出ていない。

 つまり、戦死と言う事だ。

「そうか」

 また、若いパイロットが死んだ。若くはあったが、歴戦の勇士でもあった。優秀な者ほど、早く死んでいく。

 そんな事を苦く思いながら、ゼルマンは残り二人のパイロットの安否を確認する。

「ミゲル・アイマンの隊はどうした?」

「確認します」

 ザクレロに突破された以上、撃墜されている可能性も高いのだが……何事も確認しない事には終わらない。

 行方不明なら、探さなければならない。だが、幸いにもその手間は省かれた。

「オロール機より返信。敵MAに撃破されたミゲル機の回収に成功とのこと。艦ではなく、近いヘリオポリスに退避する許可を求めています」

「許可を出せ。ヘリオポリスにも連絡をしろ……そういえば、降伏の連絡はまだだったな?」

 ゼルマンは許可を出した後、ヘリオポリスがまだ無防備都市宣言を出していない……つまりまだ降伏をしていない事に気付いた。

 約束では、とっくの昔に降伏していなければならないはずだ。

「まさか、この期に及んで抵抗はしないだろうが……何故、降伏が遅れている?」

 ゼルマンは訝しげに首を傾げたが、今はそれを追求している場合ではないと思い直す。

 今はまず、戦場を離れて安全な場所まで移動しなければならない。

「敵艦の動きに注意しながら後退。ヴェサリウスと合流する」

 

 

 

 ガモフが発した発光信号を、アークエンジェルの艦橋でも捉えていた。

「ZAFT艦からの撤退信号を確認」

 通信士の報告に、艦長のナタル・バジルールは密かに安堵の息を吐いた。

 戦闘はこれで終了だ。アークエンジェルは今、転進して攻撃できる状況ではない。

「敵艦を警戒しつつ全速離脱。各MAには帰還するように伝えろ」

 ナタルが命じたその少し後、通信士はナタルに報告を返した。

「ミストラル、応答有りません。ザクレロからは『目が見えない』と。メビウス・ゼロより、ザクレロを曳航して帰還すると連絡がありました」

「何かあったのか?」

 確認するナタル。返った報告は、前途の思いやられるものばかりだった。

「マリュー大尉は、高Gによるレッドアウトです。ミストラルの方は……新兵特有の奴です。その……吐いてます」

「ミストラルは、作業班にミストラルを出させ、牽引して回収させろ」

 頼みの綱のMAパイロットは、内二人が新人と言う事になる。

 これからを考えると不安ではあるが、とりあえずはそんな戦力でも生き残れた事に感謝をすべきだろう。

 ナタルは不安に押し潰されそうになるのをこらえる為、無理にでもポジティブに考えてみた。

 ……あまり効果はなく、深い溜め息が出る。

 それでもナタルは、何とか気を取り直して、まだ終わらない作業に意識を向けた。

「艦内の被害状況確認急げ。航行しながら、補修作業を行うよう艦内作業員に伝えろ。艦橋要員は気を抜くな、敵の追撃や待ち伏せがあり得る。最大の注意をしろ」

 まだ、一度の襲撃を凌いだだけである。

 何も終わったとは言えない状況にあるのだ。

 

 

 

「目の前が赤いわぁ……」

 マリューは、ザクレロのコックピットの中、自分の目の前に手をかざして呆れたように言った。

 視界は赤く染まっており、全てが赤く見える。

『Gの影響で、目に血が溜まったんだ。戦闘中になったら死ぬぞ』

 通信機から、ムゥの声が入る。怒らせたのだろう、声が非常に険悪だ。

『艦に帰ったら、Gを発生させない戦闘法を叩き込んでやるからな』

 マリューは、モニターに映るメビウス・ゼロを見て溜め息をついた。

 今、ザクレロは、メビウス・ゼロに牽引ワイヤで曳かれて、アークエンジェルの格納庫へと入ろうとしている。

「迷惑かけちゃったわね」

 ムゥに助けてもらったのだと実感し、感謝の言葉でも言っておこうかと思ったマリューだったが、その前にムゥから言葉が返された。

『全くだ。こんな邪魔くさい物を引きずるハメになるとはよ。でかくて黄色くて丸くて、カボチャの馬車かよってんだ』

「……じゃあ、あんたネズミの馬? 貧相なメビウスにはお似合いかも」

 その後は二人ともに沈黙。ただ二人の間に、どうしようもない険悪な空気が漂っていた。

 そうこうしている間に、二機のMAはアークエンジェルの格納庫に入る。

 入ってすぐに見えたのは、上半身だけのジンとそれにしがみついたミストラル。

 ミストラルに整備兵達がとりついて、コックピットの仲からパイロットスーツを引きずり出していた。

「何かあったの?」

 マリューは、返事を期待してではなく、なんとなくムゥに聞いてみる。

『あー……何だろうな』

 ムゥもそれに気付いていたのだろう。確認しているのか、少しの間、声が途切れた。

『わかった、お前と同じだ。お前は下から漏らしたけど、奴は上から出した』

「あんた死になさいよ!」

 すかさず怒鳴るマリュー。だが、それを読まれていたらしく、一瞬早く通信回線は閉じられていた。

 怒りを奥歯で噛み殺し、マリューは座席に身を沈める。ちょうどそのタイミングで感じる振動。

 今、ザクレロはアークエンジェルの格納庫に着底した。

 

 

 

 ここにヘリオポリス脱出戦終了。

 アークエンジェルはヘリオポリス近域を脱して、地球方面に向かって逃走を開始した。

 

 

 

「……逃げていくなー」

 去っていくアークエンジェルの推進器の火を見送り、ZAFTのMSパイロット、オロール・クーデンブルグは暢気にそんな事を言った。

 彼の乗るジンは、ザクレロに弾き飛ばされたミゲル・アイマンのジンを抱え込んでいる。

 そのジンのコックピットから引きずり出したミゲルは、意識は無いが命に関わる怪我はなかった。

 確認の後、ミゲルはオロールのコックピットの隅に押し込めている。

「さ、帰ろうぜ」

 オロールは同室のミゲルに言って、お荷物のミゲルのジンを引っ張って移動を始める。

 とりあえず、近場と言えるヘリオポリスへ。とは言え、それなりの距離があるので時間はかかった。

 しばらくかかって、港口にオロールは辿り着く。

 この時、オロールは全く油断していた。連合軍が居なくなった今、危険はない物と思っていたのだ。

 港口に踏み込んだジンを、港奥から撃ち放たれたミサイルの群が襲った。

「なぁ!?」

 とっさにオロールは、ミゲルのジンをミサイルの方に放り出した。同時に、自機は港口の外へと飛び出すべく動く。

 ミサイルはミゲルのジンに突き刺さり、港口で巨大な爆発を生み出す。その爆発を逃れて港口の外に出たオロールは、思わず口に出して愚痴る。

「話が違うぞ……ヘリオポリスは降伏するんじゃなかったのか?」

 


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