機動戦士ザクレロSEED   作:MA04XppO76

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ヘリオポリスに屍を焼べて

 時間は、アークエンジェルがヘリオポリスを出港しようとしていたその前に遡る

 先のコロニー内での戦闘を生き延びたヘリオポリス行政府。豪奢な執務机が据えられた行政官用の執務室。

 執務机の背後、壁一面の窓からはヘリオポリス全域を見渡せる。先の戦いの被害が、爪痕となって残るヘリオポリス市街が。

 そこで、行政官は変事に混乱していた。

 ヘリオポリスの無防備都市宣言……つまりは降伏に際し、オーブ軍ヘリオポリス駐屯地の部隊にも降伏をしてもらわねばならなかった。

 半ば自治権を与えられているヘリオポリスは、本土の了承無しに行政府の判断で無防備都市宣言を行える。

 しかし、領内に占領軍に対する戦力が残っている状態では、無防備都市宣言は認められない。

 もちろん、事前に駐屯地司令とは話し合っており、オーブ軍の降伏は決定していた。

 だが、この期に及んで……オーブ軍は抗戦の意志を一方的に行政府に伝え、後は連絡を拒絶したのである。

「……どういうつもりなんだ」

 行政官は、執務机に座したまま頭を抱え込んだ。

 状況的に、抗戦など有り得ない筈だ。軍事の専門家ではない行政官でも、そんな事くらいわかる。

 MA隊などのMSに対抗しうる兵種は既に全滅しており、このヘリオポリスを守る戦力は失われているのだから。

 では、何がオーブ軍を抗戦に走らせたのか? その答えは、行政官の元を訪ねようとしていた。

 ノックの音が、行政官の意識をドアへと向けさせる。

 直後、遠慮無く開け放たれたドアの向こうに、その姿は見えた。

 先頭に立つ、儀礼用の士官服を着た少女。その背後に続く、戦闘服の兵士達。

 行政官は、少女の姿を見知っていた。

「カガリ様? 何故、このようなところへ……」

 執務机から立上がり、行政官はとりあえず声をかける。

 カガリ・ユラ・アスハ。オーブ連合首長国代表首長及び五大氏族アスハ首長家当主ウズミ・ナラ・アスハの娘。

 とはいえ、本人は何の権力も持たない民間人である。いきなり、行政官の執務室に駆け込んでくる事が許されている筈もない。

 それに、行政官は別の氏族であるセイランに近い。アスハとは関わりはほとんど無い。

 だからこそ、何故かという疑問。VIPの筈の彼女が、何の連絡もなくヘリオポリスにいた事への疑問も混じってはいるが。

「今は火急の時。お相手をしている時間はございません。今は避難を……」

 言いながら、行政官はもう一つの疑問を覚える。

 何故、カガリが兵士を連れているのか? 最初は護衛かと思ったが……違う。

 行政官は思い出す。アスハ家には、つまりはその娘のカガリには、軍の強い支持がある。それも狂信的なほどの……

 そのカガリは、怒りをあらわにし、行政官を問い質した。

「行政官、お前に聞きたい事がある! 降伏を選ぼうとしたというのは事実なのか!?」

「それは……事実です。それが何か?」

 行政官はその問を不可解に感じながら答える。

 政治を任された行政官の権限で決めた事。行政府の議員の賛成も得ている。

 カガリにとやかく言われる事ではないはずだ。

 しかし、カガリは行政官を糾弾した。まるで、その権限を持っているかのように。

「他国の侵略を許さず! このオーブの理念はどうした!」

「そうは言われましても」

 行政官は言葉を濁す。

 他国を侵略せず、他国の侵略を許さず、他国の争いに介入しない。この三つがオーブの理念である。

 それはまあ素晴らしい事なのかもしれないが、現実的に今の状況で守りきれるものではない。

「戦力が無い以上、敵を追い払う事は出来ません。援軍を呼び寄せる余裕もない」

 今のヘリオポリスに戦力は無いし、本国やアメノミハシラからの援軍に期待するにしても間に合わないだろう。

 よしんば援軍が間に合ったとしても、オーブ軍のメビウス部隊がどれほどの戦力になるというのか。

 結局、秘密裏に行われたMS開発がZAFTに察知された段階で、もはやヘリオポリスには打つ手は無かったのだ。

「今、採り得る手は無防備都市宣言。ヘリオポリスの全面降伏だけです」

 これを出さないと、オーブにはヘリオポリスを戦場として戦う意志があるという事となる。

 だが、カガリはそんな事は理解しようともしなかった。彼女は、目の前にある事しか頭になかったのである。

 すなわち、オーブの理念が侵されようとしている事。

「全ての原因は、他国の争いに介入しないというオーブの理念を破り、ヘリオポリスでMSなんか作ったりしたからだろう!?

 自分達でまいた種じゃないか! それなのにお前はまた、オーブの理念を捨てるのか!?」

 ヘリオポリスが悪いと言いたげなカガリに、行政官は頭痛を覚えながら言った。

「……MS開発は国策です。ヘリオポリスは内閣の決定に従い、場所を提供したにすぎません」

「お父様の責任だというのか!?」

 連合との共同でのMS開発は公開情報ではない。

 形としては、オーブ五大氏族のサハク家が秘密裏に請け負った形となっている。

 しかし、国家の長がそれを知らないという事は常識ではかると有り得ない。ウズミ・ナラ・アスハは絶対にそれを知っていたはずである。

 知っていてそれを黙認したのだから、責任が無いとは言えない。

 仮に知らなかったとしたら、国家の長として知るべき事を知らなかったと言う事で、それはそれで大問題である。

 だが、ウズミ一人の責任となるかと言えば、それは少々違う。

「国の責任です。オーブは、ウズミ様のものではありませんから。

 その責任は、政策を承認した内閣や関連省庁、果ては国民に至るまで無数に分割されます」

「責任逃れをするな! お前は、オーブの理念を破っているのに、その責任を他になすり付けるだけじゃないか!」

 ヘリオポリスがオーブの理念を破らざるを得ない状況に追いやったのはオーブ本国の責任だという話をカガリは理解してくれない。

 状況がどうあろうと、オーブの理念を破る事が罪らしい。そして、その責任を行政官に求める。

「では、具体的に何をしろと言うんです? オーブの理念を捨てずに、ZAFTからヘリオポリスを守るにはどうしろと」

「それを考えるのが、お前の役目だろう! 行政官の役職は飾りか!」

 カガリの声に行政官はいらつく。

 飾りであればどれほど良かったか。さぞや、安穏と暮らせた事だろう。

「話になりませんな。苦情は承りました。しかし、この件は行政府で決めた事です。お引き取りください」

 行政官がそう言って退去を促そうとした時、カガリの側に控えていた兵士が口を開いた。

「オーブの理念を守る為、自衛戦闘の許可は出ています。MA隊は全滅しましたが、歩兵部隊や機械化車輌部隊は残っています」

 行政官は、唖然としながらその兵士を見る。その時、襟に見えた階級章から、その兵士の階級が一尉である事を知った。

 基地司令の下、実戦部隊を指揮していた者だろう。その一尉は、行政官の反応に関わらずに言葉を続けた。

「オーブの理念を守る為、オーブ軍ヘリオポリス駐屯地の将兵は、命を賭して戦う事を選びました」

「コロニー内で戦うつもりか!? それも、勝てない戦いを!」

「戦う前から決めつけるな! 諦めたら、そこで終わりだろ!」

 思わず激昂した行政官に、カガリの怒りの声が飛んだ。

「そうやって諦めてしまうから、オーブの理念を捨てる事が出来るんだ!」

 理想と決意に萌える少女の毅然とした眼差しに見据えられ、行政官はできの悪い演劇を見ている気分になった。それもこれはきっとコメディに違いない。

 頭の中が混乱し、言葉が出ず、行政官はへたり込むように椅子に腰を下ろし、執務机に沈み込む。

 保身の為でなかったと言えば嘘になる。ZAFTに恩を売り、亡命する腹づもりではあった。どうせ、残っても詰め腹を切らされるだけなのだから。

 それでも、市民を犠牲にしない為にとれる最善の手だったと考えている。

 占領されれば、市民をZAFTに委ねる事になる。しかし、虐殺されるわけではない。

 オーブ本国との交渉次第で、幾らでも何とか出来るはずだ。

 例えオーブの理念を……法律でも何でもない、ウズミのお題目に過ぎないオーブの理念を破ったとしても、国民を守る事が出来る。

 抗戦すれば、巻き添えでどれほどの人命が失われるかわかったものではない。

「許さないぞ! お前の勝手に、巻き込まれてたまるものか!」

 行政官は執務机から立上がり、カガリに向かって詰め寄ろうと小走りに歩いた。

 直後、一尉がかばうようにカガリを引き寄せ、部屋の外へと出る。そして、残る二人の兵士が前に出て、後ろ手に執務室のドアを閉めた。

 行政官の体は、その二人の兵士に押さえられる。

「何をする。放せ!」

 行政官が二人を押しのけようともがくが、兵士達はそれを許さない。

「……アスハの犬め!」

 ややあって、一言唸るように吐き捨ててから、行政官はカガリを追うのを諦めて兵士から離れた。

 そして、電話に向かって歩き出す。部下に命じて、オーブ軍の暴走を抑制しようと考えていた。が……

 行政官の後ろで、兵士達は懐から拳銃を引き抜いた。

「オーブの理念を汚す者! 天誅!」

「天誅!」

 兵士二人の声が重なり、同時に銃声が響く……

 

 

 

 同じ頃。集結したオーブ軍の一部は、残余の宇宙兵器を集めて港湾部にて待機。

 アークエンジェル出港後、即座に陣地を構築し、ZAFTを迎え撃つ第一の壁となる。

 もっとも、ミサイルコンテナで急造の砲座を作るぐらいが限度だが。

 一部は放送局を占拠。

 ヘリオポリス市民に向けた放送を準備中。

 残りは地上用兵器の全てを持って行政府前に集合していた。

 

 

 

「行政官はああ言っていたが……負けるのか?」

 行政府の廊下を歩くカガリは、不安を見せながら傍らの一尉に聞いた。

 一尉はそれに澱み無く答える。

「敗北主義者は負けるとしか言わないものです。それに、これは理念を守る戦い。勝敗は重要ではありません。

 誇りを持って戦い、オーブの理念の気高さを世界に示す事が重要なのです」

「そうか……そうだな。オーブの理念の為だからな」

 カガリは納得した。オーブの理念を守る。その気高い戦いに赴くのだから、勝敗など関係がない。

 自信を取り戻したカガリに、一尉は僅かに喜色を滲ませて言う。

「カガリ様がおられますから、共にオーブを守る為に立ち上がる市民も少なくはないでしょう」

「そうだな。オーブの理念を守る為、オーブの国民ならば理解してくれるはずだ。

 ならば私は、オーブの理念の為、全ての国民と共に戦おう」

 オーブの国に燦然と輝くオーブの理念。その為なら、国民は犠牲を厭わず戦うだろう。正義の為に戦うのは、当然の事。そして崇高な事。

 露程も疑わず、カガリはその美しい戦いに思いを馳せる。

 少女の潔癖性じみた正義感の中で、理念への殉死は美しい理想だった。現実を差し挟む間も無いほどに。

「さすが、若くともオーブの獅子の血を引くお方。まさに救国の姫獅子」

 一尉は、心酔した様子でカガリに言葉と忠誠を捧ぐ。

 歩みを進めていたカガリと兵士は、行政府の玄関から外へと歩み出る。

 待っていたのは、整列したオーブ軍兵士。さらに中継車が回されて放送の用意もされていた。

 玄関前の一段高くなった場所にはマイクが用意されている。

 カガリは緊張に表情を引き締めると、兵士達が注視するマイクの前へと歩み出た。

 

 

 

「戦闘中に受信した映像です」

 アークエンジェルとの戦闘後、ガモフの艦橋。メインモニターに、マイクの前で拙い言葉を必死で並べるカガリの姿が映っていた。

 カガリは、オーブの理念を守るべく徹底抗戦を叫んでいる。

『みんな、本当に大事なものが何かを考えて欲しい!

 オーブの理念が失われようとしてる今、私達は何をすべきなのか。

 このまま、オーブの崇高な理念が失われるのを見ていて良いのか!

 心あるオーブ国民のみんな、私達と共に戦おう! オーブの理念を守る為に!』

 カガリの演説を流しながら、映像は次々に集まってくる民衆を映していた。

 オーブの理念を守るという呼びかけに答えた者は驚くほどに多く、銃を配っている兵士の前で長蛇の列を作っている。

 ゼルマンは、その映像を眺めて苦笑した。

「心意気は賞賛するが、勝てぬ戦いだとわかっているのか」

 万に一つでも勝てるならやってみる価値はある。

 身を捨てても果たさねばならない責務というのも理解できる。

 しかし、この暴動に勝ち目はない。

「所詮はナチュラルのやる事か。まあ良い。立ちはだかるならば、打倒しよう」

 ゼルマンは愚行はナチュラルの故なのだと切り捨て、そしてこの反抗を打ち砕く事を決める。

 敵だから叩くという単純な話ではなく、艦の修理が出来るドックを手に入れなければならないという理由もあった。

 ヴェサリウスはもちろん、ガモフも傷を受けており、修理を必要としている。

 宇宙空間で修理するのは限界がある。ちゃんとした設備や道具のあるドックでの修理が望ましい。

 そして、ドックを使用するには、ヘリオポリスのドックを使用するのが一番早い。

 それには、コロニー内の敵戦力は邪魔で、叩く必要がある。

「……ところで、行政官との交信は?」

「個人宛の通信は不通です。行政府に連絡しましたが、行政官は戦死とか何とか……」

 問われた通信士の返答は要領を得ない。

 戦死? 戦闘の起こっていないコロニー内で、どう戦死すると言うのか。

 通信士も疑問に思い聞き返そうとしたが、混乱した通信は切れてしまった。以降の通信は拒絶されている。

「消されたな。有用な人物だったが……」

 ゼルマンは察した。

 行政官は、現状のヘリオポリスには降伏より他に道がない事を悟っていた。そんな行政官が、今の状況を許すはずがない。

 そんな彼が、不可解な死を遂げたのだ。邪魔者扱いされて殺されたに決まっている。

 行政官からの情報提供は有り難かったし、その労には報いるつもりでもあったが、殺されてしまえば何をしてやる事も出来ない。

 ともかく今は、ヘリオポリスの制圧が先だ。

「まあいい、ヴェサリウスの兵は残っている。ガモフの兵も合わせて、陸戦隊を組織する」

 戦闘能力を失ったナスカ級ヴェサリウスだが、乗員に被害は少なく、兵力はほぼ残っている。ガモフも同じ。

 陸戦隊を組織するに不都合はない。

「両艦の各部署に通達し、1時間以内に陸戦隊をシャトルに搭乗させろ。それから、ジンの出撃準備を。コロニー内の敵はMSで叩き潰す」

 ゼルマンの指示に、艦内はあわただしく動き出した。

 

 

 

 最後の記憶は、眼前に迫る魔獣……

「……!」

「よぉ、おはよう」

 悪夢に跳ね起きたミゲル・アイマンを迎えたのは、同僚のオロール・クーデンブルグの声だった。

 見れば、いつものガモフ艦内の二人部屋。ベッドに腰掛けて、こっちを覗き込むオロールの姿もいつもと同じ。

 まるで、全てが悪夢だったかのようだ。だが、幾ら何でもそれは無いだろう。

「どうなった?」

「お前は跳ね飛ばされ、俺が必死で追いかけて回収した。身体に異常なし。俺に感謝しろよ」

 だからガモフの中。ミゲルはそれを知って、自分が生き残ったことを深く実感した。

 それと同時に、オロールの行動へ疑問を抱く。あの時の任務は、ザクレロを引き付ける事だったはずだ。

「戦闘を放り出して、俺の救助を?」

「ジンで、あのMAに追いつけるかよ。追いついたところで、効く武器がないだろうが」

 オロールは憮然として言った。

 確かにその通りで、オロールが追撃しても何の意味もなかったろう。

 逆に、ミゲルの回収を急いだことで、ミゲルの行方不明は避けられた。

 だが、それでも任務放棄をとがめられて叱責を受けたわけで、オロールとしては面白くない。面白くないから、意地悪をと言うわけでもないが……

「悪いニュースと、最悪のニュースがある。どっちを先に聞きたい?」

 オロールは口端を笑みに曲げて言った。

 それに対してミゲルは迷い、そしてどっちでも良いという気になって答える。

「悪いニュースからで頼む」

 本当に悪いニュースなら、こんな冗談交じりの伝え方をする筈がないのだ。だから、どちらから聞いても同じだろうと。

 その予想の通りオロールは、かなり気楽な口調で言った。

「任務を外れて、お前を救出したせいで、俺のボーナスはパァだ」

 もっとも、正式にそう言う罰が下されたわけではないので、冗談の意味の方が多い。

「そりゃ悪かった。で、最悪のニュースは?

 ミゲルは少し笑って、次のニュースを促す。

 それに答え、オロールはニヤリと笑みを見せる。

「出撃だよ。お前が後1時間寝ていたら、俺が出撃だったんだがな」

 今、艦に残っているのはオロールのジンなのだが、艦長のゼルマンはより優秀なパイロットであるミゲルの出撃を望んだ。

 ミゲルが出撃前に目が覚めたらという条件付きだったのだが、目が覚めたので役はミゲルに回ったというわけだ。

「出撃って……アークエンジェルの追撃か?」

 状況を把握できていないミゲルに、オロールは肩をすくめて答える。

「コロニー内のオーブ軍残存戦力と、レジスタンスを殲滅するんだ。MSの敵になりそうな物はない。鴨を撃ちに行くみたいなもんさ」

 

 

 

「……あれで良かったか?」

 兵士達が戦闘準備を進める市街地。

 歩きながらカガリは、歩みを共にする一尉に聞いた。

 演説は、用意された原稿を読んだだけ。父の姿を思い起こしながら、精一杯やった。

 一尉は満足そうに頷き返す。

「もちろんですカガリ様。多くのレジスタンス志願者が現れてくれたではありませんか。

 カガリ様の演説に、オーブ国民は皆、奮い立った事でしょう」

「そう……か」

 褒められて嬉しいのか、カガリは緊張していた表情を少しほころばせた。

「行政官も、あの演説で心を変えてくれただろうか?」

 意見を違えた行政官だが、心を入れ替え、正義に目覚めてくれないかと夢想する。

 しかし、カガリの知るところではなかったが、行政官は既にその命を奪われていた。

「いえ、彼は逃げたようです」

 一尉がまるで真実のように答える。行政官への侮蔑の感情を込めて。

「戦いが始まると知って怯えたのでしょう。情けない男です。セイランの派閥の者ですから、当然とも言えますが」

「……こんな大事な時に逃げ出しただと! 責任感のない!」

 カガリは一尉の言葉を簡単に信じ、怒りを行政官に向けて発した。そして、

「駐屯地司令も逃げたのだったな。ヘリオポリスは上に立つ者に恵まれてはいないようだ」

 カガリは、ヘリオポリス駐屯地の司令も降伏論者であった事を思い出した。

 もっとも、カガリとの接見の後、司令もまた逃亡したと一尉に教えられたのだが。

「こうなれば、私達がよりいっそう頑張らないとな!」

「流石ですカガリ様。反抗の準備は着々と整っております」

 一尉はそう言うと、カガリに現況を説明する。

「無重力下での戦闘を行える兵士と、無重力下活動を日常的に行っていた市民には、宇宙港に行ってもらいました。港で、ZAFTの進入を食い止めます」

 自信満々に言う一尉だが、その論に全く勝てる根拠はなかった。

 少数のプロに、アマチュアを混ぜ込んだ戦力で何が出来るというのか。

 むしろ、混乱を引き起こして戦力を低下させるのでは?

 しかし、一尉はそのような事は考えていない。オーブの理念を守る為、ウズミへの忠誠を尽くして戦う事が大事で、勝ち負けなど考えの外である。

 だから一尉は、勝てる見込みなどは話さなかった。ただ、話を続ける。

「残りの兵士と市民は、オーブ軍が最も得意とする市街戦でZAFTを迎え撃つべく、市街地に展開中です」

 オーブ軍の防衛戦術の基本は、都市部に布陣して戦う事となっている。

 また、市民の避難などは、ほとんど考慮に入れない。避難は、市民がそれぞれの責任の範疇で行う。

 だから、軍としては兵士の展開をして準備は終わりだ。

 既に兵士達は戦闘準備を終えて、建物に隠れている。

 外にいるのは、伝令などの例外を除けば、武器を持った市民達だけ。

 彼らは、戦場を歩くカガリを遠巻きに見ては、黙礼したり、バンザイを叫んだりと、熱狂を素直に現わしている。

 カガリは、軽く手を振るなどして無邪気に応えていた。

 と……そこに、サイレンの音が響き渡る。それは、宇宙港の方で鳴っている様だった。

 カガリはその音を知っている。敵襲を知らせる警報に他ならない。

「敵襲……いよいよだな!」

「はい。それでは、カガリ様。司令部に戻りましょう」

 一尉は、カガリに戻るよう示す。

 司令部は、主戦場として設定された市街地より遠く離れたシェルターの中にある。

 つまり、もっとも安全な場所に。

「何を言う! 私も皆と一緒に戦うぞ!」

 戸惑い気味に声を上げたカガリに、一尉は穏やかに言い聞かせる。

「カガリ様。人にはいるべき場所がございます。カガリ様のいるべき場所は、前線ではありません。

 全ての兵士が安心して戦えるよう、カガリ様は全ての兵士を見渡せる場所においでください」

「ん……そうなのか? それが、戦ってくれる者達の為になるんだな?」

 カガリは納得しなかったが、一尉に諭されて従う事にした。

「だが! もし、前線が危なくなったら、私も戦いに出るぞ!」

「ご随意に。その時は、私もお供しましょう」

 カガリは素直だった……一尉の言う言葉に素直に従ってしまったのだから。

 

 

 

 今朝、家族一緒に朝食を食べたテーブルの上に、重い音を鳴らして自動小銃が置かれる。

 銃の向こう、テーブルに並んで座る両親は、にこやかに微笑みながら言った。

「父さんと母さん、話し合って決めたんだ」

 トール・ケーニヒは、その話を妙に冷静な気持ちで聞く。

 トールの両親は英雄志向なところがあった。それはトールにも引き継がれている。何か戦う理由があって、戦う事が出来るなら、戦う事に躊躇はしない。

 性格は親譲りだとトールにも自覚がある。なら、戦うという選択も有りだろう。トールも、あのカガリ・ユラ・アスハの演説を聴いて、考えてはいたのだから。

 しかし、トールは決断に踏み切る事は出来なかった。フレイとの別れの時、連合兵に聞いた話が引っかかっていたのだ。

 連合兵は、“へリオポリスは降伏する”と言い、“武器を持たず隠れていれば安全”と言った。そして、カガリは“オーブの理念を守る為に武器を取って戦おう”と言った。

 それは、オーブの理念を守る為に、本来なら安全な筈の市民の命を危険にさらそうとしているのでは……と、そんな疑念が湧いたのだ。

 トールは、オーブの理念を守る事は正しいと教えられてきた。ウズミ・ナラ・アスハの政権下、オーブの国民なら誰しもがそうだろう。だから、オーブの理念を守る事は、疑いの余地がないほどに正しい事の筈。

 しかし……トールは、そんな常識的な正義に対し、疑問を持ってしまっていたのだ。

 オーブの姫様であるカガリと、一連合兵の言葉を比べれば、カガリの言葉の方が絶対に信頼がおける筈だというのに。

「危ないよ! 殺されるかもしれない! それに……」

「だからこそ、今こそ、オーブの理念の為に戦う時なんだ」

 トールは、話の組み方を間違えた。本当に言いたい事を言う前に、父親に反論をされてしまったのだ。

 本当は……もっと言いたい事があった。疑問をぶつけたかった。しかし、トール自身も何を言って良いのかわからない。

「でも……!」

「もう、覚悟は決めたんだよ。わかりなさい、トール」

 もっと言葉を尽くそうとしたトールを、父親は穏便な言葉で制する。

 母親は、トールを安心させるように言った。

「私達は大丈夫だから、トールは避難しなさいね」

「本当は、お前も戦うと言い出すのじゃないかと心配していたんだ。でも、そうじゃなくてかえって安心したよ。お前は、避難するんだ」

 父親はそう言って、自動小銃を手に取ると立ち上がった。母親も同じように銃をとって立ち上がる。

 テーブルの上に、一丁の拳銃が残されていた。父親は、トールに真顔で言う。

「危なくなったら使いなさい」

 

 

 

 ミゲル・アイマンは、ジンに搭乗して宇宙に居た。

 今回の装備は、MA-M3 重斬刀とMMI-M8A3 76mm重突撃機銃だけだが、予備弾倉は多めに持ってきている。重機銃の弾は榴弾が選ばれていた。敵が艦船やMAではないのと、コロニーの外壁まで破壊しては困るという事情から、貫通力が不要と判断された事がその理由。

 ミゲルと共にガモフを発した、陸戦隊を詰め込んだシャトルは、ヘリオポリスの港湾部へと迂回しつつ接近する。まっすぐ行かないのは、港口の真正面に行けば、内部に設置されたミサイル砲台に攻撃されかねないからだ。

 ガモフからの観測により、外壁には武装の設置がされていない事がわかっている。

 おそらく、露出した場所に設置しても、攻撃されて破壊されるだけだと考えたのだろう。実際、そうなるだろうから、その判断は正解だ。

 邪魔をする者がいないので、ジンとシャトルは容易く港湾部近くの外壁にまでたどり着く。

 そこで、シャトルは停止。中から、パーソナルジェットを装備した陸戦隊が飛び出し、次々にコロニー外壁へと取り付く。

 通常の出入り口は、敵の待ち伏せか罠がある確率が高い。そして、わざわざ、そんなところに飛び込む必要はない。

 ミゲルのジンは重斬刀を構え、外壁に突き立てた。そして、捻るようにしながら抜き取る。

 直後、開いた破口から、猛烈な勢いで空気が噴出する。その空気の流れに巻き込まれて、民間用宇宙服を着た人間が宇宙へと吐き出された。

 しばらく、宙でもがいているのが見えていたが、見る間に遠く離れ宇宙の闇に消えていく……そして、宇宙服が小さく見えなくなった頃、破口からの空気の噴出が弱まった。

 陸戦隊は、破口よりコロニー内へと突入する。これで、有る程度はオーブ軍の不意を突けるだろう。

 ミゲルは、陸戦隊がコロニー内に突入するのを確認した後、ジンを動かした。陸戦隊の突入を支援した後は、コロニー内へと入り、内部の敵を殲滅する。

 目指したのは、先の戦闘でザクレロがコロニーのガラス面に開けた穴だった。

 それほど時間をかけず、ミゲルのジンは目指した場所に到着する。ザクレロが開けたガラス面の穴は既に応急修理がされており、穴を塞ぐようにゴム状の膜が張られていた。

 ミゲルは、その膜をジンで破る。途端にコロニー内から空気が漏れて、突風となってジンを押すが、かまわず強引に機体をコロニー内に入れる。

「……あまり、空気が薄くなるのも悪いしな」

 通り抜けた後、ミゲルはジンに積んできたコロニー補修用のトリモチを用意した。

 ジンの掌に乗るくらいの金属筒。側面についたスイッチを押し込むと、筒の先端から風船ガムのような物が膨らみ始める。

 それが通り抜けた穴よりも大きくなったところで、さらにスイッチを押し込む。

 巨大な風船ガムは金属筒から切り離され、吸い出される空気の流れに乗って穴を目指して漂う。そして、穴に触れた所で破裂して、穴をべったりと覆って塞いだ。

 これで少し経てば、さきほど穴を覆っていたのと同じゴム状の膜となる。膜はかなり丈夫で、空気漏れはほぼ防ぐ事が可能だ。

「さて……後は」

 ミゲルは、眼下に広がる都市部を目指し、ジンを降下させていく。

 下りるにつれて、ジンは重力に引かれて速度を増していった。

 

 

 

 トールは、住宅地を縫う路地を走っていた。

 辺りに鳴り響く警報がトールを急き立てる。それは他の市民も同様で、逃げまどう人々が当てもなく駆け回っていた。

 ヘリオポリスの中は混乱の極みにあった。先の襲撃の時よりも酷い。

 混乱の原因となったのは、都市部に布陣した軍隊。そして、オーブの理念を守る為に武装した市民達。彼らはそこかしこで道路を封鎖して陣地をもうけており、避難経路をズタズタに引き裂いている。

 完全に道が塞がれた訳では決してないのだが、敵襲という混乱状況の中で道を探すのは困難きわまりなく、パニックが広まりつつあった。

 そんな中、トールはようやく目的の場所へとたどり着く。

 住宅地の公園の片隅、地下への口を開けた、シェルターへの入り口。それが、この辺りの住人が避難するシェルター。

 シェルターの周りには、避難してきたのだろう住人達が、困惑の面持ちで人垣を作っていた。

 そして、その人垣の中心では、何人もが怒鳴りあう怒号が聞こえる。

「どうしてみんなシェルターに入らないんだ?」

 トールは疑問をつぶやきながら、ここまで来た目的の相手を探して頭を回らせた。

 ややあってトールは、住人達の中にミリアリア・ハウの姿を見つける。

「ミリィ!」

「トール!?」

 駆け寄って肩をつかんだトールに、ミリアリアは振り返って驚きの声を上げる。

「どうして? トールの家は、ここのシェルターじゃないでしょ?」

「ミリィが心配で見に来たんだ」

 トールが真顔で言った答えに、ミリアリアは少しだけ嬉しそうにはにかんだが、すぐに表情を半ば無理矢理に怒りへと変えた。

「ば……馬鹿! 危ないじゃないの! 早く避難しなきゃ……」

「それなんだけど、どうしてみんなシェルターに入らないんだ?」

 シェルターの周りの住人達は、諦めたように他へと向かう者を除けば、減って行く様子が見えない。つまり、シェルターへの収容がされてないのだ。

 シェルターが満員になった可能性もあるが、住宅地のシェルターはかなり大きく、周辺住民を収容してまだ余りある容量があった筈。

 その疑問に、ミリアリアは困った様子で顔をしかめ、騒ぎの中心となっているシェルター入り口を振り返った。トールもそれに倣って、同じ方を見る。

 その時、注視の先から、男の声が上がるのが聞こえた。

「ここは、オーブの理念の為、戦う者が集う場所だ! 戦わない者は他のシェルターに行け!」

 シェルターの入り口には、自動小銃を持って声を張り上げる中年男の姿。彼に従う若い男と中年女も手には銃を持っている。

 3人は、周りを囲う住人達に銃を向け、威嚇していた。

「オーブの理念の為に武器を取る同志は、シェルターに入れ! 一緒に戦おう!」

 中年男は上機嫌で声を上げているが、周りを囲む住人達はその声に対して不満をあらわにしていた。

 当たり前だろう。シェルターはあくまでも避難する場所。確かに強固な防御力を持つが、それは避難民を守る為のものだ。

 それを勝手に占拠して、避難民を閉め出すような事をして良い筈がない。

「ここは俺たちのシェルターだ! 勝手に占拠してどういうつもりだ!」

「他へって……何処へ行けばいいのよ!」

 口々に非難しながら、詰め寄る住人達。彼らも命がかかっている。押しのけてでも、シェルターに入ろうとしていた。

 しかし、空に向けて撃ち放たれた銃の音が住人の足を止める。

「オーブの理念が破られようとしている時に、勝手な事を言うな! お前達は、オーブの理念が破られても良いのか!?」

「オーブの理念を脅かす人は、誰であろうとオーブの敵よ!」

 銃を撃った若い男と、中年女が殺気だった声を上げる。銃は、住民達に向けられていた。

 トールはその騒ぎを遠巻きに眺めながら小さく呟く。

「……おかしいだろこんなの」

 オーブの理念が大事だとは、トールも思ってはいた。オーブの理念があるからオーブは平和なのだと、日常的に言い聞かせられてきたのだから。

 しかし、今の状況は常軌を逸して見えた。

 オーブの理念を守るのだと叫ぶ人々の声は何処かおかしい。だが、何がおかしいのか、どうしても思い浮かばない。

 オーブの理念を守る事は、とても正しい事の筈なのだ。そう教えられてきた。

 正しい筈の事が行われている。正しい筈なのに。

 トールが答えを出せないままでいる内に、その思考を止める声がかけられた。

「ミリアリア、それにトール君」

 トールとミリアリアに歩み寄り、声をかけたのはミリアリアの父親。彼は、ミリアリアの母親と共に、この人垣の中を出ようとしていた。

「別のシェルターへ行こう。さあ、急いで」

「え、でも……町の中は何処に逃げたらいいかわからない人であふれてるんですよ? 今から、他のシェルターを探すなんて……」

 混乱した住宅地の中を抜けてきたトールにはわかっていた。他のシェルターを探す事が、非常に危険な試みであるという事が。

 もし、途中で敵襲があれば、確実に巻き込まれる。

 しかし、ミリアリアの父親は、諦めた様子で言った。

「オーブの理念を守る為に戦ってくれるんだ。仕方ない」

「そうね、仕方ないわ。オーブの理念の為ですもの」

 母親もまた、父親に同調して頷く。オーブの理念を守る為だから仕方がない。オーブの理念の為なのだから。

 トールは納得しかけたが、胸の奥で何かに引っかかった。それが何かわからないまま、逃げ出すミリアリアの両親とミリアリアに合わせて足を動かす。

 と……その時、頭上が陰り、人々の悲鳴が聞こえた。

 とっさに頭上を見上げる。トールはそこに、空から落ちてくる巨人……市街地に降下しつつあるMSジンの姿を見つけた。

 ジンは、あろう事かトールの頭上に降りてくる。ジンの足の裏が、どんどんその大きさを増しながら迫ってくる……恐怖に体を強張らせたトールは、それを見守るより他なかった。

「……っ!!」

 誰かが何か叫んだように思えた。直後、トールを突然に襲う衝撃。何か重くて柔らかい物が体に当たって、トールを押し倒す。

 ジンを注視していたトールの視線がそれ、路上で両腕を突き出した姿のミリアリアの父親をとらえる。

 母親は、父親の傍らで、顔を恐怖にゆがめて空を見上げている。先ほどまでのトールと同じように。

 ミリアリアの姿はない。いや、トールの体にぶつかってきた物が……

 激しい振動。トールの視界がまた揺らぐ。

 トールは、この場から少し離れた道路上にジンが落着したのを見た。ジンは、落ちた勢いを殺さないまま、路面を削りながら道の上を滑ってくる。

 その進路上にいた人々が、ジンの足に触れるや砕け散って赤い破片をまき散らした。

 そして、ミリアリアの両親の姿は……

 気づいた時、トールが視界はコロニーの空だった。道路上に倒れて、空を見ている。凍ったように動かない世界の中で、胸の上に暖かい重さを感じていた。

 

 

 

 地上から散発的な銃撃が行われている中、ミゲルのジンは降下していた。

 とりあえず、大半を占める小火器類は無視して良いが、対空機関砲の類が少数混じっており、機体に結構な衝撃がある。

 ミゲルは、銃撃の方向から敵の姿を探してジンのカメラアイを動かす。

 ややあって、平屋の民家の中から天井に開けた穴を通して撃ってきているのを確認した。

 すかさず、その民家に重機銃を撃ち込む。榴弾が天井を突き破ってから民家の中で炸裂し、風船のように民家を中から破裂させる。

「一つ!」

 ミゲルは次の対空機関砲を探す。

 公園の木々の合間。そこから火線は伸びていた。姿を確認したわけではないが、ミゲルはそこに重機銃を撃ち込む。

「二つ!」

 まだ、機関砲は残っているが、もう地上が間近になっており、空で迎撃できる時間は無かった。その事を警報で知ったミゲルは、何の気なしに着地点を地上をカメラで確認する。

「……な? 避難が終わってないのか!?」

 ミゲルは言葉を失った。

 着地点となる道路上に、たくさんの人がいる。まさかこの全てがレジスタンスだという事もないだろう。

 しかし、もはや他の場所に着地する余裕はない。

「恨むなよ!」

 ミゲルが声を上げた直後に、ジンは道路の上に足をおろした。

 警報。ジンの足下が滑り、バランスを崩している。何で足を滑らせたのかは、ミゲルは考えない事にした。

 ミゲルはただ、バランスをとる為にバーニアを噴かす。ジンは路上を滑るように進んでからバランスを回復し、そこからは普通に歩き始めた。

 そうなってからミゲルが改めて周りを見てみると、少なくない数の人が逃げまどっているのに気づく。そして、ジンに向けて銃を撃ってくる者も。

「……おいおい、冗談かよ」

 見た目、完全に民間人である。手に銃を持っているだけだ。老若男女関係なく、無駄な銃撃を続けている。

 MSにとっては何の脅威でもないが、今後のへリオポリス占領に当たっては、いろいろと障害となる。故に、任務にはレジスタンスの掃討も含まれていた。

 しかし……だ。

「くそ! 民間人とレジスタンスの区別がつかない!」

 違いといえば銃を持ってるかそうでないかで、見分けなどつくはずもない。

 しかも、レジスタンスは、避難民の群れの中に紛れて攻撃を行っている。

「そんな手を通用させてたまるかよ!」

 ミゲルにわいたのは怒りだった。レジスタンスが、民間人を盾にして戦いを有利にしようとしているかのように思われて。

 だから、ミゲルは容赦なく重機銃を撃った。榴弾の爆発の中に、次々に人影が飲まれては砕かれていく。

 

 

 

 トールは身を起こす。

 辺りには血の臭いが満ちていた。

 ジンはもう居ない。辺りを見回すと、ここから少し離れた場所で銃を撃っている後ろ姿が見えた。ここはただの通り道だったらしい。

 その通り道の上にいたミリアリアの両親の姿はなかった。ただ、さっきまで二人がいた場所……というよりも辺り一面がそうなのだが、路面に磨り潰されたような赤い物がこびりついているだけだった。

 ミリアリアはと……ぼんやりと考えた後、胸の上にいるのがミリアリアだと気づく。

「ミリィ!?」

 胸の上から抱え起こしたミリアリアは、小さく呻いた後に目を開いた。

「……何……が、あったの?」

「近くにMSが降りたんだ。でも、もう大丈夫」

 トールはミリアリアを助けながら、一緒に立ち上がる。

「……パパとママは?」

 ミリアリアの続けての問いに、トールは答えを迷った。

 血と肉で舗装されなおした道路。そこに、ミリアリアの両親は居たはずである。いや、今も居るのか……

 トールは、現実を忘れる為にわざと明るい声で言った。

「べ……別のシェルターを探してくるって、先に行ったよ! ほら、ミリィは少し気絶してたから。だから……そうだ、僕らも逃げよう。あ、あのシェルターが開いたみたいだし」

 言いながら、助けを求めるように辺りを見回していたトールは、先ほどまでオーブの理念を守ると言っていた連中が居なくなっているのに気づいた。

 きっと、MSが来たので戦いに行ったのだろうと……なら、シェルターに入れる筈だ。

 そう考えて、トールはミリアリアの手を引いて、シェルターに向かって歩こうとした。

 他にも、同じ考えなのか、シェルターに向かう人がいる。MSの落着で何か巻き込まれたのか、足を引きずった男の人。その人の方がシェルターにかなり近く、先に到着した。

 が……銃声が響く。

 男の人はシェルターの入り口から弾けるように飛び、仰向けになって倒れた。

 トールは目を見開いて足を止める。

「中から……撃たれた?」

 トールは気づく。シェルターの前に、かなりの数の人が倒れている事を。

 MSが蹴り散らしたのではなく、シェルターの中からの銃撃で倒れている。

 シェルターの中、オーブの理念の為に戦うと言っていた者達がいた。彼らは、恐怖におびえながら、手に持った銃をシェルターの外へと向けている。

 恐怖でパニック陥った彼らは、オーブの理念の為に戦っていた。弾は全て、敵ではなく無力な同胞に撃ち込まれるだけだったが。

「……あそこは駄目だミリィ。逃げよう」

「う……うん。そうね。それに、パパとママに追いつかないと」

 ミリアリアの言葉にトールは奥歯を噛みしめる。

 それでも今、本当の事を言うわけにもいかない。

 トールは無言で、ミリアリアの手を引いて走り出した。まずは、MSから遠く離れる為に、MSに背を向けて、道を選んで……

 

 

 

「く……これは正規軍の攻撃か」

 ビルが立ち並ぶ一角を見つけ、そこに向かったミゲルのジンは、ビルの内外に布陣したオーブ軍による真正面からの攻撃を受けていた。

 機関砲、ミサイルやロケット弾などが、ジンに対して撃ち放たれている。

 ビルの中や、ビルの陰に機関砲が据え置かれ、あるいはロケットランチャーや携行ミサイルランチャーを装備した兵士、装甲車などが隠れ、撃ってきているのだ。

 MSに対して威力不足は否めないが、相応に威力のある兵器が多く、至近距離でまともに浴び続ければ危険だったろう。

 MSの接近を十分に待ち、半包囲するようにして火線を集中させ、一斉に攻撃を開始すれば戦況は違ったものになったかもしれない。

 しかしオーブ軍は、MSが射程内に入るか入らないかの内に攻撃を開始してしまっていた。

 誇りあるオーブ軍は正面から敵と戦う。包囲とか、挟撃とか、迂回とか、そういった戦術とすら呼べないような事すら、しないのである。

 戦力を並べて撃ってくるだけのオーブ軍に対し、ミゲルは少し距離をとって真正面から撃ち返した。

 連射される榴弾が建ち並ぶビルに当たっては次々に炸裂し、ビルの壁面を砕き、ガラスを粉砕し、破片を路面へとばらまく。

 カメラでとらえた映像では、ここにも民間人が居るように見えた。

 レジスタンスか、それとも民間人かはわからない。何にせよ、榴弾の炸裂と、降り注ぐ破片、舞い散る土煙に紛れてそれらはすぐに見えなくなる。

 ミゲルは、重機銃の弾倉交換を交えて撃ち続けた。

 しかし、思ったよりもオーブ軍からの攻撃は弱まらない。曲がりなりにも軍隊だけあって、しっかりと防御を固めている為だろう。

 それに、どうもやられる度に別の場所に温存していた戦力を投入しているようだった。

 潰した筈の場所から、新たに弱々しい火線が引かれるのを度々見ている。

 こういった戦力の逐次投入は、オーブ軍の用兵の基本だった。もてる全戦力で一斉にかかるのではなく、少しずつ小出しに敵に当てていくのだ。

「うっとうしいな」

 ミゲルは、この単調な戦闘にうんざりしていた。

 ビルをの壁面が無くなるぐらいに榴弾を撃ち込んでも、支柱が破壊されない限りはビルはそのまま立ち続けている。そして、ビルにこもるオーブ軍は、前の兵が倒れるたびに後から後から兵が湧いて出て、攻撃をかけてくる。

「ビルがあるから、いつまでも戦闘が続くんだろう!」

 ミゲルは、重機銃をラッチに戻し、代わりに重斬刀を抜くと、ジンを走らせた。

 装甲表面で、次々に砲弾やミサイルが弾ける。それをものともせずに、ジンはバーニアをも併用しながら高速で街を走り抜け、一番近いビルに肉薄する。

 ちょうど目の前のフロアに数人のオーブ兵がいるのが、モニター越しにミゲルに見えた。

 すでに崩壊した壁の向こう。オーブ兵は恐怖に取り乱す事もなく、冷静にロケットランチャーを構えている。彼らが何かを叫んだのをミゲルは見たが、声は聞こえなかった。

 直後、発射されたロケット弾がジンの顔面で炸裂する。同時に、ジンは重斬刀を振った。

 支柱を断たれ、ビルが崩壊する。断線の上がまず崩れ、それに巻き込まれて下側が一気に崩壊していく。

 ミゲルは、その崩壊に巻き込まれないようジンを動かし、新たなビルへと向かう。

 前面のメインモニターが砂嵐へと変わっていた。オーブ兵の最後の一撃は、メインカメラを割ったのだ。

 ミゲルは、ジンを操縦しながら、OSを呼び出してカメラ設定の変更を行った。サブカメラの映像がメインモニターに映され、若干画像が荒いものの映像がほぼ回復する。

 次のビルを断ち割るには、何の支障も無かった。

 

 

 

 戦場より遙か後方、シェルター内に設営された司令部。

 カガリ・ユラ・アスハとオーブ軍へリオポリス駐屯地の部隊指揮官であった一尉、一尉の部下である数名の兵士、通信機にとりついている通信兵、それ以外に人はいない。

 部屋に置かれた通信機からは最初、ひっきりなしに通信が来ていたが、今はだいぶ沈黙の時間が多くなってきていた。

「二中隊から通信。『我、最後の突撃をせり。オーブの悠久たるを願う』」

「一中隊返信有りません。繰り返し呼び出します」

「三中隊移動中。ZAFTのMSの前に回り込み、攻撃をかけます」

 通信機間近に用意されたテーブルにつき、通信士達の報告を何一つ動じずに聞いては、テーブル上に広げられた地図の上の駒を動かしている一尉。

 カガリは通信機から遠く離れた椅子に座して、一尉の背中を眺めている。他に役目は与えられなかったのだ。

「なあ、戦況はどうなっている?」

 何度繰り返されたかもわからないカガリの質問に、一尉は全く同じ答えを返す。

「オーブ軍、市民、一丸となってオーブの理念を守る為に奮闘中です」

「さっきから、同じ事しか言わないじゃないか! 敵は倒したのか!? 味方の被害は無いのか!? もっと詳しく教えろ!」

 さすがに痺れを切らして怒鳴りつけるカガリに、一尉は戦いが始まってから初めて振り返った。

「カガリ様、ご安心を。皆、オーブの理念を守る為、勇敢に命を賭して戦っております」

「それはわかっている!」

 苛立ちを見せるカガリ。それに対して、一尉は丁重に敬礼して見せた。

「ご聡明なるカガリ様ならば、必ずやご理解いただけるものと考えておりました。では、自分は指揮に戻らせていただきます」

「待て! 話は終わっていない!」

 カガリは、席を降りて一尉に詰め寄る。その時、通信兵が新たな報告を聞かせた。

「一中隊、二中隊、通信途絶。三中隊、交戦開始」

 戦いは終局に入っている。そう……もう終わりだ。

 一尉は、カガリに改めて体を向け、口を開いた。

「カガリ様。カガリ様には証人となって頂きます。へリオポリスの将兵と民衆が、オーブの理念を守る為、如何に戦ったのかを……」

「私も戦うと言った筈だ! お前も戦わせると約束しただろ!」

 身を拘束する兵士に抗いながら、一尉に怒りにまかせた抗議をするカガリ。そんな彼女の前、一尉は微笑んでいた。

「オーブ将兵は、オーブの理念を守る為、最後の一兵まで戦い、玉砕いたします。そのオーブの理念への献身と忠誠を、オーブ本国へとお届けください」

 玉砕……いわば全滅。だが、犬死にではない。オーブに今日の戦いが伝えられれば。

「オーブの理念を守る為に戦った者の事を知れば、オーブ国民はオーブの理念の尊さを改めて知るでしょう。オーブの理念を守る為に散った命の記憶と共にオーブの理念は永遠に語り継がれ、永遠にオーブを守り続けるのです。それは、カガリ様にしかできない事なのです」

「それが……オーブの理念を守る為になるのか? でも、お前達が犠牲になるなんて!」

 カガリは、自分に与えられた使命の大きさに惑う。

「まさか、最初からこの犠牲を出す為に戦ったのか!?」

 一尉は、カガリに諭すように言った。

「カガリ様。本当に正しい事の為の戦いで、犠牲を恐れてはなりません。ここで最後まで戦う事がオーブ軍、そしてオーブ国民の戦い。そして、その戦いをオーブ本国に伝える事こそが、カガリ様の戦いなのです。オーブの理念を守る為に」

 カガリは、理想に殉じる姿を見せる一尉に素直に感銘して、自信もそうなろうと気負って身を震わせた。

「……わかった。その戦い、私も全うしてみせるぞ。オーブの理念は、必ず守ろう」

 理想に殉じた者達の事を、オーブの全ての民に語り、オーブの理念を守る事の大切さを知らせる。

 MSを作るなどというオーブの理念への裏切りをしていた父ウズミも、きっと心を入れ替えるだろう。

 そしてオーブは、オーブの理念に守られた理想的な平和の国となるのだ。

「さすがはカガリ様です。オーブの理念を守る為、カガリ様も戦いに勝利を」

 使命に燃えて陶然とするカガリに満足げに頷き、一尉は部下に命じる。

「カガリ様を脱出シャトルへとご案内してくれ。道中の警護は頼んだ」

「了解です! ではカガリ様、こちらへ」

 案内を命じられた兵士は、カガリを導いてシェルターの奥へと歩き出す。カガリは、素直にその導きに従って歩き出した。

 その背を見送って一尉は表情を引き締めると、その場に残った者に予言者のように告げる。

「出撃だ。我々の名は、オーブの理念と共に永遠に輝く」

 

 

 

 戦火の中を避難する人々は、いつしか幾つかの流れとなって街の外を目指していた。

 戦いの最中にある街の中でシェルターを探すより、街の外へ逃れる方が安全と思われたからだろう。傷つき疲れ果てた人々が列をなして、街路を無言のまま歩き続ける。そんな中に、トールとミリアリアの姿もあった。

「大丈夫か?」

 顔を青ざめさせるミリアリアを気遣い、トールは聞いた。繋いだ手から、ミリアリアが震えているのが感じ取れる。ミリアリアは、努力して微笑んでみせた。

「大丈夫……まだ、歩けるから」

 ミリアリアの足は、震えに時折もつれ、転びかける時もある。疲れからではなく、恐怖からくる震えだった。

 無理もない。ここに来るまでに多くの死と狂気を見たのだ。

 トールも、恐怖に叫びながら全てを投げ出してしまいたいという衝動に駆られてはいた。それでも、ミリアリアを……誰よりも大事な人を守りたいという純粋な意志が、恐怖と狂気をかろうじて抑え込んでいた。

 しかし……それでも少しずつ、蝕まれていたのかもしれない。へリオポリスに蔓延した死と、全てを滅ぼしていく狂気に。

 そして、トールはそれを見る。

 人々が足を止めていた。もう少しで街の外へと出られる筈なのだから、足を止める理由など無いはずだ。それなのに、人々はある線を越えて前に出ようとはせず、そこに溜まっている。

 怪訝に思いつつトールが、その人溜まりに歩み寄った時、その声が聞こえた。

「戻れ! 戻って戦え!」

 叫ぶ男の声。人々の向こうから聞こえる声。それを聞いた瞬間、トールは耳を塞ぎ、しゃがみ込んだ。吐き気がしていた。

「トール!?」

 ミリアリアが、突然しゃがみ込んだトールに声をかける。

 その声すら、トールには遠く聞こえた。今は、男の叫び声だけが耳に響く。

「オーブの理念を守れ! 守って戦え!」

 その狂気に満ちた声は、トールの良く知る声だった。

 トールは跳ね上がるようにして立ち上がると、声を目指して走り出した。立ち止まる人々の間に強引に割り込み、押しのけ、声の上がる方向を目指す。

 そして、トールは人々の間を抜けた。

 見えたのは街路に立ち塞がる一人の男。何処で拾ったのか軍用エレカを道を塞ぐように置き、車体に装備された軽機関銃の引き金に手を置いて、人々に銃口を向けている。

 男は、人垣から飛び出してきたトールを見ると、うっすらと微笑んだ。

「トール……無事だったか」

「……父さん」

 トールの目の前にいたのは、トールの父親だった。

「何……やってるんだよ」

 軍用エレカに歩み寄りつつ、トールは泣き出しそうな顔で父親に聞く。

 父親は、笑顔を浮かべた。トールが恐怖を感じるほどに、場違いな明るい笑顔を。

「死んだ……皆、死んだ! 母さんも死んだ!」

 それを楽しそうに語る。

「オーブの理念を守らなければならない! でも、皆死んだ! 死んだんだ。でも、オーブの理念を守るんだ。だから、戦う。戦うんだ! どうして戦わない! 戦え! オーブの理念を守ろう! 戦おう! どうした! どうして戦わない!」

 父親の叫びは、いつしかトールに向けたものではなく、周囲の人々に向けられたものとなっていた。

 見開いた目を血走らせ、口だけは笑みに歪めながら、楽しげに声を弾ませ、それでも怒りを溢れさせる父親の姿は、トールの知る父親の姿ではない。

 父親は、狂気に駆られた見知らぬ男の姿で、人々に銃を向ける。

「オーブの理念を守ろうと思わないのか!? 何故だ!? 何故、オーブの理念を守ろうとしないんだ! 皆が死んでまで守ろうとしたんだぞ! 皆、死んだ! なのに何故、お前達は生きている……オーブの理念を守らずに何故生きている!? 何故死なない!?」

 狂気の叫び。そして、引き金が引かれた。

 父親は、軽機関銃を人々に撃ち込む。撃ち出される銃弾が、人々を次々に物言わぬ骸へと変えていく。人々の悲鳴さえ掻き消して、銃声が高らかに鳴り響く。

「オーブの理念を守って戦った者は死んだ! オーブの理念を守らない者は生きている! 死んだ者だけが、オーブの理念を守って戦う! 死ね! 死んでオーブの理念を守れ!」

 父親は哄笑しながら機関銃を撃ち続ける。逃げまどう人々の背中に向けて。

 銃撃を止めようと駆け寄ろうとした若い男の胸を貫き、弾から守ろうと子をかばうように抱きしめている母の頭を砕き、逃げ出す人々に押し倒され踏み砕かれた老爺の身体を弾けさせ、泣いて逃げ惑う少女の身体に幾発も撃ち込んで朱に染める。

 人が倒れる。次々に倒れる。瞬く間に、そこにあった命が消えていく。軽機関銃から排莢された薬莢が地面で跳ねる度、幾人もの人が死んでいく。死ねば死ぬほどに、父親は嬉しそうに声を上げる。

「死ね! 死んだ者だけがオーブを守って戦った者だ! 死ね! 皆死ね! 死んでオーブの理念を守れ! オーブの理念を守れ! オーブの理念を守れ!」

「…………父さん!」

 トールは、その男をそう呼ぶのは最後だと悟っていた。

 その手には、父親から渡された拳銃。それを父親に向け、トールは引き金を引く。

 あっけないほどの軽い音と同時に、機関銃は止まった。

 

 

 

 一尉は、部下を伴ってシェルターの外に出た。

 シェルターがあるのは、オーブ軍の訓練場として使われていた小高い丘。ここから遠く、燃える街とZAFTのMSジンが見える。

 シェルターの出入り口からそう遠くない場所に、対MS用ホバークラフトが用意されていた。これが、このへリオポリスに残された最後の戦力である。

 ツインローターを回しながら離陸を待つそれに、一尉は歩み寄る。途中、整備の兵からヘルメットを受け取った。

「我々も必ずや後を追います」

「先に行かせてもらうぞ」

 整備兵の敬礼に笑顔で答え、一尉は対MS用ホバークラフトのパイロットシートに座る。ガンナーシートに座るパイロットは、少し笑って言った。

「一尉。オーブの理念を守る為の戦いに同道できて光栄です」

「うむ……一緒に、ZAFTにオーブ軍の意地を見せてやろう」

 一尉は表情を引き締め、操縦桿を握りしめる。

 すでに命は捨てていた。オーブの理念の為に、ウズミ・ナラ・アスハへの忠誠の為に……

 

 

 

 へリオポリスの外。宇宙空間。

 戦闘が始まって以降、メインの港湾部以外の場所にあるドックから、何隻かシャトルや宇宙船が脱出をしていた。

 港湾部の外で待つZAFTのローラシア級モビルスーツ搭載艦ガモフでは、それを確認してはいたが、一応の警戒をするにとどめ手を出さずに放置している。

 いちいち臨検して回るには手が足りないという単純な理由からだ。

 しかし、それが姿を現した時、ガモフの艦橋は騒然となった。

「大型艦がへリオポリスから脱出しています」

 新たにへリオポリスから出航した輸送船がモニターに映る。そして……

「艦に随伴する物有り! MSです!」

 モニターには、輸送船に随伴するMSが見えた。奪取した連合製MSに似た機体が3機、輸送船を守るように飛行している。

「……手を出すな! 行かせろ!」

 ゼルマンは素早く命令を下す。

「艦長、行かせて良いのですか?」

「今戦える戦力はないからな。見逃すしか無いだろう」

 ゼルマンは、部下からの問いに、わずかに迷いながらもそう答えた。

 本来なら、戦いたいところだ。しかし、稼働するMSは1機だけで、しかも出撃中。これ以上の作戦行動はとれるものではない。

 一応、奪取した連合MSを出撃させる手はある。しかし、せっかく奪取した連合MSを破壊される危険を考えれば、それは最後の手段として以外は使えない。

 謎のMSを擁する輸送船が攻めてこないのは、へリオポリスを奪還するよりも輸送船の脱出を優先させた結果だろう。

 MSは、いわば見せ札だ。MSの存在がなければ、あの規模の輸送船なら必ずや中を怪しみ、砲を使って足を止めて戦闘終了後にでも臨検して、中身を確認しただろう。だから輸送船側は、戦力がある事を見せて、こちらの動きを封じに来た。

「今は、オーブがMSを所有するという情報だけで十分だ。出来る限り、観測しておけ。貴重な情報となる」

 ゼルマンのその命令で、艦橋要員達はある限りの観測機器を輸送船に向ける。

 その観測下、輸送船はMSと共に悠々と地球方面へ消えていった。

 

 

 

 死体の折り重なる街路。

 トールは、自らの手で殺した相手を見下ろしていた。不思議と、何も感じない。

「……トール」

 ミリアリアが沈黙を破って声をかける。その声に、トールは何事もなかったかのように振り返った。

「ああ……行こうかミリィ」

「あ……あの、お父さんの事……」

 ミリアリアは軽機関銃にもたれるように死んでいる男の顔を見て口をつぐんだ。男は、死の後も狂気に歪んだ笑顔で居る。

 トールは、それら全てを背に歩き出していた。

「行こう」

「……うん」

 先に立つトールの後を追って、ミリアリアは歩き始める。

 無言で歩く二人の前に、ようやく街を抜けた先の平原が広がった。二人の他にも、生き残った避難民達が、同じように平原へと歩み出していく。

 この先は開発地域とやらで、何もない平原や森が続き、外壁に当たるまでは何の施設もない。もちろん、シェルターも無い。今は誰もが当てもなく、歩いているだけだ。

「オーブは平和な国だと思ってた」

 ふと……ミリアリアが独り言のように言う。

「連合とプラントが戦争になっても、自分には関係ないって思ってた。毎日、いつも通りに平和があるって思ってた」

「でも、違った。それに、もう一つ間違ってた事がある」

 トールは自嘲気味に笑う。

「オーブの理念は何も守ってくれない。大人は、オーブの理念があるからオーブは平和なんだって教えてたけど……全部、嘘だ」

「な……何もそこまで。オーブの理念は素晴らしい事よ?」

 ミリアリアは、トールの達観を認められなかった。

 オーブの理念の素晴らしさは、オーブの国民にとって常識だった筈だ。トールが、それを否定するなど、ミリアリアには信じる事すら出来なかった。

 だが、トールは既に悟っていた。自分の中にあった疑問と、その答えを。

「その素晴らしい理念が何を起こした!? みんなを殺しただけじゃないか!」

「それは……みんなが死んだのは戦争だから! オーブの理念は間違ってない! また平和に暮らせる日が来るわよ!」

 トールの言葉を必死で打ち消し、そしてミリアリアは悲しげに声を落とす。

「……トール。落ち着いてよ。トールまでおかしくなっちゃったら、私……」

「落ち着いてるよ……父さんを殺しても何も感じないくらい」

 トールは苦しげに言葉を吐き出し、そして黙り込む。

 ミリアリアは、そんなトールに涙を落とした。

「トール……」

 ミリアリアは、歩くトールの前に回り込み、抱きつくようにして彼を止める。そして、背伸びするとトールと唇を重ねた。

「…………」

「……トール」

 唇を離し、ミリアリアはトールの顔をまっすぐに見つめて言う。

「好きよ、トール。こんな時だけど……こんな時だから言わせて。好き……トールがどんな時でも、私がずっと一緒にいてあげるから」

 ミリアリアは、トールの冷たく凍った表情を暖めようとでもするかのように、トールの頬にそっと手を添える。

 トールは、ミリアリアのその手に、自分の手を重ねた。

「いきなり、何だよ」

 そう言った後、トールは少しだけ笑う。ミリアリアは、その笑みを見て安心したように微笑み、トールの顔から手を離した。

「今、言わないとならない気がしたの」

「後でも良いじゃないか。安全になった後でも」

 トールは少し呆れたように言って再び歩き出す。その背に、ミリアリアは呟く。

「ううん……今なのよ」

 

 

 

 その後、二人は黙ったまま当てもなく平原を歩いた。

 他の避難民達も同様、当てもなく歩いている。おそらく、このまま戦闘が終わるまで逃げまどうのだろう。

 と……トールは、道から外れた場所にある森の側に何かがあるのに気づいた。目をこらすと、どうもそれはエレカらしい。そのエレカの側で、何かが動いていた。

「……何だろう」

「どうしたの?」

 トールは道を外れ、そのエレカを目指す。ミリアリアも、トールの後をついてきた。

 近づくにつれて、動いていたのは幼い女の子だとわかる。女の子は、エレカの運転席の側で、中に向かって必死で呼びかけていた。

「ママ! ママぁ!」

 その声を聞いてトールは、エレカに向かって走りだす。

 エレカの中には女性が一人、ハンドルにもたれて倒れていた。おそらく、女の子の母親だろう。彼女は、まだ息があったが、右肩から下が鮮血に赤く染まっている。

 車の事故ではない。見れば、エレカの表面にかなりの数の弾痕が穿たれている。

「大丈夫ですか!?」

 トールは運転席に駆け寄って女性に声をかけた。

「私、お医者さんを探してくる!」

 ミリアリアは、トールにそう言うと避難民の達の方へと走って戻る。

 一瞬、トールはミリアリアを呼び戻そうとした。しかし、そうする理由はない。何かを言わなければならない気がした。だが、それが何かわからない。

 この女性を助けた後で考えようと……トールはそう考えてしまった。

「今、医者を呼びに行きましたから!」

 女性に声をかけながら、トールはエレカのドアを開けようとする。その時、女性が掠れがちな声でトールに言った。

「お願い……娘を……この子を……シェルターへ…………」

「ママ!」

 母親の声に、少女は涙声で叫ぶ。その声を聞いてか、女性は少しだけ顔を上げ、少女に向けて微笑んだ。そして、トールの瞳を見据える。

「大事な物は……この子に……地図も…………」

「大事なって……この鞄ですか?」

 少女はが背負った小さなリュック。それをトールは指さす。女性は微かに頷いた。

「そう……お願い。この子だけでも……助けてください」

「しっかりしてください! 貴方も今、助けますから!」

 トールは言うが、何かできるというわけでもない。止血くらいは出来るかと、ドアを開けようとするが、銃撃を受けた時に歪んだのか運転席側のドアは開かなかった。

 女性は、泣いてドアにすがる少女に語りかける。

「エル……ママは、パパのところに行くのよ……パパと一緒に……見守ってるから……ずっと一緒だから……泣かないで、元気に…………」

 そして、女性は糸を切られた操り人形のようにパタリと倒れ伏した。

「ママぁ! いやぁあああああっ! 起きてぇ!」

 少女の悲鳴のような声。そして同時に、トールは空に爆音を聞いた。

 

 

 

 街が燃え始めていた。砲火により始まった火災は消し止める者もなく……燃え広がり、手をつなぎ合うように一つの巨大な炎となり、天を焦がす勢いで燃え盛る。

 街路に倒れた骸の上に火の粉が降り落ちていき、弔いの灯の様に燃えていた。

 オーブ軍、そしてレジスタンスも、さすがにもうミゲルのジンに攻撃を仕掛けてはこない。もう、戦う意志のある者は、ほとんど全滅したのだろう。

 それでも掃討戦の意味も込めて、残敵を探して地上を探るミゲル。

 今までの敵は全て地上から。だから地上を警戒する……しかし、敵は空から攻撃を仕掛けてきていた。

 敵の接近を知らせる警報が鳴った直後、ジンは背中に撃ち込まれたミサイルに吹っ飛ばされる。

「……何ぃ!?」

 ミゲルは、衝撃に揺れるコックピットの中、素早くジンを操作して転倒を防いだ。だが、肩の付け根にミサイルの直撃を受けた右腕が重機銃を握ったまま外れ落ちる。

「ちぃ……ラッキーだ! 背中からコックピット直撃なら死んでいた!」

 ミゲルは恨み節を語る事はせず、今の不意の一撃で死ななかった事を喜んだ。

 振り仰いだ空に見えるのは対MS用ホバークラフト。ジンにまっすぐ突っ込んできたそれは、再びミサイルを放つ。

 ミサイルは、地面に落ちていた重機銃に突き刺さり、炸裂して、装填されていた榴弾の誘爆を誘った。

 至近で起きた爆発に、ミゲルのジンは再びその姿勢を崩す。そこに、20mmガトリングガンが撃ち込まれ、ジンの装甲表面で無数の火花を散らせた。

 装甲で弾いた分はダメージにならないが、関節などの装甲の薄い部分に食らうと障害が出る。

 たちまち、異常を知らせる警報が幾つも鳴り始めた。

「うるさい、拙いのはわかってる!」

 機体が壊れたわけではない。ミゲルは、バーニアを噴かしてジンを飛び上がらせた。

 ほぼ同時に、ジンが先ほどいた場所にミサイルが着弾する。

 それを確認してすぐに着地。そしてミゲルは、左手で重斬刀を抜いた。

 対MS用ホバークラフトは、ジンが射撃武器を失ったのを見て取ったか、高度を上げて距離をとろうとしている。上空から、ミサイル攻撃を一方的にしかけるつもりだろう。

 格闘武器では、上空を攻撃できない。常識的な判断だ。だが、

「あんた、腕は良いけどMSって物をわかっていないな」

 ミゲルは余裕を見せて笑い……ジンに重斬刀を構えさせる。

「MSってのは、汎用性。使い方次第なんだよ!」

 そしてジンは、おもむろに重斬刀を投げた。

 投げるに向いた形をしてるわけではないので、ただの棒を投げたのと大差はなかったが、堅くて質量のある物をぶつければ、十分にダメージにはなる。

 遠距離攻撃はないと高をくくっていた対MS用ホバークラフトの反応は一瞬だけ遅れた。すぐに回避に移ったが時遅く、重斬刀の剣先が横殴りに対MS用ホバークラフトを襲う。

 この一撃を受け、対MS用ホバークラフトは機体側面の一部を爆発させて黒煙を上げ、空中でバランスを崩し、その機首を地上に向けて落下を始める……

 そんな対MS用ホバークラフトの中、一尉はまだ意志を保っていた。

 操縦桿を握りなおし、落ちていく対MS用ホバークラフトの姿勢を立て直す。

「まだだ……オーブの理念を……」

 もう、MSを倒す事は無理だろう。では、どうするか?

 一尉は地表に目をやる。そして、平原に人が集まっている場所を見つけた。間違いなく、オーブの理念の為に戦わず逃げた者達だ。

 最後に倒すべき敵を見つけた一尉は微笑んだ。

「オーブの理念を汚す者……」

 一尉は、操縦桿を握って進路を敵に向けた。

 

 

 

 空に響く爆音に、トールはとっさに空を見上げた。

 見えたのは、黒煙を上げながら落ちてくる対MS用ホバークラフト。

 それは、落下途中でコントロールを回復して機首を上げる。これで落下は免れたとトールは思った。

 だが……対MS用ホバークラフトは、再び地上に機首を向ける。明確な意志の元に。

 落ち行く先にあるのは避難民の群れ。そして、トールはそこにミリアリアの姿を見た。

「やめろおおおおおおおおおっ!」

 絶叫。そして、トールは走る。

 遠く見えるミリアリアも、トールに向かって走っていた。

 祈る。一刻も早く逃げてくれと。しかし、遅い。

 トールは、ミリアリアに向けて手を伸ばした。遠い。届かない。

「ミリィ……!」

 トールの思考が凍る。世界の全てが止まる。無限の長さに伸ばされた一瞬の中で、トールの思考は叫ぶ。

 言いたい言葉があったはずだ……何故、言わなかった? 後で良いと……

 手を伸ばす。届かない。

 ミリアリアの顔に恐怖はなかった。不思議と笑顔に見えた……

 ……ミリアリアの背後に対MS用ホバークラフトが落ちる。爆発。

 爆風に煽られてミリアリアが飛ぶ。破片が彼女の身体を斬り裂き、貫いていく。彼女の形が崩れる前に、追いついてきた炎が彼女の身体を包み込んだ。

 言いたい言葉はもう届かない。ただ一言で良かったのに。

「……僕も君の事が……」

 言葉が形になる前に、爆風の残滓がトールを押し倒し、轟く爆音が残りの言葉を掻き消した。

 

 

 

 ミゲルは、対MS用ホバークラフトの墜落を確認した。

 それから、ミゲルは再び残る敵を探す。

 1台の軍用トラックが突っ込んでくるのが見えた。荷台の上にまで人を乗せ、こちらに銃を撃ってきている。

 見た目、つなぎの作業服を着る彼らは整備兵のようだった。なのに何故、戦場に出てきたのかは、ミゲルには理解も出来なかったが。

 とりあえず、ミゲルも警戒しながらジンを近寄らせていく。軍用トラックから、ロケット弾やミサイルの攻撃はない。銃も景気付けに撃ってるだけの様に見える。

 瞬間、ミゲルは敵の意図を察した。

「またか!」

 今日の戦いで、何度かやられている。今までは重機銃で離れている内に破壊できたが、今は武器がない。

 ミゲルは、バーニアを噴かせて軍用トラックに急接近した。そして、思い切りそれを蹴り飛ばす。

 上空高く蹴り上げられた軍用トラック。それは空で大爆発し、炎と破片を地上に降らした。

 爆薬を満載して、ジンに近づいて爆発させるつもりだったのだ。もちろん、乗っていた連中が死ぬ事など、最初から織り込み済みだろう。

「……オーブ軍は正気じゃない」

 舌打ちしながらミゲルは言う。

 と……その時、通信機が鳴った。

「はい、こちらミゲル」

『こちらガモフ。状況はどうか?』

 連絡してきたガモフの通信兵に、ミゲルは冷静に報告を返した。

「へリオポリス内の主戦力の掃討を完了。当方の被害ですが、ジンは中破。武装も失いました」

『自力での帰還は可能ですか?』

 問われたので、ミゲルは機体をチェックする。色々と故障が出ているが、足とバーニアは無事だ。

「歩行に支障なし」

『了解。陸戦隊が、港湾部の敵の掃討を完了。奪取に成功した。港湾部からヘリオポリスを脱出せよ。ガモフが回収する』

「了解。これより帰還します」

 返答し、通信を切ってから、ミゲルは深く溜息をついた。

 何か、酷く疲れた気がする。

「これで……ヘリオポリスの制圧は完了か。何か、酷く無駄な戦いをした気分だ」

 そもそも、どうしてヘリオポリスのオーブ軍やレジスタンスが戦いを選んだのか? 今日、戦場に出てきた兵器を見れば、戦う前から結果がわかりそうなものだ。

 それに、オーブ軍やレジスタンスは、躊躇無く市民を巻き込んでいた。

 ミゲルはそれを苦々しく思う。

 一応、軍人として市民を守るという心得は教えられてきた。ZAFTの軍人は、英雄志向が強い。英雄は弱い者を守るのだという単純な教えである。

 当然の様に個人差は大きく、弱者の保護よりも戦果をとる者も少なくはない。

 ミゲルはというと、どちらかというと中道。個人的に戦果を上げて給料を稼がねばならない事情があるが、かといって心が痛まぬほど非道でもない。

 今日、何人、武器を持たない市民を殺したのだろうか?

 ナチュラルを殺しただけならまだ良いが、ここがオーブ領である事を考えると、少なくない数のコーディネーターも殺した事だろう。敵国人とは言え、同胞殺しはさすがに気がとがめる。

「こんな狂った戦いはもうたくさんだ……帰ったら、オロールの奴にたかり尽くしてやる! 本来ならあいつの任務だったんだからな!」

 無理に気合いを入れながら帰還の途につくミゲル。

 彼が去った後には、砲火に砕かれ炎に焼き尽くされた廃墟と、無数の屍のみが残されていた。

 

 

 

 トールは、這う様に歩いて、黒い欠片を拾う。指がないが、たぶん手。

 その部品を大事そうに手に取り、トールは既に並べられている部品の所に付け足す。

「手だよミリィ。指がないけど……ごめん、まだ右足が見つからないんだ。見つけないと、歩けないよね。……うん、君のお父さんとお母さんも待ってるよ。僕の父さんも、母さんもね。ちょっと待ってて……」

 トールは、黒こげの部品を集めていた。また這い回り、今度は足を見つけてくる。遠くに飛ばされていたので、ちょっと時間がかかった。

「お待たせ……足だよ。これで、行けるだろう?」

 部品は、かろうじて人とわかるくらいにはそろっていた。

 でも、ミリアリアの顔が見つからない。

 もう一度、ミリアリアの笑顔が見たかった。見る事が出来たら、言いたい言葉がある様な気がしていた。

「……お兄ちゃん」

 少女が、怯えながらトールに話しかける。人の物とも思えない死体に優しく話しているトールの姿は怖かったが、少女には他に頼る人はいなかった。

 少女の名前はエルと言った。トールは、エルを見ると虚ろな笑顔を見せる。

「ああ、そこにいたんだ。探したよ……ミリィ」

 トールは怯えるエルに歩み寄って、優しく彼女を抱きしめた。

「探したんだ……居なくなったかと思った。でも、そんな事無いよねミリィ」

「ち……違うよ、私、ミリィじゃ……」

 エルは言いかけたが、トールの焦点を結ばない目が怖くて黙り込んだ。

 トールは、エルの声が聞こえていなかった様子で、何の反応も見せないままエルの背負うリュックに手をやる。

 中を探ると、数枚のディスクと地図が出てきた。地図には、この先の森の中にある森の管理小屋の位置と、何やらパスワードらしき英数字の羅列が書かれている。

「ここがシェルター?」

「うん……ママが、パパが作った秘密の場所なんだって」

 エルの記憶に、今日の出かけがけにママの言っていた言葉がよみがえる。そして、移動中にあった出来事……怖い人達に追いかけられ、ママが怪我をし、死んでしまった事が……

「ママと……逃げる筈だったの」

 涙を溢れさせるエルを、トールはまた優しく抱きしめる。

「泣かないでよミリィ。僕が守るから。必ず……必ず守るから。ずっと一緒にいるから。だから、笑ってよ」

「……私、エルだもん」

 守ると言ってくれる事、ずっと一緒にいてくれる事、優しく抱きしめてくれる事は嬉しい。でも、やっぱりトールは怖い。

 エルは、涙を拭ったが、笑顔を見せる事は出来なかった。

「笑って……駄目かな? じゃあ」

 トールは少し困った様子で考え込んだ後……少し照れた様に微笑む。

「恥ずかしいけど、さっきミリィもしてくれたから」

「え?」

 トールは、驚き戸惑うエルの唇に唇を重ねた。

 

 

 

 シャトルの窓の向こう、ヘリオポリスはどんどん小さくなっていく。

 カガリは、あふれ出す涙が水滴となってシャトル内に漂うのもかまわず、ヘリオポリスを見つめながら涙を流していた。

「……お前達の死は無駄にしないぞ。約束する」

 決意の言葉を、繰り返し、繰り返し、カガリは呟く。

 ヘリオポリスで流された尊い血は、オーブの理念を守る為に必ずや貢献するだろう。カガリは、その事に確信を持っていた。

 シャトルは緩やかに地球を目指す。数日後には、カガリはオーブ本国に着くだろう。

 そして、国民はヘリオポリスの悲劇を知り、涙し、英雄達をたたえ、そして改めて理解するのだ。オーブの理念の大切さを。

 オーブは、今以上にオーブの理念を大切にするだろう。そして、オーブの理念に背く者は、改心の涙を流す事となるだろう。

 カガリは、オーブの理念が絶対となる理想的国家を思い、その礎となったヘリオポリスの英雄達を思って涙する。

「オーブの理念の為に……私も、私の戦いを全うし、お前達に報いる。約束だ」

 ヘリオポリスは遠く見えなくなりつつある。

 そして地球は、きわめてゆっくりとだが、その姿を大きくしていた。

 

 

 

 二人が歩いた時間は、そう長くはなかった。

 なおキスの事は、エルがあまり良くわかってなかったので、特に問題とはなってない。エルにしてみれば、それでトールが少し怖くなくなったので、それで良かったのだ。

 二人は仲良く歩いて、地図にあった管理小屋に入り、そこに置き捨てられていた様な古いコンピューターを起動させた。

 コンピューターが管理者のパスワードを要求してくるので、地図にあったパスワードを入力する。と、管理小屋の床の一部が開き、中へ降りていく階段が現れた。

 二人は素直にそこを降りていく。かなりの深さまで続く階段を下りきり、頑丈な気密扉をくぐって中に入る。中には、シェルターらしからぬ豪邸の様な空間が広がっていた。

「これは……凄いな」

 トールはさすがに驚きながら、つややかに磨かれた廊下の上を歩いていく。エルの方は、こういった場所に慣れている様で、驚いては居なかった。

 二人は、手を繋いで歩きながら、シェルターの中を見て回る。

 家族用の寝室や居間。保存食を満載した食料庫。何やら金目の物がたくさん積まれた部屋。ちょっとした会議室やコンピューター室。超長距離通信の設備まである。

 トールには知るよしも無かったが、ここはヘリオポリス行政官が密かに作り上げた、彼と彼の家族の為のシェルターだった。

 不正に蓄財した財産の隠し場所と言っても良い。

 ただ、入り口が遠いという理由だけとってみても、緊急避難には全く役に立たない事がわかる。実際、先の連合MS奪取の為のZAFT襲撃の時、エルと母親は別のシェルターを利用していた。

 ともあれ行政官は、彼自身とその家族を守る事を夢想しながらここを作り上げ、それを果たすことなく散ったわけだ。

 そして、ここはセイラン派の極秘の拠点としての意味も持っていた。行政官の私財のみならず、セイラン派にとって重要な物も隠し置かれている。

 トールとエルの二人は、シェルターの中を回った後、最後に格納庫を開けた。

 そこでトールは、それに出会う。連合のブルーコスモス派閥に親しいセイラン派が、そのつてを使って手に入れた物と。

 格納庫にあったのは、緊急脱出用のシャトルと……それ。

 それを見た時、エルは怯えてトールの背に隠れた。

 一方トールは、魅せられた様に、それに向かって歩みを進めた。

 それ……シャトル並みの大きさの機体。単眼が幾つかついた蜘蛛の様な姿。後方に長く伸びる2本の大型スラスター。巨大な鎌になっているマニピュレーター。正面に向けて搭載された2門のビーム砲と左右に4連ずつで計8連のミサイル発射口。

 明らかに兵器であり、無機的な威圧感を冷ややかに放っている。

 トールはふらりとそれの前に立った。

 機体に、ネームプレートが貼り付けてある。

 その名はこう読めた。

 

 TS-MA-04X ZAKRELLO testtype code:mystere1

 

「ミステール1……」

 その名を呟くトールは、滲む様な狂気をまとっていた。


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