シルバーウィンドは、途中、漂流中のMSシグーとパイロットを回収するというトラブルこそあったが、順調に暗礁宙域へと向かっている。
そんな、シルバーウィンドのパーティホールの中、航海の安全を祈るという名目で、ラクス・クラインのコンサートが行われていた。
船の外縁に位置するこの部屋は、船の外殻をスライドさせて開く事で、壁の一面を窓とすることが出来る。
ラクスは星々の輝きと地球光の差すホールの中央に浮かび、スポットライトに照らし出されながら、歌声を紡ぎ出していた。
一方聴衆は光に浮かび上がるラクスを取り囲む闇の中にいて、ホールのあちこちに浮かんで漂いながら、音一つたてず、身動き一つせず、ラクスの歌に聴き入っている。
ラクスは歌いながら僅かに眉を顰めた。ホールの暗がりの中、シルエットでしか見えない漂う聴衆が、まるで生きていない物のように感じられて。
いつからだろう。ラクスが、歌う事に違和感を感じ始めたのは。
歌う事は好きだった。人々が、ラクスを歌姫と褒めそやすのも最初は気分が良かった。
しかし……何かが違う。
他の歌手の歌を聴いた時、人は感動を見せるものだ。激しい曲に熱狂し、悲しい調べに涙を流し、滑稽な詩に笑う。
しかし、ラクスの歌は、死んだような無反応を呼ぶ。
人々は他にあり得ない安らぎを感じているのだという。忘我の彼方に送られるような強い安らぎを。それ故の無反応なのだと。
実際、歌が終われば人々はラクスを褒め称えて止まない。人々に強い安らぎを与える歌い手、ラクスこそ平和の歌姫だと。
だが、その評価にラクス自身が疑問を持ち始めていた。
自分の歌を録音して聞いた事がある。しかし、その歌は……ラクスからするとそんな安らぎを感じるものではなかった。下手ではないにせよ心を打つ所のない空虚な歌だとしか思えなかったのだ。
それでも、人が喜ぶならと請われるままにラクスは歌う。歌姫の役割を果たす為に。
只一人、光の中で歌うラクス。それを聞く者達は闇の中にいて、まるで人形の様に、まるで死者のように、意思無く漂っていた。
同じ頃、シルバーウィンドの船内、灯が落とされて薄暗い倉庫ブロック。そこに、つなぎの作業服を着た少年が忍び込んでいた。
手に工具箱と機械部品を持った少年は、周りに注意を払いながら倉庫の中を荷物伝いに飛び、奥を目指す。そこには、回収されたシグーが、ワイヤーで床に固定されていた。
少年は迷わずにシグーにとりつき、慣れた様子で工具箱を開いて、メンテナンスハッチを開ける。シグーの修理を始める為に。
本来、軍用機であるMSに、民間船の雇われメカニック見習いの少年が手を付けて良いはずがない。
しかし、少年は、何時か軍に入ってメカニックになり、MSに触れる事を夢見ていた。
壊れたMSを、動かせるようにしたい。自分の手で。
その夢に触れるチャンスが目の前にある。少年の好奇心と、MSを修理してみたいという夢は、少年には抑える事が出来ない物であった。
少年はメンテナンスハッチに上半身を突っ込んで、懐中電灯の小さな明かりを頼りに修理を続ける。
シグーは、腰から下を全損しているが、上半身……つまり、今残っている部分はほぼ無傷。動作不調の原因は、下半身が失われた事に起因する。
下半身を付け直す事など出来ないので、少年の施している修理は、破損している下半身を完全に切り離し、上半身だけでも正常に稼働させるというものだった。
「よし、これで……」
最後の部品交換を終えて、少年は機械油に黒く汚れた顔に笑みを浮かべた。
これで直ったはずだ。自分が、このMSを直したのだ。そんな、満足感が一気に湧き出してくる……
と、その次の瞬間、少年の身体はメンテナンスハッチから乱暴に引きずり出されていた。
「こいつ!」
怒声と同時に、少年の頬を熱い衝撃が襲う。殴られたと気付いた時には、少年の身体はシグーを離れ、倉庫の宙を漂っていた。
少年は眼下に、厳つい作業着姿の壮年の男……メカニック主任の姿を見る。彼は、顔を怒りに赤くして宙を漂う少年を見上げていた。
「何を勝手に弄ってやがる!」
「ご……ごめんなさい!」
反射的に謝る少年は、そのままどうする事も出来ないままに倉庫の中を飛んでいき、反対側の壁に背を打ち付けて呻く。
そんな少年に、主任は側を漂っていた工具箱を拾って投げつけた。工具箱は少年の後を追うように飛び、思わず身体を縮ませて身をかばう少年から僅かに離れた壁に当たり、大きな音を上げてその中身を吐き出す。
「馬鹿野郎が! ガキが玩具にしていいもんじゃないってぐらい、わからねぇのか! そいつを片づけて、とっとと部屋に戻りやがれ!」
「は、はい!」
少年は慌てて、宙に舞う工具を集めて工具箱に放り込み、壁を蹴って倉庫の外へと向かった。
主任はその背を見送り、少年が倉庫の外へと出て行ったのを見届けてから溜息をつく。
「わからないわけじゃねぇがなぁ……厄介な事をしでかしてくれるぜ」
このシグーは、軍に返さなければならない。その時、勝手に修理した跡があれば、問題になるに決まっている。
どうしたものかと考えながら、主任はメンテナンスハッチを覗き込む。
「こいつは……へぇ、上手くやってやがる」
修理跡を見て、主任の顔に笑顔が浮かんだ。
修理は完璧に近い。まだまだ技は未熟であるが、やるべき事は全てやってある。
「将来が楽しみな奴なんだが……」
主任の見立てが正しければ、少年はメカニックとして大成するだろう。
だからこそ、今回のこの悪戯をどうしようかと、主任は頭を悩ませていた。
暗礁宙域。地球周辺を漂う宇宙のゴミが、最終的に集まる場所である。
宇宙の塵と言うべき大小の岩塊、コロニーや宇宙船から不法投棄された廃棄物、宇宙開発時代やコロニー建設期に出た膨大な廃材、かつての戦争で破壊された兵器の残骸、様々なデブリが重力の関係でここに集まって澱む。
それは危険な障害物が多いという事であり、宇宙船の航行には不向きだった。しかし、隠れ潜むには絶好の場所とも言える。
アークエンジェルは、無数に浮かぶ岩塊を避けながら、暗礁宙域深く進入した。
そのアークエンジェルの艦橋の中は、緊張が支配している。
操舵手のアーノルド・ノイマンは、アークエンジェルの巨体を操り、障害物に当てないように細心の注意を払っていた。
また、索敵手のジャッキー・トノムラは、アークエンジェルの進路上に無数にあるデブリをレーダーで把握し、致命的な衝突が無いようにチェックする作業にかかっている。
それを見守るナタル・バジルールも、緊張を隠せなかった。
ナタルは連合軍第81独立機動群から命令を受け、アークエンジェルをここまで運んだ。そして、指示された邂逅の時間は迫っている。
しかし、ここで迎えに会えなかったら? そんな不安が、ナタルの心中に渦巻いていた。
このデブリの多い暗礁宙域で、自分達は見つけてもらえるのか? 敵の方が先に見つけたらどうするのか? そんな不安。
だが、幸いにもその不安は、杞憂のままに終わった。
「通信、来ました。ドレイク級宇宙護衛艦“ブラックビアード”です」
通信士がナタルに報告し、通信をそのままナタルに回す。
『時間通りだな』
通信モニターに映ったのは、顔の下半分を髭で覆った野卑な印象の男。黒い士官服を胸元を大きく開けて着ており、軍紀など気にしてない様子がうかがえる。ついでとばかりに制帽に髑髏のバッジが付けられているのをナタルは確認した。
少佐の階級章を付けていると言う事は、彼が艦長なのだろう。
「こちらは、アークエンジェル艦長、ナタル・バジルール……」
『挨拶はいい。話は聞いている。俺は艦長の……まあ、黒髭とでも名乗っておこうか。本名はそうだな、後でベッドの中で教えてやるよ』
男……黒髭はそう言ってナタルの挨拶を遮る。そして、髭を手で弄びながら、大儀そうに話を続けた。
『さっそく、ねぐらに案内して……と言いたい所だが、そうもいかねぇ。獲物が見つかったんでな。まずは一仕事。後は、それからだ』
「そんな……話が違います!」
合流すれば補給と修理が受けられると思っていたナタルは、思わず身を乗り出して抗議した。しかし、黒髭は小指で耳をほじりながらその抗議を聞き流す。
『わかるが、こちらも見逃せない獲物でね。安心しな、チョロいヤマだ。あんたらにも手伝って貰えば完璧だ』
「アークエンジェルは小破している上に、避難した民間人が乗って居るんですよ?」
手伝えと言われて、ナタルは難色を示す。とは言え、この意見は聞いてももらえないだろうという予感はあった。
その予感は、黒髭の次の言葉で現実となる。
『任務は、この暗礁宙域に入ったプラント船の臨検。アークエンジェルは周辺警戒。船には俺達が踏み込む。楽な仕事だろう? 嫌なら、ここで待っていてくれても良いが?』
「ここで……ですか?」
ナタルは考えた。
とりあえず、抗弁してどうにかなる状況では無さそうだ。
戦闘には参加したくない。では、ここで待つのか? しかし、この不慣れな場所で、敵に怯えながら時間を過ごすのは避けたかった。
少なくとも、任務に同行すればブラックビアードの支援下で活動は出来る。この暗礁宙域での活動に慣れているだろう艦の支援下で。
「……わかりました。任務に協力します」
選択の余地無しと諦め、ナタルは任務への協力を了承した。
それを聞き、黒髭の口髭が僅かに動いたのは、笑ったからなのかも知れない。
『助かる。こっちは海兵どもこそ売るほど居るが、MAは在庫切れなんでね』
彼がそう言った次の瞬間、ジャッキー・トノムラが報告の声を上げた。
「左舷、小惑星群の陰から戦闘艦出現! ドレイク級宇宙護衛艦です! こんな近くにいたのに、発見できなかったなんて……」
アークエンジェルのかなり近くに、ドレイク級宇宙護衛艦が姿を現していた。
それまで発見出来なかったのは、暗礁宙域での隠密活動に長けているからで、特殊な装備がついているわけではない。
黒色に塗られたその艦は、ついて来いとでも言うかのようにアークエンジェルの先に立って走り始める。
ナタルは、その艦をメインモニターの中に見ながらアーノルド・ノイマンに命じた。
「あの艦に続け。これより、アークエンジェルはドレイク級宇宙護衛艦“ブラックビアード”を支援する」
『砲撃!』
「っ!」
シミュレーターのシートの中、サイ・アーガイルはムゥ・ラ・フラガの声に従って引き金を引いた。
モニターの中、照準の中にいたジンが身を捩る。破壊された様子が無いという事は、砲撃は外れたのだろう。
しかし、その動きはまだモニター上に捉えている。サイは照準を再びジンに合わせ、もう一発撃とうとした。
『撃ったら移動しろ! もう一機、来てるぞ!』
ムゥの声がコックピット内に響いく。その声の直後、レーダーに目をやったサイは、接近してくる別のジンに気付いた。
接近されては、ミストラルでは太刀打ちできない。サイは慌てて、ジンから離れる用にミストラルを動かす。
『戦闘中は移動、砲撃、移動を繰り返せ! 動かずに撃つ奴は落とされるぞ!』
ムゥの怒声を聞きながら、サイは移動をして接近中のジンに砲の照準を合わせていく。何度かの移動の後、サイはようやくジンを照準の中に捉えた。
「よし、落ちろ!」
命中を確信する。だが、そこに警告音が響いた。
モニターは動きを止め、ジンの攻撃によってサイのミストラルが撃破された事をメッセージで表示される。
サイを撃ったのは、最初に砲撃を加えた後に逃したジンだった。もう一機に気をとられてるうちに、接近を許してしまったらしい。
『また死んだぞ! 戦場を広く見ろ。敵は一機じゃないんだ!』
通信機越し、ムゥにまた叱られる。
サイは、コックピットの中で肩を落とした。
砲戦型改造機とは言え、ミストラルでジン複数機を相手にしろと言うこのミッションに、サイはずっと失敗し続けていた。
撃墜をする必要はなく、一定時間、後方にある艦への接近を阻み続ければ良いというものなのだが、それでも難易度が高すぎる。
ただ、それを指摘して言い訳をすると殴られる事は経験済み。『敵が、こちらの実力を考えて手加減してくれる筈はない』などと言われれば、もっともだと認めるしかなかった。
『もう一度だ。勝てるまで、休ませたりは……』
スパルタな事を言うムゥの台詞が途中で止まった。
そしてそのままムゥは黙り込む。おそらくは何かがあったのだろう。シミュレーターの中のサイには知る事は出来ないが。
『サイ、予定変更だ。シミュレーターを出ろ。パイロットはブリーフィングルームに集合だ』
「了解です」
サイは言われるままにシミュレーターのハッチを開けた。
外の光に一瞬、目を細めながら、サイはシミュレーターを出る。
そこに待っていたムゥが、サイにタオルとドリンクのボトルを投げた。
無重力の中、宙を漂って飛んできたそれをサイは受け取り、タオルは手に握り込んでまずはドリンクボトルから伸びたストローに口を付ける。
渇いていた喉に、冷たいスポーツドリンクが流れ込んでくると、シミュレーター訓練の疲れが退いていく気がした。
「まだまだだな。マリューよりはマシだが」
「あー……そうなんですか?」
ムゥの評価に一瞬落ち込みかけたが、マリューよりマシと言われてサイは顔を上げる。
ムゥはすっかり苦り切った顔で言った。
「あのデカ顔をつかまえて、甘いマスクがどうとか言いやがるんだぞ? 聞いて、耳があった事を後悔したね、俺は」
「シミュレーターの評価じゃないんですか?」
半ば呆れたような口調でサイは聞く。
ムゥは、軽く肩をすくめると、さっさとブリーフィングルーム目指して移動を開始した。気付けば、ムゥは何かのファイルを手に持っている。訓練中断の理由はこれだろう。
サイは、ドリンクのボトルを手に、タオルで汗を拭きながらムゥの後を追った。
艦内の通路に入り、ガイドレールに掴まって飛ぶ二人。と、居住区への分かれ道にさしかかった所で、壁に背を預けて通路にたたずむフレイ・アルスターの姿が見えた。
フレイは、両の手を背に隠した姿勢でサイに一瞬だけ目をやり、すぐにその視線を下へと落とす。
サイは、フレイに話しかけようとしたが、フレイの動作を拒絶だととり黙り込んだ。
ムゥとサイは、フレイの目の前を通り過ぎていく。
やがて、フレイが見えなくなった後に、ムゥはサイに聞いた。
「彼女とは上手くないのか?」
「え? ええ、まあ……何もかも僕が勝手に決めた事ですから」
サイは諦めすら感じられる笑みで答える。
いっそフレイがサイから離れて行ってもかまわない。ただ、フレイを守る事が出来れば。サイはそんな思いさえ抱いていた。
いつ死ぬかわからない兵士の自分が、いつまでもフレイの気持ちを縛るべきではないとさえも。
そんな思いこそがフレイを傷つけていると、気付く事はない。
フレイは、そんな思いを抱いてまで、戦って欲しくなど無いのだ。
ムゥはその辺りを察していたが、口を挟むべきではないと判断していた。
言うべき言葉がない。フレイに、サイを戦場には出さないなどと約束する事は出来ないし、婚約者を諦めろとフレイに言う事も出来ないのだから。
「まあ……婚約者がいきなり戦場に出て、それで驚かない奴も居ないさ。きっと、その内わかってくれるよ」
当たり障りのない事をムゥは言っておく。二人がわかりあった結果、二人がどうなるのかは想像出来ない……無責任な話だ。
ただ、今の二人の関係が硬直するのは良くないと思った。
何か、少なくとも話し合う切っ掛け位は必要だろう。
「そうだ、サイ・アーガイル。お前に特別任務を与える!」
「はい!」
ムゥがいきなり声を上げたのに、サイは思わず声を大きくして返事する。
そんなサイに、ムゥは大真面目に言い放った。
「彼女から、お守りを貰ってこい」
「え? お守り……ですか?」
理解してないらしく、サイは首をかしげる。
まあ確かに、一般人の知る事ではないし、ましてや相手はまだまだ子供だ。
「ん? ああ、知らないのか。彼女のな、その……あそこの……毛をだな。乙女だと効果が高いぞ。タマに当たらないなんつってな」
ムゥはサイに良からぬ事を囁いた。サイの顔が、みるみるうちに紅潮していく。
「な……何を!? そんな事、出来るわけ無いじゃないですか!」
「命令だ、命令。やらなかったら、命令不服従で独房に入れる!」
「横暴ですよ!」
上官命令だと言い切るムゥに、サイは必死で抗弁する。
二人はそのまま、ブリーフィングルームに入っていった。
「……っ!」
通路の向こうに消えていくサイを見送った後、フレイは後ろ手に持って隠していたドリンクボトルとタオルを、床に向けて乱暴に投げつける。
ドリンクボトルは床に当たって跳ね上がり、タオルの方は床に着く前に勢いを無くしてゆっくりと漂った。
「……何やってるのよ、私」
投げた反動で天井近くまで浮かび上がりながら、フレイは悔しげに呟く。
本当は話がしたかった。ドリンクとタオルを差し入れて、少し話をして……
それだけの事だったのに、フレイは何もする事が出来なかった。
「サイが……悪いのよ。勝手に、軍隊なんかに入っちゃうから!」
苛立ちをサイにぶつけてみる。
だが、それが間違っている事はフレイ自身ですら理解していた。
ブリーフィングルームには、先に来ていたマリュー・ラミアスが会議机についていた。
彼女は、眠そうに目をショボショボさせながら、手にしたドリンクパックを揉んで中の黒い液体を掻き混ぜている。
その泥水さながらの液体……スペシャルブレンドと揶揄される、超濃い口のコーヒーを毒でも煽るみたいに一息で飲み干し、マリューは死にそうな表情を浮かべた。
そんなマリューを見ながら、サイとムゥは会議机に座る。
「……サイくん、調子はどぉ?」
スペシャルブレンドを胃の中に納めきったマリューは、会議机の向こうから微笑みかけた。
「大丈夫です」
「そう。良かった。私の方はダメかも。眠ってから、一時間で起こされたのよ?」
緊張しながらも答えたサイに、マリューは安堵して見せた後、不満を並べ始める。
軽口で緊張をほぐそうとしてくれているのだとサイは好意的に受け取っておくことにしたが、本当に愚痴をこぼしたかっただけの可能性は否定出来なかった。
「寝不足で肌が荒れるわ、コーヒーで胃が荒れるわ、もう大変な勢いで……」
「マリュー大尉。無駄話はそこまでにしておこう」
ムゥが、滔々と流れ始めたマリューの愚痴を止める。
「任務を通達する。これよりアークエンジェルは、別任務にあたる僚艦ブラックビアードの支援を行う。資料を渡すから軽く見ておけ」
言いながらムゥは、ファイルから紙を一枚取り出してマリューとサイに渡した。
「ブラックビアードの任務は、ユニウスセブンでの追悼式典に参加する政府要人を乗せていると思われる、このシルバーウィンドの臨検。となってるが、実際は拿捕するつもりだろう」
政府要人なんて獲物を、臨検してそのまま素通しなどするはずもない。
「船足を止め、まずはランチに乗った海兵隊が移乗する。海兵隊が抵抗を排除したら、ブラックビアードはシルバーウィンドに接舷し、本格的に内部の臨検を始める」
ムゥは話を一度切り、マリューとサイにこれからが重要だと無言で示してから、再び話し始めた。
「俺は海兵隊の乗るランチを護衛する。ラミアス大尉はシルバーウィンドに接近して待機。敵の抵抗があったら排除して貰う。サイは、アークエンジェルの直掩と、俺達への後方支援だ。何か質問はあるか?」
「ねぇ、この攻撃目標のシルバーウィンドって船、船種が客船になってるけど? まさか、軍艦じゃなくて民間船? 民間船への攻撃なんて……」
マリューはシルバーウィンドの資料を指し示しつつ、非難がましく聞いた。
そんなマリューに、ムゥは何言ってるんだとでも言わんばかりに呆れた口調で返す。
「通商破壊工作とかじゃ民間船でも容赦なく……いや、今回は要人誘拐か? 何にせよ、軍事作戦としては珍しくはない。主に特殊部隊の管轄だが、一般部隊でもやる事だ」
要人を捕獲して、敵の政治活動を阻害したり、交渉材料として利用したりといった事は、軍事作戦の一種として普通に有り得る。
ただ、そういった事があまり行われないのは、要人は大概の場合、敵に厚く守られた本国にいて手の届く所に出てこないからだ。
逆に、敵の要人が手の届く所にいる場合には、積極的に行われた事ですらある。
「卑怯だわそんなの」
マリューは嫌そうに眉を顰めて言葉を漏らす。マリューは、搦め手を嫌い、真正面から戦闘を挑みたがる性分であり、悪く言うと正義の味方ごっこがしたい軍人であった。
しかし、嫌だからと言って命令を拒否出来るはずもない。
「命令だ。納得いかなくても飛んでもらう。面倒はかけさせるなよ。パイロットを抗命なんぞで営倉に放り込んで遊ばせてる暇なんて無いんだ」
すかさず、ムゥが釘を刺した。それを受け、マリューは少しだけムゥから視線を外し、それからムゥを見返すと吐き出すように言った。
「わかっております、フラガ隊長」
「結構だ。サイも良いな?」
ムゥは頷き、そしてサイを一瞥する。それに答えて、サイははっきりと言った。
「はい。僕も軍人です、命令はこなして見せます」
「よく言った、サイ・アーガイル准尉」
サイの返事を受けてムゥは口端に笑みを乗せ、サイを階級付けきで呼んだ。
「え? 准尉って僕がですか?」
階級がついた事に嬉しさを感じ、笑顔を浮かべようとするサイに、ムゥは意地悪げな笑みに顔を歪めて、冷たい声で言う。
「ああ、戦時任官だ。これからお前にぶら下がる、責任の重さって奴さ。階級は飾りじゃない……常に、階級と相応の結果を求められる」
学ばなければならない。階級とは、つきまとう責任の表れであり、見栄を張る為の装飾ではないのだという事を。
しかし、ここまで言ってからムゥは表情を緩めた。
「と、脅かしすぎるのもなんだな。お前はまだ准尉、パイロットとしては下の下だ。まだ、周りに頼る位のつもりでいろ」
「は……はい」
サイが複雑な表情で頷く。ムゥの言葉に気圧されているのが見て取れた。
そんなサイをそのままに、ムゥはサイとマリューに言う。
「話がそれたな。任務について他に質問は無いか? 無いなら、格納庫へ移動しよう。各自、機体に搭乗して作戦開始まで待機する」
『これより、アークエンジェルは戦闘行動に入ります。危険ですので、避難民の皆さんは部屋からでないようにしてください』
アークエンジェル内に放送が行われる。
フレイはそれを、避難民に与えられている居住区の一室で聞いた。
一般兵士用の大部屋だったそこは、天井まで届く大きさの無機質な三段ベッドがぎっしりと並べられているだけの場所で、生活するには窮屈な場所である。元々、兵士達が寝る為だけに利用する部屋なので、居住性は切り捨てられているのだ。
そこに暮らす避難民達は、非難生活の今、こんな生活であっても仕方がないとは思っていても、ストレスが溜まる事はどうしようもなかった。
今、避難民達は不安そうに顔を見合わせ、どうして早く地球を目指さないのかと不満を口にしている。
不満の原因は一つとして、誰も現状がどうなっているのかを知る術がない事があった。
時々状況説明はあるが、連合軍との合流の為に鋭意努力中といった説明にもならない事ばかりである。しかし、軍事行動である艦の動向を、民間人に教えるはずもない。
正しい情報が与えられない事は人を不安にし、不安は人を苦しめる。
フレイもまた、ベッドに横たわりながら、その苦しみに耐えていた。
毛布と身体をベッドに固定するバンドに締め付けられるよりつよく、胸の中が押し潰されるような感覚に、フレイは身を赤ん坊のように縮こまらせて震える。
戦闘が始まるという。そして、おそらくはサイも出撃するのだろう。
今この瞬間、そして次の瞬間、サイは敵に殺されてしまうかもしれない。いや、フレイが知らないだけで、既に死んでいるのかもしれない。
自分の知らない所で大事な人が死んでしまう。それを恐れる心が、フレイを狂わさんばかりに責め苛んでいた。
「サイ……死なないで」
呟く祈りは、サイに届く事はない。
パイロット控え室でヘルメットを手に入れてから格納庫に入り、サイは与えられた自機に向かって飛んだ。
ミストラルなのは変わりない。しかし、その頭頂部に一門の砲が取り付けられている。
M69 バルルス改特火重粒子砲。先の戦いで撃墜したジンが使っていた銃を、メカニック達がミストラルの武装強化の為に取り付けたのだ。
他、有線誘導対艦ミサイルが四基、機関砲二門が武装の全て。先の出撃の時と違い、それなりの時間をかけて改造されているが、MSと真正面から戦える物ではない。
砲戦型ミストラル改。不格好だが、これだけがサイの武器だった。
サイはハッチを開け、コックピットに身を沈める。そして、ヘルメットを装着した。
これで二度目の出撃となる。でも慣れはしない。戦場へ出る事は恐ろしくてたまらなかった。
湧き出してくる恐怖を鎮めようと、サイは出来る限り別な事を考えようとする。
シミュレーションの事を思い返し……敵にやられた事ばかりを思い出して不安がふくれあがり、慌てて頭を切り換えて次はムゥの指導を一つ一つ思い返していく。
と、サイは関係のない事を思い出した。
「……お守りかぁ」
効くのだろうか? 効くのなら、一つ位欲しいなぁと。
しかし、その入手方法を思い返して、サイは顔を朱に染めて両手で頭を抱え込んだ。
「いや、そんなのどうしようもないじゃないか! どうやってもらうんだよ!」
『あら、お守りが欲しいの?』
不意に、通信機から声が聞こえる。
顔を上げたサイの前、通信モニターにマリューが映り、手を振っていた。
『お守りってアレでしょ? フラガ大尉ね、そんなの吹き込んだの』
「な……いっや、その!」
変な発言を聞かれて狼狽するサイに、マリューは朗らかに笑ってみせる。
『こんなんで慌てちゃって可愛いじゃなぁい。お姉さんので良かったらあげよっか?』
「ええっ!? いえ、その、結構です!」
慌てて断ったサイに、マリューの笑みは悪戯っぽく歪んだ。
『あ、やっぱり恋人の方がいっかぁ。そうよねぇ』
「からかわないでください!」
サイが声を上げた直後、マリューの表情は優しいものへと変わる。
『元気良いじゃない。それだけ元気なら、お守りなんて無くても平気よ。それに、そのミストラルは、メカニックみんなと私が腕によりをかけたんだから……信じて頑張るの。いいわね?』
言うだけ言って、マリューは一方的に通信を切った。
サイは何も映さないモニターを見つめ、マリューは自分を激励しようとしていたのだと悟る。
お礼でも言おうかと、サイは通信を送ろうとした。しかし、それよりも一瞬早く、艦橋からの通信がつながる。
『目標発見。待機中のパイロットは出撃準備に入ってください』
「……了解」
サイは操縦桿を固く握りしめ、再びせり上がってきた恐怖と不安を、湧き出してきた唾と一緒に飲み込んだ。
暗礁宙域外縁。ローラシア級モビルスーツ搭載艦が、ゆっくりとその船首を暗礁宙域に向け、その中へと進んでいった。
目的は通常の哨戒任務であるが、今回はシルバーウィンドの安否確認も含まれている。
動かしているのがコーディネーターであろうと、暗礁宙域の危険さは変わりない。その為、航行は慎重な物となる。
その為、艦のMSカタパルトでは、ジン二機とジン長距離強行偵察複座型が一機が出撃準備に取りかかっていた。
偵察型ジンの任務は、艦に先行して障害や敵の存在を探る事。他のジンは、偵察型ジンの護衛とサポートである。
「隊長、シルバーウィンドにはラクス・クラインが乗ってるそうですよ」
偵察型ジンのコックピットで、偵察小隊の隊長は、背後の席に座る情報収集要員の部下の言葉を聞いていた。
「そうか、サインもらえると良いな」
「ははっ、そうですね」
隊長の言葉に、部下は笑う。降りてどうこうするわけではないので、ラクスのサインなんてもらえるわけもないという事はわかりきっていた。
『良いな。俺も欲しいですよ』
『ラクス様は俺の嫁だ。お前、恋人居るから良いだろうが』
「いや、もらえるわけ無いし、そもそもお前の嫁って無いから」
仲間のジンから通信が入る。それに対して、部下が混ぜっ返しているのを聞いて、隊長は大いに笑った。
「はははっ! おいおい、そんな事より、お前ら周辺警戒を怠るなよ。デブリにぶち当たったり、敵の奇襲を受けたんじゃあ、サインどころじゃなくなる」
今はまだ暗礁宙域とはいえ、浅い場所なのでデブリはそう多くない。しかし、もっと深部へ進むと、デブリはその量を増してくる。危険になるのはそれからだ。
隊長もそう考えていた。そしてそれは油断だったと、すぐに思い知らされる事になる。
その時、艦が、コロニーの外壁だったとおぼしき大型のデブリの横を通過した。
直後、そのデブリに仕掛けられた爆薬が炸裂し、デブリを巨大な散弾に変えて、艦に叩きつける。
同時に、デブリの背後に隠れて設置されていたミサイル衛星が、対艦ミサイルを射出した。
デブリの破片が突き刺さり、あるいは衝突の衝撃に装甲が打ち砕かれ、歪められ、軋み出す艦に、追い打ちの対艦ミサイルが幾本も突き刺さり、爆発する。
艦は一瞬のうちに炎に包まれていった……
ブラックビアードの艦橋に、小さく音が鳴った。
艦長である黒髭の手元のコンソールに、仕掛けたトラップが発動した事が記されている。
戦果の確認は出来ないが、あれだけのトラップなら、相応の被害は受けただろう。最悪、シルバーウィンド襲撃の間だけでも、時間が稼げればいい。
艦橋のモニターには、獲物のシルバーウィンドが映し出されていた。
黒髭は、顔の半ばを覆う髭の中で確かに笑み、通信機を手に取る。そして、艦内の全員に向けて指示を下した。
「良いか野郎共、聞け。抵抗する奴は殺せ。降伏する奴は、全員引っ張ってこい。金目の物はもちろん、役に立ちそうな物は全部奪え。書類、写真、記録媒体は全部回収だ。鼻紙に見えても、字が書いてあったら拾ってこい。良いな。いつも通りだ!」
艦内各所から、了解した旨の返答が返る。
黒髭は満足げに頷いてから、大きく息を吸い込み、今まで異常の大声で言いはなった。
「かかれ野郎共!!」
『直ちに停船し、臨検を受け入れよ。従わない場合は撃沈する』
シルバーウィンドの船橋は、突然送られてきた通信に動揺していた。
「連合艦に見つかったか……」
船長は悔しげに船橋の大型モニターを見やる。
そこには、デブリの陰から進出してくるブラックビアードとアークエンジェルの姿が映し出されていた。その砲は全て、シルバーウィンドに向けられている。
「ZAFTの救援は呼べないか?」
「通信妨害です。救難信号を打てません!」
まだ若い女性の通信員が、絶望を露わにしながら船長の問いに答えた。
ニュートロンジャマーの影響で通信が不確かな事に加え、連合艦からの通信妨害もある。民間用の通信機では限界があった。
「連合艦より再度通信! 停船を命じています!」
通信員の泣きそうな声に、船長は苛立たしげに答える。
「出来るか! この船には、プラントのVIPが乗って居るんだぞ!」
臨検などという言葉を正直に信じる事など出来るはずもない。乗客の安全を守るという立場に立った時、臨検を受け入れる事は出来なかった。
しかし、抵抗のしようがない事も事実。
悩む船長の思考を、レーダー手の声が止めた。
「連合のMAが接近! 正面に回り込まれます!」
「まさか攻撃する気か!? 映像を出せ!」
船長はとっさに命じる。
直後、船橋のメインモニターには、ザクレロの顔が大写しに映し出された。
獰猛な魔獣を思わせる顔。牙に縁取られた口が威嚇し、鋭い目が睨み据える。船橋は恐怖に凍り付く。
船長は視界の端で、通信員が声もなく気絶したのを見た。
操舵士も、レーダー手も、他のクルーも、誰もが恐怖に凍り付いて声が出ない。
船長は、遙か昔の大海原で海の魔獣と出会った船の話を思い出し、自分が同じ話の主人公になった事を悟った。
……主人公? いや、船は魔獣に呑み込まれるものだ。為す術もなく。主人公は、魔獣そのものに他ならない。
「て……停船だ。船を止めろ」
船長は震える声で、やっとそれだけを言った。
暗礁宙域。
民間船シルバーウィンドは、連合艦の臨検を受けていた。
臨検を行っているのはアークエンジェル。そして、ドレイク級宇宙護衛艦“ブラックビアード”。その意は“黒髭”であり、海賊の名を冠した船である。当然、その任務の内容も推して知れた。
ムゥ・ラ・フラガの駆るメビウスゼロの援護の下、ブラックビアードから発進したスペースランチがシルバーウィンドに接近していく。
接すれば、シルバーウィンドの大きさに比して、ランチはあまりにも小さい。シルバーウィンドの外殻に一滴の影を落としながら、ランチは滑る様にシルバーウィンドの表面を移動していく。
そして、宇宙港で乗員乗客の乗り降りに使われる搭乗口に寄せると、そこでランチは動きを止めた。と……搭乗口のハッチよりも一回り以上大きい移乗チューブがランチから伸び、ハッチを覆う様にしてシルバーウィンドの外殻に貼り付く。
まず、移乗チューブの中で機械のアームが動き、ハッチに指向性爆薬の箱を貼り付けた。箱は搭乗口とほぼ同じ大きさがあり、ハッチをほとんど覆ってしまっている。
そしてアームが離れた後に爆破。一瞬、箱とハッチの隙間が光り、ハッチの周りから黒煙が溢れる。
アームが再び伸びて、ハッチを掴んで引く。ハッチは簡単にもげ落ちて、その中をさらけ出した。
ハッチの向こうはエアロックなのだが、ハッチを貫通してきた燃焼ガスによる爆風が荒れ狂った為に滅茶苦茶に破壊されており、奥にもう一つあるハッチも奥にめり込む様にして壊れている。
奥のハッチからは船内の空気が流入し、エアロック内に溜まっていた黒煙を移乗チューブ内に猛烈な勢いで流し込んでいた。
ややあって、移乗チューブ内に空気が満たされると、アームが再び動き出す。今度は、アームが奥のハッチを乱暴に突いた。
ハッチは船内側に倒れ、船内への道が通じる。
そして、アームは内蔵されたカメラで、船内の様子を確認した。敵の待ち伏せがあったなら、アームに機銃なり爆薬なりを使わせて排除するのだが、その場に敵はいない。
敵の抵抗無し。その情報は、ランチの中で待つ海兵達に伝えられる。
ランチの中では、移乗チューブへ繋がるエアロックの前に海兵達が集まっていた。
身じろぎも出来ないほどに密集してはいるが、時が来れば一斉に動けるよう全員が整然と並んでおり、素早く敵船の内部に突入できるように移乗チューブへ繋がるガイドレールを各々しっかり握っている。
中の安全が確認された段階で、ランチのエアロックが解放された。
『GO! GO! GO! GO! GO!!』
ランチの司令部より、突入を促す号令。直後、雄叫びを上げ、ガイドレールにすっ飛ばされる様にしながら、海兵達が次々にシルバーウィンド船内に突入していく。
エアロックの向こうはロビーになっており、若干広い空間が広がっている。
奥の壁際には無人の案内カウンターがあった。迎撃があるならば、カウンターは絶好の遮蔽物となる為、突入した海兵達はまずそこに飛び込んでいく。
「クリアー!」
敵兵の姿無し。一番最初にカウンターの向こうへ飛び込んだ海兵が声を上げた。残る海兵達もまずはそこに飛び込んで、カウンターを盾にしながら周囲に銃と視線を向ける。
そして一人の海兵が、このロビー全体を見渡せる位置の壁に設置されている、半球状をした黒く透けたプラスチックの小さなドームを見つけた。
海兵は躊躇せずにそれにアサルトライフルを向け、引き金を引く。同時に三発の銃声が響き、ドームが砕け、中に隠れていた監視カメラもまた砕けた。
他に撃つべき物は見当たらない。案内カウンターに橋頭堡の確保に成功。
案内カウンターに入った海兵達は、そこを拠点に定めてとどまる。
残りの海兵達は、ロビーから伸びる幾つもの通路の中から自分が進むべき道を選び、ガイドレールと背中に背負ったパーソナルジェットを使って進んでいった。
『アルファは艦橋を制圧! ブラボーは船室! チャーリーは機関室を制圧しろ! エコーは待機しランチを守れ!』
海兵達に命令が再び出されて確認される。その命令に従い、海兵達は一隊三十二人ずつに別れ、船内各所に向けて移動を開始した。
ランチから船内突入成功との報告を受け、ブラックビアードはシルバーウィンドに接近を始めた。
船内の制圧が終わった後に、ブラックビアード自体がシルバーウィンドに接舷するのだ。そうして直接行き来が出来る様にして、中の物を洗いざらい奪う。
ランチでちまちまやりとりするするよりも効率が良いが、敵船に接舷する事は危険を伴うし、接舷中はブラックビアードも移動できなくなるため外から来る敵に対しても対応が難しくなる。
アークエンジェルは、ブラックビアードを守る為に周囲へ監視の目を光らせていた。
アークエンジェルの直掩は砲戦型に改造されたミストラルだけというお粗末さだが、それでも与えられた仕事はしなければならない。
そんな警戒態勢のアークエンジェルの中、避難民達を収容した大部屋で自分にあてがわれたベッドの中にいたフレイ・アルスターは、内心に押し寄せる不安と戦っていた。
今、アークエンジェルを守っているミストラルには、フィアンセのサイ・アーガイルが乗っているのだ。
前の戦いの時には知らなかった。しかし、今は知ってしまっている。
サイが戦いに出ている……しかも、自分を守る為にと。
戦うという事は、死ぬ事も有り得るという事。それに気付かないまま騎士に守られるお姫様の気分に浸れるほどフレイは幼くはなかった。
今、恐れる事は、サイが死んでしまう事。それも、フレイが何も出来ずにベッドの上で転がっている間に、フレイの知らない場所で死んでいく事。
フレイだって、このアークエンジェルが落とされれば終わりなのだから、死ぬ時は一緒となる可能性は高い。あくまでも今のところは。
しかし、サイは志願して入隊してしまったのだ。フレイ達避難民とは違う。
フレイがこのアークエンジェルを離れても、サイは戦いを続けなければならないだろう。そして、フレイが地球で暮らし始めた後、ある日届く一通の手紙でサイの死を知るのだ。
フレイは、サイが何時何処で誰と戦って死んだのかも知らないまま生きる事だろう。
「嫌よ……そんなの!」
フレイは身体を固定するバンドを乱暴に外すと、ベッドを蹴って飛び立った。
そのまま部屋の出口に向かい、自動ドアが開くと同時に外へ飛び出す。
「ちょ……戦闘中は危険なので、部屋に戻って!」
部屋の外で歩哨に立っていた兵士が、フレイを押し止めた。フレイはその兵士に向けて、苛立った声を上げる。
「入隊志願書を持ってきて!」
「え? 何を……」
フレイは、戸惑っている兵士に向けてはっきりと言いなおす。
「連合軍への入隊志願書を持ってきてください。私、志願します!」
何も知る事が出来ない立場にいるのが嫌なら、知る事が出来る立場になればいい。
フレイの下した判断は論理的に正しくはあったが、フレイ自身にもわかるくらいに愚かな行動だった。自分から、危険な戦いの中に身を投げ出すなど……
それでも、ベッドの中で恐怖に耐えながら待つ事など出来るはずもない。
フレイは、自分に言い聞かせるように呟く。
「何も出来ないままなんて嫌なの」
船橋の窓には、それを完全に塞ぐ様にザクレロの顔があった。
最初はその凶相に取り乱した船橋のクルー達も、今では落ち着きを取り戻しつつある。
とは言え、顔に慣れたとしても、敵の兵器が目の前を塞いでいる状況には慣れる事など出来ず、クルー達は不安の色を隠せないで居る。
船長もまた、重苦しく迫ってくる恐怖感に耐えながら、船橋に立ち続けていた。
と……船橋に満ちる沈黙を破り、船長の手元でインターホンが鳴る。
「私だ」
『警備室です。船内に連合兵が侵入したのを確認しました』
警備室では、艦内の各所を監視している。海兵の突入は、既に知る所となっていた。
船長は緊張した表情を少し苦悩に歪め、それから答える。
「わかった。乗客の安全を第一に、気を付けて対応してくれ。抵抗は……するな」
『……わかりました』
抵抗をしても無意味だと判断し、船長は警備員達に抵抗を禁じた。
警備員の声に無念さが滲む。彼らはナチュラルの無法を許す事が許せず、警備員達は船長に抗戦を訴えていたのだ。だが、それは受け入れられなかった。
警備員は、拳銃程度の武装ならしている。しかし、それで海兵達と戦えるかどうかは疑問だ。コーディネーターが身体能力で勝っていようとも、それは武装や訓練の質、数の差を覆せる物ではない。
それに、仮に船内での戦いに勝って海兵達を殲滅出来たとしても、外には敵のMAや戦艦がいるのだ。船ごと沈められる事が目に見えている。
つまり、出来るだけ音便に事をすませ、早急に帰って貰う以外にとれる手はない。
船長は意を決し、船橋のクルー達に行った。
「……さて、私は彼らを出迎えに行く。君らは自分の仕事を全うするんだ。もし連合兵から何か指示があったら従うように。無駄な抵抗はするな」
その指示に返ったのは、無念さや不安、あるいはナチュラルに屈した船長への侮蔑。
何でも構わない。今は、この状況を乗り越える時だ。
船長はそう自分を納得させながら、船長席を蹴って宙を飛び、船橋の外へと通じるドアへと向かった。
海兵達は進む。通路を飛び抜けて。
ブラボーと呼ばれた小隊が向かったのは、乗客達がいる区画だった。
しかし、彼らが先に訪れたのは、イベントなどで使われるパーティホール。以前、ラクス・クラインのコンサートが開かれた場所だった。
そこは十分な広さを持っている。乗客やスタッフを一時的に入れておく檻として。
海兵達は無人だったそこを確保した後、一分隊十名を残してホールを出て行く。
残された海兵達は、持ってきた道具の中からバーナーをとりだし、一つを残し全てのドアを溶接し始めた。檻に、扉は一つで十分だ。
残りの海兵達は、ホールへと通じる通路上の要所に二人ずつを残していって更に一分隊を消費し、最終的に一分隊十人が客室の並ぶ場所に入る。
先頭の海兵に、通路に溜まる乗客達の姿が見えた。彼らは、その制服からして警備員であろう若い男に詰め寄っている。
「連合兵が入ってきたと言うじゃないか! 早く、脱出ポッドに連れて行け!」
「このまま殺されるのを待てと言うの!?」
乗客達は男も女も関係なく、早く自分達を逃がせと、焦りと恐怖、苛立ちと怒り、様々な感情をむき出しにして警備員に詰め寄る。
しかし、臨検の最中に乗客を脱出させた等という事になれば、確実に連合軍の怒りを買う事になるだろう。返って危険な事になるかも知れない。
故に、警備員は乗客達をなだめようとしていた。
「落ち着いてください! 外にはMAも居るんです。脱出ポッドを使っても逃げられるかどうか……」
警備員は言いかけて気付く。接近してくる連合の戦闘宇宙服の集団に。
そして、警備員の言葉が途切れた事を切っ掛けに、他の乗客達も次々に同じものに気付いていった。
「う……うわ!? きた! きたぁ!」
「きゃああああああああっ! 連合よ! ナチュラルよ!」
高価なスーツを着た中年男が、だらしない悲鳴を上げる。豪華なドレスに太めの身体を押し込んだ婦人が金切り声を上げて、自分の身体を抱きしめる。
「落ち着いてください! 安全になるまで、部屋で待機してください!」
声を上げたのは、まだ若い警備員だった。彼は乗客達を押しのけて海兵達の前に出た後、抵抗の意思がない事を示す為に手を挙げる。
警備員の背後、乗客達は思い思いに逃げ出し、各々の部屋の中に飛び込むようにして姿を消していった。
海兵隊はそれら一部始終を銃の照準の中に捉えており、可能だったにもかかわらず撃つ事はせず、そのまま距離を詰めていく。
ややあって、警備員の側まで銃を向けつつ通路を飛んできた海兵達の中、分隊長たる曹長が前に出て警備員に声をかけた。
「乗客は全員、客室の中か?」
「……はい。その、抵抗はしませんから、お客様に危害は加えないで……ぐぁ!?」
返事の後、乗客達の安全を約束して欲しいと言いかけた警備員を、曹長はすかさずアサルトライフルの台尻で殴りつける。
身体を回すようにして振り下ろされた銃の台尻に頬の辺りを打たれ、警備員は通路の壁に身体を打ち付けた。苦痛の声を上げる口からは、血の滴が吐き出される。
「余計な事は言うな。抵抗したら殺すだけだ。わかったか? わかったら、『はい、ナチュラル様』とでも言ってみろ」
苦痛に呻きながら怒りと憎悪の目で海兵達を睨む警備員を、曹長は嘲り、そして後ろの部下達に向かって言った。
「予定通り始める。五人は、勝手に逃げ出す奴がいないか見張れ。殺してもかまわん。残りは俺と……この勇敢な警備員君と一緒に一部屋ずつ回って、クソ虫どもを檻に送り込む。で、警備員君、返事はまだだったな?」
曹長は手にしたアサルトライフルを、警備員の顔の前に突きつける。その後ろで、海兵が五人、この場を離脱していった。
曹長は、無言の警備員に、もう少しだけ言葉を続ける。
「これは悪い話じゃない。俺達が命令したんじゃ、ナチュラルを甘く見て反抗し、そして死ぬ奴が出る。今までにもよくあった悲劇だ。だが、お前が説得して歩けばどうだ? 素直に乗客が従えば、俺達も弾を無駄にしないですむ。どうだ? 良い話だろ?」
曹長の言う事は事実だった。
ナチュラルに対して従いたがるコーディネーターなどはほぼ居ないし、戦争で連勝を重ねている事もあって無意味な程にナチュラルを過小評価する者もいる。
前線で戦う軍人には流石にいないが、銃を持っているか持っていないかという事は、コーディネーターであるか否かよりずっと大きな意味を持つのだという事を、理解していない者も少なくはないのだ。
故に、無謀な抵抗をして死ぬ者は確実にいると言える。
しかし、コーディネーターが説得して回るなら、ナチュラルに言われるよりは多少は言う事も聞きやすいはずであり、無謀な抵抗も減るはずだった。
ついでに、これは海兵達の都合でしかないが、ドアを開ける者はドア向こうにいる者からの奇襲を受けやすいので、その肩代わりをさせるという意味もある。警備員が殺されてる間に、海兵は手榴弾を部屋に放り込めばいいと言うわけだ。
「返事の仕方はさっき教えただろう? 俺達はどっちでも良いんだぜ?」
曹長はニヤつきながら再度問う。これで返答がなければ警備員はそのままホールに行かせるつもりだった。
だが、警備員は一度強く奥歯をかみしめ、何かを吹っ切るようにして口を開く。
「はい、ナチュラル様。協力させて頂きます」
出来る限り乗客に被害を出さない。その為に警備員が出来る唯一の事。
その為に、警備員はプライドを捨てる決心をした。
機関室周辺、メカニック達が常駐する整備室にも海兵達はやってきていた。
「ぐぁっ!?」
鈍い悲鳴と同時に、銃床で顔を横殴りにされたメカニック主任の身体が宙を泳ぐ。
高圧的な海兵に、主任が部下を守ろうとくってかかった為だったが、海兵達にしてはずいぶんと紳士的に応対したと言えるだろう。まだ、引き金に指はかけていないのだから。
「主任さん!」
メカニック見習いの少年が、悲鳴のように叫びながら飛び上がり、主任の身体にを縋り付くようにして抱き留めた。
「大丈夫ですか!?」
「あ……ぐ……」
少年の腕の中で、主任は顔を苦痛に歪めながらも目を開く。
「ああ……殴られて耳が良く聞こえん。もっと近くで話せ」
言われて少年は、主任の耳元に口をやって話す。
「あ、はい……大丈夫ですか?」
主任は苦しげながらもニヤと笑って見せて答えた。
「頭が割れそうだが、それ以外は大丈夫だ」
そんな二人に、海兵は他のメカニック連中を追い立てる片手間に命令を投げつける。
「早くホールへと移動しろ! 小僧! 大事なお前の主任を連れて行ってやれ!」
「……主任、行きましょう」
少年は、主任の身体に抱きつくようにしながらその身体を押して、ホールへと向かうべく廊下へと向かった。
そして、廊下に出た後は、二人寄り添ったまま廊下をホール目指して飛ぶ。
主任はふと、少年の身体が震えている事に気付いた。見れば、少年の表情は恐怖に強張り、目尻には涙が浮かんでいる。
余程、怖いのだろう。それでも、主任を助けようと必死になっている。
「なあ、お前の夢って何だ?」
「え?」
「聞かせろよ」
突然の問いに戸惑う少年に、主任は静かに笑いかけながら少年の答えを促した。
夢見た未来を思い出そうとする少年の顔から恐怖が薄れていく。
「えと……軍のメカニックになってMSに触りたいんです」
「だから、あの悪戯か」
得心がいったとばかりに主任は頷く。もっとも、少年がMSを弄り回していた事から、そんな所だろうとは思っていたのだが。
「ごめんなさい!」
あの日、酷く怒られた事を思い出したのか、少年は慌てて謝った。
主任はそれに笑いながら返す。
「良いって。気にするな。良く直してあったぜ、あれならきっと良いメカニックになれる。俺がお墨付きをくれてやらぁ」
「主任……」
いきなりな褒め言葉に、少年は驚きを見せた後、少しだけ微笑んだ。
恐怖を少しでも和らげてやれた事に安堵しながら、主任は表情を引き締め、少年に語りかけた。
「その為にも、ここは生き延びないとな。お前は絶対に無茶はするなよ? ここは戦うべき場所じゃない。メカニックになるお前には、もっと別の戦う場所がある筈なんだ。今は逃げて、隠れて、生き残れ。もちろん、俺もそうする。お前もそうしろ」
「はい、必ずそうして、生き残ります」
少年はしっかりと頷き、主任と約束を交わした。生き残ると……
医務室に海兵が二人入り込んで来た時、船医は救急箱に薬を詰め込んでいた。
「動くな!」
突きつけられる銃。それに動じず、船医は救急箱を海兵達の方へと流す。
「……ああ、来たか。では、見て欲しい。応急手当の道具と乗客の常備薬しか入れていないのだが、これは持っていて構わないかね?」
無重力の中を漂った救急箱は、海兵達の手元に届く前に銃で撃たれて弾かれた。
銃声を聞きながら船医は落胆の声を漏らす。
「もったいない事を」
「応急キットなら、我々も携帯している。衛生兵もいるから、お前の出番はない」
海兵の一人がそう言いながら、腰のポーチを叩いてみせた。
それを見て船医は皮肉げに薄く笑う。
「その衛生兵は、コーディネーターも診てくれるのだろうね?」
「必要ならばな。無駄話は止めて、そろそろ移動して貰おう」
海兵はもう船医に付き合う気はないようで、銃で船医を突くようにしながら言った。
「待ってくれ。病人が居る」
と、船医は、医務室の片隅を指で差す。そこには、ベッドに横たえられ、バンドで動かないように固定された男の姿があった。
顔は幾重にも巻かれた包帯で見えはしない。着ている物は何の変哲もない病院着。口には酸素マスクが付けられている。呼吸はしている様で、胸は僅かに上下していたが、それ以外の動きは一切していなかった。
「漂流者を回収してね。酸素欠乏症で、自分では動けない。酸素マスクは外さず、できるならベッドごと運んでもらえるかな」
「コーディネーターか?」
海兵が問う。もちろん、コーディネーターなら死んでも構わないのだから、幾らでも乱暴な扱いが出来た。しかし、それを察している船医は、すまして答える。
「いや、確認していない。治療が先だったからな」
確認していないのは事実だ。MSに乗っていた以上、ZAFTの兵士なのだから、コーディネーターだろうと誰も疑ってはいない訳で、確認などする筈もない。
ともかく、海兵達にナチュラルである可能性もあると思わせておけば、そう酷い扱いをされる事もないだろうと船医は考え、そしてその考えは当たっていた。
「わかった。ともかく、お前が先に移動だ。出ろ」
海兵はそう言って、船医を銃で追いやるようにして医務室から外に出す。
医務室に残されたのは、海兵達とベッドに横たわる男。
海兵は少し迷い、それから互いに顔を見合わせた。
「どうする?」
問われた方が、少し考えてから答える。
「……面倒だ。後で回収しよう」
船長と海兵達は、船橋からさほど離れていない通路にて邂逅した。
海兵は十人に数を減らしている。他の場所の制圧に向かったのだろう。
海兵達の前で手を挙げ、抵抗しない事を示しながら船長は、緊張を呑み込んでゆっくりと話し出した。
「私が、この船の責任者です。この船はプラント船籍の民間船ですが、軍とは……」
緊張の面持ちで、民間の船である事を説明しようとする船長に、海兵達は改めて銃を向けた。そして、その内の一人……小隊長たる少尉が口を開く。
「お前達が民間人だろうと関係はない。抵抗する者は殺す。俺達は、無謀な抵抗者を、他の従順な者達の前で見せしめにする事を躊躇しない。だが、抵抗しない者の命の保証はしよう」
「……その言葉を信用します」
船長も馬鹿ではないので、それを額面通り信じる事はなかった。しかし、だからとて抵抗をする事も出来るはずがない。
少尉の言葉が嘘であっても、無駄に戦って今すぐに死ぬか、捕まって後で死ぬかの二択しかないのだから。
「船内放送をしろ。クルーと乗客を全員、ホールへと集める。抵抗せず、連合兵の誘導に従うようにとな」
「さ……最低限のクルーは、船橋や機関部に必要です」
クルーが船橋や機関部から居なくなれば、船は本当に身動き出来なくなる。それを恐れて抗弁した船長に、少尉は冷たく拒絶の言葉を投げた。
「ダメだ。臨検が終わるまで、この船には行動を一切許さない。よって、クルーは不要だ。放っておいて船が沈むというわけでもあるまい」
「それは……」
返す言葉を失う船長に、少尉は再度命じる。
「さあ、船内放送をしろ。拒否するなら、別の手を打つ」
言葉の終わりに、音を立てて銃が構えられる。その筒先の真円を覗きながら、船長は恐怖を抑えつつ頷いた。
自分が拒否しても、誰か別の者がやらされるだけだ。もしかすると、乗員乗客を従わせる為、もっと凄惨な手を使うかも知れない。
ここで抵抗する事は意味がない。何度も繰り返し出た結論ではあったが、ナチュラルに従う事はコーディネーターとしての船長のプライドを傷つけた。
おそらくは他の者も、同じく屈辱に耐えているのだろう。だからこそ、船長が率先してこれに耐えなければならない。
乗員乗客の暴発を防ぎ、無事にこの臨検をやり過ごす事が自分の勝利となるのだ。
「わかりました。指示に従います」
船長は素直にそう言って、船橋の方へと向き直った。そして、海兵達に促されて、進み始める。船橋で放送を行う為、そして残るクルー達に移動を命じる為。
船長は、何としても今を平穏無事に終わらせようと決意していた。
ランチから船内制圧成功の報告を受け、ブラックビアードはシルバーウィンドへの接舷作業を開始していた。
その作業を見守りつつ、周辺宙域の監視を続けるアークエンジェル。緊張に咳き一つ起こらない艦橋。その沈黙は、突然の闖入者によって開かれた。
「入隊志願書です! 戦わせてください!」
書類一式を振りかざしつつフレイが艦橋に飛び込んで叫んだ時、艦橋要員達はその突然の申し出に訝しがりつつも単純に驚く。
普通、任務中の艦橋に怒鳴り込む奴など居ない。怒鳴り込む必要があるなら、まずは通信で怒鳴るはずだ。
しかも、艦橋に乱入したのは民間人の少女なのだから、驚かないはずもない。だからこそ、艦橋要員達は惚けたようにフレイを見返すしかなかった。
そして、ややあってから、我に返った艦長のナタル・バジルールが声を荒げる。
「今は作戦遂行中だ! 後にしろ!」
「MAに乗せてください! でなければ、艦橋でも、砲座でも何処でもかまいません、戦場が見える所に置いてください!」
フレイは、ここで引き下がれば後がないとでも言うかのように、ナタルに向かって怒鳴り返した。そして、ナタルの元まで一息に飛ぶと、書類の束をナタルの膝の上に叩きつけるようにして置く。
「志願書です! お受け取りください!」
フレイのその勢いに押され、ナタルは書類を手にとって流し見た。書類は揃っているし、必要事項も埋まっているようだ。
「まて、こんな物は事務に回せ! 私の所に持ってこられても……」
「仕事をくれと言ってるんです!」
フレイは、勢いに任せてナタルに迫る。ナタルは、この突然の事態にどう対処した物か軍学校での士官教育を思い出し、ほぼ役に立たない事に気付いて困り果てた。
基本的には、とりあえず誰かに命じて、この闖入者を艦橋から摘み出すくらいしかない。そうしようとナタルが考えた時、艦橋の中で声が上がった。
「あの、良いですか?」
声をかけたのは通信士。元は陸戦隊の通信兵で、専門外の通信任務に苦労をしている人だ。
彼は、ナタルに提案した。
「通信オペレーターを増員して欲しいと頼んでましたが、人員不足で却下されてましたよね? いっそ、彼女はどうでしょう?」
「何も出来ない新人が使えるのか?」
ついさっきまで民間人だった上に、いきなり艦橋に怒鳴り込むような者が使い物になるのか? ナタルでなくとも気にする所だろう。
だが、通信士は肩をすくめて言った。
「自分だって専門外なんですから、何も出来ない新人と一緒でしたよ。専門家が居ないんじゃ、一から仕込む以外に無いじゃないですか」
背中に背負うタイプの通信機が使えるからと言って、戦艦に積んである通信機を使わされる羽目になった彼なりの皮肉も混じってはいる。
ともあれ、門外漢の通信士が一人で仕事を回しているのは辛い。
それに、通信は時に理不尽な命令や悲惨な報告も飛び交う事から、ストレス緩和の為、通信オペレーターは若い女性がつくのが好ましいと慣習的にはされている。通信士は残念ながら男であり、別に見目麗しくもないので、ストレス緩和の役には立たない。
「難しい通信は自分がするしか無いでしょうが、通信オペレーターとして言われたとおり通信するだけならやれるのでは?」
「やります! やらせてください!」
通信士のナタルへの申し出に、フレイは飛びついた。
通信オペレーターなら、通信のほとんどを仲介するわけだから、サイに何かあればきっと知る事が出来る。知った後に何かが出来るのか……いや、何も出来ないかもしれないが、それでもそれは後で考えればいいと割り切った。
「……考えておこう」
ナタルの方も、考えてみたが一応は異論はない。
フレイが志願兵として扱われる以上、何処かに配属しなければならないわけで、とりあえず人手不足だと言われてる場所に配置するのは悪い事ではなかった。
それに、これ以上、フレイにかまけていたくはない。今は任務中なのだから。
それに、どうせ書類審査がある。身元が怪しくないかどうか調べないと、危なくて使えたものではないからだ。
それにはかなりの時間がかかるので、しばらくは時間の猶予が得られるだろう。今すぐに戻ってくる事はあり得ない。
そう考えると、ナタルはフレイに向けて言った。
「わかった。とにかく、正式な着任は、この書類を事務に届け、制服を受領してからだ」
「了解しました! すぐに行ってきます!」
フレイは、ナタルから返された書類を受け取ると、素早く身を翻して艦橋の外へと向かう。
フレイが、「大西洋連邦事務次官のご息女であり、身元はこれ以上なく確か。採用に問題なし」との報告と共に艦橋に帰ってきたのは、ほんの数十分後の事だった。
デブリの漂う暗礁宙域。ジン長距離強行偵察複座型とそれに従うジンが宇宙を駆けていた。
「隊長、基地に報告はしないんですか?」
ジン長距離強行偵察複座型のコックピットの中、後部座席の情報収集要員の部下がパイロットシートの隊長に聞く。
彼らの母艦は、連合軍が仕掛けたトラップによって撃沈されていた。
助かったのは、爆発を繰り返しながら崩壊していく母艦より、とっさに宇宙に飛び出す事の出来た彼らMS偵察小隊だけ。後は脱出する間もなく、暗礁宙域を漂うデブリの仲間入りをしてしまった。
これを基地に報告しないわけにはいかない。部下はそう考えたのだろう。
しかし、現在彼らは、母艦撃沈前に予定されていた偵察任務そのままのコースを辿り、民間船シルバーウィンドへ向かっている。
「なあ……あの攻撃は周到に用意された罠だった。なら、敵の狙いは何だ? 俺達を殺す事だけじゃない筈だ」
「そうか、シルバーウィンド!」
隊長に言われ、部下は声を上げた。
民間船シルバーウィンドと合流する筈の母艦が狙われた。ならば、シルバーウィンドこそが真の狙いだろうと、容易く推測する事が出来る。
「でも、それならなおさら報告して援軍を……」
「長距離通信が出来ない以上、基地まで帰って直接報告する事になる。だが、それまでに何時間かかる? もし、今襲撃を受けていたとしたら、援軍を呼んで戻った所で、残っているのはシルバーウィンドの残骸だけだ」
隊長は、おそらくは既に襲撃が行われているだろうと推測していた。
母艦への攻撃は、待ち伏せではなくトラップによるものだ。ならば、トラップを仕掛けた者は、必ず別の場所で行動を起こしている。
「報告はシルバーウィンドの無事を確認してからでも出来る。今は急ぐぞ……おい、そいつはもう捨てていけ!」
隊長の言葉の後半は、通信機を通して後続のジンに向けられたもの。
後続のジンは、もう一機のジンの腕を掴んで曳航している。
『な……何言ってるんですか隊長! 仲間を見捨てるんですか!?』
後続のジンから、もう一人の部下の非難めいた声が返った。
『こいつ、艦が沈む時に俺を押して……ラクス様は俺の嫁だなんて、馬鹿な事しか言わない奴だったけど、俺の事を助けて……』
「死んでるんだ。反応が無いだろう」
隊長は苦い物を噛むような顔で、重苦しく言葉を吐き出す。
『死んでなんかないですよ! きっと……きっと、機械の故障か何かで……出られないで、通信も出来ないで……きっと、あいつの事だからコックピットの中で文句言いながら、またくだらない事を……』
通信から聞こえる部下の声は、狂騒的な物となっている。
隊長の後ろの席から、いつの間にか啜り泣きが聞こえていた。
「畜生……畜生……」
情報収集要員の部下が何度も繰り返し呟く。
隊長は、通信機から溢れてくる部下の声には耳を貸さず、静かに問いかける。
「気付いているんだろう? コックピットなんて、もう無いんだ」
曳航されているジンは、胸から下を食いちぎられたかの様にして失っていた。
通信機から聞こえていた部下の声が途切れる。
知っていたのだ。そんな事は皆が知っていた。ただ……認めたくはなかったのだ。
しばらくの沈黙の後、部下の乗るジンはその手を放した。曳航されていたジンは、ゆっくりと隊列を離れ、デブリの中へと紛れていく。
『あいつ、良い奴でした』
「連合のクソナチュラル共に、それを良く教えてやれ」
隊長はゆっくり息を吐くように言葉を並べる。彼も、母艦と部下を失った事に怒りを持たないわけではない。
「もうすぐシルバーウィンドとの合流予定地点だ」
シルバーウィンドの中は、海兵達に完全に制圧され、乗員および乗客をホールへと集める作業が行われていた。とは言え、それなりの大人数である事もあり、作業はまだ終わっては居ない。
「止まらないで! 速やかに移動してください!」
「臨検に伴う一時的な処置です! 危険はありません!」
警備員や客室乗務員といった者達が、乗客達の誘導を行っている。無論、海兵達がそれを監視しており、下手な動きを見せれば乗客ごと殺されるのは確実だった。
コーディネーターである客達は、海兵とナチュラルの軍門に下った乗員達に侮蔑や憎悪の視線を浴びせながら、自らも為す術無く羊の群れのように追い立てられていく。
抵抗した者がどうなるのかは、何人かがそれを身をもって教えてくれていた。廊下の所々に浮かぶ死体というオブジェクトとなって。
その数は決して多くはない。多くの者達は、抵抗が得策ではない事を悟り、おとなしく指示に従っていた。抵抗したのは、ナチュラルへの憎悪を抑えられなかったか、ナチュラルを甘く見すぎた、極少数の例外に過ぎなかったのだ。
海兵達も、必要以上の暴行は起こさなかった。これは、私掠は禁じられている事。そして何よりも、素早く事を終わらせる事が作戦で求められている為、無駄な遊びはしている暇がないからだ。
状況は極めて静かに進んでいた。乗客も乗員もまだ残っているが、後僅かでホールへの収容を完了する。その後は、ある程度の選別を行いつつブラックビアードへと移送する手筈だ。
イベントホールには、既に多くの乗客乗員が集められてきていた。広いホールは、その全員を難なく収用している。
ホールの中は低く唸るようなざわめきに満ちていた。大きな声を出す事は許されていなかったが、人が多く集まればそれなりに音も出るし、聞こえぬほどの囁きも数が合わされば大きな音となる。
人々が漂うように浮かび、不明瞭なざわめきに満ちたホール。扉は一つだけ開放されており、そこから次々に乗員乗客が送り込まれてくる。海兵達はホールの中には入らず、唯一の扉の外からホールの中に銃を向けている。
船長も、船医も、メカニック達も、既にホールの中にいた。そして、ラクス・クラインもまた、ホールの中へと送られてきていた。
「ピンクちゃん、怖いですわ……」
ラクスは、数日前に自分が歌ったこのホールの中に浮かびながら、ピンク色のハロを強く抱きしめて震える。
婚約者のアスラン・ザラからもらったこのハロだけではなく、アスラン本人が居てくれたら、この状況から助け出してくれるだろうか? そんな事を考えて、その考えを振り払うように頭を振った。
アスランは、プラントの為に戦いに出ているのだ。それを、自分の勝手な都合で居て欲しいと考えるなんて、アスランに悪い事だと。
しかし、怖いと思う心と、誰かに助けて欲しいと願う心は消す事が出来なかった。誰でも良い。ここから助け出して欲しい……と。
震えながらハロを抱く腕に力が入る。
「ハロォ……クルシーイ」
「あ、ごめんなさいピンクちゃん」
ハロが潰されそうな声を上げたのに気付き、ラクスは腕を緩めた。そして、いつも通りに愛らしいハロを見て、少しだけ落ち着きを取り戻す。
その時、子供の泣き声がラクスの耳に届いた。
見れば、そう遠くない場所で、小さな女の子が声を上げて泣いている。女の子の目から溢れ出す涙が水滴となって、ホールの中に散っていた。
そんな女の子を母親が必死でなだめようとしているが、女の子が泣きやむ様子はない。
怖いのは誰だって同じ、まして子供ならなおさら。ホールの中には、泣いている子供も幾人か居た。泣かないまでも、恐怖に震えてじっと我慢している事だろう。
何かしてあげられないかとラクスは思い、せめて少しでも心を安らげてやりたいと願い……ラクスは、自分にただ一つだけ出来る事をと。
ラクスはホール内に配された手摺りを使い、女の子の所まで静かに移動した。そして、頑張って恐怖を押し殺しながら、泣いている女の子に笑顔を向ける。
「泣かないでください。大丈夫ですから」
ラクスの笑顔に、女の子は泣き声を止める。涙は止まらなかったが。
ラクスは笑顔を崩さぬように注意しながら、言葉を続ける。
「ほら……お歌を歌いましょう。きっと怖くなくなりますわ」
そして……
ラクスは……歌ってしまった。
歌声がホールに満ちていく。歌声と共に、唸るようにざわついていたホールの中に静寂が広がっていく。
静寂の中、歌だけが流れる。
……歌姫の歌が響き渡る。