とんとん、と扉をノックするが反応は無い。
何度か声もかけたがそれでも一切の返事は無かった。
「……はぁ」
嘆息し、踵を返す。
そのまま階段を降りて行き、食堂へと戻ればすでに先に席に着いていた二人がこちらへと視線を向ける。
その視線に首を横に振ると先ほどの自分と同じように二人もまた嘆息した。
一週間。
新しく自分の孫となった少年がこの屋敷に戻ってきてからすでに一週間が経とうとしていた。
そして。
一週間、一度たりともも少年は少年に与えられた部屋から一歩たりとも出てくることは無かった。
「どうしたものかな」
街で何があったのかは聞いた。
自分からすれば娘夫婦を守ってくれたのだから感謝こそすれどそれ以外にどうこういうつもりも無い。
娘夫婦だって同じようなものだ。
だが本人からすれば……。
「どうしたものかな」
同じ言葉を繰り返しながら考えてみる。
結局のところ、本人の意識の問題なのだ。
自分からすれば異質ではありこそすれ、排斥するような物では無い。
世界には自分の知らない不可思議な力を持った存在がごまんとおり、少年がその中の一人だったとして珍しいし、興味も湧くが、結局それだけだ。
「もしかすると」
似たようなことが過去にあったのかもしれない。
少年にとってトラウマになるようなことが、過去同じように。
出会った時のことを思い出す。
まだたった一年ほど前のこと。
道端で死にかけていた子供のことを。
「まだたった一年なのか」
いつの間にかいるのが当たり前のように思っていた自分に驚いた。
* * *
荒い息を吐きだしながら震える両手で肩を抱く。
体の内から溢れだしそうになるナニカを必死になって押しとどめるように。
体が熱くて仕方が無い。
血管の中をマグマが通っているような熱と痛みが全身を駆け巡る。
一瞬でも意識を飛ばせばその瞬間、押しとどめた物が溢れそうになって。
―――またあの時のようなことになってしまう。
そう思うと怖くて怖くて眠ることすらできない。
一体何なのだろう自分は。
一体どうなっているのだろう、自分の体は。
この屋敷に戻って来てからどのくらいの時間経ったのか。
一日か、二日か。
この閉ざされた部屋に籠りきっているせいでどうにも時間の感覚が無い。
だが一日二日は経っているはずだ。
なのにまるで眠れないし、まるで空腹にならない。
排泄も無いし、何だったら呼吸を止めてしまっても生きていられる感覚すらある。
バケモノ。
街で誰かが言ったその言葉が。
かつで村で言われたその言葉が。
どうしても頭から離れない。
自分の体が普通じゃないのは分かっていた。
でもだからと言ってそこまで気にしていたわけじゃないのだ。
だって極論を言えば自分の体は魔法を……魔力を通さない、それだけだったから。
それよりもっと切羽詰まった問題があって、村から追い出されたことのほうが命に直結する大きな問題だった。
だからそれが解決されて、爺ちゃんに拾われて、正直自分の体の異常を忘れてた、と言うわけではないが気にしていなかった。
つい先週までは。
見てしまった。
見えてしまった。
手のひらに触れた瞬間、馬車が弾けて吹き飛んでしまったのを。
跳ねて転がった馬車の残骸を見て。
そこに乗った誰かの姿を見てしまった。
もし、もしも、だ。
自分の身近な誰かがあんなことになってしまったら。
そう思うと他人に触れることすら怖くなった。
部屋に籠り、鍵を閉ざし、片隅で震えた。
それが決して、もし、の話ではないと直感的に分かってしまったから。
自分の中で渦巻く力に、溢れだしそうな力に、今の自分ならそれが出来てしまうと理解してしまったから。
怖い。
怖い。
怖い。
爺ちゃんが、センリさんが、ヨウさんが……アンリが。
触れられることが怖くて、怖くて、怖くて。
傷つけたくない、だから拒絶した。
いつ収まるとも知れない力の奔流を抑えつけながら、食べることも、眠ることも止めて、ただただ震えた。
少しずつ、少しずつ増していく力から目を背けながら。
―――そうしてまた夜が明けようとしていた。
* * *
「お爺ちゃん、レッくんは?」
「まだだよ……今はそっとしておいてやっておくれ」
この一週間で何度聞いたか分からない台詞に、けれど首を振るしかできないことが恨めしい。
その度に目の前の可愛い孫娘が寂しそうな表情を浮かべるのが胸に痛い。
「いいかい、アンリ……決してあやつの部屋に近づいてはいけないよ。あやつのことはワシらに任せておくれ」
「…………」
一瞬戸惑うような、そして何か言いたげな表情をするが、けれどすぐに頷く。
賢い子だと思う。理解力が高く、手がかからない、良い子だ。
けれどそれが娘夫婦たちがこの子に余り構ってやれないが故にそういう風に育ってしまったのだと思うと、そしてそのことに対して助かったと思っている自分に溜め息を吐きたくなる。
とは言えまだ幼いこの孫娘を今の少年と会わせるわけにはいかない。
この一週間、元より人間離れしていたはずの少年の魔力が日に日に膨れ上がっているのを感じる。
元より魔力が外に出ない少年の体質故に今はまだその影響が出ていないが、もし少年の限界を超えるようなことになれば。
「屋敷ごと吹き飛びかねないな」
魔力自体は純粋なエネルギーだ。
そこに指向性を持たせるのが魔術であり、魔力単体で運用しても効率が悪いとしか言い様が無い。
だがそれでも少年の内に秘められた桁外れの魔力の量を考えるならば多少効率が悪い程度では誤差にしかならない。
呟きながらどうしたものか、と何度となく自らに問いかける。
少年に関して、一年以上様々な実験を繰り返したことである程度のことは分かっている。
だが同時に分からないこともまだまだ多く、今どうして魔力が膨れ上がっているのか、それは分からないことのほうに分類されている。
つまりこの先どうなるか自分にも予想できない、ということだ。
諦めるつもりは毛頭無いが、それでも最悪の事態だけは予期しておかねばならない。
「そうはなっては欲しくないがな」
呟きながら、駆けていく孫娘の後ろ姿を見つめた。
* * *
―――はっとなる。
あれだけ意識を落とさないと気を張り詰めていたのに、いつの間にか眠っていたか、気絶していたかしたらしい。
自分の体が無事であることを確認すると同時に、周囲に被害を及ぼしていないだろうかと視線を上げて。
「―――えっ」
少なくとも自分は一度も見たことが無い、けれど自分の中の記憶では見覚えのある光景。
そこは狭い部屋だった。
白い壁紙は古くなっているのか少し黄ばんでおり、ところどころにシミがついていた。
隅にはどんと折り畳み式のベッドが置いてあり、そのすぐ横にはパソコンの置かれた木製のデスクとキャスター付きの椅子。
天井からは電灯が吊り下げられており、そこから紐が伸びている。
「ここって」
窓辺に立ってカーテンを開く。
同時に差し込む陽光に目を細めながら。
都市部だ。
地名は知らない。
そこまでは出てこなかった。
ただその光景を見てそこが『別世界』なのだと気づいた。
「……なんで」
何で俺はこの場所にいるのだろう?
そのことに疑問を抱き、口にしようとして。
がら、と。
背後で横開きに扉が開いた。
「……あん?」
缶ジュース片手にこちらを見やり、目をぱちくりとさせる少年がそこにいた。
黒い髪に黒い目という珍しい風貌ではあったが、それ以外に取り立てて特徴の無い普通に少年。
けれど、何故だろう。
少年を見た瞬間、背筋に寒気が走ったのは。
「あー? あー、あー!」
しばらくこちらを見つめていた少年だったが、何かに気づいたかのように大きく声を挙げ。
「お前あれか、つか何でここにいんだよ。
心底不思議そうに呟き。
そうしてすぐにはっとなって。
「あぁ……
ニィと、口元を弧に描く。
「使ったな? だから反動で『混ざった』のか……うん、良いな。それ……面白い、何より面白いぞ」
独り言のように問いかけておきながら勝手に納得し、独りで哂いだす。
否、きっとそれは独り言なのだろう。
よいせ、とベッドに腰かけた少年がこちらへと視線を移す。
心の奥底まで見透かしているかのようなその黒い瞳に思わず怯み。
「まあそう怯えるなよ……なあ、ゴシュジンサマよ」
告げる言葉の意味が分からず首を傾げ。
「自分の中に自分の知らない力があって困ってるんだろ?」
続けざまに放たれた言葉は今自らが直面している問題まさにそのもので。
「なんでそれ」
「知ってるさ、知ってるよ。ゴシュジンサマのことだから、なんでも知ってるのさ、オレは」
少年が口元に手を当てる。
その手の向こう側で心底楽しそうに嗤っているのが理解できた。
「オレがゴシュジンサマの悩みを解決してやるよ。だから、なあ……」
ヒヒッ、と嘲笑するかのように自分を見て少年は嗤い。
「契約しようぜ」
それは文字通りの、悪魔の契約だった。
* * *
「むー」
祖父と別れ、頬を膨らませながら自室へと歩を進める。
自らに充てられた部屋に戻ると少しばかり荒っぽく扉を閉め、部屋の隅に置かれたベッドへと真っすぐ進み、勢いそのままに飛び込む。
ぼふん、と軽い衝撃と共にベッドが揺れると共に、定期的に天日干しされている布団が柔らかくアンリの体を受け止めてくれる。
普段ならばその柔らかさ、心地よさにうとうとしてしまうところだが、今日は違う……いや、ここ一週間は、というべきか。
「むーむー!」
ベッドの上に寝転がり、手元に引き寄せた枕を抱きしめて唸る。
もやもやとした感情を振り払うかのようにゴロゴロと何度となく寝返りを打ちながら考える。
分からない、分からない、分からない!
ずっとずっと考えているが、どうして祖父がダメと言うのかが分からなかった。
けれど祖父がアンリに嘘を言うとも思わない。ならばきっと何か『義兄』の部屋に入ってはならない事情があるのだろうとは予想している。
とは言え、理由は言えないがとにかくダメでは納得だってできない。
この一週間ずっと同じような思考を繰り返しながらベッドの上で悶々としているが、何一つとして思考は先へ進む様子を見せない。
「むー……レッくんだいじょうぶかな」
そうして最終的に来るのはいつも義兄への心配だ。
この半年の間で一週間以上も顔を見なかったのは初めてのことだった。
だって義兄はアンリがこの屋敷に来るより前からここで祖父と一緒に住んでいた人で。
だからアンリにとっていつだって屋敷にいるのが当たり前の存在だった。
「レッくん」
名前を呼ぶとぽっかりと心に開いた空白を自覚してしまう。
寂しい、まだ十にも満たないアンリにだったが、両親が多忙でありよく家を空けていたせいで今となってはすっかり慣れたはずの感情で。
「うぅ……」
なのにどうしてだろうか。
朝目を覚まして食堂に行っても、早起きして朝食を作っているはずの少年が居なくて。
昼に書庫で本を読んでいても、一緒に読んでくれるはずの少年が居なくて。
夜に眠る前におやすみ、といつも挨拶してくれる少年が居ない。
そうして毎度毎度気づくのだ。
アンリがこの屋敷に住み始めてからいつだっていてくれた少年のことを。
両親が居ないことに慣れてしまったとは言え、別に寂しくないわけではないのだ。
満たされない心を、苛む孤独を、いつだって一緒にいて埋めてくれたのは義兄だった。
その義兄が居なくなってしまったことで満たされていたはずの心に再び空白が生まれた。
空虚な感覚はやがて小さな痛みとなって胸を刺す。
「…………」
一週間だ。
義兄が帰って来てから、部屋に閉じこもってしまって一週間。
祖父に止められて何度となく自制してきた。
祖父がダメだと言うから。
行ってはならない事情があるんだろうから。
だから。
だから。
―――だから何なんだろう。
「あいたいな」
胸を突いて出た無意識の言葉は、けれども、だからこそ、今のアンリにとっての心の底からの本音で。
「…………」
様子を見るくらいなら、良いよね?
そんな風に、自分に対しての言い訳をあっさりと済ませると、さっとベッドから跳び起きて、そのまま部屋の外へと駆け出す。
先ほどまで義兄の部屋の前にいた祖父はすでに一階へと降りたのだろう姿が見えなかった。
今がチャンスとばかりに義兄の部屋の前に立ち。
そっと扉に耳を充てようとして。
ぎぃ、と。
触れた瞬間に扉が開く。
「ふぇ?」
呆けたような声がアンリから出ると共に。
どたん、と支えるものが無くなった体が床にぶつかる。
「い、いたひ……」
じんじんと痛む頬に手を当てながら開いた扉を見やり。
「……アンリ?」
そこに居た少年の姿を認め。
「レッくん?」
少年の名を呼んだ。
今回出てきた少年はシリアス路線に行くとそれなりに重要キャラだけど、アンリちゃんといちゃいちゃしてるだけの路線に行くとほとんどモブ同然になります(
×××××「え? オレってば主人公の能力の根幹よ? え? モブ?」
いやだって……アンリちゃんといちゃいちゃするだけなら別にレッくんの秘密とかどうでもよくね?