かたんかたん、と木製の車輪が舗装された道を音を立てながら回り続ける。
奇妙なことに先頭を引いて走る馬もまた木で出てきており、にも関わらずまるで生きているかのような滑かな動きで苦も無く馬車を引いていた。
朝靄がまだ残る早朝から馬車は速度を緩めることも無く走り続ける。
「ねえ、おかあさん」
「うん? どうかした?」
そんな馬車の中に二人の親子がいた。
分厚い本を開きながらそこに書かれた内容を視線を追う母親の袖を娘が引くと、母親は視線を娘へと移す。
どこか気弱そうな少女だった。まだ五歳にもならないから仕方ないのかもしれないが、人見知りで危なっかしい娘であり、これからしばらくの間、この小さな娘を手放さなければならないと思うと少し心が痛む。
「やっぱり……ボクも、おかあさんといっしょがいい」
告げられた言葉に、またか、と思いつつもその頭をそっと撫でる。
一緒に居れるならばそれが良いに決まっている。子への愛情を失くしたわけではないし、むしろずっと可愛がっていたいと思うほどだ。
それでも、夫の手伝いに行けばきっと自分も夫も仕事に忙殺されてこの子の面倒を見ることができなくなるだろうことは分かっていた。
下手をすれば昼夜関係の無く仕事に追われることになる、そんな不安定な生活にまだ幼い子供を突き合わせるわけにはいかず。
「すぐにお仕事終わらせて帰ってくるから……だからお爺ちゃんのところで少しだけ待ってて、ね? お願いよ、アンリ」
さすがと言うべきか自分と夫の子だ、幼いながらも聡明であり、最終的にはうん、と頷いてくれる。
それでも、我慢させている、それが分かるからこそ辛いものもある。
一緒が良いと言っていながらも、それが難しいことだと本人も分かっているのだ、それでも言わずにはいられないのだろう……当然だ、まだ四歳の子供なのだから。
「それに、お爺ちゃんのところにもアンリと同じくらいの子供がいるらしいし、お友だちができるかもしれないわよ?」
「…………」
無言での返答。そっと視線を逸らした娘の様子に、嘆息する。
父から半年ほど前に子供を一人引き取ったと連絡を受けた時は何事かと思ったが、何でも父をして聞いたことも見たことも無いような相当な特異体質の子供らしく、しかも行く当ても無いということで好奇心半分、同情半分で引き取ったらしい。
七歳、ということでアンリとは約三つ違うことなるが、これまで自分たちの仕事の関係上、家で大人しく本を読んでいることの多い子で、同年代の友だちというのが一人もいないまま育ってきた。
そのせいもあってか人見知りが強く、家族以外にはどうしても気後れする、というか一歩引いてしまうため余計に交流の輪も広がらず、どうしたものかと以前から考えていたのだ。
そこで今回の話である。
父曰く、良い子らしいし、どうにか娘の友だちになってくれないか、と期待はしているのだ。
自分は未だに会ったことは無いが、父の人物評なら信じられるし、父だっているのだ。
他に親戚筋がいるわけでも無し、娘を預けるとしたら最早一択だった。
不安そうに上目遣いで見つめる娘をもう一度ぎゅっと抱きしめる。
父の家は近い。
それはつまり、この子と離れる時も近いということで。
「すぐよ……またすぐに一緒に暮らせるようになるから」
「……うん」
まだ夫の元へ行っていないので完全な目途は立たないが、それでも最低一年はかかりきりになるだろう。
聡明な娘はそれも理解していて、それでも尚頷く。
「おかあさん……がんばってね、ボク……おうえんしてるから」
それでも尚、笑顔で見送ってくれる。
「ええ……頑張ってくるわ」
手の中の愛しさを忘れまいと、最後にもう一度だけ抱きしめた。
* * *
夕方半ば。
まだ爺ちゃんの孫娘さんは到着しない。
とは言え、この世界における移動手段の最速は馬であり、前世のように車などありはしない。あっても精々馬車である。馬というのは当然ながら生物であり、二十四時間走り続けることなどできはしない。
人間もそうだが馬もまた速度と体力が反比例するもので、速く走る馬ほどすぐに体力が尽きてしまう。
一般に馬車などに使われている馬でも一時間前後で一度は休憩を挟まなければならず、馬車に搭載する重量次第ではもっと短くもなる。
とは言え前世の世界とは別の世界だ、魔法なんてものがあり、魔物なんてのがいるように、時折超人染みた人間というのがいるし、馬だって前世の知識で知るものよりもずっと能力の高い物も多い。
それでも、限界というものはある。
だからこそこの世界において、村や町からの移動とは簡単に行えるものではない。
相応に準備をし、相応に時間をかけて行うものだ。
付与魔術師というのはその辺りは相当にカットできる存在でもある。
無機物に生命を吹き込むのが付与魔術師の本質であり、ゴーレムとはその最たるものだろう。
魔力を吹き込み続ける限り、疲れず、休まず、走り続ける馬。
そんなものを作れるのが付与魔術師という存在であり。
爺ちゃんの娘夫婦の住んでいる街からこの屋敷まで普通なら三日、遅ければ五日ほどかかる道のりらしいが、爺ちゃんはこの距離を一日で走破できる。
爺ちゃんの教えを受け継いで匹敵する、とまではいかないもののかなりの腕を持つという爺ちゃんの娘ならば同じように一日、今朝届いたという出立の連絡から見て恐らく今日の晩には到着するだろう、とのこと。
それならば今はまだ来ないということなのだが。
「……んー」
鍋の中のスープをかき混ぜながら少しだけ味見する。
最近少しだけ凝っている香草類を使ったそれは以前作った失敗作と違い強く主張することも無く優しい香りがした。
少しだけ奮発した鳥の肉と今朝焼いて乾燥させたパンで作ったパン粉、それから地下室に保管しておいた卵と後はいくつかの香草と野菜を混ぜて作ったハンバーグもどきはすでに種を焼くだけとなっており、いつでも完成させることはできる。
トマトと香辛料で作ったトマトソースが今朝作ったオムレツのために作ったものがまだあるし、ケチャップとは大分違うがそれでも今あるもので作ったハンバーグのソースとしては上等だろう。
それから副菜として庭で取って来た葉物野菜を使ったサラダ、上からクルトンとチーズを塗して大皿に入れてある。酢が無いのでマヨネーズは作れないがまあ前世と違い、野菜自体が新鮮かつとても美味しいのでドレッシングの類が無くても十分いける。
後は昼過ぎから作り始めたパンが焼ければ夕飯の完成である。
知識と材料をフル活用して作ったこの世界における最高レベルの夕食だと自負する。
基本的にこの世界調理技術がまだ未熟なので材料だけあってもこれだけ創意工夫を凝らした料理というのは滅多に無いだろう。
この一食に作った料理の代金だけで以前の自分の食事凡そ百食分くらいにはなるのではないだろうか。
好きに使えと言ってくれた爺ちゃん様々である。
とは言え、孫娘ちゃんがこれらを気に入ってくれるかどうかは未知数だ。
一応秘密兵器も用意してあるが……今日からまた見知らぬ他人と生活しなければならない、と考えると多少不安にもある。
何よりこの家に住む正当な権利が向こうにはあって、自分には無いというのは恐ろしい。
さすがに爺ちゃんもいきなり追い出すようなことはしないだろうが……。
豪勢な夕食には打算も多大に含まれてはいるが、けれど孫娘と仲良くなれるかどうか、というのは自分にとっても割と死活問題なのだった。
鍋に蓋をし、火を消す。
余熱がぐつぐつと煮えているが、まあ直に落ち着くだろう。
それよりもとミトンをつけて窯を開く。
途端に放たれる小麦の香りに一瞬頬が緩みそうになる。
「……良い感じ」
前世のように食パン型などというもの無いので単なる丸めただけのロールパンだが材料的に言うとほぼ塩パンもどきである。
中にバターを巻いたこれが爺ちゃんの好物であり、ちょくちょく焼いているので加減などはもう慣れたものだ。
とは言え、子供なら甘い物も好きだろうし、棚から秘蔵のイチゴジャムを取り出す。
正直食べ合わせとかどうなんだろうと思わなくも無いのだが、甘ったるいジュース片手にショートケーキを食べれるのが子供という生き物だ。
「まあ嫌なら使わないだろうし……置くだけ置いておくかな」
後は家では定番の果実水でも出しておけば良いだろう。
「……いやー、ほんと使ったなあ今回」
この家換算でも三日分くらいは材料を使った。
まあ爺ちゃんが毎日消費する大量の紙に比べれば大した値段でも無いし、爺ちゃんも孫娘の歓迎のためならこのくらい許容してくれるだろう。
視線を向け窓の外を見やる。
時計なんて便利なもの無いので、空模様から大雑把に時間を把握するしかないのだが、そろそろ空も黒に染まって来た。
夕方より夜と言ったほうが良い時間であり。
「そろそろかな?」
呟いた瞬間。
こんこん、と玄関のドアノッカーが鳴った。
* * *
玄関を開け、そこに居たのは一組の親子らしき女性と幼女だった。
もしかして、そう思った自身の内心を他所に女性が一歩前に出る。
「キミがお父さんが話していた子ね……ごめんなさい、お父さんはいるかしら?」
「あ、はい……すぐ呼んできます」
こちらから聞くまでも無く、爺ちゃんの娘さんだというのは理解できたので、女性の言葉に頷く。
「その必要は無いぞ」
そうして屋敷へと戻ろうと振り返ったその場に、気づけば爺ちゃんがいた。
いつの間にと思ったが、口には出さず爺ちゃんへと視線を向け。
「アンリ、先に中に入ってなさい」
「お前さん、悪いがアンリを案内してやっておくれ」
女性が娘らしき幼女に声をかけると幼女が不安そうに母親を見つめるが、やがてこくりと頷いてこちらにやってくる。
爺ちゃんもまた自身にそう告げると女性と二人で庭のほうへと歩いていく。
どうやら自分か、それともこの子にか、余り聞かせたい話ではないということだろうと察する。
「それじゃあ……こっちに」
「う……あ、はい」
幼女に声をかけると、びくり、と一瞬震え不安そうな眼差しを自身をみつめながら頷く。
警戒されているのかその距離は先ほどまでより一歩遠い。
年齢が年齢だけに仕方ないと考えながら玄関のやや重い扉を開き、幼女に入るように促す。
幼女が庭に歩いて行った母親の姿と屋敷、それから自身を何度も見やり、それでも先ほど言われたからかやがておずおずと歩き出し、屋敷の中へと入る。
その背を追って屋敷に戻り、玄関を閉めると共に重い扉がどんと音を立て、幼女がびくりとまた跳ねる。
「先に部屋に案内する? それともお腹空いた?」
「うぇ……あ……その……」
見たところ荷物らしきものは持っていないのだが、どうすべきか幼女に尋ねてみるが、すっかり怯えた様子で答えに詰まっている。
一瞬だけ考えこみ、じゃあこっち、と幼女を案内する。
歩き出す自分を追う幼女だったがその距離は遠い。
―――これ追い出されるかもなあ。
なんて危惧が沸いてくるが、かと言って無理に詰め寄っても余計に拒絶されるだけだろう。
何とか仲良くなるしかないのだが。
「……これは秘密兵器の出番かなあ」
呟き声は小さく、幼女には届かなかった。
* * *
「行ったようだな」
「そうね……」
屋敷の庭は老人が魔法をかけたとは言え、手入れ自体は少年がやっている。
割とまめに手入れしているらしく、整えられた様子の庭は過去の雑草が伸び放題だった時の影も無かった。
「綺麗に手入れされてるのね」
「あやつがやったことだよ」
「……ふふ、お父さんがそんな手間なことするはずないものね」
分かっている、とばかりに苦笑する娘に老人が少しだけむっとする。
とは言え家族なのだ、この程度で怒りはしない。
「それで、本当にあの子を一年以上も預けるつもりなのか?」
「ええ……お父さんも知ってるとは思うけど、今度行く場所は少し治安の問題があってね。あの子には忙しさを理由にしたけど、本当はそっちが大きいわ」
「……お前たちは、大丈夫か?」
「大丈夫よ、お父さんに色々教えてもらったもの」
そんな娘の苦笑に、少しだけ押し黙った老人だったが、やがて嘆息し。
「そうか……」
それだけ言葉を吐き出して、沈黙する。
そんな老人の様子に、娘が少し笑みを浮かべ。
「良い子そうね、あの子」
「ん? ああ、あやつか……そうだな、まだ来て半年だが、まるでずっと以前から居たかのように思えるよ」
「そっか……それなら私も、安心してアンリのこと任せられるかしらね」
「人見知りの強い子だからな……どうなることやら」
「ねえお父さん」
娘から視線を外し、空を仰ぎながら呟いた老人に、娘があっけからんと告げる。
「あの人にも相談してみてだけど……戻ってきたら、あの子、うちの子にしちゃいましょうか?」
「……何?」
空を見ていた老人がぎょっとしながら娘へと視線を移す。
「手紙で読んだ限りだと、ここを出ても行くところなんて無いんでしょ? 一年後、もしその時にアンリが懐いてるようなら、本格的に引き取っても良いんじゃない?」
「…………」
そんな娘の提案に、即答はできないとしばしばかり沈黙し。
「……はぁ。好きにしなさい」
やや投げやりながらそう告げた。
「ふふ……なら好きにさせてもらうわ」
悪戯っぽく笑みを浮かべる娘に。
「……はぁ」
もう一度老人が嘆息した。
アンリちゃん可愛い、アンリちゃん、可愛いよ。アンリちゃん、アンリちゃんとても可愛いんだ、アンリちゃんびくびくしてて可愛い、アンリちゃん人見知りアンリちゃん、可愛い、可愛い、とても可愛い、可愛いんだ、可愛いんだよ!
ああ、アンリちゃん、アンリちゃん可愛いよ、アンリちゃん、マジ可愛い、とても可愛い、すごく可愛い、アンリちゃんアンリちゃんアンリちゃぁぁぁぁぁん。
きんこーちゃんピックアップ3回ほど引いたらアンリちゃん(2枚目)出ました。
もう書くしかないじゃない(