新鮮な卵というのはけっこうな高級品だ。
前世において日常的に食べるような類の物だったかもしれないが、この世界においては流通と保存技術の問題というものがある。
この世界に誰でも運転できて速度もある便利な自動車は無いし、コンセント一つあれば長期間食べ物を保存できる便利な冷蔵庫も無い。
いや、これは凡そほとんどの物に言えることだが。
基本的に長期間の常温保存のできない物以外はひたすらに価格が高くなる。
同じことが牛乳にも言える。
さらに言えば王国は地球でいうところのヨーロッパ風の気候なので砂糖の類も南国から輸入頼りでありひたすら高くなる。
つまりプリンは超高級品である。
「わあ……」
机の上に置いたプリンに幼女……アンリが手を出すまで酷く場が重苦しかった。
名前はここ、食堂に来るまでに互いに紹介はしたのだが本当にそれだけの最低限の会話をして以降黙ってしまったアンリに最終兵器とばかりに甘味……プリンを出したのだが、どうやら初めて見る様子だったらしいアンリが備え付けられたスプーンを手に取り口に運ぶまでにも長い時間を要した。
何度となくこちらとプリンへと視線を往復させ、警戒と興味の視線を滲ませながらそれでもようやく一匙掬い、口に運べば目を丸くして感嘆の声を零した。
口の中で蕩けるような未知の触感と甘さにアンリが目を輝かせる。
やはり女の子なら甘い物には目が無いだろうという前世知識は正しかったらしい。
「美味しい?」
「……うん」
初めてこちらを見てくれた気がする。
同時に自分が見ていたことに気づいたらしく、顔を赤くして縮こまる。
それでも自分の問いに気恥ずかしそうにしながらも頷き。
「ならもう一つどうぞ」
自分の目の前に置いていたプリンの乗った皿をアンリの目の前に差し出す。
差し出された皿と、自身へと視線を数度往復させて。
「……いいの?」
「いいよ」
確認するように尋ねた言葉に頷くと、少しだけ躊躇し、けれどおずおずと手を伸ばす。
手繰り寄せた皿を目の前に持ってきて、それからスプーンを手に取る。
数秒目の前のプリンを見つめ、動かないアンリに思わず首を傾げ。
アンリの視線がこちらを向く。どうしたの? と視線を問いかければ。
「あ、あの……その……」
ごもごもと口ごもりながら、それでも。
「あ……ありがとう」
つっかえながら、それでも言い切ったその言葉に。
「……うん」
少しだけ気恥ずかしさを感じながら、頷いて、笑みを浮かべた。
* * *
色々と用意はしたものの、プリン二個でものの見事にお腹いっぱいになったアンリが先ほどからうとうととしている。
「アンリ……部屋の準備はしてあるからもう寝たら?」
何度かそう提案しているのだが、その度にアンリはふるふると首を振って。
「おじいちゃん……くるまで、まつ」
眠そうに片言でそう告げてはうとうとと頭を揺らす。
見ているこっちが危なっかしいと嘆息し、厨房へと向かう。
厨房と地下室は繋がっている。
冷蔵庫の無い世界では地下というのは温度が安定して低く食料品の保管に向いた場所なのだから当然と言えば当然だが、薄暗い地下室には付与魔術を使った灯りを置いてある。
お陰でそこそこ広い地下室でも迷わず目的の物を探り当てることができる。
壺だ。蓋がしてあってなるべく密封してある。
封を開けるとさっと中身を小袋一杯分ほど移して即座に封をする。
長時間封を開けると中身がダメになってしまうので作業は急いだ。
目的の物を手に入れると厨房に戻り机の上に置かれた箱に袋の中身を入れる。
蓋を開ければ中は機械仕掛けになっていて、その中に袋の中身……黒茶色の豆が転がる。
実はこれにも付与魔法が使われていてゴーレム操作の応用で自動で作業してくれる。
ほどなく中身が完全に粉々になったのか、動かなくなった箱を開くと前世で嗅いだことのある香りが放たれる。
珈琲だ。
勿論今の自分にとっては初めての香りである。
なんだか落ち着くような、初めてのようで、懐かしさも感じる、そんな不思議な香り。
数週間前に南からの交易品として輸入されていたのを思わず買ってしまったのだが、粉にするための粉砕機を作るのに時間がかかり、未だ自分も、爺さんも飲んではいなかったりする。
布の切れ端で作った簡易的なパックを出して粉を入れていく。
中身が零れないようにきゅっと口を縛って完成だ。
お茶を淹れる用に用意していたお湯の入ったポッド(付与魔法で保温されている)から湯を出してカップに注ぎ、パックを入れる。
ぐるぐると回しながら煮だせばカップの中の湯があっという間に黒くなる。
一口飲んでみれば確かに珈琲の味がする。
「苦い……」
未だ子供の身にそのままは苦味が強いのでプリンを作った余りの牛乳を入れて味を調整する。
さらに同じ物をもう一つ作ってそちらには砂糖を入れて甘くする。
「これでよし」
盆にカップを載せて再び食堂に戻る。
それほど時間をかけたつもりも無かったが、どうやらすでに限界を迎えてしまったらしいアンリが食堂の大きな机に突っ伏して寝息を立てていた。
「あちゃ……無駄になっちゃったか」
珈琲は眠気覚ましに使えると前世の知識が教えてくれていたので用意したのだが、どうやら時すでに遅かったらしい。
すやすやと安らかに寝息を立てて眠るアンリを起こすのも忍びないかと考えながら机の上に盆を置く。
窓の外を見やればどうやらまだ爺ちゃんたちもまだ戻る様子はないらしい。
「……ん、仕方ないか」
二階の寝室から薄手のブランケットを一枚持ってきてアンリにかけてやる。
ログレス王国は地理的に年中寒暖の差も少なく安定した気候をしているが、それでもこんなところで寝ていれば風邪だって引くかもしれないし、温かくしておいて損は無いだろう。
健やかな寝顔である。
丸一日馬車に乗りっぱなしだったのだろうから疲れているのもあるだろう。
まだ夕方だが旅疲れもあって眠ってしまっても仕方ない。
それにしても、最初はどうなるかとも思ったが。
「どうにかなりそう……かな?」
「そうか、それは良かった」
誰にともなく呟いた独り言に、けれど言葉が返って来る。
振り向けば、食堂の入口に爺ちゃんが立っていた。
「娘さんは」
「もう帰ったよ……遅いし泊っていけと言ったんじゃがな」
「そっか」
話ながらも爺ちゃんがアンリの隣に座り、お盆の上に乗ったカップに視線を向ける。
「これは?」
「珈琲。この間取り寄せたやつ」
「おお、出来たのか」
「飲んでみる?」
「頼む」
告げる爺ちゃんに砂糖の入ったほうのカップを渡す。
受け取り、カップに口をつけて、目を丸くする。
「甘いな」
「砂糖入れてるからね」
「ふむ……不思議な味わいじゃわ」
「美味しい?」
「うむ」
爺ちゃんは割と甘党だ。
バターロールが好物なのは以前にも言った通りだが、秘蔵の苺ジャムだって元は爺ちゃんが好んで食べるから作っている部分もある。
魔法使いというより研究者と言ったほうが正しいのだろう爺ちゃんは考えることが多い。というか酷い日は一日中部屋に籠って本とにらめっこしながら紙にひたすら書き殴っていることもある。
たくさん考えると甘い物が食べたくなるものであり、そういう理由もあって歳の割に甘い物が好物なお茶目な爺ちゃんである。
「味わい深いのもそうだが、気分がすっきりするな」
「眠気覚ましにもなるからね」
「ほう……良いな」
「じゃあまたあったら買って来ようか」
「うむ、その辺りは任せる」
この家の家計は何気に自分が握っている。
七歳児にそんなことさせて大丈夫かよ、と思うかもしれないが爺ちゃんは基本的に出不精だ。
引きこもりというわけではないのだが、家で作業することが多く自分が来る前は配達のようなものを頼んでいたらしい。
今でも重い物はいくつか配達してもらっているのだが、自分でも買える物は自分で買うようにしている。
買い物に行くたびに爺ちゃんに購入費を借りていたらもう任せる、とか言って金庫ごと預けられた。
剛毅というか面倒臭がりというか、信頼されているととってもいいのだろうかと少しばかり悩んだ。
「爺ちゃん、夕飯どうする?」
ちらりと視線を向ければすやすやと寝息を立てるアンリの姿。
そんな孫娘の姿に柔らかい笑みを浮かべその頭を撫でながら爺ちゃんが少し考え。
「もう少し待とう……今日から三人で暮らすのだから、食事くらい一緒が良い」
「そっか……」
三人で、と言われて安堵する自分がいる。
半年で馴染んだつもりでいて、やはり生家を追い出されたというのはそれなりにトラウマらしい。
そんな自分の不安が表情に出ていたのだろうか。
「おいで」
爺ちゃんに呼ばれ、近寄れば。
「よしよし……安心せい、お前さんはここに居ても良い。だからそんな不安そうな顔をするな」
「……うん」
頭を撫でられる感触に、少しだけ涙腺が緩む。
歯を食いしばって堪えて、無理にでも笑みを作る。
「スープ……温めてくるよ」
爺ちゃんの答えを聞かないままに、その手から逃れ厨房へと向かう。
頭から失われた暖かさに、少しだけ名残惜しさを感じながら。
あれ以上撫でられていたら泣いてたな、そんなことを思った。
* * *
パンにサラダ、スープにハンバーグ。
食卓に並ぶ料理の数々にアンリが目を白黒させる。
「すごい……」
ぽつりと呟くその様子に苦笑しながら。
「全部こいつが作ったんじゃよ」
「ふぇ……?」
爺ちゃんの一言に俺を見やり、また驚く。
食事の準備をしている間にすっかり目を覚ましたらしい。
プリンでお腹いっぱいになったのかと思えば、さすが子供というかハンバーグの匂いにお腹が鳴って頬が紅潮する。
そんな様子に爺ちゃんと二人で苦笑しながら皿を並べていき、ナイフは危ないのでフォークとスプーンを用意し。
最後に果汁ジュースの入ったコップとプリンの乗った皿をアンリの元に並べて終了だ。
「わあ……」
プリンが出てきたあたりでまた目を輝かせるアンリ。
先ほどのプリンが余程好評だったのだろう、作った側からすれば嬉しい話である。
「はは……待ちきれぬ様子であるし、ではいただくか」
「いただきます」
「……? いただきます?」
手を合わせて呟く自分や爺ちゃんを真似るようにアンリが呟く。
前世知識のせいか、やらないと何となく落ち着かないだけなのだが、いつの間にか爺ちゃんも習慣付いていた。
西洋風の世界なのに、ここだけ和風だななんて思いながらもフォークでサラダを食べながらちらりとアンリを見やる。
さて本日のメインゲストは自分の料理をお気に召してくれるだろうか?
なんて心配は杞憂だったようで、ハンバーグやスープ、サラダも美味しそうに食べている。
ただ自分より年下の子供には量が多かったらしく、食べきれなかったらしいパンが残っていた。
その割にプリンはしっかり食べていたのは、甘い物は別腹理論なのだろうか。
小さく見えても立派に女の子だった。
* * *
風呂というのは贅沢な文化である。
実際問題、水を潤沢に使用し、湯を沸かすための火も必要とする、しかも使ったらそれを廃棄する。
一般人がこれを毎日やると一週間もしないうちに破産する程度には金がかかる。
だが付与魔術師がこれをやろうとすると、水を出すのも魔法、それを沸かすのも魔法。
廃湯は冷まして庭の畑にでも撒けば良いとローコストで実現することができる。
通常の魔術師というのは戦うための魔法を扱うものだが、付与魔術師は人のための魔法を扱う。
この差が大きいというべきだろう。
有体に言えば、応用性が高く、何にでも使える。
ただ何でもできる代わりにどれも専門には敵わないという器用貧乏になりがちなのだが、泰斗たる爺ちゃんの手にかかればどれもこれも専門家並の性能を発揮する。
果たして自分は将来的に爺ちゃん無しで生きられるのだろうかと思うほどに付与魔術に依存している自覚をしながらもその利便性に頼られずにはいられない。
果たして自分は爺ちゃんの邪魔をしているのではないかと心配になったこともあったが、そもそも人の生活の役に立つための付与魔術であり、アレをして欲しい、コレをして欲しいという要望はそういう意味でも実験の役割もあり、それなりに役には立っているらしい。
「ほら、動かない」
「……う、は、はい」
「流すよー?」
「わわわ、わ」
桶に組んだお湯を頭からかける。
髪を泡立たせていた石鹸が流れ落ち、アンリがふるふると顔を振る。
「めがいたい」
「ちゃんと目閉じてないから……ほら、お湯で洗って?」
「うん……」
目をきゅっと瞑ってお湯で洗っているが、それじゃ意味がないだろと言いたい。
仕方ないので持ってきたタオルをお湯につけて。
「アンリ、これで痛いところ拭いて」
「うん……ありがとう」
ごしごしとタオルで目を擦るアンリが背筋をぶるりと震わせる。
「寒い?」
「……ちょっと」
「じゃあ、湯船入ろっか」
まだ目が痛いらしいアンリが目を瞑りながら頷くのでその手を引いて湯船まで連れてくる。
大人が入る用に深いところと子供が入る用の浅いところに別れている、まるでプールだなと初めて見た時は思ったがこうして子供二人で入る分には助かる。
「ほら、肩まで浸かって」
「……ほわ~」
子供用に少し足元が高くなっているのだが、小柄なアンリの場合、座っていても普通に肩まで浸かっているようだった。
自分もまた足を延ばし、体を倒して肩まで浸かると、じんわりと熱が沁み込んできて、アンリと同じように声を漏らす。
夕食を食べ終えた後、爺ちゃんは一服すると言って二杯目の珈琲を片手に食堂で本を読み始めた。
アンリは軽く寝て目が冴えたのかどうしようかときょろきょろしているし。
そこで夕食の片づけを終えた俺に爺ちゃんがアンリを風呂に入れてやってくれ、と言われたので今のような現状になっている。
同じ釜の飯食った仲、なんて言葉が前世であったが。
一緒にご飯食べて、一緒に風呂入って。
それなりに仲が良くなったとは思う。
少なくとも、最初の時のように視線を向けただけで震えられたり、言葉を話すたびに反応に困ってちらちら視線を向けられるようなことも無くなった。
どう言おうと、これから一緒に暮らす……そう、家族になるのだから。
いつまでもコミュニケーションできないでは困るし、結果的に良かったのだろう。
「アンリ」
「ん……なに?」
「これから、よろしくね」
ぽかぽかとした全身にリラックスしていたアンリが首を傾げ。
そうして自分の言葉に少しだけ驚いたように目を丸くし。
「うん……よろしく、おねがいします」
少しだけ恥ずかしそうに頬を染めながら、それでもそう言って微笑んだ。
ア イ ギ ス 人 気 闘 票 開 催 !!!
Q.誰にする?
A.アンリちゃんでしょ!
人気投票前に一人でも多くのアンリちゃんファンを増やすべく、書いてみた。