ツイッターで流行った、「ぶち切れユーリ」に触発されて書きました。ちーちゃんがひどい目に遭ってユーリがぶち切れるだけのお話でっせ

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私を一人にしないで

 

 

 

 ここは終焉を迎えた階層都市。ひたすらに上を目指し、のらりくらりと毎日を生きていくチトとユーリが『それ』を見つけたのは、荷物の整理を行っていた時だった。

 

「あっ……」

 

 ユーリがリュックに手を入れていた時、声を上げた。ただそのトーンがいつもと違う雰囲気で、なおかつユーリがその次の言葉を発しないことにチトは違和感を覚え、問いかける。

 

「どうしたの?」

 

 何かガラクタを見つけたのなら、ユーリは嬉しそうなアクションを起こすのだが、それがない。チトだから分かるユーリの変化だった。

 

「何でもないよ」

 

 と、ユーリはリュックの中身を探る作業に戻る。だがどこか落ち着かない様子で、整理しているように見えて手をガサゴソと動かしているだけなのをチトは見抜いた。

 

「ていっ」

「あっ!」

 

 チトはユーリのリュックの中に手を突っ込む。慌てたユーリは何かを隠そうと手を伸ばしたが、それよりも先にチトがその『何か』を掴みリュックの外に引きずり出した。

 

「これは……」

 

 チトの手の中にあったのは、折れたナイフのようなものだった。それなりの長さがあったであろう刃物は、わずかに残った刃の部分と柄の部分が黒く染まっており、原型は見る影もなくなっていた。

 

「ちーちゃん捨てて」

 

 ユーリが冷たい声で言う。滅多に聞けない、ユーリ最大の拒絶。本人は顔を見られたくないのか、そっぽを向いている。ああ、こんなところにあったのかとチトは少し懐かしくなり、そしてユーリの掘り起こしてはいけないものを掘り起こしたことを後悔する。

 

 これは、ユーリが所持している三八式の先端に装着する銃剣だったものだ。刃渡り40cmはあるものだが、それがほぼ根元から折れている。本来ならそう簡単に折れない代物だ。

 それがなぜこんな姿になったのだろうか。そう、その理由こそユーリが思い出すことも、この折れた銃剣を見ることも拒む理由だった。

 

 

 

 

 それは旅を始めて比較的最初の方だったとチトは記憶している。都市のまだ下層だっただろうか。この事は日記に書かなかったから正確な日付も覚えていない。

 

「……寒い」

 

 その日は妙に眠れなかった。ユーリは隣でグーグーと寝ているが、どうも寝つきが悪く、悶々とした時間を過ごしていた。運転の疲労もある。昼寝をしたわけでもない。恐らく人間の誰かしらも経験する不眠現象だろう。

 

「……ダメだ」

 

 チトはもうしばらく眠れないことを悟り、ユーリを起こさないように毛布から抜け出すと、大きく伸びをして近場を少し歩こうと思う。もちろんケッテンクラートが目に届く範囲でだ。

 

 その日は新月で、周囲はいつもより暗かった。足元に気を付けないと、何かの残骸を踏んでしまいそうだった。

 

 その代り、星空は空いっぱいに輝いていて、チトのことを見下ろしていた。

 

(……きれいだな。ユーも起きてたら一緒に見れたのに)

 

 と考えるが、チトはそうでもないかなと思う。たぶん、星を見ていてもすぐに『お腹すいた』と言って食料を食べようとするだろう。確か古い言葉にあった。花より団子、とかいう奴だろう。

 

「……ん?」

 

 ふと、チトは足元に目を向けてみる。積もった雪と自分の足跡。降った雪のせいで埋もれそうになってるケッテンクラートの履帯痕。そしてその中に混じる、自分のものではない出来たばかりの足跡。

 

「……誰か、居る!?」

 

 靴の大きさからして男性だ。それもよく見ると一つではない、少なくとも二人は居る。その足跡をたどると、自分たちの拠点にしている廃墟の入り口まで続いていた。

 

 そこからさらに引き返した形跡がある。それが何を意味しているかというと、自分たちの存在を知り、さらに仲間を呼びに行ったのかもしれないのだ。

 

 チトは確証があるわけではなかったが、本能的に身の危険を感じた。自分たちを見て、なぜ戻ったのか? 人類が何人生き残っているかわからない世界で、それを行う意味とは?

 

 チトはほぼ迷うことなく、結論を作った。こいつらは、私たちに危害を加えるために行動を起こす。

 

「ユ、ユー!」

 

 チトは踵を返してユーリの元に戻ろうと走り出す。ヤバイ、ヤバイ、ヤバイヤバイ。確証はないけど、とにかくヤバイ。なぜわざわざ見て帰った? 仲間がいて、呼びに行ったのかもしれない。なぜ仲間を呼ぶ必要がある? 確実に襲うため。数の有利は絶対的だ。

 

 とにかく早く、ユーを叩き起こしてここから逃げないと。大丈夫、ケッテンクラートに乗ってしまえばこっちのものなのだ。

 

 あと少し、あと三歩で廃墟に入れる。チトにとってこの三歩は永遠のように長く感じた。

 

 事実、永遠に三歩目は踏めなかった。

 

「っ!?」

 

 最後の一歩を踏み出そうとしたまさにその瞬間だった。口に何かを押し当てられ、ぐい、と体が引っ張られる。

 

「んーっ! んーーっ!!」

 

 緊張が恐怖へと変貌する。口を塞いでるのは間違いなく男の手。それも一人ではなく二人。その情報を得ただけで、チトは自分がかつて類を見ない危機に直面していることを悟る。

 

「――――!」

「――――!!」

 

 聞いたことのない言葉だった。二人の男はチトを羽交い絞めにしてそのままユーリのいる廃墟から離れる。乱暴にチトを扱う点と、荒々しい声からして間違いなく敵意を持っていた。

 

(ユー! 助けてっ、助けてぇ!!)

 

 必死にチトは向こうで眠っているユーリに向けて叫び声を上げる。だが、その声は口を塞ぐ手の中に虚しく吸い込まれる。一歩一歩、着実に離されていく。

 その一歩一歩がチトの頭を絶望で満たしていく。必死に声を上げても、届かない。気づけばもう絶望的な距離にまで自分が連れていかれていた。

 

(あ……ぁあ……)

 

 これから自分はどうなってしまうのだろう。何をされてしまうのだろう。自分たちの旅路はここで終わりなのだろうか。

 

 ふと意識を戻すと、どこかよく分からない建物の中にいた。その中にまた二人、男がいてチトのことを見下ろしていた。

 

「――――?」

「――――」

「――、――」

 

 やはり何を言っているのかは分からない。自分たちの使っていない言語だ。それ故に、自分の行く末が全く予想できずに恐怖が一層増す。

 男たちは一通り話を終えたのか、全員がチトの方に顔を向ける。同時に八つの目を向けられ、チトはそれだけで恐怖が激増した。

 

 がちがちと歯が鳴る。足が震えて立つことも出来そうにない。直後、掴まれていた腕を離され、チトはどさりと地面に倒れ込む。腰が抜けて立つことができなかった。

 

(逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ……!)

 

 どうにか一歩を踏み出そうとするが、まるで他人の足のように言うことを聞いてくれない。それを知っているからか、男たちはケラケラと笑い声を上げてまた何か話し出す。

 

 ずい、と男が顔を近づける。チトは小さく悲鳴を上げる。その反応を楽しむように男はにやりと笑うと、チトの頬を掴む。まるで品定めをするかのような目だった。チトは悟る。こいつらは、自分のことを人間として見ていない。この先に待ち受ける運命を想像し、突如として体の制御が復活した。

 

「や、やだっ!!」

 

 思わず男の頬に拳を叩きこむ。よりにもよってこんな時にユーリとの喧嘩で鍛えた腕力が働くとは思っていなかった。

 

 男は大きくよろめき、頬を抑えながら殺意のこもった目で睨みつける。

 

「ひっ……」

 

 気づいた時には体に衝撃が走っていた。激怒した男たちに首を掴まれ、地面に押し付けられた。呼吸ができず、チトは呻きを上げる。どうにか酸素を取りこもうとするが、続けざまに腹へ拳がめり込み、胃液が溢れてまき散らす。

 

 目がチカチカとしてただでさえ暗いのに一層視界が暗くなる。すると男の一人が何かを握り、振り上げているのがかろうじて見えた。チトはとっさに顔を背けてそれを避ける。

 

 左の頬に痛みが走る。つー、液体が頬を伝う感覚。目を開くと鈍く光る金属の刃がすぐそこにあった。

 

 男が伸し掛かり、チトの動きを完全に封じ込める。今度こそ殺される。男四人に勝てるわけがない。自分はこのまま男たちに乱暴され、ぼろぞうきんの用に扱われ、殺されるのだ。

 

(やだ、やだ、やだやだやだ!!!)

 

 チトは必死に拒絶する。一瞬自分の口が自由になっていることを思いだし、叫び声を上げようと口を開いたが、声を上げる寸前に手で押さえつけられ、嗚咽の混じった咳を吐きだす。

 

 それでも抵抗しようと、チトは首を必死に振る。しかし、一層強く押さえつけられて動けなくなる。今度はかろうじて動かせる足をじたばたと動かす。残っていた男たちに押さえつけられる。そこに、再び腹部に拳が叩きこまれた。

 

 逆流した胃液が口の中だけでなく鼻にまで達し、呼吸ができなくなる。恐怖と激痛で回復手段を思考することをやめてしまった脳は、不思議なことに生への執着と死への恐怖以外に対してはやたらと冷静だった。

 

 万事休す、まな板の上の鯛。こんな時に限っておじいさんに教えてもらったことわざを思いだす。次に本を読んでいるとちょっかいかけてくる小さい頃のユーリ。そうだ、こいつは私が顔を向けるとまず嬉しそうな顔になるんだった。だからしょっちゅう悪戯も仕掛けてきた。読書を邪魔された私はたまったものじゃないけど。

 

 二人で雪合戦して、ご飯食べて、おじいさんと居て……でも、家もなにもかも失って……それでも私たちは上に、上に行かなきゃいけない。それなのに。

 

 こんなところで終わるの?

 

(ユー……ユー、逃げて)

 

 チトはいつしかユーリの身を案じていた。せめて、せめて逃げ切ってほしい。奴らがユーリに気付く前に逃げて。私はダメかもしれないけど、でもそうなったら食べ物いっぱい食べられるから。

 

(だから……ユー、逃げて……!)

 

 パァンッ! 高い音が建物に響き渡る。チトの上に伸し掛かっていた男の脳天から何かが飛び散り、そのままのけ反って倒れ込む。他の三人は何が起きたか理解できず、周囲を見回す。

 直後、暗闇の中から槍が現れ、チトの口を塞いでいた男の首元に突き刺さる。それは銃剣を装着した三八式歩兵銃だった。

 

声帯を失った哀れな男の呻き声が数回聞こえ、次にぐしゃりと喉を掻き回される音が聞こえて、赤い噴水が上がった。

 

 ようやく、チトに組みついていた他の二人が離れる。その瞬間に闇の中から美しい金髪が現れ、チトを一瞬で抱えると信じられないような速さで全力ダッシュした。

 

「ゆ、ユー……!」

 

 信じられなかった。この場にいるはずのない相棒が、そこにいたのだ。

 

 ユーリは全速力で廃墟を飛び出し、出来るだけ入り組んだ場所を目指す。チトは気づいていなかったが、ユーリはこの時注意深く雪の積もった地面を見て、同じ場所を数回通るようにして自分たちの行方をかく乱させていた。

 さらに、雪の上に残された『奴ら』の痕跡があればそれも見逃さず、出来るだけチトを安全な場所な場所を探し当てたのだ。

 

 小脇に抱えていたチトをゆっくりと地面に降ろす。チトの体はまだ震えていた。がちがちと歯が鳴り、肩を抱えても恐怖で全身を舐めまわされているような気分だった。

 

「ユー……ごめん……ごめんね……」

 

 そのせいで、チトは動転してまともに会話ができなかった。ユーリはチトの手を取ると、ぎゅう、と握りしめる。自分より少し大きいユーリの手。チトは自分が生きていることを思いだし。気づけば涙を流していた。

 

「……ちーちゃん、遅れてごめんね。怖かったよね」

「ユー、ユー……」

「うん、もう大丈夫だよ。でもちょっとだけ待っててくれる? すぐに戻ってくるから」

「や……だ……や、だ」

「ごめんね。本当にすぐ戻ってくるから」

 

 そう言うと、ユーリはチトの頬に伝っている血を指で拭い、自分の持っていたヘルメットをチトに被せて立ち上がる。それを見てチトはユーリを止めようと手を伸ばすが、鉛のように重くて持ちあがらない。

 その間にユーリは背を向けると、『奴ら』の声がする方へと歩いていく。行かないで、行かないで。お願いだからユーリ、一緒に逃げよう。

 

「いか……ないで……」

 

 それはほとんど声になっていなかった。ユーリは建物の向こうに消える。行かないで。一人にしないで。チトは立ち上がろうとするも、足が言うことを聞かずに転がってしまう。それでも、それでも追いかけないと。

 

 どうにか腕を伸ばし、這ってでもユーリを追いかける。すると、銃声が響いた。それから男たちの警戒の声、怒号。二回目の銃声。今度は男の悲鳴。もう一人の怒号。チトは、ユーリを追いかける。

 

 ようやく建物の外に出ることができた。息を切らし、顔を上げる。ユーリはすぐそこにいた。

 

 

 

 

 ユーリが目を覚ましたのはチトに呼ばれたからである。

 

「――ユー!」

 

 遠くからチトの声。ぐっすり眠っていたユーリの鼓膜が震え、目を覚ました。

 

「んぅ、ちーちゃん……?」

 

 目を擦りながら体を起こすと、隣にチトは居なかった。周囲を見回せば辺りは暗く、ガラスの無くなった窓からわずかに星の光が注ぎ込んでいる。

 

「……ちーちゃん?」

 

 少し大きめの声でチトを呼ぶ。しかし声は虚しく建物の中で反響して消えた。

 

 もう一度チトが眠っていた隣を見る。目が少し慣れて、ランタンもヘルメットも日記もその場に置かれているのが見えた。そう遠くに行ったとは思えない。と。

 

「――!」

 

ユーリは聞いた。声にならないような声だ。いやそれどころかそれを声と認識することすら怪しい物音だった。しかしユーリは確信する。その声がチトのものだと。そしてそれが助けを求めているものだと。

 

聞いてからの迷いはなかった。傍らに置いていたライフルを握り、リュックからサバイバルナイフを引ったくる。自分のヘルメット乱暴に被り、ダッシュで廃墟から飛び出した。

 

「ちーちゃん!」

 

呼び掛けるも返答はない。首を巡らせ、周囲に痕跡がないかを探る。右、左、上。次いで下の足元を見て気がつく。チトの足跡だ。そしてそれを囲むように知らない人間二人の足跡。それだけでユーリは何が起きたのか理解した。

 

コッキングレバーを引いて初弾装填。ベルトに差し込んだライフル用の銃剣を抜き、先端に装着する。足跡の先を辿る。まだ真新しい。チトの足跡が次第に引きずられた後に変わっていく。間違いない、抵抗しているのだ。ならやることは一つ。

 

 チトを傷つけたものは、生かしておかない。

 

 足跡を辿る。目の前に別の廃墟がそびえているあそこの中にチトが居る。この間にも彼女の身に死が近づいているかもしれない。それは絶対に許さない。

 

 建物に飛び込む。暗がりの中に見える複数の人影。幾分か久しぶりに見た自分たち以外の人間。いや、そんなものどうでもいい。一番の問題はそいつらがチトにウジ虫のように群がっていることだ。

 

 そしてそのウジ虫が、今まさにチトの腹に拳を叩きこんだ。聞いたことのない、死が混じったチトの呻き声が鼓膜を叩く。

 

 ぷつん。

 

 次に、暗闇できらりと鈍く光るものが降り上げられる。その真下にはチトの心臓。それが刃物だとユーリは体で理解した。いや、理解するよりも圧倒的前に体の全神経が煮えくり返った。

 

 ぶちっ。

 

 パァンッ! 迷いはなかった。チトに伸し掛かり、今まさに刃物を振り降ろそうとした一人の脳天を正確に撃ち抜く。銃弾が突き抜けた頭部から赤い蜜が飛び散り、綺麗な花が咲いた。混乱するウジ虫たち。何をそんなに慌てる必要がある? 虫にふさわしい餌が出来たじゃないか。

 

 ほら、ご飯だよ。

 

 コッキング、次弾装填を終えるとライフルを槍のように構え、投擲。美しい放物線を描きながら飛んだライフルは、チトの口を塞いでいた男の喉元に突き刺さる。距離を詰め、刺さったライフルを握ると思いきり捻る。ぐしゃり、と赤い噴水が綺麗な弧を描く。

 

 今度は、おいしそうなお水だね。

 

 ユーリは残った男たちを捻り潰したくて仕方がなかった。だが、チトの安全が最優先だと彼女を小脇に抱えて走り出す。チトに名前を呼ばれた気がしたが、なぜか頭に入ってこなかった。

 

 走り回り、奴らをかく乱するための用意を整えて安全そうな廃墟に飛び込む。抱えていたチトは恐怖で震えあがっていた。可愛そうに、私がもっと早く気付いていればこんなことにはならなかったのに。

 

 いや、違う。あいつらさえいなければよかったのだ。

 

「ユー……ごめん……ごめんね……」

 

 チトは動転してまともに会話ができなかった。ユーリはチトの手を取ると、ぎゅう、と握りしめる。自分より少し小さいチトの手。彼女が少しでも自分を取り戻せるように強く手を握る。気づけば、チトは涙を流していた。

 

「……ちーちゃん、遅れてごめんね。怖かったよね」

「ユー、ユー……」

「うん、もう大丈夫だよ。でもちょっとだけ待っててくれる? すぐに戻ってくるから」

「や……だ……や、だ」

「ごめんね。本当にすぐ戻ってくるから」

 

 ユーリはチトの頬に伝っている血を指で拭い、自分の持っていたヘルメットをチトに被せて立ち上がる。チトはユーリに手を伸ばそうとするが、間に合わずに空を切る。

 ユーリは『奴ら』の声がする方へと歩いていく。これで準備は終わった。貴様ら全員虫の餌にしてやる。

 

 ユーリの激高は、怒りという単語で表現するにはあまりにも足りなかった。か細い声で必死に呼び止めるチトの声ですら受け付けないそれは、もはやユーリではない。

 

 殺意その物だ。

 

 廃墟から出たユーリは、男たちの声のする方へ迷うことなく歩み寄る。数歩歩いたところで、自分たちの正解の足跡を嗅ぎまわる虫共が現れた。

 

 発砲。ただし、あてずっぽうな方向へ向けて。男たちがこちらに気付き、怒号を上げる。そういえばこいつら、自分たちとは違う言葉を話している。きっと遠くから来たんだろう。

 

 でも、うるさいだけだ。

 

 コッキング、発砲。体に染みついた動作は、狙うということを必要としなかった。放った弾丸は、正確に男のすね付近を撃ち抜き、悲鳴が上がる。

 

 もう片方の男が怒号を上げるが、遠距離武器を持っているユーリを見て分が悪いと判断したのか、倒れ込んだ男の首根っこを掴んで逃げていく。ユーリは迷わず追いかける。建物の影に隠れた。追撃して腸捻りだしてやる。

 

 建物の影に飛び込む。刹那、ユーリの眼前にナイフの切っ先が現れた。ユーリはおびき寄せられてしまったのだ。これは完全な不意打ち、普通ならば対処することは不可能な距離だ。

 

 だが、ユーリには不可能ではなかったので別段問題ではなかった。

 

 まるで分かっていたかのように、ユーリは首を傾けてナイフを避け、それどころか空を切ったナイフの刃を掴むと、力を込めて根元をへし折った。いや、それはもはや粉砕に近いものだった。

 

 折れた刃が地面に刺さる。あまりの光景に唖然とした男は、それでも殴りかかろうと拳を作ったが、その前にユーリが銃剣を肩に突き刺して地面に押し込み、発砲。男のプライドを捨てた情けない悲鳴が響く。

 

 ユーリは銃剣を刺したままコッキング。その動作で肩に食い込んだ銃剣がぐりぐりと動き、赤子のような泣き声がこだまする。

 

「――――! ――――!!」

 

 なにか喚いているようだ。それは命乞いか罵りか。いずれにしても、ユーリにはそれが何なのかわからない。分かるのは、うるさいということだけだった。

 

 サバイバルナイフを抜き、叫ぶ男の喉の上に持ってくるとそのまま手を離す。自由落下したナイフは、その切れ味をいかんなく発揮して男の喉に突き刺さった。これで幾分か静かになっただろう。

 

 ナイフを引き抜きながら、ユーリは足を撃ち抜いた最後の一人の男を見る。どうにか両腕と生き残ったもう片方の足を動かして逃走を図っていた。なにその動き、ウケる。

 ライフルを動く方の足に向け、発砲。再び耳障りな赤子のような悲鳴。歩きながらクリップにまとめた予備弾薬を弾倉に差し込み、コッキングレバーを押し込んで再装填完了。暴れる男の背中に足を振り落とす。

 

 パンッ。じたばたと暴れていた腕の動きを封じ込めるために左肩を撃ち抜く。響く男の絶叫。だからうるさいと言っているだろう。ユーリは銃床で男の後頭部を殴りつける。うん、大人しくなった。じゃあ右肩も。

 

 コッキング、再度銃声。何度目かわからない絶叫。銃床で殴打、大人しくなる。

 

 銃剣を男の肩に突きたてる。かすれた悲鳴だ。さっきまでうるさかったのにもう終わりか。つまらないな。

 

動きが鈍くなった男をそのまま持ちあげようとする。だが、度重なる無茶な使用で銃剣が根元から折れてしまった。もういい、古いものだし。けど、むかつく。ユーリは舌打ちをして男の顔を蹴とばし、仰向けにさせる。

 

 殺意は、留まることを知らなかった。

 

 

 

 

 チトは目の前の光景が信じられなかった。まるでフィクションの世界を見ているかのようで、それを現実として受け入れるには無理がありすぎた。

 

 ユーリが、あのユーリが。温厚と楽観を具現化したかのような相棒が、残虐な殺戮が繰り広げていたのだから。

 

 そこにいるのに、そこにいるのはユーリではないかのようだった。人生を共に過ごした相棒は、襲ってきた最後の一人に馬乗りになると、胸ぐらを掴んで拳を叩きこむ。一発、二発、三発。頬に、顎に、鼻先に。次第に男の反応消えていく。

 それをつまらなく思ったのか銃弾を撃ち込んだ肩の傷口にナイフを突き刺す。響く絶叫。男の体が跳ね上がるが、ユーリが伸し掛かって動けない。

 

 それを聞きたかったと言わんばかりに、今度は腹に拳を入れる。さっき自分が上げた呻き声にそっくりだった。

 

 叫べ。どうした。まるでそれを望んでいるかのようにユーリは再び傷口にナイフを突き刺す。絶叫、殴打、沈黙。そして最初に戻る。

 

 それを幾度となく繰り返すと、男の声は何をしても聞こえなくなった。壊れたおもちゃを叩いて直そうとする子供のように、ユーリは男の顔を殴打する。

 

 一発、一発が加えられていくにつれて、男の顔から血相が消える。ユーリの拳から、ぐしゃり、ぐしゃりと湿った音がする。これは、血液で手袋が濡れ切っているのだ。

 

 手袋の、「中」から。

 

「ユー……ユー!」

 

 それが一体何なのか、どういうことかを理解したチトの体は思考との再接続に成功する。ユーリの元に歩み寄ろうと立ち上がるが、自身が受けた怪我で呻き声を上げ、思わず腹を庇う。だがそれどころじゃない、ユーリを止めないと。

 

「ユー!」

 

 ずるずると体を引きずりながら、どうにかチトはユーリの背中に近寄り、手を伸ばして肩を掴む。その表情は見えない。

 

「ユー! やめて、もう死んでる! もう殴らなくていいから!」

 

 ユーリの手は止まらなかった。まるでからくり人形のように、作業的に殴打を繰り返す。人間とは思えないその動作が恐ろしくて、チトは声を必死に上げる。

 

「ユー、ユーってば! お願いやめて!」

 

 ぐしゃり、と手袋の中で液体がシェイクする音が大きくなる。チトは嗚咽が混みあがるのを我慢する。今ここで自分が声を出せなくなったら、それこそユーリは戻ってこない。だから無理をしてでも呼びかける。自分の存在に気づいてもらうために、チトは痛みをこらえてユーリにしがみついて叫んだ。

 

「ユー、やめて! もう殴らないで! それ以上やったらユーリが壊れちゃう! そんなの嫌だ、お願いだから……お願いだから私を一人にしないで、ユーリっ!」

 

 ぴたり。ユーリの手が止まる。チトの体越しに、ユーリの体の強張りが消えていくのが手に取るように分かった。恐る恐る、顔を上げてみる。ユーリがゆっくりと振り向き、チトの顔を見た。

 

「……ちー、ちゃん?」

 

 いつもの、ユーリだった。

 

「……ぁ」

「私……あれ?」

 

 いつものユーリの目。いつもの声。ユーリは自分の左手を見て、呆然としている。けど、戻った。戻ってきてくれた。

 

「……っぐ、ひっ、ぐ……うぅ、ああ゛ーーっ!」

 

 チトは涙を流し、ユーリの胸に飛び込んで絶叫する。勢いをまともに受けたユーリは派手に飛ばされるが、チトの嗚咽を聞いてすぐ冷静になる。今彼女が泣いているのは、自分のせいだとすぐにわかったからだ。

 

「う゛う゛、うああーーっ! っ、ぐ、ひぐっ……ばがっ、ユーリの、ばがぁ!!」

 

 チトはありったけの罵倒をユーリに投げつけているようだった。しかしその全ては嗚咽に混じって理解できないものへとなってしまい、彼女が何を言いたいのかまったく理解できなかった。

 

 ユーリはチトを落ち着かせようと手を出す。が、ぐっしょりと湿った自分の左手に気が付き、手袋を外す。

 

「…………」

 

 そこには、真っ赤に血塗られた自分の手があった。周囲を見回すと、肉塊と化した人間たちの死体が転がっている。すべて、自分がこの左手で起こしたことなのだ。

 

「……ごめん……ごめんね、ちーちゃん」

 

 ユーリはチトに触れてなだめることができなかった。暴力と、殺戮を繰り返したその左手。自分は、この手でチトに触れようとしてしまった。

 

 それでいて、チトは自分のためにここまで泣いている。彼女が止めてくれなかったら、一生自分は戻ってこれなかったかもしれない。チトを救うため、激情に身を任せた結果、チトを悲しませてしまうなんて。

 

 今の自分には、チトに触れる資格など、微塵もないのだ。

 

 

 

 

 チトが落ち着きを取り戻し、その場から退避した後。ユーリはチトに近づこうとはしなかった。ナイフをへし折った際に左手には深めの怪我を負い、その手で空いてを何度も何度も殴打したのだから、自我を取り戻した後には容赦のない激痛がユーリを襲った。

 

 チトがすぐに手当てをすると言ったが、ユーリはまるで怪我を負った犬が主人にも触られることを拒絶するかのように拒否し、自分で消毒と包帯を無理矢理巻くだけに終わった。おかげで彼女の左手だけ、ミイラのように包帯がグルグル巻きにされている。

 

「……ユー、痛くない?」

「…………うん」

 

 それ以上、会話は続かない。ユーリは徹底的にチトを拒絶していた。だが、チトはその理由が分からないわけではない。見せたくない、見せてはいけない一面をユーリは見せてしまったと、そう後悔しているのだろうと。

 

 自分は、もう大丈夫なのに。

 

 チトはケッテンクラートを止める。ユーリは少しだけ怪訝そうな顔をするが、有無を言わさず荷台に乗りこみ、隣に座る。ユーリは立って離れようとしたが、チトはそれを許さない。腕を思いきり引っ張り、荷台に引き戻した。

 

「……ちーちゃん、だめ」

 

 顔を背け、ユーリは言った。チトは「何が?」と返事をする。

 

「……だめ、近づいたら」

「だまれ」

 

 チトは有無を言わせるつもりはなかった。

 

「お前に言いたいことがある」

「…………やだ、聞きたくない」

「いいから聞け」

 

 ユーリは口を塞いだ。よし、聞く気になったかとチトは一安心する。膝を抱え、空を見上げながらチトは言った。

 

「ありがとう」

「……え?」

 

 予想外のことを言われ、ユーリは思わずチトの顔を見た。それを待っていたかのように、いつの間にかチトはユーリの方に向いていた。

 

「やっとこっち見たか」

「あっ……いやっ」

 

 ユーリは慌てて目を反らそうとし、しかしそれを許すまいとチトは声を重ねる。

 

「人と話す時は目を見ろ」

「……はい」

「もう一度言うぞ。助けてくれてありがとう。ユーがいなかったら、本当に危なかった。正直もうダメだと思った。せめて、ユーだけでも逃げてって思って……でも、お前は来てくれた」

 

 チトはユーリの右手を握る。一瞬ユーリの体が跳ねるが、逃がさないぞと指を絡める。

 

「ただ、これは正直に言おう。ユーが壊れそうだった時は怖かった。まるで現実じゃないみたいで、でも、間違いなく現実で。それで一心不乱になっているユーリがそのままどこかに行ってしまいそうで……でも。ちゃんと戻ってきてくれた。私を一人にしないでくれた。それだけで十分だよ」

 

 ユーリの表情が手に取るように変わっていく。うん、そうだ。それでいい。拒絶なんてしないで。私はユーのことを嫌いになんてならないから。

 

「……ありがとう、ちーちゃん」

 

 ユーリの目尻は潤んでいた。チトは微笑み、両手でユーリの手を強く握った。

 

 

 

 

 そして、現在。当時のことを思いだしたチトは、折れた銃剣を握ると近くにあった柵の近くまで歩み寄る。その先には遥か下層が見えるほどの高所で、正直足が竦みそうだった。

 

 でも。チトは銃剣を思い切り投げる。重力に従い、折れた刃はそのまま下層に向けて落下していく。これでおしまい。臭い物に蓋を、と言う言葉を聞いたことがあるが、それよりも臭い物は捨てるの方がいいに決まっている。

 

「ほい、これで捨てた。もう終わり」

「……ありがと」

 

 うっすらと笑みを浮かべたユーリ。チトも微笑みを返し、ケッテンクラートの運転席に座る。過去のことなど、もうどうでもいい。

 

 それが、今のチトとユーリなのだ。

 

「さ、行こうか。今日ものらりくらりと」

「終末旅行だね」

 

 ガルル、と心地よいエンジン音。ガコンと手ごたえのいいクラッチ。ぎゅっとアクセルを捻り、車両は力強く動きだす。

 

 ここは階層都市某所。二人の少女と一台のケッテンクラートは、今日も上層を目指して走り続けていた。

 

 

 

 

 了

 


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