前略、オフクロ様、おっぱいがボクにもできたようで、母親になれるかもしれません。
「………………」
朝、神山高志は鏡に映る三葉のおっぱいを黙って見つめていた。
「……不可解な事態だ……。ボクが女性に………けど、朝起きてゴリラやロボットになっていることに比べたら、ささいな出来事かもしれないな」
気を取り直して、そばにあった制服を着てみる。
「………やはり女性なのか……」
高志が再び鏡を見つめていると、宮水四葉が戸を開けた。
「お姉ちゃん、早くしいや」
「……………」
「お姉ちゃん、聞いてる?!」
「…………………」
「何を真顔で鏡、見つめてるん?! ナルシストか?!」
「なかなかに、美人だと思いまして」
「……ァ…アホになってる…………。ま、いつものことやけど。朝ご飯できてるから、おりて来てよ!」
「わかりました」
高志は一階へおりてみる。
「おはようございます」
「おはよう、三葉」
宮水一葉が座っていたし、四葉も座っているので、空きスペースに座ってみた。
「ご飯をいただいてもよろしいでしょうか?」
「「……どうぞ」」
「では、いただきます」
行儀良く食べ始める姉を見て、四葉が問う。
「今朝のお姉ちゃん、変やね」
「やはり、そう思いますか」
「………。うん。かなり」
「ところで、三葉というのは私の名前ですか?」
「「…………」」
一葉と四葉が顔を見合わせている。それで、なんとなく察した。
「そのようですね。ところで、ここは、どこですか?」
「三葉、もういいから、早う食べて学校に行きなさい!」
「……わかりました、そういたします」
カバンを持って高志は外に出た。すぐに勅使河原克彦と名取早耶香が挨拶してくる。
「おはよう、三葉」
「おはよう、三葉ちゃん。……なにを、自分の家の表札なんか、見つめてるん?」
「この家は宮水という家ですか?」
「「……………」」
「わかりました」
高志は三葉の瞳で風景を眺めた。
「ずいぶんと山の中ですね」
「「…………」」
「空気がすがすがしい」
「三葉、今日は髪の毛、73にしてるんや」
克彦に言われて頷いた。
「ええ」
「それも、……かわいいな」
「ありがとうございます」
「テッシー! 三葉ちゃん、そろそろ学校に行こう!」
早耶香に促されて歩き出すうちに、高志はカバンを漁って三葉の生徒手帳を見つけた。
「……岐阜県……糸守町…………糸守高校………宮水三葉……2年3組……2013年………なぜ、こんな古い生徒手帳を……けれど、写真は現在の……」
「何をぶつぶつ言うてるんや、三葉」
「この生徒手帳は、私の物ですか?」
「……当たり前やん」
「私は2年生なのですか? 今は20…何年?」
「そうや。三葉、お前よく日付とか忘れて冬服と夏服を間違えて登校したり、ひどいと年が変わってるのに気づかず一学期に下級生の教室へ行ったりするから、ちゃんと日付と年くらい認識しろよ。今は2013年や。そして、お前は2年生や」
「そうですか。ありがとうございます。………女性化だけでなくタイムスリップも……これはゴリラ以上だ」
「「は?」」
「ともかく落ち着いて行動しよう」
「「…………」」
克彦と早耶香は、すっと前を向いて歩いていく三葉を心配しながらついていく。道ばたでは宮水俊樹が選挙演説をしていた。
「どうか、この宮水俊樹に清き一票をお願いします! ん? ……どうした、三葉」
俊樹はまっすぐ見つめてくる長女に気づいて問うた。
「同じ宮水………あなたと私は、どういう関係ですか?」
「…………朝から、くだらんことを言うな!」
「失礼しました。では」
一礼して登校を再開すると、早耶香が言ってくる。
「どうして、お父さんに、あんなこと言ったの?」
「お父さん……だったのですか……なるほど。では、私のお母さんは?」
「「…………」」
二人が悲痛な顔をして下を向いたので、わかった。
「お母さんは亡くなっているのですね」
「……三葉ちゃん……」
「三葉……」
「………ともかく、学校へ行きましょう」
高志が学校に着くと、三葉の瞳を輝かせた。
「……なんて、すこやかな学校なんだ……不良が一人もいないなんて……みんな、髪の毛があって、黒いじゃないか……」
「「…………」」
「私の下駄箱を知っていますか?」
「……あそこよ」
「ありがとうございます」
教室で授業が始まると、静かな授業風景に深く感動している。
「すばらしい……これこそが真の高校生活……」
休み時間になり校舎内を歩き回って、つぶやく。
「本当に、何もいない」
「三葉ちゃん、誰かを探してるん?」
「ゴリラなどはいないのですか?」
「………おらんよ。……猪と鹿なら、たまに入ってくるけど。あと熊も」
「熊……やはり、どこの学校でも、そういった苦労はあるのですね」
「…………何を言ってるのよ? 三葉ちゃん、今朝からおかしいよ?」
「おかしいですか?」
「……うん……すごく」
「あなたは生まれ変わりや、タイムスリップを信じますか?」
「…………ムーでも読んだの?」
「たまに立ち読みはします」
「…………」
早耶香が答えに困っていると、高志は考え事をしながらつぶやく。
「……生まれ変わりなのか……このまま、私は宮水三葉として生きていくのか………それとも、元に戻るのか……生まれ変わりにしたって、こんな途中からでは……いやいや、そういうこともあるのかもしれない」
また授業を受け、昼休みになって克彦と早耶香の三人で校庭に出て、昼食をとる。
「三葉、今朝から、どうしたんだ?」
「いえ、お気になさらず。ちょっとした思春期の気まぐれですよ。あははっは!」
「なんか誤魔化す感じやな」
「私は平穏な学校生活を望んでいるのですよ。そっとしておいてください」
「そう言われると……」
昼休みが終わりかけになり三人で教室へ戻る途中、克彦が男子トイレへ、早耶香が女子トイレへと入っていった。
「………どちらに入るべきか……。こういう場合………やはり女子トイレ……いや、しかし、自分が女性だと思い込んでいるだけで、実は男なのかも………それとも、女子トイレへ入った途端、元に戻ってしまうとか。うむ、ありそうな展開だ。それに、やっぱり、この身体は宮水三葉さんのもので、私とは別人ということも……そうなると、おっぱいはともかく、さすがにパンツをおろすのは問題では……」
悩んでいると克彦が用を済ませて出てきた。
「三葉、何を悩んでるんや?」
「テッシー、あなたに究極の質問があります」
「…お、おう……何や?」
「女子トイレへ入った男子という烙印を押されるリスクと、おしっこを漏らした女子という烙印を押されるリスク、どちらを取りますか? とくに平穏な学校生活のためには、どちらがリスクが大きいと思いますか?」
「な……難問やな……。けど、やっぱり男子が女子トイレに入ったら変態あつかいで永遠に村八分やろ。女子なら、誰か優しくフォローしてくれるんちゃうか」
「なるほど………あ、サヤチン」
早耶香も女子トイレから出てきた。
「三葉ちゃん、トイレいいの?」
「サヤチンに究極の質問があります」
「う、うん…、何?」
「自分で自分の身体を動かせない状態で、おしっこをしたくなったとき、見知らぬ男にパンツをおろしてもらうか、それとも我慢し続けるか、どちらを選びますか? 女子として、どちらがダメージが大きいでしょう?」
「それは………見知らぬ男だよ。私なら意地でも我慢する」
「漏らしたとしても?」
「うん……パンツおろされるのに比べたらマシ。漏らしても乾くけど、パンツおろされるのは死んでもイヤ」
「そうですか。もうチャイムが鳴りますね、教室へ戻りましょう」
「み…三葉ちゃん、トイレいいの? 今朝から行ってないよね?」
「………たぶん、帰宅するまで我慢できるでしょう」
「「……………」」
すごく二人は心配しながら五時間目を迎えたけれど、三葉の顔は平然とした表情をして黒板を見つめている。そろそろ授業が終わる頃、ユキちゃん先生が三葉をあてた。
「宮水さん、この問題をやってみてください」
「はい。このような機会、中学以来です。必ずや正答いたしましょう」
「…い…意気込みは、立派ですね。どうぞ」
ユキちゃん先生がチョークを渡して、三葉の足が教壇を登った瞬間だった。
ジョーぉぉ…
三葉のスカートから黄色い滝が流れ落ちて、足元に水たまりができた。
「…………くっ、………一物がない分……我慢がきかないのか……女性は……これは、困った」
「…み……宮水さん、大丈夫?」
「はい」
「……………」
ユキちゃん先生は対応に困った。授業中に教壇でおもらししたのに、まるで恥ずかしがらない女生徒に、どうフォローしていいか、わからない。まだ、教室の生徒たちは騒いでいないけれど、すぐにも騒ぎ出しそうで教師としてイジメや不登校に発展しないよう、正しい対応が必要だったけれど、動けずにいる。
「……み……宮水さん……気にしないで……みなさん、このことは誰にも言わずに……無かったことに…」
「先生」
三葉の手がユキちゃん先生の肩に触れた。
「は、はい、何ですか?」
「お茶を零してしまいました。すいません。すぐに拭き取ります」
「…そ……、そ、…そうですね! お茶ですね! これは、お茶ですよ、みなさん! いいですね!!」
ユキちゃん先生が言い含めているうちにバケツと雑巾を持ってきて、水たまりを自己処理している。それが終わる頃に五時間目が終わり、休み時間は微妙な空気が漂う。誰も三葉のことは話題にしないけれど、誰もが三葉のことをチラチラと見ている。早耶香が心配して、それらの視線を遮るように近づいた。
「………三葉ちゃん、大丈夫? ……早退する? いっしょに帰ろうか?」
「いえ、もう大丈夫です。ただのお茶ですから」
「……そうだね……そうだったね……」
六時間目が始まり、さらにHRと掃除が終わる頃になると、さすがにクラスメートの一部がからかってくる。
「お茶臭いよね、宮水」
「もう、お茶こぼすなよ。お茶もらし巫女」
「きゃははは! 人前で、よくやるよね」
とくに宮水神社の祭りのさいにも野次を飛ばす女生徒が中心になって、からかっている。三葉の腕が考え込むように腕組みされ、しばらくして早耶香に問う。
「サヤチン、手鏡とカミソリを持っていますか?」
「え、うん。あるよ」
早耶香から手鏡とカミソリを借りると、さっと三葉の眉毛を剃り落として、73に分けていた髪をオールバックにした。
「………うむ、髪も北斗くんみたいになった。眉も剃ったし、これで迫力もでる……高校デビューのすすめを読んでいてよかった。このままクラスの最下層に落ちるよりは、いいだろう。元に戻って彼女本人になっても、眉なら生えてくるし、元に戻らないとしても、平穏な学校生活のためだ。心を鬼にして」
つぶやいた後、三葉の眉間に深いシワがより、手で胸のボタンを2つほど外してから、からかっている女生徒に向かって歩き出した。
フゥォオオ…フゥォオオ…
大きく身体を左右に揺らし、ダラダラとした歩き方をして女生徒に近づくと、三葉の瞳がガンを飛ばしながら、唾液も飛ばして一喝する。
「シャスゾダラっ!!!」
言葉に意味など無い、迫力だけのドスのきいた声を発しつつ、女生徒が座っていた机を蹴った。
「きゃっ?!」
からかっていた女生徒は机ごと転び、怯える。
「ひっ…」
「茶つってんだろ死なすぞアマっ!!」
「きゃひぃ…」
怯えきった女生徒が、おしっこを漏らす。
じわっ…
パンツが黄色く濡れて教室の床に水たまりができた。
「てめぇの茶も拭いとけよ、ユルマン」
「…ひっ…はい…ひぃぃ…」
三葉の身体が踵を返すと、カバンをもって帰宅する。
「…うむ……料理学校に入れば、料理……農業高校なら農業……やはり、見て学ぶだけでも身についているものだな……あの日々も、無駄ではなかった……」
後を追ってくる克彦と早耶香たちと帰宅して夕食をとってから、一葉に風呂を言われる。
「三葉、そろそろ、お風呂に入り」
「………裸になるのか……それは、悪いな……戻るかもしれないし……一週間くらい様子を見てからにしよう」
「お姉ちゃん、一週間も、お風呂やめる気? 臭くなるよ」
四葉が心配してくれるけれど、その頭を撫でてから考える。
「そうだね。そうなる前に決断しよう。女性として生きていくか………元に戻るのか。うむ……時間を超えて……」
考え込みつつ、三葉の瞳が壁にあるカレンダーを見つめる。そして、ハッと気づいた。
「今のボクは中学生!」
「……高校生だよ、お姉ちゃんは」
「そうだ! この奇跡は神さまがボクにくれたチャンスなんだ! ボクを救うために! 今なら間に合う! ボクに知らせるんだ! 迫り来る危機を! 未来を! 電話一本で未来が変わる! どうせ、山本くんは受験で落ちる! そう伝えて断念させるんだ! それで高校でのボクの表情は一変するんだ!」
「……表情………眉毛は、なくなってるね……かなり変だよ」
「だが待てよ! それではタイムパラドックスが生じないか……ボクが、ボクの行く高校を知っているからこそ回避しろと知らせ、知らされたボクがクロ高に行かなければ、今度は誰が知らせ……いやいや、そもそもタイムスリップが起きている時点で、それが可能になっているから、なんとか成立するのか……それとも、とんでもないリスクが……う~ん……どうする? どうするべき何だ?! 神山高志! 家へ電話をかけて知らせるか、知らせないか、もう時間が残されていないかもしれないぞ! この瞬間にも、元に戻るかも! そうなったらチャンスは永遠にこない! 神の奇跡を無駄にしていいのか……ぐうぅぅ……どうするべきなんだぁぁ…」
「先にお風呂、入ってくるよ。臭くなる前には入ってね。……あと、お姉ちゃん、おしっこ臭いよ、微妙に」
興奮した様子の姉の一人言へ付き合う気がなくなった四葉は、ゆっくりと入浴して揚がってきた。そして、固定電話の前で震えている姉を見た。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「自宅番号を忘れていた!!!」
「……そう……おやすみ」
四葉は変な姉を相手にせず、二階へあがった。