「君の名は。inクロマティ高校」   作:高尾のり子

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第5話

 

 朝起きて、ようやく眉毛を上手に描けるようになった三葉は以前の髪型で通学路へ出た。

「おはよう、テッシー、サヤチン」

「おう、おはよう、三葉」

「おはよう、三葉ちゃん」

「おはようございます、三葉様」

「「「………」」」

 いつも神社の祭りで口噛み酒を造っているときに野次ってくる女子が頭を下げて挨拶してきたので三葉は困惑する。

「えっと……うん……おはよう。……」

 この人、なんて名前だっけ……と、三葉は長年、顔は知っていても名前を知らない女子についての記憶を振り返ってみたけれど、やっぱり名前は知らなかった。今さら名前を訊くのも、なんだか悪いし、野次ってくるわけではなく礼儀正しく挨拶してくれたので、とりあえず愛想笑いで対応した。

「三葉様、おカバンを持ちます!」

「え……、ううん。いいよ、自分でもつから」

「そうですか。何でも私に言ってください。舎弟だと思って」

「「「…………」」」

 どう対応していいのか、わからないまま三葉と克彦、早耶香が登校を再開すると、三葉の子分もついてくるので、いつもと違う四人での登校になった。さらに、学校に着いて三葉が下駄箱を開けると、ラブレターが入っていた。

「……」

「あ、三葉ちゃん、モテるね」

「さすがは三葉様」

 女子らしく二人が囃し立ててくるけれど、三葉は困惑しているし、克彦は黙って見ていないフリをしつつ見ている。三葉は差出人を見てみた。

「……この人……クラスの男子で……」

 クラスメートの一人だったし、早耶香も知っていた。

「たしか、糸守観光の一人息子だったよ。あの大きい会社」

「サヤチン、大きい会社って言っても、糸守町にある会社らしい会社ってテッシーの家と、ここくらいだよ」

 もともと観光と建設くらいしか産業がないので、しっかりと従業員のいる会社は2社くらいしかなかった。いずれは、どこかに嫁へ行くという意識をもっている女子から見れば、わずか2つしかない玉の輿のチケットと言える。

「三葉様にかかれば、ここも勅使河原も落ちたも同然ですね。早くもキープ二つですか」

「「……」」

 三葉と早耶香が一瞬だけ、黙って、という女子らしいメンチの切り方をした。克彦が三葉に好意をもっていて、早耶香が克彦に好意をもっている問題は三人にとって、意識しないようにしているけれど、実に微妙な問題なので言葉にされたくない。その気持ちを込めたメンチを受けて、もともと頭が良くない三葉の子分も女子として空気を読んで黙る。三葉はラブレターをカバンに入れると、教室に自然な立ち振る舞いを意識して入り、差出人だった男子の方は見ないようにして着席した。すぐに朝のHRとなり、さらに一時間目の授業が始まると、三葉は机の下でラブレターを読んだ。

「……………」

 読み終わって返答が決まったので、休み時間になって差出人の前に歩いていくと、その男子の目前でラブレターを破って捨てた。

「こういう気持ちは迷惑だから」

「……み…宮水さん……」

 うなだれる男子に目もくれず三葉は席に戻った。戻ると、様子を見ていた早耶香と三葉の子分、さらに克彦まで待っていた。

「三葉ちゃん、あんなキツい断り方しなくても」

「三葉様、カッコいいです」

「三葉、あれは、かわいそうだろ」

「………中学の時から決めてるの。変態からの告白には容赦しないって」

 三葉が気持ち悪そうにラブレターに触れていた手を振った。

「なんて書いてあったんだよ?」

「…………全体的には普通のラブレターだったけど、君の聖水が飲みたい、って一言が致命的。私、変態の相手はしたくないの」

「…そうか……三葉、前から、そうだもんな…」

 長い付き合いなので克彦も三葉が口噛み酒を造るのを嫌がっているのは知っているし、これまでに何度か、三葉へ口噛み酒や三葉の唾液を飲みたい、舐めたいと言ってくる男子がいて、彼らに対して三葉が強烈な嫌悪感をもっているのは知っているので、実は克彦も飲んでみたいと想っていることは言わないようにしている。

「気持ち悪い……そろそろ、お祭りシーズンだからかな……あれを飲みたいって神経がわからないよ」

「そ、そうだな。……けど、今回は口噛み酒って意味じゃなくて、おもらしの方じゃないか?」

「へ? おもらしって何?」

「だからさ、君の聖水って、口噛み酒のことじゃなくて、おもらしのことなのかもよ」

「おもらしって、おしっこを漏らすアレ?」

「ああ」

「なんで、おもらしと私が関係あるの?」

「………い、…いや……だって、三葉が最近ときどき、おもらしするだろ?」

「は? 私、おもらしなんかしないよ? 変なこと言わないでよ、気持ち悪いなァ。テッシーのことも嫌いになるよ」

「す…すまん。オレの勘違いだった」

「……変な勘違い……」

 三葉は首を傾げつつも、少し不安になったので一人で女子トイレに入った。スカートをめくって下着が濡れていたり汚れていたりしないか、自己チェックしてみる。

「やっぱり漏らしてないし。……でも、今朝は白いショーツだったからかな、思いっきり黄色く染みができて乾いてた。自分でも気づかないうちに漏らしてるのかなぁぁ……クシャミしたり笑ったときとか……ぅぅ……ユルくなってたらヤダなぁ」

 朝起きて着替えるとき、くっきりとショーツに乾いた染みが残っていて、どう見ても漏らしたような痕跡だったし、まるで24時間以上も下着を替えなかったような蒸れた感じもあったので不安に思っている。三葉はポケットから薄手のナプキンを出すと、念のためにショーツのクロッチに貼りつけて、うっかり漏らしても少量なら大丈夫なようにした。

「これでよし。………でも、夕べ、お風呂も入って無かったっけ?」

 今度は汗の匂いが気になる。まるで昨夜は入浴せずに就寝したかのように身体がベタついてもいる。

「ぅぅ……シャワー浴びたい……体育もあるのに……サヤチン、汗拭きシートもってないかな」

 トイレの個室から出ると、ちょうど早耶香がいたので訊いてみる。

「私って臭い?」

「う~ん……ちょっとね」

 早耶香が否定しなかった。むしろ親友だからこそ、はっきりと教えてくれたのに感謝しつつ、頼んでみる。

「汗拭きシートとか、もってる?」

「はい、どうぞ」

 すでに予想されていたようで、手渡してくれた。再び三葉は個室へ入ると、制服のブラウスを脱いで上半身を拭き始める。さらにシートを裏返して下半身も拭くと、シートを汚物入れに捨てた。

「ありがとう、サヤチン。すっきりしたよ」

「おしっこもした?」

「え、ううん。してないけど」

「しておいたら?」

「……じゃあ、そうするよ」

 なぜ、幼稚園児のように促されるのか疑問の思いつつも、三葉は膀胱もすっきりさせてから授業を受けた。昼休みになり、いつもの校庭の木陰へ行くと、三葉の子分までついてきた。

「ごいっしょしてもいいですか?」

「「………どうぞ」」

 三葉と早耶香は断る理由を見つけられなかったし、克彦は女子同士が合意しているので口を挟まず、ムーを読みながら弁当を食べる。三葉が弁当を開くと、三葉の子分が訊いてくる。

「何か飲み物でも買ってきましょうか?」

「え? ううん、いいよ。コーヒー牛乳あるし」

「…そうですか…」

「そんな気を遣ってくれなくてもいいよ。私たちの仲間に入りたいの?」

「はい!」

「………。わ…私はいいけど…」

 三葉が拒絶する理由を思いつけずに早耶香へ視線を送ると、早耶香も追い返す気になれない。それでも気になるので訊いてみる。

「今までのグループはいいの?」

 糸守町では人口が少ないために小中高と、人間関係が固定化しやすい。よっぽどの理由がない限り、所属グループや友人を変更することは稀だった。

「あいつら、心の底で私がビビって、おしっこ漏らしたのバカにしてるから」

 もともと三葉の子分がいたグループは、そこそこに顔はいいけれど、頭が悪くて家が貧乏という属性のグループだったし、その中で地位が低下している上に昨日はパシリにされたので、もうグループに戻っても最底辺の笑いものにしかなれない。ならば、いっそパシリ役を引き受けるとしても、舎弟として学校内でも町内でも頂点グループである顔が良くて、成績も東京の大学へ進学できるほど良くて、さらに家柄も町の頂点クラスで親が町長だったり社長だったり公務員だったりする実質的なトップ三人組にまぜてもらう方が、何かいいことあるかもしれない、という子分らしい考え方でなついてきている。

「なるほどね」

 そんな思惑を早耶香は感じたので三人組の中では今まで最底辺だったけれど、これから四人になるとナンバー3になることもあり、受け入れることにした。四人での昼食を進めるうちに、早耶香は気になったので小声で三葉の子分に訊いてみる。

「もしかして、あなた、おしっこ我慢してるの?」

「……あ……はい…」

 あまり行儀のいい女子ではなかったのに今は正座して、ぴったりと膝を閉じている。背筋からも緊張が感じられて、早耶香が問うと恥ずかしそうに頷いた。

「いつから我慢してるの?」

「朝から」

「………そのうち、漏らすよ?」

「三葉様を見習ってリスペクトしてますから」

「……………」

 そうか、この子は、やっぱりアホなんだ、と早耶香は理解した。糸守町には高校が一つしかないので、成績上位の生徒は東京へ進学することもあるけれど、成績底辺の生徒は引き算ができるか、できないかのレベルでも、とりあえず入学して卒業できるようになっていて、一つの高校で進学校と底辺校の機能をもっているので、いろいろな生徒がいた。三葉が卵焼きを食べながら、自分の名が出たので訊いてくる。

「モグモグ…コクっ…。私がどうしたって?」

「三葉様は素晴らしいです。あえてご自分を窮地に追い込むことで精神力を高めていらっしゃる。耐え難い恥ずかしさに耐える、その胆力、平然と立ち振る舞うお姿、本当に憧れます」

「…そ……そう……ありがとう……」

 ストレートに誉められて三葉は赤面して目をそらした。ときどき、巫女の舞いと神事を心から賞賛してくれて、さらには同性なのに告白までされることも、たまにある。誉められて悪い気はしないので三葉は黙々と弁当を食べ続け、コーヒー牛乳を飲み干した。早耶香も昼食を終えた。

「三葉ちゃん、チャイムの前に、おしっこしておこうよ」

「そうだね」

 三葉が立ち上がった。

「え……三葉様は、トイレに行かれるのですか?」

「うん。行くよ。君も来る?」

「………いえ。今日は私が! 私が気合いの入ったところをお見せします」

「「「………」」」

 やっぱり頭が悪い子が考えることは、よくわからない、会話が成立しないなぁ、と三葉と早耶香、克彦も思った。五時間目が始まり、ちょうど早耶香の斜め前に三葉の子分が着席していたので、無意味に尿意と戦っている姿がよく見えた。

「……ぅ……くぅ……」

「…………」

 このままだと、そろそろ漏らすよね、バカにつける薬って、やっぱり無いのかなァ、と早耶香は持って生まれた頭の悪さを気の毒に思いつつ、プルプルと震えている女子の背中を見ていた。

「ぁあぁぁ…」

 三葉の子分が身震いした。

 シュゥゥゥ…ピチャピチャピチャ…

 くぐもった水音がスカートの奥から聞こえて、すぐに膝の裏を幾筋も、おしっこが流れていき、ふくらはぎと靴下も濡らして、上靴の中に貯まり、さらに溢れて教室の床に水たまりができた。周りの生徒も気づいてチラリと見て、驚きつつも授業中なので黙っている。

「…ぐすっ…」

 恥ずかしくて泣きそうになるのを耐えていると、ユキちゃん先生が異変に気づいて声をかけてきた。

「あなた、どうしたんですか?」

 ユキちゃん先生も、この生徒の名前を覚えていないので、便利な二人称を使って問うと、涙を零さないようにして答えてきた。

「ぉ、お茶を…零して…しまいました」

「…………。そうですか……」

 ユキちゃん先生は三葉の方を見た。三葉は、こちらを見ていない。教科書に隠した手鏡で眉毛が汗で流れていないか、チェックしている様子だった。おもらしした生徒へ三葉が強制したりトイレを使わせなかったわけではない様子なので、いじめではないと判断したけれど、やっぱり恥ずかしくて泣き出しそうになっている。

「誰か、彼女を保健室に」

「「「…………」」」

 もともと三葉の子分が所属していたグループの生徒は裏切り者に冷たかった。仕方なく早耶香が手をあげる。

「私が行きます。おいで。……あなた」

「はい…ぐすっ…」

 このまま授業を受けるのは恥ずかしくてできそうにないので三葉の子分は濡らしたお尻をあげて保健室に向かった。

「…ぐすっ…ひっく…恥ずかしくて死にそう……とても三葉様みたいに平然とできない…ぅぅ…」

「それが普通だと思うよ」

「……人前で、あんなに堂々と……おもらしも口噛み酒も……」

「…………。どっちも、あんまり真似しない方がいいよ」

「いずれ、あの境地に達すれば、新たな世界が見えるはず」

「………お嫁に行けなくなると思うよ。お酒は巫女の仕事だけど、おもらしは、ただの変な遊びだから」

「…ぐすっ…」

「ほら、着替えを貸してもらおう」

 保健室で着替えたけれど、やはり恥ずかしくて教室に戻る気になれないでいる。なんとなく、かわいそうで早耶香は付き合うことにした。

「放課後まで、ここにいればいいよ。いっしょにいてあげる」

「ぐすっ……ありがとう…」

 しばらく二人で会話していると、早耶香は三葉の子分と親しくなったけれど、やっぱり頭のレベルが違うので会話しているだけで疲れることにも気づいた。

「そろそろ帰ろうか。もう他の生徒も少なくなってるはずだから」

「遅くまで、ごめんね」

 二人でカバンを持って昇降口に向かうと、三葉の子分は下駄箱にラブレターが入っているのを見つけた。

「あ………私に……」

 気になるので、すぐに開封している。早耶香も気になって覗き込んだ。差出人は今朝、三葉へラブレターを送った男子だった。

「「………君の聖水が飲みたい………」」

 文面は全体的には平凡だったけれど、特殊な一文もあった。

「今朝、三葉ちゃんに送っておいて……また、すぐって……」

「これって私も三葉様の境地に近づけてるってことですよね?」

 三葉の子分が嬉しそうな顔をしたので、げんなりと早耶香は強い疲労感を覚えた。

「…そう思うなら……そうかもね……」

「でも、三葉様はキープもしないでカッコよく捨てて……私は……この人……糸守観光の一人息子……」

 顔に金持ちの息子と付き合ってみたいと描いてある。

「……付き合ってみれば?」

 変な要求されるかもしれないけど、それに応じられるなら、案外、お似合いかもしれないし、男女交際を始めれば、疎遠になってくれて疲れなくて済むから、と早耶香はアホな女子と変態紳士がくっつくことを勧めた。

 

 

 

 高志は登校してメカ沢と話していた。

「そうですか。我が校にも隕石が」

「おうよ。あのお嬢ちゃんがオレたちを連れ出してくれなけりゃ、危ういところだったぜ。おっと、お嬢ちゃんってのは変かな。三つ年上らしいな。お姉様としておこうか」

「それで、その隕石は?」

「中に宇宙人がいて、どこかに行っちまったぜ」

「それでヒビの入った校舎だけが残ったのですね。大規模なクレーターもできてないあたり、中に宇宙人がいたので、さほどスピードは出ていなかったのかもしれませんね。どっちにしても、私たちは三葉さんに助けられた。ただ取り憑いていただけではなかったのですか。本当に、ありがとうございます。三葉さん」

 高志は手を合わせて三葉の冥福を祈った。

「オメーの方は、どうよ? 女子として、ちゃんとやってるのか?」

 林田が訊いてくる。

「ええ。昨日も舎弟を一人、増やしました」

「おいおい、女子に舎弟ってのは変だろう。舎妹じゃないか?」

「そうですね。それでもいいかも。ともかく、糸守高のウラ番としての三葉さんの権威は守っていますよ」

「さすがだな。女子になりきり舎妹までつくるとは」

「ところで話は少し変わりますが、我々の修学旅行の行き先ですが、京都のついでに岐阜県へも寄れるよう教師に頼んでみようと思います」

「岐阜県? んな、聞いたこともないような県に行って、どうするんだ?」

「お忘れですか、三葉さんがお住まいだったのは岐阜県の糸守町、そこへ行ってみたいのです」

「なるほど、聖地巡礼ってヤツだな」

「三葉さんの霊が現世を彷徨っている原因もわかるかもしれませんし。現地へお線香の一つもあげたいですから」

「おお! それはいいな! オレも賛成だ!」

 クロマティ高校の修学旅行目的地へ糸守町が加わりそうだった。

 

 

 

 前略、お母さん、今日はイタリアンをごちそうしてもらえるそうです。ほんの偶然だったけど、みんなを隕石から救ったことになったみたいで、林田くんに連れられて都内のオシャレなイタリアンレストランに来ています。

「お、ちょうど待ち合わせしてる。デストラーデ高の二人も来たな」

「え、他校生も、いっしょなんですか?」

「おう。古い友達なんだ。あの二人が、うまくやってくれる。あいつにはアダ名があってな、ケツ切り爪楊枝って言うんだ」

「ケツ切り……爪楊枝……そんなお笑いのペアみたいな。どっちが、ケツ切りさんで、どっちが爪楊枝さんですか?」

 レストランの玄関付近に柄の悪い二人組が立っていたけれど、クロ高水準の柄の悪さからいうと、せいぜい中の下くらいで、もう三葉もいい加減見慣れてきたので、驚きもしないし、恐れもしない。その二人を林田が紹介する。

「いやいや、こっちの一人が、一人で、ケツ切り爪楊枝だ」

「じゃあ、そっちの人は?」

 三葉が高志の指で、もう一人を指した。

「コイツはケツ切り爪楊枝の子分だ」

「ああ、なるほど」

 もう三葉もいい加減慣れてきたので、そういう名前なのだと受け入れた。合流して四人でレストランに入った。

「ぃ、…いらっしゃいませ」

 アルバイト中の立花瀧が緊張した顔で出迎えてくれた。

「……」

 あ、可愛い男の子、と三葉は好みのイケメンだったので見つめたけれど、今はクロ高の制服を着ているので、視線を送られた瀧は目をそらしてビビりながら、席へ案内してくれる。

「こちらへ、どうぞ。申し訳ありませんが、店内、禁煙となっております」

「ちっ…」

 ケツ切り爪楊枝が舌打ちして咥えていたタバコをフロアで踏み潰した。

「ご、ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください」

 瀧が去っていくと、林田はメニューを三葉に渡してくれる。

「まあ、何でも頼んでくれ」

「うん、ありがとう」

 四人で食事をして、そろそろ満腹になってきた頃、ケツ切り爪楊枝がピザの一切れに爪楊枝を差し込むと、瀧を呼びつけて文句を言った。

「おい、こんなん喰わせる気か?!」

「え……でも……イタリアンで爪楊枝って…」

「ああん?!」

 熟練したワルの威勢で瀧がたじろいでいると、年長の奥寺ミキが間に入ってくる。

「申し訳ありません。すぐに作り直して参ります。本日のお代はけっこうですから、どうかご容赦ください」

「ちっ……まあいい。許してやろう」

 ミキが去り、瀧が運んできたデザートを食べながら、三葉が問う。

「おごってくれるって、こういうこと?」

「まあな」

「兄貴の技は、ここからが真骨頂だから。まあ、見てなって」

 ケツ切り爪楊枝の子分が楽しそうにワインを飲みつつ言った。

 チキチキ…

 ケツ切り爪楊枝が手元でカッターナイフを出すと、通りがかって別のテーブルへ皿を提供しているミキのお尻に触れるか触れないか、目にもとまらぬ速さで、刃を一閃した。

 ピラっ…

 ミキのスカートが切れているけれど、肉は切っていないので血は出ない。そして切られたミキ本人は気づいていない。

「…すごい……」

 技としても、すごいけど、すごいかわいそう、と三葉は同じ女子として、これからスカートが切られたことに気づかず働くミキに同情しつつ、技としてのすごさには感心した。

「よく肌を切らずに、そんな巧く切れますね」

「おうよ。都内でも、この技ができるのは、オレくらいのもんよ」

「それで、ついたアダ名がケツ切り爪楊枝なんだぜ」

 林田が言ってくれるけど、三葉は首を傾げた。

「あれ? でも、正確にはケツ切らず爪楊枝じゃないですか?」

「それじゃ語呂が悪いだろ」

「たしかに」

「まあ、デザートを楽しむついでに、ケツも拝んで楽しもうぜ。ククク」

「………」

 三葉には同性のお尻を楽しむ趣味がないので、あまり楽しくないけれど、デザートは美味しくいただいた。

「ごちそうさまでした」

「おう。また、機会があったらな。クロ高のお前らと組む方が店にも脅しが効いていいからよ」

「クロ高って、そんなに……」

「オレらのクロ高は都内一のワルの吹きだまりだからな。デス高もそこそこだが、やっぱ何の世界でも一番は、有名になるだろ」

 林田が誇らしげに頷いている。

「そうですね、一番は有名になりますね。とにかく今日は、ありがとう。ごちそうさま。林田くん」

「おう」

「私、ちょっと用事があるので、これで失礼しますね」

「ん? もしかして、また人助けか? 親切な霊だな、お前は」

「レイ?」

「あ、いや、何でもない。忘れてくれ。じゃあな!」

 林田が焦って去っていくので、三葉は手を振って見送ると、一人になったことを確かめてから再びレストランへ向かい、今度は裏口から訪ねる。

「すいません、奥寺さんを呼んでもらえますか?」

「は…はい…しょ、少々、お待ちください」

 男性店員がクロ高の制服にビビりながら、ミキを呼びに行った。すぐにミキがフロアからバックヤードに来る。

「…はい……奥寺は私ですが……何でしょうか……」

 ちゃんと無料にするようレジ係にも言ったのに、この上、どんな因縁をつける気なの、この男子、顔はイケメンだし、どう見てもクロ高に行くようなワルには見えないけど、さっきもワルたちと対等に話していたから、実は相当な実力者なのかも、どうしよう、私の何が気に入らなかったの、無料にする以上の要求には答えないマニュアルになってるから毅然と断らないと、もしかして店への要求じゃなくて私個人への何かなの、それなら余計に警戒しなきゃ、とミキはビビっていることを気づかれないように取り繕いつつも、やはり怖いので顔と声が緊張している。

「奥寺さん、ちょっと、こっちに来て」

 三葉はバックヤードの中でも二人きりになれそうな更衣室にミキの手首を引いて連れ込むと、遠慮無く言う。

「スカートを脱いで」

「っ……」

 目的は私の身体、しかも、こんな露骨に、脱いで当たり前みたいな、なんてワルなの、やっぱりクロ高は違う、一言の脅しも無しに脱いで当たり前って顔で言ってくるなんて、とミキは都内最悪のクロマティ高校の生徒に狙われた自分の不幸を感じた。

「早く」

「………はい…」

 ここで抵抗したって、どうせ犯される、あとで警察に言ったって、復讐されるかもしれない、この男が捕まっても、他のクロ高生が私や私の家族に復讐するかも、もう逃げ場なんてない、どうせもうバージンじゃないし、バージンは高2の頃、なんとなく付き合ってた彼氏となんとなく卒業したから、あの彼氏との付き合いで残ったのってタバコを吸うようになったことくらいかな、とミキは走馬燈のように想い出を振り返りながら、スカートを脱いで、せめて言っておく。

「痛くしないで……」

 いっそ、ここで犯されて倒れてシクシク泣いてたら立花くんあたりが発見してくれたら慰めてくれるかも、それに、この男子だって、けっこうイケメンなんだから、もっとちゃんと口説いてくれたら付き合ってもよかったかもしれないのに、とミキは一発もらう覚悟を決めていく。

「うん、安心して。痛くしないし。っていうか、脱いでもらったから、刺さるわけないし」

 三葉は脱がれたスカートを手に取ると、切られたところへ刺繍を始めた。

「あなたのスカートが切れてたから。このまま仕事するのは、恥ずかしいでしょう」

「え……………」

「はい、できたよ。とりあえずの応急処置」

「…………………」

 ミキは受け取ったスカートに可愛らしい刺繍がされているのを見て茫然とする。

「じゃあね。お料理、とっても美味しかったよ。仲間がクレームつけて、ごめんね。今度は、お金を払って食べに来るよ」

 気になっていた用件を済ませた三葉は出て行く。

「……それだけ……なの……」

 てっきり犯されると覚悟していたミキは腰が抜けてスカートをもったまま座り込んだ。

「………あんなクロ高生……いるんだ……」

「ミキさん! 大丈夫?!」

 瀧がフロアから心配して入ってきた。

「え……ええ……平気……こっち見ないで!!」

「ご、ごめん! っていうか、あいつに何かされたの?! なんでスカートを脱いで…」

 瀧は目をそらしつつ訊き、ミキはスカートを履いた。それから、可愛らしい刺繍がされた部分を撫でた。

「……たしか……名前は……神山くん……」

 四人の会話をときどき聴いていたのでミキは名を覚えていた。

「すごい男………」

「そ…そうかな? ……あの四人の中では、一番普通っぽかったけど……」

「そうね、たとえば、ライオンの群れの中に一匹だけ元気に暮らすウサギがいたとして。そのウサギは、すごいウサギだって思わない?」

「な…、なるほど…それは…、すごいウサギですけど…」

「つまりね……私は彼のことをもっと知りたいの」

「ミキさん……それって……」

「彼と付き合ってみたいわ」

「………そうっすか…」

 瀧は淋しそうにバックヤードを出て行った。

 

 

 

 前略、オフクロ様、今日もボクは宮水三葉として糸守高校のウラ番をつとめるため、登校しています。

「おはよう、三葉ちゃん」

「おはよう、三葉」

「おはようございます、三葉様」

「おはようございます、宮水様」

「うむ、おはよう」

 すでに軍団も増え、もともと従えていたテッシーとサヤチンに加え、三葉の子分と、その彼氏もなついています、と高志は三葉の胸を張り、まっすぐ前を見て登校する。

「……三葉ちゃん、また眉毛を剃ったの?」

「ええ」

「カッコいいですよ、三葉様。私も真似して剃ってもいいですか?」

「どうぞ」

「ヤッター♪」

「「………」」

 克彦と早耶香は、なんとなく不安になり三葉の下腹部を見る。起床して、ちゃんとトイレに行ったのかな、と心配になるけれど、やはり男子である克彦は問いにくいので早耶香が言う。

「み…三葉ちゃん、おしっこ我慢する遊び、もうやめたら?」

「あれはお茶です」

「…………」

 メンチを切られて早耶香は困ったけれど、やっぱり友人が膀胱炎にならないか心配なので真剣に言う。

「やめようよ。みんな黙ってるけど変に思ってるよ」

「………。私に逆らう気ですか?」

 いかんな、軍団にほころびが、ここは心を鬼にして忠誠を誓わせよう、と高志は三葉の顔でキスしそうなほど、早耶香に迫ると、最強のメンチを切る。

「お前もお茶を零せ」

「え……?」

「今日はトイレ行くな。わかったな?」

「そんな……私は……」

「わかったな?」

「………はい」

 すごく怖かったので早耶香は返事した。よく考えると父親と姉は町役場に勤めているので町長の差配次第で配置転換されることもありえるし、なによりメンチが怖かったので言われたとおりにトイレを我慢して昼休みを迎えた。

「……ぅ……くっ……三葉ちゃん、ごめん。お願い、ホントに漏らしそうだから、トイレに行く許可をちょうだい」

「三葉様、私も気合い入れてます」

 早耶香は苦しそうに、三葉の子分は嬉しそうに、おしっこを我慢している。

「ところで話はかわりますが、テッシー」

「え? 何だよ?」

「タイムパラドックスを、どう思いますか?」

「いきなりだな」

 克彦が腕組みして考える。もともとムーを読むこともあり、いきなりでも話題としては好きな方だった。

「一口に言っても、いろいろあるだろ。どういう状況でのタイムパラドックスだよ?」

「そうですね、たとえば、ある人が事故で死んでしまうと、数年先から来た人が知っている。これを助けたいとして、助けた場合、どうなるでしょう?」

「そりゃ、助ける動機が消えるから、その行為そのものが起こらなくなるだろ? それか、歴史は変えられないから助けようとしても結局は助けられないんじゃないか?」

「やっぱり、そうですよね」

「………今のたとえ話、この二人が五時間目には漏らすんじゃないか、それを助けようって話につながるのか?」

「いえ、ぜんぜん。貯まっているのは、お茶ですよ」

「聖水っすよね!」

 三葉の子分の彼氏が熱く語ったけれど、それは無視する。

「そろそろ教室に向かいましょう」

「………三葉……三葉も、今朝からトイレ、行ってないよな?」

「そういうことを女性に問うのは失礼だと思いませんか、テッシー」

「…………ごめん……」

 五人が教室に戻ると、授業が始まり、おしっこを我慢するのに慣れていない早耶香が一番に限界を迎えた。

「…ぅっ……ぅぅっ……やぁぁ…」

 座ったままガクガクっと震えると、おもらしを始めた。

 プシャァァァァ……

 せめて足元に水たまりをつくらないよう早耶香は体操着を入れた袋を膝に挟んでいた。おかげで足元に水たまりはできなかったけれど、それでも恥ずかしくて泣けてくる。

「…うっ…うぐっ……ひぅぅっ…ぐすっ…」

 授業中に女生徒が泣き出したのでユキちゃん先生は心配して近づく。

「どうしたのですか? 名取さん。……………」

 問いかけながら、早耶香が膝で挟んでいる体操着入れが、ぐっしょり濡れているので、おしっこを漏らしたのだと気づいた。

「……名取さんまで…………これは……イジメ……」

 なんとなく真犯人は宮水三葉ではないかと疑いたくないけれど、イジメ予防のために疑い、三葉の顔を見る。

「…………」

「…………」

 三葉の顔は平然と黒板を見つめていて、イジメをしている生徒のようなニヤついた気配もないし、逆に、いっしょにイジメられている生徒のような悲壮感もない。けれど、三葉の膝もピッタリ閉じられていて、我慢していそうな気はした。

「みなさんに言っておきます。授業中にトイレへ行きたいときは遠慮無く言ってください。許可をえるのが恥ずかしい人は、静かに席を立ってもかまいません」

「……ぐすっ……ひぐっ……」

「名取さんを保健室へ……宮水さん、連れて行ってくれますか?」

「いえ、ちょっと私も今は立てないので。他の人をあててください」

「…………立てないって……」

「オレが行きます」

 克彦が手をあげた。

「勅使河原くんは男子だから………名取さん、着替えたりするから……女子の保健委員は?」

 女子の保健委員は欠席していたし、早耶香は泣きながらも克彦を選んだ。

「ぐすっ……勅使河原くんなら安心できるから…」

「そうですか、では、お願いします」

 とユキちゃん先生が授業を再開しようとした瞬間、三葉の子分が限界に達した。

「くっ……お茶が…」

 それでも平然とした表情を保とうと、頑張りながら漏らす。

 ジョワァァァァ…ピチャピチャピチャ!

 おしっこが床に落ちる音が響いて、ユキちゃん先生が音のした方を見る。

「……また、あなたまで……」

 やっぱり名前は覚えていないので、便利な二人称を使って女生徒を心配するけれど、三葉の子分は泣かずにユキちゃん先生を見据えた。

「先生、お茶を零してしまいました」

「………」

「オレが拭きます!」

 三葉の子分の彼氏が、すぐに大切そうにハンカチで拭き始めた。ユキちゃん先生は頭痛を覚えてフラついた。

「………どうして、こんなことに……」

 次々と女生徒が、おもらしするので教師として、どうしていいか、わからない。保育園の保育士なら、単に忙しく着替えさせていけば、それで終了という気もするけれど、漏らしているのが17才の女子高生たちなので、どういう現象なのか、イジメなのか、強制されているのか、遊んでいるのか、わからない。漏らした子を叱るべきか、真犯人を捜すべきか、対応に苦慮する。

「と、とにかく! トイレに行きたいときは、ちゃんと行っておいてください!」

 ユキちゃん先生は授業を再開しつつ、次は三葉が漏らすような気がして心配しながら、ときどき見ていたけれど、五時間目はそのまま終わった。休み時間になり、早退する早耶香のためにカバンを取りに来た克彦が問う。

「三葉………今日も、お茶、零すのか? これから」

「零さないよう努力します」

 もう三葉の身体は微動だにしない。全神経を集中して我慢している様子だった。

「……そうか。……オレはサヤチンと早退するけど、……一人で大丈夫か?」

「ご心配なく」

「……わかった」

 克彦が去り、六時間目が始まり、静かに世界史の授業が終わり、とうとう帰りのHRの時間になった。

「やっと、ここまで………あと少し……」

「三葉様、すごいです」

「糸守高のウラ番たるもの、この程度は当然です」

 帰りのHRが始まり、連絡事項が終わり、当番が告げる。

「起立!」

「……くっ…」

 呻きつつも三葉の脚は起立した。

「礼! ありがとうございました!」

 すべて終わり、放課後になった。

「よしっ、終わった!」

 ジャアアアアアア…

 起立していた三葉の脚がずぶ濡れになっていく。大きな水たまりが足元にできた。

「とうとう放課後まで耐えきったぞ!」

 三葉の両腕が拳を掲げてガッツポーズしている。

「さすが三葉様です!」

「宮水様、最高です! 拭かせてください!」

 おかしな三人組が教室に出現するようになったことにクラスメートたちは慣れつつあった。

 

 

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