その便意が物語を変えた   作:ざんじばる

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ちょうど本日で連載開始から1ヶ月となりました。
これまで応援いただいた皆様ありがとうございます。
引き続きよろしくお願いします。

その記念というわけではありませんが、今回は実験的に八一以外の視点も加えてみました。
お気に召せばいいですが。




08.グングニル

「オッハー! 八一くぅん♡」

 

爽やかに挨拶してくる本日の俺の対局相手。

 

「……おはようございます。山刀伐さん」

 

「いやー、一突きじゃなかった一月もしないうちにまた八一くんと対局できるなんて僕は幸せ者だなぁ」

 

なぜ今言い直したのか。……何も変わってないよね?

 

「……そうですか」

 

「僕はもう楽しみで楽しみでしかたなくてねぇ」

 

「……ありがとうございます」

 

 

「そういえば名人も今日の僕たちの対局を楽しみにされていたよ」

 

「ッ……そうですか。名人が」

 

その一言に心乱されてしまう。あの名人が俺に注目しているという喜びとそれ以上に俺がターゲットにされているという恐怖に。だけど———

 

『貴方の才能はあの名人と較べても劣るものじゃないわ。私はそう確信してる』

 

そんな言葉をくれたやつがいる。身内の贔屓目かもしれない。けれど本心からの言葉だ。だから———

 

名人の下位互換であるあんたなんぞにこれ以上負けられない!

 

「それは俺も気合いを入れないといけないですね」

 

「……そうだネ。お互い頑張ろうじゃないか」

 

 

 

 

対局は山刀伐さんの先手。お互いに角道を空けた後に山刀伐さんは飛車先の歩を突いた。相手の戦型は居飛車だ。

そして俺の戦型はもちろん———

 

「「「えっ!? 5四歩!?」」」

 

———ゴキゲン中飛車だ。

 

記録係、観戦記者含めてこの場にいる俺以外の人間は全て驚いている。これまで明確に居飛車党だった俺が振り飛車を明示する一手を指したのだから当然だろうけれど。

これで山刀伐さんの対俺用の研究は外した。後は山刀伐さんの持っている居飛車対ゴキゲン中飛車の研究を上回れるかだが……

 

「嬉しい! 嬉しいよ! 八一君♡ まさか僕がキミの振り飛車処女をもらえるなんてねぇ!!」

 

処女とか言うな!

 

「山刀伐は九頭竜の初めてをもらえることにいたく興奮した……と」

 

やめれ! 鵠さん! そんな文章を世間に発信するんじゃあない!

 

「……だけど少し残念さ。八一君の初物は心ゆくまで味わいたかったというのに」

 

その表現、どうにかならないんですかねぇ? ……しかしこの反応は?

 

「乙女座の山刀伐は、センチメンタリズムな運命を感じずにはいられなかった……と」

 

鵠ィ!! ……っていうか山刀伐さんは乙女座なのか?

 

「その戦法は昨日の名人との研究会で終わらせてしまったのだからねぇ!!」

 

一瞬、鵠さんに気を取られた隙に山刀伐さんが指した一手は———

 

 

「「5八金右……超急戦!?」」

 

 

超急戦。その名の通り大乱戦となる戦型だ。双方いきなり飛車・角成りあって相手の陣地を荒らしまくり、一気に終盤を迎える。

ここからそこまでの手数、実にわずか12手。あまりに変化が激しすぎるため最近のプロの対局では現れなくなっている。ところが超速ではなくこの手を選ぶ。それは、つまり———

 

「ボクと名人は長いことこの局面を研究し続けていた。そしてついに昨日その結論が出たのさ。居飛車必勝でね。せっかく八一君がボクのために身につけて来てくれた『ゴキ中』。残念だけど今日限りでおしまいだよ。二度はない」

 

「…………」

 

「だけどそれも良いのかもしれないね。ボクが八一君の初めてにして最後の男。……うん。これはこれで素晴らしいさ!!」

 

「山刀伐は七手目を着手した時点で自分が九頭竜の唯一の男になることを宣言した……熱い!」

 

鵠いい加減にしろ。

しかし名人が『ゴキ中』は終わりだと結論づけた、か。すごいプレッシャーではある。ではあるが俺とてコイツを対名人の試金石とするために『ゴキ中』の数々の変化を研究してきたんだ。相手は名人とA級四位。こちらは玉将と竜王だ。決してメンツではひけをとらない。それに———

 

「山刀伐さん。いいんですか?」

 

「ん? 何がだい、八一君?」

 

「今日のこの対局は賢王戦の予選ですよね?」

 

「そうだね」

 

「ということはネット中継されていると」

 

「ああ、そうだね。言ったよね。名人もご覧になっていると」

 

「ところでプロの世界では居飛車党が圧倒的多数ですよね」

 

「……だから何なんだいッ?」

 

話が見えないのか少し苛立つ山刀伐さん。

 

「いえ、心配しただけですよ。圧倒的多数の居飛車党が研究してきて」

 

「…………」

 

「時の名人やタイトルホルダーが何度も『ゴキ中』は死んだと言ってきました」

 

「…………」

 

「けれども今時点で『ゴキ中』は確かに生きています」

 

「…………」

 

「それを貴方が今日またネットの前で『ゴキ中』は死んだと言う。……赤っ恥かくことになりません?」

 

 

「ッ! …………面白い。面白いじゃないか八一君! 試してみると良いさ! ボクと名人の研究をキミがひっくり返せるのか!!」

 

———『ゴキ中』は死なず! 勝負ッ!!

 

 

 

そこからしばしお互いに定跡をたどる。終盤入りの十九手目も予定調和で迎える。そこから三六手目に変化。俺が新手を放つ。

が、それに相手もノータイムで応じてくる。まだ名人の研究の範囲!

ここまでの対局を振り返れば俺の圧倒的駒損。以前の純然たる居飛車党だった俺が見れば敗北を覚悟する局面だろう。だけど振り飛車党なら———

 

『駒損なんて気にすんな! 駒を取らせるだけ取らせて自分の囲いがボロボロになって、その代わりに相手の玉を寄せるのが究極の捌きだ!!』

 

———まだまだ行ける! そうだろ!? 巨匠(マエストロ)!!

 

 

 

 

持ち駒を打ち込んで相手の守りを引きはがす。そして引きはがした隙間に再度持ち駒を打ち込む。駒得・駒損の勘定を捨ててただひたすら前に。それが捌きだ。

攻めを切らしたときのことは考えない。なんとしても先に攻め落とす!

玉頭の金を狙って5六香打つ。

山刀伐さんは俺の香のド真ん前に同じく香車を打ちこんで受け止める。

俺はそれを無視して、4五桂馬。攻め手を増やす。

その間に先ほどの香車が取られ、玉頭の金の直上が開く。

その隙間にもういっちょ香!

山刀伐さんは4八銀と寄せて守り切る構えだ。

そして運命の50手目。5八香成! さあ、最後の金で取れ!

 

だけど、山刀伐さんがつまんだ駒は———

 

 

「「玉!?」」

 

 

俺と鵠さんの驚愕が重なる。

山刀伐さんの選んだ五一手目は、同玉———『顔面受け』

 

「フフ……その驚き……実に気持ちいい!!」

 

五二手目、5七歩打つ。五三手目、同銀。

続く五四手目、俺の同桂成をまたもや『顔面受け』。その様まさに全裸で突撃してくる変態の如し!!

 

「気持ちいい!!」

 

しのがれた。しのがれてしまった。顔面受けによって前に出た玉に自由なスペースが生まれ、俺の攻撃は紙一重届かない。

捌いたつもりが逆に捌かれていた。そうなれば今度は山刀伐さんの反撃が始まる。一連の攻防によって相手は飛車2枚を始めとして圧倒的な駒数を保有している。当然だ。俺は駒得・駒損無視して攻め上がったのだから。

 

「八一君、この研究は完璧だよ。破れるわけがない」

 

「…………」

 

「ボクとしては見苦しくあがくより潔く諦めるのを薦めるね」

 

 

負けた? この局面は既に負けているのか? 本当に?

”名人”と山刀伐さんは研究の末、この局面にそう結論づけている。

そう。それは”俺の”結論じゃない。

 

 

『前に言ったでしょう。現名人と較べたって貴方を選ぶって』

 

俺は名人より上だ! だからこの結論をひっくり返せる!!

 

『……そう。それじゃ後の問題は時間ね』

 

「残り時間は?」

 

「二五分と三四秒です」

 

『『九頭竜君はすごい』のだもの。だからきっと間に合うわ』

 

そんなにあるんだ。余裕だろ?

 

 

 

 

 

 

「……これは八一のやつ、負けたか」

 

57手目、山刀伐八段が5八桂と打ち、あの人が長考に入ったところで生石玉将がそう言った。

たしかに山刀伐八段はしのぎきったように見える。だから生石玉将もそう言ったのだろう。でも画面の中のあの人は決して諦めた表情ではない。

だから私は頭の中で将棋盤の前に座っているあの人に問いかける。

私はあの人の棋譜を誰より多く並べてきた。映像の中のあの人も全て確認している。そして最近は近くであの人に接し、おまけに幾度となく実際に指導対局もしてもらっている。だからイメージのあの人と現実のあの人は限りなくシンクロしている

はずだ。

 

そしてイメージのあの人が告げる。

 

「いいえ……手はあるわ」

「あります」

 

隣に座って観戦していた彼女もその膨大なシミュレーションによって同じ結論に至ったらしい。

 

「それは……本当か?」

 

そう。とてもか細いけれど何より美しい勝利への手筋がある。そして現実のあの人も必ずたどり着く。

 

 

「7三銀」

 

「5三銀」

 

「「6八角!!」」

 

 

 

 

 

 

「…………見つけた」

 

「え?」

 

時計を見れば費やした時間は20分と34秒。余裕だったな。

 

「山刀伐さん。すいません。やっぱり恥をかかせることになります」

 

「ッ!!」

 

まずは寄せ手の補充が必要だ。5九金打つ。

 

「ん!? 何をしてくるかと思えば……今更詰めろにテンパイしてもね。遅いよ」

 

山刀伐さんは手抜いて6五香打つ。斬り合いだ。

60手目。俺の一手は6九金。金をいただく。

 

「これでどうだい?」

 

俺の王の真横に叩き込まれる飛車。王手! 選択の余地なく俺は5二王と躱す。

さらに山刀伐さんは7四桂打つ。連続王手! これも同歩だ。

 

「もう逃げ場はないよ? 八一君」

 

6四角打つ。三連続王手! そしてここだッ!!

 

「うん!? 銀で受けた? 桂馬ではなく?」

 

俺の受けは7三銀打つ。合駒は小駒からという原則を外す一手。

山刀伐さんの角が寄せて馬となり、それを俺の王で食らう。

1一にいた龍が三筋に戻って五連続王手! これも

 

「また…………銀かい?」

 

俺の受け手は5二にいる金を利かせた5三銀打つ。

山刀伐さんは俺の馬が一手差で飛び込んでくるのを避けるため、6七玉とスライドする。

そしてこれで終わりだ!! 6八角打つ!!

 

「次は…………角?」

 

そして山刀伐さんも気付く。俺の選択の意味に。

 

「………………………まさか?」

 

銀・銀・角。桂馬ではダメだった。これしか道はなかった。

 

「まさか? え? まさか? ………………まさかまさかまさかまさかッ!?」

 

「…………」

 

「……限定合駒? しかも……3枚連続? ……そんなもの……あり得るはずが……」

 

桂馬を手放していればその瞬間、俺の負けは決まってしまっていた。もしくは57手目の受けに山刀伐さんが桂馬ではなく香車を使っていれば。桂馬一枚の有無が勝敗を分けたのだ。

 

山刀伐さん投了後の感想戦で敗着の瞬間についてや俺の振り飛車研究の期間についての話になり、そして

 

「負けました。……ありがとう」

 

改めて投了を認めて去って行った。

紙一重、紙一重だった。

けれど俺は確かに名人と山刀伐さんの研究を打ち破ることに成功したのだ。

 

 

 




■原作との違い
・八一、ジンジンを挑発。(天衣の傲慢さがうつった?)
・八一、棋力UP(5分程)
・第三の限定合駒現る

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