その便意が物語を変えた   作:ざんじばる

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04.竜の子は雷を討ち滅ぼす

 

 

「無理だ。勝てるわけがない」

「そう? 実力差はあるでしょうけど、勝負はやってみないと分からないわ」

「姉弟子も見たでしょう。雷のさっきの対局」

 

 雷はあろうことか対局に遅刻し、ペナルティーとして持ち時間を3分まで削られた。その上、持ち時間をわざと使い切ってから初手を指したのだ。明らかに舐めきっていた。

 対局相手は焙烙和美女流三段。過去にはA級棋士に勝ったこともあり、本大会でもチャレンジマッチで桂香さんを粉砕して敗者復活戦送りにした猛者だ。

 いかに雷が強いとはいえ相手も女流の強豪。その上持ち時間の有無は圧倒的なアドバンテージだ。そして対局の結果は———雷の圧勝。

 焙烙さんは立ち上がることができず、ずっと泣き伏せていた。雷の残酷なパフォーマンスによって壊されたのだ。 広瀬○人八段のように。

 俺にはあれが、次はお前の弟子をこうしてやるという挑発に思えてならなかった。

 

「あの小童があそこまで自信満々に言うんだから何かしら勝算があるんでしょう」

 

 天衣は計算高いタイプだからそうだと思いたいんだけどな。相手が雷以外のタイトルホルダーならこんな心配はないんだが。

 

「……それに残酷な目に遭うのは相手の方かも知れないわよ」

 

「姉弟子? 何か言いました?」

「…………」

「姉弟子?」

 

 黙ってモニターの先の何かを見ていた姉弟子の表情はなぜかこわばっていた。

 

 

 

 

 

 

「お待たせしました。それではマイナビ一斉予選決勝の解説会を始めます。聞き手は私、空銀子。解説は九頭竜八一竜王でお送りします」

「……お願いします」

 

 会場は大盛り上がり。誰もがこれからの一戦を楽しみにしている。そんな中で俺だけは乗れないでいた。

 姉弟子が本日注目の一戦を告げる。女流帝位祭神雷と最年少アマチュア夜叉神天衣。姉弟子が俺に問いかける。天衣はどんな将棋を見せてくれるだろうかと。

 

「女流帝位は強い。とてつもなく強い。ですが———」

 

 本音を言えばとても不安だ。釈迦堂さんが雷を評した『究極のエゴイスト』という言葉。的確だ。あいつはどんな残酷なことでもやってのけるだろう。だけど、愛弟子がこれから一世一代の大勝負に望もうとしているんだ。だから俺くらいは信じなきゃ嘘だろう———

 

「竜王の弟子はもっと強い!!」

 

 あいつの勝利を!!

 

 ———おおおおおおおおぉぉ!!

 

 そして観客の歓声に乗せるように聞こえてくる。

 

『よろしくお願いします』

 

 気負いなく、むしろ自分の方が上手のように鷹揚にふるまう。

 いつものように一度黒髪をかき上げて、天衣の初手は角道を開ける7六歩!

 

 

 

 

 

 

 天衣が角道を開けたのに対して雷も同じく初手で角道を開けて見せた。次に天衣は飛車先の歩を突いて居飛車戦を明示。対して雷はどのように応じるのか。

 雷はニヤニヤと笑いながら盤上奥に手を伸ばし……これはッ!?

 

『うひッ』

「「一手損角換わり!?」」

『チッ!!』

 

 天衣の師匠である俺が、そして天衣自身も得意とする『一手損角換わり』。あからさますぎる挑発だ。天衣は激発しそうになり扇子をぎゅっと握って何とか怒りを堪えた。そして馬を銀でとる。

 

 以降、4二銀、6八玉、3三銀、4八銀、5四歩、4六歩と進み、12手目。

 雷はつまんだ飛車を———

 

『ひひッ! ごたぁーーーーいめぇぇーーーーーーん!!』

 

 天衣の飛車の正面に振った。これは……

 

「「だ、ダイレクト向かい飛車!?」」

 

 俺も姉弟子も驚愕する超力戦型の戦法。プロでも数人しか指しこなせないほどの高難度の戦型だ。研究をよくしている天衣ならば全く知らないということはないだろうが、それでもそう豊富な経験値があるとは考えづらい。

 

『チッ!』

 

 天衣はひとまず受けに回った。7八玉と飛車のいないエリアへ玉を逃がす。

 当然雷は飛車先の歩をついてくるが、天衣もただ受けるだけでなく飛車のいなくなった左方から突き崩すべく9六歩。その後互いに右辺の桂馬を跳ね合って飛車を牽制。右辺で分厚く攻めてくる雷に対して天衣も右辺の駒を総動員し激突に備える。

 そんな中、雷が突然天衣に話しかけた。

 

『きみ、やいちの一番弟子なんだろぉ?』

『…………』

『ずるいよなぁ? やいちにいろいろ教えてもらってるんだろうぉ? こっちはいくら何度お願いしても将棋指してもらえないのにさぁ。何度も何度も何度も何度も何度も———』

 

 ガタガタと貧乏揺すりをしながら天衣に話しかける。

 異様なその姿も天衣は完璧なメンタルコントロールで黙殺しているが、先に周囲の観客に火がついた。

 

「イカちゃんの超盤外戦術キターーッ!!」

「これを見に来ました!」

 

 観客の声に押されるかのように更にテンションをあげていく雷。

 もはや攻め上がりは左辺にもおよび、将棋盤全体で押し潰さんとばかりに迫っていく。

 

『なあぁぁ、こっちが勝ったらさぁ代わってくれよぉ。やいちの一番弟子ぃぃ』

『はぁ?』

 

 そこで初めて天衣が応じる。

 

『才能のない奴がやいちとやってたって無駄だよぉ。こっちならやいちと指せばどこまでもどこまでも強くなれるさぁ。なぁぁこっちのほうが竜王の弟子に相応しいだろぉぉぉ?』

『…………』

『女流棋士とやったってつまんないんだよぉぉ。空銀子も釈迦堂里奈も月夜見坂燎も供御飯万智も、みぃんなニセモノさぁ。あいつらは何も見えてやしない』

『…………』

 

 祭神雷と空銀子。実績では圧倒的に姉弟子の方が上だが、才能なら祭神雷が遙かに勝るという声が大勢を占める。姉弟子と雷の直接対局の棋譜を見た者は圧倒的にそう言う評価になる。

 

『こっちならさぁぁ。女流タイトルを独占してから全てうち捨ててプロ棋士になってやるさぁぁ。そんで役目を終えた女流棋士なんて潰すのさぁぁ』

『…………』

『あんなやつらと将棋を指してるとこっちが腐ってくのが分かるんだよぉ! こっち、生きながら腐ってるんだよぉぉぉ!!!』

 

 

 

 

 

 

 雷の将棋は強い。その才能は疑いようがない。そして将棋界は強さが全てだ。俺はそこに異論を挟めない。だというのに雷を見ても全く心引かれるものはない。なぜだろう。あの日見た釈迦堂さん。姉弟子。ふたりの弟子達と何が違うのか。

 

 この対局を見ていて分かった。美しくない。全く美しくないのだ。

 才能に裏打ちされた彼女たちの力はどれも極上の輝きを伴う美しいものだ。対して雷のそれはエゴに凝り固まり、腐臭を上げているかのようだ。こんなものが棋士の理想であっていいはずがない。

 

「……天衣」

 

 そして俺は希望通りまもなく目にすることになる。

 地表を覆いつくさんとする汚泥を燦々と輝く太陽が焼き尽くすのを。

 

 

 

 

 

 

『はぁ……。ペラペラと何を喋るのかと思えば聞くに堪えないわね』

 

 それまでの雷の絶叫に対して溜息とともに天衣が吐き出したのは心底の呆れだった。

 

『あぁ?』

『空銀子も釈迦堂里奈も月夜見坂燎も供御飯万智もニセモノ? それは結構なことだけれど、貴女自身もたいしたことないわよ?』

『けひっ……けひひひひひ。たいしたことがないかどうか試してみるといいさぁぁ。超特大の捌きで吹き飛ばしてやるよぉぉぉぉ!!』

 

 陣全体で落ちてくる雷に対して、天衣も陣全体を押し上げて受け止める構えだ。歩は一つとして初期位置におらず、最後尾の九列に至っては香2枚と桂馬を嫌って下がった飛車しかいない。

 

『それじゃあお言葉に甘えて』

『あ……うェ?』

 

 47手目。天衣がつまんだのはその最後尾にいた飛車。移動先は8九———

 

「「地下鉄飛車ッ!?」」

 

 俺も姉弟子も驚愕に思わず叫ぶ。

 自陣最後列を駆け抜ける『地下鉄飛車』。九列の駒のほとんどを上げる必要があるため、実戦で出現することは滅多にない手だが指されてみれば絶妙手だ。飛車は雷の王頭に狙いを合わせ、左端のカウンター要の駒と絡んで一気に分厚い攻撃陣が出現した。対して雷の右辺の飛車を始めとした攻撃陣は侵攻目標を見失ってしまっている。

 

 

 

 圧倒的な大局観だ。天衣はたった一手で攻守の立場を入れ替えてみせたのだ。

 

『……はぁ? はぁぁぁぁぁぁぁ!?』

 

 雷は驚愕しつつも手持ちの角を打ち込んでまずは手薄になった右辺を破りにいく。けれど天衣の歩が全て上がっていたため、後一歩成るところまで持ち込めない。そこで王目がけた天衣の攻撃が始まる。

 53手目8五歩。同桂、同桂。ここで手抜いて雷は馬を作る。3七角成る。

 天衣もこれを放置して攻撃を継続。9三桂成る。王手。

 

『ひひっ……そんな王手は怖くなぁぁぁぁぁいッ!』

 

 雷は同香でこれをしのぐ。けれど天衣の攻撃は止まらない。5五に歩を打ち込んで黙々と雷の守りをはぎ取りにかかる。駒と駒がぶつかっては消えを繰り返す。

 67手目9四にいた銀を同香としたところで雷の王を囲っていた守りはその大半が消え去っていた。これは———

 

「…………巨匠の捌き」

 

 そう。姉弟子が呟いたとおり、『捌きの雷』がその手腕を振るう前に、天衣は巨匠の薫陶を受けたそのタクトで雷の守りを捌ききってしまっていた。

 

 けれどここで雷が意地を見せる。

 

『ひひっ! なめるなァァァァァァ小学生ェェェェェェえッ』

 

 8五に桂を打ち込んで逆撃に出る。対して天衣は———

 

「手抜いたの!? ここで!?」

 

 9六桂打つ。雷の攻撃を無視して斬り合いだ。雷は受けるために9五へ銀を打ち、天衣は無視して桂を跳ねる。が、ここでさらに雷が手抜いてきた。

 

『ひへぁ!! これでェェェどうだァァァァァァァァ!!』

 

 5六桂打つ。王手をかけつつ天衣の飛車に壁を挟む好手だ。

 

『……はぁ』

 

 けれど、雷のそんな気合いの一手に天衣は露骨に溜息をついて見せた。

 

『ひひゃぁ?』

『空二冠より才能は上だと言うから期待していたのに……あなたその時から全く進歩していないじゃない』

 

 そう言いながら天衣はひょいっと玉を右隣に動かして王手を躱した。

 その手に雷は目を剥く。

 

『…………はぁ? はぁぁぁぁぁぁ!? それで受かってるだぁぁぁぁぁ!?』

 

 天衣はこのマイナビの道中の対局を楽しみにしていた。自分が成長するためのエサとしてではあるが。そして雷にその価値もないと落胆しているのだ。

 

『自分が腐っていくのを感じる? それだけは正しい見立てね。貴女の才能はどうしようもなく停滞してしまっている』

 

 天衣の飛車が小刻みに前進し、打ち込んだ駒と併せてまた雷の守りを捌いていく。

 

『でもろくな対局相手がいないからというのは間違いね。貴女の性根が腐っているからその才能も腐り果てたのよ』

 

 天衣は雷に致命傷を与えるべく、守備の裏に角を打ち込む。

 

『失敗の原因を外に求める者は大成しないわ』

 

 雷はそれを歩を打ち込んで必死に受けるが、その様をあざ笑うかのように今度は左の定位置にいた香車が飛び込んで王の直上の歩を砕く。王手!

 

『ねぇ? さっきの竜王の弟子には自分の方が相応しいってやつ。私の頭が悪いのかちっとも理解できないのだけど。よかったら私にも分かるように説明してくれないかしら?』

 

 雷は顔面受けでそれをしのぐしかないが、さらに頭金が打ち込まれる。二連続王手! 雷の王は尻を振って逃げる。それに対して、天衣はノータイムで飛車を切る。強手! 雷は歩でとるしかない。

 

『才能どころか性根も腐ってる。私より若いわけでもない。どこが八一先生に相応しいの? それに貴女———』

 

 

 95手目。天衣がつまんだのは先ほど7二に打ち込んだ角。それが馬となって王の頭に襲いかかる。9四角成る!!

 

 

『とても不細工だわ』

 

 

 

 

 ここで雷はくずおれ、投了を示した。

 雷に引導を渡したのはこれも因果か。『一手損角換わり』で天衣の手に渡った『角』だった。

 

 

 




■原作との違い
・姉弟子、天ちゃんに怯えを見せる
・イカちゃん、天ちゃんの『絶対に許さないリスト』入り
・天ちゃん捌きの雷を捌く
・イカちゃん、ゲシュタルト崩壊

ということで、見事天ちゃんの『絶対に許さないリスト』入りしたイカちゃんは残酷な目に遭わされたのでした。めでたし、めでたし。
次回はあいちゃんの『絶対許さないリスト』入りしているたまよんなんですが……生きろ。

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