その便意が物語を変えた   作:ざんじばる

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05.大魔王からは逃げられない

 マイナビ一斉予選開始前、選手控え室で既に決勝の前哨戦は始まっていた。

 

「久しぶり。元気だった? あなた達、ふたりともすごい人気ね!」

 

 薄っぺらい笑顔を貼り付けてある女の人が話しかけてきた。緊張してるんじゃないかとか私たちのことをまるで気遣っているようなことを言ってくるけど、この忌々しい女狐に限ってそんなはずはない。

 

「でも心配しなくてもいいのよ? あなた達に注目しているお客さんは、将棋の内容なんてこれっぽっちも興味ないんだもの」

 

 

 

 ほらね?

 

 そのあとも負けても平気だの、どんな酷い将棋を指しても大丈夫だの言い募ってくる。天ちゃんが黙っているのでひとまず私も黙って聞く。心の中で正の字を書きながら。ん? 特に意味はないよ?

 

 一通りしゃべり終えたのだろう。女狐が黙ったところで天ちゃんが口を開く。

 

「貴女、誰?」

「ッ……!!」

 

 プッ 止めてよ天ちゃん、思わず吹き出しそうになっちゃった。

 女狐は顔を真っ赤にしている。

 ……でもこれ嫌みとかじゃなくて本気で言ってるんだろうなぁー、天ちゃんの事だから。仕方ない。妹弟子が教えてあげますか。

 

「天ちゃん……あの人だよ。ほら、この間の『ニコ生』の」

「ああ、あの時の。名人の手筋の粗が何も見えてなかった残念な女流ね」

「だ、だめだよぉ天ちゃん。私たちの2倍以上年上の目上の人にそんな失礼なこと言っちゃ……」

 

 私は天ちゃんを押しとどめながらそう言う。

 

「そういうことは盤上で教えてあげればいいんだから」

 

 あ、いけない。本音が口から出てた。…………ま、いっか。

 顔を青くした女狐の顔をのぞき込みながら、こいつと当たったらどんな目に遭わせてやろうか考える。こいつとあいは同じブロックにいるから上にいったら当たるかも知れない。

 ただでさえあいは天ちゃんをねじ伏せて、おばさんを蹴落とすのに忙しいっていうのに、これ以上余計な労力は割きたくない。師匠に色目を使う害虫は後顧の憂いを絶つためにも確実に潰さなきゃね。

 

 

 

 

 

 

 女狐は予選決勝まで上がってきた。

 これはあいが引導を渡してあげないと。

 頑張ります!

 

 

 

「こいつは飛車を振る」

 

 うん? 女狐が何か言い出した。

 

「って、思ってる顔をしてるよね」

 

 いいえー。あいはあなたの棋風に興味ないですー。

 でも女狐は勝手に勘違いしたのかにんまりして飛車先の歩を進めてきた。言葉から察するにあいの研究を外そうとしてきたのかな? あい、別にあなたの研究なんてしてないけど……勘違いって痛いよね。ま、いいけど。

 あいももちろん飛車先の歩を進める。それに対して女狐は———2五歩。あいが飛車先の歩を伸ばせば『相掛かり』になるんだけどいいのかなー? いいか。逝っちゃえ。

 

「んっ」

「死にな。ガキ」

 

 うーん。強い言葉を使うと逆に弱く見えるよね。

 

 

 

 

 

 

 駒のぶつかり合いも進んで、もうまもなく終盤へと差し掛かろうかというタイミング。

 うーん。形勢はまだほとんど互角、ううんほんの少しだけどあいの方が悪いかな。そろそろこの女狐の仕留め方を考えたいんだけど何か良い方法ないかなー。一発で心をへし折るようなそんな劇的な勝ち方がいいよね。

 

 何はともあれ読むことから。

 

 とって、うって、とって、うって、とって、うって、とって、うってとってうってとってうってとってうってとってこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこう……………………あった。

 

 あと大事なのは演出だ。まだ確定コースに乗ってないけどうまくいけば……。

 

 こう。後5歩。

 こう。近づいた。後4歩。

 こう。現状維持。後4歩。

 こう。後3歩。

 こう。後2歩。

 こう。後1歩。

 こう。変わらない。後1歩。

 こう。…………………乗った。

 

 

 

「あはァ」

 

 

 

 

 

 

「ッ……!?」

 

 ———ゾクッ!

 白いのから漏れた笑い声を聞いた時、得体の知れない寒気が背筋を走った。

 こいつ、何をする気!?

 

「さんじゅーう」

 

 そう言いながら次の手を指す。一体何の意図があるのか。私も手を進める。

 

「にじゅうきゅう」「にじゅうはち」

 

 白いのはノータイムで手を指しながらまた数字を読み上げた。白いのはその次の手以降も一手進む毎に数字を読み上げている。

 

「にじゅうなな」「にじゅうろく」「にじゅうご」「にじゅうよん」……………

 

 一体何だっていうの。持ち時間とも違う。一体何のカウントダウン…………ッは!? カウントダウン!?

 

「じゅうよーん」

 

 ———嘘でしょ? 嘘よね? 嘘だって言ってよ!? …………これ……私が詰むまでのカウントダウン!?

 

「じゅうさーん」

 

 負けてる!? もう負けてるの!? 何か、何か手はッ!?

 私は持ち時間を使って必死に長考する。

 何かこの白いのの読みを外す手を……これならッ!?

 

「じゅうさーん」

 

 良かった。カウントダウンが止まった。

 

 

 

 …………いいえ。カウントダウンそのものは止まっていない。数字が減ってないだけで白いのがノータイムで指してくるのも、数字を読み上げるのも変わらない。……これ寿命が一手延びただけ……なの?

 

 

 

 その最悪の予想を裏付けるかのように、次の手からまた数字の減少が再開する。

 

「じゅうにー」「じゅういーち」「じゅーう」

 

 あ、ああ……何か手は、他に何か手はないの!?

 

「きゅーう」「はーち」

 

 止めなさいよ……。止めて。止めてよぉ…………その羽を毟った虫を観察するような眼を止めろぉ……!!

 

「なーな」

 

 ———あぁ……。ここまで来て私にも見えた。見えてしまった。私の王は後7手で詰む。どこにも逃げ場はない。……こいつには30手前からこの光景が見えていたっていうの? そんなの……………………………

 

 

 

 

 

 

 ———化け物

 

 

 

「……負けました」

「ありがとうございましたッ」

 

 

 

 

 




ということでたまよんは死の宣告からの有言実行の刑となりました。エグい。

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