その便意が物語を変えた   作:ざんじばる

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04.God bless you

 

「「「一手損角換わり!?」」」

「ッ……!!」

 

 

 部屋にいる皆が驚きの声を上げる。私自身も驚きを禁じ得ない。名人が予想外の戦型を選択したからだ。

 私がいるのはホテルに用意された控室。そこで竜王戦第一局の観戦をしている。部屋には月光会長に妹弟子、清滝一門の連中、関西から来た全員が勢ぞろいしている。そこで中継映像を見ながら継ぎ盤を囲んでいた。

 

「……これは驚きましたね」

 

 そう切り出したのは月光会長。目を閉じていることもあってさほど驚いているようには見えないのだけど……

 

「月光さんもそうですか?」

「それはそうです。名人が一手損角換わりを採用した事例はほとんどみたことがありませんからね」

 

 そう。名人は対局数も多く、また本人の知名度のため棋譜はどれも簡単に入手できる。私も名人の棋譜はほとんど全て並べたことがある。それでも一手損角換わりは一局、二局あったかどうかだ。

 

 映像から八一先生も驚いているのが分かる。ややあって気を取り直した…………いえ、あの顔は悪いことを考えている顔ね。第一局で名人の一手損角換わりを破って、第二局では逆に自分が一手損角換わりを使って勝ってやろうということ? それは余計な感情だと思うけれど……八一先生も勝負師だからね。相手に飲まれるよりはいいのかしら。

 

 

 

 

 

 

 時刻は十時となり竜王戦は小休止となった。観戦記者を務めている山城桜花が控え室に入ってきて、インタビューを始めた。まずは月光会長に、名人が一手損角換わりを採用した意図の解説を求め、次に妹弟子に八一先生の今日の調子を聞いている。

 

「ふーん……そうなんだ…………ふーん……」

「ありがとうございました」

 

 どうやらインタビューは終わったらしい。妹弟子が急に無表情になっているのが気になるけれど。そうして今度はこちらにやってきた。関わりたくないから部屋の端にいたのだけどね……。

 

「ちょっといいですか? 今のお師匠様の様子、どう見ますか?」

 

 答えないとダメなのかしら———ダメみたいね。しばらく黙っていても諦める様子がない。

 

「…………そうね。一手損角換わりの直後は動揺していたけれど、結局どちらかと言えばやる気をくすぐられたみたいだからよかったんじゃないかしら」

「師匠の表情からそう読み取れた?」

「ええ。明らかにテンションを上げていたわ。それに———」

「それに?」

「いえ、なんでもないわ」

「なんでもないことはないでしょう? 勿体ぶらずに教えてくださいよ」

 

 スルーするがやはり引く気はないようだ。仕方なく再び口を開く。

 

「多分八一先生の戦略に関わることだからオフレコでお願いしたいのだけど」

「分かりました。少なくとも竜王戦が終わるまで伏せます」

 

 その言葉を受けて、私は声を潜めながら彼女に伝えた。

 

「……明らかに悪いことを思いついたっていう顔をしていたわ」

「竜王がですか? それは一体?」

 

 

「往復ビンタ」

 

 

「…………なるほど。よく分かりました。…………それにしても……ふふっ」

「子供っぽい考えよね」

「……いえ、そうではなく」

「?」

「……よく師匠のことを見ているなって。そんなところまでよく気づきますね」

「はぁ!? 適当なことを言うのは止めなさい! あれくらい誰でも———」

「分かりませんよ。いいじゃないですか、師匠と通じ合ってて」

 

 そう言い残して彼女は去って行こうとする。私は呼び止めて抗議を続けようとして。

 

「だからそうじゃな———」

 

 けれど、私の抗議は彼女の呟いた言葉に断ち切られることになる。

 

「本当……かないまへんなぁ」

 

 なんなのよ。もう。

 

 

 

 

 

 

「昼の雰囲気も良かったけれど夜も夜で格別ね」

 

 一日目の対局が終わり、その後の食事会も終わった後、私は一人で中庭にある教会の前に来ていた。時刻は午後十時頃。星明かりに照らされた教会というのもどうにも雰囲気がある。こうしてみると日本の空も汚れているのだと思う。星の明るさが全く違うのだ。

 フロントで聞いたところ教会は特に夜間も施錠していないらしい。不用心な気もするけれど、ホテルの敷地のど真ん中にあるのだから問題ないのだろうか。ともかくドアを押して中に入る。

 

 教会の中もまた幻想的だった。教会内の大部分を占めているのは闇だが、キャンドルの灯りで要所要所が柔らかく照らされ、そういう風に計算されて建てられているのだろうとわかる。ステンドグラスから月明かりが差し込んでその絵柄を控えめに浮かび上がらせている。

 

『天衣もこういうの興味あるんだな。なんだったら対局が終わったら俺と二人で式を挙げていくか?』

「……ふふっ」

 

 彼はそんな冗談を言ったが、そこで私が『Yes』と答えていたらどうな顔をしただろうか? 想像すると笑えてしまった。

 

 

 ……いけない。そんなことをしてる場合ではないわね。彼は誤解していたけれど私がこの教会に注目していたのは結婚式をイメージしたからじゃない。別の目的があるのだ。

 

 私は神秘的な空間を進む。そして祭壇の前で膝をついて手を組む。ここに来た目的を果たすために。

 そう。らしくないのだけれど私がここに来たのは祈りを捧げるためだ。

 

 

 私は願う。彼の勝利を。

 

 私にはこれくらいのことしかできないから。神鍋六段のように彼を高めるための力にはなれない。妹弟子のように彼の私生活を支えることもできない。神様は私から大切なものを奪っていった。漠然とだけれどむしろ敵だと認識していたと思う。それでも———

 

 竜王戦第一局の一日目は、名人が五十手目を封じて差し掛けとなった。双方駒組みが終わろうかという段階。四十九手で彼が2四歩と駒をぶつけにいったところだった。盤面はまだまだ互角。いや、穴熊に組んでいる分、彼の方がやや有利だろうか。

 

 

 

 ———どうかこのまま彼に勝利を。

 

 

 




ということで全て天ちゃん視点で書いてみました。
次回も引き続き八一VS名人です。

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