その便意が物語を変えた   作:ざんじばる

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引き続き天ちゃん視点です。



06.勝負は既に始まっている

 

 

「ちょっと、貴女大丈夫?」

「……ん? 何が?」

「何がって貴女……」

 

 マイナビ本戦のため東京へ向かう新幹線の中、隣の席に座る妹弟子の目は明らかに澱んでいる。確かに時折とんでもなく剣呑な目つきをする子だったけど今日はまた格別、手当たり次第に人殺ししてのける通り魔のような目だ。

 

「八一先生と何かあった?」

「ッ……別に何もないよ? 今日も頑張れって送り出してくれたし」

 

 あったらしい。八一先生になんとか構ってもらおうとじゃれついて、思いっきり拒絶されたって感じかしら。……八一先生も今は余裕がないからね。

 

 

 八一先生は初戦に続いて、第二局、第三局も落とした。竜王戦は七番勝負。もう後がない状況だ。精神的にも一番追い込まれている頃合いだろう。そんな時に構ってしたらどうなるか、分かりそうなものだけどね。

 

 

「だから……今日は絶対に勝たなきゃ……そうすればきっと師匠も……」

 

 どこを見るとも無しにそう呟いているがその澱んだ目も相まってまるで呪詛を放っているかのようだ。今日は絶対に勝たなきゃいけないというのは同意だけれども逸りすぎている……危ういわね。

 

 はぁ……こういうのは柄じゃないんだけど。八一先生の名誉のためにもこの子にも勝ってもらった方がいいのは違いない。

 

「それはいいけれど、今日の貴女の相手は奨励会2級。これまでの相手とはレベルが違うわよ。勝算はあるの?」

「読み合いになればあいは負けないよ。空中戦に持ち込めればなんとか……」

「だから、その空中戦にどう持ち込むのよ。相手だって馬鹿じゃないんだからこれまでの貴女の棋譜を見るくらいはして貴女が空中戦を得意としてるのは気付いているでしょ。それに棋譜を見る限り相手は慎重にことを運ぶタイプのようだし」

「それは…………」

「ノープランなわけね」

「うっ……」

「仕方ないわね……何とか相手を挑発しなさい。力尽くで貴女を押し潰さないと気が済まないってくらい激怒させるのよ」

「簡単に言うけど、そんなのどうやってやるの?」

「どうとでもできるでしょ。先に対局室に入って上座を奪うとか」

「そんなのできないよ!? そんな失礼なことしたってことが人伝で師匠に伝わったら……」

 

 こいつ、この期に及んでかわいこぶろうっていうの? それにおばさんにはそれ以上に失礼なことを八一先生の目の前で散々やっていると思うのだけれど。

 

「それじゃあ不細工って罵倒してみるとか」

「うーん。でも相手の人結構かわいいよ、ほら?」

 

 そう言いながらスマホで対戦相手のプロフィールを見せてくる。言うとおりボーイッシュながらなかなかのビジュアルの女子が映し出されている。

 

「登龍花蓮、女子高生、奨励会二級、ね。……それじゃあこんなのはどう?」

 

 私は彼女のプロフィールから思いついた策を妹弟子に伝える。

 

 

 

 

 

 

「もうすぐ本戦開始かー、ドキドキするね。天ちゃん」

「そうね。でもまあいつもの通り打つだけよ」

 

 今、私たちは東京の将棋会館のトイレで手を洗いながら話をしている。

 

「それで? 今日の対局は勝ち目がありそうなの?」

「うーん。どうかなぁー。奨励会員だもんね。新手とか持ち出されると辛いよ。読み合いの力勝負になる空中戦なら楽勝なんだけどなー」

「楽勝って貴女……才能なら自分が遙かに上って事?」

「うん? それはそうだよ!」

「はっきり言うわね」

「だって、うちの空オバサンより年上なのにまだ2級なんでしょ? 全然才能がないってことだよ、それー」

「フフッ……それじゃあ相掛かり狙い?」

「そうだけど付き合ってくれないよね、きっと。あいの棋譜も見てるだろうしびびって穴熊でもしてくるんじゃないかな?」

 

 ここまで油を注いでおけば大丈夫でしょうけど、念のため追加しておくか。

 

「まあでも私の相手よりましでしょう? 頑張りなさいよ」

「天ちゃんの相手は女流玉将だっけ? そうだね。タイトルホルダー相手よりは遙かにマシだよね。よーし、勝つよー」

 

 そう話しながら、個室が一つ埋まっているのを横目にトイレを出て、私たちは対局室に向かった。

 

 仕掛けは上々、あとは仕上げをなんとやらね。

 

 

 

 

 

 

 将棋会館四階『雲鶴』。そこで私と妹弟子の二人は一足早く席に着き、対局の始まりを待っていた。

 

「失礼します!」

 

 吐き捨てるように言い、襖を荒い所作で開けて入ってきたのは奨励会員のバッジを付けた女子高生。これが登龍なにがしらしい。妹弟子を睨み付けながらどすんと席に腰を下ろす。だいぶお怒りの様子ね。

 

 どうやら作戦はうまくいったらしい。先ほどのトイレでの妹弟子との雑談は彼女がトイレに入ったことを確認した上で行った。おそらく彼女が気に障るであろうポイント、関西所属で年下の上位者である空銀子との比較や過去に奨励会から落伍している女流玉将よりも下に見る発言、それをポッと出の小学生に言われるのだ。腹も立つだろう。

 

 妹弟子と目線だけ交わす。瞳からは新幹線の中で見た追い詰められるような悲壮な雰囲気は薄れ、どちらかと言えば罠に掛かった獲物をどう料理してやろうかという捕食者の色に変わっている。まあ、どちらも殺意にギラついているのだけれど。勝負事に望むのなら今の方がいいわよね。きっと。

 

 これで妹弟子の方は五分にやれるだろう。あとは妹弟子の実力次第。そろそろ私も自分の相手に集中しないといけない。なにせ相手は———

 

 

 ズダッ! ズダッ! ズダッ! ガララッ!

 

 

「……このオレが、まさか小学生のガキと平手で指す羽目になるとはな……」

 

 月夜見坂燎女流玉将なのだから。

 女流玉将はドカリと荒々しく、私の対面の席に着く。

 

「アマのJSが二人に、奨励会員のJKが一人……へッ! 女流棋界もなんとも焼きが回ったもんだぜ。どいつもこいつもだらしがねぇ」

 

 それにしても……品のない女ね。こんなのでも一応タイトルホルダーでしょう? この女の師匠でも、釈迦堂会長でも関東の将棋連盟でも誰でもいいのだけど「山猿にも最低限の教育ぐらいはしておきなさいよ」

 

「あぁ!? 誰が山猿だあ!? おいガキ、もう一度言ってみろよ」

 

 ……いけない。口に出てたらしい。ともかくゴリ押しで誤魔化そう。

 

「言ってないわ」

 

「はっきり言っただろうがよ!?」

 

「言ってないわ。……怖いから睨むのを止めてもらえないかしら」

 

 目線を外すために、そっぽを向いて窓の外の鳩森神社を見ながらもう一度言う。

 

「チッ、それが怖がってる奴の態度かよ。ったく生意気なクソガキだ。……師匠(クズ)とよく似てやがる」

 

 八一先生をクズ呼ばわり、万死に値する。でも八一先生と私が似ていると言ったところは情状酌量の余地を認めるわ。運が良かったわね山猿女。

 

 

 もうまもなくマイナビ本戦第一回戦が始まる———

 

 

 




■原作との違い
・天ちゃんとあいの相手チェンジ
・天ちゃん、妹弟子へアドバイス。優しい。
・花蓮ちゃん、ボーイッシュ&カワイイ設定追加

変わらず繁忙期のため、更新したりしなかったりが続くと思いますがよろしくお願いします。

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