その便意が物語を変えた   作:ざんじばる

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07.竜王へ捧げる供物

 

 

 

「時間になりましたので対局を開始してください」

「「「よろしくお願いします」」」

 

 女流玉将以外の声が重なる。小学生相手には挨拶する気にならないということらしい。

 

 先手である彼女の初手は7六歩。角道を開けてきたか……。応じて私も角道を開けることにする。対して彼女はノータイムで飛車先の歩を突いてきた。居飛車戦を明示してきている。これで戦型の選択は私に委ねられたわけだ。

 

 彼女のエース戦法は『横歩取り』。私も飛車先の歩をついてそこに飛び込むのも一手。私のエース戦法である『一手損角換わり』にするのもいいだろう。棋譜を使った事前研究から彼女の実力を推し量る限りはどちらを選択しても6~7割方は勝てると見ている。女流タイトルホルダーと正面から全力でやり合えるのは得がたい機会だ。普段の私なら喜んでそうするだろう。

 

 ……けれど、今日だけは確実な勝利が欲しい。いかなる理由でも負けは許容できない。であるならば彼女の実力を発揮させないようにするしかない。勿体ないし、少々申し訳ないのだけれどね。だから私の選択は———

 

「はぁ?」

 

 私の指した一手に女流玉将は意味不明なものを見たというような声を上げた。記録係もきょとんとしている。そしてワンテンポ遅れてその意味に気付く。

 

「「ごッ」」

 

 私の指した一手は、2四歩。

 

「「後手番角頭歩!?」」

「こんのクソガキッ……!!」

 

 私の選択は奇襲戦法。要はお前は奇策が通じる程度の相手だという挑発だ。

果たして彼女は狙い通り顔を真っ赤にして激怒してくれた。扇子までへし折っているのでさすがに演技ではあるまい。荒い手つきでノータイムで指してくる。

 

 4八銀、5四歩、6八玉、8八角成、同銀と続き。

 

 私は角交換で空いたスペースへ飛車を振る。10手目2二飛。

 

「後手番角頭歩に一手損角換わりにダイレクト向かい飛車だぁ? 生意気に力戦志向かよ……けッ!」

 

 互いに飛車が消えた左辺に玉を迎え、矢倉を作る。

 さぁ、戦闘開始ね。

 

 

 

 

 

 

 駒のぶつかり合いは盤面中央、互いの矢倉の軒先を突き合った部分から始まった。

 

 私は飛車を4筋へ振り替えて攻撃への参加を計るが、彼女はそれでは遅いとばかりに更に歩を突き捨ててくる。それをきっかけに中央で更に小競り合いが起きる。

結果として相手陣地の中央が手薄になったのを見て取った私は銀頭に歩を打ち込んで更にスペースを広げ、角を打ち込む。4七角打つ。

 

「ハッ! 雷に勝ったっつーからどんな天才かと思えば、何だよ。こんなもんかよ」

 

 そう言い捨てると、手抜いて彼女も角を打ち込んでくる。5三角打つ。

 私は5二飛として飛車を角の利きから逃す。それに対して相手はノータイムで3一角成。馬を作る。

 そこから互いに中央に手を入れて、58手目。私も馬を作る。が、銀に咎められて元の位置に馬を戻した。

 

「温りぃ」

 

 彼女に手番が移ったところで、玉の上部への攻撃が開始された。7四歩。

 そこから同歩、7三歩打、同桂、同桂成、同銀、6五桂打、8四銀。

 攻防は中央も絡めて更に続く。

 69手目4四歩、7五歩、6三歩成、同金、7五金、7七歩打、同金、7五銀、同馬、7四歩打、7三銀打、王手。

 

 ここで彼女がなにやら話しかけてきた。

 

「おい、クソ黒髪チビ」

 

 はぁ? それ私のこと?

 

「オレは小学生名人戦でオメーのお師匠サマと決勝で戦った。もちろん平手で、だ」

「……?」

 

 何が言いたいのかよく分からないわね。過去の話を持ち出してどういうつもりかしら。

 

 9二玉。王手から逃がす。

 

 彼女は馬をひょいっと左にずらして8五馬、玉頭へプレッシャーをかけてくる。

 8一桂打、4三歩成、同銀。6四歩打。

 

「オメーはお師匠サマとどんな手合いだ? 飛車落ちか? 二枚落ちか?」

「…………」

 

 なるほどそういうこと。自分とは手合い違いだって? 彼女にはこの将棋が自分の圧倒的勝勢に見えているということ。『あいつらは何も見えてやしない』、か。女流帝位の言葉に同意するのはしゃくだけど、ここまで将棋観が噛み合わないと確かに苛立たしいわね。私は完全に受けきっているというのに。

 

 86手目7三金、同桂成、同桂、9四馬、9二玉、6三歩成、9四香、6八飛。

 

「なんか言えよ、おい」

 

 

 ……即座に否定して恥をかかせてしまうのも忍びないのだけれど仕方ない———

 

 

「ま、平手で指してたって別に怖かねーけどよ。あんなクズ、どーせ名人にボロ負けしてるザコなんだからよ。ハッ! 三連敗とか弱過ぎんぜ。角落ちでもまけるんじゃねーの?」

 

 

 ———殺す。

 

 

 山猿女。貴女の全てを否定してあげるわ。

 

 6七歩打、同飛、6六歩打、同飛、6五歩打、同飛。

 

「テメー、何のつもりだ? 歩をそんなにタダでよこして。貢ぎ物のつもりかよ?」

 

 5七馬。

 

「ハッ、今更飛車を咎めたって遅せえぜ!」

 

 99手目7三と金、王手。

 私は構わずそれを玉で取る。

 

「あん? 下がらず顔面受けだと?」

 

 山猿女は困惑しつつ、さらに王手をかけてくる。

 8五桂打、王手。私の応手は8二玉。

 

「今度は金や銀がいない方へ逃げた?…………まさかこれで受かってるのか?」

 

 心配しなくても受かってるわよ。さあ、攻撃の切れ目が貴女の終わりよ、山猿女。

 

 103手目、7九歩打。山猿女が指したのは私の逆撃に備えた守りの手。

 

 

 怯えたわね。

 

 

 手始めに飛車と交換する形で馬を捌く。6六馬。

 山猿女は同金。これで王の守りが2枚消えて、その脇腹を晒した。

 その脇腹を突く5八飛車打。

 相手は金を打って受ける。ノータイムで9八歩打。

 

 109手目5三歩打。ここで手抜いて飛車を咎めてきた? …………なるほどね。せっかくだから最後に狙いに乗ってあげましょうか。

 

 6二飛、6三歩打、同飛。

 

「これでッ」

 

 3六角打。6三、5八にいる飛車2枚のどちらかをよこせってことね。それじゃあそちらをどうぞ。

 

 5七飛成。

 

 代わりに私は王をいただくわ。

 

 山猿女は6七金と竜王の道を塞ぎにくるけれどもう遅い。

 6六角打、王手。

 

 

「ごめんなさい。将棋に集中していて質問に答えられていなかったわね。八一先生と私の手合いだったかしら。答えは角落ちよ」

「…………」

「それで? 貴女は小学生の時に八一先生と平手で指していい勝負をしたのよね? すごいわ。大切な思い出にするべきね」

 

 もう八一先生と平手で競るような機会は二度とないでしょうから。貴女ごときには。

 

「……………………」

 

 

 

 その対局の投了は無言で行われた。

 

 

 




■原作との違い
・月夜見坂さん、死刑執行書にサイン。
・天ちゃん、八一先生と月夜見坂さんの力の差を教えてあげる、優しい(白目)

連載開始後、一番間が空きましたがしばらくこんな感じになりそうです。
来週も週4日の営業日のうち、送別会が4日入っているという……

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