その便意が物語を変えた   作:ざんじばる

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11.本音と建て前

 

 

 

『九頭竜竜王はこの旅館の娘さんの師匠に当たり、二人はすでに結納を済ませているとのことです』

 

 テレビのレポーターは滅茶苦茶のことを言い始めた。

 対局場になっている旅館の女将からの情報とのことだけど……

 

『娘さんは今おいくつなんですか?』

『10歳。小学四年生だそうです』

『犯罪じゃないですか』

『はい。まぎれもなく犯罪です。その他にも金髪幼女に公衆の面前でちゅーさせたという話やとある将棋の大会で小学生女児二人を両手に抱きしめて「お前が、お前たちが俺の翼だ!」と宣言していたという目撃情報も寄せられています』

『だ、大丈夫なんですかそれは……』

『未確認ですが、事態を重く見た警察は決定的な証拠をあげるために公安9課を動かしているという情報もありまして———』

 

 ゴシップ情報を垂れ流すばかりでこれ以上見ている価値もない。私はテレビの電源を切り膝を抱え込む。

 時刻は夜九時を回ったところ。私は旅館の自室の布団の上で物思いに耽っていた。

 先の前夜祭から見ると、今はその翌日に当たる。竜王戦第四局の初日は名人の封じ手で終えた。

 

 

 前夜祭———

 

『竜王。あなたは師匠として、ここにいる雛鶴あいさんを弟子にすることを誓いますか?』

 

 あの時の光景が脳裏に蘇り、思わず膝を抱きしめた腕に力を籠める。

 

 

 分かっている。

 あの『女流棋士資格申請書記入の儀』なるものに意味なんてない。

 あれはあの子が八一先生も知らないところで仕組んで無理やり書かせただけだ。あの状況で八一先生が記入を断るなんてことはできるはずない。

 だからあの行為が『=八一先生にとって私よりあの子の方が大事』なんてことにはならない。

 

 

 頭では分かっているのに……なんで私は…………

 

『皆さん、今ここに新たな師弟が誕生しました。皆様、盛大な拍手をお願いします』

 

 書類へ記入を終えたあの子の得意そうな表情まで思い出してしまう。

 八一先生は竜王戦に背水の陣で臨んでいる。もう後がない。だから何より八一先生のことを優先する。女流棋士登録もそれまではお預け。そう自分で決めたはずだ。あの子がどうするかなんて関係ない。

 そして、八一先生は最高の状態で今日を迎えた。今日はまだ定石を辿った状態で封じ手となったが、明日はこれまでの相掛かりの歴史を塗り替える偉大な棋譜を残し、そして勝つはずだ。

 

 私はそれで満足———

 

 自室には私一人だ。誰に見られるわけでもない。それでも何となく、私は顔を、抱えた膝に伏せてその表情を隠した。

 

 

 

 

 

 

 竜王戦第四局二日目。この日は名人の封じ手4五銀———定石を外した一手から始まった。

 そこから八一先生と名人はこれまで連綿と築かれてきた相掛かりという戦型における歴史を塗り替えていく。盤面は一見すると戦型を分類することも不可能なほどに歪んで見える。けれど深く潜ってみれば明らかに一つの方向へと人の意思によって導かれていく。

 私はそれをタブレットの画面を通して見守っていた。何となく控室に他人と一緒にいるのが嫌で、一人になれるところを求めて旅館内をふらふらとうろつき回った。そして見つけた人気のない中庭に面した縁側に腰かけ、足をぶらぶらさせながら将棋盤情報が更新されるのを今か今かと待っている。

 戦況は盤面を圧倒的な大局観でリードする名人に対して、読みのスピードで八一先生が対抗する形で五分を維持している。渾身の一手をすぐ返される。なかなか名人を上回ることができないために八一先生が消耗しているのが分かる。

 けれど追随していればきっとどこかでチャンスが……

 

 

 

 

 

 

 ———こんなことがありえるの?

 局面は最終盤、八一先生は持ち時間を使い切り苦しみながらも、将棋を壊すことなくここまで持ってきた。互いの玉が薄い守りを脱ぎ捨ててお互いを詰まそうとせめぎあっている。けれど先手のリードをひっくり返すことはできなかった。いよいよ苦しい。

 名人の攻撃をしのぐにはある一つの変化に飛び込むしかない。けれどそれは本当に凌いだことになるのだろうか? その先には互いの禁じ手が絡み合っている。その場合どのように判定されるのか。前例がないため全くわからない。

 そして彼は秒読みのギリギリまで思い悩み、けれどやがて眼を見開くと敢然とその変化に飛び込んでいった。

 そして盤面に現れたのは———ルネサンス期の巨匠が描いた偉大なフレスコ画と同じ名前を冠されたとある詰将棋の命題。

 

 

 

 

 

 

 『最後の審判』———『打ち歩詰め』と『連続王手の千日手』という二つの禁じ手が絡み合った未だ解の無い問いに対して、ひとまず今後の対応を竜王戦実行委員会で検討することとなったらしい。対局者はそれまで自室で休息とのこと。

 八一先生が戻ってくる。私も八一先生の部屋に行くべきだろうか? けれど行って何をするというのか? 結局私は動き出せずその場に居続けた。

 

 ぼーっと夜空を眺めていると、渡り廊下の向こうからスタスタと足音が近づいてくる。この人気のない場所にも誰かがやってきてしまったらしい。仕方がない。ここらへんで私も控室に戻ろうかしら。

 そんなことを考えながら足音の方を見やると、暗闇の中から現れたのは———

 

 

 

 

 

「天衣?」

「八一先生?」

 

 

 





なお、そのころあいちゃんは八一の部屋でお食事とお風呂を整えて待っている模様。
インターセプト発生。

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