その便意が物語を変えた   作:ざんじばる

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ヒナまつりではなく、アンズまつりが見たい今日この頃。
健気すぎんよ……。


14.打ち歩詰め

 

 

 指し直し局は飛車先の歩を突く名人の一手で始まった。

 通常の千日手であれば手番を入れ替えることになるが、今回は歩詰めの問題があるとはいえ、俺の連続王手を鑑み、名人に若干の有利を与えるべしという裁定になったようだ。

 

 名人の初手に対して俺の応手は同じく飛車前の歩を突き返す8四歩。

 さあ、名人はどう来る?

 フラッシュが止み、報道陣と関係者が出ていく。それを待って名人が返してきた答えは———2五歩、再びの相掛かりへの誘い。

 

 上等だ! 

 俺はノータイムで8五歩と飛車先の歩を先に進めた。

 さあ、始めよう! 今度こそこの戦型で名人を倒す! この一手が反撃の狼煙だ!!

 

 

 

 

 

 

「…………熱い……!」

 

 タブレットでその対局を見ながら思わず呟いていた。

 竜王戦第四戦の指し直し局、私は控え室に戻らず、八一先生を見送った縁側でそのまま観戦していた。

 

 その対局はまるで二人の予定調和であるかのように相掛かりで幕を開けた。

 そこから昨日は超スローペースで定跡をじっくりと辿ったのとは対照的に名人から早々と定跡を外れ、積極的に仕掛けていく。それに負けるかとばかりに八一先生も混沌とした手を放つ。互いに持ち時間がないため超ハイペースで進行していることも拍車をかけているのだろう。

 

 結果として名人の右の銀は盤上を大回りして左辺の戦線に加わり、八一先生側では銀2枚がともに最前線に飛び出し、玉、金2枚もそれに続いて上がっていくような綱渡りの様相を呈している。

 

 本格的な駒のぶつかり合いの開始を予感させる47手目まで来て全体を俯瞰して見ると、名人は左辺に攻撃陣の厚みを持たせながらその下に玉を匿った攻防のバランスを取った陣形。

 

 対して八一先生は香2枚以外は全て最後列から飛び出し中央に寄った前掛かりな陣形となっていた。まるで八一先生の不退転の決意を表しているかのよう。

手駒は双方、角と歩が1枚ずつ。いよいよ中盤戦が始まる。

 

 

 八一先生ッ———

 

 

 

 

 

 

 中盤のねじり合いは俺から仕掛ける形で始まった。

 

 7六歩として名人の一番分厚いところへ正面から仕掛ける。対して銀で食らう形で名人も受けてくる。俺は更に5五銀と攻めてを増やすが名人も歩を打ち込んで一歩も譲らぬ構えだ。

 

 左辺での戦いは互いに盤上の駒、手駒をつぎ込み加熱していく。

 その戦いは72手目の今も続き、一連の攻防で俺は角を得て、名人に金を1枚奪われており、銀を1枚ずつ交換していた。

 73手目で名人はさらに7五銀打とし、四段まで進出していた俺の飛車にプレッシャーをかけてくる。

 

 チッ、堅い。左辺では一歩も譲らないってか。

 

 なら———目先を変える!

 

 俺は4筋へ飛車を振り替え戦場を広げにかかる。名人は応じずさらに7四へ歩を打ち込み左辺を食い破ろうとしてくる。

 

 けどここは勝負だ! 4七飛成!

 

 竜を作って名人の玉へ側面からプレッシャーをかけてやる。

 名人が左辺でと金を作る間に俺の竜は最深部へ足を進める。ここで名人は飛車を進めて右辺にも仕掛けてくるがこれには俺も歩を打ち込んで対応する。

 

 95手目までで俺の銀2枚と名人の飛車を交換する結果となった。

 これで大駒は俺が独占し、対して金銀は金1枚を残して全て名人のものとなった。

 

 ということはだ……守って勝利はあり得ない。

 

 

 ———望むところだ! 攻め続けた先に活路はある!!

 

 

 

 

 

 

 終盤戦、ここも彼から仕掛けていった。

 96手目で奪ったばかりの飛車を敵陣最深部2八へと打ち込みさらに側面を叩きに行く八一先生。

 

 これを名人は受けるのではなく、桂馬を打ち込み、守りの薄い八一先生の玉を責め立てにかかる。

 けれど八一先生もこれを無視。7八飛成として王手!

 名人はこの2匹目の竜を守りを崩して殺すのではなく玉を逃がすことを選択する。

 

 八一先生はここで桂馬を跳ねさせて敵陣に成金を増やすが、その隙に今度は名人が金を進めて王手をかけてくる。これは桂馬が利いていて玉では取れない。同竜。仕方なく竜を呼び戻して対処したが名人は更に裏側に銀を打ち込んで連続王手をかけてくる。これを八一先生は取るのではなく、玉を前線に逃がして対処。

 

 ここで、名人は自陣深くに取り残されていた八一先生の一匹目の竜を仕留めた。

 八一先生はもう一度竜を敵陣に踏み込ませて攻めの形を作ろうとするけれど、名人は6五金打とし、再度王手をかけてくる。彼の玉は唯一の逃げ場である4五へと脱出するけれど……竜と同じ4列に並んでしまった。

 

 そして玉の直下に打ち込まれる名人の飛車。桂馬が利いているのでこれはとれない。だから玉を逃がすしかないのだけれどそうすると…………

 

 111手目で盤上から八一先生の二匹の竜が姿を消し、そして持ち時間もここで使い果たしてしまったのだった……

 

 もうこれは……そう思って八一先生の表情を見て私は自分が恥ずかしくなった。

 八一先生のその目から勝利への意思は今だ消えていなかった。

 私は両手を握りしめ、八一先生の勝利をただ祈り続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 まだだ! まだやれる!!

 竜を2匹とも仕留められたのは痛いがまたここから再構築すればいい。

 

 まずはその飛車を返せ!

 

 俺は先ほど竜を食らった飛車の直上に金を打ち付ける。

 名人は3八銀と打ち込んでくるが無視だ。飛車を仕留める。

 

 

 ここから———うぅ!?

 

 飛車を打ち込んで王手をかけてくる。猶予は与えないということらしい。この鬼畜眼鏡がッ!

 

 

 玉を一筋ずらして王手を交わす。

 名人は更に王手をかけるためだろう。先ほど飛車を仕留めた俺の金を刈り取ってくる。

 

「ごじゅうびょう———」

 

 この先名人からの熾烈な攻撃が続くはずだ。どうする? どうやれば受けきれる?

 

「……なな、はち、きゅう———」

 

 ええい、時間がない!

 俺は玉直下への金打ちで後背を固める。

 名人は4八歩打。攻め立ててきた。選択肢は二つ。この後どう展開する?

 

「……なな、はち、きゅう———」

 

 秒読みに追われ読み切る時間がない。苦しい戦いが続く。

 3七成桂。

 打つと同時にこの後の展開を必死に読む。一秒でも多く時間が欲しい。この後は———

 

 123手目同桂、5五金で飛車をとって4七金打、3五玉、5五金……受けがない? 今度こそ負けちまったのか……? 別の活路は……? ダメだ! 時間が足りない!?

 

 諦観が俺を襲い、そっと名人を見る。すると名人は前のめりになっていた姿勢を正し、マジックの予感か震えている手を押さえ、そっと水差しに手を伸ばす。

 勝利を確信したのか、ここで落ち着いて見落としがないか最後の読みを入れようということらしい。

 

 ならダメで元々、その時間を俺ももらって最後の読みを入れる!!

 

 

 

 

 

 おおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉ!!!

 

 

 

 

 

 読み切った。この局面の死活を。

 けれど……そんなことがありえるのか……?

 その時俺の脳裏に蘇ったのは名人のある名言だった。

 

 

 

 

 

 

 名人が読みを終え、終演に向けた一手を指す。

 

 123手目、同桂。

 

 そして八一先生の次の一手は当然、飛車を———取らないッ!?

 

 124手目、同玉。

 

 意外な一手に私はおろか、画面上の名人も目を見開いている。けれど名人も同じく先ほどで持ち時間を使い切り一分将棋に入っている。腑に落ちない顔をしながらも4五飛として飛車を守る。

 

 

 これで受けきれるの、八一先生?

 

 

 私の心配を余所に八一先生は淡々と手を進めていく。

 

 126手目、8九飛打。名人の玉の背後から攻め込む形を見せる。

 

 名人はそれを無視して、3八金打。王手。

 八一先生はまたもノータイムで3六玉。一歩下がって王手を躱す。

 

 4六金打。名人の連続王手。

 これも玉をひょいっとずらして凌ぐ。

 

 

 

 そして130手目。名人は次の手を……指せない。

 

 

 

 そんな。こんなことが起きうるなんて……

 

 

 

 迫る秒読みに名人は苦し紛れに香を動かして自玉の背後を押さえる。

 対して八一先生は飛車を引き戻して最前列の銀を撃破、竜としてさらに玉の頭を押させていた駒を荒らす構えを見せる。

 

 これで八一先生の入玉は確実。詰む可能性はなくなった。

 

 

 それを見た名人は再度水を飲み、喉を潤した上で、はっきりと告げた。

 

 

 

「負けました」

 

 

 

『打ち歩詰めがなければ先手必勝』

 

 まさかこの名人の名言がこの勝敗を予言していたわけでないだろう。

 けれど、千日手局とこの指し直し局の130手目。『打ち歩詰め』によって名人の勝負手を躱し、八一先生は見事に勝利をつかんだのだった。

 

 

 

 


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