「……こんにちは」
形式的な挨拶とともにドアノブを回す。八一先生は部屋に鍵をいつもかけていない。不用心だとは思うけれどこういう時は便利ね。
今日は私も先生も将棋会館で公式戦の日。そこで、どうせだから八一先生の部屋でレッスンも行おうということになったのだ。私の対局と入れ替わる様に八一先生の対局が始まったため、私は一足先に八一先生の部屋にお邪魔して待つことになったというわけ。
妹弟子と二人っきりになるのはあまり面白くないのだけど、そんなこと八一先生に伝えるわけにもいかない。面倒なことね。
そんなことを考えていると部屋の奥からトテトテと足音が聞こえてきた。あの子がやってきたらしい。
「おかえりなさいませ♡ ししょー———」
「八一先生じゃなくて残念ね、って……」
「なんだ。師匠じゃなくて天ちゃんか」
「…………」
「何固まってるの?」
「………何よその格好?」
「ん? んふー? ……何ってちょっとした『いめちぇん』かなー?」
「…………『いめちぇん』、ねえ?」
その台詞に私は思わず顔をしかめる。
妹弟子の格好はいつもと異なっていた。例えば髪型はツインテールに。服もいつものワンピースからセーラー服風の衣装に替わっている。スカートも超ミニだ。かと思えばその袖は指先しか出ないほど長い。総じて———あざとい。手に握っている王将の駒から手足が映えたようなデザインのぬいぐるみだけは理解できないが。
であればこの『いめちぇん』とやらの狙いは。
「師匠にもいつもとは違うあいの魅力を感じてほしいしー」
白々しい。魅力を感じての、その先まで期待してのことでしょうに。
「何かな? 天ちゃん、その目は?」
「………別に」
「気になるんなら天ちゃんもすれば? 『いめちぇん』」
「ふん。安い挑発ね」
どうせお前には、プライドが邪魔してそんなことできないだろうと何よりその目が雄弁に語っている。面白い。
準備のため晶を呼び出す。今頃、晶は将棋会館の道場でライバルの小学生と練習対局をしているだろうからすぐ動けるはず。
「晶? ちょっといいかしら? お願いしたいことがあるの」
「私の着替えを調達してきて欲しいのだけど」
「いいえ。今着てる服を汚してしまったわけではないわ。そうね……ちょっと『いめちぇん』したい気分なの」
「コンセプトはそうね……『異性に魅力的に見える服』で」
「なぜそんな服が必要なのか? 特に深い意味はないわ。単なる気まぐれよ」
「違うっていってるでしょう。いいからそのコンセプトに合致するものなら晶の好みで選んで構わないから」
「ええ。そうよ。その晶が選んだ服を着てあげる」
「興奮しすぎよ。テンションに任せてとんでもないものを選んだら承知しないわよ。それじゃあ、よろしくね」
言って通話を切る。
妹弟子に視線をやれば、私の挙動に少なからず驚いているようで、目を丸くしている。そんなあの子をフンと嗤うように鼻を鳴らしてやれば。
「…………負けないから」
そう言って睨んできた。
◇
天ちゃんが電話を入れて小一時間、晶さんが荷物を抱えてやってきた。どうやら師匠の帰宅前に目当ての物資は調達できたらしい。着替えのために奥の部屋へと入っていた。
けれど付け焼き刃がどこまで役に立つものか。あいの『いめちぇん』は服だけにあらず。
そんなことを考えていたら、玄関が開く音がした。
「……ただーいまー」
続いて師匠の声。待ちに待ったご帰宅だ。
天ちゃんはいまだ着替え中。先制チャンスはいただきだね。
「おかえりなさいませ♡ ししょー♡♡♡」
靴を脱ぎながら背中を見せている師匠に声をかける。
「あれ? ……あい? どうしたんだ、それ……?」
「えへへ♡ ちょっと『いめちぇん』してみました!」
振り返った師匠は驚きに目を見開き、視線はあいに釘付け。そして。
「…………かわいい……」
Yes! Yeees!!
師匠の『カワイイ』いただきました♡ その後も『カワイイ』を連発する師匠。もうあいに首ったけだね♡
でもあいは、まだまだ手を緩めない。鉄は熱いうちに打てなのだよ。
師匠の腕を掴んで斜め四十五度の目線でスマイル。それでもって。
「いつもと、どっちが好き?」
「へ?」
「師匠はぁ、どっちのあいが好きですかぁ?」
甘い口調で問いかける。師匠が口籠もっても、ごまかそうとしても逃してはダメ。『好き』と口にさせることが大切だって聖典にも書いてあったもん。
「どっちも…………すき……です……」
Yes! Yes! Yeeees!!
二度の追求の後、ついに師匠に『好き』と言ってくれたのだった。
次はこのままラブラブお食事タイムだよっ……と思っていたのだけれど。
「……そういえば天衣が先に来てるはずなんだけどどこいった?」
むッ。天ちゃんのことなんてどうだっていいじゃない。師匠のだら。
「天ちゃんならお着替え中です。……何かあいの『いめちぇん』に触発されたみたいでー」
仕方なく伝えるけど、二番煎じだということは強調しておく。
「天衣がイメチェン……だと……?」
何なのかな? その妙に期待した顔は? 師匠のだらぶち。
二人して天ちゃんと晶さんが籠もる部屋を見やる。部屋からは二人の声が漏れていた。
『晶、本当にこんなのでいいの?』
『もちろんです。お嬢様は最高です』
『普段の服とそんなに変わらないと思うのだけど』
『そんなことはないです! その服は選ばれたものにしか着こなせない、実にハイレベルな一着なのです! それをここまで完璧に……さすがお嬢様!!』
『そ、そう……分かったわ。それじゃこれで完成でいいのね?』
『お待ち下さい、お嬢様!! その服に合わせるのにその髪型のままではいけません!』
『そうなの?』
『そうなのです! さぁ、私がお編みしますので、こちらへ!!』
『……そんなに張り切らなくても分かったわよ』
そしてしばらくの後、ようやく扉が開く。果たして天ちゃんが着てきたのは。
「おかえりなさい。八一先生、じゃない
「「…………」」
固まる私たち。
「どうしたの? や、
不安そうにそのロングスカートの中頃を両手にそれぞれ握ってもじもじする天ちゃん。似合ってるか似合っていないかでいうと超似合っている。私たちが驚いているのはそこではなくて———
媚びッ媚びやないか!? その衣装!!
天ちゃんが着てきたのはダークブルーのハイウエストロングスカートに白のブラウス。スカートの腰部分はコルセットのように体を締め付け、そのウエストの細さを強調する。これが更に天ちゃんのあるやなしかの胸の膨らみの存在を主張。そして白のブラウスは清楚ながらもフリルや首元のリボンで華やかさも表現している。
髪型も普段のロングから後頭部にお団子を作り三つ編みで巻く、可愛らしさを強調したシニヨンヘアーに変更されていた。服装に合わせてのことだろう。
これは言うなれば———あいの服がロリコン特効なのに対して天ちゃんの服は童貞特効! とんでもない飛び道具を持って来やがった! 悔しいけれど師匠への効果は抜群だ!!
思わず歯噛みして晶さんを睨めば、晶さんはガッツポーズをしながら恍惚とした表情でだくだくと鼻血をこぼしている。掃除が大変だから止めて欲しい。
そしてようやく師匠が衝撃から再起動する。
「似合ってる! もうかわいいとか綺麗だとかそんなレベルじゃない! これはそう……尊い」
「とうと……って、もう! 何言ってるのよ、八一先生!」
八一先生の反応に両頬を押さえて恥ずかしがる天ちゃん。羞恥にキャラ作りもどこかへとんだらしい。そして更に盛り上がる師匠。だらぶちだらぶち。
むー。でもまだまだ勝負はこれから。聖典が導く、あいの約束された勝利へのメソッドはこれからなんだから!
◇
「うわー。今日はごちそうだなぁ?」
「はい! 対局でお疲れの師匠に、ちょっとでも元気になっていただきたくて♡」
目の前に並ぶ食事の数々に目を輝かせる師匠。
ふふーん♪ あいのお料理スキルを最大限に活かして師匠の胃袋を掴みにかかる。これは天ちゃんには真似できないでしょ-?
そちらを見れば案の定、天ちゃんは苦い顔だ。でもまだまだあいのターンはこれからだよ!
師匠が席に着いたタイミングで素早く隣の席を確保。師匠の正面には天ちゃんが、その隣には晶さんが着いた。フフフ。予想通りの配置だね。天ちゃんには特等席で見せつけてあげるよ。聖典に記された必殺の一撃を。
いただきますの直後に師匠の方を向いて口を開ける。
「……え?」
師匠はポカンとあっけにとられた顔。
「「…………」」
沈黙のまま間が空く。もう、ししょーったらー。そこは以心伝心であいの意図を察してくれないと。仕方なくあいから説明する。
食事の用意から、食後のお茶淹れ、後片付けまで全てあいがやっていること。だからこそあいに食事を食べさせるのは師匠の役目であるということ。納得がいったところでリテイク。
「あーん♡」
「あ、あー……ん」
しどろもどろになりながらも、師匠が料理を差し出してくる。
それをぱくっ! そして斜め四十五度の目線でスマイル。追い打ちを欠かさない。師匠はすっかりロリコンさんの表情になって感動している。
一方、天ちゃんの方を見ればショックにワナワナと震えている。ふふふふーん♪
勝利の美酒はとても美味。動揺する天ちゃんを見ながらひとときの勝利に浸る。天ちゃんにはどうやったって真似できないこの一撃。あいちゃん大勝利———
けれど、天ちゃんの震えがピタリと止まる。そして意を決したようにあいを睨む。今更一体何をしようって……。
「八一先生!」
俺はロリコンじゃないとぶつぶつ唱えていた師匠を一喝。意識を引き戻す。そして料理を箸で摘まむとテーブルから身を乗り出した。
まさか!?
「あ、あーん……」
「「え!?」」
天ちゃんを除く三人の驚きの声が揃う。まさかの『あーん』である。天ちゃんが。師匠に。
戸惑う師匠を天ちゃんは頬を紅潮させながら上目遣いに弱々しく睨む。早くしろとでもいうように。そして師匠は恐る恐る差し出された箸に顔を寄せてパクンと口に入れた。
その様を上目遣いのまま見守った天ちゃんは師匠が口の中のものをゴクンと飲み込んだところでようやくイスに腰を下ろした。そして黙々と食事を再会する。このアマ、さりげなく間接キスまで済ませおった。
恐ろしい。初めて私は天ちゃんに対して畏怖を感じていた。私の挑発に対して瞬間的に羞恥を超越してきたのもそうだけど何より———
天ちゃん半端ないって!
って衝撃を受けてる場合じゃない!
「天ちゃん!」
「何よ?」
「何はこっちの台詞だよ! 何なの今の!」
「別に。普段レッスンなんかでお世話になっている八一先生にお返ししただけよ。貴女が家事のお礼を八一先生に求めてたところを見て、そういうものなのかと思って」
ぐぐぐ。ああ言えばこう言う。
歯噛みするあいを余所に天ちゃんはすまし顔。その袖を引っ張って晶さんが口を開けながら自分も自分もというようにジェスチャーをする。天ちゃんは心底煩わしそうしながらも口の中に料理を放り込んでやる。投げやりなその行為にも晶さんはとても満足そう。安い女だ。
話が逸れた。本筋に戻そう。
あいの『あーん』受けに対してまさかの他人の手料理で『あーん』返しをしてきた天ちゃん。よろしい。ならば戦争だ。
九頭竜家の食卓で仁義なきあーん合戦が巻き起こるのだった。
◇
食事の後、食器を洗うためあいは台所に引っ込んだ。なぜか天衣を引き摺って。たまには姉妹弟子で親交を深めたかったのだろうか。
そこでようやく一息ついた俺は、あいのランドセルの横に置かれたある雑誌を発見してしまう。そう。『JS4年生』である。子供心を擽られてその雑誌を開くと、その巻頭特集は『年上のカレを陥落す一〇〇の方法』。そして付録は『ロリコンを殺す服』である。驚愕とともに俺は悟る。あいの『いめちぇん』と一連の行為はこの雑誌の入れ知恵であると。
そしてふと気になった。だとすると天衣は? それを知る人間は目の前にいる。
「晶さん。今日の天衣の服。あれって?」
「うん? ああ。先生も気に入ったか? あれは私が選んだんだ」
「へぇ……」
「童貞を殺す服という」
「へ?」
「童貞を殺す服だ」
「へ、へぇー……」
へーなるほど。それは
思わず達観して現実から目を逸らそうとする俺。ふつふつと額に汗が浮いてくる。
「だが」
「はい?」
「その後の食事中の事については私からは何も申し上げていないぞ。お嬢様が自分で考えてなさったことだ」
「……そうですか」
「良かったな、先生」
「な、何がですか?」
どもる俺をニヤニヤと見る晶さん。この果報者めと言いながら背中をバシバシ叩いてくる。痛てぇ。
この後、天衣と晶さんを送り出して、長い一日を終えるのだった。