その便意が物語を変えた   作:ざんじばる

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第六章最終話です。


11.だから私は

 週末。私は八一先生に誘われて難波に来ていた。八一先生の指示もあって先日のゴキゲンの湯と同じく晶の同行はなし。八一先生とは同じように大阪駅で合流をした。以前と違う点と言えば駅のホームで待つ八一先生の隣に妹弟子がいたことぐらいだろうか。合流後、御堂筋線に乗って難波まで出てきたのだ。

 

 妹弟子は『ヨシモト』だとか『NMB48』だとかではしゃいでいるけれど何のことだかさっぱりわからない。そう口にすれば八一先生に心底驚かれてしまった。テレビは公共放送と囲碁将棋番組しか見ていなかったけれど、話題の共有のためにも見るようにしたほうがいいのかしら。……いいえ。そんなの私らしくないわね。

 

 意地になっていると思われないようにさりげなく。でも話題を断ち切り、今日の目的を八一先生に質す。けれど八一先生からははぐらかされた。ここ最近の私たちの活躍へのご褒美なんだとか。これ以上は口を割りそうにない。しょうがないので唯一気になっていた点だけ確認する。

 

「ご褒美だか何だか知らないけれど八一先生、私たちの相手なんてしていていいの? 今日、空銀子の三段昇段がかかった対局なんでしょう?」

「ああ……気にするな。かわいい弟子達のことが優先さ」

「……そう」

 

 今日、予定されている対局に連勝すれば空銀子の三段リーグ入りが決まる。その二局目の相手は椚創多で、こちらも今日の結果が連勝なら昇格だ。いずれにしても女性初・小学生初のプロ棋士誕生につながる注目度の高い一日になる。本人達にも——いえ、椚創多はともかく空銀子は多大なプレッシャーを感じているはず。八一先生がそれでも私たちを優先してくれていることに私は喜びを感じていた。

 そんな浅ましい自分のことを八一先生に気付かれたくなくて、笑みを消しきれない表情を俯くことで隠した。

 

 

 

 

 

 

 座布団専門店に暖簾専門店に赤提灯や看板の専門店。あまりにニッチな専門店の数々に私は驚きを隠せない。

 八一先生に案内されたのは千日前『道具屋筋』。先ほどいた場所からすぐ南にあるアーケード街だった。業務用、特に食い倒れの町大阪の飲食店を支える調理器具や道具に特化した個人商店が軒を連ねる。食品サンプルを自作できる店舗まで有り、これにはさすがに興味を引かれた。……ちょっとだけね。

 お好み焼きや蟹身など、ウインドウに展示された食品サンプルを覗き込む。すると。

 

「悪いが今日の目当てはそういう店じゃないんだわ。こっちに行くぞ」

「あッ……」

 

 八一先生が私の手を取って脇道へと逸れる。握られた手から伝わる体温。その私よりずっと大きな手をギュッと握りしめた。——手を引いてお店から引きはがすなんて子供扱いに抗議する意思を込めて。

 

 

 

 

 

 八一先生に手を引かれて進んだ先にあったのは、木の香りがするお店。八一先生は将棋の神様がいる場所なんてすかしたことを言っていたが、みすぼらしい碁盤店に過ぎなかった。屋号は『天辻碁盤店』。天辻?

「こんにちはー」と声をかけながら八一先生は店の中に入っていく。けれど店員の影はおろか返事もない。八一先生の後に続くと薄暗い店内には所狭しと盤や棋具が並んでいた。どれも一級品と分かるものが。

 

 八一先生はさらに奥へ進む。この店の店主と知り合いなのだろうか? そして店の奥に続く襖を開け、その中の刀を握りしめた全裸の女と目が合う。

 しばらくの硬直の後、何もなかったかのように襖をそっと閉じた。振り返る八一先生の顔は真顔だ。一体今何を見たのか必死に整理しようとしている。無理もない。商店の扉を開けたら痴女がいたのだ。それは驚くだろう。わたしもびっくりした。けど、あの痴女どこかで見たような?

 

 その回答に先にたどり着いたのは妹弟子だった。

 

「……師匠? 今の女の人はどなたなんですか? 新年会にもいた人ですよね? 師匠を裸でお迎えするほど親しい人なんですか? というかどうして師匠はいつもいつもああいう女性が周囲にいるんです? 他にもいるなら今のうちに全てリストアップしてくださいあいは内弟子としてちゃんとご挨拶しないといけないので一人も漏らさず教えてください」

 

 ああなるほど。だから”天辻”碁盤店。

 妹弟子が八一先生の目をのぞき込みながら捲し立てるのを聞いて得心した。彼女が痴女っぷりを披露していることについては、先日の新年会のことがあるのでそこまで驚きではない。あと残る疑問は。

 

「今日私たちに会わせたかったのは本因坊秀埋?」

「ああそうだ。今日のお目当てはあの痴……女性。囲碁大三冠のうちの一つ。『本因坊』のタイトル保持者である本因坊秀埋先生。囲碁界のトッププロ棋士だ」

「っ……!?」

 

 妹弟子は『あの痴女が……!?』という驚愕の表情をしている。まあそうなるわよね。私も新年会の時はそうだったもの。同じ棋界で男と混じって第一線にいる彼女を少なからず尊敬していたのだ。その全てが吹っ飛ぶような衝撃だった。

 

「けれど今日用があったのは棋士としてのシューマイ先生じゃない」

「「?」」

「シューマイ先生はトップ棋士であると同時に今や数少ない『盤師』でもあるんだ」

 

 そこまで説明があったところで襖が開く。中から出てきた本因坊秀埋は今度は浴衣を着ていた。

 そこで彼女から話を聞く。プロ棋士業の傍ら半ば道楽で盤師としても活動していること。八一先生の将棋盤。その材質である榧の特性。話題は多岐に渡った。

 そして本題。なぜ彼女は裸で日本刀を握りしめていたのか。太刀盛りという技法について。更にどういうわけかその太刀盛りを目の前で披露してくれることとなった。

 

 

 

 

 

 

「八一先生! こっち見ないでちょうだい!」

「あ、ああ」

 

 八一先生からは生返事が返ってくる。けれど視線が肌の上を行ったり来たりしていることを感じる。それによって肌が紅潮しているだろうことまで分かる。分かってしまう。

 ああーもうッ! なんでこんなことに!!

 

 場所は天辻碁盤店。その奥にある作業部屋。そこで私たちは下着姿になっていた。埃を徹底的に避けるため、太刀盛りの見学に際して下着姿になるように指示を受けたからだ。こんなこと避けたかったのだけど、妹弟子が躊躇なく脱いだことで後に引けなくなってしまった。以前、一緒に入浴したことまであるといっても慣れるものじゃない。

 そんなふうにもんもんとしていると奥から本因坊秀埋が出てきた。スクール水着に刀片手に。水着着用は私から提案したこととは言え、変態度は更に上昇した気がする。

けれどそんな本因坊秀埋が刀身に漆を乗せて構えた瞬間、空気が一変し張り詰める。

 

「来たか。しっかり見ていなさい。神に選ばれた棋士に———神が降りる瞬間を」

 

 八一先生がそう囁く。私は雰囲気に呑まれ口をつぐむ。下着姿でいることの恥ずかしさなんてどこかに行ってしまった。

 本因坊秀埋はそっと太刀を切先から根元まで反りを使いながらゆっくりと。そしてその行為を淡々と、けれど着実に繰り返す。

 そして永遠に続くかと思われたその作業も終わってみればほんの十分程度のことだった。二十の線と四つの星を施されたそれはただの木材から将棋盤へと姿を変えていた。

 

 

 

 

 

 

 ことが終わった後、八一先生がその感想を聞いてきた。

 隣では妹弟子が言葉にならないながらもその感動を伝えようとしている。その横で私は黙って思索に沈んでいた。わき上がるものを否定するために。

 

 将棋の神様。物に神様が宿る……なんて。研ぎ澄まされた技術に神秘性があるのは認める。そういった精神性が日本人の文化を豊かにしていることも。

 けれど、物事や事象を何でも神様の一言で片付けるのは嫌いだ。それなら何で私のお父さまは。お母さまは。あの人達は神様に嫌われていたとでも言うのか。

 

 そんなことを考えていたからだろうか。本因坊秀埋の言葉につい反発してしまったのは。

 今日ここに来た理由。それは八一先生からのプレゼントだった。女流棋士として独り立ちしていく私たちに。妹弟子には将棋盤を。そして私には。

 

「八一さんからのご注文で、天衣さんには駒を特注で作らせていただいています。こちらは神ではなく『魂』を宿らせて欲しいとのご依頼でして」

 

『神』に続いて『魂』と来た。それに私は噛みついた。そんな考えはナンセンスだと。そんな私に、けれど八一先生は優しい顔で頷いて、更に本因坊秀埋を促した。本因坊秀埋は駒箱を差し出してくる。作成途中の駒の文字を確認してほしいのだと言う。意味が分からない。そんなの錦旗でも水無瀬でも何だって———

 

「こ、これ……! この字って、まさか……!!」

「天ちゃん? どうしたの? 誰の字なの?」

「………………お父さま…………」

「え!? けど天ちゃんのお父さんって、もう……」

 

 そう。お父さまはずっと前にこの世を去っている。遺品もお爺ちゃまが処分してしまっていて棋譜はおろか、ノートの類いだって残ってない。文字データなんて入手できるはずが……

 けれどそんなことはなかった。お父さまの足跡は将棋界のあちらこちらに残っていた。将棋会館であった奨励会員の鏡洲。彼もお父さまと面識がある一人だった。彼を通じて方々を当たり、眠っていたお父さまの棋譜を発掘してくれたらしい。

 もう一度お父さまと一緒に、将棋を指させてあげたいという。ただそれだけの理由で。

 ここまで聞いて私は泣き崩れてしまった。

 

「その駒には、お父さんの魂が確かに宿ってる。だって天衣はその駒を見てすぐにお父さんのことを思い出してくれたから……そうだろ?」

 

 そんな私の頭を撫でながら八一先生は続けた。

 

「将棋の神様は、将棋を愛する者に宿る」

 

 半人前の私たちへの最後の教え。だけどやっぱり私には神様の存在なんて分からない。私のこの胸に宿るのは。

 

「天衣」

 

 八一先生の呼び声に応えて顔を上げる。涙を止めることはできないけれど。

 

「棋士として、誰にも頼らず一人で戦う決意は立派だと思う」

 

 私は一人で戦ってなんていない。この道に立った時からずっと貴方の後を着いて歩いていただけ。きっと。

 

「けど、これだけは覚えておいて欲しい。お前は一人じゃないってことを」

 

 八一先生はずるい。

 両親を亡くした寂しがり屋の女の子にそんなことを言ったらどうなってしまうのか。分かっていやしない。

 きっと、この涙も両親のことを思い出してとか、的外れなことを考えているんだろう。この涙は悲哀のせいなんかじゃない。歓喜のため。この人はこんなに私のことを想ってくれている。それを知ったから。

 

 

 

 私を灼くこの激情。貴方に伝えたい。正しく知って欲しい。

 もう我慢できないの。だから。

 

 

 

 

 

 

「好きです。誰より貴方のことが。八一先生」

 

 




ということで原作六巻分まで完結しました。
姉弟子VS創多きゅんとかその後の姉弟子の葛藤はばっさりカットですので原作にてお楽しみ下さい。なお本作でも姉弟子は昇段を果たしたということでよろしくです。

ところで六巻の『盤と駒』の章には天ちゃん関連の今後の重要なフラグと想われる部分があります。
『天衣が変わる切っ掛けになってくれると(中略)この子の中に隠されていた弱点を発見していた』
と言う部分です。
この天ちゃん弱点とは……八一は一体何に気付いちゃったのか……。
正直よく分かりません。
きっと今後の鵠戦もしくは姉弟子戦で明らかになるのでしょうが。

作者の予想としては、
①欲しいものを欲しいと素直に言えない。貪欲さに欠ける
②将棋へ取り組む理由が父親。自分の外にモチベーションがある
のどちらかといったところかなーと考えています。
その上で本作『便物語』版の天ちゃんにその弱点はもはや……

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