その便意が物語を変えた   作:ざんじばる

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第七章エピローグです。


07.次のステージへ

 こうして俺と天衣はいわゆる恋人同士となった。

 なったんだけど特にこれまでと何か変わったかというとそこまで大きな変化はない。あいかわらず将棋中心に俺たちの生活は回っている。将棋の関係で出向いた先で手をつないだりなんだりといったスキンシップは以前もあったしな。あの日も俺たちの関係が新しいものとなった後、甘い時間がというわけではなく、すぐ追い出されたんだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ぷはッ」

 

 そっと離すと、天衣は大きく息を吸った。顔が赤く染まっているのは感情の高ぶり故か、それとも酸欠気味だったからか。最中はずっと息を止めていたらしい。そんな不慣れな様も愛らしく、俺の欲望を刺激してくる。

 

 告白が成立した直後、俺と天衣は口づけを交わしていた。あの夢のように。いや。舌を入れるところまではしてないよ? もちろん。

 

 俺を見上げる潤んだ瞳に理性をやられ、もう一回と抱き寄せようとして。

 するりと抜けだす天衣。あれ?

 

「さて、それじゃあそろそろ八一先生は行かないとね」

「……へ? 行くってどこに?」

「将棋会館よ」

「ほへ?」

「忘れたの? 貴方の師匠の大事な対局の日なんでしょ。今日は」

「あ」

「呆れた。師弟甲斐のない人ね」

「い、いや。これは不可抗力だろ!」

 

 さすがにここまでが衝撃的な展開過ぎたわ! そうじゃなければ忘れやしないって。いくらなんでも。

 

「ふふ。そこまで私のことを意識してくれてるなら嬉しいんだけどね」

「俺の18年の人生の中でもぶっちぎりの大イベントだよ。今日のは」

「そ。でもそろそろ行かないと間に合わなくなるでしょ」

「見届けないわけには……いかないよな」

「そうね。貴方が今後も清滝門下でいたいのなら。結果がどうなるにしても見届ける必要があると思うわ」

「だな」

 

 今日の連盟ではB級2組の最終局が催されている。師匠の降級か残留かが決まる大事な一戦。そして相手はこれまで順位戦無敗。『次世代()の名人』の呼び声高い神鍋歩夢六段。厳しすぎる相手だ。さらにその対局に勝利しても他の対局次第では降級となりかねない。そのことが俺の足に錘をつけていた。これでも自分の無様すぎる昇級(敗北)を天衣に慰められたことでだいぶ軽くなったんだけどな。

 

 それでも何とか自分の体に活を入れ、スーツへと着替える。玄関に立ち、そして天衣が続こうとしてないことに気付いた。

 

「天衣は来てくれないのか?」

「ええ。私は遠慮しておくわ。向こうにはオバサンや山城桜花もいるでしょうし、妹弟子も来るかもしれないしね。さすがに味が悪いわ」

 

 そりゃそうか。あいとはついこの間対局したばかりだし、観戦記者をしている鵠さんは次の女王戦挑戦者決定戦の相手。そしてそれに勝てば姉弟子とのタイトル戦。至極もっともな言い分だ。だけど気が重くなるな。

 

 仕方なくドアノブに手を伸ばす。その時背中越しに天衣に呼び止められた。

 

「八一先生」

「ん、なん———」

 

 ふり向いた瞬間ネクタイを引っ張られる。突然のことに抵抗することもできず上体が下がる。そして何が起きてるのか分からないうちに唇に柔らかいものが接触した。つい先ほども感じた甘美な感触。目の前には美しい少女の顔が広がっている。

 

「んッ。……帰ったら続きをしましょうね。八一せんせ♡」

 

 そう囁いた後、緩んだネクタイを直した天衣は俺の背中を押して送り出してくれた。足取りからは重さが消え、ふわふわした気持ちのまま将棋会館にたどり着くことになったのだから俺も現金なものだ。

 

 そして師匠の対局を見届けた。師匠の気迫溢れる逆転劇に手に汗握り、けれど関係ないところで降級が決まったことに絶望し、それでも勝ちきった師匠の姿に涙し、現役続行を宣言したことに歓喜した。

 

 俺としても得るものが大きな一局だった。今の俺に欠けているものは何なのか。そんな端緒をつかめた気がする。そしてルンルン気分で家に帰り。

 

 

 

 そこに天衣の姿はなかった。テーブルの上には書き置きが一枚。

 

『待ち疲れたので今日は帰ります』

「師匠ーッ!!」

 

 泥臭く粘り強い鋼鉄流の棋風をこれほど憎んだのは初めてのことだったかもしれない。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 とこんなふうに進展はなかったのだ。

 

 進展はないとか言ってちゃっかりキスはしてるんじゃないか?

 そりゃそうよ。

 

 それ以上の進展って小学生相手に何考えてるんですかねぇ?

 …………黙秘します。

 

 というわけで以前とそう変わりない関係を。けれど二人の時間を着実に積み重ねている俺たちだった。まあまだまだ先は長いんだ。焦ることはないさ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「それで? 話って何なのかな? 天ちゃん」

 

 将棋会館の一階レストラン『トゥエルブ』。そのカウンター席。話があると妹弟子を呼び出した私は、二人して昼食を取っていた。私はタンシチューを。隣の妹弟子はバターライスを。先に食べ終わった妹弟子が問いかけてきた。私も最後の一口を放り込み、咀嚼して飲み込む。

 

 そうね。そろそろいいか。他の将棋関係者も昼食を終えてみな引き上げた。

 

「そうね。単刀直入に言うわ。……八一先生と付き合うことになったから。その報告よ。一応ね」

「…………」

 

 妹弟子の目がすっと細まり殺気をはらむ。相変わらず凶悪な眼光ね。

 

「ふぅん。それで?」

「だから諦めて」

「やだよ」

「即答ね。これでも親切心で言ってるつもりなんだけど」

「逆に聞くけど、天ちゃんなら諦める? 同じシチュエーションで」

 

 諦めない、わね。

 

「辛い思いをするわよ」

「関係ないよ。まだ勝負は決まってない。結婚したわけでもなし。それに仮に結婚してたって離婚って制度もあるしね」

「そ」

 

 それだと一生勝負は終わらないわね。現状、将棋の勝勢というよりは、野球の優勝決定後の消化試合に近いと思うけど。

 

「ししょーへの愛情を一瞬でも手抜けば、あいがひっくり返すから」

「それはないわね。八一先生のことに限って私が手抜きするなんてことはありえないわ」

「そうかな?」

「そうよ」

 

 平行線か。これ以上は無意味ね。

 

「まあ、言うべきことは言ったわ。それじゃあ先に行くわね」

「ごちそうさま」

 

 ナチュラルに支払いを押しつけてくるわね。別に私から誘ったんだからいいけど。カードがきかないこの店のためにわざわざ用意していた現金で支払い店を出る。

 

 やっぱり空銀子より雛鶴あいのほうが強敵か。一度で上下関係を完全に叩き込むことはできなかった。でもまあいい。この先何度でも叩き潰すだけだ。

 

 今なら誰が相手だろうと負ける気はしない。まずは山城桜花。そして女王!

 

 




トゥエルブのマスター「あわわ。大変なことを聞いてしもうた。通報? 通報しないと?」


ちなみに清滝師匠降格が決まった後、天ちゃんがいなくなってたのは急に恥ずかしくなったからでした。萌えろ。




■オリジナル作品のご案内
タイトル:少女暗殺者はフットボーラーの夢を見るか
作者  :さんじばる
https://ncode.syosetu.com/n7020ex/

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