その便意が物語を変えた   作:ざんじばる

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第8章エピローグです。


04.鴨川にて

 鳥の囀りに誘われてそっと目を開く。目の前には美しい赤みがかかった瞳でこちらをジッと見つめる少女の顔。目下最愛の彼女だ。

 

 昨日の夜、手をつないで二人布団に入った後、それこそ抱き枕のように抱き寄せて眠りについた。その時の姿勢のまま、天衣は暖かい体温と柔らかな香りとともに変わらず俺の腕の中にいた。

 

「先に起きてたのか。起こしてくれても良かったのに」

「別にまだ時間は問題ないから。それにこの時間をなるべく長く味わっていたかったから」

「この時間?」

「……彼氏の腕の中に閉じ込められて、ただその目覚めを待つ時間のことよ」

 

 俺の問いかけに、少し顔を赤らめながらそんなかわいいことを言ってくる。たまらなくなってよりキツく抱き寄せる。華奢なその背中に力を込めると天衣は搾り出されるように甘い吐息を漏らした。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 朝風呂を浴びてしゃっきりとした後に、旅館が用意してくれた豪勢な朝食をいただく。そして余裕を持って旅館を後にした。女将さんが玄関先まで出て見送ってくれる。

 

「天衣お嬢様。ぜひまたいらしてください。いつでも歓迎いたしますので」

「ありがとうございます。ぜひまた。次は祖父も一緒にうかがいます」

「ええええ。お師匠様もぜひいっしょにいらしてください」

「あはは。ありがとうございます」

「それとも彼氏さんとお呼びした方がいいかしら」

「……アハハ」

 

 バレてーら。まあJSを騙くらかすロリコン野郎みたいに悪くは思われてないみたいだけど。誤魔化す必要もなくなったので頬を染める天衣と手をつないで歩き出した。

 

 

 昨日来た道を戻る。渡月橋にはまだ朝方だというのに早速観光客が溢れ始めていた。それを横目に更に先へ。ほどなく嵐山駅へ着いた。路面電車を昨日とは逆に乗る。朝を迎えて動き出す京都市街を抜けていく。終点の四条大宮からは阪急電車に乗り換えだ。そこから5分もかからず京都の中心街四条河原町へ。

 

「人が多いわね」

「河原町は昨日通った烏丸と違って繁華街だからな。昨日もこっちは人が多いって言っただろ」

 

 観光客、地元客双方でごった返す四条通を東へ。人混みにはぐれないようしっかりと手を引き寄せながら歩く。鴨川に出るまでのほんの少しの距離を歩くのにもそれなりの時間がかかった。

 

「ほら天衣。あれが鴨川名物『等間隔に座るカップル』だぞ」

「聞いたことはあるけど本当に綺麗に等間隔で並ぶのね……私たちも混ざる?」

 

 悪戯っぽい笑みを浮かべながら見上げてくる。そうしたいのはやまやまだけどな。

 

「残念。ただの途中経路だよ。この先三条大橋の辺りに山城桜花戦用の特設舞台があるんだ」

「そう。じゃあ行きましょうか」

 

 対局が終わった後なら、少しこの中に加わっていってもいいかもな。そんなことを考えながら鴨川沿いに北上しだす。その直後、川縁に腰掛けるカップルたちからヒソヒソ声が聞こえてきた。

 

「あの子、超かわいいー。芸能人かな?」

「小学生くらいだよね? 隣にいるのは高校生?」

「手つないでるけど兄妹? 顔似てないけど……」

「ここ鴨川だし、もしかしてカップルとか?」

「えー? それはヤバいでしょ。犯罪だよ。犯罪」

「通報したほうがいいのかな?」

 

 うん。まあ、そう言う反応になるよね。俺と天衣が腕組んで鴨川沿いを歩いてたら。無心になって通り過ぎようとしたところちょんちょんと腕を引かれる。

 

「どうかしたか、天衣?」

「ちょっと」

「うん? 何か———んむッ!?」

 

 何か内緒話があるらしいと体をかがめたところ、急にキスされた。天衣に。そして。

 

「見ての通り恋人よ。文句ある?」

 

 ヒソヒソ話をしていたカップルに向かい、そう吐き捨てる天衣。

 

 ちょッ!?

 

 水を打ったように静まりかえる鴨川沿いの小道。けれどバシバシと視線は飛んできている。はははーと愛想笑いして天衣の腕を引くと脱兎の如く退散することにした。

 

 鴨川から一本西へ入った路地に入る。そこで天衣を問いただす。

 

「天衣サン。どうしてあんなことするかなぁ?」

「嘘はついてないわ」

「いや。それはそうだけど。周囲から俺たちがどう見えるかは分かるだろ?」

「そんなの知らない」

 

 そう言ってそっぽを向くと頬を膨らませる天衣。珍しく子供っぽい仕草で不満を示している。どうやら譲る気はないらしい。仕方ないな。これはこれでかわいらしくはある。それに俺との恋人関係に執着してくれているのは俺も嬉しいのだ。

 

「そんじゃ行くか」

 

 膨らんだ頬を指で突いてプニ感を味わってから手を引いて歩き始めた。俺たちが飛び込んだ路地は先斗町だった。京都の路地裏街のイメージそのままで独特の風情がある。

 

 天衣と二人、興味深くキョロキョロとしながら歩く。先斗町は本来飲み屋がひしめく細長い路地だが、朝ということで営業してる店もなければ歩いている人もそういない。というわけで俺たちに奇異の目を向けてくる人もいない。十分に堪能することができた。

 

 やがて路地の右手に歌舞練場という古めかしい建物が現われた。確かこの辺りに舞台があるはずだな。ちょっと先の横道から鴨川沿いへ戻る。すると。

 

「へえ。こんなところで将棋を指すのね」

「すげーな」

 

 川の上へ突き出した特設舞台。光差す舞台に鎮座する一面の将棋盤とその盤を挟んで座る二人の美女。それらはいやが応にも注目を集め、周囲は見物客でごった返していた。

 

「集中力は削がれそうだけど、楽しそうは楽しそうね」

「まあ、天衣は度胸があるから大丈夫だろうなあ」

 

 そんなことを話しながら人混みを回り込んでいくと将棋関係者に発見され、中へと案内された。昨日別れ際に月光会長から大盤解説を依頼されていたからだ。天衣と二人観衆の前に立つ。

 

 そういや、さっき係の人から他に小学生は連れてきていないのか聞かれたが何だったんだろう? あいのことかな? VIP席がどうとか言ってたけど。

 

 小さく可愛らしい棋士の登場に周囲はどよめいた。逆に彼女のことをよく知る観衆からは「天ちゃーん。俺だー。罵ってくれー」などと歓声が飛ぶ。

 

 さあ、大盤解説の始まりだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 山城桜花戦は大熱戦の末、供御飯さんの勝利で幕を閉じた。女流タイトルにおける永世資格にあたるクイーン。クイーン山城桜花の誕生である。両対局者へのインタビューを終え、近くのホテルで打ち上げを行った。

 

 その後、この日の予定を全て終え、すっかりと夜になったころ。天衣と二人、鴨川へと戻ってきた。鴨川名物の中に俺たちも一組のカップルとして加わるために。こういうのは経験だからな。ちょうど良く空いたスペースへ二人腰掛ける。二人の肩が密着するように。

 

「今日はお疲れ様。どうだった?」

「とても楽しいデートだったわ」

「いや。それは俺もだけど。そっちじゃなく、タイトル戦のことを聞いたつもりだったんだけどな」

「そうね。でも一番の目的は八一先生とのデートだったから」

 

 苦笑する俺。もちろん嬉しくもある。でも俺は天衣の将棋の師匠でもあるから。そんな俺の気持ちを察してくれたのか、本題に入る天衣。

 

「いい刺激を受けたわ」

「そっか」

「まさか、二人がタイトル戦の最終局であんな戦型を選択するなんてね」

「そうだな」

 

 月夜見坂さんが穴熊に囲い、供御飯さんが左美濃から銀冠に変化させながら熊退治を挑んだ意外にすぎる一戦。まだ春のこの時期に、それも女流の公開対局に対して名局賞へと推す声が聞こえるほどの熱戦となった。

 

「けれどマイナビの挑戦者決定戦は逆に難しくなったわね」

「そうだな。今日の棋風でくるのか、あるいは得意の穴熊に戻すのか」

「本人も今後どうするべきなのか、まだ迷っていたみたいだしね」

 

 確かに。そのようなことを対局後のインタビューで供御飯さんも言っていた。

 

「まあ、実際に当たる前に供御飯さんの新スタイルを見ることができて良かったと前向きに考えるしかないな」

「ええ。でもね、本当はそこまで気にしてはいないの。穴熊対策はきちんと仕上げるし、正面から向かってくるなら実力でねじ伏せるだけ」

 

 そう言って俺の顔を見上げてくる天衣。

 

「強気だな」

「ええ。今の私は。八一先生と恋人同士になれた今なら誰にだって負けやしないわ。一番得がたいものを得たんだもの。供御飯万智にだって空銀子にだって。決して」

 

 才気と自信と意思と。全てを兼ね備えて内側から輝かんばかりの少女。勝負に挑むものとして最高の状態にある。今の彼女ならきっと。

 

「そっか。ならこの話はここまでだ。ここからは」

 

 恋人としての時間だ。

 

 美しい曲線を描くその顎に手をやってくいっと持ち上げる。そっと瞳を閉じた彼女の唇に口づけを落とした。

 


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