その便意が物語を変えた   作:ざんじばる

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いよいよ第9巻の内容に入ります。
甘々だった前回までとは真逆の内容だぜぇ。


第九章.灰被りの戴冠
01.挑戦者決定戦


 9二香。

 

 穴熊を採用することは最初から決めていた。この日、マイナビ決勝戦。そして女王位への挑戦者決定戦。曲がりなりにも私を女流トップ棋士へと押し上げてくれたこの戦法で、新世代の棋士を迎え撃つと。

 

 目の前の少女。5年生の小学生、齢は僅か10歳に過ぎない文字通りの少女。夜叉神天衣。昨年公式戦に初めて姿を現すやいなや、瞬く間に無敗で駆け上がり私と同じ舞台まで昇ってきた。クイーン山城桜花の私と同じ舞台に。

 

「まだまだこなたとお燎の時代は終わりませぬ。終わらせぬわ」

 

 新世代の台頭か、あるいは単なる偶然か。この一戦にはその評価を決定づける意味合いがある。『空銀子』という異端児の存在はあれども女流棋界の中心は私やお燎の世代。そう世間に意識付けるためにも負けられない。

 

 ここで叩く。それはつい先日の山城桜花戦でお燎を破った私の役目だろう。お燎が準々決勝で勝ってくれてれば楽だったのにとは思わない。……ちょっとだけしか。

 

「こなたの花盛りはまだまだこれから。咲ききらぬうちに散るなど、寂しゅうおざりますからなぁ」

 

 必勝の意思を込めて今日の対局には和装で臨んだ。そして選ぶ戦型はエース戦法である穴熊。「絶対に譲らぬ」そう決めている。

 

 天ちゃんの先手で始まったこの対局。両者角道を開けた後、天ちゃんは飛車先の歩を突いて居飛車戦を明示。対して私は4筋の歩を突いて角道を塞いだ。そこへ飛車を振る。

 

 6手目4二飛。四間飛車。

 

 互いの戦型が決まったところで駒組みを進める。玉を右へ。天ちゃんは一手遅れて玉を左に進める。互いの玉が向かい合う対抗形。千日手はない。キッチリ決着を着ける。

 

 そして18手目9二香。

 

 戦型を四間飛車穴熊とした私を見て、天ちゃんはふんと鼻で笑った。ここまでは予想通りというところか。果たして私の穴熊にどんな対策を用意してきているのか。それはすぐに明らかになる。

 

 21手目9八香。

 

「9八香!?」

 

 天ちゃんが出した答えはまさかの居飛車『穴熊』。両陣地にみるみるとうちに囲いが出てくる。非常によく似た囲いが。『嬲り殺しの万智』に『穴熊』で持久戦を挑む。大胆不敵な選択。

 

 向かい側を睨めつければ、涼しい顔で顎をしゃくってみせる。自信に満ちた鷹揚な態度。まるで「自分の方が上位者だ。胸を貸してやる」とでも言わんばかりの。

 

「来なさい。踊ってあげる」

「よぉほざいたわ!」

 

 

 攻防は右辺での歩の突き合いから始まった。

 

 50手目。1九角成

 

 先んじて角を成り込む。歩の突き捨てには付き合わない。と金を作られる代わりに飛車と馬を中央の戦線へ引き戻す。双方から立て続けに4筋5筋へ手駒が打ち込まれ、瞬く間に中央が主戦場となった。中盤は中央でのねじり合いだ。

 

 72手目4九歩成。3二飛成。2五歩。7九金。7二銀。5三桂成。同金。同と。同馬。4五歩。5七歩成。同歩。5九と。5六歩。同香。

 

 どちらも時折自陣のバランスを整える他は中央での殴り合いに終始する。

 

 87手目4四金打。

 

 天ちゃんが強い手を放ってきた。飛車・馬どちらかの交換を迫る一手。

 

「引かぬわ!」

 

 無視して香車を走らせる。

 

 88手目5八香成。

 

 代わりに馬を喰われたが気にしない。今は主導権を渡さないことが大事。馬を喰った金を飛車で取り込んで天ちゃんの攻撃の目を摘む。後は5筋深くに突き刺した、と・杏2枚を起点に横腹を食い破って———

 

 その時、わたしの杏のすぐ脇で天ちゃんの守備陣最外辺を守っていたはずの角が摘まみ上げられた。

 

 91手目3五角。

 

「これは……」

 

 私の飛車を咎め、躱せばこちらの奥深くまで飛び込んで来かねない。なおかつ自陣の守備にも変わらず利いている。攻防一体の一手。

 

「主導権は渡さぬわ!」

 

 飛車を進める。攻め続ける姿勢!

 

 92手目5六飛。

 

「あらあら。それで良かったのかしら?」

「んなッ!?」

 

 93手目7二竜。

 

 竜を切り飛ばしてきた。強い一手。主導権が———移った。

 

 94手目。同金。6一銀。7一金打。7二銀成。同金。6一角。7一香。7二角成。同香。6三金。5四角。6二金打。7一銀打。同金。6三角。6二角成。7一銀。同馬。

 

 受けて凌ぐ。どこかで。どこかで主導権を取り返さないと。

 

 112手目8二金。同馬。同玉。6二金。7一桂。6三金。同桂。6二銀。

 

 主導権を。

 

 120手目3一飛。5四歩。同飛。5三歩。8四歩。2一と。3九飛成。5二歩成。同飛。7一角。8三玉。5三銀成。6九と。6三成銀。

 

 あ……。詰んだ。

 

 お燎との激戦をくぐり抜けたことで読みの力が上がったのか。長手の詰みが見えてしまった。私の。目の前の少女にはいつからこの形が見えていたというのか。おそらく私が攻めにこだわったあの場面———

 

 嬲り殺しの万智が攻め急ぎ過ぎたか……

 

 居住まいを正して、形作り。そして。

 

「負けました」

「……ありがとうございました」

 

 

 

 ◇

 

 

 

「勝てないとは思っていませんでした」

 

 対局後、記者陣に囲まれた少女が答える。激戦の疲れを感じさせない堂々とした態度だった。その姿を見ず、声だけを聞いていればまさか小学生が話しているなどとは誰も信じないだろう。

 

 ごちゃごちゃとうるさい女性リポーターを一睨みで黙らせる。静かになったところで神戸のローカル新聞社の記者が彼女に問う。

 

「夜叉神さん。今日の対局ではこれまでとは一段異なる力強さを感じました。それこそ進化と言っていいほどの。この短期間に何かあったのでしょうか?」

 

 そう。それは私も感じていた。確かに夜叉神天衣は以前から強かった。それこそ今日の対局も負けてもおかしくないと思っていた。けれど。

 

 

 今日の彼女は()()()()

 

 

 終わってみればまるで対抗できていない。掌の上で踊らされたかのような手応えのなさ。圧倒的な力量差があった。

 

「そうですね。何かあったかと言えばありました」

「それはいったい」

「あまりペラペラと話すようなことでもないので……大切なものを手に入れた、とだけ」

 

 抽象的な。けれど意味深な一言。周囲の記者たちはまったく理解できない。けれど私は。その言葉にズキンとした胸の痛みを覚えた。

 

「タイトル戦という大舞台で挑戦することとなった空女王は同じ清滝一門の系譜ですが、戦いにくさは感じておられますか?」

「それはありません。それはそれ、これはこれですから。一門と対局は別です。相手は無敗の女王。やりがいこそあれど戸惑いはありません。そして挑む以上は必ずタイトルを奪い取ります」

 

 

 そう言い切った少女は自信に充ち満ちていた。これは抗えない新時代の訪れ———

 

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