その便意が物語を変えた   作:ざんじばる

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今回もちょいと長めです。


04.女王戦第二局

「まさか…………こんな形でここに戻ってくるとはねぇ」

 

 宿を見上げながら呟く俺。つい半年ほど前に俺が死闘を繰り広げた舞台。温泉旅館『ひな鶴』。和倉温泉が誇るこの名宿にやってきたのは別に竜王戦を回顧してではなく、ここが女王戦第二局の舞台に選ばれたからだった。

 

 あの時と同じく、姉弟子と天衣、それにあいや師匠もいる。あの時と違うのは桂香さんがいないことくらいか。桂香さんは道場を空けられないとのことで、大阪に残っている。

 

「お待ち申し上げておりました」

 

 丁寧でありながらも鮮烈な存在感を放つ女将さん。世界中のホテルマンから尊敬を集める彼女の礼は、ただそれだけで衆目を引きつけていた。

 

 清滝一門を代表して俺が挨拶を交わす。そして。

 

「ただいま。お母さん」

「もう。自分のタイトル戦がここで行われる時まで敷居をまたぐことは許さないと言ったでしょうに……しょうのない子ね」

 

 感動の親子の再会だ。厳しいことを口では言いつつも、我が子を抱きしめるその顔は嬉しそうに綻んでいる。それはそうか。なんと言ってもたった一人の愛娘なんだから。

 

 その後、女将さんに案内されて記者会見および記念撮影の場である将棋ミュージアムへと案内された。そこは将棋ミュージアムなどではなくあいちゃんミュージアムだった。何を言ってるか分からないと思うが俺も(以下略)

 

 それから東京からの関係者一同が合流し、会見と撮影が始まった。始まった、の……だが。会見場は異様な空気に満たされていた。挑戦者の天衣は質問ににこやかに答えているのだが、姉弟子は完全に無言。表情すらピクリとも変わらない。ピリピリツンツンしていた。

 

 まあ、俺も竜王戦の負けが続いた第二局や第三局の時には全く余裕がなかった。それが姉弟子にとっては対女流棋士戦初敗北でもある。いつもの愛想笑いすらないのも無理あるまい。第二局の聞き手役として来てくれた鹿路庭さんが何とか場を繕ってくれていた。

 

 その後の前夜祭でも歪な両者の状況は続き、それを周囲が必死に盛り返すのだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ふんふんふん♪」

 

 前夜祭などのイベントごとが終わり夜。旅館の通路をヒタヒタと歩く。縁側の薄暗い道も勝手知ったる我が家。鼻歌交じりに行く。目的地はもうすぐだ。

 

 この宿でも最もランクの高い一室の前で足を止める。ノック替わりに一声かけて戸を開いた。

 

「こんばんはー。空せんせー」

「……何の用よ。小童」

 

 部屋の奥からこちらを睨む白髪頭の少女。相変わらずの小童呼びだ。

 

「そんなに睨まないでくださいー。激励に来たんですからー」

「……あんたが? 私に激励?」

 

 さらに怪訝な顔をするオバサン。

 

「そうですよ? 空先生にはこの対局何としても勝って欲しいんですから」

「何であんたが私の応援なんかするのよ? どっちかと言えばあっちの黒いの側でしょう? あんた」

 

 そう見えるのかな? 天ちゃんともガンガンに敵対してるんだけど。前から。でも確かに今までならオバサンの方が目障りだったかな?

 

「うーん。確かに前なら天ちゃんの応援をしてたかもしれないですけどー。状況が違うじゃないですか。今は!」

「……状況?」

 

 もう! 呑み込みが悪いなぁ! 年寄りは!!

 

「ほら。天ちゃんが師匠と付き合い始めちゃったじゃないですか! だからですよ! これでタイトルまで取っちゃったらもっと調子に乗るでしょ? 天ちゃんが!!」

「ッ……!?」

「あの二人、人が見てないところではチュッチュチュッチュして。この間もあいにも内緒で二人京都に一泊旅行行って、夜の鴨川でキスしてたらしいですよ! あい聞きました!!」

「………………」

「許せないですよね!? 師匠のだらぶち! 天ちゃんの泥棒猫!!」

「…………なんて……?」

「だから、何としても空せんせいに勝って欲しいんです」

「……今、なんて言った……?」

「だから———」

「今、なんて言ったのッ!! 小童!! 答えろッ!」

 

 突然の怒鳴り声。驚いてビクッと肩が跳ねてしまう。

 

「……だから、天ちゃんが八一先生と付き合い始めたって」

「……八一の、彼女になったの? あの黒いのが?」

「だからそう言ってるじゃないですか……もうキスも何度もしてるって」

 

 顔を真っ青にして固まるオバサン。…………これはまずったかな?

 

「……………出ていって」

「へ?」

「出ていけッ!!」

「ひゃい!」

 

 ヒステリーを起こしたオバサンに強制的に部屋から追い出されてしまう。ヤバい。ヤバいよー。完全に裏目った。トボトボと自室に戻りながらも心の中で頭を抱える。

 

 天ちゃんに不利になるように立ち回るはずが、逆に塩を送ってしまったかもしれない。まさか二人が付き合いだしていることをまだ知らないなんて。情報が遅すぎるでしょ。関西連盟の関係者はみんな薄々気付きだして、師匠のロリコン呼ばわりが強くなってきてるのに。そんな中で最も身近にいるオバサンが気付かないなんて想像できるはずないよ。オバサンのぼっち具合ハンパなかった。

 

 これはあい、悪くないよね。そうだ。前もって教えておかない桂香さんが悪いんだ。それに案外、激発して天ちゃん憎しでパワーアップするかもしれないし(すっとぼけ)

 

 うん。きっと大丈夫!(希望的観測)

 

 

 

 ◇

 

 

 

 翌日。女王戦第二局は天衣の先手番で幕を開けた。昼過ぎから始まった大盤解説は鹿路庭さんの独壇場だ。毒舌や自由奔放なトークで会場を沸かせていた。衣装もトークも最初からアクセル全開。それというのも———

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()からだ。

 

 後手番の姉弟子は、手番の差をひっくり返すため序盤から積極的に仕掛けていた。けれど、天衣の老獪とすら言える軽快な差し回しにことごとく裏目に出て、的確に咎められてしまった。

 

 あまりに姉弟子らしくない浮ついた緩手・悪手の連発だった。対女流での初黒星、経験のないリードされた状況でのタイトル戦が姉弟子に相当のプレッシャーをかけていたのだろうか。無理もないかもしれない。

 

 結果、昼食明けにはプロ的に見てもう勝負は終わっていた。現在の注目は将棋の内容ではなく、いつ姉弟子が投了するかだけ。

 

 だからこそ鹿路庭さんは必死に盛り上げてくれた。俺ら会場に来ているプロ棋士を壇上に連れ出し、イジって観客を爆笑させたり、ミニイベントで場を盛り上げる。観客を退屈させない。この場に来たことを後悔させない。

 

 その精力的な進行に感謝を述べると。

 

『いやいや。これが普通ですよー』

 

 鹿路庭さんは当然のような表情で、

 

『銀子ちゃんの登場するタイトル戦の大盤解説会って、どれもこれくらいサービスしないと、もう盛り上がんないですからね。まあ今日の展開は意外でしたけど』

『?』

 

 話を全く飲み込めない俺に、鹿路庭さんが教えてくれる。女流棋士にとって姉弟子がどういう存在だったのか。どれだけあがいても傷一つつけられない無敵のボスキャラ。絶望的な敵。

 

『銀子ちゃんの将棋ってさぁ、見ててツラさしかないんです。ゲンナリするんですよ。あの子がこれからもずっと自分たちの上に君臨し続けると思うと。勉強したって意味ないじゃん? ってなるんです。だってどれだけ頑張ってもかすり傷一つ負わせられないんだもん』

 

『ぶっちゃけ、今までの女流棋界って停滞してたんですよ。勝敗の決まってる勝負ほどつまんないものはないですし、どれだけいい将棋を指しても「どうせ空銀子より弱いんだろ」って言われちゃう。女流棋界における将棋とは最後に空銀子が勝つゲームだったんです。つい先日まで』

 

 そこで鹿路庭さんの言葉に熱が籠もる。観客もうんうんと頷いている。この場の熱が静かに高まっていた。

 

『その状況を打破したのが、わずか10歳の小学生ですよ! こんなの盛り上がるしかないじゃん。ですよねー?』

 

 その熱が鹿路庭さんの呼びかけで爆発する。天衣のファンも姉弟子のファンもなく、みなが歓声を上げていた。そうか。これまでの状況は姉弟子のファンですらその勝利に飽きていたのか。

 

『そ、それじゃあ挑戦者はどうですか? もしこのまま天衣がタイトルを奪ったとして、それで頂点に君臨したとしたら、トップが変わるだけで女流棋界の状況も変わらないのでは?』

『それは、実はこの間の女王第一局が終わった後からずっと考えてたんです。だけどそうはならないんじゃないかな?』

『それはなぜ?』

『夜叉神さんの将棋って面白いんですよね。生意気だし、将棋も性格も子供っぽいところがなくて正直嫌な後輩なんですけど。でも、気になる将棋を指すんです。あの子の将棋には何かある。それがあるからずっと将棋を指したいって思っちゃうんです。で、そう思うのはなぜなんだろうってもっと突き詰めて考えてみたんです』

『それで?』

『可能性を感じるんです。将棋の』

『……可能性』

『銀子ちゃんの将棋は、ようは可能性の確定です。細かい枝葉の変化を定跡化して、善し悪しをラベル付けしていく。それをどの女流棋士より早く、正確に行ってきた。これはいい手。これは悪い手ってね。ある意味現代将棋そのものかな』

『それに対して天衣は』

『ええ。可能性の拡大です。誰も見向きもしなかった手を持ってきて、こんな手がある。あんな手もある。将棋にはまだまだみんなが知らない可能性がいくらでも眠ってるんだって、気付かせてくれるよう。まあ本人にそんな気はないでしょうけどね』

『…………』

『だってあの銀子ちゃん相手に後手番で角頭歩ですよ? そんな誰もがB級戦術だって位置づけてる戦術で無敵の女王に挑んで、魔法みたいに千日手に持ち込んで。私的にはそれでも十分過ぎるって思ってるところに、自分から打開して、しかも勝っちゃうんですよ?』

『……ですね』

『そんなの見せられたらさ。思っちゃうじゃないですか。私にも、誰も思いもしなかった手が見つけられるんじゃないかって。もっともっと将棋の勉強をしたくなっちゃうに決まってるじゃないですか。そんなの』

 

 鹿路庭さんの独白に、会場から拍手が起こった。きっとここに集まってる多くの人がその言葉に共感しているんだろう。そうか。俺の弟子は。小さかったはずの、今の小さい彼女はそんな存在になっていたのか。

 

『だから、今日もどんな面白い将棋を見せてくれるんだろうって楽しみにしてたんですけど……』

 

 あ。ダメだ。この展開はまずい。このままじゃ姉弟子にヘイトが向きかねない。

 

 けれど、鹿路庭さんはさすがだった。自分の発言が不用意だったとすぐに気付いたんだろう。会場の空気が悪化する前に方向を転換してくれた。

 

『でもむしろ安心しましたよー。《浪速の白雪姫》もちゃんと15歳の女の子だったんだなーって。すっごいプレッシャーがかかってるでしょうし無理もないですよね』

『……ええ、そうですね』

 

 

 

 ◇

 

 

 

「負けました」

「……ありがとうございました」

 

 これで二勝目。女王位奪取に王手がかかった。最高の結果であることには違いない。けれど。対局を終えて、今一度目の前の彼女を観察する。蒼白な表情。

 

 

 おかしい。

 

 

 あまりにも今日の彼女は精彩を欠いていた。確かに壮絶なプレッシャーがかかっているだろう。けれどこの崩れ方は想定の範囲を大きく越えている。私の見積もりが甘かったのか? いや。前夜祭の時の様子はここまでではなかった。

 

 いったい昨日から今日までの間に何があった? せっかく一つ一つ積み上げてきたのだ。ここで不確定要素は避けたい。今日のところはうまくそれが作用しているけれど、何がどうなるかわからないのはまずい。

 

 対局後のマスコミからの取材を終え、和装を解くために控え室に戻る途中。縁側に座って足をぷらぷらさせながら何事かを呟いているあの子を見つけた。

 

 

「……あー。やっぱりまずっちゃったよねー。あれ。オバサン様子おかしかったもん」

「何をまずったのかしら?」

「……ッ!? 天ちゃん!?」

 

 妹弟子の雛鶴あい。その背中に声をかけるとビクッと背中を跳ねさせてこちらを振り返る。表情は驚きの後に気まずさのようなものに変わった。露骨に怪しい。

 

「空銀子のことを口に出してたわね。いったい何をしたの?」

「な、なんのことかな……?」

「誤魔化しても無駄よ。今日の空銀子の様子、変だったわ。さっきの独り言から察するに貴女が何かしたんでしょう?」

「べ、別に……?」

「無駄と言ったでしょう。さっさとはきなさい」

「ホントに何もしてないもん。ただ……」

「ただ、何よ?」

「教えてあげただけだよ。……師匠と天ちゃんが付き合いだしたらしいって」

「ああ……」

 

 なるほど。謎は全て解けたわ。それでショックを受けてあのザマってことね。おおかた空銀子を激発させて私を倒させるつもりだったのが、薬が強すぎて裏目に出たってところか。

 

「ね? ……たいしたことじゃないでしょ?」

 

 脂汗を流してこちらをうかがう妹弟子を白い目で見る。本当にろくなことをしないわね。この子。

 

「……余計な真似を」

「け、結果的に天ちゃんに有利に働いたんだし」

「……ふん」

 

 本当にそれで私が有利になったのなら文句はないのだけどね。もともと第一局までの成功で女王位奪取は9割方達成していたのだ。あとはこのまま予定調和で進めるだけだったのに、この子が余計な爆弾を放り込んでくれた。

 

「何事も予定通りには進まない、か」

「え?」

 

 聞きたいことは聞けた。間抜け面を晒す妹弟子を放置して、控え室への歩みを再開する。

 

 

 

 面倒なことになったわ。私が敷いたレールから外れ、状況はカオス化してしまった。空銀子がこのまま勝手に沈んでいくのならいいのだけど。見極める必要がある。そのためには———

 




茨姫の出番オールカットです。
桜ちゃんホントごめん。

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