その便意が物語を変えた   作:ざんじばる

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これで本当の最終回となります。これまで応援ありがとうございました。


07.無限の未来へ

 こうして俺の愛弟子と姉弟子のタイトル戦は幕を閉じた。

 

 3勝1敗。シンデレラにかかっていた『挑戦者』という魔法は、ガラスの靴を自分のものと証明したことで現実となった。灰被りは本物のお姫様になったのだ。

 

 対局終了後のインタビュー。そして打ち上げ。本番は後日の就位式に譲るとしても、いい式だった。皆が小さな新女王の誕生を言祝いだ。駆けつけた女流棋士は新時代の到来と新たな将棋の可能性に胸を躍らせ、集った観衆達はその小さな身体に詰まったきらめく才能を眩そうに見ていた。

 

 そして本日の全てのイベントが終わり、天衣を見送ることになった。将棋連盟ビルの外には晶さんが車で待っている。あいはなぜか供御飯さんが見てくれている。そんなにあの二人、仲良かったっけ?

 

 人気のない将棋連盟ビルの廊下を、天衣と二人歩く。二人きりになったからだろうか。隠していた疲れが出たのだろう。よろりと壁にもたれ掛かる天衣。

 

「大丈夫か?」

「ええ……さすがに疲れたけどね」

 

 その身体がより小さく見えた。当然だ。大人ですらしないような激闘を制したとは言え、まだ10歳の女の子だ。無敵の女王たる姉弟子との本気の殺し合い。その幼い身体にはどんなに負荷になっていたことか。

 

 けれど、天衣は唇の端を歪めて不敵に笑って見せた。

 

「どう? 八一先生?」

「うん?」

「いつか話したこと。全て現実にして見せたわよ」

「……ああ」

 

 天衣のその言葉に俺は思い出す。始まりとなった日を。一年と少し前。今と同じく関西将棋会館の廊下で。ふと思えば今日と同じく姉弟子と対局した後のことだった。天衣は語った。あの時。女王位獲得への道筋を。

 

 彼女は一つ一つ成し遂げてきた。アマチュアの身でマイナビに参戦し、最速で駆け上がってきた。女流棋士を、その高段者を、そしてタイトルホルダーを。一人一人倒してより力をつけながら。そしてついには、対女流無敗。無敵の白雪姫から王冠を奪い取った。

 

 振り返ってみれば、全てはあの時、天衣がこの場で語ったとおりに物事は動いた。常識外れの、魔法染みた大局観だ。そしてそれを全て有言実行してしまうその力。果たしてこの子は本当に人間なのか。

 

 その小さな身体が。反対にその内包する力の巨大さが。俺に畏れすら覚えさせる。

 

「八一先生……あなたの姉弟子が誰かに敗れるところを見るのは嫌だった……?」

 

 …………そこでそんな不安そうな顔をするのはずるいって、いつかもそう思ったっけな。

 

「いいや。俺の彼女が。自らが最強だと証明したことは、最高に誇らしかったさ!」

「そう。…………八一先生、大好き!」

 

 俺の言葉に最愛の彼女は本当に幸せそうな笑顔を見せてくれる。

 

 彼女はきっと悪魔だ。ほんの少し前まで強敵と殺意の応酬をしていたそのすぐ後でこうして俺に愛を囁く。

 

 ああ、けれど———そんな麗しの悪魔が、俺にとっては心底愛しいんだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「女流王座が来たぞ!」

 

 女王戦から数日。連盟の入り口で待ち構えていた報道陣は、私を見つけると一斉に駆け寄ってきた。あっという間にカメラに取り囲まれる。

 

「いよいよ初の女性として三段リーグに挑まれるわけですが、現在の心境はいかがですか!?」

「残念ながら先日女王位を失ってしまってから間もないですが、やりにくさみたいなものはありませんでしょうか!?」

「三段リーグでは、辛香三段や椚三段など因縁の相手と再度当たるわけですが勝算はありますか!?」

 

 矢継ぎ早に質問を浴びせてくる連中を無視して奥へ進む。何かしらほざいているが意識にも入ってこない。そのまま更に奥へ。すると対局場の手前。小柄な人影に気付いた。

 

「銀子さん。こんにちは」

「……ええ」

 

 半ズボン姿の小学生男子。椚創多三段。コンピュータ将棋の化身。最新鋭の将棋星人。……三段リーグで殺し合う相手の一人。

 

「今日からいよいよ三段リーグ開幕ですね! 楽しみだなぁ」

「…………」

「銀子さんともどこかで当たりますよね! まあ、次はぼくが普通に勝っちゃいますけど」

 

 引くな! 相手は単なる獲物だと思え! 臆する必要はない!!

 

「ほざけ小童。ぶち殺すぞ」

 

 

 

 ◇

 

 

 

「鵠師匠! 今日もよろしくお願いします!」

「はい。雛鶴さん。こちらこそよろしくお願いしますね」

 

 あの日からあいちゃんは、鵠さんを師匠と呼んで付き従っています。それもこれもあの性悪の天衣ちゃんからししょーを奪い返すためです。そのために自分より長く、深くししょーを観察してししょーのことを理解している鵠さんから学ばないといけません。

 

「それじゃあ今日はどんなシチュエーションを検討しましょうか?」

「じゃあ———」

 

 あいちゃんは本物の九頭竜先生に話しかけるように言いました。

 

「師匠。シャルちゃんが師匠とお風呂に入りたいって言ってるんですけどどうしましょうか?」

「ええ~? シャルちゃんが~? う~ん。それはまずいよなぁ~………シャルちゃんは六歳児……六歳……小一………………ギリギリ、かなぁ?」

「師匠のだら!! アウトに決まっとるやない…………はっ!?」

 

 ——また、鵠師匠のことを師匠と思って反応しちゃった!!

 

 あいちゃんは驚愕しました。本当に本物の九頭竜先生とお話ししてるみたいにそっくりでした。

 

 ——やっぱり。鵠師匠は凄いッ!!

 

 この人を師匠にしたことは間違いじゃない。そう改めて思うあいちゃんでした。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「やだ……八一先生の玉……すごい堅い……」

 

 十六歳の時の俺が竜王になって三ヶ月後に取った初めての弟子は小学生の女の子で、いろいろあって今は俺の彼女になった。

 

「はぁ……こんなの堅すぎるわ……」

 

 俺の膝の上に座る十歳の弟子は、象牙のようになめらかな頬を紅潮させ、前屈みになって彼氏の玉に顔を寄せながら、ウサギのように震えた。

 

 天使か、悪魔か。人とは思えないほど、とても美しい少女だ。

 

 まだ幼女といっていいほど幼い女の子相手にこんなにも堅くしている自分に罪悪感を覚えながら、けれど俺は堅くすることをやめられなかった。その堅さは、もはや犯罪的ですらある。

 

「ん……」

 

 俺の初めての弟子にして彼女———夜叉神天衣は熱い吐息を漏らすと、自分の深いところを晒して、俺を誘ってくる。

 

 小学生の女の子とは思えない大胆なテクニック。だが、これはさすがに……。

 

「……いいのか? 天衣」

 

 幼くも大人びた弟子の決断を見て、俺は念を押す。天衣は———

 

「……」

 

 コクン、と無言で頷いた。微かに震えながら……。

 

 俺は少しだけ躊躇するが、覚悟を決めてその誘いに乗る。

 

「いくぞ……」

「え、ええ……!」

 

 奥の奥、弟子の秘められた場所を目がけて手を伸ばす。そして俺の指がそこに触れた瞬間———

 

「あっ! や、やっぱりだめぇ!!」

 

 天衣は堪えきれずに身体をぴくんと跳ねさせて大きな声を出した。予想もしていてもその場所に手を入れられては動揺を隠せない。その反応が、俺にはとても気持ちいい。

 

「八一先生、それダメ…………まって……」

「だめだ」

 

 彼女の哀願にも非情にそう告げる。待つ事なんてできるわけがない。

 

「プロの将棋に『待った』は存在しないからな」

 

 天衣は「あぁぁっ……!」と涙を堪える顔になった。王手角取りをかけられれば当然の反応だ。盤上に愛はない。

 

 五月。大阪。

 

 初夏を迎えた大阪城公園の桜はすっかり新緑を身に纏っていた。夏の接近を感じさせる爽やかな風が吹く度に無数の葉っぱが揺れる。

 

 周囲の散歩客が不思議そうな顔で、

 

「……何をやってるんだ、あれ?」

「……将棋? こんな所で?」

「将棋って、あんな小さくて可愛い子でもするんだ……」

「っていうかわざわざ家から持ってきたの? あの重そうな将棋盤」

「おい、あれ最年少女王の夜叉神天衣ちゃんと竜王の九頭竜八一やないか?」

 

 中には俺たちの正体に気付いてスマホを向ける将棋ファンもいる。……なぜ俺よりも天衣の名前が先に出るのか解せないが。

 

 桜の名所として知られるここ大阪城西の丸庭園でもひときわ立派な桜の木の下で、俺と天衣は将棋を指していた。

 

 女王戦お疲れ様の身内での宴会の場所取りをしているのだ。桜は既に散っているのだが、宴会が主だから別にいいだろうという身も蓋もない理由で決行とあいなった。

 

 将棋はその後、天衣が得意の受け将棋で驚異の粘りを見せつつも、劣勢から竜王の攻めを受けきれるはずもなく投了となった。

 

 将棋は一息ついて、雑談を振る。

 

「そういや、天衣は目標としていた女王のタイトルを獲得したわけだけど、次はどうするんだ?」

「次の目標? そうね……」

 

 天衣はしばし考え込んだ様子を見せ、やがて口を開いた。

 

「そうね。各タイトルホルダーを虐殺して回ってタイトルを独占するのはどうかしら?」

「……決して絵空事じゃないから困る」

 

 そう。決して誇大妄想と切って捨てることができる発言じゃない。浪速の白雪姫を下した天衣にはそれだけの実力がある。姉弟子は奨励会員だったから女王と王座以外のタイトルに挑戦できなかったが、挑戦していれば独占していただろう。

 

「それか、八一先生の後を追って奨励会に飛び込むのはどうかしら?」

「……それも大成しそうだな」

 

 師匠の贔屓目をのけても、天衣の才能は本物だ。全将棋指しで見ても破格だろう。この子の勝負強さなら三段リーグもあっさり通って見せるかもしれない。

 

「まあ、なんにせよ焦るつもりはないわ。今の私なら。八一先生の彼女になった私なら何でもできるもの」

 

 そう言って天衣は笑った。

 

 そうだな。俺もそう思うよ。天衣の。いや、俺たちの前途はどこまでも広がっている。そう素直に信じることができた。

 

 爽やかな風が吹き抜けていく。その風が連れてきてくれたのか、微かに俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。みんなが来たらしい。そちらを見る。先頭にいるのは師匠か。なぜか猛烈な勢いでこちらに走ってくる。そんなに宴会が待ちきれないのだろうか。

 

 疾走する師匠が大きく口を開き叫ぶ。

 

 

「八一ぃぃぃッ! トイレはどこやぁぁぁ!? お腹いったいのおおぉぉぉぉぉ!!」

 

 

 爽やかな気持ちが台無しだッ!!

 

 




いかがでしたでしょうか。ある意味便物語らしいラストになったのではと思っている作者です。師匠に始まり師匠に終わるみたいな。

1月に始めた二次創作がまさか12月まで続くとは……。
ここまでお付き合いいただいた読者諸兄には感謝の念が絶えません。

願わくば次の物語でも会えんことを。それでは!


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