コポコポコポッ・・・
静けさに満ちた教室にポットへお湯が注がれる音が響く。
16時を大きく過ぎた窓からは遮るものが何もない強めの西日が降り注ぎ、教室内の俺たちをその胸の内とは裏腹に、さぞや神々しく照らし出していることだろう。
おそらく静けさの理由を知らない第三者がこの状況を目撃したなら、依頼が来ないのをいいことに優雅な放課後ティータイムとしゃれこんでいるように見えるのだろう。
実際普段の奉仕部は優雅とはいかないまでもほとんどの日を、眉毛たくあんの人と変わらないレベルのお嬢様が用意してくださる紅茶とクッキーを食して過ごしているわけだが…
平塚先生はこの現状をどう内申書に書くつもりなのかがここ最近の俺的七不思議のひとつだ。
ちなみに後の六つは戸塚と小町はなぜあれほどまでに可愛いのか?で埋め尽くされている。
そんな俺の現実から目を背けるための独り語りを打ち破るように由比ヶ浜は重たく閉ざしていた口を開いた。
「これってやっぱり…私、だよね?」
そう言って彼女が指差したのは、この静けさの原因であり今回の以来内容であるところの雪ノ下さん作のギャルゲー、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』
そのパッケージに描かれた二人の女性キャラのうちの一人。
ピンク色に近いセミロングの茶髪を頭の右側でお団子状に束ね、いささか誇張が過ぎるのではないかというほどに大きく開かれた制服の胸元に手を当て、柔らかく愛らしい微笑みを浮かべるその少女は俺のクラスメイトで同じ部活に所属する人物によく似ていた。というか完全に由比ヶ浜だった。
「だろうな。これで別人がモデルだったら結構な恐怖だぞ・・」
「てことはその隣はやっぱり・・」
「私・・でしょうね。」
パッケージ内の由比ヶ浜の隣で腰まで伸びる長い黒髪を軽く払い、凛と済んだ瞳でこちらに視線を向ける少女によく似た人物、雪ノ下は頭痛をこらえるようにこめかみに手を添え短いため息を吐いた。
「全く何を考えているのかしら、姉さんは・・」
憤懣やるかたないといった様子の雪ノ下が怒りなのか羞恥なのかに震える手で紅茶の入ったカップを口に運ぶ傍ら、パッケージをじっと見つめていた由比ヶ浜が奇しくも俺と同じ感想をもらした。
「でもすごいそっくりだよね。この私たち?ていってもいいのかな?」
そうなのだ。最初にゲームを袋から取り出した俺が言葉を失った最も大きな理由は、その使い古されたようなこそばゆい宣伝文句でも、気は確かかと疑いたくなるような奇抜なタイトルでもなく、見慣れた総武高校の校舎を背にして立つ、二人のイラストがあまりにそっくりでそして驚くほど・・・
「誰なんだろうね?この、『ぽんかんⅧ』って人。」
「さぁ?おそらく姉さんの大学のサークルメンバーなんでしょうけど。でも確かにきれいな絵よね。」
どうやら女性陣二人は自らを許可なくゲームの登場人物にされたことよりも、絵師が誰なのかが気になるようだ。さっきまであんなに怒っていた雪ノ下まで今ではパッケージを食い入るように見つめている。
女性ってのは肖像権云々よりも自らがきれいに映し出されているかを一番に考えるのかもしれない。ソースはリビングで寝こける小町を盗撮したことがばれた際、盗撮に対する説教よりもよだれを垂らす顔を取られたことを気にする小町に膝蹴りを食らった俺。
「・・?」
天使の寝顔を拝みたい禁断症状に襲われた俺はあの時の写真を探そうとスマホに手を伸ばし、ふとあることに気付く。
「なぁ、雪ノ下一つ気になったんだが」
「なにかしら?」
「お前、どうして今回の依頼引き受けたんだ?」
「!」
「?なにそれ、どういう意味ヒッキー?」
先ほどの俺の説明を聞くまで詳細が分からなかったとしても、このパッケージを見れば登場人物に雪ノ下自身や奉仕部の面々が起用されたゲームであることは理解できる。加えてこの宣伝文句『総武高校奉仕部を舞台に紡がれる淡く切ない恋模様』『主人公 比企谷八幡として7人のヒロインの攻略に挑め』改めて見返すと鼻で笑ってしまうようなこの文言。これだけでもこのゲームが何かしら恋愛要素が絡むゲームだと容易に想像がつく。そして主人公は俺。つまり
「この依頼って雪ノ下になんのメリットも無い上に、雪ノ下さんしか得しないだろ?」
「う、うん?そうだね…?」
「…はぁ。つまりな、この依頼を受けるということはゲームの中でとは言え、普段通う学校を舞台に自分の顔したキャラクターが、その…主人公と…恋愛する様を見ないといけないってことなんだよ…」
「・・・・あっ!」
空気は読めるくせに行間は読めない由比ヶ浜に現状を説明すると一呼吸開けた後にようやく理解できたのか、短く嬌声を上げた後勢いよく俺から目をそらしうつむいてしまった。
俺に表情を読まれたくないんだろうけど、真っ赤になった耳が見えちゃってるんだよな・・
だがこの由比ヶ浜の行動が示す通り、思春期真っ只中の三年間という決して短くはない時間を過ごすこの場所で、友人、とはいかずとも顔見知り以上には顔を合わし言葉を交わす奴らと、自らが出演するギャルゲーにいそしむとか一体何プレイだよ。かくいう俺は赤面どころか現実感なさ過ぎて能面になっちゃうレベル。
おそらく雪ノ下さんの目的はこうやって俺たちの羞恥にもだえる様を見て、どこぞの駄女神よろしくプークスクスっとすることなのだろうが、俺でさえ気づくその狙いに気づかない雪ノ下ではないだろう。だとすれば一体何が彼女に依頼を引き受ける決意をさせたのか。
それは意外にもあっさりと彼女の口から語られた。
「えぇ、確かにそんな獣に身を売るような真似をするなんて、生涯癒えない傷を心に刻むことになるでしょうね。私としては今すぐにでもそのパッケージを手紙ごと焼き捨てて依頼自体無かったことにしてしまいたいのだけれど・・今回ばかりはそうもいかないのよ。」
訂正全然あっさりじゃなかった。
「あなた達は去年の文化祭での私と姉さんの会話を覚えているかしら?」
「『達』ってことは私もいる時だよね?だからえっと~・・」
「・・・後夜祭の時か。」
去年の文化祭。相模の委員長としての仕事を補佐する依頼を受けた俺たちが、後夜祭本番前に姿を消した相模を探し出す時間を稼ぐために雪ノ下と由比ヶ浜が行ったバンド演奏。足りないメンバーをバンド経験のあった平塚先生、城廻先輩、そして雪ノ下さんにお願いしたのだが。
その際渋る雪ノ下さんを動かす条件として雪ノ下がした提案こそが今回の依頼受領の理由なのだろう。
「えぇ。あの時の姉さんへの借りを、今回の依頼を達成することで返す。それが私が依頼を受けた理由よ。」
あの時の雪ノ下さんへの借りと今回の依頼が釣り合っているかと言われれば、その答えはノーだろう。どこかの誰かが言っていた。『七借りたら三返す』。今回はその逆といってもいいだろう。だが雪ノ下にはそんなことは関係ないのだ。一度借りを作ってしまったのならその相手が誰であれ、返す借りが何であれ必ず返す。ともすれば損をしてしまいそうなその生き方が、ひどく不器用であまりにも真っすぐで、そして何よりも美しいと素直にそう思った。
「あの、比企谷君。そんなことを言った手前あなたに肝心な部分を任せてしまって申し訳ないのだけれど・・」
「まぁ、雪ノ下さんのご指名だしな。それにさっきも言ったが俺もあまり詳しい方じゃないしやる気もたいして無い。少なからずお前らに頼る部分も出てくると思うぞ。むしろマウスをクリックしかしないまである。」
「あはは!なにそれヒッキーいる意味なーい。」
「おいバカ、やめろよ。小学校で出席とるの忘れられて途中で気づいた担任に遅刻を疑われた時のこと思い出しちゃっただろうが。」
あの時、隣の席の奴でさえ俺の存在に気付いてなかったんだよなぁ・・ステルスヒッキー誕生の瞬間である。
「はぁ・・依頼達成の際は少なからず謝礼を払うそうだからやる気を出しなさい。」
「よしすぐ始めるぞ。パソコンをもてい。」
「すごい掌返しだっ!」
当然だ。いかにここが奉仕部とはいえデバッグ作業なんて面倒臭い仕事バイト代でもでなきゃやってられん。そうでなくても個人名と外見を許可なくゲームに使っているのだ。それだけでも十分に謝礼を受け取る理由となる。
それにいい加減前置きが長すぎた。なんだかんだ言いつつ実のところ俺は、このゲームに興味を持っているのだ。雪ノ下さんの策略にまんまとはまりこのゲームをプレイしてみたいと思ってしまっている。その理由はきっと、このゲームを始めてみた瞬間そこに描かれた二人があまりにそっくりでそして、驚くほどきれいだと思ってしまったからなのだろう。
自らの気持ちに若干引きつつ、ほのかに赤くなっているであろう顔を隠すように俺はこの『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』を始めるのだった。